鉄道乗客研究所


係累
小学生
                             いじめの光景

 時々、電車通学している私立の小学生を見る。
 あの年で受験を経てるくらいだから、大体狡猾そうな嫌な面構えをしている。
とはいっても顔を見なくても公立じゃあランドセル背負って電車には乗らない
から解るのだが。この間、その集団にあった。
 おそらく沿線の学校の終業式かなんかで一斉下校なのだろう(行事にしては
引率らしき人がいなかったからね)十人くらいでドアの前を占領し、ペチャ 
クチャ喋り始めた。年頃は小学校三.四年くらいだろうか。
 別に子供の生態などに関心はないが、戯れに聞こえてくる声に耳を傾けると、
どうも一人の子供をいじめているらしい。いじめの方法としては昔懐かしの
「バイキン」ものである。そしてここで問題なのはいじめの標的が「ヤマダ」
という名字である点だ。集団で見事に「山田菌」と連呼していやがる。
 はて僕と同姓の男は少し先のドアのところで一人でぽつんと聞こえないふり
をしているが、こちらを随分恨めしそうにちらちらと見ていた。集団もそれに
は気がついていると見て露骨に大声をあげて、傘でつつくはヤマダが近寄ると
奇声を発して客を避けて逃げるわ大騒ぎ。
 最近の子供は嫌がらせの手口がうまいもんで第三者の僕までいらついてきた。
かといって大学生が小学生をはり倒すわけにもいかず、「さっさと降りねえの
かなあ」と思っていた。
 乗客を見ると、これがまあ情けないくらい全員居眠りしている。
 かつて長髪時代、傘を忘れてずぶ濡れになり、前髪から滴を垂らしながら 
電車に乗ったとき乗客が突如居眠りをはじめて笑ったけど、子供相手に居眠り
ねえ。僕は徹底的に傍観者決め込んでたけどね(悪質だね)。
 結局、ヤマダ菌の保菌者氏は哀れ孤立無援の中、車内で泣き出した。
 いじめっ子は薄ら笑いを浮かべながら「泣くな、俺達はお前を鍛えるために
やったんだ、強くなりたいだろう?」と云っていた。保菌者は「ありがとう」といい
ながら泣きじゃくっていた。まるでSMである。
 ああ、なるほどと僕は思った。
 この少年はいじめを教師に訴えることは絶対にないだろう。これもれっきと
した彼の居場所だから。これだって「無視」されるよりはましなんだろうな。
嬉し泣きのような顔を見て、そう思った。
 そして、「いじめ自殺を出したクラスのその後は往々にして明るい」という
噂も案外本当かもな、と思った。
 ヤマダ少年には強く生きてほしい物である。

付記;その後、我が家に来た先輩にこの事件を話したところ
    「そういうときは「うるさい!」と叱るといいよ」と云われた。

小皇帝
                               家庭内暴君の真実

 中国の一人っ子政策の問題点に「小皇帝」という現象があげられる。
 完全にこの政策を遵守すると、親二人祖父母四人にとって可愛いお子さまが
ただの一人と云うことになり、それはそれは丁寧に育てる。すると溺愛されて 
育った子供はわがままで自己中心的な性格を持つに至るというのである。
 周囲にちやほやされるあまり、性格がスポイルされてしまった皇帝の例は 
確かに中国史を見ると散見される。蜀なんてそれで滅んだ好例である。
 さて、合計特殊出産率が2人をきった日本でもこの傾向は現れているようだ。
 土曜日、朝の七時。僕はあくびをかみ殺しながらホームで列車を待っていた。
頭にはまだ霞がかかっている。そんな折り、親子連れがホームに降りてきた。
旅行なのか子供は黄色い帽子をかぶり水筒なんてぶらさげている。まあどこに
でもいる男の子の顔だ。親は薄化粧に極地味な普段着を着ていた。若いが大人
しそうな表情で、暗い感じだった。
 この親子がホームにやってきて朝の静寂は破られた。
 子供のヒステリーである。
 とにかくずっとグダグダ親をなじっているのである。原因は弁当がまずいと
か電車に遅れそうになった(ホームに着いた時点であと五分はあったが)とか
そういういちゃもんである。うちの親なら大喝してすますものを親はじっと 
聞いている。まるで聞けば解決するように。
 子供の方は手応えのなさに甲高い声で怒鳴りながら、親の頬をパチパチ叩き
始めた。親はまたく抵抗せずに僕や他の乗客をちらちら見て「やめなさい」と
小さく云った。まるで客が変な目で見るからやめろと云うように。
 電車が来るまで子供はずっと些細なことで親を怒鳴り、髪を引っ張り、叩い
ていた。母親は叱るどころか抗うこともなく、文句のための文句を謹聴し、何
を云われても「ごめんなさい」を連呼していた。
 電車が来て、僕と子供は乗った。母親はわざわざ入場券を買ったのか「気を
つけてね」とボサボサの頭で云い、電車が動くまで手を振った。子供はそれを
見もせずふんぞり返って座っていた。
 僕と子供は向かい合って座っていた。睨み付けると二度と正面を見ることは
なくなった。やがて列車は満員になり、僕は目的の駅で手刀をかき分け降りた。
列車から出ると誰かの足がコツンとズボンにぶつかる。
 振り返ると、あのガキがいた。
 足がぶつかったのだろう。軽く睨んで「痛てえな」と云ってやった。真っ青な顔を
したその子は「ごめんなさい」と何度も何度も頭を下げた。
 その姿に先ほどの尊大さはみじんもなかった。

