憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記

2004 年 09 月

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才能なき専業主婦は去れ (2004-09-02)

才能なき専業主婦去れ

才能のない専業主婦は、専業主婦をやめたほうが良い。

家事ができぬ専業主婦

「家事の才能ゼロです。でもがんばってます。がんばっている専業主婦をバカにするのは許せません」という意見をいただいたことがある。そんなに専業主婦をバカにしたような記憶はあまりないのだが、受け取り方によってはバカにされているように感じられるのかもしれない。

「がんばることが素晴らしい」という努力賞賛主義のすべてを否定はしない。でも本当に価値あるのは、努力しなくても結果を出せることだ。しかし人生では努力した結果、無意味に終わることも多い。「がんばることが素晴らしい」というのは、努力しても無駄だった人への救済にすぎない。

家事が不得意ならば、別の人に任せればよい。自分が不得意としている領域で、もがき苦しむだけ無駄であり、効率的ではない。

話はややそれるが、私は「ウサギと亀」の話が嫌いだ。亀は亀らしく海でまったりしてればよいのである。たまたまウサギが手加減してくれたおかげで亀は勝てただけだ。山の頂上まで登りつめて、その後どうやって海に帰ったんだろう? 海に帰る前に力尽きたのではないだろうか。

人には能力差があるのだ。自分の足に合わない靴を履いていては、気持ちよく歩くことはできない。

家事ができない悩み

専業主婦の主な作業は家事である。家事でどれだけの人がストレスを感じているのだろうか。NHKの調査結果を見てみたい。

家事ができないとストレスを感じた人の割合

上のグラフは、家事で強いストレスや中ぐらいのストレスを感じたことのある人の割合である。

  • 男女差が大きい
  • 30代女性の多くがストレスを感じている
  • ストレスを感じているのは若年層に限らない

が、大きな特徴だろう。

「最近の若い女性は家事がろくにできない」とはよく言われる。しかし、中高年層でも「家事ができない」と悩む女性は少なくないのである。家事をうまくこなすのもある種の才能や素質が必要である。その素質に欠ける女性は、ある割合で存在するだろう。教育によって家事能力の向上も期待できるが、それでも才能のない女性はいる。データが示すとおり、「家事が出来ない」と悩む女性は多いのだ。

才能がないなら、専業主婦にはならないほうがいい。不必要にストレスを感じることもないだろう。がんばることは別に素晴らしいわけではない。

才能のない専業主婦は、専業主婦をやめたほうが良い。

Yas的日常

結婚式を想像してみる

友人の結婚式に出席することになった。その帰りに名古屋でオフ会の予定。

悩むのが、ミスチルを歌っていいのかどうかだ。不倫をした人の歌を歌っていいものかどうか・・・。

ストレスでやけ食い

焼きソバ2人前を食べて腹が重い。


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現実と虚構の区別は出来きすぎてはいけない (2004-09-05)

現実と虚構の区別は出来きすぎてはいけない

現実と虚構の区別は出来ない方が良い場合もある。

現実と虚構の区別と社交性

「阪神x巨人戦」が中止になったようで、代わりに血液型による行動の違いなどを紹介した「血液型ランキング」が放送されていた。離婚しやすい血液型、太りやすい血液型などが紹介されていた。

その真偽はともかく、あくまでこれは個人的な観察だが、血液型性格判断を信じている人ほど、社交性があるように思える。反対に、血液型性格判断を信じていない、正しい判断力を持った人の方が、社交性が低いような気がする。

正しい判断力のある人間よりも、判断力のない人間の方が社交性が高い――。これは、メディアによる人間への影響を調査した結果と一致する。坂元章らによる「青少年と放送に関する調査研究報告書」(2002)によると、現実と虚構の区別がつかない人ほど社交性が高いという分析結果が出ている。ただしここでいう虚構とはテレビのことを指し、テレビゲームは含まない。テレビの影響を調べた結果、現実と区別のついていないほど社交性が高いことがわかった。テレビゲームの場合、現実と虚構の区別が出来るかどうかと社交性との間に関係はなかった。

また、NHKの調査(『NHK日本人の性行動・性意識』)でも、似たような調査結果が出ている。メディアから影響を受けた人たちと、そうでない人たちを比較したところ、メディアから影響を受けた人の方が、恋人にも恵まれ、初体験の年齢も早かった。「メディアの影響」と聞くと負のイメージを抱きやすいが、実はメディアから影響を受けている人の方がコミュニケーション能力に長け、性的な領域では活発な様相を見せているのだ。

メディアから学習する欲望と行動のパターン

現実と虚構の区別がつかない人の方が、なぜ高い社交性を持つのだろうか。それは、テレビドラマなどからミュニケーションの方法を学習したり、欲望を植え付けられたり、行動を真似するからだろう。ドラマをみて、「あれは虚構だから」と割り切って見るよりも、ああいうドラマが現実にもありうると思って見ている人の方が、影響を受けやすいだろう。作られた演出をも現実的に受け止めたり、ヤラセも本物と思って見ることが、実は他人の心を理解したり、社会から求められる行動を学習するのに一役買っている。

