期待の新人、Jという男

怒涛の年度末をようやく乗り切ったところだというのに、またやっかいな仕事を押し付けられてしまった。入社2年目、期待の新人、 J が本社からやってくるのだ。幹部候補じゃないのがせめてもの救いだが、若造のお守りなんてやってられるかよ。

ITバブルが弾けてよりこっち、電機製品の工場設備メーカーは売り上げがた落ちだ。うちも例外ではない。しかし年が明けてからというもの、ここ台北の現場は目の回るような忙しさになった。台湾経済がいよいよ長いトンネルを抜け出したのか、唐突にモノが売れ出したのが半分、以前売った機械がバカスカ壊れだしたのが残り半分。単身赴任もそろそろお終いのはずが、ずるずると延長また延長。下手したら死ぬまで帰れないんじゃなかろうか。

ん? 誰かが俺を呼んだような気がする。

ふと視線を上げると、パーテーションの上、視界の隅でちらちらと動くものがある。おいでおいでしている手。課長だ。声の小さな課長。会議のときなど、俺の席からでは何をいっているのだかさっぱりわからない。仕方ないから、地獄耳と噂のある同僚の助けをいつも借りている。役に立つけど怖い同僚。敵に回してはいけない。

課長は依然、ペースを変えることなく一定の間隔で手招きを続けている。はいはい、すぐ行きますよ。

「どっこいしょ」と鉛の根が生えた腰を持ち上げる。グギッと嫌な音がした。勘弁してくれよ。デスクワークが増えてまだ1年にもならないのに腰痛のきざしだなんて。俺はやっぱり、現場の方が向いている。


課長によれば、 J は研修ではなく仕事でやってくるのだそうだ。入社2年目ごときがどれほどの役に立つものかと思うのだが、そこは期待の新人だ、お手並み拝見といこうじゃないか。 J が困ったときに相談に乗ってやればいいというくらいの話だったので、俺はとくに準備もいらないらしい。少しホッとした。

新型肺炎の話題が日増しに深刻さを増してきており、念のためにマスクを買い足しておいた。こんな時期だからどこでも売り切れかと思ったらさにあらず、むしろ増産しすぎて値崩れを起こしていたのには笑ってしまった。ベトナムではとっくに強制隔離が行われているそうだし、中国では封じ込めに失敗したようで医者も看護婦も連日バタバタ死んでいるらしい。当初は致死率3%なんていわれていたが、じりじりと数字が上積みされ、最近では致死率5%まできた。たいへんな話だ。

よくわからないのは日本と韓国だ。あっちではまだひとりも患者が出ていないそうじゃないか。こっちで発病したカナダ発のフィリピン人が、飛行機の乗り換えで日本の空港に数時間滞在した程度の話で大騒ぎになっている。病院を軍隊が囲んで隔離しようってご時世に、暢気なもんだよ、本当に。

そういえば、韓国で新型肺炎が広まらないのはニンニクの効果だという話がある。醤油漬けは俺の好物なので、百貨店でちょっと探して買ってきた。俺のイメージとは少し違う味だったが、これもまたうまい。パクパク食べていると、当然のようにタッパーの中身が見る間に減っていく。「あんた、塩分取りすぎちゃダメよ」嫁の言葉が頭に響く。「そんなら聞くけどな、俺がSARSで死んでもいいんか?」「またそんなガキみたいなこといって」「旦那に向かってガキとはなんじゃ」と毒づきながらも、タッパーに蓋をする俺。偉いぞ。いつもの独人芝居だ。


そんなこんなで J がやってきたのは約一週間後、入学式シーズンが一段落した頃だった。くそっ上の娘の入学式にはどうしても参加したかったんだが。出張中の一時帰国は自腹だって聞いたら、嫁のヤツ、「ボーナスもカットされちゃったし、最近家計が苦しいのよね」なんていいやがった。そうかいそうかい。しかし小学校の入学式くらいだぜ、家族総出で参加できるのは。一番いいときに俺は単身赴任、なんてこった。

入学式の前日までひどい雨だったというので心配していたのだが、俺の作ったてるてる坊主が効いたんだろう、無事に晴れたらしい。ただ今年は桜前線の北進が早く、桜はだいぶ散ってしまっていたそうだ。しかし若葉も美しいじゃないか。花も散りゆく嫁と、これからすくすく育つ娘。いい対比だよな。くそっ嫁のヤツ、正月に帰ったらまた太りやがって。ストレスがどうとかいって、それなら痩せるのが普通じゃないのか。まあお義母さんも太った方だったが。俺はここしばらく立て続けのクレーム対応で胃が痛い。体重は落ちる一方だ。自業自得だって? いや、本社の設計がボケなんじゃ、くそっ。

