山王娯楽会館

ビアガーデン

臨界点とメルトダウン

 「うへえ、なんだってこんなまずいんだろう。大人って偉いなあ」
 生まれて初めてビールを飲んだ日(と言ってもそれは既に10年をはるかに越える昔の話だが)僕は深くそう思い、舌が痺れるほど苦いそれをグビグビ干していくテーブル向かいの伯父を畏敬の念で見たものだった。
 その後のビールに対する考察は専らテレビCMで大人がうまそうに飲んでるのをみて「大人になったらおいしく感じるんだろうな」と思うにとどまってた。まるであたかも二十の瞬間を越えると同時に、泥水が甘露に変わるような、そんな漠然とした幻想と憧れをもっていた。
 ところが困ったことに二十をとうに越えた今をもってしても、ビール初体験の頃とその感想は変わっていないのである。いや変化があるとすればビールをジョッキで一杯もあければ、それだけで半死半生になってしまうことを知ってることくらいだ。

 吾輩は下戸である。

 適量はサワーをジョッキで2杯、これ以上になると吐き気が起こり始める。
 これをふまえて考えると大体2時間のコンパにカクテル2杯とソフト・ドリンクを1杯というのが僕の平均的限界線である。
 ただまあ当然だがこのペースは時と場合に大きく影響されていて、高校の第一回同窓会のときは煽られて一気のみも含む無茶のみをしてもなんてことないことがあったかと思うと、大学の仲間とのコンパではビール1ジョッキで事件を起こしている。大学2年のとき、母校の文化祭前夜に我が家で仲間とやったときはサワー1杯で窓から裏庭に吐いたりもしている。
 そんな下戸でもやっていけるのは、現実には飲んでもいないのにハイになるからだ。臨界点が低いせいだろう。日頃は他人の半分も飲まないが、あまり気がつかれない。
 このように基本的に酒量は心得てるが、リミッターが破れるとどうも大変なことになるらしい。以下の事例は僕の友人どもの証言で記憶がないことをいいことにこっちを担いでいるのかもしれないが、ハチ公にカラむなんてのは序の口、末期的になると男に抱きついて口説きだすという。
 ここまでくるともはや人間失格である。最後のは僕をからかったものであると信じたいが、以後、誰も無理に飲ませなくなったところを見ると、なんとも形容しがたい出来事があったことは事実のようである。
カラオケ

SHAME ON ME!

 どうも僕は音痴らしい。
 これはみんなが口をそろえていうから確かなようだ。ちなみに僕は友人で一人、僕より音痴な奴を知ってるから「あいつに比べりゃあ」という感じでそれほど気にしていない。その人は大学でコペ転して遊び人になったんだけど多少はマシになったかな?
 ともあれ僕はまったく自分で音痴という自覚がない。無論他人から絶賛の嵐を受けるほどうまいとまで思ってないけど一人で音楽聴いているときにでもライナーノート片手に歌ってみると「ほへえ、おれって案外うまいじゃん」と思ったりもしている(うわ、恥ずかしい)。
 歌はわざわざ歌うほど好きではないが、かといって一刀両断に断言するほど嫌いでもない訳はこういうナルチシズムがあるからだろう。
 そういってしまえばカラオケなんてのはナルチシズムの披露宴だと思うのは僕だけじゃないと思う。決して歌うのは嫌いじゃない僕だけどカラオケボックスは閉所恐怖の気があるせいかどうも苦手だ。
 聞くところによると、カラオケボックスはお金の無いカップルだとかナンパ師の安息の地らしいが、こちとら女事に縁のない野郎集団の身では別にボックスの中では話もしない(できない)し、聞きもしない。(同性が歌うラブソング、聞く気する?)
 みながするのは目下次に歌う曲を分厚い冊子の中から捜すのみで誰がどんな曲が好きで歌がうまいか否かは先刻ご承知、そのせいと思うが退屈な時間が多いのだ。
 特に僕には邦楽に詳しくないのが退屈の一番の元凶だと思う。洋楽は好きだし、まあ比較的よく知ってるが歌えない。邦楽のCD収集は中学校を卒業すると同時に卒業したため僕の成長はそこで止まっている。
 だからカラオケで歌える曲は極めて限られ、いつも同じ曲をがなることになる。これは極めてウケが悪く、許されるのは同窓会くらいだ。そう考えるとシャ乱Qなんてもう懐メロだしね。どうでもいいが「ズルい女」は好きだった。
 ところで僕のカラオケデビューした曲、つまり初めて歌った曲を言うとみんなかなり驚く。時は高校1年生のとき、まあ随分遅い感じもするが、その驚きなど初めて歌った歌に比べると比較にもならない。
 文化系のクソ真面目な、姿はオタクっぽいモテない僕がカラオケで初めて歌った曲。
 黒夢の「BEAMS」さ(恥ずかしーッ)。
ボーリング

