憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記

2004 年 12 月

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バカだから血液型性格判断を信じているわけではない (2004-12-02)

バカだから血液型性格判断を信じているわけではない

血液型による性格・相性判断を信じる心は、無知や教育の欠如によって生まれるのではない。

血液型番組への抗議
「<血液型番組>「性格決めつけ」視聴者から抗議相次ぐ(Yahoo! News)」が話題になっているようだ。私もこの手の番組を見たことがあるが、血液型と性格を関連付ける根拠に乏しく、UFO特番と同じような適当でいい加減な番組の一種としか見られなかった。

今日、大手小町の「B型同士って相性悪いの?」を読んだ。トピックを立てた人だけでなく、フォローのためにレスをつけた人も、正しく血液型と性格の関係について理解していないようだ。日本の将来が暗く感じられた。(たとえば、ダイエットのためにケーキを食べないよう努力している人がいるとしよう。「私はケーキを食べてもぜんぜん太らない。だからケーキを食べても大丈夫」と言えるだろうか。「私たち夫婦はB型ですけど、仲が良いです。だからB型同士の相性は悪くない」とは言えない。)

無知ゆえの誤解か

血液型性格判断・相性診断を信仰している人は、無知で頭の弱い人だから、教育して正しい理解力を身につけなければならない、と主張する人がいる。たしかに、比較的頭の良い人は、血液型性格判断なんて信じていないように思える。だが、本当はそうではない。

菊地聡(信州大学人文学部助教授)が関西の国立大学の学生を対象に調査を行った結果が、上の表である。

「血液型と性格の関連」について、「実在する」と肯定的な回答をしたのは全体の約4割にものぼる。「血液型と性格」よりも、幽霊やUFOの存在を肯定的に捉えているのが面白い。

国立大学の学生だから、無知で頭が悪い、というわけではない。中にはいるかもしれないが、平均すれば標準以上だろう。それでも4割の人は「血液型と性格の関連」を肯定的にとらえている。

理系の人の方が信じやすい?

さらに、菊地聡は『超常現象をなぜ信じるのか』の中で、茨城大学の伊藤哲司助教授の調査を参照している。その調査結果によると、占いでも超能力でも、文系よりも理系の学生のほうが、超能力などを肯定的にとらえている学生が多いらしい。

これは、理系の学生のほうが科学的な推論をしたうえで、超能力などに根拠を見出そうとする傾向が強いからである。人間の未知の領域などの例をあげて、超能力を肯定する意見を述べていた。

不思議現象を信じる心は、決して無知や教育の欠如によって生まれるのではなく、必ずしも科学的な態度と対立するものでもない

(『超常現象をなぜ信じるのか』菊地聡 講談社 p.33)

無知ゆえに信じない人もいれば、中途半端な思考力のために信じてしまう人もいる。

血液型への信仰は、すっかり大衆化してしまった。私も含めて、信じていない人たちにとっての課題は、いかにして信者とうまくつきあっていくかだろう。何事も、信仰をやめさせる事は困難だ。

血液型による性格・相性判断を信じる心は、無知や教育の欠如によって生まれるのではない。

Yas的日常

300万Hits記念オフ

Simple300万Hits記念、第3回公式オフを年末ぐらいに開催します。興味のある方はメールください。お待ちしています。


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木曜日のデートの誘いは拒否すべし (2004-12-07)

木曜日のデートの誘いは拒否すべし

木曜日に男性からデートの誘いを受けた場合、涙を呑んで拒否したほうが長期的に見てより良い男性を獲得できる。

ルールズ

全世界でベストセラーになった(らしい)恋のバイブル、『THE RULES―理想の男性と結婚するための35の法則』(ワニ文庫)が面白い。よりよい男性と結婚するための法則を集めた本で、その法則の非常識ぶりが特徴的である。

  • こちらから電話をかけない
  • 最初にこちらから話しかけない
  • 土曜の夜のデートの申し込みは水曜日で締め切る

などの「恋の法則」がかかげられ、解説が加えられている。

「恋の法則」の基本的精神は、まとめると「自分を磨いて価値を高め、男性をこちらから追いかけず、自分を愛してくれる人を愛すること」である。

実践できれば社会的により望ましい男性と結婚できると私は思う。

木曜日のデートは断るべし

もしもその女性を大事に思っているなら、男性は木曜日にデートの誘いはしてこない。週末の直前になってデートの誘いをかけてくような男性と結婚すれば、結婚した後も粗末な扱いを受け、大切にされないだろう。だから、木曜日のデートの誘いは断ったほうが、長期的に見ればよりよい男性を獲得できる。これが「恋の法則」のNo.7の概要である。(p.83〜)

