レトランゼ・ビアホール

コーラ

僕とコーラの関係

 幼い頃からコーラは大好きな飲み物だ。  初めて飲んだのは親戚の家で、オバサンがグラスに注いでくれた。そのシューシュー泡の出る黒い液体にまず吃驚し、そしてその口の痛くなるような弾けた味に二度吃驚した。
 けれども僕のコーラ人生はここで一旦暗黒の時代に包まれる。母親がどこぞの週刊誌か健康本か教育本に唆されて、コーラの禁止令を出したのである。
 確かにあまりコーラはそういう健康を考えるものには人気のない飲み物で、ハンバーガーやスナック菓子と並んで、ジャンクフードの代表作と酷評されている。母は僕になんの根拠か「骨がスカスカになる」「頭がはげる」「精神障害を起こしやすい」と云った。おそらくそう書いた本があったのだろう。
 だからこの当時、僕がコーラを飲めるのは友人の家と剣道教室の帰りに父が奢ってくれるものだけだった(父は今に至るまでコーラ好きである。ひょっとしたら遺伝なのかもしれない)。親戚宅では母が丁重に遠慮するのである。
 よって僕がコーラを飲めるのは中学校に入ってから、サマー缶と称して500ミリ缶が110円で自販機に並ぶ頃からである。
 僕の好きなコーラの銘柄はコカのダイエットボトル、これは学食にある関係で一日に一本は必ず干している。ペプシも好きなのだが(景品がつくときは裏切ったりもする)やはりコカ派。おそらく味比べも出来ると思う。
 そして特に気に入ってるのはビン入りコーラである。
 あれは女性の体を模した作りらしいが、それはともかく冷蔵庫から水滴のついたビンのコーラを取り出し、栓抜きであけてクイと飲む。これぞ幸せというものである。
 最近ビンが復刻しつつあるが、寿司屋や銘店ではコーラは今でもビンであるし、CMだって使うのはビンである。10円高くてもいいから、たまにはビンのコーラが飲みたいものである。
Dr.ペッパー

科学の味は毀誉褒貶

 Drペッパーというジュースほど「嫌い」と断言する人が多い物はないだろう。これほど批判されるジュースは聞いたことがない。それでもこれだけの期間を生き続けたロングセラー商品であることを考えると、僕のような支持者が多いのだろう。
 そう、僕はDrペッパー、好きだよ。
 いや確かに「何はなくとも」というほど好きではないが、出されたら最後まで無理せずに飲める。そういう意味での好きである。 まあ、こういうのは「嫌いでない」というのが正しいんだろうが、ここまで否定派が多いと相対的に好きということになるのだろう。
 ともあれ僕もあのジュースが敬遠される訳はなんとなくわかる。
 わざわざ「*種類の果汁のフレーバー」と銘打ってはいるが、 とても果汁から出来たとは思えない濃密な味に、他のいかなる食品とも似つかない香料。それが「Dr」という科学を思わせる名称とマッチして「科学の味」というイメージを作っているのだろう。
 事実、マズイといっている人や飲んだことない人に飲ませると、大抵「薬のような味」とか「化粧品のような味」と答える。普通はあんな味の薬やまして化粧品など舐めたこともないのだが、感覚としてわかる味である。
 ところで案外知られていないが、この「Drペッパー」はコークやアクエリアスや爽健美茶やファンタと同様、500ミリ缶が出ていたことがある。
 僕は仲間と一緒に大学から帰る折に一本干したのだが、その時の周りの冷めた顔! 少数派はいつも悲哀を味あわされる。
スプライト

スプライト・ボーイ

 母の強運に助けられ、ハワイに行ったことがある。
 しかも往復の飛行機はエグゼクティブクラスである。ファーストには及ばぬもののエコノミーに比べれば比にならぬ快適である。これは体験者は語るという奴である。
 さてそこで僕は母親から「ジュース飲み放題よ」といわれ、目の色を変えた。ここらへんいい年こいたオヤジが、ここぞとばかりに高い酒を要求するのに似ている。
 さて、その航空会社は外資系だったためにエグゼクティブといえどもみんな添乗員は白人で、信じられない話だが日本語は喋れないらしい。僕は仕方なく英検4級の腕を駆使して、ジョアンという名のスチュワートに「ドリンク、プリース」と云った。
 彼は英語をゴニャゴニャいうが、ちっとも解らない。母が「何がいいか、って言ってるわよ」と助け舟を出してくる。僕はそこまで考えていなかったので、母の卓上にあるコップを指差した。
 と、彼は「オウ、スプライト」と云ってスプライトを持ってきた。
 その後は僕は調子に乗ってスプライトをがぶがぶ飲んだ。母も旅の空では何も言わなかった。僕は餓鬼のようにおつまみの豆や菓子をくらい、ジョアンを見つけてはスプライトを頼んだ。他にどんなジュースがあるか知らなかったし、また面倒だったからだ。
 ジョアンは忠実に「黄色い無作法なガキ」のいう通りスプライトを運び続け、最後は呆れたように「スプライトボーイ、スプライトヒアー」と云った。母が失笑し、その後僕は「スプライトボーイ」と呼ばれるようになった。
 異国の地、異国の飲料、異国の名。
 僕はトイレにちょこちょこ通いながら来るべきハワイの地に胸を膨らませていた。
オレンジJ

太陽の果実

 勿論、ジュースで好きなのは100%果汁である。
 小学生の頃は「甘くない」という理由で30%以下のジュースを嬉々として飲んでいたのであるが、今やそれではとても満足しきれない。だから僕は頑固にジュースは紙パック派である。紙パックに入っている500ミリ百円のジュースは殆ど100%である。別に理由はないが農協果汁のジュースには好感を持っている。
 保存関係の都合だろうが、缶やペットボトルではミニッツメイドなどの一部を除いてないようだ。勢い紙パックの需要は百円という経済的理由もあって高くなる。
 ちなみに無果汁というのは論外である。僕がファンタを全く飲まないのはそういう理由である。果汁が少しも入っていないのにその味がするなんて気持ちが悪いと思う。別に無害だし、そのくらいの小技を使った商品は日常的に口にしているとはいえ、生理的に受け付けない。
 そういうわけで、僕は昼食に公園でパンなどぱくつくときは一緒に紙パックの100%のオレンジジュースを買うようにしている。別に健康に留意した生活を送っているわけでもないのだが、やはり太陽の下、森林に囲まれたオレンジジュースはとてもおいしい。
アップルJ

生命の木の実

 オレンジジュースは好きだ。ジュースの王道だと思っている。
 オレンジに限らず柑橘系のジュースはどれも好きだ。苦味のあるグレープフルーツも好きだし、少々外れるかもしれないがパインの甘いジュースもなんともいえない味わいがある。
 ジュースといえば人が思いつくのはオレンジかアップルだろう。僕は通常「りんごジュース」というのだが、先日そう呼んだら馬鹿にされたので、「アップルジュース」ということにしておく。
 さてオレンジには及ばないが、僕はアップルジュースも大好きである。特に喉がからからに干上がったときなどは、オレンジの酸味がきつく、どうしても喉に優しいアップルジュースに手が伸びる多少の糖味もまた甘露、である。
 僕のアップルジュース原体験とでもいえそうなものは病弱だった幼少期、高熱を出すたびに母が出してくれた「すりおろしリンゴ」だろうか。製法も何もないただリンゴを剥いてすりおろしただけのものだがこれが焼け付くように痛む喉にはとても気持ちがいい。体温も40度を超えると食事なんて出来ないので、スプーンで食べるこのリンゴだけが命の種だった。
 リンゴを食べ終わって、皿の底に残った潤沢な果汁、これを一気に飲み込んだとき、僕は自分の生を感じたね。身体に染み渡るってどういうことかが解る。高熱に苛まれた体が喜んで吸収していく。
 リンゴジュース。
 こういう体験をしてしまうと、簡単に手放せるものではない。
 今ではすっかり健康体(体力はないけどね)で、高熱を出すこともなくなったけど、あの奇跡のようなリンゴの味は決して忘れる ことはない。
 それを偲んで、今日もアップルジュースを干そう。
グレープJ

