回転寿司屋 |
いきなり裏話
特別キリ番である2856番をGET召された「トルナラトーレ」氏から来たリクエストは「回転寿司/店名は自由」ということだった。ここに私は氏に敬意を表して以上の様な店名をつけて、これから寿司、殊に回転寿司についてささやかな体験談を記してみたい。
僕は元々肉や魚がダメな性格で、当然生魚なんて食べてみようとも思わない。実際そういう生活を長く送ってきたので、今回の施設は結構てこずるかな、と不安に思うところもあった。
けれども、こういう時に知人というものはありがたいもので、僕が眠っている間に当村の村長公邸応接室(チャットルームです)で、助役とBINさんとみけさんが雑談がてらに色々とネタを提起してくださったんですね。
僕は過去ログを翌朝拝読して、まさに瞠目しました。
今回のネタ(そう、新鮮なネタ!)はこの御三方によるところ大でありここに深く感謝します。また、色々寿司の話を教えてくれた僕の直属の後輩にて寿司銘店の御曹司である友人Kにも感謝します。
では、これから12個ほど、寿司について書き始めましょう。
寿司に関しては当施設の他に「ふじさき」「花丸横丁デパート」 (いずれも繁華街)という施設にもそれぞれ話題が出ていますので、各々参照していただけるとより一層楽しめます。
それではネタが新鮮なうちに、お召し上がりください。 |
僕の後輩 |
就職難の時代にねえ
高校時代の文芸部で僕の一番弟子である後輩はさる寿司店の老舗の御曹司である。昨今、大抵の自営業者2世がそうであるように、彼もまた家業を継ぐことには乗り気ではないらしく、家業とは反対のことをしている。
僕は「何かと世話になれる」という理由で「ちゃんと親の跡目をつげって。親孝行すると天国にいけるぜ」とあの手この手で唆しているのだが、頑として同意しない。困ったものだ。
その思想は彼の服装や態度にも現れていて、まず頭は黒髪で軽くパーマをかけているし、服装は単色モード系で統一している。都会のシックなおにーさん風である。
これはいけない。寿司屋のイメージとしてはまだパンク少年風の方が似つかわしい。もしくは一昔前の応援団みたいな超硬派な修羅道を極めたような漢でなければならない。彼のように小奇麗に服飾を楽しんではいけないのだ。
ついでに趣味も芸術関係に強く、これは名家の道楽息子にはありがちなのだが、文芸と大太鼓(洋楽器のほうね)の腕前は同世代で学校随一という腕前、そういうセンスがあれば寿司だって握れようにと諭すと、「僕の手はピアノに向いているんです」等とほざく。
一体全体、ここまで寿司屋のイメージと反しているのも珍しい。部屋には本屋が開けるくらいの本があるし、CDやらゲームやらが山積しており、事実格闘ゲームはかなり強い。
まったくどうなってんだか、と思っていたが先日彼の父親である「大将」とお目にかかる機会があった。なるほど彼の父親らしい、非常に知的な方であった。もうキャリアからいってプロ中のプロであるが、所謂寿司屋のイメージとは随分離れていた。
なるほど、ここからフィードバックして考えると僕の弟子は多分、家業を継ぐほうに僕はかけているんだけどね。先日店でバイトしている彼と逢ったし、中々作業衣姿もハマっていたしね。
どうか彼には家業を継いでもらいたい。
そうすれば何かと面白いじゃない?