テレビゲームにおいて、現実と虚構の区別と社交性とに関連がないのは、テレビゲームはテレビと比較してリアルな人間が登場しにくく、虚構性が高すぎるためだと思われう。

私たちはメディアから学習することが実に多い。接触するメディアによって、出来上がる人間に差が出るのである。

現実と虚構が区別出来ないのが問題ではない

よくゲームにハマっていてコミュニケーション能力に欠ける人間に対し、「現実と虚構の区別がつかず云々」という批判がある。それに対して、言われた当人は、「現実と虚構の区別ぐらいついている!」と反論する。この反論は正しいし、おそらくゲームが現実ではないことぐらい知っているだろう。

本当の問題の根源は、「現実と虚構の区別がついていない」ことではなく、接触している「虚構」の側にある。現実と虚構の区別がついていなくても、虚構がその社会にとってふさわしいものであれば、問題ではない。例えば虚構が家族愛などを強調するテレビドラマであれば、現実と虚構の区別はついていないほうが良い。たとえ虚構であっても、多くの人が支持すれば、それは結果的にリアルである。

現実と虚構の区別は、出来すぎてしまうと困りものなのだ。冷静に現実と虚構を区別してもいけない。人は適度にメディアから欲望や価値観をコピーしないといけない。そうしなければ、周囲から取り残されてしまう。確固とした価値観や理念を持つことは、社交性の低下につながる。

もちろん、社交性がすべてではないが。

現実と虚構の区別は出来ない方が良い場合もある。

Yas的日常

ゴルフ練習

練習のため、打ちっぱなしに行く。

専業主婦を助ける

自転車で激走していた専業主婦が長ネギを落とした。拾って追いかけて渡した。特に感謝されなかった。もしかして私が長ネギを盗んだと思ったのかもしれない。

ミスチル桜井のカバーアルバム(限定発売)

沿志奏逢」(amazon)が発表となった。ミスチルの桜井が歌うカバーソングアルバム。「HERO」や「優しい歌」のセルフ・カバーもあり。限定発売なので予約はお早めに。私はamazonですでに予約を済ませた。

スピードワゴンDVD発売決定

スピードワゴンのDVD「LIVE集/コント集 DVD-BOX」(amazon)が10月20日に発売となる。8月のライブには行けなかったので、このDVDはぜひとも欲しい。限定版ではCD(「私認めない」)がつくとかつかないとか。amazonなら20%オフ。私はすでに予約を済ませた。


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結婚式と離婚率の関係 (2004-09-08)

結婚式と離婚率の関係

結婚式に高い費用をかける地域の方が離婚率は低い。

結婚式と離婚

テクストによる恋愛放談さんの「結婚披露宴は絶対やるべきらしい」を読んだ。記事によると、結婚披露宴をした人の方が離婚率は低いらしい。

結婚式・結婚披露宴に費用をかける地域ほど離婚率が低い、という話をだいぶ昔に聞いた事がある。気になったので、今回改めて調べてみた。

高い費用をかけるほど離婚率は低い

リクルート社の調査結果と厚生労働省の統計を元に散布図を作成した。リクルート社のデータが大きな地域ごとのデータ(北海道、東北、北関東・・・)なので、厚生労働省のデータもそれにあわせて再計算している。

結婚式の平均費用と離婚率

散布図を見てみると、結婚式に高い費用をかけている地域ほど離婚率が低いことが見て取れる。計算したところ、相関係数r=-0.53で負の相関となった。計算上も、結婚式にお金をつぎ込んでいる地域のほうが離婚率は低いことを示している。

なぜ、このような関係があるのだろうか。単なる偶然とも考えられるし、規範意識が強く離婚率が低いために盛大な結婚披露宴を開けるということも考えられる。反対に、盛大な披露宴を開いたために、後に引けなくなってしまい、離婚への歯止めとなっているのかもしれない。

もっとも常識的に考えて、夫婦を離婚に至らしめる要因や結婚を維持しつづけさせる要因は、もっと他にある。離婚したい夫婦のほとんどはどんな結婚式をあげようとも離婚するだろう。

だがここはあえて、結婚式にかけるお金と離婚率の関係について、コストの面から説明を試みたい。

結婚式=コミットメント説

結婚式は、これからずっと二人で幸せな生活を送りますという表明である。こうした表明を、経済理論やゲーム理論ではコミットメント(commitment)と呼ぶことがある。コミットメントとは、自分が将来にとる行動を表明して、それを確実に実行することを約束することや、その約束の内容のことである。

