学習塾
(集団授業系) |
「お前の大学じゃあ無理だよ」
肉体労働に向いていないことくらい自分で解る。
OK、大学に入ったら頭脳労働系のバイトをやろうじゃないか。それには塾講こと塾の講師がいいじゃない。教職課程も履修するし、時給も高いし、いうことなしじゃ。
そう、高校も末期頃に思っていた。
そういうわけで大学入学後、バイト斡旋紙を片手に吟味熟読した結果、隣町の駅前にある中堅塾に履歴書を出すことにした。
行ってみるとビルの前に自転車が止まっており、小学生から高校生までが、ぞろぞろと入って行った。頭の悪そうなのが多い。これなら大丈夫だろうとほっとした。
中に入って受付に来意を説明する。個別塾であったので、生徒が座る一つのボックスに案内された。試験が行われることは前もって聞いてある。
数英の2科目について1時間でやれとのことだったが、かりそめにも大学を受かった身が公立高校入試問題を解けといわれれば余裕だ。20分で見直しも
終わった。
ぼんやりと、辺りを見回す。
一応進学塾とは銘打っているが、どこに進学するのかは目に見えているような生徒ばかりだった。教師も教師で御同類大学生が多いのか、「課題をやれ」とか「あと五分」とかいう程度で何も教えていない。たまに「ここはそうじゃないだろう」とかいっている程度。驚いたことに僕の隣のボックスでは女子高生とおぼしき生徒が携帯でしゃべくりあっていた。
と、一人やたら大声で喋っていた茶髪のパーマ男が僕のボックスに来た。
「あー、終わりましたあ? だったらこちらへどうぞ?」
髪型とラフな服装に、初めは生徒にからかわれているのかと思ったが、二度促されて事務所に入った。
彼はソファに座ると名刺を出した。肩書きを見て驚いた。
彼は室長だというのだ。
室長という金髪氏(どう見ても30はいってない)はいきなりタバコに火をつけて「新一年生?」と訊いた。「はい」というと「ふーん、で、大学どこ?」履歴書を見ろと云いたかったが答えた。と、彼は破顔する。
愚かにも僕は、この笑みは「こんないい大学の学生がこんな塾に来てくれるとは!」的な笑みだと勘違いしていた。なんといっても教室は教師生徒揃って学級崩壊を容認しているようなところだったのだ。到底何らかの学習が出来るような所じゃない。
しかし彼は笑っていった。
「**大学ねえ、あのさ、その程度の大学じゃあちょっと教えんの無理だよ。一応空きがあったら連絡するからさ。そんときゃヨロシク」
これで面接は終わった。勿論連絡は来なかった。
僕はこの屈辱を忘れず、大学一年の二月にこの塾の新受験生募集広告を見るのを忘れなかった。
その前年実績には僕の大学以上の生徒は3人しかおらず、高校に至っては僕の出身校のレベルは10人もいなかった。
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学習塾
(個別指導系) |
短気は損気
夏期講習の教師を募集する、という広告が出ていたので「夏に一稼ぎでも」ともくろんで受けてみることにした。電話で申し込むと「面接時に英語と数学の試験をやる」というので前日にわざわざ理系の友人を家に呼んで簡単な数学をレクチャーして貰った。
張り切って面接に行く。場所は前回の所とは違い自転車で通える距離である。もっとも生徒の質はそんなに変わらない補習塾的な所だったが(これは当然の話でそんな大層な進学塾で教えられるほど、当方は頭が良くないのだ)。
入るといきなり村上龍そっくりの室長が僕を出迎え、空いているボックスで試験を受けさせた。ここでは集団授業とは聞いていたが、個別指導も併設しているようだ。
試験は前日のレクチャーもあって、やや難しかったものの八割は解ける確信があった。
