御品書
かけそば
                  めざせ、二代目カケソバン!?

 かけそば、を知らない人はいないと思う。
 駅前の立食そば屋や学生食堂において、食い詰めたビンボー人どもだけが食
することを許された恥も外聞もない最低額メニューである。あるのはソバと、
ツユと、申し訳程度に添えられたネギだけ、あまりの侘びしさを慰めるためか
かけそばを頼む者はやたらと卓上の七味を振りかけるのが通例である。
 何を隠そう僕は高校時代、この「かけそば」の愛食家であった。たいていは
弁当持参であったが、たまに弁当の欠けた日は昼食代500円也が支給され、
200円でかけそばを消費、あとは小遣いにしていた。
 我が学校のソバで次に高いものは300円のたぬきそばであり、これが人気
ナンバーワンだったのだが、百円単位の生活をしていた僕にはそんな贅沢は敵
だとばかり(どうしても天カスが百円もするとは思えない)ひたすらかけそば
を食べ続けていた。浮いた金は放課後に古本屋に駆け込んで、廉価な文庫本に
消えてしまうのだが、それはそれで満足な循環だった。
 後に知ったことだが、こういう同好の士は他にも多々いたらしく文芸部の同
期生はやはり浮かした金を文庫本に代えていたし(但しこっちは新刊本だった)、
新任の理科教師は我が家の比較的近所のぼろアパートに住み、かけそばを食い
あさり、「カケソバン」なるあだ名を奉じられていた。
 斯様に貧乏な生活をしていると、そういう態勢が体にできてしまい、余裕の
できた今でもなかなか豪華な昼食を取ることができない。大学ではかけそば
こそなくなったものの、最低額のメニューである「たぬき」「きつね」「山菜」
そばの愛食者としてお世話になっている。勿論放課後は古本屋である。
 僕は現在教職課程を取っているが、もしうっかり教師にでもなってしまおう
ものなら、栄えある二代目カケソバンの名を、恭しく悪ガキどもから奉じられる
ことになるだろう。そしてその頃もまだ、古本屋あさりをしてればイイナと思う。
月見そば
                    月を見るたび思い出せ!

 月見そば? 一度も食べたことないものをエッセイに書くあたりいい度胸を
してるな、僕も(オマケにゲームのセリフをぱくるあたりも)。
 どうしても解らないのは、一般のそば屋とりわけ僕としては学食を例に取る
とわかりやすいのだが、「月見そば」と「かけそば+卵」の値段のべらぼうな
差である。高校の学食で言えば月見そばが320円、かけそばが200円で卵
つきが30円の230円だった(何故高校の学食の値段を今も覚えているかと
かそういうことを訊いてはいけない)。「かけ+卵」でもちゃんとおばちゃん
が割って落としてくれるので物としては変わらない。
 まったく同じものが出てくるのに何故に90円も差が出るか、この不条理に
ただでさえ悩みがちな思春期の僕は悩み、さらに月見の白い食券を買い求める
輩が多々いることに大きなショックを受けた。
 ある日、僕は部長の権勢を嵩にかけ、後輩どもに訊いてみた。
 愚問に対して愚答が返ってくるのは道理で覚えている解答は次のようなもの
だった。

1.両者の内容物の差、つまり月見に入っている薄い「なると」の代金である。
2.白い食券はデザインもよく制作費が他の食券より高い。
3.皆が気がつかないだけで高級なメンとツユを使っている

 この3の意見を下にして僕は卒業間際に馬鹿小説を書いてヒンシュクを買う
のだが、ともあれこの価格の差は今以て謎である。
 学食のおばさんに訊けばよかったのだろうが、なんせ聞いた途端、あの日頃
は温厚そうなおばちゃんがいきなり豹変して「オマエハシリスギタ」とか言っ
て殺されそうな気がしたので訊けなかった、と言えば嘘になる。まあ、そういう
ことは言わぬが花である、どっちにしろ僕は食べないしね。