経済学者の八代尚宏の『結婚の経済学』(二見書房 1993 p.90)でも同様のことが述べられている。自分を少しでも高く男性に売りつける(=自分を安売りしない)ためには、木曜日のデートの誘いは断ったほうが良い場合もある。

デートをする場合には、その申し込みと受け入れのタイミングが何よりも重要である。高校生のときからデートに明け暮れる米国では、週末のデートの誘いをいつごろ受けるかによって返事を留保するかどうかの判断がカギとなる。

たとえば前週のパーティで、男性はそこで自分の好みにあった女性のランクをつけ、月曜日には第一志望の女性にデートを申し込む。それが果たせない場合には第二志望の女性を火曜日にデートに誘う。こうしたくり返しでいえば木曜日にデートの誘いを受けた女性は男性にとって、優先順位の低い女性ということになる。したがって、それがわかっていながらデートの誘いにのるというのは、自分を安売りしていることになる。

また、男性にとっても、週の後半になってもまだ空いており、デートの誘いに容易に応じるような女性は、それだけ他の男性も声をかけないような魅力のない女性であることを意味する。ということは、ある男性にとって、一見すると魅力的な女性であっても、他の男性はそうは見ていないという情報が得られることになり、そうした競争的な市場で観察された「客観的な」情報の価値はひじょうに高い。

(八代尚宏『結婚の経済学』二見書房 1993 p.90)

恋愛行動は社会的文脈によって異なる。デート文化のあるアメリカだからこそ成り立つ「恋の法則」だろう。日本で同じことが有効かどうかは、別途考察の必要である。少しでも高く自分を売りつける、という目的は万国共通だが。(だからこそ異性と会うときにいつも以上にオシャレをするのである)

木曜日に男性からデートの誘いを受けた場合、涙を呑んで拒否したほうが、長期的に見てより良い男性を獲得できるかもしれない。

Yas的日常

ドラクエ8

Lv.21

中野でとろろ

中野ブロードウェイにある「丸子亭」というお店で「とろろ」を食す。美味い。こんなにうまい「とろろ」は初めてだ。中野に行ったらまた食べたい。

検索してみたら、実は結構有名な店だったらしい。(参考

どうもごちそう様でした。


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女性のコミュニケーションスキル向上が未婚化を防ぐ (2004-12-11)

女性のコミュニケーションスキル向上が未婚化を防ぐ

結婚する気のない女性の中には、男性とうまく付き合えないコミュニケーションスキルの低い人が多い。

結婚していない理由

独身の女性の場合「男性とうまく付き合うことができない」という理由で結婚したがらない人が多い。

厚生労働省の「少子化に関する意識調査研究」(2004)のデータを見てみよう。

男女ともに、結婚の意志の有り無しに関わらず、「適当な相手にめぐり合わない」という理由が最も多い。

注目したいのが、女性の結婚非意向者で「異性とうまく付き合えないから」という理由が多いことだ。女性の結婚非意向者のうち25%が男性とうまく付き合えないために、結婚したいと考えていないし、実際に結婚していない。

この数字は「趣味やレジャーを楽しみたいから」という理由よりも大きい。

コミュニケーションスキルの向上を

酒井順子の『負け犬の遠吠え』もそうだが、コミュニケーション能力に欠けるオタク的な男性が増えていることが晩婚化・未婚化の一因とする説は少なくない。いわく、彼らは生身の女性との女性と関わることが出来ないために交際ができず、結婚できないのだ、と。

私も、それが晩婚化の一因であるとは思う。だが、なぜ男性だけが問題視されるのだろうか。

厚生労働省の調査でも明らかになったように、女性の中には男性とうまく付き合うことができないために結婚しない人が多いのだ。負け犬の独身女性は、不倫を含めた男性との恋愛を謳歌しているという理由で結婚しない人も多い。だがその一方で、男性とのコミュニケーション不全で悩む女性も少なくない。

