憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記


犯罪もボランティアも同じ (2005-02-08)

犯罪もボランティアも同じ

犯罪もボランティアも、社会の掟を破っている。その意味で、犯罪もボランティアも同じである。

ギブアンドテイクの原則

医者への謝礼の話で互恵性について触れた。今回はその互恵性という観点から、犯罪とボランティア活動に共通する「掟破り」について書いてみたいと思う。

まず互恵性について簡単におさらいする。互恵性(reciprocity)とは、辞書的には「社会的交換における双務的で等価的な性質」である。AさんがBさんに資源やサービスを提供したならば、BさんはAさんにそれに相応しいお返しをする。これが互恵性である。

私たちが住む世界には、この互恵性の規範が存在する。「ギブアンドテイクの原則」と簡単に言い換えても差し支えは無い。自分が何も相手に与えていないのにサービスを受けることは非難される行為である。誰かに何かをしてもらったならば、それに相応しいお返しをしなければならない。

犯罪とボランティア

すべての犯罪がギブアンドテイクの原則に反する行為ではないが、多くはこの原則を破ったことで犯罪と見なされる。窃盗が代表的な例だろうか。相手になんら報酬を与えずに相手の資源を奪ってしまうわけだから、当然のごとくギブアンドテイクの原則に反する。

善意に基づくボランティア活動も、この原則に反する行為である。相手から何の見返りもないのに、相手にサービスしてしまうからだ。

偽善であって欲しい

完全に見返りを期待しない行動はギブアンドテイク原則に反するため、人々に不安感や心理的緊張を抱かせてしまう。そのため、善意とされる行動が実は偽善で、その行動が自己満足や自己利益のためだったことが明らかになると、人はある種の安堵感を抱く。

なぜ、人は善意とされる行動に対して敏感で、それが偽善でないかどうかを詮索したがるのだろうか。

偽善であって欲しいからである。自己利益や自己満足という報酬があるからこそ行動しているんだという理由付けが欲しいのだ。「社会貢献は偽善だ!?」のように偽善による社会貢献は非難される場合があるが、それは善意の皮をかぶることを非難しているわけであり、自己利益に基づく行動そのものは、あまり非難されない。

動機や背景を知って安心する

大きな犯罪が起きれば、ニュースでは必ずと言っていいほど、犯行の動機について専門家からのコメントを添える。人々が動機を知って安心したいからである。不可解な行動を目の当たりにすれば、人は理由や原因を知りたがる。

ギブアンドテイクの原則という社会の掟を破るボランティアなどの活動は、犯罪と同じように不可解なものである。だから、ボランティアをしている人は「なぜ?」と問われやすい。何の理由も無く他人にサービスするだけの人がいたら、気持ち悪くて人々は落ち着かないからである。

犯罪もボランティアも、社会の掟を破っている。そのため、社会に安堵感をもって受け入れられるには動機や背景の説明が必要になる。

犯罪もボランティアも、社会の掟を破っている。その意味で、犯罪もボランティアも同じである。

Yas的日常

雨の中の新宿御苑

新宿御苑を散歩した。雨の中、ひとりで。お客さんもほとんどいない。だだっ広い世界に自分が一人だけいる。ゆったりと癒された。

光麺

歌舞伎町の「光麺」というラーメン屋で塩ラーメンを食す。

且⊂(゚∀゚*)ウマー [90/100]

一口スープを飲んで、「私が求めていたものはこれだ・・・」と思った。

行列ワッフル

自宅の最寄り駅の近くにある行列のできる洋菓子店で、チョコバナナクリームのワッフルをひとつ購入。これからコーヒーを飲みながら、一人で食べる。

且⊂(゚∀゚*)ウマソー [85/100]

恋するハニカミ!

友達に録画してもらった「恋するハニカミ!」を見る。劇団ひとりが出演。この番組で見ると劇団ひとりですら少しは素敵な男性に見えてしまうから不思議。雰囲気って大事。

お笑いライブ@高円寺会館

土曜日は高円寺会館で行われたワタナベエンターテイメント主催の若手中心のお笑いライブを見に行く。友達の友達が芸人として登場してたので。観客の95%は女性だった。

水道橋ラクーア

水道橋の東京ドームシティにある癒し系施設「ラクーア」に遊びに行った。値段が高めなのが気になるが、あの場所では仕方が無いか。郊外から都心のラクーアに遊びに行く理由はあまりないと思う。


▲このページの最初へ|日記一覧に戻るトップページに戻る

男女間に友情は成立しない (2005-02-10)

