聖マヤ記念病院


病名
風邪
                      僕と風邪との起承転結

 俗説によると馬鹿は風邪をひかないものらしい。
 幸か不幸か、僕は風邪は人並みにひく。まあだからといって風邪を引くゆえ
馬鹿に非ずかといえば無論そんなことはないんだけどね(この論理展開でつま
づく人は大学で論理学を学ぼう)。
 ところで人並みとはどういうことかというと具体的には年に3回位である。
まず冬から春になるときに油断して薄着をかましてかかる風邪、逆に秋口に夏
の格好のまま過ごしてかかる風邪、そして真冬に一回。大体皆さんもこんなも
のでしょ?町医者も激戦後の野戦病院のようにこの頃はやたらと忙しくなる。
 風邪のかかり始めは必ず朝目覚めたときにわかるもので経験のある人も多々
いるとは思うけど、早朝に不意に目が覚めたら喉に異物感。「なんだろう」と
意識したらもう最後、異物感は激痛に変わりもう眠れもしなければ食事もでき
ない。咳をしようものなら痛みに飛び上がり、常に濡れたような不快感に取り
つかれ、それから数時間はきっちり苦しまなければならないという地獄絵図。
 経験からいえば、大体2時間も悪戦苦闘していると黄色い固形に近い痰が出
て、以後は痛みは急にひいていくもののようだ。昔、医学部言ってる友人に聞
いた所、「痰は痛みの原因であるバイキンとそれと戦う体の抵抗体の死骸の塊
と考えればいい」と教わった。
 そう考えればあれだけ死骸を出すということは大規模戦闘は既に終わってい
る証拠で、なるほど痛みが引くのも頷ける。
 喉の痛みの次は鼻水と咳で、これは大したことない。ただどういうわけか昔
から僕にはちり紙を持ち歩く習慣がなく。授業中は鼻をグズグズいわせて、チャ
イムと同時にトイレに駆け込んだものだった。冬になると男子トイレの大便器
はこれまた繁盛する。
 治療法は人によって千差万別だが、僕の場合とっとと医者に行って抗生物質
貰ったらそれを飲んでとにかく寝る。健康より大事なものはそうそうないので
学校だろうが何だろうがとにかく休む。殊,学生時代というのは試験でもない
限り休んで致命傷を受けることはない。
 そして貰った弾丸(薬)は残敵掃討の意味を込めて治りかけても服用する。
これを怠ると抵抗力をつけたウイルスの逆襲を受ける。薬が切れるころはもう
風邪は大丈夫な筈である。
 風邪のウイルスはコンビニみたいに24時間年中無休。常に警戒を怠る事な
く「万病の素」の侵入を防衛する為にも、まあ、頑張りましょ。

追記 これを書いた翌日に筆者は風邪を引いてダウン。まったく説得力が無い
扁桃炎
                               僕の闘病記

 扁桃炎というのは本来は細菌の体内侵入を阻む機関である扁桃腺が逆に細菌
の巣窟になり、体に害悪を与える病気である。症例は簡単に云って風邪の酷い
もの、と考えてくれればいい。体温は40度まで余裕に上がり、幼子の身では
立つこともできなくなる。喉の痛みは想像にあまりある。
 3日から1週間くらいはそんな状態が続き、当然ながら一切の活動は不能だ。
厄介なのはこれが月に一度起こるという点で、小学校一年生の頃など月に一度
必ず熱を出してぶっ倒れ、多分2/3くらいしか学校に行かなかっただろう。
 治療法は簡単といえば簡単で「摘出する」すなわち扁桃腺を取ってしまえば
いいのだ。
 先ほど扁桃腺は細菌の体内侵入を阻む物と云ったが、別になくても全然困ら
ないのだ。風邪を引きやすいとかそういうことも(自覚症状としては)ない。
むしろ月に一度の40度から解放されるわけで結構なことこの上ない。
 摘出手術以降、僕は一度も40度を超す熱に見回れたこともない。どんなに
体が悪くなっていても一日中立てなくなるような目にもあっていない。
 扁桃炎自体は即命を脅かす病気ではなく、手術には一定の体力が必要という
ことから小学校に上がるまで手術は延期されていたが、この手術というのも 
簡単な部類に属するはずが僕の周りでは大騒ぎ。
 何にも知らない担任などは僕が今日明日にも死ぬ病気と思っているらしく、
それまでの贖罪(よく殴られていた)のつもりか、毎日のようにやってきた。
学校まで遠かったので見舞いに来た人はいなかったが(小学校一年で休みがち
だったからあまり認知されてなかったろうな)、担任が強制的に書かせた寄せ
書き帳や任意の手紙(今も持っているが女子がほぼ全員書いているのに、男子
からは二通しかない)はたくさん来た。
 入院生活は二週間くらいで終わった。
 学校復帰の日、級友が校門で僕を迎えに来てくれたときは心底嬉しかった。
かくして今では健康そのものです。