コミットメントを有効なものにするためには、相手や周りの人間にその約束が信頼されなければならない。信頼されるためには、

  • コミットメントどおりの行動をすると良いことがある
  • コミットメントに反する行動をとると莫大な被害をこうむる

などが必要となる。結婚式の場合、二人で人生を歩むというコミットに反する行動(つまり離婚)をとった場合、莫大な損失を負うようにしなければならない。高い費用をかけて結婚式を行ってしまった場合、それをキャンセルしたときに費用が無駄になってしまう。だから高い費用をかけた結婚式の方が、コミットメントとしては有効である。

コミットメントに反する行為をとりえないということを女性に示すのが、コミットメントを信頼できるものにするために肝要なのだ。結婚式は、これからの結婚生活を一生幸福でおくろうと、当事者がコミットメントしあう儀式である。大金をかけ、着せ替え人形のごとく衣装を替えて意味不明のゴンドラに乗ってカップルが登場する派手な結婚式も、コミットメントの信頼度を増そうという努力の現われであるから、そのような人々を笑ってはならない。

指輪を購入する場合でも、それが高額であればこそ、コミットメントに反する行為をした場合の損害を大きくするという形でコミットメントの信頼度が確保されるのである。ここでけちをしてはいけない。

(『戦略的思考の技術 ゲーム理論を実践する』梶井厚志 中央公論新社 2002 p.102 )*強調は引用者

お金をかけない結婚式は相対的にコミットメントの信頼度が低い。それが高い離婚率に結びつくと考えられる。もしも結婚式をやらなければ、もっと信頼度は低くなる。そのため結婚披露宴をやらないと離婚率が高いのだろう。

結婚指輪と離婚率の関係

お金をかけることが離婚率の低下につながることを、別の視点から見てみよう。先ほどの引用文で、指輪が高額であるほどコミットメントの信頼度が増すと書かれていた。では今度は結婚指輪にかける費用と離婚率の関係を見てみたい。

結婚指輪の費用と離婚率

相関係数r=-0.33で、こちらも負の相関があった。高額な結婚指輪を買う地域ほど、離婚率は低い。

念のため再度断っておくが、離婚の要因は結婚式や結婚指輪の値段だけではない。他にもっと大きな要因があると思われる。

だが、結婚式や結婚指輪はケチってはいけないと思った。

結婚式や結婚指輪をケチってはいけない。

文献

戦略的思考の技術』(Amazon.co.jp)

Yas的日常

大人のコンソメ

台風が通過してく最中、深夜ひっそりとDVDを見ていた。そのDVDは『大人のコンソメ』(Amazon.co.jp)。劇団ひとり、おぎやはぎ、スピードワゴンなどの若手お笑い芸人が出演しているお笑い番組のDVD化作品だ。

とくにブルードラゴンという企画は必見。言葉だけで青汁を飲ませるというゲームだ。会話の中で無理やり青汁を飲まねばならないような状況に相手を追い込まねばならない。最終決戦の小木vs劇団ひとりには大爆笑。ベッドの上をのた打ち回った。熱い戦いに感動もした。

そんなこんなで次の日は寝不足だったなり。


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ミスチルライブの話 (2004-09-14)

ミスチルライブの話

ミスチルライブに行ってきたので、その話を淡々と。

ミスチルライブ2連発

いくつかの不運が重なった結果、9月11日(土)、9月12日(日)と二日連続でミスチルのライブを見ることになった。会場は横浜国際競技上。自宅からそう遠くない場所だ。

なんでも二日間で13万人も動員したらしく、会場は人でいっぱいだった。男女比は3:7ぐらいだろうか。やはりカップルが多い。次に女友達同士が多かった。専業主婦は3パーセント程度だっただろうか。

桜井語録

印象に残った桜井の言葉をいくつか書いておきたい。興奮状態だったので、記憶が混乱しているかもしれないがご了承いただきたい。

「(広い会場で、遠くのバックスタンドのお客さんに向けて)ぼそっとしゃべったら聞こえないよね(笑)。(歌で)ちゃんと伝えますから」このセリフで会場の婦女子数人が気絶。

「もう三十も半ばになると、うかつに恋ができません。雑誌に載ったりしますから」で会場全体が爆笑。(桜井は過去に不倫経験がある)

「もう若い人とは話が会いません〜(涙)。でも、音楽で通じ合えたらいいなと思います。お、即興の割には良いこと言ったな、オレ」

個人的な感想

私的にはもちろん大満足の内容。半泣きでライブを見てた。特に2日目はDVD化の予定で、自分が行ったライブが形として残るのは嬉しい。

反面、ライブ中となりのカップルがキスしていたのが気になった。専業主婦が連れてきていた子どもの泣き声が五月蠅かった。

ホントはこの128倍ぐらい書きたいことがあるのだが、一部の人以外興味がないだろうから、このへんでやめておく。


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感情的に抑圧されているのは女性よりも男性 (2004-09-16)