男女間に友情は成立しない

男女間に友情は成立しない。

男女間に友情は成立するのか

「男女間に友情は成立するのか?」という誰しもが一度は耳にする問いがある。

この問いに対する答えを提出するのは難しい。本人の経験に基づく議論になりがちだし、友情や男女というものの定義次第で幾つもの答えらしきものが出てきてしまう。

そのため、「男女間に友情は成立するのか?」という種類の話はただの概念や言葉をこねくり回すだけの言葉遊びになってしまいやすい。しかしあえて、この問いにひとつの答えを出してみようと思う。

友情とは

男女の友情が難しいとされる理由は、性的に興奮してしまったり、恋愛感情を抱いてしまうからである。ここでは「友情が成立している」状態を次のように定義する。

  • 「性的に興奮せず、恋愛感情を抱いていない状態」

この定義を元に、男女間に友情が成立するか考えてみよう。

友情は成立しない

男と女の間に、友情は成立しない。ここでいう男女とは、観念的な意味あいだったり、社会的に望ましいとされるモデルとしての男女である。生物学的な意味でのオスとメスではない。簡単にわかりやすく言うと、ここでは、不細工は女ではない。キモメンは男ではない。

ある男性は「○○さんという女性とずっと友達で、恋愛感情は一切無い」と主張する。こうした例から「男女間に友情は成立する」と考える人は多い。

しかし反対に、ある女性は女性として魅力がありすぎるために友情が成立しないと言う。男性と仲良くなれば、必ず恋愛感情を抱かれてしまうからだそうだ。よっぽど美人で性格が良いのだろう。

男や女としての魅力に欠ければ、いくらでも男女間の友情は成立する。恋愛感情を抱かれないからだ。反対に男や女の魅力に満ち溢れれば、友情は成立しにくい。

先ほどの男性の例は、要するに男としての魅力に欠けるのだ。それが悪いと言っているわけではない。「男女間に友情は成立するか?」を考える際に、当人の魅力は無視できない、そのことが大事なのである。

美人が「男と女に友情って成立するの・・・?」と悩んでいたら、「それは難しい」と答えるのが、その美人にとっての世界では正しい答えだろう。

逆に不細工な人が「男と女に友情って成立するのか・・?」と悩んでいたら、「数多く成立する。いやむしろ友情しかあり得ない」と答えるのが、その不細工にとっての世界では正しい答えだろう。

男女とは

社会的な役割として「男」と「女」という性別が割り当てられていて、そのために恋愛に発展してしまうわけではなく、恋愛に発展してしまうような関係を「男」や「女」と言うのである。欲情の対象にもならず、恋愛の対象にもならない人は「男」でも「女」でもない、と社会の側は見なす。だから、恋愛をしていない女性を「女を忘れている」と表現したり、男が性交を経験することを「男になる」と言ったりする。

男女間に友情は成立しない。友情が成立せず、恋愛に発展してしまうのが「男」であり「女」である。

Simple スーパーショートショート

答えはひとつじゃない

「答えはひとつじゃない」。時々耳にする聞こえの良い言葉だ。でも答えはひとつじゃないとしても、間違った答えは存在する。誤った答えにダメ出しをするのも大切。

「人それぞれ」「答えはひとつじゃない」という類の現状肯定のためのマジックワードで人は精神的な安定を手に入れるが、それだけだ。

Yas的日常

北朝鮮戦

ワールドカップ最終予選、北朝鮮戦を自宅のテレビで観戦。終了間際のゴールには思わずおたけびを上げてしまった。

日本サポーターの応援横断幕にミスチルの「終わりなき旅」からの引用を発見。

高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな

最終予選の壁は、思っていたよりも高いと感じた。


▲このページの最初へ|日記一覧に戻るトップページに戻る

誰かチョコください (2005-02-11)

誰かチョコください

プレゼント企画やります。「誰かチョコください」。

チョコが欲しい

もうすぐバレンタインデー。チョコが欲しいです。誰かチョコください。

  • お返しはします。
  • 送料はこちらで負担します。
  • 気持ちはこもってなくて結構です。
  • 専業主婦の手作りチョコは毒が盛られている可能性があるので食べられません。
  • チョコをあげたい!という方はまずメールをください。
  • これから旅行に出るのでしばらくメールの返信は遅れます。
沈黙のオーディエンス

・・・と書いたが、たぶんチョコを送ってくれる人なんていないと思う。期待すると失望するから、はじめから諦めておこう。

・・・といいつつも心のどこかでは期待して、そしてまた失望する。


▲このページの最初へ|日記一覧に戻るトップページに戻る

チョコありがとう (2005-02-17)