不良学生
                              最後尾車両の異空間

 不良の集まる電車、あるねえ。
 漫画でだと例えばBE−BOPにおける「戸塚列車」やカメレオンにおける
「カス校車両」といった具合だ。大概近隣の荒れた高校が我が物顔で列車一両
ジャックして大騒ぎするのである。事情を知っている住民などはそこを避け、
棲み分けを図るのであるが、何も知らぬ一般人が紛れ込むとそれは恐怖である。
 僕の通学沿線にはさほど危険な学校はなかったが、噂によると我が町の付近
を走る某路線では凄まじいものがあるそだ。なんせ近隣不良五校がわずか十駅
の間にあるのだ。
 確かに偏差値はそろいも揃って40を切っており、どこにこんな不良需要が
あるのかと疑いたくなるような盛況ぶりである。まあその路線もローカルの単
線であり、学校も田舎も田舎、隔離するようにひっそりと田圃の中にある。僕
個人は縁もゆかりもない路線だったが、苦労した人もいるようである。
 さて、僕個人の恐怖体験はなんお気まぐれか、いつも乗ってる列車の最後尾
に乗ってしまったことに端を発する。いや、まさかいつもの電車にあんな異空
間があるとは思っても見なかった。
 その列車は僕の駅では珍しい始発列車で結構停車しているのだ。はじめは 
ガラガラで僕はぽつんと座っていた。と、高校生がやってきて席が空いている
のにも関わらずいきなりじべたに座った。制服を見て「あ、あの高校か」と、
別に僕は気にもとめなかった。この高校は荒れてはいない、ただ生徒が馬鹿な
だけである。これは不良よりタチが悪いかも知れないが、追求しない。
 さてその後からが見物だ。ねずみ算と云うがその通りに倍々計算で黒学生服
が車両を埋めていった。私服の一般人は事情を知ってか殆どいない。「バカは
いつでも後ろを好む」という学生諺を思い出したときは既に遅し、低レベルな
連中がピーチクパーチク吠える集団に取り囲まれていた。
 いやあ、すごかったね。僕は列の端に座ったが、そうでない中年など生徒に
挟まれて、彼らが頭越しに会話をするもんだから非常に居心地が悪そうだった。
会話も聞くとパチンコだとかコンパとかダンパ、そんな話ばかりだった。
 十分後、次の駅に停車したとき彼らは全員降りていった。この駅では三校が
使っている筈なのだが、全員同じ制服で他校生徒はいなかった。
 僕は彼らを教えている教師達に深い同情の念を抱いた。
 会話の内容はもとより、電車が彼らの駅に着いたとき時刻は既に8時25分
を越えていたのだ。学校との距離を考えると、どんなに急いでも20分の遅刻
は免れないだろう。