女性の男性とのコミュニケーションスキルを向上させることが重要である。男性だけの問題ではない。

結婚する気のない女性の中には、男性とうまく付き合えないコミュニケーションスキルの低い人が多い。

Yas的日常

ドラクエ8

一向に進まず。

年末オフ

オフ会、まだまだ参加希望者を募集しております。いつもどおり、ただの飲み会+αの予定。

興味のある方は、メールください。


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夫婦関係の悪化が少子化の一因 (2004-12-15)

夫婦仲の悪化が少子化の一因

結婚して子供ができると、男女としての夫婦関係が冷える。

冷えた結果、次の子供を産もうとしなくなり、子供の数が増えない。

離婚できないことが少子化の一因

一人の子供を産んだが、その後二人目を産もうとしない夫婦が増えている。当事者が語る理由としては「経済的負担」「育児の負担」が多い。だがそれだけではなく、語られることが少ないもっと基本的な理由がある。その理由とは、「夫婦関係の悪化」である。

「夫婦関係が悪くなったので二人目は産まない」と公言する人はまずいない。家族は愛情によって結ばれているという規範があるため、他人への説明では「経済的な負担」などが最も納得がいく安心した説明になる。

厚生労働省の「少子化に関する意識調査研究」の報告では、二人目を産まない夫婦についてスポットが当てられている。一人しか子供を産んでいない女性は、二人以上産んでいる女性と比べて、結婚そのものに対して否定的であることが明らかになった。どうも結婚生活に満足していないようである。

研究会の有識者の意見として、社会学者の山田昌弘は、アメリカの「子供が産まれると夫婦仲が悪化する」という研究を引き、「日本でも夫婦関係が不安定化し、二人目を産む事ができない。一人目がいるから別れる事もできない。二人目を生むかどうかは夫婦仲がポイント」という主旨の意見を述べている。少子化対策としては「結婚に失敗しても次につなげるようにすること」と暗に離婚をすすめている。離婚できないことが少子化の一因ではあると思うが、だからといって私は離婚をすすめたりはしない。念のため。

子供ができると冷める性生活

日本で子どもが出来ると夫婦仲にどのような変化があるのだろうか。夫婦による営みである性生活の実態を見てみたい。

NHKの調査によると、カップルは結婚するとセックスが淡白になり、子供ができるとますますセックスが淡白になっている。

未婚者のセックスは、行為の数で見れば豊かである。相手を抱きしめたり、会話をしたり・・といった行為の数が、未婚者は多い。既婚者だと行為の数が少なくなり、子供を持つ既婚者になると、貧しいセックスになる。

このデータだけでは、結婚や出産といったライフステージそのものがセックスの行為に影響を与えているとは言い切れない。未婚者には若い人が多く、性欲が旺盛だからという説明もできるし、一理あると思う。だが、歳をとって経験をつんでいればそれだけ豊かなセックスもできるはず、という見方も可能だろう。注意は必要である。

単純に、恋愛中とは違って結婚してしまうとお互いだんだん冷めてくるし、デュルケムも言うように、「快楽は繰り返すことでその強度を失う」。要は飽きるのだろう。

子供を産む事が当たり前ではなくなり、何人産むかの選択も可能になった。子供も楽しみを与えてくれる消費財としての意味が強くなった。このような状況で、夫婦関係が不安定化すれば、子供を産もうとしないのもうなずける。以前の日本では、夫婦の仲がどうであれ、家のために子どもを産んだのだが。(それが良かったとは思わない)

結婚して子供ができると、男女としての夫婦関係が冷える。

冷えた結果、次の子供を産もうとしなくなり、子供の数が増えない。

Yas的日常

ドラクエ8

まだ、Lv.25。ドラクエのために更新が停滞してます。

最近の夕食

よく「おでん」を作って食べる。自分好みの味付け。自分好みの食材。

ビールとの組み合わせで 且⊂(゚∀゚*)ウマー [80]


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「結婚することはない」と経験者は悟る (2004-12-21)

「結婚することはない」と経験者は悟る

子どもが一人だけの既婚女性(36〜49才)の約9割は、「女性は結婚することはない」と考えている。

結婚についての意見

先日のテキストで、結婚生活がうまくいっていない女性は一人しか子どもを産まないと書いたが、説明が足りないと思うので、今日はその点をやや詳しく掘り下げる。

再び、厚生労働省の「少子化に関する意識調査研究」(2004)を見てみよう。「女性の結婚」について女性自身の回答を家族構成別にグラフにまとめた。以下にそのグラフを示す。