肺炎
                                     メメント・モリ

 級友の死には、一度も立ちあったことがない。
 と、いって小学校時代の級友は(特に転校前の学校の連中は)もう何年も 
音信がないので或いは一人くらい死んでいるのかも知れないけど、少なくとも
リアルタイムで同級生が死んだ、と言うことはない。
 これは珍しいことだと気がついたのは、大学に入ってからのことだった。
 と、いうのも大学の友人は大抵一人はクラスメートが死んでいるというのだ。
学校規模でも死んだ奴がいない僕には驚天動地の話だった。
 その死に様も、一番多いのは交通事故。バイクだ。それもパトカーと追跡戦
をやらかして電車に轢かれたという奴もいるらしい。続いて病死。自殺なんて
のも結構ある。僕の知ってる限りでは2件あった。うち一件は僕の親類のいっ
ている高校でである。
 まあ死亡率からいっても、今までそういう手合いを一人も拝まなかったと 
いうのは珍しいことかもしれない。いいことには違いないが。
 さて、そういう僕だがよくよく思い出してみると一人だけ、死んだような人
がいたことを思い出す。
 小学校四年のことだ。
 僕はその時転校したのだが、偶然にも前の家に住んでいた一個下の子供が、
やはり同じ学校に転校してきたのだ。そして彼から元の学校で、彼と同学年の
女子が死んだと聞かされた。
 名前はちっとも聞き覚えがなかった。けれどもその名前だけは、妙に記憶に
残っている。母に話したら「早死にしそうな 名前だね」と云われた。別に母
は姓名判断の趣味があるわけではない。まあ、確かに早死にしそうな名前では
あった。
 彼にその子の話を聞いてみた。クラスが違うので詳しくは知らなかったが、
とにかく健康的な子で、とても死ぬとは思えなかったという。後に聞いた前後
情報でも似た言質がとれた(調べていたわけではない。暇な田舎の子供にとっ
ては大事件なのだ)。
 健康体でもすぐに逝ってしまう。ってことは自分にもいつふりかかってくる
か解らない。
 死が、他ならぬ自分をも突然襲うかも知れない。そんな恐怖を植え付けた病
は今までくぐってきた病気や近所の人々を倒した病気の数々ではなく、彼女の
死因、肺炎だった。

C型肝炎
                                殺らずに死ねるか!

