これからいよいよ本格的に寒くなるけれど、元気にしていますか。喘息の発作は出ていませんか。仕事で忙しくても、ちゃんとお医者様にかかるのですよ。
**君は**大学に推薦で合格したそうです。お父ちゃんは先輩としてとても喜んでいます。
(中略)
お父ちゃんは12月のはじめに携帯電話を買いました。でも説明書を読んでもなかなかわかりません。すぐに眠くなってしまいます。いい知恵があったら教えてください。
それでは元気でね。
父より *月*日
これが最後の社員旅行になる父は、初めての海外ということで浮かれ気分だったらしい。肝心なパスポートを忘れてきたことに気付いたのは、2時間かけてようやく着いた空港近くのホテルで、一風呂浴びた後だった。
父は電話嫌いで、たいていの用事は手紙で済ませ、急な用事もFAXで伝えるようにしている。ところが今回、母が田舎へ帰っていてFAXが使えない。とうとう観念したと見えて、母に電話をかけた。パスポートがないから社員旅行にはいけない、といったらしい。「バカッ」と父を一喝して電話を叩き切った母は、すぐ私に連絡を取った。
私は一昨年の春に田舎の短大を卒業し、就職して実家を出た。今年で社会人3年目。実家まで車で1時間の距離に暮らしている。けっこう遠い。
でも妹は遠く東海へ行ってしまったし、母はいま北陸にいる。私がやるしかない。実家から空港までがちょっとつらいけれども、たまにはドライブもいいだろう。
「ほんじゃまあ、よろしく頼むわ」と母。通話を終え、バックライトがすうっと消えて暗くなった画面に、私の顔が映る。横に広がった低い鼻、つるんとした大きなおでこ、えらの張ったあご、どこもかしこも父に似ている。妹は母に似た。私も母に似たかった。今でも時々、そう思う。
ところで、パスポートは父の書斎にある金庫の中に、大切にしまわれているのだという。記憶の中では、私の肩幅よりもっと大きな、グレーの金庫。
昔はその中身を知りたくて、しじゅう機会を伺っていたものだった。留守番を頼まれたときには、両親が出かけてすぐに金庫の前へ飛んでいき、どうにかして開ける方法を見つけようと苦心惨憺したものだった。いつからだろう、金庫への関心を失ったのは。
ふいに時計の秒針が進むチッチッチッという音が意識の中に入ってきた。ハッと我に返る。ついついボーっと考えごとをしてしまうのは私の悪い癖だ。父の出発は明朝。まだ時刻もそう遅くはない。明日は私も仕事が休みだから、夜道を走れば今晩中にパスポートを父に届けられるだろう。
10分後、私は愛車の軽に乗り、信号待ちの手持ち無沙汰に暮れなずむ街角を眺めていた。
そういえば、年が明けてからというもの、父の手紙が届かなくなった。筆まめな父は、一昨年の春に私が実家を出て働き始めてから、毎月一度は手紙をくれたものだけれど。ちゃんと毎回、返事を書くのだったと、いまさらながらに後悔する。
字の下手な母は、父とは対照的に滅多に手紙を書かない。母の年賀状はいつも印刷屋から買ってきたものだし、私の知る限り宛名書きはすべて達筆な父が代筆している。毎年、黙々と100枚近くも。母は、結婚してから年賀状を出す相手が増えたという。
閑話休題。
今、実家には父がひとりで暮らしている。昨春には妹も遠くの会社に勤めて、実家を出てしまった。私と違って勉強のできもよかったから、きっと四大に進むのだろうと思っていたのに。私が意外に思ったくらいだから、父の驚きと落胆は想像するに余りある。情けない父のことだから、きっと大泣きに泣きながら怒ったろう。
昨秋には母方の祖父が具合を悪くしたとかで、母まで田舎へ帰ってしまった。父も今年の夏過ぎには定年を迎えるのだけれど、一年早く退職するといって大騒ぎしたらしい。やはりこのときも、泣いたんだろうな。情けない父。けれども小さな体は丈夫で、仕事を病気で休んだことがない。