ところが試験の時間が問題だった。1時間と聞いていたが、時間が過ぎても誰も来ない。10分が過ぎて講師と思われる背広姿に声をかけたが「室長に伝えます」と行ったっきり出てこない。あたりをキョロキョロしても生徒が教師とじゃれあっているばかりで室長はやってこない。
イライラしながら2時間待ち、2時間半を少し過ぎたところで室長が現れ、「どうもお待たせしました。面接をします」と云った。
今考えれば、これはわざと待たせて気の長さを調べる戦法だったのかもしれないが、見事にそのドツボにはまった。夏の暑さも手伝って相当僕はイライラしており、もう殆ど適当な、何も考えていない応答を繰り返した。「この塾」の志望理由に「他に全部落ちたから」などと答えるほど朦朧としていたのだ。
まあ当然、落ちた。
落ちたがこの話には後日談が2つある。
なんと僕の家にこの塾から「講師募集」の勧誘葉書が来たのだ。尤もこれは後に聞くと僕のいた高校の進学クラスにいた地元民全員に送ったらしいのだが、「面接だけでも受けに来て下さい」の文字が哀しかった。
もう1つは僕に数学のレクチャーをした男。彼が後にこの塾の面接を受け、講師を務めた。彼は翌年の二月にいくつかのチョコレートを持ってきて「生徒がくれたんだけれど、食べるかい」と僕に差し出した。
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家庭教師 |
僻地教育の依頼
CMかまびすしい某宗教団体の経営する(と、云われている)大手家庭教師会社に、僕は一時期登録していたことがある。これもやはり大学一年の4月のことだ。
しつこい勧誘電話の応酬の末、行ってみることにしたのだ。まあ応酬というのはオーバーだが、前にも語ったように教育系のバイトをする予定だったのだ。渡りに船とはこのことばかりに、その会社の事務所にまで行って来た。CMをバンバン打っている大手だけにまあ安心だろうと思っていた。
ところが、これがまたいい加減なのだ。
家庭教師と云うからなんかの研修やテキストがあるかと思えば、これが一切ない。大学の学生証があれば教えるのは何でもいいそうだ(つまり私立の国文科学生が依頼とあらば物理教えてもいいのだ)。渡された注意書は「セクハラするな」とか「暴力ふるうな」とか「もし訪問先と個人契約を結んだら、商法の規定により一〇〇万円貰う」などの脅し文句が書き連ねてある。
僕は大いに呆れたが、それでも金をくれるならと登録を済ませ、斡旋の電話が来るのを待った。
電話は登録から2ヶ月後、忘れた頃にやってきた。
「あのお、高校の政治経済の依頼が来たんですけど受けてくれますか?」
そう相手は云った。確かに政経なら登録している。とりあえず教えられると云うと生徒の場所を聞いた。
「木曜日に**市です」
僕は絶句した。そこは市とは名ばかりの辺鄙な街である。大体その街に行くには一時間に一本という単線路線を使って三時間というところで、更に平日は当然大学にいる。大学とは正反対の場所に位置しており、こんな話を請け負っていたら生活の基盤が崩れてしまう。
僕は丁重に断った。
その後も何度か依頼はあったが、いずれも僕の登録した「通学沿線」の住民はいず、片道2時間は余裕でかかる辺鄙な町村ばかりだった。
断り続けているので、向こうも業を煮やしたのか、ある時軽度の知的障害者を寄越してきた。しかも場所は電車なら30分程度だがそこからバスで1時間というところである。そんなところがあるとは夢にも思わなかった。
当然、断る。すると相手は云った。
「あのですねえ、そんあ選り好みしていたら働けませんよお」
そして禁句をまた口にした。「あなた程度の大学ではねえ」
その日以後、依頼は全く来なくなった。
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学習補助員 |
小休止
今回の話は小休止である。
