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カレーライス
              カレー中毒者更正記

 アルコールにも麻薬にも中毒になったことはないが、カレー中毒だったこと
はある。まだ小学生だったときの話だ。もちろん今だってカレーは好物の一つ
だし「甘口は邪道」という戒律も守っているが、当時ほど偏執的に追い求める
ことはしなくなった。
 なにしろパンと来ればカレー、うどんと来ればカレーうどん、レストランに
入ればそこが蕎麦屋だろうとラーメン屋だろうとメニューに載っている限りは
それを取り寄せさせる始末。駄菓子だってカップヌードルだって当然カレー味
である。
 こうカレーばかり食べていた割にはあんまり味にはこだわらなかった。世の
カレーマニアどもが口にするスパイスの分析はもとより、ルーのブランドにも
一切こだわらなかった。小学生という身分もあるだろうけど、性格が元々面倒
くさがりやなのである。おまけに現代人の特徴と言うべきか味覚貧民だったと
いうことも影響している。
 さて、そういうカレーだけ食べてれば幸せだった僕。それが高じてなにかの
慶事で家族がちょっと高価な食事をしているときでさえもレトルトのカレーを
喜々としてほおばっている僕を見て、流石に母も不憫に思ったのだろう。ある
時知る人ぞ知るカレーの名店に連れていってくれたことがあった。
 上野にあるその名店は(後に知ることになるが)風俗街近くにある屋台に毛
の生えた程度の店で、客層はおそらく地理的に言っても風俗関係者であろうが
東南アジア系のやたら派手な女性が多かった。
 僕はその時、「本場インドの人も集まるとは、随分すごい店なんだなあ」と
一種聖地に辿り着いた巡礼者のように涙ぐむほど感動した。熱暑の日に行った
のだが、ドアというドアを開けっ放しにして、細い路地にもテーブルを出し、
天井にフライファンがあったのが印象的だった。
 どきどきしながら注文の品を待つ。来た、家や給食で見る焦茶色ではなく黄
色に近い色である。「はあ、やっぱ本場は違うのう」などと思いつつ、豪快に
一口食べる。
 ん? と思った。この「ん?」は料理番組のリポーターのやるそれと基本的
に同意である。但し、この後が違う。はっきり言ってこのカレーはどうしよう
もないほどまずかったのだ。辛いのとも明らかに違う。純然たるまずさなので
ある。僕は大変ビックリした、何故ってここのカレーはおいしくなければなら
ないからだ。自分の舌を騙し騙しスプーンを運んだ。
 結論、まずい。
 母の皿を見ると、好き嫌いを一切許さずまた忠実にそれを履行してきた母が
半分を残して皿を睨んでいる。僕は「ここは本場のカレーで、だから日本人の
僕らにはあわないんだ」と結論づけ、食券制なことをいいことに逃げるように
店を出た。
 そんなことがあって以来、当然の如くカレー熱は冷め、ただ「本場だからと
いってうまいとは限らない」という観念だけを残し、「本場の味」という手垢
の付いたフレーズに徹底的な懐疑と嫌悪を抱かせた。
 ところが、それから何年も経って高校大学と進むと当時ではいけなかったと
ころにもいけるようになる。ファミレスよりはちょっと高価な店や専門店と名
の作るところ、確かにインド人が経営する店にも行った。
 それらの味は共通して上野の専門店とは違う味だった。
 どちらが正しいのか、インド旅行でもしない限り知る由もないのだが、ただ
あの悪夢のような屋台で食べた黄色いカレーの味はトラウマとして亡霊のよう
に深く僕の心に刻まれており、どこかでカレーを口にする度、僕の心に蘇って
くるのである。

