憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記


夫婦別姓制度が導入されない理由 (2005-03-01)

夫婦別姓制度が導入されない理由

夫婦別姓制度が導入されない理由は、望んでいる人が少ないから。

なぜ夫婦別姓制度が導入されないの?

時間があったので、ネットの日記やブログを巡回していた。ある女性の日記に、「なぜ夫婦別姓制度が認められないの? こんなに多くの人が望んでいるというのに」という主旨の意見が述べられていた。

結論から言ってしまうと、夫婦別姓制度を望んでいる人は少ない。女性はどうも自分の周囲の意見ばかりに目が行く。視野が狭く、自分の周りが世界のすべてと勘違いしやすい。行動範囲の狭い専業主婦は特にひどい。

大手小町の「夫婦別姓のこと」というトピックを見てみたが、トピックを立てた人は「夫婦別姓を望む声は少数派ではないはず(つまり多数派)」という勝手な思い込みで夫婦別姓制度を支持している。

望まれない夫婦別姓

夫婦別姓を望む声は一部の人が上げているだけで、ほとんどが無関心だったり、現状維持を望んでいる。夫婦が別々の姓でも良いと考えているのは1割強であり、少数派である。夫婦別姓制度が導入されないのは希望する人が少ないからである。

NHKによる意識調査の結果を見てみよう。30年前からの結婚後の姓についての意識調査の変遷をグラフにしてみた。

2003年の段階で、「夫と妻は別々の名字で良い」と考える人は13%にすぎない。約30年前、1973年時点よりも増えてはいるが、それでも割合としては少数派である。

「多くの人が望んでいるのにどうして・・・」と考える人は全体が見えていないのだろう。たまたま自分の周囲に夫婦別姓を望む人が多いだけだろう。もちろん、十数%とはいえ、人数となればバカにはできないが。

「なぜ夫婦別姓制度が導入されないか」という疑問・質問に対しては、「支持する人が少数だから」という答えで十分だ。少数派の意見も無視はできないが、「なぜ導入されないか」と「夫婦別姓制度が是か否か」という問いは別である。ここでは良いか悪いかは問題にしていない。

夫婦別姓制度が導入されない理由は、望んでいる人が少ないから。

Yas的日常

土曜日:みなとみらいで

久しぶりに横浜のみなとみらいで遊ぶ。赤レンガ倉庫が綺麗だった。

日曜日:ギョーザパーティ

自宅でギョーザパーティ開催。ミスチルのライブDVDや去年のM-1グランプリを見ながら。

ギョーザ、美味い。且⊂(゚∀゚*)ウマー[90/100]

Yas特製のアラ汁も好評。且⊂(゚∀゚*)ウマー [95/100]

月曜日:会社を休んで

休暇を取って、ゴルフの練習へ。平日はオジサマが多かった。


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ホワイトデーの「ホワイト」はマシュマロの白 (2005-03-08)

ホワイトデーの「ホワイト」はマシュマロの白

ホワイトデーの「ホワイト」はマシュマロの白い色が由来である。

その後、全国飴菓子工業協同組合がキャンデーの需要拡大のために、「ホワイトデー」という名前を利用した。

そろそろホワイトデー

そろそろホワイトデーである。基本的にはチョコを贈ってくれた全員にお返しはする予定だ。

さて、このホワイトデー。不思議な名前である。ヴァレンタインデーはまだわかる。だが「ホワイト」とは一体何だろう。

マシュマロの白い色から

ヴァレンタインデーやホワイトデーについて真面目に調べた学者は少ない。私の手元にある本の中では小笠原祐子の『OLたちの<レジスタンス>』がヴァレンタインデーについて詳しく書かれている。ホワイトデーの起源について書かれている部分を引用しよう。