まず目につくのが、「結婚はすることはない」と答えている女性が多いことだ。男性の場合の回答は割愛するが、男性は女性よりも「結婚することはない」と考える人は少ない。

特に注目に値するのが、「継続一人っ子家族女性」である。約9割が「結婚することはない」と答えている。複数の子どもがいる「複数子家族女性」は比較的結婚に肯定的なのだが、対称的に一人しか子どもがいないと、結婚には否定的なスタンスをとる。(もっとも、集計している年齢層が異なるので、単純に比較はできない)

結婚する必要はないか

多くの独身の女性でも「結婚することはない」と考えるが、これは「結婚したい人がいなければ無理に結婚することはない」と考える人が多いからである。「結婚なんてまったくもって不要!」と考える心強い女性がたくさんいるわけではないので、この点は注意したい。

だが、一人っ子家族の女性の多くが「結婚することはない」という意見を持つという事実は重く受け止めるべきだろう。

一人っ子だから「結婚することはない」と考えるわけではなく、結婚生活や家族に不満があるために、「結婚することはない」と思うのだろう。夫婦仲が悪ければ、子どもを増やそうとはあまり考えない。家族の負担が増えるだけだ。子どもを産もうとしなかったり、セックスレスになったりするために、子どもが一人だけの状態になる。そのため、一人っ子を持つ女性に「結婚することはない」と考える人が多いのだ。

だから離婚がしやすい社会になれば、新しいカップル同士で子どもを産む人が増え、少子化に歯止めがかかるかもしれない。一理あるが、無茶な話だとは思う。

離婚を促進させることで少子化の進行にブレーキがかかるかどうか、私自身の考えは保留としたい。

ただ、少子化問題はわきに置いといて、まず個人として上にあげたデータから学ぶべきことはある。何事も、先人から学ぶべきことは多い。結婚の経験者の多くが、「結婚することはない」と考えているのである。結婚してもそれほど良いことばかりではないということだろう。

あまり夢は抱かずにいたほうが良い。はじめから「別に結婚することはない」と考えて結婚すれば、後で後悔し悩むことも少なかろう。

子どもが一人だけの既婚女性(36〜49才)の約9割は、「女性は結婚することはない」と考えている。

Yas的日常

AmazonからミスチルのDVDが届く。最近のAmazonは発売日前にしっかり届けてくれるので、良い印象を持っている。ちなみに買ったDVDは『Mr.Children Tour2004 シフクノオト』(Amazon)

横浜国際競技場で行われたライブが収録されている。ちなみにYasがライブに行った日に収録があったので、DVDの映像にはYasも映っている。(理論上)

目をこらせば、なんとか。


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夫婦に愛は必要か? (2004-12-24)

夫婦に愛は必要か?

夫婦に愛情は必要ない。

夫婦に愛は必要か?

大手小町の発言「夫婦に愛は必要?」を読んだ。「夫はいい人で不満はないが、夫への愛情はない。こんな夫婦でいいのかと考えてしまう。夫婦に愛は必要でしょうか?」という主旨のトピックである。

今の日本では、夫婦には愛情があるべきだという社会規範が存在する。そのため、「こんな夫婦でいいのか?」と悩むのであろう。

愛情とは

「愛情」とは何んだろうか。社会学的な視座からの説明を『恋愛学がわかる。』(朝日新聞社)のキーワード解説から引用しよう。

「愛情」

自分の心の内面から湧き出すように感じられる(はず)の愛情は、実際にはさまざまな社会的な約束事や制度に支えられている。愛情は抽象的であるがゆえに、「愛情があるなら、××するはず」という行為の積み重ねによって、日々確認されている。わたしたちは、お金では買えないとされる「愛情」に大きな価値をおく社会を生きている。しかし過去には、子どもの死を悼むことが社会規範によって強制されない社会も存在したように、愛情のありかたは、歴史的文化的文脈に依存している。

(『恋愛学がわかる。』朝日新聞社 p.163)

愛情というものが何なのか、それは社会的文脈によって異なる。だから「愛情」は再定義可能である。そのため今まで多くの文化人が「愛とは〜」という形式の言葉を残している。