ピラフ
                                  涙という名の隠し味

 泣いた後のゴハンはうまい! そう思う。
 親や教師に叱られて、喧嘩に負けて、好きな番組が終了して、泣く要因が 
たくさんあった当時、この経験はよくした。アニメの主題歌で「泣いたあとの
ゴハンはとてもおいしくない」てな歌詞があり、大いに激昂した覚えがある。
 そのことを痛感したのは、幼少のみぎりに母の教習所について行ったときだ。
 いつもは隣家の友人宅に預けられていたのだが、その日は一家で留守なのか
一緒に教習所に連れて行かれた。一冊のキンダーブックを渡されて待っていろ
とは云われたが子供が待っていられるわけはない。
 なんとテケテケとコースの方へ歩いていったのだ。
 まあ当然として教習員にとっつかまって怒られるわけだ。女の事務員に引き
渡されたが子供らしくぴーぴー泣き喚くわけだ。
 やがて母が規定を終えてやってくる。これで教習員が母に怒鳴りついたら、
哀れ僕はPTSD起こすぐらいぶっ飛ばされるのだが、事務員は丁寧に諭して
くれたのだろう。母は僕に詫びると教習所付属の食堂に連れていき、ピラフを
食べさせてくれた。
 そのおいしいこと! 泣き疲れて横隔膜がぜいぜい云っているときに食べた
あの味! 悲しみも忘れ、母に「泣いたカラスがもう笑った」と冷やかされな
がらも必死で食べた。こんなおいしい食べ物がこの世にあるかと思いながら、
ある種の食欲以外の快感を感じながら食べ続けた。
 「ピラフ」という食事はその後カレーライスよりおいしい唯一の料理として記憶
に残っていた。当時は冷凍食品もあまりなかったし、外食にも行かない家だと
食べる機会もなかったのだ。その幻想が拡大していってイメージは膨らんで
いったのだろう。
 その後何度かピラフを食べることがあったが、どれも「これは違うぞ」と思って
いた。
 結局、僕のピラフの幻想は、ログハウスのような薄暗い食堂で鼻をすすりな
がら食べたあの一皿につきている。今では冷凍食品としてお世話になっている
ピラフを食べながら「うん、これは本物じゃない」などと太古の美化された思い出
に浸りながらせっせとスプーンを運んでいる。

スパゲティー
ハンバーグ
                                         ハンバーグ雑記

 生まれてから肉の食えない時代が長く続いていたが、ハンバーグは何故か 
随分前から食べられた。と、いうのはこの肉嫌いが「動物を殺して食べている」
という原罪意識に立脚しているからであり、ハンバーグは肉と云うより「一個
の工業製品」と割り切って食べていたからだと思う。
 ステーキや焼き肉なんかとは全然歯触りが違うでしょ? また「赤」から 
遠い色をしていたのもよかったのだろう。これにはミミちゃん印のマルシン 
ハンバーグが大きく貢献した。
 よってハンバーグは好物として永らく君臨していた。ファミレスでは最低額
の料理がこれであることも手伝って、大学進学以降、仲間とファミレスに入る
ときは大抵ハンバーグに類する物を注文している。どこにでもあるし、カレー
とは異なりハズシが少ないし、食い散らかす心配も少ないからだ。
 このハンバーグ、しかし随分全体的に値が下がった物だ。僕の行くところで
は五〇〇円出せば食べられる。格安と歌われた牛丼級である。場所によっては
ライスやスープがついてこの値段だったりする。もちろんこれは昼間のことで
あるが、同じ物が夜になると1500円以上になるのは閉口するが。まあ、 
それも世の理だろう。
 そうそう僕のハンバーグ好きの理由として補足することがある。
 雑巾並と称されしこの舌の故かも知れないが、つけあわせがとてもおいしい
のだ。連れが残すことがあるが、頂戴願うくらい好きだ。具体的にはいんげん
とニンジンのグラッセ、それにポテトがついているものだが、これが下手を 
するとハンバーグ本体よりも好きだ。そんなに原価もかからないしつけあわせ
食べ放題の店なんてないだろうか?
 とりとめのない話に終始したが、これが僕とハンバーグに関することだ。
ハンバーガー
                    ハンバーガーに熱狂した頃