え、先輩の権威を傘に金払わないだろうって? そういうことはないさ、疑うならばこの施設を最後まで読んでください。
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後輩の店 |
親子で涙したトイレ
前述の後輩の居住している家は我が家の近くなのだが、元は店舗だったそうな。現在の店舗は家から離れたところに本店としてあるのだが、以前は2号店というのがあったのだ。 だから彼の家の構造は階段やトイレの配置など色々な点で一般の民家と異なっている。
僕が遊びに行くとまず通される2階の彼の部屋などは畳敷きで襖で四方を固められている。寿司屋の2階で広大な畳部屋といえば解るが、つまり元々そこは宴会部屋だったのだ。兵どもの夢の跡、彼がどんあ思いで生活しているかは未だ聞いていない。
まあ、そこが宴会部屋だったのは結構前のことだから気になんかしないだろうな。僕も気にせず寝転がって漫画読んだりゲームやったりしているしね。
そういう訳で色々かつての名残を残す家、トイレも勿論、住宅にある洋式ではなくて、食堂などにありがちな和式である。ここでもツワモノどもが吐きまくったのだろうか。あまり他人のことは言えないが、なんとなく古の酒豪の思いをはせる。
と、そのツワモノは存外、僕の身近にいた。
誰であろう、僕の親父である。
前述したとおり、彼の家と僕の家は近い。彼の家が営業していた頃(今もそうだが)親父は地元の企業に勤めるサラリーマンである。当然宴会なども多々あり、この寿司屋が選ばれることもよくあったという。
僕に遺伝子を与えた下戸の親父。
当然、あのトイレで下戸の苦しみを何度も味わったという。
日々、そのトイレを使ってる僕の後輩にはナイショだが、あそこには山田家二代が、アルコールの苦しみに屈した世にも珍しい トイレなのだよ。
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ロウフィッシュ |
味覚の世界標準 色々なところで書いているが、僕は肉は食えない。特にそれが何の動物のどこの部位かと書かれた所は全滅である。つまり肉の肉というところを意識するとダメなんだね。
簡単にいえばハンバーグは工業製品っぽいから○、ステーキは肉という感じがするから×。最近では焼鳥は肉の部位がどこか解らないから○、皮は場所がわかるから×という具合である。
さてここで寿司なのだが、残念無念、今日の今日に至るまで赤身は全く食べられない。血の塊を齧っているような、筋肉組織を齧っているような、ともかくここまで「肉」を全面に出された「生肉」は食べられない。
トロよ、カツオよ。さようなら。
また堂々とその部位がわかるネタもダメである。
海老やイクラやウニよ、さらば。
かくて僕が食べられるのは「タマゴ」「タコ」「イカ」等何れ劣らぬ低価格食品に終始するのである。これは貧乏学生時代には いいかもしれないが、会費制の宴会などで相対的にバカを見ると いう欠点がある。
うまそうに大トロをぱくつく家族や友人などを見るにつけ、色々複雑な気分になる。僕が心の底で呟くのは「僕の舌はグローバル・スタンダードなんだぞ」という負け惜しみくらいである。
(それも最近では「ヘルシー食」或いは「高級食」としての人気のせいで外国人がよく食べるようになっては来たけどね。まだまだ 「食品」として認知されたとは思えませぬ) |
時価の恐怖 |
僕には関係なし
何が恐ろしいといって「時価」の張紙ほど恐ろしいものはない。僕はそんな恐ろしい表示のある店には入らないのだが、たまに大衆料理店などでもひょいと見かけることはある。大体は鴨とか鮎とかの旬的料理なんだけどね。
時価なんて値段が店主の胸先三寸なところに入るのは当然、富裕層だけで、この表示は一億総中流社会の中、一種のドレス=コードの役割を果たしているといってもいいだろう。
寿司という業種は、しかもそれが銘店であればあるほどそういうものらしい。いちいち計算しないし、レジだってない店も多いから、自然店主は客に対する選択眼も厳しくなる。客にしてもそのような店の価格は料理に出すのではなく、店主の心に出すものであるからして提示された額を拒むことは出来ない。
相手を見て値段交渉をするのは知人の援助交際経験者の話を彷彿とさせるが、寿司の場合は事後商談だから始末が悪い。やはり、その場の雰囲気を敏感に察して決めるんだろうね。東京都なんか、ぼったくり防止条例で、値段の明示が義務つけられたからさぞかし大変じゃないかと思う。
その点、回転寿司は明朗会計そのもので嬉しい。なんといっても店によっては10円刻みで皿の色が違うのだ。あの悪趣味なまでに彩色された毒々しい皿も胃をいためずに安心して食事をとるために必要なのだと考えれば…悪くもないかな、と思う。
ああでも店主に万札詰まった財布を投げて「大将、これで適当に握ってくんなあ」ってやってみたいなあ。バブルの頃はそういう成金がいっぱいいたんだろうなあ。