レーンとの恋愛関係について

 ボーリングって絶対にレーンとの相性があると思う。
 ボーリング初体験は小学校高学年のときに家族でいったものだがスコアは忘れもしない38点。まあそんなもんでしょう。今現在は最高記録141を筆頭に、アベレージは110点前後、100は越えるように心掛け、連投になると体力筋力のなさ故、さすがに落ち込むけれどもそれでも80はまずきらない。
 しかし、しかるに日本の誇る繁華街である某駅前のSボウルで僕は大狂態を演じてしまった。なんとまあ驚くなかれ20回投げて28点。後半は殆どヤケになっていたが一投目は必ずガーターで、ボールは例外なくぎりぎりの所で左にそれるという状態。
 大学の友人は大学生のくせに遊びに行くことを忌み嫌っているらしく二年の夏にして初ボウル。その席にして28点、これはつらい。僕が相当な運痴と思われても仕方がない。みなも体格相応に大したスコアは出していなかったが、これはあまりにも酷すぎる。
 僕のせいか周りもさほど騒げず、息の詰まるような時間であった。
 ちなみに一月後、高校時代の友人の家に行き、そこでかつては2度行ったお馴染みのボーリング場では130台を出したので(スペア三連発!)腕が落ちた訳では無さそう。同道した友人は僕より遥かに上手な遊び人だが、「スターライトじゃないと出ない」という。
 そうそう、ボーリングといえば僕は現在海外に留学してした知人を思い出す。彼はこのボーリング場で何度か相まみえた同窓で、「土俵入り投法」という世にも珍妙な投げ方を操り、思いっきりファウルしたりロフトボールしたり隣のレーンに投げたり測定不能なほどの速度で投げたり何をトチ狂ったかピンを機械が倒している時に投げて機械を止めたりしていた。
 最後の時はさすがに連帯して怒られた。
 遠き英国の空の下、彼は今でも元気に分不相応な重さのボールを投げまくっているのだろうか。
ゲームセンター
(体感)

リーエンの頃

 今は昔の中学生時代、初めてリーサルエンフォーサーズを見たとき「ついにゲームの進歩もここまできたか」と僕は感嘆の声を挙げた。
 専用の拳銃でもって画面の敵を打ち倒す黎明のゲームである。
 以前にもにたようなものはあったが、大抵サブマシンガンがゲーム機に固定されており、殆ど自由に動かない上「弾丸切れ=死」という理不尽なシステムを取っていた。敵もSFアニメに出てきそうロボットが多かったな。
 この「リーエン」の特筆すべき所はその打破にある。
 まず主人公は刑事である。銀行強盗やら暴動やらハイジャックやらを銃一丁で解決するのである。当然、敵は人間である。ゲームには人質も出てきて撃つとライフが減るのである。
 そして弾数は無制限、画面外を撃てばリロードである。またアイテム銃を撃てば違った銃が手にはいるというのである。
 こういうゲームにはまらない中学生はどうかしている。
 当時、体感ゲームといったらレースゲームやパンチングマシーンなんてものしかなかったのだ。当時の技術ではあんまりはまれるものではない。
 このゲームが地元のゲーセンに入ったのは中学3年の夏休みで、文化祭実行委員だった都合上、僕はよく出校命令を受けていた。だが行ってみると、あるのはただの雑談集会。馬鹿馬鹿しいが教師も見回りに来るので家には帰れない。
 僕は相棒を誘って「昼飯を買いに行く」という名目で、よくゲーセンに
行った。
 そして銀行強盗をばしばし撃ち殺すのである。
 暑い夏、アイスを買う金も惜しんでやったからね。僕は貧乏だからすぐ金欠になったけど相棒の方は金があった。随分色々な敵を殺戮していったものだ。そして帰り道では「あんな戦場に出てくる一般人は撃ち殺されて当然だ」とか「拳銃一丁であんなところに乗り込む奴はいない」とかめいめい言い合った。
 技術は進歩して製造元のコナミは「ザ・警察官」なる傑作を作った。
 プレイヤーが右に動くと物陰に隠れられるのである。
 この傑作に小金持ちになった僕は1万円はつぎこんだだろう。拳銃一丁で、悪人を倒す。これが男のロマンでなくてなんだろう。他にも今までいくつものガンシューティングをやってきたが、やっぱこのゲームは面白い。
ゲームセンター
(メダル)