 非加熱製剤による薬害といえばまずエイズがあげられるが、最近クローズ 
アップされたのが、このC型肝炎である。先日、国がようやく重い腰を上げて
非加熱製剤使用病院を公表したが、何気なくそこを見て僕はビックリした。
 僕の街にある大学病院級の総合病院がでかでかとクレジットされているのだ。
そこはかつて僕が扁桃腺摘出手術を受けた場所。しかも危険時期は76−88
年。手術を受けた時期とも一致する。
 さあ、これはいよいよやばいぞと思った。
 記事を読み進めると、検査には一万円かかるとのこと。ただ以下の危険患者
に対しては国費で行うと書いてある。その危険な四条件の中に扁桃炎なんて事
は一切書いてなかった。
 さて、困った。
 もっとも大学病院級の規模だからこの十年以上の間に手術した者は膨大な数
になるだろう。全国で千人程度といわれる患者。条件の中に入っていない以上、
とりあえず僕は安全だと思うのが、それでも一抹の不安は残る。
 もし、僕がC型肝炎だったらどうなるか。
 どう考えても原因はこの時の手術である。
 カミングアウトをして叩くというのもありかもしれない。しかし薬害エイズ
運動のその後や安部教授の裁判なんかを見てもとても法による救済が得られる
とは思えない。
 こうなりゃてっとり早くテロるのが一番だろうね。
 なに、世間は非難するだろうが、だからといって何もしなければ世間が賞賛
してくれると云うわけでもあるまい。酒も飲めないのに肝硬変で死ぬなどまっ
ぴらである。薬害エイズの「殺された」被害者を見よ。彼らは同情は受けるや
も知れぬ。しかしそれだけだ。
 まあ大物は消せなくても小物くらい(病院の医師だよ、医師)は家族ぐるみ
で殺してもいい。先を知れない身だとすればそれくらいは怖くはない。
 ま、僕はおそらくC型肝炎ではないだろうからこんなことが云えるんだけど。
もしそうだったら、どうしようかな? 

盲腸
下痢
                                    車にひかれて・・・

 中学校一年生の頃、車に跳ね飛ばされたことがある。
 幸いぶつかったのは僕ではなく僕の自転車の前輪だったが、その衝撃で自転
車ごと吹っ飛ばされ地面にたたきつけられた。車はそのまま走り去った。何の
ことはない、轢き逃げである。
 僕とすれば自転車はぶっ壊されるし、幸い頭を打つようなことはなかったが、
Yシャツの袖は破れるし散々な目にあった。家にかえっちまおうかと思ったが、
事故にあったのは学校までは歩いて15分程度の所だったので学校に行くこと
にした。
 大破した自転車を押して道を進む。
 何故か腹部が冷たく痛んだ。おや? という感じである。突然湿布を貼られ
たような感じ、腹部全体に広がっていった。腹部がしくしく痛み出したのは 
校門に入ってすぐである。
 ここからが大変だった。突如襲ってくる腹痛、歩くのもつらい状態になって
きた。校門から学校までたっぷり10分はかかっただろう。
 腹痛を言葉で表すのは困難だが、とにかく必死の思いで下駄箱には寄らず、
直接保健室まで歩みを進めた。段々腹部の痛みは冷汗や目眩を生み、ついには
一歩も歩けなくなり、廊下にへたりこんでしまった。
 僕はこの時ほど学校の生徒を非人情に思ったことはない。こっちは腕から血
を流し、腹を押さえてうずくまっているのである。声をかけるなり、すぐ脇の
保健室に一声かけてもいいじゃないかと思った。棟が違うので僕の級友は一人
もこの廊下を通らないのだ。
 幸い非常勤の先生が僕を発見してくれ、肩を貸して貰ってトイレまで運んで
くれた上、保健室に手配をしてくれた。
 さてこの後だが、ぼくはこのようなひどい下痢に見回れたことはなかった。
今では笑い話だがトイレの中で死を覚悟したくらいだ。腹部を強打した覚えは
ないのだが、保健の先生によると「神経性のものだろう」と云われた。
 終日、保健室向かいの職員トイレを利用し、結局午後に母を呼んで早退した。
下痢はその翌日まで続き、僕はすっかり人事不省となった。母は車にひかれた
息子を当日とその翌日は丁寧に看病してくれたが、学校に行ける頃になると、
「自転車とYシャツどうしてくれんのよ!」としうたたか僕をひっぱたいた。
 さすがに腹はぶたれなかったが。