山菜そば
                         山菜そばの思ひ出

 山菜そばに関してはなかなか思い入れがある。
 かけそばでは虚しい、さりとてタヌキや天ソバのような脂っこいものも食べ
たくはないし、キツネはちょっと寂しい(すぐ食べちゃうからね)ものがある
とき、指が止まるのは山菜そばである。
 このように消去法で行っても到達するのではあるが、逆に言っても可である。
僕は山菜そばが大好物なのである。
 何故かと問われても好物の問題だけに返事に窮するが、一つには日光を旅行
した際に食べた山菜そばの美味しさが色好く影響しているだろう。今もあるの
かは知らないが、グルメとは縁遠い僕が薦められる数少ない店である。
 但し、店の名前など知らない。場所も詳細には知らない。
 ただ華厳の滝に一番近い一際汚い江戸時代の長屋のような店、といえば一発
で解るだろう。まあ、十年以上たった今でも変わらなければという前提だが。
確か560円だと思ったが確証はない。やや高い気もするがそれだけの価値は
あるはずだ。
 日光という歴史的な街にある落語に出てきそうなきたないそば屋。格落ちの
痩せた土地でとれた蕎麦の実、そして山に籠もって採った山菜。このように昔
に思いを馳せるにはピッタリの場所である。耳をそばだてると聞こえる滝の音
がこれまた情緒をかき立てる。
 岩頭の吟なんて言葉は当時は知らなかったが、藤村操もここで食べたのかと
今になって思い返しても楽しい(少なくとも当時あってもおかしくないくらい
のさびれようではあった)。
 我が家の女どもは芋アイスなどという邪道に走り、僕と親父はきたない店で
黙々と蕎麦をすする。
 一杯のかけそばに涙する奴もいれば、一杯の山菜そばにロマンを感じ、以後
初めての店に入ったときは必ず山菜そばを頼む奴もいる。少年期の体験とは時
に脳にある種の刻印を押しつけることもあるのだ。

きつねうどん
                          赤いのはどっち?

 別にこの項できつねうどんについて云々しようとは思わない。
 ただ昔、塾に通っていた少年時代、毎日のように食べていた「赤いきつね」
の「お揚げ」の食べ方として、舌と上顎で挟んでツユをしみ出させ、しなびた
お揚げをツユの中に戻す。そういう汚いことを散々した挙げ句に、最後にツユ
を飲み干してからお揚げを食べた、という共通体験を持ってる人がいれば僕は
嬉しいということを告白しておく。
 さて前書きが長いが、きつねうどんといえばどうしても大学の学食であった
出来事を思い出す。この項ではそのことについて書こうと思う。
 とある寒い日、ポケットに手を突っ込みながら僕は学食に入った。前の講義
がやたら早く終わったため、また夕方という時刻からいっても学食はがら空き
だった。きつねうどんの食券を買うと僕はトレー片手に配膳台に食券を出した。
 筒井康隆のエッセイに「食べ物屋の従業員は無神経なのが多い」というのが
あるが、何故か大学の学食の若手従業員は質の低い我が三流大学のパープー 
学生よりも程度が低くみえる。これは恐るべきことである。ともあれその中で
も一際愚鈍そうなそのニーチャンは「きつねうどんはいりまーす」と高らかに
宣言をすると、慣れた手つきでうどんを湯掻き、丼に落とすとツユを加えて、
天ぷらを入れた。
 僕は辺りを見回したが、ソバのコーナーには僕しかいないし、配膳台には僕
の「きつねうどん」の食券しかない。器を差し出された僕は彼の間違いを丁寧
に伝えた。すると彼は何を血迷ったか、天カスをぽんと投じた。
 僕が驚いたのはその彼の顔に何の悪意も皮肉も感じられなかったことである。
全く彼は自分の行動に何の疑いも抱かず「ああーっ!きつねなのに天ぷら入れ
ちまった、そうそうきつねはこっちだよなー」という具合に天カスを入れたの
だ。脂質分の高そうなうどんを出され、僕は再び丁重に抗議した。
 さすがに彼は怪訝な顔をして、なんと後ろの方にいた中年のコックにお伺い
を立てにいったのだ。コックは慌ててやってきて、僕に詫びを入れるとお揚げ
を慣れた手つきで丼に放り込み、一礼して出した。
 天ぷら+天カス+お揚げというヘビィなうどんはさすがに完食できなかった。
器の返却口で退屈そうにしていたおばさんは僕の器の残飯にさすがに怪訝な顔
をしていた。普通ならあるはずのない三種の具が浮いているのだから。
 ところで問題なのはあのニーチャンは本当にきつねうどんを知らなかったの
だろうか。学食のコックをやる以前にそんなことは常識とばかり思っていたし、
まさか食べたことがないとも思わないのだが。
 あれから毎日学食には行っているが、あのニーチャンは以後見たことがない。
僕にとってまったく「きつね」につままれたような体験であった。