女子高生
               いつでもどこでもあなたのそばに・・・

 電車における女子高生というのは一種不気味な物がある。
 いや、勿論女子高生が電車に乗っていても一向不気味ではない。しからば何
が不気味かと云えば、「いつどんな電車にも女子高生は乗っている」という 
法則を考えるとどうだろうか。注意すれば解るがよくよく不気味である。
 僕は大学に入ってから様々な電車に乗った。3分に1本の都会から1時間に
1本しかないような田舎まで、始発からラッシュから昼下がりから終電まで、
乗りまくってきたが、女子高生のいない電車にはついぞお目にかかれない。
 これは異常な事態である。確かに女子高生に限らずサラリーマンもまずどの
電車にも乗っている。だが彼らは24時間戦う存在なのだ。8時半から15時
までの高校生とは訳が違う。あ、ここでいう女子高生とは「制服を着た存在」
であることをお忘れなく。
 僕はここで道徳の荒廃を嘆きたいわけではなく、純然と「不思議だな」と思
うだけなのだが、とにかく疑う人は早起きして始発なり、深夜の終電に乗って
みるとよかろう。まあ但し登校ラッシュのそれのように参考書広げているよう
なのは見あたらないが。
 面白いのは、そういう女子高生は服装やアイテムがほぼ同じせいか皆同じに
見えると云うところだ。始発も登校ラッシュも昼下がりも夜も終電も、複数の
場合は時間に限らず喚き散らす。あれ、なんだろうね。男の場合は複数でも寝
てたりするけど、女は眠らないね。一人の時も大人しい奴はいるが、まず携帯
で喚いている。
 あの元気はどこから来るのだろうか。
 こっちが眠いとき、辺り構わずン十ホーンで喚き散らす女子高生を見るたび、
「ああ、こいつらには勝てないなあ」と諦観している。ガン飛ばしても無意味
である。
 困ったものである。
オバサンたち
                       がんばれ、オバタリアン

 オバタリアンという言葉が死語になりつつある。
 この言葉は「茶髪」みたいに辞書に載ることはないだろうが、「プリクラ」
みたいに完全定着するかと思っていた。流行語にしては長寿の部類に属するん
だろうが、最近はとんと聞かない。
 そういえば電車の中では悪鬼羅刹のように忌避され憎悪の対象となっていた
オバタリアン現象もとんと見ないようだ。
 ここでおさらいをすると、電車内でのオバタリアンとは「うるさい」「強引
に席を取る」「遠慮会釈が全くない」などのマナー違反の常習者であり、群れ
て現れるその恐怖がゾンビ映画「バタリアン」にかけられて名付けられた存在
である。
 今、書いていて気がついたが、これはまったくそのまんま現代の女子高生に
通じることである。男女平等の観点から云えば男子高校生ではいるにはいるが、
あんまりこういう手合いはいないように思う。
 昼下がりの電車に乗ると、オバタリアンも女子高生も同じくらい乗っている
のだが、うるさいのもマナー違反も後者が優勢である。
 これは一体どういうことであろうか?
 無責任に論じると、これはバブル崩壊によって金銭バランスが大きく崩れ、
何をしているかは定かではないがブランドや携帯にン十万投資する女子高生に
比べ亭主の年収べりによってダイレクトに可処分所得が減った(無論子供への
小遣いも相対的に増えているはずであるの)ため、かつてのように我が世の春
を謳歌できなくなったことがあげられるだろう。
 がんばれ、オバタリアン。
 また日本の景気が良くなり、電車の中を積年の恨みとばかりオバサン勢力が
怒濤の如く浪費の限りを尽くす小生意気な女子高生をば駆逐していただきたい
ものである。
 終わりに補足するが、別に筆者は熟女趣味はない。