感情的に抑圧されているのは女性よりも男性

パートナー関係や職場において、女性が感情的に抑圧されているとは言えない。

女性は抑圧されているのか

更新をお休みしている間、内閣府発行の『男女共同参画白書』(平成16年度版)を読んでいた。相変わらず「女性は社会的に不利益を被っており、抑圧されている」というスタンスだ。様々なデータが載っていて面白いのだが、ほとんどが女性に焦点がしぼられていて、男性は無視されている。

自殺率は男性の方が高いし、生活満足度の調査では男性よりも女性の方が満足度が高い。どんな状況でも男性が優位とは限らないのだが。

ご機嫌をとるのは男性

男性は女性に対して気を遣ったりご機嫌をとったりする。恋人や夫婦で、男性と女性のどちらが相手に対して感情・情緒面で有利だろうか。社会学者山田昌弘の調査によると、ご機嫌をとるのは女性よりも男性であり、とくに学生の場合は圧倒的に女性の方が情緒面では有利である。(表1)

ご機嫌をとるのは男性

周りのカップルを見ても、ご機嫌をとっているのは男性の方が多いと思う。夫婦の場合、気心がしれているからなのか諦めているからなのか理由は定かではないが、夫を放置する妻が多いようである。ご機嫌をとったりする妻はかなり少ない。

こうしてみると男性も哀れである。家庭内暴力も問題だが、情緒的なケアが女性に欠けるのも問題視していいと思う。山田は次のように述べる。

パートナー関係において、一般的に女性が抑圧されているとはとても言えない。

もちろん、夫から暴力を受けている女性もいるだろう。だが、だからといって一般化して多くの女性が抑圧されているとは言えないのだ。

職場で気を遣うのも男性

家庭内では抑圧されていないが職場では女性は抑圧されている、という反論がありそうである。これもそうではない。職場でも、女性は男性から気を遣われている。情緒面では男性よりも女性の方が優位である。

社会学者の小笠原祐子によるOLの研究によれば、日本のオフィスでは権限を独占しているはずの男性が、女性であるOLに気を遣っているという。

常識的な考えとは裏腹に、女性が職階の高い男性の気持ちを気遣うケースよりも、職階の高い男性が女性の気持ちを気遣うケースが多いようであった。逆に、不快感や嫌悪感などの感情を奔放に表現しているのは、職階の高い男性より、部下の女性に多い。そして、前日の夜のテレビ番組の話題を提供したり、冗談を言ったりして男女間の関係がスムーズに運ぶように気を遣っていたのも、男性のほうで、なかには、女性の機嫌を損なわないよう細心の注意を払っている男性さえいたのである。

(小笠原祐子『OLたちの<レジスタンス>』中央公論新社 1998 p.167)

通常は立場の弱いものが立場の強いものに対して気を遣う。男性の上司は部下の女性よりも、会社の役職としては立場は上である。しかし、仕事を遂行する上での人間関係を良好に維持するためには、女性に嫌われてはいけない。女性は上司から嫌われたとしても、もともと腰掛けで働いているだけなので、あまり問題ではない。だから、情緒面では女性の方が優位な立場に立てるのである。

職場でも、情緒的に女性が抑圧されているとは言えない。セクハラなどがあるのは問題だが、だからと言って一方的に女性が損しているわけではない。

なぜ女性ばかり?

女性が男性よりも有利な点は多々ある。しかし、『男女共同参画白書』ではそうした点には触れず、女性の不利益ばかり問題としている。そこに違和感を感じる。

パートナー関係や職場において、女性が感情的に抑圧されているとは言えない。

Yas的日常

ミスチルライブの余韻に浸る日々。


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割り箸と環境問題の嘘 (2004-09-19)

割り箸と環境問題の嘘

割り箸は間伐材の有効な再利用であり、環境破壊にはつながらない。という話は、今では誤った認識である。

大手小町の発言

専業主婦(推定)の書き込みをネタにしたい。

割り箸の事ですが、最近、コンビニやスーパーでも極力もらわない様にしています。私一人でどうにかできる事じゃないのですが、この割り箸で森林が伐採されていると思うと考えます。

割り箸ってもったいないですよね。

(「割り箸」(大手小町))

このトピックを書き込んだ専業主婦(推定)は、この後叩かれる。「割り箸は廃材(間伐材)の再利用であり、森林を伐採しているわけではない。」というのが主な反論である。

同様の話を、色んな人から聞く。何人かが集まって、話題が割り箸と環境の話になると、きまって「割り箸は廃材の再利用だから環境破壊にはならない」という話が飛び出る。

本当にそうだろうか。今日は気分が良いので珍しく専業主婦の発言を擁護してみようと思う。

中国から90%以上を輸入

割り箸から見た環境問題」によると、日本で使用されている割り箸の90%以上が中国からの輸入品であり、中国では割り箸を生産するために天然の木を伐採しているという。日本製の割り箸は確かに廃材を利用しているため、資源の有効活用になっている。だが、日本製の割り箸は1膳の単価が高い。そのため、コンビニ、大衆向けの外食店では、安い中国の割り箸を使いたがる。結果、安い中国産割り箸の需要が高まり、中国では森林が次々と伐採されていく。割り箸目的で伐採するので効率的ではあるのだが、植林などは行われておらず、地球環境のことを考慮にいれると、とても許容できるものではないようだ。