打撲
                            ふたつの打撲

 小学校の運動会の練習中、転んだ、と思ったら痛みが止まらなくなった。
 打撲である。お陰でその年の運動会には出られなくなった。
 娯楽の乏しい当時、運動会という晴れの舞台を奪われた少年の悲哀、解って
いただけるだろうか。しかもその日から毎日、学校の近所の病院まで痛む足を
引きずって歩かねばならぬつらさ。もちろん寄道禁止な小学生なのでわざわざ
2倍以上の時間をかけた遠回りにつきあってくれる友人もいなかった(今では
とても信じられないことだが、当時はPTAの補導員がコンビニや本屋に常駐
していたのだ)。
 まったく気が滅入ってしまう。
 しかしまあ、悪いことだけではなかった。1週間後、病院で「サトミちゃん」に
逢ったのである。彼女は近所の貸家に住む2つ上の女の子で病弱なのかいつ
も家の中にいる女の子だった。その弟と僕はよく遊んでいたので、彼女のこと
は 知っていたが、そう口をきいたりはしなかった。
 知らなかったが、彼女も毎日その病院に通っているらしく、一緒に帰る相手
が出来て本当に嬉しかった。相手もそうだったらしくその日以後、毎日一緒に
帰った。小学生のことだから話題もたわいない物が多く、二人ともあまり小遣
いのもらえない家庭にいたので、近所のことや学校でのことを、毎日1時間 
しゃべり続けた。

 運動会が終わり、ギブスは取られ、僕の怪我は日増しによくなっていった。
対して彼女はそれが何の病気かは知らなかったが、通院は続くようだった。
 僕の通院最後の日、病院の前で彼女は一人の女の子を見ていた。
 その子は近所の私立小学校の制服を着た女の子で、僕らが揃ってその病院
へ歩いているときよく見かけた女の子だった。偶然、時間が合ったのだろうが、
サトミちゃんがいつも彼女の制服を見ていたことは僕も感づいていた。
 彼女はその子を目で追いながら「可愛い服よね」と云った。
 そして、ここはくっきり思い出せるのだが、「あたしが着ても似合うかなあ」
と「かつてない真顔」で訊いた。
 僕は「全然」と云った。何故そんな馬鹿なことを云ったかは解らない。多分、
子供の強がりだったのだろう。それでも何故かセーラー服に憧れていたであろ
う彼女が、そういう答えを望んでいなかったのははっきりと知覚していた。
 好きな子に対する嫌がらせだったのか、そうかもしれない。
 彼女がちょっと泣きそうな素振りをしたとき、僕は心底後悔をした。したが、
謝れなかった。最後の日なのに、二人とも初めて無言で家に帰った。

 それ以後、病院に行くことはなくなり、僕と彼女の接点は消えた。彼女の弟
とともなんとなく僕の方から避けるようになっていった。罪の意識がそうさせ
たのだ。
 謝ろうと思っているうちに、彼女の家は引っ越していた。
 引っ越し先は学校こそ違え、市内のよく知っているところだったが、会いに
行こうともしなかったし、しばらくそこの近所も避けていた。生まれて初めて
僕は罪悪感に苦しんでいた。

 高校生になって、あの私立小の女の子と僕は同じクラスになった。しかし、
僕はそのことを話すどころか、彼女とはクラスで唯一一言もまったく口を利か
なかった。もうサトミちゃんの名字すら忘れてしまった今になっても心の打撲
は癒えてはいない。
骨折
                                     腕白者の武勇伝