不良外国人
                          BADDEST ENGLISH

 電車内の外人(殊に白人種)について概ねいい感情を抱いていない。
 これは深夜に繁華街の駅を使うことが多い都合上もあるだろうが、僕の会う
奴らはまさしく害人以外の何物でもなく、酔って騒いだり、大音量のウオーク
マンをガンガンにかけてたり、日本国民の前で婦女子をナンパしたり(**駅
まで案内して下さい、としつこくせがんでいた)している。
 ことに酷いのは今大流行のアメリカンスクールの生徒とおぼしきガキの集団
で、こいつらは日本人を舐めている。いくらアメリカがフランクな国だからと
云って、電車の中で物を食ってゴミを投げたり、ぴょんぴょんとダンスみたい
に飛び跳ねたりはしないだろう。何度あっても気に入らないガキどもである。
地下鉄でペッティングに励むガキがいたときは蹴飛ばしてやろうかと思った。
日本人でもここまではいない。
 また駅前で道を聞くべく声をかけてくる奴らも、まず前提として英語。一体
「スミマセン」の一言もしらんのか、日本語で喋るのも敬語を知ってるか知ら
ないか、とんでもなく横柄な物言いをする。
 まあ日本人は外人(殊に白人には)にはやたらへこつくから、こういう増長
した奴らが出るのだ。攘夷思想の一つでも持ち出してやりたい気分である。 
国際人というのは斯様に外国人に媚びて同化しようとすることなのだろうか?
 ともあれ、僕はこういうクソ外人に一矢報いるべく機会を伺っていた。
 それまでは英語で道を聞いたら「しらねーよ」と日本語で応えていたのだが
(まあ英語が解らないので嘘ではない)、先日都心の某駅で絶好の復讐の機会
に恵まれた。
 大学の友人と一緒だったのだが、某駅構内の乗換地下道で女の二人連れに
声をかけられた。多分アメリカ人で、NHKでやってるアメリカのドラマに出て
きそうな顔をしていた。そいつはやたらとゆっくりとした英語で駅の名を告げ、
その生き方を尋ねてきた。た。
 僕はにやりと笑うとこの何もしらなそうな女に正解のホームではなく、反対
側の環状線のホームを指差してやった。そしてにっこり笑うと「ワンアワー」
といってやった。六年間の英語教育の総決算がこれである。
 彼女はにっこり笑うとそのホームを上っていった。
 僕はほくそ笑んだ。何時間乗ろうが同じところをぐるぐる回るだけで目的地
になんぞ行けるわけはない。ざまーみやがれと大いに溜飲をおろした。まあ、
外国に来てその国の最低限度の言葉をもしゃべらんお前が悪い。
 友人にことのあらましを説明しながら、僕らは階段を上った。
 向かい側のホームを見ると、ちょうど二人が電車に乗り込むところだった。
昔、まったくの勘違いで老婆に間違った電車を教えてしまい、後に気がついて
から大いに自分を責め罪悪感に苦しんだ物だったが、この時は小気味よい
思いしか感じなかった。

 国際化社会? クソでも食らえ!
風邪っぴき
                             マナーはどこ行った?

 一体、最近の人倫道徳はどこに行ったのか? と電車の中で思うことがある。
かといって別にこれは電車でいちゃつくカップルを指して云うことではない。電車
の中で、平然と咳をする輩について云っているのである。
 もっともただ咳をするだけで詰問をしているわけではない。咳をするのに手も
覆わず平然としているバカを責めているのである。僕は決して潔癖性の類では
ないが、目の前で咳やくしゃみ(特に、くしゃみ!)を平気で連発されるとムカつく
し、殺意さえ芽生えてくる。
 普通こういう基本的なマナーは幼児期に母親なり幼稚園の先生なりに教わる
ものなのだろうが、老若男女を問わずに出来てない奴が多い。若者の場合車内
の携帯通話やジベタリアンは理解できないこともないが咳をするのは意味あっての
マナー違反ではない。その父親世代のオヤジ系がほぼ100%手を押さえないこと
じゃら想像がつくだろう。彼らは根本的に咳をするときの礼儀を知らないのだ。
 僕はこう云うときは無遠慮にガンを飛ばすようにしている。まあ大概相手は理解
できないように目をそらしちまうがね。すぐ降りちゃう奴や車両を変える奴が時々
出るが、そういう無礼なヴィールス撒布系な奴は消えた方がよろしい。
 それでもやめない鈍感な野郎には思いっきり息を吹きかけてやる。口臭を嗅が
そうと云う趣向ではない、風邪のビールスを吹き飛ばそうと云う意図なのだが、
相手の不快感は似たようなもので小気味いい。
 これで一度からまれたことがある。
 満員電車に座って文庫本を読んでいたとき、隣のサラリーマンがやたら咳と
くしゃみを連発している。手でも新聞でも押さえようとしない。そして唾が僕のズボン
に飛んだ。
 睨み付けてやった。
 そんでもって文庫本に目を通した。
 と、隣から「おい」と聞こえる。「ガン付けてんっじゃねえよ、おめえ」等とも聞こえる。
僕のことを云っていると気がついたので、応じてやることにした。
 相手の顔を見る。酒に酔った弱そうな男だった。
 一言、低い声で「うるせえよ」と云ってやった。読書の邪魔をされたとき程、機嫌が
悪いときもない。推理小説の山場とあれば云うことなしだ。
 しばらく睨み合った。相手が目をそらした。
 その瞬間、相手の横顔に息を吹きかけてやった。一瞬こっちを見たが、その目に
反抗の色はなかった。ざまあみやがれ。
 これが唯一の電車の中でのアクシデントだった。