 ここで断るが、この欄
の話はマックに限定している。最近でこそ人並みだが、
赤貧時代が長く、自腹では一食に300円を越せなかった時期が長いのだ。
 信じられないことだが、僕が生まれて初めてハンバーガーを食べたのは小学
校五年生のことだった。勿論僕の生まれた街にもマクドナルドはあった。当時
は2店舗しかなかったが、今では知ってる限りで8店舗あるが。
 食べたことのない理由は簡単で、恐ろしい食べ物という意識があったからだ。
最近はあまり見なくなったが、ドナルドを筆頭とするマクドナルド一味は販売
促進に供しているとは僕にはとて
も思えない。あのピエロもどきのドナルドや
何故か覆面に囚人服姿のハンバグラーや、極彩色の不気味な空飛ぶ生物など、
どれをとっても悪魔の使いとしか思えなかった。
 特にドナルド! ありゃ夢に出てくるほど恐ろしかった。CMで彼が指から
光を出すとハンバーガーが出てきて、子供と一緒に食べるというのがあったが、
僕はその子供の剛胆さに敬意を表したものだ。ミミズ肉やネズミの肉だという
フォークロアもマトモに信じていた頃であり、恐ろしい食べ物だという意識は
強く残っていた(これは噂の変形版だがチキンナゲットの皮はミミズから成分
を抽出しているというのもあって、これを伝えたのは当時の担任だった!)。
 まあ僕がその年になるまで食べたことがなかったのは、他に体に悪いという
話から母が買わなかったことやそもそも食べる必然性がなかったこと、経済的
な理由(当時は高かった。39セットなどが出始めた頃である)、店舗が近所
になかったことがあるがある。
 すでにハンバーグは食べられたから(ナゲットはだめだったが)食べられる
であろうことはわかっていた。
 小学校の給食の話題で何気ないことからカミングアウトして、実は未食者が
僕だけであることを知り、大いに狼狽した。流行などに乗ることは当に放棄し
ていたが、常識に振り落とされるのは嫌だった。かといって母に頼んで買って
きてもらえる食品とも思えない。
 結局、何の手も打てなかったが、幸運は向こうからやってきた。
 友達の家で遊んできたら、家族がお昼ご飯にもってきてくれたのだ。先方は
「簡単でごめんねえ」といってたが、僕に云わせれば食べられない寿司なんか
を出されるよりはよっぽどいい。チーズバーガーだったけど、おいしかったね。
そしてその後、食べられなかったのはつらかった。
 叶えられない夢ならば見せられない方がいい。世間では一般に否定される 
このテーゼがどうしても僕は真理に思えてしまう。ハンバーガーの一つで馬鹿
馬鹿しいことだが、悩み少なき当時はつらかった。
 中学のとき、バリューセットが開始され、手頃に口に入るようになっていた。
ハンバーガーは仲間との外食の象徴になっていた。そして100円バーガーが
期間限定で始まった。これの意味することは大きく、この時期が来る度に百円
引きの吉野屋の如く、暇と金があれば食いあさった。コンプレックスを跳ね返
すように。
 そして大学に入って65円が恒常化。いつしか僕の足はマックから遠のいた。
小五の初食のとき鍵っ子だった友達が「慣れちゃえば食べたくなくなるよ」と
云っていた。僕はあまりに急に食べ過ぎたのだろうか? アダムとイブの子孫
である僕らがリンゴだけでは満足できないのと同様に、僕もハンバーガーでは
とても満足できない。

サンドイッチ
                          雪中の貧乏な伯爵達

 サンドイッチと云えば語源はサンドウイッチ伯爵なんだよなあ。英語の教科
書でそのことが書かれた章でつまづいて、以後全く英語がわからなくなって 
しまった身としては妙に恨めしい物がある。
 ま、それはともかく。
 これからするのは大学のクソ真面目集団である我らが「OGAWA'S PARTY」が
スキーに云った時の話だ。
 スキー場というのは金持ちのアソビ人の馬鹿どもが集う末期資本主義的退廃
がモロに出ているところであり(新左翼みたいな物言いだ)この三点キーワード
が当てはまる大学生という人種が大挙して現れるところである。我々も大学生
には違いないが金持ちとアソビ人と云うところが根本的に違う。
 そういう連中は旅行会社が用意したメニューにガンガン追加注文をかけ、カニ
は出るはすき焼きは出るわ、ビール乱れ飛ぶはの大騒ぎ、対するこっちは量も
少なく冷えた飯をぼそぼそ食うのみ。「この資本家の豚どもめ、労働者階級の
恨みを知れ」とストックで刺してやりたくなるぐらいの怒りを感じた。
 当然我々も人間であるからして腹は減る。といって孤立したスキー場、旅館
でやたら高くて量の少ない飯を食う気はしない。と、云うわけで少々歩いて、
最寄りのコンビニ「ヤマザキデイリーストア」に向かうことにした。
 八甲田山的苦難の果てにコンビニに着く。
 コンビニは全国統一価格と思っているキミ、それは間違っている。
 やはり観光地料金と云うべきかコンビニでさえ高いのである。カップメンを
一つ買うのにもそれなりの料金がかかる、ポテチもジュースも然りである。
 しかし・・・さすがは山崎製パンの関連会社。
 パンの価格は同じだったのである。
 ここぞとばかりにパンを買い込む僕。僕は料金節約のため、高カロリーの
「ツナサンドイッチ」二〇〇円也を毎食食べた。
 そういうわけで大学前のデイリーストアで同価格のそれを食べるたび、
日焼け止めクリームの匂いや、アホ学生の嬌声、食堂での屈辱感、雪の中
を踏破したことなどがしみじみと思い出される。