カレーうどん
                      カレーうどんって何だ!?

 突然ですが、質問です。

Q あなたのイメージするカレーうどんを答えよ
  1.うどんのツユをカレーに代えてある料理
  2.普通のうどんの上にカレーをかけた料理

 もしあなたが僕と同じ常識を持っているとすれば解答は1である。僕の人生
経験からすれば「1」の方が多いはずだし、そう信じたいところである。ところが、
また「2」であると信じている人も少なからずいるし、事実そういう風に作って
客に食わせている店もあるのである。
 「1」派のあなた、信じられないでしょう?
 僕は高校大学とメニューにはあったがとても食べてみる気のしない「カレー
そば」を食べている人間を見たとき、「なんという気色の悪いものを食べてる
のか、こいつは悪魔の使いに違いない」と深く感銘を受けたものだが、2型の
カレーの存在を某都内の駅そばスタンドで目の当たりにしたときは「うッ」と
胃液が逆流するのを感じた。さすがにその時食べていた270円のかけそばは
吐かなかったが。
 高校時代、2型のカレーの存在は友人の間の比較的ゲテモノのような話題で、
冗談として通じていた。ところが大学に行くと大真面目に語るのである。関西
とか地方の出身なら助かるのだが、これが僕の近辺からの人間というから頭が
痛い。
 調べてみると、比較的大きい店舗型の駅前ソバに2型のカレーうどんは散見
するようだ。カレーを扱うくらいの大きさとなるとやはりホームでは狭すぎる
だろう。やはりソバに比べるとカレーの値段が馬鹿高いところを見ると原価を
浮かせるためにやってるのかな、と推理できるのだが、どうでしょう。
 僕は一時期カレー狂だった時代があり、当然カレーうどんばかり食べていた
のだが、その間一度もこの2型カレーうどんに当たらなかったのは至極幸運だ
と思っている。

牛丼
                      理想の相手は百円引き?