西欧に起源を持つバレンタインデーとは異なり、ホワイトデーが日本独自の慣習であることは、よく知られているとおりである。1970年代に入ってから、不二家やモロゾフなどがマシュマロ・メーカーとタイアップして企画したのが始まりとも言われている。マシュマロの白い色からホワイトデーという名称が定着したと一応考えられるわけだが、1979年には、全国飴菓子工業協同組合が、ホワイトデーを「キャンディーを贈る日」としてキャンペーンを開始している。

(小笠原祐子『OLたちの<レジスタンス>』中公新書 1998 p.144)

ホワイトデーの「ホワイト」がマシュマロの白さから来ているという話には納得できる。だが、その後なぜ飴菓子の団体がホワイトデーを「キャンディーを贈る日」としたのだろうか。

需要拡大作戦

ホワイトデーを「キャンディーを贈る日」としたのは、全国飴菓子工業協同組合がキャンディーの需要拡大を狙ったからである。常識的な理由である。

しかし全国飴菓子工業協同組合の変わったところは、自身のサイトにおいて、「需要拡大を狙ったものだった」と堂々と公表している点である。

組合のサイトの「ホワイトデー誕生秘話」から、主な箇所を引用したい。

高柳 69(昭和44)年ごろから、当時の全飴協の木戸脇太郎理事長が中心になって、組合参加の各メーカーとともに、「キャンデーの需要拡大をはかるには、どうしたらいいのか」ということで、いろいろな方法を模索していたんです。当時も、メーカーによっては、細々とホワイトデーのキャンペーンを行っているところもありましたが、単にバレンタインデーのお返しにチョコレートを返そうというくらいのレベルでした。しかし、結果的にはそれが我々に、「ホワイトデーキャンペーン」をはじめさせる、契機となったしだいでして‥‥

これが「ホワイトデーキャンペーン」のきっかけである。

高柳 そうです。ただ、一部には「ホワイトデー」ではなく、ただ単純に「キャンデーの日」にしたらどうか、という意見もありました。しかし、将来的見地からするとバレンタインデーのお返しという位置づけがあったほうが、需要拡大につながっていくのではということになり、ホワイトデー・イコール・キャンデーの日ということになったんです。

普通はキャンデーとホワイトは結びつかない。単純に「キャンデーの日」としたほうがわかりやすさでは上だろう。

高柳 ホワイトデー・イコール・キャンデーというような認識を定着させるまでが、ひと苦労でした。それまでは、マシュマロありクッキーありだもの。

大西 社内的にも何の反応もないわけ。何をやってるんだ、あいつは(笑)、という感じなんですよ。これじゃいけないと思って、社内で大英和辞典のホワイトというところをひいてみたら、シュガーとかスィートがでてきた。そこでシュガーをひいてみるとキャンデーとあった。ホワイトイコールキャンデー。スィートラブ(純愛)イコールホワイトラブと、ホワイトデーがキャンデーにつながっているんですね。単なる語呂合わせなんですが、やったと思いましたね(笑)。

まず「ホワイトデー」という名前が先にあり、ホワイトがキャンディとつながるのは後から発見した後付の理屈である。

ホワイトデーの名前の由来として「ホワイト=砂糖」「ホワイト=純潔」の意味があるから、という説があるが、この誕生秘話を読む限りではこれらの説は後から関連付けられたものだろう。

普通にマシュマロの白さが「ホワイトデー」の由来で、その名前を全国飴菓子工業協同組合が利用し、キャンペーンを行った結果、全国にホワイトデーの習慣が広まったのだと考えられる。現在では飴よりもクッキーの方がお返しとしては主流だろうか。飴ももう少し女性に好かれて、高級感を感じさせられれば良かったのかもしれない。

ホワイトデーの「ホワイト」はマシュマロの白い色が由来である。

その後、全国飴菓子工業協同組合がキャンデーの需要拡大のために、「ホワイトデー」という名前を利用した。

Yas的日常

TRUTH

池袋のサンシャイン劇場で演劇集団キャラメルボックスの「TRUTH」を観る。中盤で涙。やっぱ生は良い。

東京水

東京都庁の展望室に行ったら、水道水がペットボトルに詰められて売られていた。その名も「東京水」。お値段は100円。

ひとつ、買ってしまった。


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バレンタインの3倍返しについて (2005-03-13)