私は幸い実家を離れていたので、父が泣く現場には居合わせずに済んだ。けれども、どうなのだろう。私の知らないところで話がどんどん進んで、今、家族はばらばらの場所に暮らしている。
すべての始まりは私が父の涙も母の心配も振り切って家を出たことだけれど、無事に1年を過ごしてみんな杞憂に終わったはずだった。その裏で妹が実家を離れることを決めていたなんてこと、私は春になるまで全然知らなかった。さらに1年経って、今年の春はとうとう父はひとりぼっちになってしまった。
親離れなんてできていない。ただ、遠い場所にきてしまったから、家族の姿が見えないだけ。でもそれはみんな同じ。それぞれの場所で、お互いの幻影を抱いたまま、先へ先へと進んでいる。
信号が変わった。
ふいに左から男の子が横断歩道に飛び出してくる。急ブレーキ。
母親らしき女性が小走りに出てきた。慌てているのか、男の子の頭をつかんで歩道へ引き戻していく。しきりに頭を下げる彼女とふいに目があって、にっこり笑顔で会釈した。と、後ろからクラクション。
慌てて確認したバックミラーに、夕陽がまぶしい。
退職したら母といっしょに初めての海外旅行に行くんだといって、父がパスポートを作ったのは私が家を出る直前だった。定年まで2年半も残していたから、母は「縁起でもない」といって気の早い父をたしなめた。会社が傾き、リストラの嵐が吹き荒れていた頃だった。しかし結局、母も父と一緒にパスポートを作った。どうせ「申請にいくのは私じゃない。お父ちゃんの分だけ作るのは癪だわ」なんていっていたのだけれど、真意はどうだったのだろう。
その後、父は無事に嵐を乗り切った。そしていよいよ定年を目前に控えるまで漕ぎ着けた今になって、社員旅行で海外へ行くことになった。皮肉な話だ。
父はしきりに母にすまながっていた。あるときなど、社員旅行への参加をやめると駄々をこねて母を困らせたそうだ。父の会社では、社員旅行への参加は業務命令となっている。母はとうとう癇癪を起こして、父を黙らせた。
ところがその直後に、母方の祖父が倒れた。母は看病のために北陸の田舎へ帰ることにしたのだが、父は1年早く退職して北陸へついていくといい出した。父の意志は相当固かったようだが、これを母がどう懐柔したものかしらない。とにかく父は仕事を続け、社員旅行の季節がやってきた。
父がパスポートを金庫から出し忘れたのはうっかりミスだろうが、それにしてもこのタイミング。母が怒るのも無理はないような気がする。
もうだいぶ暖かくなってきたとはいえ、日が落ちればすうっと冷え込む。細く開けた窓から入ってくる空気は、早くもひんやりとしてきた。パトカーのサイレンが遠くで鳴っている。
少し不安があったので、ガソリンスタンドで給油する。
エンジンを止め、道ゆく車の光線を眺めていると、うつらうつらとしてくる。いけない、いけない。
パスポートは金庫に入っている。頭の中で反芻してみると、微妙に、違和感がある。
父は書斎の金庫を開けることができたろうか。金庫が置かれていたのは父の書斎だが、もともとあの金庫は母の嫁入り道具のひとつだった。箪笥やひな祭りの人形と並んで最長老の一角を占めている。
先日、家電最後の生き残りだった電子レンジも、壊れてしまったという。両親が結婚して20数年、新婚当時の思い出の品もそう多く残ってはいない。
金庫はスライド式の本棚の奥にある。パッと見には、そこに金庫があるとは思えまい。けれども以前、町内会の安全チェックの企画でやってきた警察の方は、「これはいけませんねー」とおっしゃった。けれども家中にモノがあふれていて、大きな金庫の置き場は他にない。仕方なく金庫は今でも父の書斎にある。
金庫の中には土地の権利書とか、そういったものがいくつか入っているらしい。私は金庫が開いているところを一度も見たことがない。ただ、金庫から書類を持ってくるのは、いつだって母の役目だった。