靴を探すのに万札燃してみたりね。 |
南蛮人には… |
本当に家でも食ってる? 大体なんだよ、あのフルーツ寿司ってのはよお。
これだから南蛮人は嫌になるぜ。ああいう紛い物は好きじゃないんだよ。僕の感性からいえばフルーツ寿司も英文俳句も外人力士も認めませーん。
ま、そういうこと云ってると外国の方々から「ほんじゃ、オタクの国で流行っている微妙に英語の混ざったポップスは米英の紛い物じゃないのか、シェケナベイビー」と云われそうなので、何も云わない。まあコピー天国である日本の息を吸ってるだけで文化の独自性なんて語れた柄じゃありませんが(おっと自虐史観的)。
ともあれこのフルーツ寿司。1993年の2月にハワイに行った折り、当地のカフェテリアで見て「噂には聞いたがバカなものを」と冷笑し、併せておいてあった「COLOR SUSHI」と称するシャリを合成着色料で染めた寿司を見て呆れたりもした。
ところが現在、日本にもスシ・バーが出来て出されてるからね、フルーツ寿司。まあそういう横文字に憧れる自称流行のフロント・ラインにいるアーティスト諸君が集う特殊空間なら何やってもいいんですが、いまやコンビニにもあるからね。フルーツ寿司。
着色寿司はさすがにないけどダイエット用に食事の色を変える粉末(青い味噌汁、飲む気する?)は日本でも販売している。
ねえ、誰か声を大にしていってよ。
そんな気持ち悪いもんあんか食えない!、って。
「最近、フルーツを寿司にするのがチョーナウくてよお、マジでうまいんだわ」とか云ってフルーツ寿司なんて食ってる奴が、家で丼飯の上に果物をかけているとはとても思えないんだけどね。
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バイキング |
安物喰いの…
さて、寿司について理論(?)ばかり語っていても飽きると思うので、たまには実践を話しましょう。
都市部(中央・地方を問わず、都市)に住んでいる方なら解かるでしょうが、バイキング・スタイルの料理屋ってありますね。大体は焼肉がメインで、とにかく一堂に並べられた料理を好きなものを好きなだけ取ってきていいというシステムの飯屋。
値段は大体昼は1000円、夜は2000円というところが多いかな。僕は限界量がかなり小食なのであまりそういう相対的に損をする店には行かないんですが、そういう店では「焼肉」と「寿司」がメインなようですね。
店の特性上、どちらもそんな高級品は使ってないんですが、特に寿司は早めに満腹にさせようという意図からか、やたらとシャリが多いんですね。
僕は寿司はネタよりも酢飯が好きという変わった嗜好の持ち主で、焼肉も食えない性格上、そればかり食って満腹になってしまうことが常でした。
テーブルごとに点火された肉を焼くコンロのせいで店は常に熱く普通は寿司には向いていないところです。おまけに元々短期間で大量に仕上げ、また単価を下げるため、その寿司は粗悪品で更にあぶられた寿司は一定以上の味覚を持つ人は食えるようなものじゃありません。
前述の寿司屋の御曹司はいつもそういう店の寿司を見て「ふっ語るまでもない」と妙にシリアスになりつつも決して箸をつけようとはせず、寿司にはしゃぐ僕らを常に冷ややかに見ておりました。
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大食の親子 |
潰れた理由 あれは僕が初めて回転寿司に行った時の話。
そこはれっきとした回転寿司の店で、しかもその寿司は食べ放題だった。価格は大人1000円で、子供が600円だった。値段の高低についてはあれで高いのか安いのか解らない。
ともあれ家族で行ったのだが、そこには既に先客がいた。
デブの父子である。
これはどこからみても親子としか思えない実にインパクトのある2人連れだった。なにが凄いといって2人とも厚い眼鏡に坊主頭でっぷり太った腹である。親父のほうはいいかもしれんが、子供の方は気の毒としか言いようがない。
ともあれ、2人は地獄のガキの如く次から次へと食っていった。その喰いっぷりは見ているだけで気持ち悪くなるほど。その寿司屋は回転寿司なのに注文もできるようで、親父の方が子供の分まで注文し、子供は顔を上げることなく食い続け、皿の山を築いていった。後から来た山田一家はすっかり圧倒されて、注文すら出来ずに廻ってくる寿司を細々と食った。
台風のような親子はその後も1時間近く食い続け「ご馳走さん」といって店を軽やかに出て行った。あとには山のように並べられた空き皿だけが残った。
2人合わせて50枚以上あったことは覚えている。
「なんだよ、あいつら」と大将らしき店の中年男性が云った。
「ったく2度と来るなってんだ」
僕は客にも驚いたが、この店主の物言いにも驚いた。
そういうことを云われては僕らもろくに注文できず、おずおずと撤退した。