ワインと似て非なるもの

 グレープジュースとは今回、ブドウジュースの方を指している。グレープフルーツについてはオレンジジュースのところで若干言及しています。ジュースらしからぬあの苦さと果糖の甘さが魅力。
 昔、母の勤めていたところは福利厚生の一環か社員の家族全員を集めた野外パーティーを一度催していた。まるで外国映画の一齣のようなパーティーで僕はとても楽しみにしていた。
 システムとしては普通のパーティーがそうであるように飲み放題・食べ放題でありテーブルの上に無造作に並べられた大量の料理を各自が持っていくというものだった。 小学校低学年、多分2年生のときのパーティーの話だ。
 僕は紙皿に山のようになった料理を芝生の上に腰掛けて食べた。子供は数が少ないので、大人たちが勝手に皿の上にいろいろ置いてくれるのだ。当然喉が渇くのだがジュースは取りに行かなくては誰もくれない。僕は汚れた紙皿をゴミ箱に投げると飲み物を探しに行った。
 大人のパーティーなのでお酒が殆どで、ジュースはひとつしかなかった。グレープジュースだ。
 僕はポットを管理しているオジサンに「1つ下さい」と云った。
 オジサンは手早く汲み出すと「高級品だからお母さんにそう云うんだよ」と軽口を叩くと周りの仲間と大笑いをした。
 僕はその場を立ち去ると一口飲んでみた。
 さすが「高級品」、味がいつも飲んでるのとは違う。正直苦くて不味いと思ったが高級品が飲めないなんて恥ずかしいので無理して一杯を干すと、もう一杯貰って母のところへ行った。顔が熱くなり、気持ちも悪くなってきたが、そんなことは億尾にも出さなかった。僕は努めて平常にふるまったが、どうも気持ち悪さは酷くなる一方で、折角の食事も喉を通らない。
 例の「高級グレープ」を飲んでみたが、吐きそうになったので慌てて断念した。母は息子の異変に気がつき、早速「大丈夫?」と訊いた。僕が「なんか気持ち悪い」というと、母は慌てて僕の手のコップを見た。
「あんた、何それ」
「あそこのテントで貰ったの、高級ジュースだって。変な味」
 母は慌ててコップを取ると一口飲んだ。そして……

 僕は当分、グレープを飲むたびに吐き気に襲われた。
メローイエロー

健康至上主義の墓碑銘

 ありがたいことにメローイエローのリクエストを頂きましたので、早速書き連ねようと思っています。城主、ありがとうございます! 皆さんも一杯リクエストしてくださいねえ。
 さて、メローイエロー。知っている人は知っている今は亡き伝説のジュースである。まっ黄色な缶に「MELLOW YELLOW」と赤と緑のフォントでサイケに書かれていた。因みにMELLOWとは「よく熟した」という意味でメロンとは関係ない。
 これは僕が小学校の頃に隆盛を誇ったジュースで、味はなんともいえない感じだった。まず「熟した」から解る通り何らかの果汁を模したつもりなのだろうが実は無果汁。バナナとかメロンとかその元の味は諸説あったが、どれも確約できるほどではなかった。
 要するに、何のジュースだかわからないのである。
 アナーキーな飲みものがあったものだが、これが得体の知れないジュースとして子供達の関心を買っていた。云い忘れたが製造元は天下のコカ・コーラ社で、自販機には必ずありましたよ。
 このジュースが何故なくなったかといえば、僕はコカ社の関係者ではないので真実は知らないが、「体に悪い」と教育関係者の十字砲火を浴びたことが原因と思われる。
 なんといっても合成着色料や保存料の濫発が、家庭科の副読本に暗に載るほど酷かったらしいのだ。これははっきり記憶に残っているのだが、家庭科の授業でメローイエロー(先生は缶を隠しもしなかった)を使い白いハンカチを黄色く染めて見せたのだ。
 多感な子供がこれを見て飲もうと思うだろうか。
 ガリガリくんを食べて染めた舌を見せ合う豪傑達も、流石にこれにはひるんでしまった。僕もその例に漏れずこれを見て以来、わざわざ飲む気にもならずやがて市場から姿を消してしまった。
 ヒステリックな健康至上主義の墓碑銘に刻まれていいジュースであった。
スポーツD

僕のポカリ魂

 ちょっと前にやっていたが、風邪薬のCMにこういうのがある。
 風邪を引いた男の子が、ベットの中でこうのたまう。

  「もっと風邪でいたいなあ、ママが優しくしてくれるから」

 うぐっ、泣けるぜ。僕も実はそうだったのだ。日頃は幼い病弱な僕をいじめる(本人は愛の鞭とか叱咤激励とか云うが)母も風邪を引くと本当にやさしかった。まあ、幼少期の僕の高熱癖は軽く 40度を超える過酷なもので、怒ってショック死されるとマズいと いう配慮もあったろうが(そりゃないか…)。
 さて、風邪を引くと色々特権が与えられ、その中でも嬉しいのはポカリスエットの無制限供与であった。風邪を引いたときは水分を多く取るほうがいいという格言の促進策で、飲み放題である。僕の枕下にはいつも最近は見なくなった750ミリリットルのガラス瓶が置かれていた。
 僕は高熱の夢から覚めると重い頭を起こしてゴクゴクとポカリを飲むのである。大体主食はリンゴおろしで副食がポカリだった。本当に病気が重いと小便も出ないため、これは効果的だった。
 そういう大恩があるから、友人が「味が濃い」だの何だのと迫害をしようと、僕はスポーツドリンクは断固としてポカリスエット派である。アクエリアスのように500ミリ缶だのといって媚びないところがいい。缶の値段を110円のままな所もいい(便乗値上げしている悪徳小売店もあるが)。
 とにかくポカリスエットはおいしいのだ。飲んだという気になる。
 僕は例え海外で暮らすとしても、この「ポカリ・スピリット」を飲むことになるだろう。え? ちょっと違うって? そりゃそうでしょ、  「ポカリの汗」なんて書かれた缶ジュースを外国人が飲むと思いますか?
緑茶