さて、 J は先輩方10人衆のおまけにくっついてきたので、空港まで出迎えにいく必要はなかった。台湾は中国とは比較にならない先進国で民度も高いが、トーシローの日本人は鴨にされないとも限らない。俺が見れば一発で怪しいと見抜けるようなタクシーでも、はじめはなぜか騙されてしまうものなのだ。なので、経験の浅い連中がやってくる際には、迎えを出すのが恒例になっている。

そういえば俺がきた頃にはそんなルールはなくて、まったくひどい目にあったものだった。道のわからん運転手にあちこち連れまわされた挙げ句に、とうとう見当違いの街でおろされてしまった。あのときばかりは途方に暮れたものだった。あの唇が右側に釣りあがったニタニタ笑いの気持ち悪い雲助、今度あったらただじゃすまさねえ。なまじっか日本語のできるヤツだったのがいけないのだ。

とにかく期待の新人とやら、無事に台北支店へと到着した。見たところ、痩身で中背、天然パーマのきつい頭髪は短く刈り込んでいる。ネクタイがよれて少し曲がっているあたり、いかにもうちの社員らしい。どういうわけだか知らないが、うちには切れ者風の人間はほとんど入ってこない。役員が気に入るのは不思議とダサい田舎っぺばっかりなのだ。期待の新人もその列に漏れず、どうにもパッとしない。

J は挨拶も凡庸だった。「えー、今日からしばらくお世話になります、 J と申します。一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします」


その日、 J は昼食も食べずに工場へと向かった。一息つくことも許さない鬼のような先輩に連れられていったわけだが、これは認められているということでもある。特別扱いされる新人は、ようするにまだ信頼がないのだ。とにかく、文句ひとついわずに出立した J は仕事熱心でよろしい。

J の説明では、今回の出張の直接の原因は、未完成の製品を納期の都合で見切り発送してしまったことにあるという。船便を使うので、製品が届くまでに10日ほどかかる。その間に残りを大急ぎで仕上げて、据え付けの担当者と一緒に飛行機で持ってくるというわけだ。

とんでもない話だが、本社の連中はこのところしばしばそういうことをやっている。こんな手がいつまでも通用するはずがない。遠からず深刻な納期破りを起こすだろうが、こちらにいる人間は最後の尻拭いをする他、何もできないから仕様がない。いずれにせよ、こんな仕事に研修でもないのに顔を出すとなると、 J は実質的に便利屋扱いなのだろう。たしか J の配属先は検査だったはずなのだ。

とはいうものの、商品のラインへの組み込み作業と動作チェックだけなら、じつは5人もいれば十分だ。そこへ、頻発中のクレームに一括で対策するため、さらに5人が追加された。こうして10人からの大出張団となったので、 J は勉強もかねておまけで送り込まれてきたというのが真相に近いだろうと思う。会社もさすがに、期待の新人を便利屋で終わらせるつもりはないはずだ。


日も暮れてしばらく、ようやく支店の事務所へ J が帰ってきた。

J は挨拶の言葉通りに一生懸命働いたと見えて、傍目にも疲労困憊の度合いが知れた。「ま、今晩はホテルでゆっくり休むんだな」 J を送り出しつつ、俺も若い頃はあんな風に、翌日のことも考えずに力を出し切って働いていたろうか、などと思った。

J いわく、今回の出張は寝耳に水の話で、とるものもとりあえず大慌てで準備してやってきたのだという。かわいそうな話だが、じきに慣れるさ。うちで働くなら、出張にいちいち驚いてなんかいられない。今回は大荷物できたらしいが、そのうちに長期出張だろうと短期出張だろうと、スーツケースひとつで足りるようになる。そうなったらようやく半人前というところだ。

帰りがけに本社からメールがきた。明日より、東アジア全域について渡航を自粛せよとの命令だ。「汚ねえよなあ」思わず言葉が口をつく。 J と10人の仲間たちが慌てて今日出張してきたのは、こういうわけだったのだ。新型肺炎に厳重注意とかなんとかいっているが、結局、社員なんてのはコマ扱いだ。

ふと、苦い笑いがこみ上げてきた。

俺も青いことをいってらァ。いい歳してよ。


J は毎日、退社前に俺に今日の進捗状況を報告する。話は5分程度で終る。端的な報告ができるのはいいことだ。俺はほとんど質問もせずにフンフンと話を聞くだけにしている。

J が空輸してきた急造の部品は、再利用品回収ダクトだ。再利用品、なんて耳障りのよいことをいっているが、簡単にいってしまえば製造工程上発生が避けられない廃棄物(建前上は廃棄しないわけだが)を一箇所に集めるための配管のことだ。

当初の設計では取り付け位置に不具合があって、ダクトに入らずラインの周辺に残る廃棄物が5%以上もあった。これでは3日おきに掃除が必要で、とてもじゃないが実用にならないのだった。とりあえず廃棄物が飛び散らないよう問題の機械の周辺を囲ってみたが、根本的な解決にはならなかった。結局、ダクトのモータから再設計することになり、とても納期には間に合わなくなってしまったという次第。