それから間もなくしてこの店は潰れて弁当屋に宗旨替えしたがその理由があの大喰い父子にあるのか、大将の態度の悪さに あるのかは残念ながら解らない。
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流浪の寿司は |
乾いたイカと就職難の時代 昔読んだ雑誌で「吉野家の紅ショウガの底の方はどうなっているのか?」という話題があった。あの最大手牛丼屋の卓上のショウガは常に八分目まで入っている。従業員は追加すれどもかき回してる様子はない。と、いうことは…、そんな話だった。
似たような話は回転寿司でも当てはまる。
寿司は皿に乗ってゆっくりと客の前に披露されていく。
ここらへんはダッジ・オークションと同じ、早い者勝ちである。客の趣味や値段などにもよるが、特に値段の差が低い(或いはない場合)場合は売れるネタと売れないネタの差が顕著になる。
これは悲惨である。
同期のトロやらウニやらのスターが一周巡ることなく客の胃袋に入るのに対し、イカやらタコやらはいつまでも廻り続け、売れない恥ずかしい姿を客に晒すことになる。特に悲惨なのはイカで何度も廻っているうちに温度の関係か、表面が乾いて膜みたいな物が出来ちゃうのね。非常に不味そうであるし、喉に詰まりそうで怖い。
何にせよ、新鮮さが売りの生鮮食品の雄たる寿司のこと、時間が経ってしまったものは一顧だにされなくて当然である。
就職難の現代、同期が次々に企業に食べられている中、僕だけがいつまでも同じ四季を廻り続けることがないように、努力しなくてはいけないなあ。
(高校時代の連中はいい値段の皿に入っているけど、僕の大学なぞは百円皿でも御の字だからなあ)
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屈折の御吸物 |
無知の哄笑 今回は出前寿司の話をしよう。
田舎に住んでいた時代、当地には目立ったレストランの類はなく宅配ピザなんてものもなかった。諸商店は日没と同時に閉まるので、慶事の夜などは御馳走を食べる術は唯一寿司の出前を取ることだけだった。
僕は子供の頃から(今以上に)肉食が出来なかったので寿司など食べたくもなかった。当時は今や好物であるタコやイカさえも ダメだったのだ。
そんな僕の最大の楽しみは後述するが、常食としていたのは専ら巻物と酢飯とショウガだった。酢飯というのはシャリのことで僕の割当寿司はネタを家族に謹呈して、代わりに酢の味が染み付いた飯を貰うのだ。僕にはそれで満足だったのだ。
そういう訳のわからない食事を何年もしていたが、僕はこのすしの出前がたまらなく好きだった。これはさっき秘した最大の理由、即ち御吸物が飲めるからだ。
御吸物と云ったってただ永谷園の松茸味の乾燥粉末がついてくるだけなのだが、僕は長らくこれを「寿司屋でなければ飲めないもの」と思っていた。市販品、ましてや4袋100円とは思いもよらない。愚かにも僕はこの1杯を飲むために、食べれもしない寿司の出前に毎年毎年賛成動議を出していたのだ。
無知なる者は常に賢者の嘲笑を誘う。
もはや100円のロスに通常は痛痒を感じない今、松茸味(笑)の御吸物を前にして、あの頃の僕を哀れに笑っている。 |
僕の湯飲み |
鮎鱈鮭鰆鰊鰯鮫鯵 湯飲みはかなり酷使するほうだ。本来の用途であるお茶や珈琲の類は勿論、ジュースからワインからビールからスープからラーメンからとにかくありとあらゆる汁物を湯飲みで飲んでいる。春夏秋冬休みなし、これはこれで奇癖に属するのかもしれない。
ともあれ僕の湯飲みとはもう10年以上の付合いになる。
僕の友人の相当数は中学で知り合ったメンツだからそれを考えるとなかなか感慨深いものがある。
これを買ったのは小学校4年生の時、地元の公民館でやっていたバザーで50円で買ったのだ。誰の手から渡ったかも知れない格安の食器を買うことなど、デオドランド文明に属された現代人は理解できないかもしれない。僕も正直今の感性からすると理解に苦しむ行動ではある。
だが、幼い頃から使い続けたものには愛着があり、もはや自分が作ったかのような親愛の情を覚えている。
その湯飲みのデザインは寿司屋などにある魚編の漢字がルビ付きで並んでいるもの。小4の男子が選んで買うにしてはシブすぎるが、きっと当時から個性的だったのだろう。
僕はその頃から湯飲みを使っているが、覚えようと思って湯飲みを睨んだことは一度もない。にも関わらず寿司屋などの御品書きを結構読める自分に気がつくと時「やっぱ無意識って馬鹿にもならんな」と思ったりもする。 |
親父と寿司 |
デリバリー料金 我が家はかつてとんでもない田舎町にありました。まあ、今でも住んでいるところは同じなんですが、周りの発展の度合いが雲泥の差です。何せ当時はアスファルトや下水道さえ来ていない土地なのですから。周辺の荒地には野生の麦が生えてんですよ?