また、時に愛情によって行動は強制されてしまう。典型的なのは家族による老親の介護である。愛しているなら介護できるはずだ、という思い込みがあるため、必要以上の負担を子どもが背負うことがある。親に対する愛情がないと周囲に思われたくないし自分でも思いたくないので、強制的に介護労働へと駆り立てられてしまう。

ほかにも愛情が強制する行動には、恋人への貢献がある。クリスマスは代表的な愛情の確認行動イベントの機会である。べつにクリスマスだからといって本心から何かしたいわけではないのだが、かといって何もやらないと愛情がないと思われる。実に厄介なイベントである。

愛情に価値がある時代だが

現代は「愛情」に価値のある社会である。(愛情だけでなく、感情体験全般に価値がある社会だと思うが)

だから、愛のない夫婦を見たりすると、寂しさや違和感を感じることもある。

だが、先ほど述べたとおり、愛情によって行動が強制されたり、愛情の確認行動のために不要な負担がかかることもある。「夫婦には愛があるべきだ」という規範に忠実に従えば、窮屈な生き方をせざるをえない。愛を確認し、愛情に基づく行動を肯定しなければならないのだ。

人間であるから、感情の浮き沈みはある。「愛があるべきだ」というような感情と行動が強制されてしまう規範は息苦しすぎる。

その必要以上の負担を避けるという意味で、「夫婦に愛は必要ない」と言いたい。

愛情は「あったらベター」とか、「気がついたらそこにある」ぐらいの気持ちでいたほうが、夫婦関係は長続きするのではないだろうか。(長続きする方が良いとは言い切れないが)

夫婦に愛情は必要ない。

Yas的クリスマスイブ

有給使って

上にも書いたが、クリスマスは愛情の確認行動をとる機会である。対象は家族だったり恋人だったりするのだろう。また、愛情を与える人が存在しない、ということを確認するイベントでもある。そのため、クリスマスを独りで過ごすと淋しくなる。

クリスマスイブを一緒に過ごす恋人など存在しないのだが、見栄をはって有給を使ってしまった。「24日は予定があるので休ませていただきます」と上司に頭を下げた。上司も察してくれて、許可を出してくれた。

だが、意味なく休んでしまったので、やることがない。淋しいじゃないか。どうしてくれる。


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学力低下がゆとり教育の目的 (2004-12-28)

学力低下がゆとり教育の目的

ゆとり教育はエリート教育であり、学力低下は目的のひとつである。

低下する学力

話題に乗り遅れた感があるが、今回は学力低下とゆとり教育について。

各メディアでは学力の低下が報道されている。「ゆとり教育」によって学力が低下した、という論調が多く見受けられる。ネットでも、「ゆとり教育では学力が低下して当たり前。ゆとり教育を見直し、学力の向上を図るべきだ」という類の意見は多い。

私も、ゆとり教育によって平均の学力は低下していると思うし、このままではますます低下していくと思う。

しかし、そもそも学力の低下は意図せざる結果だったのだろうか。もともとが学力の低下を狙った国家の教育方針だとしたら、この政策は成功したと言えるだろう。

学力を低下させるためのゆとり教育

(前)教育課程審議会会長の三浦朱門は、ゆとり教育について斉藤貴男ののインタビューで次のように証言している。(斉藤貴男『機会不平等』文春文庫 p.48-50)

「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。

(中略)

今まで、中以上の生徒を放置しすぎた。中以下なら”どうせ俺なんか”で済むところが、なまじ中以上は考える分だけキレてしまう。昨今の十七歳問題は、そういうことも原因なんです。

平均学力が高いのは、遅れてる国が近代国家に追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが”ゆとり教育”の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」

――それは三浦先生個人のお考えですか。それとも教課審としてのコンセンサスだったのですか?