このコーナーの他の文章とは違ってそもそも僕はここには面接に行ってない。
大学一年生の時、暇に任せてぶらぶらと仲間とキャンパスを散策していた。アルバイト斡旋掲示板の中にその珍妙な依頼を発見したのはその時だった。
タイトルには「学習補助員急募」とあった。
調理やウエイター、などスポーツ新聞欄の募集広告に負けずとも劣らない肉体労働系の斡旋ばかりが来る我が大学のバイト斡旋版の中で、その頭脳労働募集は一番上に飾られてあった。
読み進めると、雇い主は個人。軽い自閉症のある息子(農業高校を不登校中)に社会科の学習補助をして欲しいというのが仕事だ。期間は週に2日で、1日3時間来て欲しいという依頼だ。学習補助が家庭教師とどう違うのかは書いていなかった。食事補助・交通費・特典はいずれもなし。
給料は720円。ここいらの大学生相場なら200円ほど安い。
来る奴いるのかね、そう思ってよく見るととんでもないことが書いてあった。
720円の脇に(日給)と書いてあったのだ。
日給720円、時給に直すと240円。しかも大学の駅から彼女(雇い主の名は女性名だった)の最寄り駅まで電車代が片道160円はかかるのだ。食事補助も交通費支給もなくてこれである。
備考欄には「ボランティア精神に富む優しい方求む」とあったが、これが体のいいボランティアでなくてなんだろう。雇主はおそらくその子の母親だろうが「こんな親の下では自閉症になりたくもなる」と僕らはめいめい言い合って掲示板を後にした。
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酒屋販売員 |
商魂の鏡
非合法ではないだろうが、何となく怪しげな職場というのはある。
いつでもトンズラできるような巨大なテントのような店舗に(鉄筋を骨組みに壁は何とテント用の布であった)扱っているのは安すぎる酒。副業には金券ショップと健康食品を扱っていると来れば何をかいわんやであろう。
そこに僕は応募したのだ。
「春休み限定、販売員募集」という謳い文句にひかれたのが同期だった。どうでもいいが、夏募集は沢山あるが春募集というのはそんなに聞かないようだ。新学期から酒樽かつごうと思うほど、僕はタフではない。
ともあれ雪の降っている日、僕は面接を受けにいった。
さっきも云ったように鉄骨に布という大変イージーな造りである。その一角を衝立で仕切った「事務所」には小学校にあるような石油ストーブがあったがとにかく寒かった。相手も僕も終始オーバーを脱がなかった。
面接の相手はここの社長で、作り笑いが顔に貼り付いて取れなくなったような気持ちの悪い面相の男だった(ピエロのような気持ち悪さと思えばいい)。
面接ではしょっぱなからこう来たね。
「休みが終わってからも続けられるでしょうか?」
羊頭狗肉とはこのことだ。このオッサンはニコニコしながらも人を騙すことなど何とも思っていないらしい。僕は当然「それはちょっと」と言葉を濁す、相変わらずニコニコしたままオッサンは「高校の時、部活やってた?」と唐突に聞いた。「文芸部です」と答えると、心底嬉しそうに「それじゃハードボイルドとか好きでしょう? お酒の名前いっぱい覚えられるよ」と云った。
云った割にはここも落ちた。
電話連絡だったのだが、彼は残念そうに「春から先も続けられる人じゃないと困るんだよね」と云った後、急に声色を変えて「ああ、山田君の御家族で体の悪い人とかがいない? 実は最新の健康食品が中国から入ったんだけどこれを縁に格安でお分けしたいと思ってねえ」
僕は何も云わずに電話を切った。
本当に商売人は恐ろしい。
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水泳監視員 |
鬼教官とサーファー達
25メートルも泳げない運痴の僕が、プールの監視員の面接だって?