チョコありがとう

同情するならチョコをくれ

先日「誰かチョコください」と叫んだところ、たくさんの人から反応をいただきました。実際にチョコを送ってくださった人も多く、もう素直に嬉しいのひと言です。

人間も捨てたもんじゃないな、って思いました。(専業主婦を除く)

甘い

チョコは10数個頂きました。味わって食べてます。もう半分以上食べてます。

旨すぎて大ショック。 且⊂(゚∀゚*)ウマー [100メガショック]

チョコは甘い。本当に甘い。甘すぎるぐらい甘い。「家事も立派な仕事」と勘違いしている専業主婦の考えぐらい甘い。相当甘いってことだ。でもそれが美味しい。(専業主婦は美味しくない。念のため)

対専業主婦用チョコ

贈ってくださった中でも特に素晴らしいのが「対専業主婦用」のためのチョコ。これでいつ専業主婦が襲いかかってきても平気だ。

本と雑誌

本や雑誌も頂きました。

『なぜ美人ばかりが得をするのか』。Simpleらしい本で嬉しい。

『日経WOMAN』(3月号) 特集記事は、「女性のひとり暮らし」と「働く女性のセックス」。言うなれば負け犬特集。負け犬および負け犬予備軍は必読か。

チョコを送ってくださった方々

チョコを送ってくださった方々は次の通りです。(17日現在)

  • 京都市中京区 Hさん
  • 静岡県菊川市 Tさん
  • 三重県四日市市 Mさん
  • 兵庫県加古川市 Iさん
  • 福岡県福岡市 Nさん
  • 東京都杉並区 Tさん
  • 東京都杉並区 Hさん
  • 愛媛県宇和島市 Kさん
  • 茨城県つくば市 Kさん
  • 静岡県富士市 Sさん
  • 東京都練馬区 Iさん
  • 住所不明 Mさん

どうもありがとうございました。本当に嬉しいです。

お返しをお楽しみに。


▲このページの最初へ|日記一覧に戻るトップページに戻る

男女間に友情は成立する (2005-02-21)

男女間に友情は成立する

「性交には愛情が必要だ」という規範が崩れれば、男女間の友情は成立しやすくなる。

性的に興奮しても友達

先日の「男女間に友情は成立しない」へ反論してみようと思う。前と変わらず言葉遊びに過ぎないのだが。

ひと言で「性的に興奮しても友達であり、友達とセックスしてもかまわない」と言ってしまえば、それで十分反論になっている。前提となる友情の定義を崩してしまえば良い。

友情を「性的に興奮しない」感情と定義したのは、性交と恋愛感情が必要だと考えられ、性交と恋愛が結びついているからである。そのため、性的に興奮してしまうと、その感情は友情というよりも恋愛だとラベリングされやすい。だから、男女間には友情が成立しない、と考えられているのである。

しかし、最近ではセックスフレンドと言われる関係も増えてきた。単に男性が自分にに片想いしている女性を利用しているケースが多いのだが、愛情ではない割り切った性的関係というのも存在する。そしてそれは若い世代で増えている。

NHKが行った意識調査の結果を見てみよう。

上のグラフは、年齢層別の「愛情があれば性交してもかまわない」と考える人の割合を示したものである。年齢層によって大きく考え方が異なるのも面白い。

グラフには示してないが、高年齢層で割合が低いのは、性交には結婚していることや婚約を条件としている人(1,2を選択した人)が多いからである。また一番若い世代で割合がやや低いのは、性交と愛情を関係ないものと考えている人(4を選択した人)が多いからである。

性交と愛が切り離されれば

10代の人々のように、性交と愛情を無関係と考える人が増えれば、男女間には友情が成立しやすくなる。性的に興奮してしまう男女の関係であっても、愛情とはラベリングされないから、友人同士のままに関係を維持できる。将来は友人同士だって性的に興奮するし時にはセックスだってするものだという考えが常識となるかもしれない。

グラフをみればわかるように、性交についての考えは年齢層によって激しく異なっている。高い年齢層の人は愛があったところで性交しても良いとは考えていない。20〜30代の人は、そんな考えは古いと一蹴してしまうだろう。ごく当たり前のように「愛があればセックスしていいし、愛がないセックスは望ましくない」と考える。だがそんな考えも、そのうち若い人たちに古い考えだと一蹴されるかもしれない。

