中国菜
拉麺
激辛拉麺
               さる男の友達とケツを痛め合った話

 若き日の過ちとは認めたくないものだ。
 僕も時折昔の恥ずかしい記憶を思い返しては頭を抱えてしまうのだが、激辛
ラーメンを食べた思い出もその一つだ。
 僕は高校の頃、同じ部活の同級の友達とほぼ毎日一緒に帰っていた。
 彼と一緒に帰る通学路にてある日気がつくとラーメン屋が一軒建っていた。
激辛が売り物のそのラーメン屋、知る人ぞ知る「地獄ラーメン」である。その
辛さの度数は「地獄の*丁目」という数字で表され、勿論「*」の数が大きい程
辛いのである。レベルとしては5丁目以上は名前付きで店に張り出され
るくらいである。
 僕は中間試験の一日目に彼からあそこで昼飯でもくうか、と誘われた。試験
の日は半日で終わるのだ。
 僕は高校の試験なんて鼻っから嘲笑して相手にもしていなかったのでてんで
勉強もしていなかったが、周りに併せてそうそう遊ぶこともできなかったのだ。
二つ返事で引き受けると、その店の暖簾をくぐった。
 値段を見る、高校生の身分で入り浸る飯屋と比べれば決して安くはなかった。
大学生の身では700円台のラーメンというのは珍しくないが、高校生にはき
つかった。しかも四丁目以上は千円近くとられる。
 一か二か三丁目、熟慮の結果、中庸の徳を重んじる身として二丁目を選んだ。
同伴の彼は三丁目をチョイスした。
 出てくる、麺もスープも真っ赤だ。本来スープは白いのだが、まんべんなく
ラー油が表層を覆っている。香辛料入りの湯気が、目に染み顔面の皮膚を刺激
する。丼を揺らすとスープの喫水線があったところに唐辛子が固まっている。
値段の割に量が少ないのが気に入らないが、食べ応えはありそうだ。
 一口目、大したことない。二口目も同じ、三口目も。
 ありゃ、三丁目にした方がよかったかな、高い金払って損した。そう思えた
のは3分の1ほど食べた後だった。以後はボディーブローを食らったように、
段々つらくなっていった。たまらず水を飲む、コレが失敗だった。気持ちいい
のは一瞬でその後は苦しくなるのみ。
 鼻が垂れる、たまらず卓上のティッシュ(普通のラーメン屋にはこんなモノ
はない)に手を伸ばす。舌が痛い、水を飲む。まだ「あんなに」残っている。
スープは赤い、麺も赤い。
 あとは僕の手はスープと水とティッシュの三点往復。同輩を見ると三丁目を
軽く食べてにやにやしている。視界が曇るのは涙のせいか、体中が熱くなる。
ティッシュの山、店員は呆れて苦笑している。意地になる、僕。ラーメン一杯
に小一時間、完食した。
 苦痛の代償のラーメン代を払い、逃げるように店を出た。
 と、不思議なことに辛さが口の中から消えた。後を引かない辛さとは言い得
て妙だ。胃の中は火事場のようにカッカとしていたが。
 しかし翌朝のトイレは悲惨だった。登校後、ケツの痛さにはまったく閉口し
た。友人も平気な顔をしていた割にはそっちの方は同感らしく怪訝な顔をして
いた。当日の試験は数学、座るだけでもつらいのに数学。
 彼も僕も成績を落とした。彼はちょこっと、僕はたくさん。
 優等生の彼が数学の点を落としたことはなかなか軽い衝撃波を伴って
受け取
られていたが、僕の体たらくはいつものことなので誰も何も云わなかった。
ワンタン麺
                                      ワンタンの中身