ホットドッグ
                          映画とホットドッグ

 今や懐かしのマイケル・J・フォックス主演の「ハードウエイ」を見ていたらある
1シーンで猛烈にホットドッグが食べたくなってきた。
 粗筋を詳述することはさけるがこんなシーンのことである。
 映画スターが役を作るために本物の刑事とコンビを組みパトロールをしている
最中、スラム街のホットドッグスタンドで刑事が昼食を採る。貧しそうな老黒人が
ホットドッグとポテトを包みケチャップやマスタードをふんだんにかけて差し出す。
その値段もまた廉価で刑事がおいしそうに食べるんだ。映画スターは料理を
見て一口は食べるものの「こんな体に悪いものが食えるか」と刑事が後ろを
向いた好きに投げ捨ててしまう。
 「なんと勿体ない」と僕は思った。正直「ラストアクションヒーロー」の如く映画の
中に入れるのなら、拾い食いの禁を破って食べたいくらいだ。別に僕はマイケル
のファンではないが。
 ホットドッグというのは野球などと連想しやすく、またなかなか象徴的なの
か映画(これは殆どハリウッド映画なのだが)でも色々と登場する。大抵は今
書いたように屋台「ホットドッグスタンド」という奴だ。屋台的なものが割と好き
なのだが、ここではバーガーショップがその代用を果たしていると言えるだろう。
しかしなんでマクドナルドはあれをホットドッグと認めないかねえ。モスバーガー
のライスバーガーがどう見てもおにぎりなのと同様、この業界、なかなか頑固
である。
 さて、ホットドッグの食べたくなる映画を一つ紹介したから、逆に食べたく
なくなる映画も紹介しよう。
 「裸のガンを持つ男」(あ、1ね)
 こんなことで、と知っている人は呆れると思うが、事実僕はこの映画を見た
後は当分ソーセージ系のものが食べられなかった。泉麻人・著「B級ニュース
図鑑」を見るとこの国内でもそんなニュースも出てきているしね