レシートの明細を見ると、レギュラーガソリン105円/L とある。そんなものかと思う。100円を切ったりするようになったのはいつ頃からだったろう。昔は130円/L というスダンドもよく見かけたものだが。
父の手紙に出てきた**君、父方の伯父の長男だから私にとってはいとこにあたる。妹よりさらにひとつ下。伯父は祖父母と同居している。父方の田舎へ帰ったときは、いつも伯父夫婦のお世話になった。
父の本名には「一」の字がつく。けれども父はもう長いこと、本名で年賀状を出していない。公文書以外では、いつも別の名前を使っている。
次男だった父に「一」の字がつく名前が付けられたのは、産まれは二番だからといって人生まで二番手である必要はない、という祖父の意思による。しかし伯父の名には「一」の字はついていないのだから、よくわからない。
ただ、私が産まれたときにもまだ伯父が結婚していなかったのは事実だ。祖父は姓名判断所を訪れ、かつての自分の決断について意見を聞いた。すると、やはり父の名に問題があるのだという。
それで、父は名を変えた。間もなく伯父は結婚し、**君が産まれた。もう長いこと会っていない。小さい頃はチビで、泣き虫で、いたずらっ子で、本当にどうしようもなかった。私はそんな**君をよくかわいがっていたような記憶がある。体が弱く、正月に会うといつも洟を垂らしていたのだが、もう大丈夫なのだろうか。
妹は、歳が近いからだろう、**君とはそりがあわなかった。ダサいとか何とかいって、話もろくにしようとしなかったものだ。
そんな**君も、今頃もう大学生になっている。空手で鍛えて、身長も伯父に似て高校時代にだいぶ伸びたらしい。入学祝い、いくら包んでやったろう。思い出せない。両親よりたくさん包んだら面目を潰すので、あらかじめ母とちゃんと打ち合わせをしたのだった。
いとこの入学祝いまで出すことはないような気もするけれど、母方の歳の離れたいとこからお祝いを貰ってしまった私は、いまさらそうもいえない。
ようやく町の境の看板が見えてきた。久しぶりに帰ってきた、私の故郷。本当に小さな町。
看板の横を通過すると、街路灯がなくなる。真っ暗な道に、フロントライトの光線2条だけが頼り。
実家は町外れにある。道路の真ん中をゆらゆら走る自転車のおじいさんに驚くと、そこはもう懐かしの我が家の前だった。
空っぽのガレージに車を停めた。車を降りると、肌寒い。かすかな虫の音、そよ風の音。桜はもう散ったけれど、垣根の連翹(れんぎょう)が黄色い花を咲かせている。若葉の香。父は、母のいない庭を、よく手入れしていた。
玄関先に立つ。主のいないこじんまりとした木造二階建ては、ひっそりと静まり返っている。雨戸を閉じており、中の様子はわからない。門灯の明かりが扉の模様ガラスを透かして、玄関にある観葉植物の陰が見えるばかりだ。郵便受けの中は空。
父の書斎へ行って、金庫の中のパスポートを見つける。胸のうちで小さくつぶやく。私は自分の予定を、そうして確認することが多い。
ガチャガチャと鍵を回すと、意外に大きな音がしてシリンダーが回った。扉を引くと、丁番がきしむ。まるで幽霊屋敷のようだ、と不吉なことを思う。怖がりは、こういうときにいけない。
父の書斎は廊下の突き当たりの部屋。途中、居間を覗くと何もかもが整理整頓されていて、冗談のようだった。生活感のない部屋。父の理想。でも、その部屋に父が暮らすことはできない。人は、それほど美しくは生きられない。父はそれをよく知っているからこそ、飽きもせず整理整頓に努めてきたのだろう。
書斎に入る。
思いのほか、狭い。こんなに狭かったのか。見たところ三畳、せいぜいあっても四畳半でしかない。
右手の本棚をスライドさせると、剥き出しの、グレーの大きな金庫が現れた。