「いくら会長でも、私だけの考えで審議会は回りませんよ。メンバーの意見はみんな同じでした」

「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならん」と述べているように、平均学力の低下は国家にとって必ずしも不利益となるわけではない。全体としては低下させ、できる者とできない者の二極化を進行させることも政策としてはありうるし、実際にゆとり教育はそれを狙った部分もあるのだろう。

素晴らしきかな、ゆとり教育

怒りを覚える人もいるかもしれないが、理屈は通っている。できない奴に教育は無駄といえる。教育投資が無駄であるし、税金の無駄使いである。才能の無い人への教育は無駄な公共投資なのだ。才能の無い人は「実直な精神」だけ養わせ、逆に才能のある人には投資を惜しまない。効率的である。

「ゆとり教育」と回りくどく言うのも巧い。「勉強が出来ても幸せとは限らない、生きるための本当の力を身につけるのが教育である」という類の聞こえの良い思想を大衆に信じさせることで、エリート教育は下位層の人間からの批判を避けることができる。

学力を低下させることには成功したが、一部のエリート教育の効果があったかどうかはまだわからない。教育の効果はすぐには現れない。

私はこの「ゆとり教育(エリート教育)」には反対だが、これは価値観の問題であって、ゆとり教育のメリット・デメリットとは別の話である。

ともかく、「ゆとり教育によって学力が低下した」からといって、ゆとり教育が失敗だったとは言いきれない。学力の低下も目的であるのだ。この事実が重要である。

ゆとり教育はエリート教育であり、学力低下は目的のひとつである。

Yas的日常

年末に向けて

部屋を掃除せねば。

M-1グランプリ2004

M-1グランプリ2004を観た。アンタッチャブルが来たか。笑い飯は浮き沈みが激しいな。


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ベスト・オブ・シンプル2004 (2004-12-31)

ベスト・オブ・シンプル2004

オフ会の簡単な報告と、オフ会で挙げられた「もっともエクセレントだったコラム」について。

ベスト・オブ・シンプル2004

オフ会に参加された方を中心に、もっとも面白かったテキストをあげてもらいました。悩んだあげく、大賞をひとつ選出いたしました。

ベスト・オブ・シンプル2004、大賞は・・・

沈黙のオーディエンス (2004-07-15)」!

インターネットの世界の中で、我々は<沈黙のオーディエンス>である。ブログやサイトの管理人は、<沈黙のオーディエンス>と対峙する宿命にあり、時に閉鎖に追い込まれる。

大手サイトから個人サイトの管理人まで何らかの形でネットで情報を発信している人から支持されました。

私自身このテキスト自体に満足はしていないのですが、何かを伝えることができたならそれで幸せです。

思い返せばこの1年間、沈黙のオーディエンスと対峙しつづけた1年でした。

少数の人々と馴れ合ってしまうのは簡単です。攻撃されるかもしれないと知りつつも多くの人に向かって声を上げることは、勇気のいることだと思ってます。

次点

次に人気が高かったのがDQNシリーズ。代表的なものは次の2つ。

親が子供にDQN名をつけるという話は私も調べていて衝撃的だった。

今年生まれた男の子につけられた名前で最も多かったのが、「蓮(れん)」だった。この「蓮(れん)」の由来には2つ説がある。

  1. 「仮面ライダー龍騎」のイケメン、「秋山 蓮」説
  2. 人気マンガ「NANA」(矢沢あい)のナナの恋人「蓮」説

どちらが本当の由来なのか私にはまだわからないが、どちらにせよDQNであることには変わりがない。

詳しい話を知りたい人は、そのへんのスーパーにいる暇そうな専業主婦に声をかけて小一時間問い詰めてみてみると良いと思う。

何にしろ日本の将来が不安である。「DQN化する社会」という言葉が頭に思い浮かんで消えてくれない。

ノミネート

DQNと専業主婦のことは忘れ、気を取り直していきましょう。

ノミネートされたものを列挙します。順不同です。

以上、ノミネート作でした。スマッシュヒットが多いのがウチの特徴のようです。

オフ会報告

12/29(水)、新宿で開催。2次会まで含めて、参加者は総計で14名。独身男性から専業主婦、負け犬まで。様々な顔ぶれだった。皆様、楽しんでくださっようで。

専業主婦との腕相撲頂上決戦では、激戦の末にYasが勝利。「もしYasが負けたら、もう専業主婦の悪口は書かない」と約束しての勝負だった。やはり、正義は勝つように出来ているのだ。

次回、400万Hit達成時にもオフ会を開こうと思います。専業主婦の挑戦をお待ちしております。(腕に自信のある方の参加はご遠慮願います)

よいお年を

今年一年、どうもありがとうございました。大晦日にわざわざここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。

来年は今年よりももう少しだけまともな未来でありますように。

君に幸あれ

きっと明日は晴れ

本心で言えるなら良いですね

(Mr.Children「タイムマシーンに乗って」)


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