 骨折には僕も身内も全く縁がないので、例によって昔話をしよう。
 ある日元気で健康体そのものの級友が突如学校を休んだ。この意味すること
は大きくクラスは様々な憶測が乱れ飛んだ。なんたって勉強は劣るが、それを
補うにあまりある体力と元気を併せ持つ男だったのだ。大事でなければいいが、
そうみんなが思っていた。
 数時間の授業が過ぎ、やがて担任が新報を持ってきた。
「**くんは骨折したようです」
 クラスはどよめいた。たぶんみんな、とんでもない大事故を想像しただろう。
元気さの裏面で無鉄砲なところがあったから果たして車に轢かれたか、崖から
落ちたか。気の早い連中はお見舞いの時間を打ち合わせている。
 続報として「大事はない」ということだったが、それでも憶測や疑念は消え
なかった。
 翌日、彼は当然のことながら来なかった。
 入院はしていないと言うことだったが、それでも心配なことは心配だった。
 ところが、午前中の授業中にその当人がひょっこり現れたのだ。手には白い
包帯が巻かれている。
 クラス中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになったことは云うまでもない。
「いや、小指を骨折してね」騒ぎが一段落した頃、彼は言った。
 クラスの注目はその理由に集中した。彼は言いにくそうに口をもぐもぐさせ
ていたが、やがて観念したかのように告白した。
 その理由にクラスは爆笑の渦に巻き込まれた。
 なんと彼は通学中によそ見をして歩き、思いっきり電柱に小指をぶつけたと
いうのだ。それで小指の骨がポキリ、実際そういう事故に遭う格率は低いとは
思うのだが、とにかく事実は小説より奇なり、で彼は病院送り。
 とにかくこの事件は腕白者の彼の武勇伝として卒業まで語り継がれることに
なった。
ヒョウソウ
                 あなたの知らない「病気」の世界

 ヒョウソウという病気は案外知られていない。
 僕のかつての持病(?)なので僕自身は実によく知っているのだが、まあ簡単
にいえば破傷風の簡単なバージョンとでも思ってくれればいい。患部は主に足の
親指でどっかからついた傷に変な病原菌が付着し、化膿炎症する病気である。
 これを読んだ人は「足の親指なんて傷を負うもんか」と思うだろう。爪きりで
間違って切ってしまうことも稀にはあるだろうが、巻爪の場合は放っていても傷
を付けてしまう。巻き爪とは爪の形が指の形よりも遥かに反り曲がる状態のこと
で、爪は両端の肉を切りながら成長する。これを防ぐためには深爪する必要が
あり、そうすると誤って皮膚を切ることも多くなるのである。
 まさに進者も退者も無限地獄、ダブルバインドである。
 この病気で死ぬことこそないようだが、その痛みたるや尋常ではない。
 ただ肉体的にはそれほどきついものではない。高い椅子に腰掛けて足をぶら
ぶらさせている分には全く痛くない。しかるにそこから飛び降りようものなら、
数分は立ち上がれないだろう。つまり圧迫や接触に非常に弱いのだ。虫歯など
と同様で医者に見せない限り治らないし、痛くなる一方である。2週間もすると
靴も履けなくなる。
 このような病気は体よりも精神をやられるのだ。退屈な授業や通学など病気
のことを考えてしまうとき、ついつい痛みがあると触りたくなる、確認がしたくなる
のである。しかしそれは激痛を伴うし、また普段の生活では逆に意識して障害物
を避けなければならないのである。足を踏まれようものならそれが体重30キロ
の女子でも悲鳴じゃすまない。
 相当精神をつかうし、事実触れば激痛なので治療せざるを得ない。が、その
治療法にもろくなものがない。一つは爪を先から根元までハサミで裂きその後
に直角に突き立て患部をほじくり出す方法、一発で直るが術中は自殺を望む
ほどの激痛だし爪をはがすので、2週間は歩けない。もう一方は薬を塗る方法、
2週間近く心身ともに応える痛みを耐えなければならないし、薬を綿棒で塗る
とき患部を圧迫する。これもまた気が狂いそうになるほどの痛みをもたらして
くれる。
 まったくこの病気を知らない人は幸せだ。総じて病気なんてそんなモンだけどさ。
近視
結膜炎
虫歯
                                     誤診の被害者