祖母の最後の贈り物

 中学3年のとき、祖母の葬儀は実家にて盛大に行われた。
 ひとつにはそれが田舎の旧家であった点、またもうひとつは80余歳の大往生だったということもあるが、とにかく田舎の老婆の物とは思えない程の規模でした。とはいっても、近時大流行している葬儀屋御用達の結婚式と見まごう不謹慎なまでにケバい式などではなく、喪主が陣頭指揮をとって本当にいい感じのお葬式でした。
 僕は大好きな祖母の死でしたが、通夜の時にすっかり泣ききってしまったので葬儀当日はそれほど取り乱すこともなく作業の手伝いをしていました。これは母の命令で「葬儀当日以外、一切忌引きを理由にした欠席はまかりならん」というのでちゃんと学校に行っていたということがあるかもしれない(ただ学校では何故か授業中に頭の中でボブディランの「JUST LIKE A WOMAN」が流れてきたときはやばかった)。
 ともあれ葬儀開始の数分前、悲しむ暇もないほど接待などで動きまわっていた伯母が「**くんもあとは始まるまでお茶でも飲んでいて」といって座席を空けてくれた。
 僕は渇いた喉に一気にお茶を流し込んだ。
 うまい!
 我が家は緑茶党で一日に2杯は飲むのだが、その僕の味覚からしても実においしく感じられた。旧家の祭事に出されるお茶は名誉をかけて高級品でなければいけないのだ。
 僕は忘れもしない5杯ものお茶を干した。
 やがて坊主がベンツに乗ってやってきて、読経が始まる。
 ここで問題が起こった。お茶には利尿作用があるのである。 ただでさえトイレの近い僕はいてもたってもいられなくなった。かといっても泣きはらす親やその兄弟を押しのけてトイレに行くわけにはいかない。僕は廻ってくる焼香壷がきたときに咽んだ振りをして、なんとか席を立ってトイレに行った。
 冷や汗物の体験であったが、それくらいその茶はうまかった。
 葬式の記念品(?)には幸いにもそのお茶の葉が出てきて、僕は当分おいしいお茶を毎日楽しむことが出来た。
 我が家の仏壇には、祖母の優しそうな遺影と位牌に湯飲みがある。この湯飲みの水を取替るのは基本的に僕の仕事である。
紅茶

レモンティーの誤算

 生まれて初めて自分の金を使ってコンビニに入り、子供だけで物を買ったのは小学校2年生のときである。友達と学校から帰る途中に200円を拾ったのだ。
 処分に困った僕らは「ようし使っちまおう」と結論付けて、そこから2キロほど離れたコンビニへ向かった。当時、僕らはバス通学を義務付けられるほどの遠距離通学だったが歩いて帰るのが何故か流行りだったのだ。遠くのコンビニに云ったのは主に中学生を対象とする補導員の目をごまかすためだ。
 セブンイレブンに入ると、僕らは「安くて量がある」という理由で紙パックジュースを選んだ。100円である。思えば缶ジュースも当時は100円だったし、この当時は消費税もなかったのだ。
 そう考えると紙パックのジュースは1円たりともこの10年間も値上げしていないのだ。偉い。
 それで僕らは二人ともリプトンのレモンティーを選んだ。ここで僕は誤算だったのだがレモネードを買ったつもりで選んだのだ。ティーなんて言葉は田舎の中産階級のガキは知らないのだ。
 だから炎天下、飲んだときの驚きと云ったら。
 あれでさえ「苦い! マズい!」であた。子供の舌は歯磨き粉が使えないくらい敏感である。暑い日だったので僕は味は度外視して涼を取るためだけにストローで吸い続けた、後悔しながら。
 ここで僕は強烈な思い出がある。
 ふたりで文句をいいながら飲んでいると、どうしたわけか友達が転んで、セメント塗り立ての工事現場に突っ込んでしまったのだ。当然彼はセメントだらけ。紙パックは吹っ飛んで残りのジュースをすべて雑草に提供した。
 小学校二年生のこと、彼は大泣きした。
 僕も暑いし、ジュースはマズイし、泣きたい気分だった。けれど彼を慰める意味で「ジュース、半分あげるよ。泣かないでね」と なだめ続けた。
 彼は現在、見事にヤクザになった。
 ヤクザじゃないのかな? とにかく堅気ではない姿形で現れた。市主催の成人記念パーティーで彼はどこからもってきたのか、 ビールの小ビンをうまそうに干していた。
麦茶

夏がくれば思い出す

 この項でよく書いていますが、うちの母親は今現在に至るまでのジュース嫌いで父親は病的なジュース好きです。別に我が家は別居家庭でもなければ不和家庭でもないんですが、どういうわけか父親は子供の教育に関心がなかった為、結局母親の云うようにジュース禁止令が発布され、父がたまに飲ませてくれました。
 さて母の勅令で例外とも云うべきジュースがこれ、麦茶でした。
 健康にいいとか何とか理由付けはしていますが、安かったからでしょうかね。ハウスの麦茶は高級品だから16袋で300円ですが、廉価品などは52袋で300円ですからね。最近買いに行ったので確かですが、1袋で1リットルと考えるとなんと経済的な飲み物でしょうか。
 しかも製法は我が家では麦茶ボトルに水を入れてパックを放りこむだけ。簡単です。
 夏の暑い日、学校から慌てて飛んで帰り冷蔵庫まで一直線に走る。グラスに氷をぶち込み、麦茶のボトルを傾けると茶色い麦の匂いが涼しげに鼻につく。
 麦藁帽子にランニング姿で炎暑の中を駆け巡り、扇風機の涼の中で昼寝が出来た時代の思い出。
 ある人は「生きていていいなと思えるときはちょっとした季節の変わり目と、夏の氷水かな」とのたまったそうですが、どうしてどうして夏の麦茶も乙なもんですぜ。
コーヒー

甘党の遺伝子

 父親はよくコーヒーを飲む。
 だからといって僕の父をコーヒー通や趣向者などと思ってはいけない。なんといっても十年一日のネスカフェ派でその味といったらもはやなんとも形容しがたい。
 僕の幼少期、もう既に相当量読まれた方なら我が家の勢力均衡がいかなるものかは御承知でしょうが、ヒステリーな母親はどこぞの怪しげな教育本を振り上げて「コーヒーは脳細胞を破壊するから、子供には飲ませない。現にアメリカでは法律で禁止されている」と主張し、コ−ヒーを禁止していた。
 注釈すればそんな事実はないのだが、さっき母親に「アメリカでは法律で未成年のコーヒーを禁じているんだよね?」と訊いたら大真面目に頷いていた。
 そんな家庭状況の中で、父親は朝マグカップにコーヒーを並々と注ぎ「おい、飲むか?」と一口くれるのが常だった。そして僕は母に怒鳴られてもこれを飲むのが好きだった。
 苦いもの嫌いな下戸の僕がどうしてコーヒーが好きなのか?
 そのヒントは父も下戸という事実である。
 そう! そのコーヒーは飽和するほど砂糖とミルクが投入された極めて甘い代物だったのだ。これが親子ともに大好きでねえ。もう雪印の黒いパックのコーヒー牛乳なんて目じゃありません。糖尿病まっしぐらのコーヒーとは色だけの砂糖水。
 最近はさすがに嗜好も変わり、大分苦いのも飲めますがブラックは好き好んでいくほど好きではありません。エスプレッソは今でもダメです。
 最近好きなのはカプチーノ砂糖入り、ですかねえ。
ココア

キャンペーンの魔力

 キャンペーンの威力って大きいな、と思う。
 というのも僕は高校2年の秋に、「金貨が欲しい」という理由で当時プレゼントキャンペーンをやっていた「バンホーデンココア」を飲み始めて以来、今でもココアは好きである。
 元々甘党のたちなので因子はあるのだろうが、このキャンペーンがなければ毎食昼飯のたびに、それが丼だろうとラーメンだろうと構わずに、ココアをつけるなどという狂態はしないだろう。それがキャンペーン終了後も何年も持続されるとすれば結構な儲けになるであろう。
 さて僕はとにかく高校時代は級友が呆れるほど昼食のたびにバンホーデンの紙パックを干し、持参したはさみでバーコードを切取り、葉書に張った。
 確か6枚一口が3枚分出来たのかな?
 ちゃんとカラフルに絵まで書いてバラバラな時期に別々のポストに投函したんだけど、結局当たらなかったなあ。結局僕ではなく、会社のほうが僕という金貨を手に入れたことになる。習慣という奴でキャンペーン後も長いこと飲み続けていたから。
 ただ、僕はもうバンホーデンよりも森永のほうが好きだ。何事も濃い味のほうが好きな僕としてはよりディープで甘く乳成分も高いところにいくのは理の当然である。
 もう一回、金貨プレゼントやってくれれば考えるけどね。
ミルク