僕のフリョー時代

 この世に「バク才」なる才能があると思うか、と問われれば僕は大きく頷くことだろう。昔ツルんでいた掛値なしの「悪友」の業を思い起こすたびに、そう思わされる。
 その友人は小学校入学から卒業に至るまでずっとツルんでた(と、いうか兄貴風を吹かされていた)男で、気合の入ったワルだった。
 僕とは性格的に対極な彼とツルんでいたのは単に知り合った当時は実に友達がいのある男だったからだ。まあワルくなってからもその友人思いの性情は変わることがなかったが。
 朱に交わればなんとやらで彼には万引きの相方をかつがさせられたり、海外にいっていた彼の姉の部屋から無修正のポルノを盗んで隠れ読みしたり、とにかくロクなつきあいではなかった。
 だが、その悪業の最たるものが高学年になってからやったゲーセン通いだ。何といっても小学生が平日学校がはねた後、数キロ離れたゲーセンまで通っていたのだ。それも雨の降った日を除く毎日。
 当時のゲーセンでは「ストリートファイター2」「餓狼伝説」が相次いで発表され、格闘ゲームの黎明的大ブームが訪れていた。しかし彼はそんなビデオゲームになど目も暮れず黙々とメダルゲームに励むのだった。
 ここで彼の凄さを説明しておくと、彼も僕も1円もメダル1枚も持っていないのだ。普通0からメダルを作ることはできないが、彼はどういう訳かどこかからメダルを何枚かさらって来て1時間もすると必ず300枚は作るのだ。
 彼に秘策を聞いてみたことがあるが、答えてくれた試しがなく、このプロセスは未だに分からない
 とにかく謎の数枚のメダルを手にすると、彼は必ずポーカーマシンに挑み、1時間もすると大量のメダルを落とさせ、ギャラリーを周りに寄せ付けて薄ら笑いとともにドル箱を築いていくのだ。
 ああ、そのときに傍らにいる僕の誇らしい気持ち。
 そして僕が彼とゲーセンに来るのはこの後が目的なんだけど、その日のうちにメダルを全部使い切るのだ。時には中学生の不良に格安で売り付けて菓子やジュースに変わることもあった。
 そういう生活は小学校5年生の10月まで続いた。その頃、クラスの権力構造が大きく変わり、僕と彼は表面上は対立する関係になって しまったのだ。更に中学に入って以来、僕と彼とは住む世界が変わりもはや逢うことはなくなった。
 最後に街で見掛けたのは高2の夏、白い髪と黒い顔、首から金の鎖をさげた彼は「高校辞めちったよ」と自嘲的に笑っていた。
 以後の消息は全く聴いていない。成人式にも来なかったようだ。
 だが、僕は時に彼との無頼な生活を夢に見る。
 天然の陽に焼けていた頃の彼が、満面の笑顔を浮かべてドル箱を差し出して来る夢。
「さあ、やまち。ぱあっとつかっちまおうぜ」
 あの頃のように、元気でやってることを僕は祈っている。
ゲームセンター
(ビデオ)