 最近医療界の不祥事が甚だしい。ま、昔からあるにはあったのだろうが隠蔽
されていたのだろう、最近は大分メジャーに出てきたが隠したがる風潮は相変
わらずのようだ。しかしそういう死に方はしたくないものだ。大体病気で死ぬ
より苦しそうじゃない。マスクをつけられ二酸化炭素を吸わされたり、消毒薬
を注射されたり、ワイヤーを頭に刺されたりろくなものでない。
 さて、そんな大袈裟なものではないが、僕も誤診はよく受けていた。
 歯科検診という奴である。どういう訳か僕はよくこれに引っかかり、恐怖の
源泉である歯科椅子に座らされたのである。そして医者は決まって「何もない
ですね」というのである。
 確かに虫歯だったのは幼い頃の二回だけで、小学校に上がってからは毎年、
ひっかかっては落とされると云うことが繰り返されていた。ここで当然「お前
の歯が汚いから落とされるんじゃないか?」という疑問が提起されるのだが、
読者よ、初めの数回はそうかも知れないが僕だって馬鹿じゃない。その日だけ
歯ブラシを用意して必死で磨くのである。
 それでも落とされて病院送り。
 今では信じられないことだが、虫歯のある奴は名簿を作られ掲示板に張り出
されていたのだ。だからほっておくと教師からは文句ばかり云われるし、級友
から「バイキン」呼ばわりされかねない。頭の悪い虫歯防止教育の賜である。
 だから治療証明書(と、いってもプリントである)片手に歯医者に行くので
あるが何も云われず判子だけ押して貰い幾ばくかの金を取られて退散する始末。
高校三年の時など「折角いらしたんですし、歯石を取っていきましょう」という
わけで歯の掃除をしてもらったこともある。小学生の時、付き添いの母が医者
に聞いたことがある。彼は眉をひそめて「一度に沢山の人を見ますからね」と
哀しそうに云った。
 僕はここで陰謀論をぶちあげる気はない。
 昔の彼女が歯医者でバイトしていたということもあるし(あの唾を吸い取る
機械なんぞを操作しているのは助手で、免許はいらないそうだ)、虫歯の治療
は嫌いだが、実は落とされまくっていても歯科検診は好きだったりするのだ。
口内炎
                     針の先ほどの大きな不幸

 小指の先程の金属が体にめりこんだだけで、そいつは使い物にならなくなる。
 よく戦争小説に使われるお決まりのフレーズだ。勿論この小指の先サイズの
金属とは弾丸のことであろうが、どんな大巨漢といえでもそれがどこかにめり
込んだだけで戦闘行動力は大規模に落ち、頭や心臓に当たろうものなら目も当
てられない。繰り返すが、たかだか数センチの金属片がね。
 鏡の前で大きく口を開けて、ポツリとできた口内炎を見る度にいつもそんな
ことを考えてしまう。弾丸のように小指の先どころかほんの針の先ほどのプチっ
とした白い点が口の中に出来るだけで、日々の幸福はどこへとやら、大層な御
馳走も味気無いただのカロリー補充のための苦役へと変わる。
 このだれでも一度はかかったことがある病気、原因は実は不明なのだ。
 近所の東大理3出身の皮膚科医がそういってるのでまあ確かだろう。口の中
に傷があるとなりやすいとか、疲れてるときにくるとかそういう程度のことし
か解ってない。どんなメカニズムでなるのか、ウイルスの仕業なのか、治療法
は何なのか、わかっていないそうだ。
 だから口内炎にかかった人が医者に行って、処方くれる薬は食事などの時に
患部を保護するゼリー状のパッチくらいなものだ。たしかにこれは効果がある
のだが、治療の役には立たず(まあ一定期間で治るから治療的な効果もあると
いえば結果的には正解だが)、これに苦情をつければパッチを患部にとりつけ
定着させるのるのには相当な技術がいるのである。
 さてそんな口内炎だが治すのにひとつだけ圧倒的に効果的な方法があるのだ。
それはタバコである。
 精神を落ち着かせるからだとか、ニコチンが効くんだとか色々な説があるが、
とにかくタバコは効くらしいのである。愛煙家たちの防御論法にしばしば使わ
れるから知ってる人も多いと思うけど、かなりタバコは役にたつらしいのだ。
 これが事実なら少なくとも嫌煙家が叫ぶほど、百害あって一利なし、という
ものではないようである。
 ちなみに僕は一年に二百日は口内炎が出来ている。それでも煙草に手を出す
気がないのは従来の経験からして己の精神の弱さを熟知するが故である。それ
に1本十数円を煙に変えるだけというのは惜しい。これ以上出費は増やしたく
ない気分である。
急性アルコール中毒
                    敗軍の将は救急車に乗って