職場に近かったというだけの理由でそこに居を構えた当時独身の親父、とはいってもそんなところに飯屋があるわけでもない。食材を買おうと思っても商店は日没と同時に閉まってしまう。
会社がはねて夜になり、家に飯がなければ不定期に現れる屋台を探すが、遠く離れた自販機までジュースを求めるかと云った生活。そんな中、唯一の頼みの綱は近くの寿司屋に電話して出前を取る ことだった。
電話がいつ引かれたのかは知らないが、ともあれ若き親父は寿司屋に電話を書け、なんとか出前を頼むんですね。
ところが先刻説明の通り我が家は田舎中の田舎で、「**地方のチベット」と陰口を叩かれる立地条件、親父の職場とは関係はありませんが、伝染病隔離施設があったくらいですからね。道路は舗装されてないし、街灯なんてのもない。あるのは藪か道かの世界で、時刻が夜とくれば遭難者が出てもおかしくない。
そんな所へやってくる出前持ち、たまりませんね。
心優しき親父は一人身なのに二人前を頼んでいたそうです。 冷蔵庫があったとはいえ、随分それは大変だなあと思いますね。親父も出前持ちもね。 |
ヤクザな店員 |
キ印に刃物 すぐにバイトの面接を落ちる僕を常日頃から馬鹿にしていた知人が、寿司屋のバイトを1週間で辞めてしまったという。
僕はそれ見たことか好機到来とばかりに、一生懸命効果的な罵倒文句を考え、翌日逢ったときに披露してやった。ところがいつもは病的なまでに明るい彼が今日はいつになく沈んでいる。死体を蹴飛ばす趣味はないので、僕は舌鋒を収めると訳を聞いてみた。
彼の勤めたのは地元にある回転寿司屋である。僕は知らなかったがチェーン店らしく、彼はもはや不要になったメニュー表を僕に見せてくれた。なるほど明るいファミレスのようなメニューで、その感じから確かにその店がチェーン店であることを知った。
にも関わらず、この回転寿司屋はある点で決定的にファミレスとは違う点を持っていた。
従業員である。
我が後輩の寿司屋のような代々インテリジェンスに溢れた人などはあくまで例外項であって、一般の寿司職人のイメージは「火事と喧嘩は江戸の華、男任侠修羅の道、とめてくれるなおっか さん、包丁一本晒しに巻いて」の世界である。
ああ、彼が何も知らずに入ったチェーン店の開店寿司、まさしく彼らの跳梁跋扈する巣窟だった。
なんせ事務室の奥に隠れた店長と称する男以外、高校卒業(或いは在学)資格を持つものは一人もいない。髪が黒い者もいないし、普通に喋れる奴もいない。堅気な奴もいない。おまけに料理の道に生きようとしているものもいない(そういう修行者は本物の寿司屋に行くだろう)。
彼は初日にして「ガンつけてんじゃねえ」等と因縁をかけられ、同じ暴走族に所属すると思われる料理人から集団で囲まれた挙句に包丁で脅され、泣く泣く辞めてきたというのである。
はあ、と僕は思った。
その頃、ちょうど僕もバイトを探している頃で、いつも求人しているその寿司屋には多少の疑念を持っていたが、そんなことがあるとはねえ。
たまにその寿司屋の前を通ることがある。
いつも止まってる大型バイクが店のものか客のものかは未だ判然としていない。 |
過当競争時代 |
寿司は鮮度が命では? 回転寿司がさほど儲かる職業とは到底思えないのだが、近年都市化著しい我が故郷にも、ここ数年間で回転寿司が4件も出来た。
まさに寿司ラッシュというもので、とある一件などは余程物件に不足していたのか買収したパチンコ屋の、その中を改装して寿司屋にしてしまった。確かに近場にはボーリング場をそのまま改造した家具屋の如きもあるが…、やはり飲食物を扱うには不適格のような気がする。
ともあれ、そのように怪しげな店が林立して、しかも潰れないで営業していることを考えると、日本人とは嫌はや寿司が好きなものだとろくに食えない僕は呆れざるを得なくなる。