「割り箸は資源の有効利用」という割り箸擁護論は、一部では正しい。だが、90%以上が輸入品であり海外では森林が伐採されているならばこれは問題だろう。「割り箸は資源の有効利用」という説は、もはや伝説である。だが今でもなぜか説得力があり、人々が信仰している神話である。

じゃあ割り箸を使わないように

それじゃあ明日から割り箸を使わないようにしよう。と短絡的に考える専業主婦がいる。環境問題は政治的・倫理的な問題でもあり、個人の活動そのものは暇つぶしにはなるだろうが、ほとんど効果はない。専業主婦がいくら割り箸を節約しても、単なる自己満足で終わるだろう。

そもそも専業主婦の存在自体が地球にとっては害である。環境問題の根本的な問題のひとつは、全人類が日本人のようなエネルギー消費の多いライフスタイルをとることが出来ないことで、それでもほとんどの人が豊かになろうとしていることである。地球の資源は有限であるため、全員が日本人のような暮らしを送ることは出来ない。

暇つぶしに割り箸を節約するよりも、無駄にエネルギーを消費している専業主婦が消えたほうが、地球にはやさしいのである。

割り箸は間伐材の有効な再利用であり、環境破壊にはつながらない。という話は、今では誤った認識である。

Yas的日常

名古屋オフ、専業主婦オフの開催日が決定しました。参加者募集中です。


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独身男女の価値観 (2004-09-26)

独身男女の価値観

ずっと結婚せずにいる独身男女は、個人主義者でも自由主義者でもない。

聞き飽きた話

晩婚化・非婚化の原因として語られるよくある誤解を解いておきたい。

「結婚しない人が増えたのは自分のことばかり考えて自由気ままに生きている人が増えたからだ」という説教めいた説が非婚化の原因だと主張する人がいる。

結婚するのが当たり前だった時代とは違い、今では結婚は比較的自由になった。そのために晩婚化が進んでいる。だから、自由に生きている人が増えたから晩婚化が進んでいるというのは、正しい。

だがしかし、結婚しない人だけがそうした価値観を身につけているわけではない。むしろ、結婚している人の方が、自分のことを中心に考え、自由を尊重しているのである。

若年層の価値観

「少子化に関する意識調査」(2004電通)の調査結果を見てみよう。ずっと結婚せずにいる「継続独身男性」は、他と比較して、「社会が良くなってこそ個人が幸せになれる」と考えている。社会のことも考えており、自分勝手な振る舞いを支持しているわけではない。また、「継続独身女性」の場合、「個人の権利や自由を尊重することは大事なことだ」と思っている人は、他よりも少ない。ずっと独身でいる女性は、自由を信奉しているわけではない。

価値観

私は結婚を望んでいないが、今でも多くの独身者は結婚を望んでいる。それなのに結婚しない理由は、「適当な相手とめぐり会えないから」なのである。同調査でも、それははっきりと現れている。

継続して独身を貫いている人たちは、個人主義や自由主義に傾向しているわけではない。むしろその逆で、社会のことに関心があり、個人の自由を強く求めてもいない。だいたい後先考えずに自由に振舞っている人の方が、できちゃった結婚などで結婚してしまうことも多いだろう。社会の情勢に疎ければ、将来のことも真剣に考えずにうっかり恋愛結婚してしまう人も多いだろう。

ずっと結婚せずにいる独身男女は、社会のことに関心があり、個人の自由を強く求めてもいない。

Yas的日常

名古屋オフ

名古屋にて小規模なオフ会を開催。参加者は主婦二人。話題は家族・結婚・子どもについてが多かった。昼間だったのでアルコールは無し。真面目にしゃべる事が以前のオフ会よりも多かった。こういうのも楽しい。

専業主婦と激論バトルを行い、その模様をネットラジオで配信できたら楽しいだろうな。

専業主婦オフ

次回は専業主婦限定オフ@新宿の予定。今のところ参加者は2名。あと1名ぐらい参加者がいると嬉しいのだが。


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恋愛とは (2004-09-26)

恋愛とは

恋愛とは相手を利用して己の恋愛幻想を満たす行為である。

理解不能なパートナーの要求

先日の名古屋オフ会で、ある女性が「夫に星空を見るために連れ出されて非常に迷惑をした。私は星には興味がないのに」と言っていた。ただ星が好きなだけなら一人で行けばいい。一緒に連れて行ったということは、二人で星を見たいと思っていたのだろう。

こうした例のように、二人で何かをしたいという願望は多くの人にあるようだ。私は興味がないのだが、女性は恋人と二人で写真を撮りたがる。

恋愛という幻想

恋愛とは幻想であり、消費するものである。自分があこがれている恋愛のイメージに酔っている状態が恋愛状態であり、たまたまイメージに近い恋愛を供給してくれる人が恋人である。