傘泥棒のガキと親
                                 いつの世も大人は

 ドアと座席の脇に人が一人分くらい立てるスペースがある。
 ここにはまるのが僕は好きだ。座席の脇のポールに寄りかかって本を読むの
である。乗降客が激しいときも動かなくていいし、寄りかかれるので非常に楽
である。もっとも絶対に座れないのがネックであるが。
 他にこの箇所の利点としては雨の日に傘をかけておけるという点がある。 
これは(端以外の)座席に座るより理想的である。電車の中では邪魔っけな傘
これを置いたまま悠々と読書に励めるのである。いいことずくめである。
 さて、その日も僕はデパートの「鉄道忘れ物処分フェア」で買ったベネトン
の高級傘を座席脇のポールにかけて読書に励んでいた。このポールには先客の
傘が2つあった。はじっこの座席に座る老婆と孫らしき子供である。老婆の品
の良さそうな傘と子供のアニメ傘である。
 先客がいる以上、スペースに挟まるわけにもいかず普通に吊革につかまって
本を読んでいた。
 老婆は幼稚園の年長くらいの子供に絵本を読んでいた。なにせそんな風景は
久しく見なかったので随分と感動するものがあった。セリフを全部赤ちゃん 
言葉で喋るところも含めてこの老婆には好感が持てた。まあ子供は聞きもせず
ずっと外の景色を見ていたのは気になったが。
 いくつかの駅を越え、また一つ大きな駅のアナウンスがあったとき、その 
親子連れがもぞもぞと動き始めた。僕は座れそうだとほくそ笑みながら本を 
閉じ、二人を目で追った。
 老婆がまず自分の傘を持って立ち、子供が何と僕の傘を取った。
 逆ならそのまま持たせるが、僕はアニメ傘に興味はない。価格もこっちの方
が上である。僕は老婆に敬意を表する意味で、極穏やかに子供に向けて「これ
は僕の傘だよ」と諭した。子供が何か云う前に老婆が子供に注意した。
 「あらあら、**ちゃん、だめでちゅよ、これはおにいちゃんのおかさだよ。
**ちゃんはこっちの×××のかさでしゅからねー」そして彼の傘を握らせる
と、僕に正対し「どうもごめんなちゃいねえ」と云った。
 僕にまで赤ちゃん言葉を使う必然性はどこにもないような気がしたのだが、
まあ僕も懐かしい昔に思いを馳せ、二人の後ろ姿を見送った。

 ところで、僕はどうもこの子供はわざと僕の傘を取ったような気がしてなら
ない。実は僕も子供の頃、親が「子供にはこんなものでいいだろう」と云って
買ってくるキャラクター商品が嫌でたまらなかった。そして既に知っている 
古典的な絵本や童話より、キンダーブックや雑誌「小学一年生」に載っている
読み物の方が好きだった。
 大人が思うほど、子供は子供ではない。
 そういうことを思い出した。別に僕は盗みは企てなかったが。

自称痴漢被害者の少女
                                      REALY?

 今日テレビを見ていたら、痴漢詐欺の女VS被害男性という不毛な討論番組
をやっていた。
 昔、筒井康隆の「懲戒の部屋」という短編小説を読んで、慄然としたことが
あるがやっぱりそういうことってあるんだな。まあ立証反証とも困難な事件
だし、基本的に女性は弱者というバリアーで守られているから男はそういわ
れたら殆ど勝てないよなあ。その割には失うものはあまりに大きい。

 私は痴漢を弁護したいのか、残念ながら答えはNOである。
 しかるに痴漢をとにかくとりしまり、被害者の言い分のみで他人の一生を 
決めてしまうヒステリック・フェミニズムにもNOとこたえる。

 個人的にはこんな事件があった。
 僕がとある混雑で有名な環状鉄道に乗っている時の話。列車が比較的大きな
駅で止まったとき一人の女が「痴漢よー、痴漢」と叫んだ。
 僕をはじめ乗客は一斉にそちらを見る。真っ赤な顔をして憤慨していたのは
サラリーマン風の若い男だった。いかにもフレッシュマンという出で立ちの男
だった。それに対して女の方は神経質な眼鏡顔にショートカットのぼさぼさ頭。
まあはっきりいってCB女であり、服もかなりずれていた。
 だが勿論、これでこの男の冤罪を主張する気にはならない。
 しかし彼は一人ではなく、会社の同僚とおぼしき男女とずっと談笑していた
のである。彼は確かにその集団の端にいたが、割とよく喋っていた(その大声
はかなり迷惑だったが)。しかも電車はさほど混んでもいなかったのである。
 話はここからこんがらがる。
 まず何の関係もないオバサンが突如正義感に目覚めて、大声で駅員を呼び
(割と大きな駅だから駅員がホームに数人常駐しているのだ)電車を止めさせ、
そして一方的に男を罵りだした。痴漢は犯罪だの女性の人格を否定しているだ
のそんなことである。
 迎撃するのはグループの女でその容疑者の彼女だという。そこでとめておけ
ばよかったものを、オバサンの容姿年齢について言及したもんだから逆上し、
お互い罵りあい、被害者は金切り声をあげ始めた。肝心の容疑者は真っ赤な顔
でふるえている。
 結局駅員が一行をまとめてホームに出し、電車は進んだ。窓から外をうかが
うと女は「あたしのおっぱいおっぱい」などと下品なことを喚きながら携帯電話を
取り出した。110番でもしているのだろう。列車そこで動き出した。