 昔住んでいた街はどうしようもない田舎で、半径1キロ圏に食堂は2件しか
ないような所だった。汚いラーメン屋と大手ファミレスである。
 そしてどういうわけか僕はラーメン屋の方に1度行ったことしかない。まあ、
ファミレスの方はどうも暴走族専用のような趣で、子供心にも行きたくないと
思ったが。
 さてその唯一行った近所のラーメン屋。時は幼稚園年長である。
 これがまた汚いところで、汚いくせに2階屋で、僕たち家族は2階の小さな
個室に案内された。中華風悪趣味の権化のような部屋でキョンシーが注文を 
取りに来てもおかしくないような店だった。
 父親はこういう店になれているのか眉一つ動かさないが、母親は僕同様当惑
してきょろきょろしていた。
 僕は当時ラーメンを食べられなかったのだが、壁の品書(メニューはない)
を見て「ワンタンメン」を頼むことにした。オレンジジュースをつけて。
 注文すると早速ビン入りのオレンジジュースが出てきた。果汁の少なそうな
アレである。最近は殆ど見なくなった。
 さてしばらく待ってる間、僕は退屈なので店主が書いたと思われる汚い品書
を見回した。と、僕の目はその一カ所で止まり、その姿は恐怖におののいた。
「カエルラーメン」
 御丁寧にもその下には「おいしいヨ」とカエルが喋っている絵があった。 
またそのカエルがやはり店主が書いたようなグロいカエルだったのだ。
 僕は今でもカエルが苦手でカエルを見ただけで吐き気がするほどである。ハ
虫類には耐性があるのだが、カエルは子供の時から嫌いで登校時にカエルを 
見たら下校時にはその道を避けるくらいである。
 さて見るのも嫌なカエルをよりによって食べる。その発想にすっかり頭がい
かれてしまった。父親にそのことを云うと「ああ、こういう店ではそういう物
を使っても不思議じゃねえなあ」といって煙草をくゆらした。
 数分後、ワンタンメンが来た。
 食べ始める。見てはいけないと思いつつ、左目でついついカエルラーメンの
品書きを見てしまう。随分苦しい食事だった。
 父親が「案外そのワンタンの肉はカエルかもしれんな」と云った。母がすか
さず「やめなさい」といったが、覆水盆に返らず僕はブホッと麺を吐いた。 
その勢いでワンタンが裂け、ヒキ肉が出てきた。
 「ヒキ」肉−「ヒキ」蛙
 妙な連想が働いて、本当にそれがカエルの肉のような気がした。

 嗚呼、あの悲惨きわまる体験!
 もう二度と家族であのラーメン屋に行かなくなったのは云うまでもない。 
尤も父親はその後もよくいっていたらしいが、カエルラーメンを食べたことが
あるのかどうかは解らない。

チャンポン
野菜炒め
                     お袋の味

 別に僕の母親は中国人ではなく、れっきとした日本のオバチャンなのだが、
その母の「お袋の味」を問われれば、「野菜炒め」と答えてしまうだろう。
 製法も簡単な物で茹でたホウレン草と卵にベーコンをフライパンで炒めて、
醤油と塩で味付けし、皿に盛って胡椒を滅茶苦茶にかけるという物。最近では
タバスコなんぞもかけるようだが、大体こんなものである。
 あ、母の名誉のために云っておくとこれはレパートリーの中でも最も簡単な
範疇に属する物である。別にこればっかり食べていたばかりではない。
 さて今ではおいしくいただいているこの野菜炒め、一時期はどうしても食べ
られなかったことがあった。一時期とはまあいわゆる反抗期という奴でね。
なんか照れてきたが、あの不安定な時期! 今でもあの反抗期が続いていたら
こりゃビョーキだ。
 中学校入学当時、それまでは貧乏な地区に住んでいたため、金持ちとはいえ
ないまでもまずまずの生活(父親が定職についてない家庭が随分あったのだ)
を営んでいる 思っていた。ところが中学に入ると人間関係が大幅に広くなり、
クラスには金持ちが増殖し、相対的に極貧圏にまで転落してしまったのだ。
 これで僕は簡単に作れる庶民派の代表とも云うべきこの野菜炒めに憎悪とも
いえる感情を燃やし続けていたのだ。つまり思春期特有の反抗対象たる母親の
象徴兼もはや如何ともしがたい彼我の生活格差のコンプレックスの象徴として
野菜炒めは位置していた。僕自身積極的に迫害をかけ、今では笑ってしまう 
ことに野菜炒めの出た日はハンストなんてしていたのだ。
 やがて中学も上がりに近づくと、自然とそんな馬鹿なことはしなくなり諦観
の念とともに家族に当たらないようになり、野菜炒めも食べるようになった。
 憎悪の洗礼を受けた野菜炒めは、かつてそうであったラーメンと同様、さら
に強い結束力で僕と結ばれ、堂々と「お袋の味」の座をキープしている。