 僕は下戸である、ただし比較的には質のいい下戸に属すると思われる。
 適量をほぼ完全に心得てるから「今日はハメはずしちゃってもいいかな?」
と思う時以外は原則としてサワージョッキ二杯までという鉄則は厳守する。 
これを守らないとハチ公に喧嘩を売ったり、たまたま隣に座ってた奴を口説き
出しかねず、大変危険である。
 酒の問題では一度ならず懲りているので、なかなか鉄則は踏み外さないし、
危険に対して慎重な性格はこういうときに役に立つ。
 ま、だから僕はアル中にはおそらくならないと思う。
 僕はさておき、しかしアル中でぶっ倒れた仲間というのは見たことがある。
初めてアルコールの入った同窓会のときの話だ。その顛末を話そう。

 同窓会というのは高校の同窓会で顔を合わせるのは半年ぶり位の時のこと。
真面目な高校の真面目なクラスの真面目なグループだった僕らは、お互いに誰
が強いかなんて知らなかったわけで、意外な人が強かったりまたその逆もあっ
たりして(これ僕)新鮮な感じだった。
 はじめは高校の教室のように固まって座っていたのが、アルコールが入ると
座席なんてどうでもよくなり、席が男女ごちゃまぜになってきた。この頃から
なんか座が怪しくなってきた。
 女子が一気のみを扇動し始めたころ、2人の友人が飲み比べを始めたのだ。
そんな馬鹿なことをするところからお解りのとおり二人とも酒豪をもって自負し、
事実強かったのだ。
 始めはビールの押収だったのが何度も繰り返されて興がそがれたのか、なん
と日本酒をコップに注いでぐいぐいやりだした。その往復が十数回。見てるだ
けで嘔気がしてくる。
 へべれけ男子は片方が関西の大学に行ってることから「関ヶ原!」とけしか
けるし、女子は存在が既に扇動的だ。
 かくて二次会のカラオケになだれこむころ、東軍は居酒屋のトイレで便器の
恋人となり、そのまま病院送り。西軍はカラオケまでは歩けたが、今度は何故
か女子トイレの恋人に。
 適量ややオーバーの僕は、まあ元気だったので「お前馬鹿だな」といってやっ
たら「見たか、俺の実力を」と喘ぎながら勝ち誇っていた。呆れた男である。
 結局のところ東軍は翌日退院し、その一週間後には既に別の飲み会に参加す
るなどして修行を積み、雪辱戦をねらっている。対する西軍は運動サークルで
ガバガバ飲んで、半裸で川を泳いでいるらしい。酒飲みの常として彼らも懲り

と云うことを知らないらしい。
 まったくこういう愛すべき大馬鹿野郎な友人たちを心配してしまうあたり、
僕は老けてしまったんだろうか? くれぐれも肝臓には気をつけて!

