村田清風と調所広郷
歴史愛好家の間では良く出る話題が
「明治維新最大の功労者は誰か?」
では、無いかと思います。
で、私が思うのは、村田清風と調所広郷です。
誰?
ほとんどの人がそう思うかと思います。
なぜなら、明治維新の時には、二人共もう死んでいたからです。
ぶっちゃけて、言っちゃいますと、今年書く予定の「2020」の山本由香里と野添千年のモデルです。
で、何をやった人か?と、いうことになるかと思うんですが、両方とも幕末近くの武士で、村田清風は長州藩が幕末に
抱え込んでた莫大な借金を何とかした人。調所広郷は薩摩藩が幕末に抱え込んでた莫大な借金を何とかした人です。
つまり、この二人がいなかったら、ペリーが黒船に乗ってやってきた時、長州藩と薩摩藩は莫大な借金に押し潰され
とても維新運動なんかやってられなかったわけです。
(高校生の人は日本史の歴史教科書か年表を見てみてください。多分、載ってます)
やったことは二人とも同じです。
支出を減らして、収入を増やす。
村田清風のやったことで今も知られているのは「萩焼」の推進。
調所広郷のやったことで今も知られているのは、喜界島の黒砂糖専売。と琉球貿易の促進。
(山本由香里と野添千年の「ひたすら利益の上がる事をした」と、いうのは、この辺から取ってます。)
で、調所広郷のやったことは、さらに半端じゃありません。
今の日本は莫大な借金を抱えているんですが、幕末の諸藩はそんなもんじゃなく、すごかったのが薩摩藩。
年間10万両しか収入が無いのに、借金が500万両もありました。
「どうにもなんねぇなぁ・・・」
調所広郷はえらい事を思いつきます。
「今度、借金は全部返すから、証文(借用書)を全部持ってきてください」
返してくれると聞きつけて、全国から商人たちが薩摩に殺到します。
「じゃ、返すんで証文を出してください」
そう言って、集まった全員から証文を預かると、商人たちが見ている目の前で、証文を全部焼き捨てちゃったんです。
商人たちは、全員、唖然です。
「じゃ、これでお願いね」
そう言って、各々に渡された新しい証文を見て、今度は驚愕です。
「借金は250年かけてちゃんと返します」
早い話が、借金を踏み倒したんです。
当然、前の証文はもうありません。
詰め寄る商人たちには、
「文句があるんだったら、どうぞ、その刀で私を切りつけてください」
承認が武士に切りかかれないなんて百も承知。
そんな調所広郷の口癖は、
「なんかあったら、俺が腹を切れば済む話だ」
だったらしいです。
村田清風は(なんか同じような事をしたらしいですが)37年かけて何とか借金は返済します。
今、日本政府、地方自治体ともに莫大な借金を抱えているんですが、みんな、どうやって返済するのかなぁ・・・
それがちょっと、楽しみな今日この頃です。