格ゲー草創期の頃

 小学校5年のある日、男子生徒が一斉に踊りだした。
 教室の後ろで、ドラゴンボールの「カメハメ波」のようなポーズを取ったり、飛び上がって足をばたつかせたりしている。そうかと思えば右腕を一心不乱に払うようにしている奴もいる。
 観察する。
 カメハメ波は「はどーけん」、足をばたつかせるのは「竜巻旋風脚」(これは漢字で理解できた)、腕を振り上げるのは「パワーウエイブ」か「れっぷーけん」と叫ぶ決まりらしい。
 感染症のように一人また一人と休み時間の度に奇怪至極な踊りを始める仲間を見て、さすがに僕は一緒に踊ることは出来ないが一体これは何から派生したのか調べてみようと思った。
 今までも「アバンストラッシュ」とか「霊丸」とか奇怪なポーズが流行したが、それは周りの話からつかめたのだ。
 漫画雑誌を立ち読みする。当時、大人びた連中が凝っていたエロ漫画まで全部立ち読みしたが、そんな必殺技はなかった。しかし唯一巻頭カラーの情報コーナーにそれらしい記述があった。
 「ストリートファイター2」
 そうか、と思った。
 田舎の小学生にとってゲーセンは親や教師等より怖い「中学生」のたむろう魔窟である。ゲームといえば家庭用ゲームを指すのが普通だったのだ。
 とりあえずいってみるかと、僕は仲間に頼んで集団ゲーセン参りに混ぜて貰うことにした。そして親を騙して百円玉を一枚工面した。
 生まれて始めていったゲーセンは学校脇の中規模書店のゲームコーナーだった。ゲーム機にコインを落とす、とりあえず主人公を初めに使うのが定石だから「リュウ」なる「はどーけん」の使い手をチョイス。必殺技コマンドを暗記し、臨んだ。
 妙な相撲取り、があらわれた。
 そして結果は見事なまでの完敗だった。
 ただ、必殺技を出そうと四苦八苦したこと。一度も出なかったこと、クラスで一番早いタイムでパーフェクト負けしたことがあげられる。
僕は一瞬で相当量の駄菓子と交換できる硬貨を失ったことに激しいショックを受けた。
 現在、とりあえず努力と浪費の甲斐あって今でこそ一通りの技は 出るし、CPU相手ならどんな調子が悪くても三人は倒せる。それでも高校ゲーセン界では最弱(あんなオタク相手に勝てるものか!)大学でも弱いことで知られている。
 弱い物いじめが好きな僕としてはたまに暇つぶしをする時には色々たしなむが、決して対戦台には行かない。所詮ゲームと思いつつも、自分の理性に自信がないからである。
 しかしなんで格ゲーの強い奴はみんなケンカの弱そうな奴ばかりかね。ああいうのが現実世界で切れちゃうと、それはそれは恐ろしいバーサーカーになっちゃうんだろうな。
ビリヤード

3人のOと努力の成果

 この山王という名はよくビリヤードに行く3人の友人のイニシャル「O」から取ったものだ。先輩・同輩・後輩各一人ずつというこの面子のうち、僕らに伝来したのは後輩の「O」で集まるのはいつも、彼が会員になってるビリヤード場だった。
 以後、仲間が集まる度にここに集まるのだが、3人の腕の上達具合がおもしろい。
 まず、始めに僕らを誘った後輩の方は流石に伝来経験者というだけあって他の面子よりも段違いにうまかったが、段々その道では「後輩」である奴らに脅かされることになる。
 まず同輩の「O」この男はやたらと手先が器用な男で、文芸時代は編集作業に勤しんでいた。そのずば抜けた器用さと集中力から、全く同じ時期に始めておきながら、とんでもない上達を示した。大学付近の撞球場で練習し、さらには本屋でビリヤードブック片手に研究する(目撃情報あり)などの努力のお陰で短期間で随分上達した。
 今では本家本元を追い抜いて、1クッション入れて落とすわ、カーブかけて落とすわ、三回位ぶつけさせて落とすわ、対角線上に離れた玉を難無く落とすわ、もう凄いことになってる。
 一方先輩のほうは勉学系文化系は何でも知ってる男で、その反面運動や遊び系はからっきしダメで通っている人だが、意外に天性の素質はあるのかクールな顔をしつつもガンガン落として行く。どうも僕と同様あてずっぽうに打っているらしいのだが偶然の作用か落ちる。これは本人や他のメンバーに聞いても「謎」の一言である。
 さて、僕はどうかというとお粗末極まる。ポケットと白球と玉が垂直にあってもハズす。一回やって僕が落とせるのは2個か3個で同輩がうまくなってからはそれすらあやしい。
 「ヤマダは☆☆が悪いんだよ」と友人たちは技術をいうが、負けず嫌いの僕のこと。ついつい逆上し、映画「トレインスポッティング」の如く「こいつをキューで滅多打ちにしてやろうか」などと本気で思うので怖くなって最近は殆どやってない。
 まったく一事が万事という奴でこの努力嫌いというのはどうしようもないと思う反面、娯楽で努力するのも本末転倒のような気がして、かくて僕はいつまで経ってもうまくならない。
 特に手先の器用さが要求されるものは。
パチンコ
ライブハウス