J の配属先は俺の記憶通り検査だったが、ここしばらくの仕事は設計がメインだったそうだ。ただでさえ常務の少数精鋭主義とやらで人が少ないというのに、希望退職で設計屋が2人も欠けてしまったのだ。その中で J は再設計の作業に関わり、とうとう流行の最先端、新型肺炎の吹き荒れる台北までやってくることになってしまった。

「誰かがやらなきゃいけないことですから」 J は淡々と語るが、それは違う。製造ラインは無人化が進んでいる。ラインを構成する機械のメンテナンスフリー化は、10年来の課題なとなっている。5%もの廃棄物回収漏れが生じる設計を平気でやってしまうボケと、それを許している会社の体質に問題があるのだ。

若い連中には、うちの色に染まってほしくない。独自の視点からうちのおかしなところをしっかり見据え、改善の声をあげてほしい。だが、それはなかなか難しい注文だということも今の俺にはわかる。右も左もわからない新人は、理不尽に気付くことさえできないのだから。そして状況が見えてくる頃には、すっかりうちの考え方に取り込まれてしまっている。

俺だって、こうして設計の悪口ばかりいっているが、自分の仕事をどう改善したらいいかは正直よくわからない。長く仕事をしていると、なまじっか頑張っているだけに、自分のやり方を正当に評価できなくなってしまう。若い人間に過大な期待を抱いてしまうのは、オヤジの甘えと責任転嫁に過ぎない、と昔の俺は喝破した。そう単純なものではないと今の俺は反論したいが、真正面から言い返す気力はもうない。

J の報告を聞いていると、この凡庸な若者に、ただ若いというだけで期待をしたくなってしまう自分に気付く。

「それではお先に失礼します」そういって事務所を出て行く J の足音を聞いていると、わけもなく、むしゃくしゃする。何をボーっとして若造の足音なんか聞いているんだ? くそっ。俺だってまだまだ若い。


工場設備の設置工事と点検は休日が勝負だ。 J はセオリー通り、土日も出勤した。仕方ないから、俺も付き合って出勤する。電話もかかってこないし、工場へ手伝いに行こうかとも思ったが、少し考えてよすことにした。現場作業は連携プレーが原則だ。飛び入り参加はかえって足手まといともなりかねない。現場を任されている30前後の主任には、俺のような現場上がりのベテランをコマとしてこき使う才覚がない。

事務所で積み残しの仕事を順調に片付けた俺は、しばらく前に放り出した提案課題に取り組むことにした。

週末もあっという間に終ろうとしていた。


日曜の夕方、初めて J は日が暮れる前に事務所へ戻った。出張団の先輩連中と一緒だった。
「やあ、終ったんですか」
「そうです、どうにか今日のうちに終りました。ところで……」主任が声を潜めてこちらへやってきた。「今晩、打ち上げの後で蕎麦屋へ行こうと思うんです。男ばっかりですしね。それで申し訳ないんですけれども、 J も連れて行きたいので、一緒にいいですか? ええ、話は聞いています。だからご希望なら蕎麦屋はこちらで面倒を見ますけれども」
「ァ、いや、お構いなく。蕎麦屋も私が案内しますよ。予定はもう?」
「まだです。いいところがあれば」
「日本語の通じるところがいいでしょう、明朗会計で安心できますからね。割合、長く続いて信用の置ける店があるので、電話しておきます」


打ち上げの飲み会は意想外の楽しい宴となった。主任がのりにのって飲みまくり、はじけまくる。おいおい、これで本当に蕎麦屋は大丈夫なのか。俺は心配になってしまった。

「えー、二次会は蕎麦屋です。参加する方はこちらへ。これで帰る方はここで解散としたいと思います」

主任がそういうと J のやつ、「あの、申し訳ありませんけどぼくはこれで」と帰ろうとしやがる。だがすぐに、「 J は強制参加!」と声が飛ぶ。座がワッとわいたので、 J も渋々といった風で二次会へ行くことになった。

ふと気付いたのだが、 J たちは明日一日休みを取っているが、俺は仕事なのだった。ふらつく足元を見て、まずいなあ、と思う。


蕎麦屋では座敷が用意されていた。新型肺炎で歓楽街に繰り出す客が少ないこともあり、すんなり場所が取れたのだ。店内は薄暗い。

鞄を置くなり、 J は電話を借りた。何だか知らないが、難しい顔をしてひそひそ何かを話している。主任たちはさっさと自分のメニューを注文した。この店は飲み物だけはすぐにくる。入れ代わり立ち代わり、何人もの女中がやってきた。