精神分裂病
                  未知との遭遇−深夜病棟編−

 これは僕の懇意にしている友人の話である。
 深夜、彼の母が突然盲腸のような痛みを起こした。
 救急車を呼べばいいものを彼の母は「大したことない」と思ったのか彼を連れ、
自力で車を運転して病院まで行った。彼の父は運悪く当日年に数度の出張だ。
 さて、緊急の外来と云うことで暗い無人のロビーに待たされた。本当は即時
治療が始まるのだろうが、その時ちょうど救急車が入ってきて当番医はそちら
を優先する決まりなのだそうだ。彼の母はさすがに車の運転という緊張の糸が
とけたせいか、冷たいベンチに横になり、ウンウン唸り始めた。
 彼は苦しむ母にいてもたってもいられない気になった。そして救急車の搬入
口を兼ねる緊急治療室に意識を向けた。と、若い女の声が聞こえる。妙なこと
に彼女はこう叫んでいるのだ。
「なによ、先生はあたしがどうなってもいいのね! あなたの子供を妊娠した
のに! この嘘つき、藪医者、死んでやるわ!」
 彼の話を聞いたのが2年前のことなので細部は怪しいが、彼女はそんなこと
を叫んでいた。彼は流石に痛みに悶える母を差しおいて痴話喧嘩に励む医者
に怒りを感じ、怒鳴り込もうとベンチを立った。そのときドアが突然開き、一人
の女が泣きながら出ていき、後から看護婦が一人追いかけていった。
 そして他の看護婦が「**さん」と、彼の名を呼んだ。
 盲腸の可能性が強い以上、服を脱ぐだろうからということで彼は一人ベンチ
に待たされた。治療室からは声一つ聞こえなかった。
 しばらく経って、彼は前方から妙なうなり声が聞こえてくるのを感じた。
 深夜の病院である。なんだろうと目を凝らすとさっきの女が両脇を二人の 
看護婦に抱えられてやってきた。一人が乱暴にドアを開けると、「屋上のドア
を叩いていました」と冷たく医師に告げた。
 医師が何事か呟いた瞬間、突然女が暴れ始めた。それまでぐったりと看護婦
にもたれかかっていたのが、両腕を振り回し、悪態をつき、言葉にならぬ言葉
を叫び始めた。
 彼は、確かにあの瞬間、母の病状も深夜の病院をも越える恐怖をそこに見た
という。髪を振り乱し、定まらぬ視線であたりをにらみつけ、真っ赤な口から
よだれを垂らし、あらぬことを呟き続ける彼女。
 あ、これは違う。彼はそう思った。
 精神分裂病も重篤化すると、妊娠妄想が生じる場合があるということは後に
知ったことである。


付記・この話が「彼」の作り話だと思った人、その考えは正しくない。
   何故かと云えば、この「彼」こそが僕自身なのだから
   (Kよ、ちょっと期待したか?)

神経性胃炎
                           私には解らない

 どういう訳だか、中学の三年間、毎朝腹痛を起こしていた。
 しかも決まって時刻は8時半から9時にかけて激痛が走り、9時半までには
嘘のように消えていた。
 以上のたった三行だけで賢明な人は「あー、思春期にありがちなアレね」と
思い当たる人がいるかもしれない。そう不登校児やストレッサーの強い生活を
送っている人がなる神経性胃炎という奴である。
 不登校児は朝になると体の不調を訴えると云うが、あれはあながち仮病で
はなく、実際に痛むらしい。そして危機を脱すると痛くなくなるそうだ。
 さて、ここで僕である。僕も取りあえずは新聞などで読んでそういう病気が
あって同年代のガキどもに蔓延しているということは知っていた。そしてそれ
らしきことが我が身にふりかかり(内科にもかかってみたが病気という病気で
はなかった)じっくり内省してみて、はて原因が思い当たらないことに驚いた。
 別にこれはHPだから都合の悪いことは隠している、というわけではなく、
実際これは昔から、実は今に至るまで連綿と続く謎である。いじめも自殺も 
ノイローゼも、人間関係も恋愛も不良も恐喝も、教師も勉強も経済もさっぱり
悩みという悩みがなかったのである。元々中学の時は至って何も考えない子供
だったのである。
 そのくせ、御丁寧に休日以外は規則正しく毎日痛む状態には閉口した。
 これには悩んだ。そう、唯一の悩みがこの腹痛だったのである。
 周りに話を聞いてみると、やっぱり「何か悩んでいることがあるんじゃない
か」という答えが飛んでくる。なお、僕はこの件で保健室に駆け込んだことは
一度もない。9時半を(大体は9時15分)過ぎて痛んだことは一度もないし、
そもそも保健室にたむろしている集団はとても嫌いなのだ。
 やがて高校・大学と進んでまったくその苦痛とは解放された。
 未だに原因はわからない。

エイズ



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