焼きそば
                        「げりそば」今昔物語

 最近知ったことなのだが、「焼きそば」は中華料理なのだそうだ。
 なるほどよく考えれば中華以外の何者でもないような気がする。しかしまあ
国籍を意識したことが一度もなかった料理だけに、ジャンルを選ぶ段になって
多少狼狽してしまった。
 ともあれ、焼きそば。
 焼きそばと云えば僕としては「青春のあの店」を思い出してしまう。
 まあまっとうな高校生活を何年たりとも謳歌した人なら、1軒や2軒はそう
いう店があるだろう。学校前や駅前にあって安くて量があって味はまあまあと
いう「青春のあの店」、僕はそれが焼きそば屋だった。まあこの主語は「僕は」
というより「僕の高校の男子生徒は」と言い直した方がいいかもしれない。
 ここは昔から僕の出身高校の学生に通われている学生向けの店みたいなもの
で、僕と父は同じ高校を出ているが、父もここの常連だった。ここには親子二
代で通っていることになる。父は運動部出身なのだが、ここの店はそういう 
ノリの店だった。M/L/LLとランクがあり、LLを選んで500円玉を出
すと、目が丸くなるほどの量を食べられる。
 やたら短くて縮れた麺に相当アブラをきつく使い、やたらとテカっている代
物だ。具は青海苔と紅生姜のみで「俺は昔、確かに肉の切れ端を見た」という
フォークロアが流れるほど、コアな食べ物である。味はその脂っこさと得体の
知れなさに反し、悪くない。ただ量が量だけに口に運ぶ数に味は反比例すると
いう公式があるということは事実である。
 このような特徴的な店であり、時折新入生のイニシエーションに使われたり
もしている。僕も事実、初めて行った時は量に大いにビックリし、Lを半分しか
食えなかった。文芸部の部長に就任したときは意趣返しとばかりに後輩を大挙
してつれていき、苦しめたものだった。
 僕は大学進学後、大阪にすんでいる女の子とつきあいだした。彼女との地元
での初デートで、僕は食事にこの店を選んだ。前述の通り、お世辞にも女の子
向けの店とはいえないが、まあ彼女は驚きながらもLLを「目眩を起こしながら」
完食した。しかもその後アイスを食べたあたりにビックリした。
 後日その話を高校時代の友人どもに話すと一斉にブーイングを受けた。が、
しかし僕はそんなことではたじろがない。あの僕の父親だって、結婚前の母親
を連れて、「げりそば」という今昔変わらぬあだ名のあの店でデートしていた
んだからネ!
炒飯
麻婆豆腐
麻婆春雨
餃子
                                       餃子問題

 ラーメンに付き物なのはやはり餃子ではないだろうか。ライスよりも遥かに
僕は食指を動かしたくなる。
 ラーメンでは味にかなりピンきりがあるが、概ね餃子にはそう味の差はない
ようである。その割にはやたら店によって値段に差があるのは奇妙なことだ。
酷いところになると5つでラーメン一杯分などと云うところもある。
 まあ値があってないようなものだ。
 さて、この餃子。ラーメンだけでは物足りないが、かといって一人でン百円
分も食べるのは予算的にちょっと、と言うことがある。今ではそんなこともな
いが、高校の時はいつも金欠でピーピーしていたので餃子など雲の上の食べ物
だった(念のため云うがこれはポケットマネーで食べるときの話である)。
 そういう時、仲間が連れにいると双方談合の上、折半することがある。それ
はそれでいいものだが、例えば餃子がそれで奇数個あった場合は問題が起こる。
人間の本性とはこう云うときに出てくる物だ。
 僕の友人の某の如きは二回一緒に食べたことがあるが、七つある餃子のうち
二回とも自分でさっさと四つ食べ、「消費税は俺が払うよ」と済ませていた物
だった。もちろん、消費税は餃子の分だけで僕のラーメンの消費税まで払って
はくれないのである。
 このケチは人の家に来ると、携帯片手に「電話してくるわ」と部屋を出て、
我が家の電話で長距離長電話をかますような男なので全く油断が出来ない。 
油断が出来ないと云えば、こいつは東大に行ってしまった。某予備校の広告で
はないが、「なんでこいつが東大に」である。
 まあ、根はいい奴であると思うのだが。
 それとは対称的に、高校時代の相棒はなんといい奴であったことか(過去形
だがね)。金持ちの彼はいつも貧乏な僕を気遣ってくれて、修学旅行で入った
中華料理屋で「僕はもう半分食べたよ」と二個多く餃子をくれたっけね。まあ、
この男も東大には及ばないものの有名国立大学に入った。
 さて僕はこの故事をひいて、何故か慕ってくれる後輩に餃子を下賜し、また
は言いくるめてぶんどったりもした。だから何か変化があるというわけでも 
ないが、同じ皿をつつきあう仲間というのはいいもんだ。
焼売
中華スープ

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