電話を終えた J が戻ってくる。「おいおい、一番大切なところで席を外しちまいやがって」先輩連中の一人が声をかける。「といってもわかんないかな。まだ説明していないんだろ」と別の一人。俺は「まあまあ、ぼちぼちと」とよくわからない返事をした。

「台湾の人って、日本語できる人が多いですよね。驚いちゃいましたよ」 J が話し掛けてくる。
「台湾への渡航者は、最近はどうか知らんけれども、長らく日本人が断然トップだったからね。年間80万人ってのは80年代後半の数字から古いけど、2位アメリカの3倍以上ってことになる。もともと日本の植民地だったということもあるんだがね、今でも日本語の得意な人が多いのは、そうした理由もある」
「ハワイみたいなものってことですか」
「そう。ハワイも日本人観光客があんまり多いんで、日本語の通じる店が多いんだってね。俺は行ったことがないからわからんけれども」
「あ、そうなんですか、すみません」つまり J はハワイ経験ありってわけか。いいよな、贅沢の許されるヤツは。

「じゃ、お先です」一人が立ち上がる。 J が「ァ、お疲れ様でした」と声をかけると、「ばあか、これから疲れるんだよ、アッハッハァ」といって消えてゆく。みなが笑うので J も愛想笑いを作ったが、どうにも腑に落ちないといった表情だ。まあそれも無理はない。この蕎麦屋、どう見ても普通の蕎麦屋としか思えない作りになっているからだ。実際、蕎麦もおいしい。だから俺もここを選んだわけなのだが。

一人、また一人と消えてゆき、とうとう主任と俺と J だけが残った。

「えーと、みなさん、どちらへ行かれたんですか?」 J がこの質問をするのは、これで何度目だろう。
「そうだね、もうそろそろ教えてもいいんだけど、薄々感づいてるでしょ」といって、主任はニタァっと笑う。そして俺の方を向いてこんなことをいう。
「いやあ、噂は本当だったんですね。全然、女中さんの方をご覧にならないので、私は驚きましたよ。奥さん思いなんですね。よっぽどきれいな奥さんなんだろうな。今度、写真見せてくださいよ」眠たいことぬかすな、あんな満月顔の写真なんか見せられるかボケ。俺に視線を外された主任は「 J からも頼んでおいてよ」と余計なことをいう。それが挨拶だったらしい。
「おーい」と女中を呼んだ主任は、すいと席を立った。

「で、どういうことなんですか?」 J が私に問う。もう他に誰もいない。
「ふむ、廃娼論の盛んだった群馬と埼玉では、だるまばかりが発達して蕎麦屋が繁盛した。蕎麦屋っていうのはひとつのポピュラーな例であって、実際にはいろんな料理屋で行われていたことなんだけどね。だるまってのは、よく転ぶって意味の隠語。主任さんたちは、たぶんほとんどみんなここの2階にいるだろうね」
「2階、ですか」 J がごくりと唾をのみこむ。
「料理屋の看板をあげた遊郭もどきというのはとくに北海道であからさまな繁盛をして、旅の人間が蕎麦を食べに店に入ると板前がいなくて女中ばかり、という失敗談は小説にも書き残されていたりする。で、どうする? 今日は俺のおごりだ」
「えーと」 J は言葉を濁してもじもじしている。ふふん、青いな。
「と、ところで、ぼくが2階へ行った後はどうされるんです?」
「俺は帰る」
「なんでですか」
「ま、いいじゃないか。おい、じゃあそろそろいいか。店主がそろそろ決めろって顔して、さっきこっちを覗いてたぞ」これはもちろんはったりだ。
「わかりました。帰ると聞いて、安心しました。ぼくも今日は本当にこれで帰ります」いつのまにか、 J のおどおどした態度が消えていた。俺は何だかムッとした。くそっ、新人のくせに調子に乗りやがって。
「せっかく主任さんらの頼みでここへ連れてきたのに。そりゃないだろう。ビビっているのか」
「いえ、じつは今晩、彼女と約束があって」
「え?」
「きてるんです、台北に」

俺は、敗北感に打ちひしがれて J を解放した。主任にはあとで謝っておこう。期待の新人、 J 、大物だよちくしょう。


社宅に戻ると、留守電ランプがついていた。仕事の連絡か? 上着を脱ぎ、再生ボタンを押した。

「パパー? おたんじょうびおめでとう! それでね、おとといね、あたしね、パパァがすきだっていってたさんすうのじゅぎょうがはじめてあったんだよ。たのしかった。とりさんのかずをかぞえたんだよー。それからね、えーとね、(「ママァー?」「もう時間ないから、お休みなさいっていいなさい」「うん、わかった」)あのねパパ、おや」

耳が痛くなるような静寂に包まれた部屋の真ん中で、ネクタイを緩める手を途中で止めたまま、俺は立ち尽くしていた。

[了]

徳保 隆夫