私は開け方を知らない。ポケットから携帯を取り出し、母に電話する。
例えやり方がわかっていたって、金庫を開けるのは面倒だ。私はしばし苦闘した。
右に3回転、左に……ええと、また忘れてしまった。母に再び電話。「お母ちゃんのいうことを何でしっかりメモしとかないのよ!」ごもっとも。
物心ついた頃にはもう、お父ちゃん、お母ちゃんといっていた。父の強い希望だったというのだが、なぜそんな呼ばせ方をしたのかわからない。幼い頃はなんとも思わなかったが、小学校に上がってからは嫌だった。友達はみな、パパ、ママ、あるいはお父さん、お母さんと両親を呼んでいて、お父ちゃん、お母ちゃんと呼ぶのは私だけだったのだ。
最悪だったのは高校時代で、私はなるべく友達の前で家に電話しないようにしていた。女の子が両親をお父ちゃん、お母ちゃんと呼んでいるなんて恥ずかしい、そう信じ込んでいた。思えば親不孝な娘だった。
こんな田舎で、パパとかママとか呼んでいる方がどうかしているんだ。そう開き直ったのは、地元の短大へ進学してからだった。家庭的な女の子が好きな男の子に、なぜか受けがいいことに気付いたからだ。合コンの話の種にもなったし、けっこう便利に使わせてもらったような記憶がある。
ただ残念だったのは、私がその手の話に食いつきのいい男の子を、どうしても好きになれなかったということだ。
それにしても、なかなか金庫が開かない。集中力が途切れ、頭はすぐに思い出の彼方へと飛んでいってしまう。もう嫌だ、飽きた、無理だ。
と、ようやく金庫が開いた。音もなく、すまし顔で。
暗い中を覗くと、書類棚と並んで手提げ金庫がひとつ。私は深い深い溜め息をつく。
嫌な予感は当たるもので、書類棚にパスポートはなかった。土地の権利書など、私が知っている重要そうなものは、みんな見つかったというのに。
パスポートは手提げ金庫の中にあるらしい、と母に報告すると、「もう一度、棚の方を探しなさいよ。一番下の引き出しにはいろいろ入っているでしょ。その中にないの?」という。聞くと、パスポートをしまったのは父なのだそうだ。父は金庫の開け方を知っていたのだった。
物覚えの悪い父がよく開け方を暗記できたものだと思ったが、案の定、毎回母に開け方を聞いてメモを作っていたのだそうだ。ちょっと安心した。「そんなことより、さっさと探しなさい」はいはい。で、やっぱり見つからないのだった。
母は、初めて動揺した。「あのね、手提げ金庫の方は、お母ちゃんも開け方を知らないのよ。お父ちゃん、私に中を見せてくれたことないのよね。ね、あんたからかけてみてくれない?」
父と秘密の金庫。ものすごく嘘っぽい組み合わせ。何でもお見通しの母が、本当に手提げ金庫の開け方を知らないということがあるだろうか。
でも、私は父に電話をかける。
父は私からの電話にひどく狼狽していた。旅行をすっかり諦めていたので、私がパスポートを探しに実家へ帰ったことが信じられなかったのだ。そして何度も何度も「すまねえなあ」と謝るのだった。簡単に事情を説明し、本題の手提げ金庫の開け方を問うた。
「まあ、あれだよ。俺にもわがんねえんだよな。面倒でいちいち覚えてねえからよ」そりゃないだろう。冗談も大概にしてほしい。「そだなあ。吉川英治の三國志、本棚にあるだろ。そのどれかにな、金庫の開け方書いた紙が隠してあっとよ。ちっと探しち見とくれ」
ない。何も挟まっていない。
「ほいだらまあ、太閤記はどうだろ。ないだか?」
太閤記は巻数が多い。すぐには調べられない。積み上げた山が崩れたりして時間がかかった挙げ句、これも外れ。いい加減にしてほしい。
「宮本武蔵、これだ」もちろん外れ。「太平記を見ちくれ。今度こそ見つかるだろ」期待してみたが外れ。もうダメだ。父のいうことを聞いていたのでは埒があかない。考えるんだ、自分の頭で。