ピザ
                     あるピザ屋での挫折体験

 高校の後輩が大学に遊びに来てくれというのでわざわざ巣鴨まで出張ること
にした。
 彼の用事につきあって、その後池袋をぶらつき昼食の段になったとき、彼が
「**にでも行きますか、ピザ食べ放題の」と言った。別に店名を隠す必要も
ないのだが、まあ伏せ字にしておく。解る人は解るから。
 僕は原則中高生のガキが集まるうるさい飯屋には行かないのだ。この時も
そうしたが**に行かない理由はもう一つある。実はこの系列の店には中学
生の頃、修学旅行の自由行動日に行って懲りているのだ。
 中学生のくせに変にひねていた僕らは「地方名物って言ったって、高いだけ。
地元でも食える」と達観して、地元名物は学校指定のホテルの夕食で済まし、
昼は専ら低燃費高カロリーを目指していたのである。そんな僕らにこの**は
食べ放題で値段も廉価と渡りに船だった。
 さて、確かにここは安かったが、見ると妙にジュースの値段が高い。ピザ代
の半分くらいジュースの一杯にかかっている。グループ内で一番頭の良かった
奴がピザをひっくり返して曰く「ああこりゃ酷い。香辛料をふんだんに使って、
タバスコの使用を張り紙で推奨し、喉渇かせてジュースを頼ませる気だ」と、
するどい分析をかました。確かにピザもパスタも味の濃いものばかりだった。
 彼は「外で110円のジュースを飲む」と宣言し、黙々と食べ始めた。僕は
その時、限界量の少ない胃弱のくせにケチな特性を活かしてピザを詰め込んで
いる最中、この一言は大いに効いた。
 面白いもので初めは結構「珍品じゃわい」と喜んで食べていたのだが、後の
方は仇とばかりに食べることになる。仲間は段々ジュースの魅力にあがなえず
脱落していった。指摘した男はジュースを飲まず、鉄の意志でピザを誰よりも
食べ続けた。
 僕は元来、ピザのような脂っこいものに耐性がないし、限界いっぱいだった
のだが、ケチの精神で腹に詰め込んだ。そして喉の痛みに耐えかね、ジュース
に堕落した。
 僕はこの旅行のレポート提出要因だったのだが、このピザのピース数を丁寧
に記録している。それによるとこの指摘した男は20ピースを片づけたとある。
結局ジュースは飲まず、外でアクエリアスの500缶を数秒で干した。この男
は現在東大にいるとかいないとか? 次点の男は18ピースでやはりジュース
は飲まなかった。この男は慶応にいる。
 僕? 僕は堕落しながら15ピースで青息吐息。
 しかもその夜が悲惨だった。トイレは殆ど僕の貸し切りで、あんまりひどい
有様なので部屋のトイレではなくフロント脇のトイレにこもってふるえ続けた
ぐらいだ。異境の狭い個室に籠もって脂汗を流し続けながら「この腹痛を止め
てくれたら一生僕は**には行きません」と誓いを立てた。
 別に**は全然悪くない。悪いのは全面的に僕なのにも関わらず、この**
にはジュースを頼んでしまった挫折感や腹痛の屈辱感、無理して食べた気持ち
悪さ。そして吐瀉物は本当にピザそっくりだ、という感慨が頭から離れないの
である。
グラタン
グリーンサラダ
                  二時間遅れのサラダと無銭飲食

 本日、僕は大変貴重な経験をしたのでそのことを報告する。
 先輩に連れられて行った、最近隆盛を誇るイタリアンレストラン「S」での
話である。とある賭けに勝利した僕は彼に奢ってもらえることになったのだ。
 彼は「カレー風のピラフ」と「わかめサラダ」を、僕は「カルボナーラ」を頼んだ。
Kという名札をつけたそのウエイトレスは復唱することなくスタスタ戻っていった。
 しばし経って別のウエイトレスがピラフとスパゲティーが届ける。
 と、彼女「御注文は以上でしょうか?」と決めのフレーズをつけた。先輩は
怪訝な顔で「サラダがまだなんですけど?」といった。彼女はウエイトレスは
みんな持ってる小型のコンピューターの液晶を見ると、「はあ」と正社員なら
絶対やらない態度をとった。先輩は寛大なので怒らず「ならいいです」と話を
締めた。彼女は二食分の請求書をスタンドに挟んで去った。
 「先輩はやさしいですねえ。僕なら店長呼ばせますよ」と言うと、先輩は「彼女
は注文の人と違うからね」とクールに云った。
 僕らは20分で食べ終わると2時間ほどジュースバーで粘り、楽しく歓談して
いた。店は八分混みと言ったところだったが、不思議なことに誰も僕らの空いた
食器を片づけようとはしなかった。
 と、入店から二時間もして帰ろうかと云うときにさっきの料理を持ってきた方の
女の子がサラダを持ってやってきた。
「わかめサラダです」
 何事もなかったようにそれを置くと、追加伝票も持たずにまたスタスタと戻って
いった。
 僕も先輩も目が点になった。サラダは四種類あり、持ってきた彼女には特定
しなかったというのに、注文通り「わかめサラダ」を持ってきた。一体なにがどう
なっているのか解らない。
 先輩はまあ注文した品だし、食べた。
 そしてピラフとスパゲティーのみが書かれた伝票を持って(ジュースバーは
申告制)レジにいった。レジでは二品とジュース代しか請求しなかった。
 店を出た僕らは「無銭飲食に何のか?」「請求しなかったからいいんじゃん」
と勝手気ままに論じあった。

 これが一体何なのか。僕が思うに店側は僕らが二時間も粘っていたのは闇に
消えたサラダを待ってのことだと思ったのだろう。一人ウエイトレスに知った
顔があったのでウエイトレスの方をよく見ていたのを、ウエイター側が睨んで
いるのだと解釈したのかも知れない。
 遅れてやってきたそのサラダには御丁寧に二つの皿がついていたのだ。
 
コーンスープ

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