 広告の魔力を痛感したのはこの牛丼が初めてである。
 まず僕は幼少の頃、食卓で父に「ああ、牛さん食べられちゃった、痛そうだ
ねえ。可哀想」などとほざかれて以来、長らく肉が食えなかった。今では大分
社会復帰してはいるが、中学の時はハムの一枚も食えずそれに関しては屈辱的
な思い出もあるといえばある。中学でそれだから遡る小学校の頃は殆ど偏執的
に肉を排除していた。
 そんな僕が突然母に「牛丼食べにつれてって」と胸の内を告白したとすれば
周囲の驚きはいかばかりなものであろうか。母は耳を疑い、僕の決心を試すか
のように何度も意思の確認をしていた。
 僕が何故そんな酔狂なことを言い出したかと言えばこれは最初に述べたとお
り、告白の3日前に届けられた広告の魔力である。
 吉野屋のクーポン券付き広告、不景気な世の中になって以来すっかり見ない
が、当時はそんなものがよく来ていたのだ。その広告の中央にデンと置かれた
写真、そのうまそうな写真に肉は不味く罪深いと思っていた精神は吹き飛んで
しまったのだ。
 これは理屈では説明できない話である。それ以前に食べたことのない料理が、
しかも食えないと言う先入観があるのに、何故写真一枚で半狂乱になるほど食
べたがるのか。勿論主要因は写真の妙であるが、それを補ったのはキン肉マン
における牛丼の描写であろう。或いは牛丼スナック30円の影響やもしれぬ。
 とにかく僕はその胸の内を明かすまで3日間何をしていたか。机の引き出し
にそのチラシを挟み、悶々と眺めていたのだ。「このタマネギが甘そうだな」
とか「お新香が80円かあ、100円クーポンで20円有利」とか「器の牛の
マークが気にいらん、食べるときは隠そう」とか考えたのである。殆ど変態の
世界である。
 かくて次の日曜に家族そろって「牛丼を食べに行く」という目的のドライブ
が始まった。僕は緊張し、興奮していた。馬鹿である。
 大盛りをオーダー、すぐ来たのには驚いた。
 何度も空想の中で食したように唐辛子とショウガを乗せ、タマネギを摘む。
甘い、肉に箸を延ばす、食えない。
 そう、食えなかったのだ。猛烈な罪悪感に負け、母の白い目の下に肉を母の
丼に移し、屈辱感に負けながらツユの染みたご飯を食べた。癪に障ることに 
これがまた非常においしかったのだ。
 帰りの車内、からかう家族に「ツユの染みたご飯はうまかった」と僕はきっ
ぱりと言った。泣きそうになったのはからかわれたからというより、三日間も
煩悶した恋人に裏切られたからの方が大であろう。肉嫌いを克服するにはまだ
日時が必要だった。
 今? 今はもう積極的に牛丼屋に通っている。
 松屋の290円? あれは非常に助かったりもしている。恋人は最後に振り
返ってくれるようだ。一般人には信じられないことらしいが、僕はカノジョ
(これは比喩ではなく本物の人間)を牛丼屋につれていったことがある。
 勿論その時は、懐かしのツユタクで(ツユの染みたご飯はうまかったァ)。

鰻重
                    お見合いの恐ろしくなる光景

 食に関しては結構クールだ。
 そりゃ我が家だって、日本の誇る中産階級の一員であるからしてフランス料
理のフルコース一人二万円也を食べたからって、残りの一月を麦と水で凌がね
ばならない、」なんてことには絶対にならない。庶民には高嶺の花の松茸が一
本三万円だって買って買えないことはない。ただ、他の家がそうであるように
そんな馬鹿げたことはしようとは思わないだけだ。
 ある種健全な思想であると言っていいだろう。
 僕はとりあえずマザコンではないつもりだが、母や他の家族の料理(我が家
で料理をしないのは僕だけである)にも満足している。注釈すると別に我が家
に料理関係の職や資格を持っている者はいないが。
 ともあれそんな僕だから、今まで二番目に高い食事は解ってる限りで成人式
のときの同窓会6500円。続いて高校のテーブルマナー5000円。大学の
年末総会4500円。
 こんな感じである。
 で、1位は何かというと1万円の鰻重である。家族は1円も出していないが。
 すべては母親の強運のなせる技でゲットした高級ホテルの割烹御食事券だ。
喜び勇んで家族でホテルに乗り込んだ。なんか政治家や悪党が密談をしそうな
豪勢な八畳間に通された。客は当たり前ながらうちらだけ。真っ青な畳や豪華
絢爛なる襖、入口のところに鎮座ましますはキリッと和服を着こなした妙齢の
仲居さん。
 注文してからこれがやたらと待つ。張りつめた雰囲気に馬鹿話をするわけに
もいかず、仲居さんの気高い雰囲気になんか怒られてるような気さえする。
40分くらいで料理が出そろい、食べ始めたのだが何せ仲居さんともう一人の
女中さんに見守られながらの食事は非常に重々しいものだった。確かに食事は
おいしいものだったが、僕は気分が重く何故だが小学校三年生の頃の食事中に
一言でも発すると怒り出す担任の給食を思い出していた。
 食後、僕はホテルを出て、盛大にゲップをした。
 母親をはじめ、誰も何も言わなかった。
 テレビではないが、目隠しをして食べ比べて差が確実に解る人というのは、
そうはいないと思う。そう考えると、周囲の自称グルメも、案外僕を馬鹿にで
きないと思うんだけどねえ。
江戸前寿司
                             「タマゴ」「イカ」「タコ」