ミルクを飲めば、或いは僕も…

 僕の身長は170センチでこれは日本男児の平均身長である。
 話は変わるが、40人のクラスでクラス平均点が70点の場合、平均点が70点の僕の席次はどのくらいでしょうか? 答えはまあはっきりとした数字はいえませんが、通常25位から30位くらいですね。平均だからって真中にいられるわけではないのです。
 つまり170センチという平均身長では世間の男に対し見上げるほうが多いんですね。
 ところが面白いもので小学校5年生の時まで、僕は身長がクラスで2番目に大きかったんですね。すでに卒業段階で165はあったからね。
 大きいでしょう。
 逆にいえば成長期に伸びたのは5センチ。酷いもんです。
 だから我が家のタンスを探すとシャツなんかたまに裾のところに「6年1組」とか書いてあるものが発掘されます。なんせ殆ど身長が変わってないから何でも着られるのです。
 身長が伸びない理由は自前の偏食癖(特に反肉食)もあるけど牛乳を成長期に全く飲まなかったことも大きい。なんせ牛の「乳」でしょ? そんなとこから出てくるものなんか飲めるかという発想である。
 中高6年間、牛乳としての牛乳はおそらくコップ一杯しか飲まなかった。高2の暑い日でね、水道水はぬるいし、麦茶はない。もう進退窮まって飲んで吐いたのが記憶にあります。
 これで小学校のときは教師に脅され毎日飲んでいたのだから、僕の偏食もアテにはなりません。
 身長が低いことで不利益を受けたことは特にありませんが、 中1の頃は3番目に背が高かったのが段々抜かされていって、高校卒業時は前から5番目にまでなったのは嫌なもんでしたね。
 今でもミルクはなるべく飲みたくありません。
ヤクルト

早起きは三文の…

 昔から不思議なんだけどさ。なんで子供って休日でもあんな早く起きられるのかね? 自分の昔の姿とはいえ不思議でならない。例えば夏のラジオ体操なんて目覚し時計なしで皆勤賞だからね。目覚し時計を2つかけても遅刻する現状とはえらい違いだ。
 子供が早く起きる理由としては、早く寝ているという理由は十分にあるが、だからといって僕が小学生時間で眠りにつけば朝の5時から自発的に起きるかと問われれば、これはノーだろう。
 昔我が家は健康のためと称して宅配のヤクルトを取っていた。知らない人の為に注釈するとヤクルトレディーと称するオバサンが新聞配達よろしく早朝にヤクルトをポストに入れてってくれるのである(お金は月極めで回収に来る)。
 当時、小学校にもあがらぬ僕は毎日ヤクルトが飲めるというので狂喜乱舞した。僕は大のヤクルト好きで、飲むときは勿体無いのでアルミの口に爪楊枝で小さな穴をあけ、チビチビ吸っていたくらい好きだったのだ。
 そんな僕は、(しかもただでさえキチガイじみた早朝に起きれる年である)毎朝曙光が街を差す前に、ベトコンよろしく血走らせた目を布団の中から語ギラつかせ、バイクの音がすると母を叩き起こすのである。 その時刻、午前5時。
 こんな時間は普通の主婦は寝ているのである。そして、こういう時間に訳もなく起こされるのは大変腹立たしいことである。今の僕なら絞殺しているであろう(虐待事件の出来上がり!)。
 母も当然、僕を怒鳴りつけて沈黙させる。
 ところがヤクルトを要求して蜂起したゲリラ(=僕)は諦めず、 鉄の意志で以て毎朝波状攻撃をかけるのである。可哀想な母は慢性的な睡眠不足になり、ついにキレてヤクルトを解約した。
 僕はこうして「我慢の大切さ」を知るのである。
カルピス

夏が来れば思い出す…

 別にカルピスの肩を持つわけじゃないけどさあ。
 お中元やお歳暮などで、貰って一番嬉しいのはやっぱりカルピスじゃないかなあ。あの大瓶が6本くらい入った奴ね。大人はそんな喜ばないと思うけど子供の視点からすれば値万金ですよ。
 その差を簡潔に述べれば、乗っていた船が難破して救命ボートに空いた席が一つしかないとき、毎回サラダ油やら石鹸やらタオルを送ってくる人よりもカルピスを1回送ってくれた人を助けるくらいの差である。要は命を救うのである。
 僕がカルピスを好きな理由は初恋の味というわけでも単価が他のジュースと比べて段違いに高いという理由でもなく、甘くて爽やかで薄めるのが楽しい、からである。
 一方、親はカルピスが嫌いである。この理由はマークが黒人差別を助長するからでも値段が他のジュースより高いからでもなく、虫歯になりやすいからである。こういうジレンマから母は容赦なく「カルピス禁止令」を布告するのであるが、黒船の如く突然やってきた親戚舶来のお中元を、まさか阿片戦争の如く投げ捨てる訳にも行かず、かくて子供には天国の日々が訪れるのである。
 夏の暑い日、ちょっとぬるめの水道水で作ったカルピスに、惜し気もなく氷塊をぶち込む。縁側で扇風機の風に当たり、高校野球を聞きながら飲むこの風流よ。ちょっぴり濃い目のカルピスが、またおいしいんだな。
 今年も、また夏が来る。
 ゆっくりと熱を感じながら、カルピスを傾けてみようかな。

(そうそう案外知られてないけど冬のホットもうまいんだゼ)
白湯

白湯って何だ?

 年長のときに入っていた幼稚園では入園したその日から毎日、僕はあるものを持たされ続けていた。
 自分専用のマグカップである。
 今でも強烈に覚えているのだが、この時僕が毎日持ち歩いていたのは白地に青いボーダーの入ったスヌーピーのマグカップであった。僕が顔に似合わず主要キャラを全部云えるのはまさにこの時のお陰である。
 さて、マグカップは何に使うのかというと、当然昼食時などに物を飲むためである(歯磨きのときにも使われたが)。何を飲むのかというと、夏は麦茶である。ジュースはでなかった。経済的教育的配慮だろう。
 ま、それはともかく園の木々も落葉し、北風が吹きすさぶ晩秋になると冷たい麦茶ではつらくなってくる。「ひとくわばら」というほし組の担任の先生は僕らに「来週からおさゆを飲みます」と昼食の時間に突然宣言した。と、その瞬間他の子供がみんな嫌そうな声をあげる。
 僕は年中は他の幼稚園だったから、「おさゆ」の意味もみんなが嫌がる理由も皆目見当がつかなかった。誰かが「すげえマズいんだ」と叫んだ。
 僕はその週をずっと「おさゆ」のことを考えてすごした。
 週末の最後の麦茶など落涙しながら飲んだ、ような気がする。昔の僕は(今でもそうだが)「別れ」というものに特に弱いのだ。
 さて週明け、早速先生は湯気の立つ薬缶を片手に子供たちのマグカップを満たしていった。おそるおそる覗くと無色透明の水が湯気をたてていた。
 「いただきます!」
 先生の挨拶で一斉に食事開始、僕はまずこの「おさゆ」を飲んでみた。嫌いなものを先に食べるタイプなのである。 「お白湯」を知っている皆なら解ると思うけど、当然何の味もしなかった。ただ「まずい」という先入観と何らかの味があるだろうという期待が、ただのお湯を「気味の悪い飲み物」という風に知覚させていた。
 僕は気味の悪さに攻略を一時断念し、お弁当を平らげた。そして再びマグカップに突撃する。
 「ん?」
 そう既に白湯は冷えて水になっていたのだ。
 未だ白湯をジュースの仲間と思い込んでいた僕は驚いて、帰宅後母に聞いてみた。母は笑って真実を話してくれた。僕は安堵の溜息をついて、自分の臆病を笑った。
ビール

