第45回 対日戦争勝利記念式典に思う日本と中国、その原点と未来
先日から上海に来ている。上海、実は、正式に来るのははじめてである。正式ではなくて来たのは、1960年、日中国交回復以前で、中国もゴリゴリの共産主義国家で、西側に全く門戸が開かれていなかった時代だ。
ヨーロッパからオランダの貨物船に乗って帰国の途中で、船は上海市内の埠頭に停泊したが、中国に入国が許されているパスポート(昔のパスポートには、入国してもよい国の名が列記されていて、それ以外の国には行けなかった)を持たず、中国側のビザも持たない我々は、上海の最も有名な風景であるバンド地域(旧租界)のスカイラインを遠くに望みながら、船に上がってきた物売り、芸人、港湾関係者、警備の兵隊などと、ほんの数言、言葉を交わしただけだった。
いまいるホテルは、市の中心を流れる黄浦江をはさんで、ちょうどそのとき見えたバンド地域の対岸にある東方浜江大酒店(オリエンタル・リバーサイド・ホテル)である。このホテルに隣接する国際会議場センターで、IEEE(米国電気電子学会)の医学・生物学部会(EMBC)の年次総会が開かれているので、NHKの特番のために、その取材にやってきたのである。
中国と米国のはざまで上手に生き抜くには
私は上海ははじめてだが、中国には何度もきている。そもそも子供時代(2歳〜5歳)が北京育ちだ。成人しても国交回復後、何度も来る機会があったので、中国がボロボロだった時代から、ゴリゴリの共産主義時代を経て大発展にいたるその大変化はおりにふれて見てきた。
2001年には、北京大学で「日本解読」という連続講義をしたことがあるが、そのとき、中国は間もなく経済的に大発展して、5年以内にドイツを追い抜き、世界有数の経済大国になると予言したが、それを信じる聴衆はあまりいないようだった。
しかし、それからの中国の躍進は私の予想以上で、いまや、中国の経済力がさまざまな側面で日本を追い抜きつつあることは、大方の知る通りだ。
これからしばらくの間、世界は経済においても、政治においても、いやでも米国と中国が世界の二大中心として動いていく時代を迎えることになるのだと思う。とにかくこの二つの国の潜在的国力の大きさは、圧倒的だ。
日本人は最近、妙にナショナリスティックになりつつあり、嫌米派、嫌中派の日本人がふえつつあることは、由々しきことだと思う。
これからの日本は、宿命的にこの二つの超大国のはざまで上手に生き抜いていかねばならないのである。
日本は二つの超大国に圧迫されつづけてきたので、嫌米派、嫌中派になりたくなる気持ちもわかるが、嫌米派、嫌中派をこれ以上ふやしていったら、日本の宿命的生存条件である、「二つの超大国のはざまで上手に生き抜く」ができなくなる。