結局、恋愛は、あくまで他者でしかない二者が、それぞれ自分の恋愛幻想を満足させる相手を「利用」しながら、その利害が一致している状態なのだ。

(伊田広行『シングル単位の恋愛・家族論』世界思想社 1998)

たとえば、バレンタインデーには手作りのチョコレートが食べたいという幻想を抱いている男性と、手作りのチョコを作ってあげたいという幻想を抱いている女性は、お互いに相手を利用しあえば、恋愛はうまくいき、ラブラブ状態になれる。

こうした幻想は人それぞれ異なる。手編みのセーターはキモチ悪いと思う人もいれば、貰いたいと思う男性や作ってあげたいと思う女性もいる。お互いに満足させられなければ不和となり、恋愛関係は冷めていき、別れることもあるだろう。

別れるカップルは、単にお互いの幻想を満足させられなかっただけであり、どちらかが悪いというわけではない。

恋愛幻想の押し付け

恋愛は幻想だし、自由にすればよいと思う。ただし、他人に自分の恋愛幻想を押し付けるのはどうかと思う。世には「恋愛とは〜」という恋愛論が溢れている。これは本人の恋愛幻想か、もしくは世間の人の最大公約数的な恋愛幻想をあらわしているだけである。

恋愛に決まった定義はない。自分の幻想を相手に押し付けてそれがさも当然であるかのように振舞うのは止めたいし、押し付けられるのはまっぴらである。ある人は星空を見るのが恋愛で、ある人は自販機で二つ缶コーヒーを買うのが恋愛なのだ。どちらも、幻想を共有していなければ恋愛行動にはならない。

恋愛とは相手を利用して己の恋愛幻想を満たす行為である。

Yas的日常

10時過ぎに起床。今さらながら借りてきた「踊る大捜査線2」のDVDを見る。その後ゴルフの練習に行き、一日が終了。

ベスト・オブ・常習者サイト 2004

雑誌『ネットランナー』(ソフトバンク)11月号の「ベスト・オブ・常習者サイト 2004」にウチのサイトがノミネートされることになった。私が知る限り、雑誌掲載は初めてである。

ノミネートされたサイトの一覧はこちらから。雑誌は10月8日に発売。


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恋愛と結婚の対立を回避する方法 (2004-09-28)

恋愛と結婚の対立を回避する方法

恋愛と結婚は対立する。その対立を回避するにはいくつかの方法がある。

恋愛と結婚は別?

またオフ会での話題をネタにする。恋愛と結婚は別々のものだと言われる。たしかにその通りである。結婚生活は生産活動であり、主として労働力の再生産を行う。対して恋愛は消費活動であり、娯楽に近い。

そして恋愛感情はごく稀なケースを除いて、いつか冷める。冷めてしまうからこそ契約を結び、わざわざ神に誓わねばならないのだ。いちいち神に誓うのは、自然な状態であれば関係が維持できないからである。

恋愛は結婚制度を崩壊させる危険性を持つのである。結婚していても他の人に恋愛感情を抱いてしまったり、すっかり相手に飽きて嫌いになってしまったのに結婚生活を維持せざるを得ない状況になることもある。

恋愛と結婚を包括する戦略

恋愛と結婚は矛盾し、対立する。これに対処するために、社会は3種類のメカニズムを編み出してきた。(山田昌弘『近代家族のゆくえ』新曜社 1994 p.123)

  1. 恋愛と結婚の分離戦略
  2. 恋愛の抑制戦略
  3. 恋愛と結婚の結合戦略

1の「恋愛と結婚の分離戦略」は、お互いを無関係なものとし、恋愛の相手と結婚の相手を別々の者とする戦略である。前近代社会によく見うけられた戦略で、妾や売春や不倫などの婚外交渉を認め、結婚とは分離する。日本もかつて上層の人間は何人も妾を持てたし、売春も可能で、非難されることはなかった。

2の「恋愛の抑制戦略」は、恋愛を抑制してしまう戦略である。前近代社会、とくに庶民の間では恋愛に価値はあまりなく、夫婦は労働力として期待されることが多かった。恋愛感情は二の次だったし、そもそも夫婦の間に愛情は不可欠だとは思われていなかった。

3の「恋愛と結婚の結合戦略」は、近代社会で中心となった戦略である。恋愛と結婚を結びつけ、「恋愛=結婚したい気持ち」と定義する戦略である。結婚に結びつかない恋愛感情は、正しい恋愛とは見なされなくなる。

結婚を考えないで交際することは「遊び」と見なされる。不倫は結婚と結びつかないから逸脱的な恋愛と見なされ、浮気も非難される。不思議なことに二股をかけることは禁止されてしまう。なぜ二股がいけないのだろうか?二人の人とは結婚できないからである。

恋愛と結婚という対立するものを敢えて結合させることによって対立を回避させてしまう巧い戦略だと思う。

結婚の抑制戦略

さらにこれにもうひとつ付け加えよう。それは「結婚の抑制戦略」である。かつて恋愛を抑止したように、今度はとくに必要性のなくなった結婚を抑制してしまおうという戦略である。

「少子化に関する意識調査研究」(電通 2004)によれば、33〜49歳の独身男性のうち11.3%が、31〜49歳の独身女性のうち15.3%が「恋人はいて欲しいが結婚する気はない」と答えている。

恋人だけ作って結婚しないというのも一つの方法だろう。相手もそれで納得していれば良いと思う。相手が勝手に結婚を考えていたら困りものだが。

どの戦略をとるべきか?