大人になっても、変わらない

 あのさあ、恥を忍んで訊くんだけどさ。
 「ビールってどこがうまいの?」
 僕は子供のときから今に至るまでの共通した疑問だけどね。これは全く解らない。それこそ金を払って飲む奴の気が知れない。 こんなこといってると国民の7割を敵にまわしそうだけど、他の酒ならいざ知らずビールの味だけは徹頭徹尾わからない。
 僕が日頃飲んでいるサワーやカクテルだったらベースの味が解るから、飲めるし理解も出来る。ところがビールはもう「ビール」としか 形容できない味だし、しかもそれがただ苦いだけときては云うことなしである。当然、各ビールごとの味の差も解らないし、サワーより度数が低くても早く酔っ払う。
 子供の頃、級友が「ビールってうまいよね」とか吹くのを聞いて「は、大人ぶりたいんだ、こいつは」と軽侮して相手にしなかったけど、中学高校とビールを日常的に嗜む者が増えてきて、無法地帯の大学生ともなればビール好きが完全与党である。
 小さい頃、「大人になればビールもCMみたいにおいしく飲めるんだろうな」と漠然と思っていたが、何の自己革命も起こらぬまま馬齢を重ね、ついに二十歳の日を迎えてしまった。
 僕は成人した日、子供の頃から思い浮かべていたことをした。
 晩飯にビールをつけてみたのだ。
 プルトップをあけ、飲んでみる。
 やっぱり苦く、まずかった。
発泡酒

どこが違うの?

 なんだか各社とも税制上の理由か発泡酒が人気のようだね。要は麦芽を使ってるか否かとかそういう問題なんでしょ? それだけで税金が随分軽減され、消費者に還元されて受ける。こう書くと随分情けない話だが、流行なんてそんなものである。
 さらに情けないのがこの発泡酒ブーム。各ビール会社が競合社の発泡酒シェアを奪い合うのではなく、自社のビール部門の収益を激減させて、成り立っているというのである。その余波で内紛寸前の会社もあるとか、週刊誌は例によって無責任に書いていた。
 詳しい話は下戸の僕のこと、当然知らない。知人にマネキン嬢(試飲販売の売り子さんね)をやている人がいるから後で聞きにいこうかと思っている。
 さて、ここで僕である。
 一連の価格破壊で物価が下がるのは無責任に歓迎するのだが(大学生の癖にデフレスパイラルを懸念しないエゴイストぶり)関係のない発泡酒に関しては全く述べることがない。いや、一応は飲んでみましたよ。チューハイに比べればまだまだだけど安いから。
 なんだい、ビールじゃん。
 僕の舌は全然変化を知覚しませんでした。
 若干アルコールも弱いらしいけど、変わらず酔うし、元々期待はしていなかったけど、なんだかなあという感じはしましたよ。オチがつかないので、ここで一句。

       発泡酒  正体みたり  ビールかな

 お粗末。
ワイン

ワイン・オンザロック

 しばしば酒を嗜む伯父が、高そうなワインをぶら下げて我が家に遊びにきたのは摂氏35度を超える暑い日のことだった。伯父はその赤ワインを片手に「こいつは高かったぞ、後でみんなで飲もうじゃないか」と昼間からのたまった。
 僕はその高そうなワインを受け取ると冷蔵庫に放り込んだ。急な来客に母は慌ててクーラをつける。
 伯父は応接室ではなく、居間の畳にどっかりと座ると団扇片手に窓の外の緑を見た。そして父を相手に天気の話を始めた。
 母はあたふたと菓子桶から出せそうな菓子を選別すると奇麗にセットアップし、僕に持ってくように言った。僕は来客用に置いてあるカントリーマアムを1枚失敬すると伯父に出した。
 伯父は「暑いなあ、なんか冷たいものをくれよ」という。
 確かに炎天下をやってきて飲むものがなければきついだろう。母にそれを告げると血相を変えた。我が家にはジュースなんて基本的にないし、麦茶も切らしていたのだ。
 次善の策で氷水を持っていったが、伯父は「さっき渡したワインを空けようじゃないか」と提案し、母は僕に伯父の分をセットするように命じた。我が家は僕を筆頭に全員下戸なのだ。
 さて僕は一人台所に佇み、凝ったラベルを前に考えた。
 こんな暑い日に、剥き出しのまま持ってきたワインはすっかり 温み、お世辞にも爽快とはいえない温度だった。いくら酒は人肌とは云え、こんな暑い日に飲む必要はない。物には常識がある。
 ここで僕は何をしたか?

 ワインのオンザロックを作って出したのだ。

 ああ、下戸の無知とは恐ろしい。高級ワインに氷を浮かべるなんざ酒飲みとして最低の禁忌である。僕はそれを見事に破った挙句に、秀吉に冷めた茶を出す三成のように得意満面な顔をして酒豪の伯父に出したのである。
 当然この愚行は家族から糾弾され伯父から白眼視を受けた。
 後になって高校や大学の仲間にこの話をしたが、やはり誰を相手にしても眉をひそめられ、指弾された。斯くなる上は僕はただただ己の不明を恥じるしかない。
シャンペン

痛すぎる思い出

 シャンペン、実はこれワインの炭酸版だってね。
 するとスパークリングワインとシャンペンはどこが違うの?
という問題が出てくるのだが、そういう質問は僕のバカさ加減が解るからしちゃいけないんだろうな。
 ともあれシャンペンといえば僕はF1の表彰台やキャバレー等に出回る「高い酒」というイメージよりも、クリスマス近辺に飲めるサイダーもどきの印象が強い。なんであんなお子様向けのジュースを高級酒と同名で論じるのだろうか? 浅学な僕はやはり知らないのだが、想像としてはあのポンという音とともに栓が吹っ飛ぶ共通点からではないだろうか。
 さて、これには僕は嫌な思い出がある。
 僕は妙なところで臆病なので長らくガスコンロが使えなかった。あの昔の一回押してからひねる方式のコンロである。やった瞬間に爆発するものと思っているのだ。同じ理由でライターもつけられなかったしクラッカーだって怖くて鳴らせなかった。
 子供用シャンパン、また然りである。
 まさかシャンパンが爆発するとは幼少の僕も思っていなかったが、それでも突然音が鳴る恐怖に僕はすっかり怯え、いつも他の家族に代行してもらっていた。
 ところが小学校の地区子供会ではそうはいかない。
 クリスマスパーティーの時地区会長だった僕は代表して栓を空けるよう指示を受けた。周りにいるのは同年の女子か後輩ばかりである。逃げるわけには行かない。
 僕はおそるおそる、それでも内心を悟られないように付近をかぶせると恐々ひねった。ところが緊張した手つきでやっているから、微塵も栓は動かない。座からはクスクス声が聞こえる。
 舐められてたまるか! と僕は逆上し、本気で力を入れた。

 スポン、という小気味よい音とともに栓は僕の眼を直撃した。
日本酒

日本酒出入禁止令

 日本酒は僕にとって禁じ手である。
 あの忌まわしき事件以来、僕は日本酒は一滴すら飲むまいと決意したし、その誓いは今もってて破られていない。今回は僕の酒飲み人生最悪の恥部を暴露したいと思う。