今日の常識は明日の非常識である。

「性交には愛情が必要だ」という規範が崩れ、男女間の友情は成立しやすくなる。

Yas的日常

送別会

ネットの友人がオーストラリアに旅立つことになったので、送別会に参加。彼はミスチル限定カラオケイベント「チルカラ」でカメラマンとして大活躍していた。

出会いの数だけ別れは増える。改めてそんなことを考えた。

中華でも

土曜日は中華街へ。久々の本格中華。東横線とみなとみらい線が直結して、中華街まで電車一本で行けるようになった。それは嬉しいが、みなとみらい線って運賃が高い。消えてしまった桜木町駅が恋しい。

TSUTAYA化する社会

「24 シーズンII」を見ている途中。DVDのディスクの方の不良で、作中の15:23ぐらいから先が見られない。TSUTAYAに持っていったら、別のディスクと交換した上で割引券をくれた。店員は謝罪していたが、その謝罪はマニュアルどおりのものだった。心がこもっている様なフリをしている。一瞬、『マクドナルド化する社会』(ジョージ・リッツァ)という本を思い出した。


▲このページの最初へ|日記一覧に戻るトップページに戻る

「男女間の友情は人類共通の悩みである」という神話 (2005-02-23)

「男女間の友情は人類共通の悩みである」という神話

「男女間に友情は成立するか?」という悩みは、人間に共通する悩みではない。

人類共通の悩みではない

過去に2回男女の友情について書いた。反響の中に、「男女間に友情は存在するか?っていう問いは今も昔も変わらない疑問や悩みだと思う」というのがあった。

特に深い意味をこめてかいたわけではないと思うので、真面目に反論するわけではないが、これは事実と反する。「男女の間に友情が存在するか?」という悩みは、特定の社会にしか存在しない。

性交と結びつくべき愛情

「男女間に友情は成立するか?」と悩むのは男女間に友情(と呼ばれているもの)が成立しにくいからである。20代〜30代の世代では愛情と性交が結びつくべきという思想が支配的なので、性的に興奮してしまう男女の間柄では友情は成立しにくい。反対に、愛情とセックスが分離できていれば、性的に興奮しても友情と認識し続けられる。

前回用いたデータを再び参照しよう。

10代や高い年齢層の世代では、20〜30代に比べて愛情とセックスの結びつきが弱い。したがって、10代や高年齢層では「男女間に友情は成立するか?」という悩みや疑問が少ないと考えられる。

真剣10代しゃべり場

NHK教育の人気番組「真剣10代しゃべり場」では、男女間の友情が議論のテーマとなったことがない。

この番組は若々しい10代の男女が恋愛・人生・学校など様々なテーマについて議論をする番組である。例えば過去には、

  • 「学校って何のためにあるの?」
  • 「どうして1人の異性としか結婚できないの? 」
  • 「本当の自分を出せますか? 」
  • 「好きなヒトがよく変わるっていけないこと?」

といったテーマで議論が繰り広げられていた。

2000年から続いている人気番組で、毎週放送されているにもかかわらず、男女間の友情がテーマとなったことはない。(セックスについては、「みんな軽々しくセックスしすぎる」というテーマで議論がなされたことがあった。)

10代の若者にとって男女間の友情が存在するかどうかなんて、どうでも良いテーマなのだろう。

男女交際がタブーだった時代

今度は高年齢層について述べる。この世代も「男女間に友情は存在するか?」とはあまり悩まない世代である。

今の50代が若かった頃、今からおよそ30年ほど前は、そもそも男女交際が盛んでなかった。会社で昼休みに男女が仲良くランチをとることもなかった。外を男女二人で歩いていれば、その二人は結婚するものと考えれてしまった。高校生が男女で街を歩くなんてことは考えられない時代だったのだ。

だからこそ男女間の友情で悩むこともあったが、ごく限られた人の悩みだっただろう。

70年に出版された松田道雄の『恋愛なんかやめておけ』では、男女が普通に友人関係として交際することが勧められている。男と女が結婚やセックスの関係でしかないことへの批判でもあった。

男女が友人として交際できるという発想自体、この時代には広まってなかった。である以上、「男女間に友情は成立するか?」という悩みは一般の人には無縁だったはず。もちろん、一部の有識者にとっては考察の対象だったと考えられるが。

「男女間に友情は成立するか?」という悩みは、人間に共通する悩みではない。

Yas的日常

マフラー紛失&発見

通勤途中、マフラーをどこかに落としてしまったことに気がつく。寒い冬に重宝する大切なマフラーだったのだが。

次の日の朝、落としたマフラーを探しながら通勤。運よく、落としたマフラーを発見。民家の塀の上に置いてあった。誰かが拾って置いておいてくれたのだろう。

専業主婦に持ち去られなくて本当に良かった。


▲このページの最初へ|日記一覧に戻るトップページに戻る

トップページに戻るindex.html