面白いのはこの数件の寿司屋、いずれもネタの仕込先である漁港の名を店名またはサブタイトルに明記し、各々差別化を図っているのである。
僕の住んでいる県は臨海しており有名な漁港もあるのだが、それは先取権益とばかりに元々の店が名乗りを上げているので、新参者は嘘か誠が随分遠くの港の名前をあげている。呆れたことに手元の「駅すぱあと」というソフトで調べると、最速電車で3時間以上もかかる港の名前を平然と出してきたりする。
やはり通になると、どこ産の魚であるかが重要になるんだろうか? 僕には廉価が売りの回転寿司屋に来るような客が、そんな差味を聞き分けるほどの舌力ありとは到底思えないのだけれどもね。 |
廻り廻るよ |
寿司とケーキ まあ呆れたもので回転寿司というものは色々なものが廻ってくるものである。既にドリフあたりがネタにしていそうだが、妙なものが流れてくると桃太郎の老婆よろしく吃驚する。
僕が初めて行った回転寿司屋はおとなしくて冷奴と茶碗蒸くらいしか流れてこなかったが、何を血迷ったのか極まった店ともなると、ゼリーは出るわプリンは出るわフルーツは出るわ、シュークリームが廻ってきたときは世紀末を感じたね。
大体何が悲しくて寿司屋でシュークリーム食べるの?
どーせこんな馬鹿なことを考えたのは「これからはナウなヤングのハートをゲットしなければならない」とか考えている馬鹿オヤジ現場知らずの本社のリーマンだろうね。
こんなアホなこと、現場から止める声は出なかったのかね。
所詮はチェーン店、志のある寿司職人はいないのかもしれないが、しかしこれは酷い。いくら廻るテーブルがあるからって、そこまで品位を落とすことはないと思う。
こんなことを続けていると、そのうち異業種にのっとられるよ。庇を借して母屋を取られるって奴ね。寿司が食えない僕としては歓迎すべき事態なのかもしれないが、やっぱり寿司屋と名がつく所でケーキは見たくない。
また寿司屋でケーキを食うことがナウいと考えている人たちも人道に対する罪で絶滅して欲しいものだ。 |
あがり |
続・業界用語の無知 つらつら書き連ねてきたが、本稿もこれで終わりである。
キリ番施設ということで、助役から精神的にせっつかれながらの執筆で、散文的になってしまったのは否めない。しかも執筆は試験の真っ最中という訳でどうもオチにもキレがない。キリ番名誉村民を初めとして読者の皆さんには反省すること仕切りだ。
さて、ラストということで「あがり」としてみた。
「あがり」とは業界用語で寿司を食べ終わったあとに飲むお茶のことを指す。元は双六から来た言葉だね。このお茶を飲んだら客は清算して帰るのみだから。
寿司屋での符丁たる隠語を客が使うことは寿司屋に対する侮辱になるということは、かつてこのHPでも書いた(繁華街→花丸横丁→寿司千)。このHPは確かにマイナーであるが、様々なる機縁でこの拙文を読んでいる皆様に於かれましては、どうかその様な愚行はお控えいただきたい。寿司屋を馬鹿にするだけではなく、無知を天下に晒す訳で、これは知らなかったでは済まされない。
本稿執筆中に別に取材意図はなかったが、一人で百円均一の回転寿司屋に行ってきた。相変わらずタコやイカ、珍しいネタではツナ軍艦を食べていたが、やはりそこでもオッサンが連れの若リーマンに業界用語を披瀝していた。
彼は「**さんって物知りっすねえ、今度彼女に教えますよ」と云っていた。アホ面のリーマンどうせ彼女にも振られるのだろう。寿司屋の符丁を土産として。そしてこの連鎖は広がり続ける。
僕は自分のページをメジャーにしたい。
そしてこの半可通どもを啓蒙の光に晒してあげたいね。
つくづくそう思うよ。
「あがり!」 |