 2001年3月のこと。小学校時代に通った進学塾以来の友人で、2浪していた男がついに一流大学に入った。僕ら文芸部のOB男子はこれを祝するために集結し、大いに騒いだ。当然飲屋で卒業直後の人員も借り出しての馬鹿騒ぎだった。
 やがて夜も更け当の主賓は帰り、卒業直後の未成年も帰った。
 ここで僕ともう一人の片割れは、後輩である弟子の家へ泊まりに行くことになった。酔い覚ましのジュースを買って、結構広い彼の家へ向かう。
 ところがここは酔い覚ましの場ではなかった。
 後輩の家のオヤジさんが酒豪で、やにわにスルメを焼きだすと、「水だ水だ」と日本酒をぐいぐい勧めるのである。飲屋で既に出来上がっている僕は断る理性を放棄していたので、調子よく飲んで、大学論や下宿論について得々とオヤジさんと語り合った。
 やがて「明日はえーから」とオヤジさんが寝所に上がってしまい、酒の強い仲間と後輩はなにやらPCゲームを始めたが、僕はもはや生きる屍であり、はしたなくもゴロリと横になるとン万円のレザーコートを布団に眠ってしまった。
 目が覚めると違う部屋にいた。
 起き上がると外は明るく、仲間と後輩が妙な顔で僕をみている。
「おはよう、諸君。いい気分の朝じゃないか」と僕はおどけた。が、彼らは寒い表情で僕を見る。
 「山田」と仲間が云った
 「お前よくそんな暢気なこといってられるな」
 僕は「はにゃ?」と云った。後輩がかつてないほど冷たい声で、
「トイレ行ってみてください」と云った。

 トイレは凄かったね。
 もう廻り中、ゲロだらけ。僕は一抹の感動さえ覚えた。
 壁から床から便器から天井まで! どうやって吐いたんだか?

 部屋に戻ると、僕は「あれ、俺?」といった。冷殺光線を目から発しながら二人は頷いた。自主的に「掃除します」と僕はいうと、いそいそと階下に戻ったが、酔っ払いの手では掃除もできない。
 結果、僕は彼の家から出入禁止である。後輩とは今でもよろしくやっているが、仲間とは以後音信不通である。なんでも僕の醜業をバラしてまわっているらしいが、その後ツッコミを受けたことがないので解らない。
薬用養命酒

健康のためなら死んでもいい?

 変わった小学生がいたもので、僕は昔から平日午後4時からはじまるテレビの再放送を見るのが好きだった。今ではその時間帯は家から遠く離れた大学にいるため、見られないのが残念だ。
 だが、僕の小学生時代は4チャンネルは常に「あぶない刑事」か「刑事貴族」の刑事ドラマ。6チャンネルは「水戸黄門」か「大岡越前」の時代劇。8チャンネルは僕には論外なドラマ。10チャンネルは「さすらい刑事」か「はぐれ刑事」をやっていた(この2つは5時からかもしれない)。どれも垂涎物である。
 さてしかし僕の思惑とは異なりこれらの番組は主に一日中テレビを見ているような年寄りが対象で、CMにはこの「薬用養命酒」がやたらよく出ていた。
 CMの影響というのは恐ろしいものであり、こうも毎日毎日勧められると、なんか飲んでみたくなってくるのが人情だ。
 小学生に飲みたいと思わせるあたり、相当うまい部類に属するCMなのだろう。僕は勝手に養命酒の味を「こども風邪シロップ」の強いバージョンだろうと思っていた。風邪の時に飲ませてくれるカラメル味のシロップは密かな好物だったのだ。
 結局念願かなって初めて飲んだのは中学生の時だった。伯母の家に行った折に頼んで一口のませてもらったのだ。
 確かに甘くはなかったが薬用シロップのようなテイストであり、体にはよさそうだった。だが畢竟鮭は避けである。体にはいいかもしれないが酒であるという前提がある限り、僕の体にはあわないのである。
 いくら体にいいと宣伝されても、急性アル中で死んでしまっては元も子もない。
ワンカップ酒

差別ですいません

 私だって男の端くれ、妙な気分になることだってあるさ。
 例えば小学生の頃、酒屋の前でワンカップ酒のラベルの裏側を見て興奮したりしなかった? あれ、初めはヌードだったんだよね、それが女性団体の抗議か水着のねーちゃんになって、さらに抗議を受けて世界の名所旧跡になる頃にはエロ本を買っていましたが。
 さて、ワンカップ酒。
 どうも僕には貧乏ッちいイメージがあるんですが、気のせいですかね。別に差別をするわけじゃありませんが、よく繁華街の駅前に酒焼けした人たちが飲んでたりするじゃないですか。
 それでなくともその簡易性・携帯性が「貧しいものの味方」って感じがするんですよね。僕も貧しいけど酒には縁がないせいかな? なんか気に入りません。中年以上の汗の匂いとか連想しちゃうんだよねえ。深夜なんか電車の中で煽ってるのがいるけど、そういう人を見ると「こういうのにはなりたくない」と思うね。
 ところで、僕の行きつけの立食そば屋は典型的な貧乏人向けの店で、ここのセルフサービスのカルキ臭い水を入れるグラスがまさにワンカップの空き瓶なんだよね。
 これは嫌だなあ。
 僕は不潔恐怖、唾液恐怖ではないので、レストランや大衆食堂のグラスだって普通に使えるけど、ちょっとこのグラスで水を飲む気にはならない。勿論、ちゃんと消毒して衛生には問題ないと解っていても生理的に受け付けない。
御神酒

神聖な酒はトイレの露に消えた

 僕の素行から誰も信じちゃくれないが、こう見えても正月にお寺でバイトしたことがある。そう、聖職者の出来損ないみたいな仕事をしたのだ。
 御護摩札の販売である。
 まあこの仕事については色々云いたいことがあるのだが、酒の話に絞ると1万円の札を買われるとお神酒がついてくるのだ。一体、仏教寺院がお神酒なんて出していいものかと思うのだが、神仏習合の過去もあるし、いいんだろうな。
 さて乏しい財布から新年の幸いを祈って護摩札を求める善男善女にとっては、神棚にでも献じる(これもよく考えるとおかしな話だ)ありがたいお酒であるが、これが売る身になればただの酒である。なんといっても1つの棚に数十本もあるのだ。どうみても1万円のオプションとは思えない乱雑ぶりである。
 こういうものを当時高校生の僕らが見逃すわけもなく、たびたび失敬しては(どうせ数なんて数えてないし、また数える術もない)トイレに消えるものが続出した。トイレで物を飲むなんて普通なら信じられないが、酒やらタバコやら喧嘩やらイリーガルなものはトイレでやるというのは青少年の決まりなのだ。
 僕も何度か参加したが、やはり当時から酒の弱さを自覚していたので、ふらふらになって大便器にモドした記憶がある。
 その後1日、バイトはきつかった。
 職員には誰にもばれなかったけど、つらく楽しい体験だったな。
紹興酒

親孝行は校則違反?