 さて、この女は明らかに気違いである。
 それで大方、こういう風に自分と同年代の幸せそうな人間に偏執的に復讐
しているつもりなのだろう。或いは体感妄想を伴っているのかも知れない。
 ともあれ「気違いに権力」は「気違いに刃物」より恐ろしい物がある。

オウム教信者?
                            「しょーこーしょーこー」

 あれは大学1年の春の出来事だった。
 都会に出てきたばかりの僕は、物珍しさから地下鉄を多用して通学していた。
都会の強みという奴で地上の電車を使っても時間料金共に変わらないのだが、
なんとなく憧れるものがあったからだ。今ではすっかり飽きてしまい「ラジオが
聴けない」という理由で地上を使っているが。
 さて地下鉄といえばサリンというわけで、その当時からすっかり息を潜めて
いたオウム教だったが、この頃はまだ改名もせず直営のPC屋が電気街で活動
していた。店頭では宣伝曲が流れ、ウオークマンで尊師の説法を聞きながら 
ビラを配る信者の姿が散見できた。田舎から出てきたばかりの僕はそういう街
を見て随分ビックリしたものだ。
 さてそんな頃、やはり田舎から出てきた友人と僕は地下鉄に乗っていた。 
まだお互い慣れてはおらず、不自然な丁寧語で喋っていた頃である。
 とあるマイナーな駅で電車が止まったとき、事件は起きた。
 突然、電車に異人物が乗り込んできた。
 髪の長い女で巫女の着る作務衣の様なものを着込んでいた。下半身は覚えて
いないが、やたら袖の下がゆったりとした異様な服だった。僕は見た瞬間、
「あ、KOFのコスプレだな」と思った。
 しかし、その考えは甘かった。
 電車が動くと彼女は両手を広げ、舞うように歌い出した。
「ーこー、しょーこー、しょーこー、しょーこー、しょー」
 かの有名なる「彰晃マーチ」のようではあるのだが、にしては曲調が違う。
しかもそこだけループしており、いつまで経っても「あ・さ・は・らしょーこー」
の部分にいかない。
 彼女はそのまま踊るような足取りで他の車両に行ってしまった。
 「あれは、なんだろうね」僕は訊いた。友人も同じ問いを反問した。そして
しばしお互いを見つめ合い「都会は怖い」という結論で一致した。
 後にとある本を見ると、サリン事件などが起こった頃にはもう「彰晃マーチ」
は信者の間ではタブーだったという。理由は「唯一の最終解脱者である尊師を
呼び捨てにするのはけしからん」という、まるで旧陸軍のような物である。
 してみると彼女は何なのだ。サマナ服という正式な服をテレビで見たがそれ
とも明らかに違う服だった。
 オウムにあらざる偽悪趣味者か、異端を気取らんとするパフォーマーか、
はたまた精神の異常を来した哀れな狂女か。