全く無茶な話だ。労働法ではどうなっているのか知らないが、僕は夏と言うことでじっくり本でも読もうと毎日読書に精を出していたのだが、母にはそれが気に入らないらしく勝手に申し込んでしまったのだ。時給が750円というのも気に入らないし、体を張る仕事なんて趣味じゃない。
それでも行ったのは「どーせ高い椅子の上から適当に過ごせばいい」とか、「水着の女がタダで見られるし」とかいう甘い考えに他ならない。
甘かった。
面接に行くと、偶然にも受付に小学生時代の同級生がいた。
彼女は目を丸くしたように「あれえ、山ち。何しに来たの?」と云った。僕は渋々「面接だよ、プール監視員の」と応える。彼女は開いた口が塞がらないと云ったように首を振り、「解っているとは思うけど、大変な仕事よ」と深刻そうに云った。
僕は軽く頷いた。彼女はため息と共に用紙に僕の名前を書いた。
面接はプール脇に造られたプレハブの建物で行われた。
すでに雇われていた監視員があたりをたむろしている。皆々真っ黒で髪の毛はサーファー然としたそれだった。喋っている会話もやたら間延びした言葉で、大学生など一人もいなさそうだ。そいつらが狭い事務室に群れている。深夜のコンビニ前を想像してくれれば大体よい。
未来の同僚も凄まじかったが、面接官が凄かった。
色々なところで面接をしたが、裸で現れた面接官は他にいない。言い忘れたが面接した日はまだプールがオープンしていない時期である。それなのに競泳用のモッコリパンツを履いて現れた男はジャンレノ似の筋肉男だった。肌の色はわたせせいぞうの漫画に出てきそうなチョコレート色。
それが軍隊の教官よろしく汚い言葉を交えて怒鳴りつけるのだ。
僕は彼を見た瞬間「あ、これはやめよう」と思ったので、出てくる質問には全部嘘をついた。それで「じゃ、泳いでみろ」とかいわれたら困ったが、幸い「明日からの救護練習会に来い」の一言で採用になってしまった。
これでとりあえず母との義理は果たしたので、逃げるように家路についた。
その夜、「明日から? 馬鹿いってんじゃねえぞ、25メートルも泳げない
のになにが練習会だ」等と思いつつ、辞めるいいわけを考えていると、プールの会社から電話があった。
電話に出る、と相手はプールの面接官ではなく会社の事務員が出て「今日、面接して頂いたんですけれども、電算機上のトラブルがありまして、この採用の件は白紙に戻していただきたい」という意味のようなことをぼそぼそ言った。
おそらく「採用」といっておきながらクビにするのに作ったいいわけだろうが、こっちにとっては願ったりかなったりだ。
夏にそこのプールには一度行った。あのチョコレート色のジャン・レノが、監視員を叱りとばしながら早足で歩いているところを見た。
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ウエイター
(喫茶店) |
オカマの失恋体験
ウエイターに950円の時給を払うという喫茶店の募集広告を偶然僕は手に入れた。しかも対象は大学生で土日だけというから僕の希望にどんぴしゃり。やたら価格が高い店で、その分お洒落な店だった。
店にはいると涼しい風がやってきた。すぐに蝶ネクタイで正装した女の子が現れる。席に案内しようとする彼女に僕は来意を話す。彼女は僕をボックス席に案内し、しばらく待つように云った。
店は軽いジャズが流れ、壁紙も涼しい色に流線型の模様が書かれ、所々にはリトグラフが飾ってあった。
と、店の奥からセーターにGパンの中年がやってきた。髪は少年のような短い活発的な格好だった。そして開口一番「まー、いらっしゃい」と云った。この声では性別は判定できなかったが、その嗄れ方からなんとなく「オバサンかな?」と思った。
しかし、ここで僕は重要なモノを発見した。
喉仏が出ていたのである。視線を下に向ければ胸がない。オカマだ!
「彼」は僕に許可を求めてタバコに火をつけ、さっきのとは別のウエイトレスにアイスコーヒーを持ってこさせた。すぐに持ってくる。ウエイトレスが去ると、彼は僕に顔を近づけて女言葉でささやいた。
「ねえ、可愛い子だと思うでしょ?」
僕は面食らって「はあ」と間が抜けた返事をした。ただ確かに皆可愛かった。
彼は満足そうに頷いて「そうでしょ、あたしがみんな選びに選んだコだからねー」と悪戯っぽくこっちを見て云う。「ところでアナタの顔、もうちょっと何とかならないかしら」
何とかといわれても、といううちに彼はくすっと笑った。
「冗談よ、本気にしないで」
冗談で済む話とも思えなかったが、僕は何も言わなかった。
あとは普通の面接であり(女言葉で喋るのが普通じゃなかったが)、僕も大過なく答えられた。どうも僕は彼に大層気に入られたらしく世間話までつき合わされた。そして1時間もした後「はいこれで面接はおしまい。週末に採用の電話するから楽しみに待ってなさい」と云われた。
僕は店から出ると大きくため息をついた。
ようやく採用か、と眩しい空を仰いだ。
ところが全くの不運でそれは消えた。
ちょうどその頃、我が家ではメインバンクを変えたのに電話料金の自動引き降ろしの口座だけ変え損ねたのだ。その結果、ある期間は電話が使えないことになってしまったのだ。ちょうど合格の電話がある日に。
我が家は電話を殆ど利用しない家のため、まったく気がつかなかったのだ。親戚が慌てて家にやってきて、気がついたくらいだ。
僕は大慌てで公衆電話から喫茶店に電話したが彼は正反対の返答をした。「ワタシは週末に電話すると云ったわよね。それなのにあなたはいなかった。信用のない人は雇えないわ。残念ね」
そういう趣旨のことを彼は言った。僕は懸命に事情を説明したが、どんなに頼み込んでもダメで、最後には電話を切られた。
不思議なことだがその時僕の頭には「失恋」という言葉が渦を巻いていた。(電話の声だけだと男とは思えないんだよ!)