 高校の頃、校外学習で横浜に行ったことがある。
 仮にも高校生の旅行であるからして、行動計画表の提出はあったものの当地では完全自由行動であり、僕は4人班の班長として主に中華街界隈をぶらついた。
 中華街のような異国情緒溢れる過密都市は実は好きだったりするので、民族系の雑貨屋や専門店などをぶらぶら廻っていたのだが、どうも班のメンバーはこういう場所が苦手らしく入って来なかった。だから当然僕の行動も制限され、家族のお土産には碌なものが買えなかった。
 若干焦り始めた時、偶然入った食材店で僕は掘出物を見つけた。中国直輸入紹興酒、一本400円である。酒はよく知らないのだが酒屋の前に放置してあるビール瓶1本の大きさである。
 これが400円、安いような気がして僕は買ってしまった。
 仲間は僕の買い物を見て、一様に怪訝な顔をした。
 「おい、そんなもん先生に見つかったら停学だぜ」
 そう、僕にオ学校は近隣でも校則の厳しいことで聞こえた名門校である。当然、旅先で酒を買うなんて御法度中の御法度。親を呼出の上、停学1月級の罪である。
 ところが旅先のせいか僕は「親に買ってやる土産」のことばかり考えて全く教師がどう見るかまでは考えなかったのだ。
 まさか返品するわけにも捨てるわけにも行かず、僕は袋を二重に巻いて、リュックの中に封印した。何が何でも先生にバレる訳にはいかなかった。仲間には半ば脅迫同様の口止めをした。
 旅行終了後、大型バスの停留所で僕はずっと冷汗をかいていた。まだ一口だって紹興酒は飲んでいないのに、僕は緊張に酔っ払っていた。
焼酎

ゲロと小便の香り

 確かあれは小学校4年の新年だったか、親戚が家にやって来た。我が家の新年は親戚が来るというより、家族で親戚宅へ行くという方だったから、これは珍しいことといえる。
 さて、その年我が家に来たのは酒豪の伯父さんだった。
 彼は酒豪らしく明るく多弁な気のいい人物で、家に来るたび小遣いをくれたし、母が眉をひそめるくらい色々なお菓子やジュースを買ってきてくれる。だから僕はこの伯父さんのことをとてもとても気に入っていた。
 さて、この年の伯父さんは我が家に来る前から酔っ払っていた。大方近場で旧知と会ったりしたのだろう。正月でなければ不審人物と呼べそうな缶ビール片手のスタイルだ。
 伯父はその夜、一日中家族と歓談していた。深夜になって伯父は辞去しようと腰を上げたが、夜も遅くアルコールも相当入っているので、両親は客間をあけて一晩泊まって貰うことにした。
 僕は早寝が原則の小学生だったので、夜の9時には寝ていたのだが、大人たちの酒盃を交えた笑い声は今でもよく覚えている。
 さて翌朝、僕は起きると卓上に散らかった宴の後を横目に(ツナピコやイカクンを狙っているのである)トイレへ駆け込んだ。
 と、トイレの中はえもしれぬ甘い香りがしている。
 あれ、と思って鼻から息を吸った。とてもトイレとは思えない程の甘ったるい匂いが鼻についた。僕はこの時「伯父が来るんで消臭剤でもおろしたのかな?」と思ってトイレを出た。
 と、洗面所で顔を洗っている伯父にあった。
「よお、おはよう。起きたか?」伯父の顔はなんかやつれていた。「夕べは飲みすぎちまってなァ、いやあ参った。大きくなっても飲みすぎるんじゃないぞお」
 伯父はそういって顔を磨いていた。

 トイレの甘い香りの真相は母から聞いた。
 焼酎を深酒すると、吐瀉物(要はゲロ)や排泄物(小便)まで、それはそれは甘い焼酎の匂いになるそうだ。僕もそれから十年後に自分の甘い小便の匂いを嗅がされることになるのだが、この話を聞いたとき僕は甘い香りを思い出して吐きそうになった。
 まさかゲロや小便が甘い香りを発するなんて、普通は信じられませんよねえ。
チューハイ

アルコール耐性訓練

 ここでいうチューハイは焼酎に炭酸とフレーバーを加えたものである。厳密にいえば違うのかもしれないが、僕の嗜むチューハイは梅やら杏やらパインやグレープ味のついた炭酸の缶製品である。
 最近では随分値崩れして、スーパーでは1缶350ミリで百円ととても安く手に入っている。味もサワーと同様、ジュースをちょい苦くした感じでとっつきやすい。たまに僕も「アルコール耐性訓練」と虚しく称して、晩酌に代えている。
 焼酎自体は小便事件以来、見るのも嫌な感じだけどチューハイは果汁の香りがごまかしてくれるせいか、よく飲める。よく飲めるといってもそれは350缶が精々であり、これが500缶ともなると心臓はバクバク云って、苦しさのあまり寝込んでしまう。確かめたことは密かにないのだが、結構度数は強いんじゃないだろうか?
 ところで僕が絶対に飲めないチューハイがひとつある。
 これは一時期友人のHPの掲示板で話題になったのだが、レモンの缶チューハイである。これって絶対消毒薬のアルコールを飲んでいるような気がしない? 注射の前に腕をこする奴みたいな感じ。酒豪の彼が嘆いていたくらいだから、結構みんな賛同してくれると思うけど。
 最後に一言云っておくと、缶チューハイはグラスにあけて、ひとつまみの砂糖を入れて飲むとおいしいですよ。僕みたいなジュース感覚で飲む下戸にはね。
カクテル

ハードボイルドの条件

 酒場でかっこいい男の姿とは、カウンターで注文するカクテルの種類によって決まる。まさにハードボイルドの世界であるが、こういうシチュエーションだと僕は全く出るそぶりがない。
 例えば私立探偵ヤマダが依頼人のグラマーな美女とカウンターで打ち合わせをしていたとしよう(信じられない話だが、こう云う所で事件の話をしちゃうのが、アメリカの探偵小説の恐ろしさである。それで後で「秘密が漏れてたとは!」ってそりゃ漏れるだろう)。 そこでいきなり僕が「カルピスサワー」といったらどうなるか? スパングを受けて席を立たれるのがオチである。探偵は大抵依頼人とよからぬ関係になるのだが、これでは無理というものである。
 別に探偵でなくてもこれは同じであり、つくづく僕はナンパ師になれないと痛感するね。相手を酔い潰すなんて絶対に無理だから。僕より弱い人なんて見たことないし。
 だからカクテル道もちょっと無理みたいです。
 一筋の光明としてはカクテルオタクになり、アルコールの弱くて専門的なカクテルを頼むことだけど、そこまでやる気もないしなあ。友人にバーテンがいるから勉強してもいいんだけど、下手に違ったのを注文して強いのがきたりすると死んじゃうからね。
 カクテルという名の酒はなし、強いも弱いもベース次第。
 下手なロシアンルーレットには手を出さないほうが賢明かな?

付記・先日とある女性と飲みに行ったおり、ルーレットに敗れて知らずに強いカクテルを飲んじゃった。理性のたがが外れて喋り続けるはエロ話。俺ってそんな人格だったかなあ?
ウイスキー

イート ザ ブロック塀

 ウイスキーの味は大学に入るまで知らなかった。
 ビールやワインは酒豪の親戚などが余興に少し飲ませてくれたし、サワーやチューハイなんかは元のジュースの味を知っているので、類推できた。
 ところがウイスキーはねえ。
 CMなどでなにやら高級なお酒という情報は入ってくるが、飲む機会がない。我が家では酒飲みはいないし、親戚だってウイスキー片手にやってくる人はいない。下戸の家に持っていっても全く感謝されないからだ。
 そういう訳で、僕はまったくウイスキーとは縁なき生活を送っていたのだが、ある日ウイスキーの方が僕のところへやってきた。
 大学1年の冬に、高校文芸部時代の先輩同輩後輩が6人ほど拙宅に来たときだ。みんな金欠の大学生のこと(ン? この頃、後輩は高校生か)当然宅飲みのドンチャン騒ぎになるのである。一晩中騒いで、翌朝仲間が帰った後、僕は未開封のウイスキー缶を発見した。僕らの慣習法では残った酒や菓子は主催者のものになるのだ。
 よって僕は(おそらく高級酒マニアの後輩の)ウイスキーの缶を開封すると琥珀色をショットグラスに開けて煽ってみた。
 「これって飲み物?」というのが第一印象だった。
 何故か僕の頭には「石灰ジュース」という言葉が浮かんだ。いや、石灰なんて食べたことはないが、そんな気がしたのだ。言い換えればブロック塀を齧っているような感じである。
 何口か飲んでみたが、たまらず僕は琥珀色を流しに捨てた。
 その罰かどうか、この後僕は思いっきり悪酔いし、便器の恋人になり下がった。長らく僕はビールがうまいというたくさんの人々を「あんな苦いだけの代物のどこがいいんだか?」と思っていたのだが、ウイスキーはその思いを更に越える。
 誰か教えてください。どうおいしいの?
サワー