幸か不幸か、私たちは今挙げた戦略のうち一つを選ぶ自由を有している。それぞれにリスクがあり、メリット・デメリットがある。どれが良いのか、今後の日本や世界の動向にもよるし、個人の価値観にもよる。一概にどれが良いとは言えない。

恋愛と結婚は対立する。その対立を回避するにはいくつかの方法がある。

Yas的日常

気がつけばマジック3。


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普通の女性が真面目に調べてはいけない事 (2004-09-29)

普通の女性が真面目に調べてはいけない事

普通の女性は、恋愛と血液型について真面目に調べてはいけない。

Yas的恋愛論の反響

先日、「恋愛とは相手を利用して己の恋愛を満たす行為だ」と書いた。(「恋愛とは」)

そうしたところ、「当たり前のことを述べている」という意見をいただいた。私も当たり前のことを書いたつもりなのだが、新鮮な意見として受け止めてくれた人も多いようで、各ニュースサイトに取り上げられた。

コメントで印象的だったのは、「RinRin王国」さんの「こう謎解きを進めていくと知的欲求は満たされるが、何もやる気がしなくなっていく」というもの。

恋愛が幻想だからといって、意味がないわけではない。幻想と知った上で楽しめばいいし、いびつに歪んだ自分の幻想を相手に押し付けなければ良いだろう。

真面目に研究してはいけない領域

とはいえ、恋愛の自明性を疑い相対化して観察してしまうと、どうしても空しくなってしまうだろう。

心理学者の小倉千加子は、

  • 血液型と性格の関係
  • 恋愛

この二つは女子学生が卒業研究のテーマとしてよく選びたがるが、実際に研究対象としては選択させないという。なぜならば、女子学生が期待している結論は出てこないからである。血液型と性格の関係を真剣に心理学的に研究してしまえば、そんなものは今のところないという結論が出てくる。

「人はどうして人を好きになるんだろう?」というメルヘンチックな仮説を立てても、調べていけばそれが当たり前ではないことに気がつく。恋愛の幻想性を暴いてしまう結果となり、本人が期待した結論は出てこない。

これでは、生きにくくなる。周囲の友人が血液型の話で盛り上がっていても、それが誤りだと自分は知っている。恋愛でも、相手に夢中にはなれなくなるかもしれない。(それは良いことかもしれないが)

ごく平凡に卒業して普通の人生を歩む女性は、血液型や恋愛を真剣に研究してはいけない。本屋の入り口近くにある通俗心理学の本や、雑誌『anan』の特集記事でも読んでいればいいのである。むしろこちらはコミュニケーションを円滑にする役目を果たす。正しいか間違っているかは、普通の女性には大した問題じゃない。

少しは振り回されることが大事

心理学者の松井豊は、『AERA Mook 恋愛学がわかる。』(朝日新聞社)で、恋愛研究では幻想に振り回されないことが大事と述べている。

恋愛を心理学的に研究する際に留意していただきたいのは、恋愛を取り巻く幻想(イメージ)や思いこみに振り回されないことである。

恋愛を心理学的に研究しようとすると、さまざまな思い込みや幻想が妨げになる。

裏を返せば、いかに我々が恋愛を体験したとしても、なんら恋愛について本当のことを知ってはいないということである。恋愛には思い込みや幻想がつきものなのだ。その思い込みや幻想が恋愛そのものだと言ってもいいだろう。

研究する場合には幻想に振り回されていてはいけないが、普通に暮らしていくには幻想に振り回されていたほうが都合が良い。みんながそれに振り回されているなら、それについていったほうがコミュニケーションがとりやすい。でも、幻想性に気がついて自明性が喪失すると、振り回されることにも違和感を感じる。

だから、真面目に調べてはいけない。

普通の女性は、恋愛と血液型について真面目に調べてはいけない。


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「幸せとは限らない」という正当化 (2004-09-30)

「幸せとは限らない」という正当化

女性には「〜したからといって幸せとは限らない」という正当化が有効である。

個人の幸福に価値があるのは、現代の特徴のひとつである。

幸せとは限らない

名古屋オフの時にちらっと聞いた言葉がある。「結婚したからといって幸せとは限らない」。これは正しいと思うので、異論はない。

この「〜したからといって幸せとは限らない」というお約束の言葉は、女性から発せられることが多い。男性でこのセリフを言う人はあまりいない。男性は女性よりも抽象的な話が得意なのだが、「幸せ」という言葉は使いたがらない。