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ウエイター
(ビストロ) |
ワタシには入れないトコロ
さしもの僕にもこれには参った。
さる大手グランドホテルのレストランでウエイターのバイト面接に行った時の話だ。夏休みのことでそのホテルでは野外バーベキュー専門のレストランを庭に作り、そこのウエイターを学生にやらせようとする魂胆だ。
求人紙には「夏だ、学生・フリーター集まれ!」とあり時給も悪くないし、交通費も食事代も支給される。何よりグランドホテルだから環境も良く、場所も清潔で気持ちいい。学生の一夏を過ごすにはいいではないか、オマケに僕はちゃんと髪とか整えればフォーマルウエアがよく似合うのだ。
はりきって電車とホテルバスを乗り継ぎ、面接会場であるホテルに向かった。
面接はグループ方式で場所はホテルのロビーだった。なんとロマンティックでカッコいいことか。制服で威儀を構えるポーターを横目にホテルにはいる。何となくエリートサラリーマンになったような気がした。
ロビーはなかなか混んでいた。不必要なまでに長いフロントでホテルマンに来意を告げると、丁重すぎるくらいに丁重に場所を教えてくれた。やっぱプロだなあ、と感嘆しつつ指定された場所に行って驚いた。
全員スーツを着ているのだ。
絶対、僕は場所を間違えたと思った。そしてもう一度ホテルマンに聞くと、やはりそこだという。僕にはとてもそうは見えないので、所在なげにスーツの塊の周りでうろうろしていると、その中で一人蝶ネクタイを締めた中年男性が「バイト面接の方ですか?」と聞いた。僕は一人、汚いカジュアルスタイルのままでその輪の中に入った。
ああ、この後のことは記述するのも嫌だ。
特に嫌なのはバイト経験を聞くところで、僕が未体験なのに対し連中は蒼々たるバイト先を答える。なかには中学出で割烹で6年修行したというのもいる。云っておくが、夏限定のウエイターの仕事でこれである。
僕は一人針のムシロで、何度も帰りたい思いにさらされた。
ま、当然だがここもバイトは落ちた。
しかしさすがここはグランドホテルの素晴らしさで、後にホテルから豪勢な封筒が届いた。中を見ると支配人名で採用できなかったお詫びと履歴書は返却する旨の丁重な手紙だった。
いや、最後まで僕のような凡下の輩には手の届かない世界であった。
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ウエイター
(カフェ) |
契約書と賃金債権
いつもいつもバイトの面接に落ちた話をしているので、読者諸兄はひょっとしたら僕の人間性を疑い始めるかも知れない。わざわざ語らないだけでうまくいったことだってあるのだ。ただそういう場合はストレートに決まってしまうため、著しく面白味に欠ける。退屈な思いはさせたくないので、こうして失敗談を書き連ねているわけだ。
ただ、たまには受かったときの話をしよう。
あんまりバイトに落ちまくったので僕はその頃、著しく意気消沈していた。落ちた理由は学習塾に高望みし過ぎたのが原因であるが、それで一々酷いことを云われ続けては憂鬱にもなろうと云うモノである(詳細は上を見て欲しい)。
と、云うわけで「新規オープン、アルバイト30人募集」の広告に飛びついても不思議ではあるまい。
結果から云えば、これはまったく簡単に受かってしまった。
ね、つまらないでしょう?