父は吉川英治にこだわっている。指示された作品を探して、あっちの本棚、こっちの本棚、いろいろひっくり返したが、何か根本的に間違っているような気がしてきた。最初のヒントは何だった? 三國志だ。そして、太閤記はその下の棚にある。宮本武蔵は三國志の左。この三作品だけが、同じ場所に集中している。
とすると、山岡荘八の国盗物語、三國志の右にある全4巻が怪しい。
果たして、紙片が見つかった。
父が電話口で声を潜める。聞きづらい。どうやら、パスポート以外のものは見なかったことにしてくれ、といっているらしい。わかったといって電話をいったん切ったのだけれど、なんだかわくわくしてきた。
昔、母に出したラブレターでも入っているのだろうか。……具体的なものを想像した途端に気持ちが冷めるのは、一体どうしたことだろう。
呆気なく、手提げ金庫の扉は開いた。
中には封筒の束。予想通り。その一番上に、パスポートがふたつ。
小さな、紺色のパスポート。たかがこれひとつ探すだけで一苦労だった。軽い。そして乾いている。表紙を開くと、仏頂面の父がいた。
さて、あとはこのパスポートを届けるだけだ。そう、やるべきことはそれだけなのに。視線が封筒の束から離れない。
ふと気付くと、手にはひとつの封筒が乗っていた。
宛名を読む。父の名だ。
この汚い字、母の字だった。無筆な母が父に手紙?
次々に封筒を確認すると、みな母から父への手紙だった。
手紙の文面が知りたい。理性は悲鳴をあげている。恐ろしく、絶対に読みたくない、と。だが私の手は、自動的に封筒の開封口を探っていた。
ところが、開封口がないのだった。よくみると、一通一通、ていねいに一度開封したものを糊で封じてある。負けた、と思った。
何となく。
父に報告の電話をかけた。手紙のことは、父の方から話を切り出した。
「こんなこともあろうがと、封しといてよかったがよ」そう、お陰で助かったと思う。「ちょっつだけ種明がしをすっとよ、お母ちゃんは手紙を書いて、俺は電話をしたとよ」そういうことだ、という。何となく、わかる気がした。
「まあ、こんの話はこれっぎりにしてくれな」いわれるまでもなく。
ただ、母は手提げ金庫の中身について、知っていたに違いないと思った。でも、この予想は父には黙っていよう。母にも訊ねまい。
不思議と胸が熱くなった。私は携帯を左手に持ったまま、いそいそと片付けをはじめた。本をずいぶん散らかしてしまった。
父が不意にいう。「な、いったん電話切っていいか。そいから、ちょっち待っとっとくれ」なんだろう? 本を片付ける手を止め、じっと待つ。
手持ち無沙汰な30秒は長い。1分はその倍だ。2分はさらにその倍だ。3分たつ頃には、私はすっかり頭から湯気を出していた。そして、着信音が鳴ったのは5分後。
メール。まさか。
お父ちゃんですよー\(^o^)/ パスポートのこと、ありがとう!!! 明後日はお前の誕生日だから、海外から初メールを送ろうと楽しみにしていたんだよ。でも今日は本当に嬉しいからメールするね!!! 道中気をつけてね。夜の運転は危ないよ。お父ちゃんのせいで、ごめんね。怒ってるよね。
ふっ、と口元が緩んだ。湧き上がる感情を押さえきれない。
バカ。お父ちゃんのバカ。お父ちゃんの機種は、海外からじゃ使えないわよ。ううん、いいたいのは、そんなことじゃない。でも、本当に本当にバカなお父ちゃん。いつまでも私を子ども扱いするお父ちゃん。いつまでも子どもみたいなお父ちゃん。文章は標準語なんだね。ううん、いいたいことはそんなことじゃない。言葉にならないよ。
チャッチャとメールで返信。
メール、届きました。お父ちゃん、凄いね。漢字も顔文字も使いこなしているんだね。私は怒っていないよ。パスポートは私が責任もって届けます。待っていてください。だから安心して、一眠りしてね。ホテルについたら、またメールを送ります。
[了]
徳保 隆夫