 春先の列車は恐ろしい。

ジベタリアン
                                      座ってシトド

 ジベタリアンとは野菜ばかり食う連中、のことではなく地べたにやたらと座り
込む連中のことを指す。初めは繁華街の地面くらいだったのが、段々エス
カレートして電車の中でまで座るようになった。これが社会現象(問題?)に
鳴り始めた時期が僕の大学入学期だ。
 前項で話したとおり、この頃僕は田舎から出張ってきたばかりで、なにかと
しゃちほこばって緊張していた。中学高校と殆ど生まれ育った街を出なかった
身としては、都会に出ただけでカツアゲされると被害妄想を膨らませ、やたら
と用心していた(こういう態度から田舎物とバレるのである)。
 勿論、後には地元の列車でもジベタリアンが見られるようになったがブーム
の当初はやはり都会であり、そこここかしこにジベタリアンがドアを背にして
座り込んでいた。
 一度、携帯での会話に夢中になって、ドアが開いた瞬間見事にホームに落ち
かけた男がいたが、そういう時代であったのだ。
 それにもビックリしたがその2月後の梅雨、僕はとんでもないものに遭遇し
てしまった。
 傘を忘れ、大雨の中あ、大学から駅まで「軽く10分」と意気込んで走ったは
いいが、この10分の間、存分に濡れた。服はびしょぬれ靴はぐしょぐしょ長髪
の前髪からはしずくがぽたぽたという酷い形相で僕は電車に飛び乗った。
 乗客も驚いただろうが、僕は更に大物がいるに至って驚いた。
 雨の日、乗客の靴のお陰で汚れた水がうっすらとたまった列車の床、ここに
座り込んで喋っている二人のコギャルがいたのだ。膝上のミニスカートだった
ので服は汚れないが、長いブーツは濡れただろう。最前列の列車で、運転席の
すぐ後ろの広いスペースだったが、この暴挙には大いに驚いた。
 おそらく彼女たちも僕同様の田舎者で、都会のブームに乗ることに偏執して
いるのだろうとは思ったが、そのずれ具合には見ていて哀しいものがあった。

気弱なサラリーマン
                      「てめえ、ばかやろう!」

 女性を連れると気が大きくなるのは僕に限った話ではないと思う。
 これは僕が電車の中で唯一大声を上げた経験の話である。
 早朝、僕はとある長いつきあいになる女性と電車に乗っていた。二人とも 
それはそれは疲れていたので八の字になって寄りかかっていた。電車は既に 
満員で乗客は皆眠たそうな顔をしていた。彼女も既に寝息を立てていたが、僕
は眠れなかった。
 彼女は出入口の脇の座席に座っていたのだが、ちょっと精神に問題のある人
が彼女の横に立ってぶつぶつ呟き続けていたのだ。これはかなり気になった。
 とはいっても、しばらく横目で観察していたが、ぶつぶつ呟くこと以外は 
取り立てて喚くでも乱暴をするわけでもない。幸せそうにへらへらしている 
だけなので、僕自身もいつしか眠くなり、寝てしまった。

 目覚めたのは彼女の悲鳴にも似た声だった。
 初めは乗り過ごしたのかと思った。彼女は一度、それで大声を出したことが
ある。後ろの窓を見ると確かに駅だが、まだ目的地まで数駅ある駅だった。隣
の彼女を見る、と、出入口付近にいた男が彼女の髪を撫でているのである。 
さっきの僕の見立てはあったっていたわけだ。
 こっちを見る彼女は突然の狼狽にもう半ベソである。
 僕は立ち上がると「なにしてんだぁ、てめぇ、しにてえのかぁ、ばかやろう」
と喚いた。喚いて、僕はそれがさっきのへらへらしている人ではなく、スーツ
姿のサラリーマンに変わっていることに気がついた。気がついたがやっている
ことは変わらない。
 サラリーマンは「あ、いや、からまっちゃったんで、すいません」と逆に泣きそう
な顔をした。僕は「鉄道警察出頭すっか。おう?」と凄もうかと思ったが、その前
にサラリーマンは逃げてしまった。
 ドアが閉まり、電車は動く。
 彼女に「大丈夫か?」というと「まあ、ね。あの人何?」と反問する。僕は肩を
すくめて列車を見た。乗客はみんな僕を見ていたが、僕が見ると一斉に視線を
逸らした。
 確かに彼女は当時髪の毛が長かったので、僕と反対側に寄りかかって寝て 
いればカバンの取っ手か何かに入ることはあったかもしれない。それに電車の
中で堂々と髪を撫でる変態というのも考えづらい。
 しかし、寝起きの僕には髪を撫でているようにしか見えなかったことは事実
である。あれからあのサラリーマンは見なくなったが、電車美人局にあうより
はマシだと思って、諦めていただこう。