ところがここから話は面白くなる。やっぱり僕はここをすぐにクビになってしまったのだ。
最初の日は契約書のサインとオープン前の研修予定の発表があった。まだその店はキッチンが出来ていないので、調理研修は本店でやるという。本店は僕の街から2時間ほどの大都市にあり、研修期間とて正規時給は払うし、往復交通費は即金で出すという。
僕は早速その日の翌日に研修の予約を入れた。
翌日、早起きをすると僕は眠い目をこすりながら片道1000円と2時間の時をかけ本店まで行った。指定時刻より10分早くその店に着いた。
店にはいって来意を告げるとその店の店長と、僕の勤める店の店長が揃って出てきた。どうも様子が変だと思ったら僕の店長が「今日は研修がなくなった」という。僕は驚き理由を聞くと、この店に本社の社員が抜き打ちで検査をやりに来るからだという。
これを聞いて僕は困った。
当時、僕は全くの赤貧状態で帰りの電車賃が心許なかったのだ。
それで「あの交通費はいただけますよね?」というと、これが「何もやってないから出せない」という。往復にして4時間2000円もかけて「何もない」では引き下がれない。さらに食い下がると「きみに連絡を取ろうかと思ったが携帯がないから取れなかった。これを機に買ったらどうだい?」とくる。
あんまり頭に来たのでそのまま帰った。家につくと電話が鳴って解雇通知が来た、というわけ。
バイトだからってこんな簡単にクビ切っていいものかと思うが、とにかく僕はこうして職を失った。僕の手元には雇用契約書と初めの研修で払われるべき、3000円の賃金債権が残った。
付記・民法174条によって権利は消えたけど恨みは全く消えていない
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工具店作業員 |
ヤー様とのひととき
比較的近場に工具センターがオープンし、そのオープニングスタッフを短期で募集するそうだ。時給が高けりゃ短期だろうが関係ない。ダメモトで行ってやろうじゃん。
そう思い立った僕は手続きを踏んで、面接会場へ向かった。
面接会場はその職場である。別にどこで面接しようと構わないが、その工具センター。まだ建設途中なのだ。既に外郭は完璧だが、内装がまだまだで壁を貼ったり、棚を組み立てたり、電気の配線をいじったりしていた。
いったいどこで面接をするのかが解らない。
あたりの作業員にかたっぱしから大声で話しかけるが(うるさくて話もできないのだ)みな外注の建築工員なのでわからないという。なかには日本語すら解らないものもいた。それでも地道な聞き込みの結果、断片的に情報は入ってくるが、肝心の場所がどこかは解らない。建築資材のせいで、センターは迷路のようになっていた。殆ど宝箱を求めて洞窟をさまようRPGのノリだ。
ようやくその「事務室」をみつけたのは予定時刻を10分過ぎていた。
ノックして入室する。男が机に向かって書き物をしていた。おそるおそる、「アルバイトの面接に来ました」と云うと、男が顔を上げた。
ヤクザがいた。
正直ビックリした。荒っぽい土建屋さんたちはこの建物を右往左往しているときに沢山見たがその恐ろしさとは比較にならない。宝箱を探していたら魔王に会ってしまったようなモノだ。
ヤクザパーマに鼻の下の髭。べっこう色のサングラスに濃紺のスーツ。下にはワインレッドに縦縞の入ったシャツ、勿論えりは出している。指輪も腕輪もゴールドだ。
「遅かったな」
突然怒鳴られた。顔は怒っていると云うよりつまらなそうだった。
こっちのことはろくに聞かれず、空き時間や勤務時間などについて怒鳴られながら説明を受けた。と、いうより怒鳴り声が彼の普通なのだろう。僕は異形の男を前に為す術もない。
男は一方的にまくしたてると最後にこう云った。
「あと、オマエらには接客もやってもらう。ちゃんと大声で応対できるか?」
「はい」
突然男の顔が険しくなった。
「声がちいせえ!」
僕はその大声に萎縮し、それでも懸命に怒鳴り返した。「はい」と。
一応採用になったよ、でも誰がそんなとこ行くかい。
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