蜜蜂は母校を襲った

 今に至るまでライブなるものにはいったことがない。
 理由は簡単で「個人崇拝に全く興味がない」「金が惜しい」「人混みが嫌い」とこんなところだろうか。ちなみに同じ理由でライブビデオとかクリップ集の類にも興味はない。200枚近くCDもっててもないものはない。
 強いてライブに近いものをあげるとすればそれは高校時代の「3年生を送る会」みたいな催し行事の生徒有志発表会ではないだろうか。
 いや、しかしだからといってこの「体育館ライブ」を馬鹿にしてはいけない。なんとこの発表会からメジャーデビューした歌手がいるからね。しかし所謂メジャーシーンでは全く聞かないから、今どこでどうしているのかは知らないけど(「アカペラーズ」って知らないでしょ?)。
 ともあれ、仮にもメジャーの末席をつかんだ彼女たちには及ばないとはいえ、僕の代で母校を席巻したバンドが現れた。
 その名も「HONEY BEE」というバンドである。ボーカルが女子、あとの3人は男子という編成で、主に今は亡き「JUDY&MARY」の カバーをしていた。
 僕はさっきバンドの類には関心がないと書いたが、メンバーの2人は元同級生で、他の1人は僕の親戚という都合上、例外的に関心があった。とはいっても僕の耳は音楽向きには生まれついてないから「ベースサウンドが云々」等といわれてもさっぱりだったが、とにかく 発表会の度に聴衆が熱狂しているのは解ったし、今まで発表会に出てきた下手くそ(トチりまくっていたので解った)に比べれば「これは凄いぞ」と思ったりもした。
 彼らは高校2年の発表会でブレイクし、熱狂ぶりは高校3年の文化祭で爆発した。彼女らの発表時刻になると、校舎から生徒が消えるのである。僕は文化祭実行委員のイベント班にいたが、彼女らとダブらないように時間調整に苦労した覚えがある。
 そしてこのバンドグループはなんと文化祭の優秀賞に輝いた。基本的にクラス単位に与えられる賞であったため、これは大変異例のことであり、それだけ彼女らの人気が凄かったことがわかるだろう。
 学校最後のライブ、高校3年生発表会。
 僕は舞台サイドの照明箇所にいた。もっとも何も動かさなくていいのである。特等席で見られると云う演劇部最後の役得だった。
 スポットライトの下、間近で見る四人は確かにかっこよかった。
 頭を押し流す音と情報の洪水に、なるほどライブに行く人間の気持が少し解ったような気がした。
 
クラブ

ゲーセンで彼は舞姫になった

 成人式の後、高校の同窓会という奴があった。
 最近の大学生なぞは金を持ってるので、ホテルなんかでパーティーをしたりするのだ。会費7000円也。まあ最近は多少小金持ち(奨学金という名の借金の故だがね)なのでこれ自体は貴重な体験をしたと思っている。
 さてその後の二次会。高校時代の友人5名とともにタクシーを呼びつけ、なんとゲーセンまで行った。馬鹿である。
 ゲーセンでは僕を除く全員がカーマニアだったため、やっていることはカーゲームの対戦ばかり。僕はガンアクション以外は一切不得手と心得ているので観戦一方に回った。途中、偶然文芸部時代の先輩連と合流し、ともかく夜のゲーセンは妙な活気に沸いた。
 これは無論アルコールの賜もある。僕は翌日試験があるというのであまり飲まなかったのだが。
 さてカーゲームの対戦は見ていて非常に飽きるのである。一人でスナイパーやら特殊部隊や警察官やっても面白くないので、しばらくゲーセン内を散策することにした。
 と、先輩方が黒山の人だかりを作っている。
 なんだありゃ、と行ってみると今流行のパラパラのゲーム。支柱の中で曲にあわせてうまく踊れればセンサーが動作を感知して得点を着けてくれるという奴だ。
 演じるは小学校5年よりの友人で、最近はクラブ通いにいそしんでいる等と称されるブルジョアの男だった。大学生の身分でアルマーニ着てくる奴だ。
 その彼が可憐に舞えば機械は呼応して満点を与える。いや、その様子には吃驚したね。僕は舞踊評論家でもホモセクシャルでもないが、この時の彼は実に美しいと思った。僕はパラパラにも造詣はないし、素材もさして美的感覚をくすぐる男とも思えないのだが、これにはすっかりあてられてしまった。
 はあー、いや凄いものだ。こりゃ女ひっかけられるね。片やゲーム組の方は相変わらずドリフト音きしませながら、あまり女にモテそうもないことに嬌声をあげておる。
 高校出てから2年間、変わる奴は変わるもんだ。
 彼からは何度かクラブ行きの誘いを受けた。だがまあ丁重に遠慮申し上げて正解だったようだな。ああいう異境の地で、独りぼっちの寂しい思いはしたくないからね。



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