伝説の不良
                                 殿射腐猟電刹

 サブタイトルは「でんしゃふりょうでんせつ」と読む。どうでもいいが。

 伝説の不良、とは僕が勝手に名付けたある不良生徒のことである。
 で、世にあまたいる不良生徒の中で彼が伝説に値する根拠とは勿論電車内の
マナーである。
 なるほど確かに外見だけ見ても茶色のリーゼントに長ラン&ボンタンズボン
という仮装パーティーの帰りかと見まごうアナクロな服装・これだけで伝説に
なりうるかもしれぬ(田舎に行けばまだ平家の落ち武者のように生息している
ようだが僕の近辺にはいない)。
 だがそれでは彼の本質を見極めたことにはならぬ。
 深夜十一時。
 しこたま酔っぱらってガラガラの列車でラリっていると、その伝説の不良氏
が乗り込んできた。一人で、である。深夜に突然時代錯誤な服装のにーちゃん
が乗ってくる。こりゃ殆どカフカの世界である。
 不条理にも彼は僕の向かいに座る。
 電車内はガラガラにも関わらずわざわざシルバーシートに座るのだ。しかも
彼はその場でタバコを取り出して吸い始めた。シルバーシートでタバコ、二重
のマナー違反だ。しかも土足の足を座席に投げ出している。
 伝説の誕生だ!
 驚くべきは彼は僕など眼中にないのか、別に威嚇するつもりでやっている訳
ではないようなのだ。酔って気が大きくなってるから酔眼見開いて相手を見て、
相手とも目があったが不快感すら顔には出ていなかった。結局彼は僕より早く
降りていった。
 二度目に出会ったのは八時頃で僕が駆け込み乗車をかまして入ると、目の前
にいた。すぐに彼だ、と解った。あんなのは早々歩いていない。
 面妖なのはその伝説の不良氏、女の子を連れていたのだ。当然アソビ人系の
頭の悪そうな子だったが、この人は大変現代的なメイクと服装で、携帯片手に
ぺちゃくっていた。二人やはりシルバーシートに座っていたが、タバコは吸っては
いなかった。
 やがて女の子は電話をやめ、例の間延び声で中吊り広告を指差し「あーあれ
ー、ちょーいいじゃーん、ほしーよー」とのたまった。タレントが出ている化粧品の
中吊り広告である。
 と不良氏、やにわに立ち上がると丁寧に広告を抜き取ると無言で女に渡した。
今度は沢山いる乗客の目の前で、である。女は「チョーラッキー」とかいって
いた。男は終始無言だった。
 伝説の不良との邂逅はこれまで。僕が大学の春休みに入ったからである。新
学期が始まって、また彼は新たな伝説を作るのだろう。それを見るのは嬉しい
ような、恐ろしいような、とにかく複雑な心境である。

資材課長
                          その日、課長はシャウトした

 携帯電話については今更何かを語ろうとも思えない。
 語るだけ虚しくなるだけだからだ。あんまりヒステリックに批判するのも 
自分の首を絞めているし、かといっても車内で喋っている奴は揃いも揃って 
うざいんで弁護する気も起きない。
 ただまあそれではあんまりなので云うと、田舎にいけばいくほど声は大きく
なる。よく「田舎者は声がでかい」というが、これってやっぱ本当じゃないか
と思う。携帯黎明期(95年頃?)にこの現象を発見したときは「ケッ、携帯
が珍しいからってひけらかしやがってこのボケが」と思っていたが(ポケベル
全盛の当時は携帯は希少なアイテムだったのだ)これだけ普及した今になって
も田舎の方が声がでかい。
 僕自身も携帯で喋り慣れていないので携帯電話には不信感があり、ついつい
大声で喋ってしまうことがあるが、田舎の携帯電話はそれにしても声が大きい。
疑う読者あらば、週末にも郊外へ行ってみたらいかがだろう。サンプルはどこ
にでもいるし、場所が下れば下るほど大声になることが確かめられるだろう。
 そんな中で最大の傑作はこの「資材課長」だろう。
 例えば家で寝ているとき、腹立たしくなるほどハイテンションで明るくまく
したてる胡散臭いセールスマンから電話がかかってくることがある。いきなり
昼下がりなのに「おはよーございます。わたしはー**商事の**なんですが、
○○君ですかー」とファーストネームで馴れ馴れしく呼ばれたりする。
 この資材課長もこのタチだった。
 禿げた頭にデップリとした腹、脂ぎった額と文句ない精力オヤジだった。
 彼の携帯が鳴り、彼はしばし液晶を睨むと突如大音声を張り上げた。
「こんにちはー、おでんわありがとーございまーす。わたくし資材課長の××
でございまーす」
 終点に間近いガラガラ電車だったが、ちょっとないほどの大声だった。
 太った男で如何にも「資材課長」といった感じの男だったが、我々の迷惑は
勿論こんな大音量に耐えている取引先の担当者こそ気の毒だ。耳の遠い担当
者かも知れないが、その割には専門的な用語を早口で連発している。
 さすがに迷惑を感じたが、次の駅で資材課長は降りたが、ここまで「らしい」
奴はいなかった。将来こんな奴の部下にはなりたくないな、そう思った。




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