  • 結婚したからといって幸せとは限らない
  • いい学校を出たからといって幸せとは限らない
  • お金がたくさんあっても幸せとは限らない

などなど、レパートリーはたくさんある。専業主婦が好んで使いそうな言い回しであり、私はあまり使わない。女性を説得させたり慰めたり言いくるめたりする時には使うが。

ちなみに「結婚 幸せとは限らない」で検索すると、結構な数がヒットする。先頭に大手小町が来たのには苦笑した。

ある行動は、必ず幸せにつながるわけではない。だから、「幸せとは限らない」という言葉は正しい。正しいというよりも、当たり前のことを言っているだけで、何か意味のあることを言っているわけではない。ただの気休めか、自分や他人を納得させるための言葉だろう。貧乏人にとってみれば「金持ちでも幸せとは限らない」という言葉で救われるし、結婚できない負け犬女性にとってみれば「結婚したからと言って幸せとは限らない」という言葉は、精神を多少はやわらげてくれる。

個人の幸福に価値がある時代

さて、この「幸せとは限らない」という言葉が有効であるためには、ある前提が必要となる。それは、個人の幸福に価値があるという前提である。幸せに価値があり、幸せになることが人生における目標となっているから、「幸せとは限らない」と言って他人や自分を納得させることができるのである。

歴史的に見ても、他の文化と比べてみても、個人の幸福に価値を置かない人の方が多い。社会学者の作田啓一は、70年以降に個人の幸福の追求が価値あるものとなったと述べている。

かつては、個人の幸福の追求は……日かげの価値であったが、今やそれ自身で正当性を主張しうる積極的な価値となった。

(作田啓一『価値の社会学』岩波書店 1972 p.284)

たとえば戦前であれば、個人が幸せを求めることに価値はあまりなかった。「結婚したからといって幸せとは限らない」と言ったとしても、「いったい何を言っているんだ?」と理解されなかっただろう。個人の幸福などそれほど問題ではなかったからだ。

人間、べつに幸せになる必要はないと思う。今の日本は、不幸であってはならないというプレッシャが強く、それがますます人を不幸に追い込んでいるような気がする。

女性には「〜したからといって幸せとは限らない」という正当化が有効である。

個人の幸福に価値があるのは、現代の特徴のひとつである。

Yas的日常

名古屋で買ってきた「きしめん」を茹でて食す。本気で美味い。


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専業主婦には個室など不要? (2004-09-30)

専業主婦には個室など不要?

一般に、専業主婦に個室は不要とされている。

自分の部屋がない

ある女性が「自分の家に自分のための個室がないのがイラつく」と言っていた。住宅の広さや家族構成によって自分の個室が与えられるかどうかは変わるだろう。狭い空間に密集している都会の住居では、専業主婦が個室を得ることは困難なことなのかもしれない。

一般に、公団や社宅などの住宅は、専業主婦に個室を配分できるようにはデザインされていない。2LDK、3LDKという場合の数字の部分は、家族の人数マイナス1である。標準家族モデルの「夫+専業主婦+子ども2人」は、3LDKの住居が標準とされるのである。

93年の建設省の『図説 日本の住宅事情』を見てみると、居住水準として、1人暮らしは1DK,2人暮らしも1DK,3人暮らしが2DK,4人暮らしが3DK・・・と示されている。

家が家族のスタイルを生み出す

なぜnLDKのnは家族人数マイナス1なのか。それは専業主婦には個室が必要ないとされているからである。

このnは、原則として、家族の人数マイナス1の数である。なぜ、マイナス1か?それは家族のなかに、個室をわりあてられないメンバーがいるからである。子どもたちはひとりひとり個室をもらえることになっているが、夫婦は一単位とみなされて一部屋をわりあてられる。

(上野千鶴子『家族を容れるハコ 家族を超えるハコ』平凡社 2002 p.17-18)

家族、とくに夫婦は愛情で結ばれていることになっていて、愛情があるということは一緒にセックスするということになっているので、夫婦には一つの寝室が割り当てられる。別々の部屋で寝ても良いと思うのだが、その場合どこか欠陥があっておかしい家族と見なされることもある。

いくら夫婦とは言え、1人でまったりしたいこともあるだろう。正直、夫と一緒に寝たくはないと思っている人もいる。実際に30代の女性では約3割近くが夫とは別の寝室で寝ている。

だがそれも住居に余裕がある場合だけだろう。専業主婦は後回しにされる。夫に仕事用の書斎があっても、専業主婦にはない。

個人的には、家族全員に個室があるのが理想だと思ってはいる。

nLDKのnは家族の人数マイナス1。

専業主婦に与えられる個室はない。

Yas的日常

明日は専業主婦限定オフの日。

――生きて帰ってこれますように。


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