 いやー、マイライン導入による電話会社の熾烈な競争、いいですねえ。各社
懸命にCM合戦をしていること。どれも面白いCMを打っているんだけれども、
その中で僕が好きなのはNTTの寿司屋編だね。あの上司と部下がカウンター
に並んでいる奴。
 このCM、僕は出だしの上司の一言で笑いました。こういうものです。

「なんでも好きなもの食べていいよ、俺タマゴ」

 CMはその後部下が「トロ」とか「ウニ」とか高いネタを指名する度に部長
の顔がひきつり、部下がメニューに迷うという話になります。オチは「迷わず
NTT」というもの。
 ここで僕が受けたのはこの「タマゴ」の一言ね。
 僕も実はそうなんです。寿司の中で好きなのは「タマゴ」「イカ」「タコ」
「アナゴ」などの安物です。間違っても「トロ」や「イクラ」や「ウニ」など
は食べません。
 これは貧乏と云うより、味覚がグローバルスタンダード(?)なので「生魚
なんて食えない」という理由によります。だから当然刺身も食えません。
 特にトロなんてそうなんだけど、あの真っ赤な生魚、食えるその度胸は凄ま
じいモノがあると思うね。だってこれが人間ならどこかの肉をえぐり取って、
血抜きしてぽんと出されるもんでしょ? そういう連想働かせる僕ってやっぱ
変かなあ?
 ともあれ困るのは将来参加するであろう宴会でね。高い参加費払ってメイン
ディッシュである山盛りの刺身が食えないなんて勿体ないよなあ。回転寿司に
行くときは助かるこの貧乏性も、ワリカンになると弱くなってしまう。
 友人に寿司屋の大将候補生がいるから、稽古つけて貰おうかな?
すきやき
                                     ファイアーストーム

 すきやきに関しては熱い思い出がある。
 あれは高校の修学旅行のことだから確か11月初頭のことだったと思う。
いくら南国九州にいるとはいえ、寒くなる季節である。幸いその日は暑かった
が、僕らはちゃんと詰め襟のホックをしめ、学校の名誉を九州人に見せつけた。
 その最終日福岡最後の昼食、僕らのバスはドライブインに乗り付けた。総勢
400人の胃を満たす食い物がそこに用意されているのだ。
 僕らはバスを降りると、土産物屋の間を縫って、食堂へと向かった。
 そのドライブインはどうも安っぽい、鉄筋を支柱に鉄板を巻いたようなプレ
ハブみたいなところで、もろに西日のはいるところだった。修学旅行生などに
飯を食わせるぐらいだから、その机も大衆食堂でさえお目にかかれないような
会議机に毛の生えたようなモノだった。
 さて、メニューはよく覚えていないのだが、「すきやき」があったのは鮮明
に覚えている。これがその後のアウシュビッツ的地獄絵図を起こすからだ。
 この「すきやき」というのは居酒屋にある奴と同じである。一人一鉢、肉と
野菜がタレに浸された皿が三脚のようなモノの上に置いてあり、その下に固形
燃料が備え付けられている。
 食事時になると従業員が燃料に点火して回り、アツアツのまま食べさせる、
という趣向である。
 さて地獄とは他でもない、外壁である鉄板によって密閉された部屋。しかも
閉じられた窓からは西日がさんさんと射してくる。狭いところに制服を着た人
が400人も集まり、そこに400本の固形燃料に一斉に火をつけたとしたら
・・・どうなるだろうか?
 いや、ひどい食事だったよ。
 すきやきは割と食べられる料理なのだが、このときのように汗をかきながら
死の予感にとりつかれ、飯を食べた事なんて以後はない。まさしく餓鬼道地獄
絵図、という感じだった。
 なんとか食べ終え、当時は九州限定発売だった乳飲料「愛のスコール」を、
一気のみしたとき、僕は確かに「愛」を感じた。