灯台下暗し

 いくら僕が稀に見る下戸であるからといって、まさか居酒屋でしょっぱなからジュースを頼むようなことは出来ない。酒場で無理をする気は更々ない僕であるが、少なくとも飲んだら即死という訳でもない以上、初めの一杯は付き合うのが礼節というものである。
 さて、ここで僕が頼むのは各種のサワーである。
 アルコール分はビールに比べて高いらしいのだが、ただ苦いだけのビールとは違い、ジュース感覚で飲めるのが魅力である。友人の酒豪連などは「あんなのは酒じゃねー」と広言するが、それが僕にすればいいのである(それにサワーは一番安いし)。
 大体僕の酒量はサワーをジョッキに二杯がボーダーラインである。これ以上飲むと吐き気に襲われ、脈拍は早くなり、死にそうになる。我ながら情けないが、そういう訳でサワーとしてもそう嗜むわけではない。好きなサワーをあげると「カルピス」「グレープフルーツ」(これは「生」の方ね)「梅」の順である。逆にいえばこれ以外は殆ど飲まない。ジュースの趣味と一致しているのだ。
 さて、そんなサワー独裁主義の僕だが、実はサワーのアルコール分はなんなのか、ということは知らない。仲間内に諮ったところ、「ジン」とか「ウォッカ」とか強い酒の名が出てきたので驚いた。殆どジュースで希釈されているとはいえ、よもやこの僕がそんな強いのを飲んでいるとは思わなかった。
 たかがサワー、されどサワー、舐めてかかると怪我しますぜ。
カルアミルク

飲酒界の邪道

 僕の友達にさる有名なバーで、バーテンのアルバイトをしている人がいる。当然のことながらお酒のことには詳しく、たまに一緒に飲みに行くと、いろいろ業界の裏話やお酒に関する薀蓄などで僕を楽しませてくれる。
 その彼がポリシーとして語ってくれるのが「ミルクにアルコールを垂らすのは邪道だね」というもの。具体的にはこのカルアミルクを指していると思うのだが、彼はそれを軽蔑の眼差しで見ている。
 何がどう邪道なのか、未だに訊いたことがないのだが、確かに僕も初めてこのカルアミルクについて聞いたときは一抹の違和感が胸によぎった。
 変なたとえだが、居酒屋で出て来るお酒は大抵透明である。これにアルコールがくわわる分にはあまり抵抗はない。ところがミルク系のお酒はどうやってもグラスの向こうは透けて見えない。ここらへんが抵抗の要因だろうか(僕の好物のカルピスサワーも透けては見えないが色が薄いので気分的にはOK)。
 そういう訳で僕は友人の力説もあり、カルアミルクを飲んだことがなかったのだが、先日後輩がカルアミルクの大ビンを持って拙宅に来たので、初めてご相伴に預かることになった。
 味をカルア好きの後輩に聞くと、コーヒー牛乳の化け物と云っていた。僕は先輩の職権で後輩につくらせた。彼は僕の下戸ぶりを身をもって知っているので、そこらへんは確かに作ってくれた。
 一口飲む、あまりの甘さに驚いた。
 雪印のパックに入ったコーヒー牛乳か、ジョージアの缶入MAXコーヒーに匹敵する甘さである。口がべとつき、余計に喉が渇く。僕が彼に苦情をいうと「それでもかなり薄めてるんですよ」と来た。試しに濃いのを飲んでみたがこれは酷かった。
 いくら下戸の僕だからって、これはちょっと御免こうむる。
 今まで「アルコール度数が強い」という理由ではねつけた酒盃は数多くあれど、「甘い」という理由で遠慮したのはこれがはじめてである。
 やはりカルアミルクは邪道酒のようだ。
ブランデー

貴公子製造所

 僕の出た高校のパンフレットを見ると「郷土の貴公子、貴公女を育成する」とある。在学中は「僕らは貴公子候補生だったのか」と冷笑的に見ていた。確かに今、野獣のような大学に通っていると規律正しく理知的で礼儀作法や対人関係もうまいエリートに進んだクラスメートは郷土の紳士・貴公子だったのだろうと思う。だが、当時は厳しい校則の言い訳としか解釈していなかった。
 そういう貴公子製造学校であるからして、テーブルマナー講習会というものが金五千円徴収して、地域のグランドホテルを借り切って挙行された。
 詳細は別項で論じるが、この講習会の中で「ワインの飲み方」というものがあった。未成年だからまさかワインを飲ませるわけには行かないので、磨き上げられたワイングラスには白ワインに見立てられたアップルジュースが用意された。
 クラスメートは富裕層の出が殆どなので、最前テーブルマナーなど知り尽くしているが僕はそうは行かない。何の考えもなく、映画で悪役の富豪や貴族がそうするようにグラスの下部を手の平で包んで、転がしてやった。
 と、タキシードの教官役である係員が飛んでくる。
「お客様、それはブランデーの持ち方でございます」
 テーブルの仲間内は一斉に失笑する。いつも馬鹿ばかり云ってる仲間が、妙に遠い存在に感じられた。
 ちなみに今もってブランデーは飲んだことがない。
カミカゼ

マルキストのカミカゼ

 中高と仲良くしていた友人が病的な左翼になってしまった。
 まあ、基本的には他人の政治的姿勢などはどうでもいいのだが、「天皇は帝国主義の象徴だからアジア人民の海に鎮めろ」とか「洋楽は米英帝国主義者の精神的支配の尖兵だ」とか「日の丸は反動分子の拠り所だ、赤地に黄丸に変えよ」などという妄想めいた御託に付き合うほど寛容ではない。
 では彼は末期資本主義的退廃から一線を画して、日夜革命的政治活動に邁進しているかといえばさにあらず。なんとまあ典型的遊び人生活を送っているのだ。そんでもって「山田のような五流大学生にはマルクスの高邁な思想は理解できないなあ」などと階級差別を平然と口にする。とんでもない奴だ。
 そんな彼が同窓会にて(左翼グループは同窓会で必ず「天皇制の正当性批判」について討論している)何を狂ったか、僕に「山田ァカミカゼっていうカクテル知ってるかァ」と来た。
 どうせアジア植民地主義思想の名を冠した反動飲料とか言い出すのかと思っていたが、なんとこれをオーダーした上で、一口飲んでみろという。
 とにもかくにも反動的日本男児である僕、飲んでみました。
 一口で頭がかち割られたかと思った。
 孫悟空の飲んだ超神水とはこういう物かも知れない。ただの一口で目の前に火花が散って、僕はしばし朦朧とした。
 後に聞くとラムとかウオッカとかジンとか何か知らないけどとにかく強い酒を無茶苦茶に混ぜまくったものなんだって。僕は余りの衝撃に味さえ覚えていません。
 とにかく私、頭の中にカミカゼが吹き晒しておりました。
 しっかり二次会のカラオケで吐いたしね。
 あのゲロの量もカミカゼ的であった。



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