肉じゃが
味噌汁
             エリートの彼が作った味噌汁は黄土色

 味噌汁に関しては色々思い出もある。
 一日のみ忘れたばかりに死んだ大男の昔話を読んで怯え、毎食2杯づつも 
飲んだこと。農家である友人の家で自家製の野菜の具を御馳走になって中に米
粒より小さな虫がたくさんいたこと。十袋百円の味噌汁の素が大好きで夜中に
よく作って飲んでいることなどあるが、やはり書きたいのは高校三年の家庭科
のことだろう。
 高校も三年になるとカリキュラムはすっかり受験を意識したものに変わって
いた。国立コースの人間はそれこそ毎日勉強だったが、私立コースは科目が少
ない分、週に二時間の選択時間が与えられていた。僕が家庭科を選んだ理由は
簡単で食費が浮き、とりあえずは他の科目よりはソツなくでき、楽だし、なに
よりおいしいものが食べられるからだった。
 他の連中もそんな感じの理由で参加しており、偶然にも僕の班は全員近しい
気のいい連中ばかりだった。勉強だらけの日課の中できわめて有効な息抜きの
場であっただろう。
 そんなメンバーの中で一人、とにかく優秀なメンバーがいた。
 彼は「当時の」僕の相棒格で部活も一緒の仲のいい奴だった。まあ言ってし
まえば万能人という奴で、運動こそやや劣ったようだが、それ以外、殊に勉強
関係では学校でもトップクラスだった。同学年で彼ほど高い大学に行った奴を
僕は知らない。なんせ私立理系コースにいながら私立文系コースの僕より文系
科目ができるってのはまあ凄いことだ。
 家柄、頭脳、性格に人脈、すべてにおいて優れた奴だった。おそらく相棒で
なければ蹴りの一つでもくれたくなるような奴だが、蹴ったことはない。彼の
魅力に内包されているのだ。
 なんでそんな奴が僕と仲がよかったのかは知らない。未だに謎である。
 んで、その万能人の彼がやらかした僕の知るたぶん唯一のミスがこの味噌汁
である。溶き卵の味噌汁、これは沸騰してから入れるのだがこれを逆にやって
しまった。
 するとどうなるか、コーンスープの色のとろとろな味噌汁ができるのである。
沸騰してももう戻らない。ああ、結局彼のため僕は飲んださ。まるでインドの
王族に恥を掻かせぬため、貴族がフィンガーボールの水を飲んだように!  
かつて僕のミスった料理もみんな食べたわけだしね。
 しかしあれはなんとも形容しがたい味であった。好物に属する味噌汁がつら
かったのはコレと、前述の虫入り味噌汁くらいのものだ。
 彼は誰もがそう思ったように名前を聞けば誰でも知ってる某超大物の国立大
学に入った。まあ、おそらくは順当に一流の研究所なり企業に入るのだろう。
無謬を誇る彼に周囲の人々はきっと驚くに違いない。その時きっと彼は笑って
黄色い味噌汁の話をするだろう。
 たぶん、あの家庭科の時間見せた微苦笑を浮かべて、きっと。

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