バレンタインの3倍返しについて

お返しとして女性からもらったチョコよりも高価なお返しをするのは、同程度の価値のプレゼントでは借りを帳消しに出来ないからである。

3/14はホワイトデー

3/14はホワイトデーである。3倍返しという習慣・ルールがあり、3倍とは言わないまでも男性は女性からもらったプレゼントの価値以上のお返しをしなければならないとされる。

一般に社会には互恵性や互酬性というルールがある。相手から何かもらったら、同じ程度のものを相手に返報しなければならない、というルールである。しかし、ホワイトデーでは単純に考えるとこれが成立しない。なぜ男性は女性からもらったチョコよりも高い価値のチョコをプレゼントしなければならないのだろうか。

チョコに意味がこめられているから

女性からの男性へのチョコのプレゼントは自発的で好意的な感情が込められているが、男性からの女性へのお返しは、一般には感謝の意味しかない。そのため、男性が贈るお返しは女性のプレゼントよりも高価になってしまう。

日本企業のOLの行動を研究した社会学者の小笠原祐子は、ホワイトデーのお返しについて次のように述べている。

OLが渡すチョコレートは、たとえそれがどんなにちっぽけなチョコレートであったとしても、「OLざかり」の若い女性の気持ちが託された贈り物という意味を持つ。しかし一般的に言って、ホワイトデーの贈り物にはそのようなシンボリックな意味はない。その結果、ホワイトデーの贈り物は、バレンタインのチョコレートよりもその物質的価値によって判断されがちである。

(中略)

バレンタインデーのチョコを贈るというのは、能動的な行為である。チョコレートを贈る相手として幾人もの男性の中から特定の男性を選んだということを意味する。しかし、男性の贈る行為は、基本的に受動的である。どの女性にホワイトデーのプレゼントを贈るかは、女性自身によってあらかじめ決められてしまっているからだ。

(中略)

ホワイトデーのプレゼントは、ただ単に男性の礼儀正しさを示しているに過ぎず、自発的な贈り物とは言えないのである。

(小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』中公新書 1998 p.148-150)

女性からのチョコには、様々な意味がある。しかし男性側からのプレゼントには、それが少ない。

そのため、同程度のもので返報しなければならないという互恵性の原理に従ったとしても、同じ金額のお返しでは決済しきれないのである。気持ちをこめたお返しになれば、自然にもらった金額以上のお返しになってしまうだろうし、また女性側からしても、贈った以上のお返しがあったほうが満足できるだろう。プレゼントしたチョコよりも安いお返しをするのは、男性も女性も喜ばない。

なにも律儀に3倍にして返す必要はないと思うが、男性は女性から貰ったプレゼントよりも高価なお返しをしたほうが丸く収まるだろう。

お返しとして女性からもらったチョコよりも高価なお返しをするのは、同程度の価値のプレゼントでは借りを帳消しに出来ないからである。

Yas的日常

カレー屋スパイスカフェ

スパイスカフェ」という隠れ家的なカレー屋さんでカレーを食す。

古い木造アパートを改造したオシャレなお店で、雰囲気が良い。カレーやデザートのケーキも美味しかった。恋人同士、負け犬の群れにオススメ。

ゴルフ練習

打ちっぱなしに行く。

隣の打席の専業主婦の方が、Yasよりも飛距離が出ていた。気に入らない。世の中間違っている。


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「結婚しないと言っている人ほど結婚する」の嘘 (2005-03-17)

「結婚しないと言っている人ほど結婚する」の嘘

「絶対結婚したい」と思っている人が一番結婚しやすい。

結婚したくないと言うと

今のところ結婚はしない予定だ。理由は数多くあって説明しきれない。

「結婚はしない」と他の人に言うと、たまにだが「結婚しないって言っている奴の方が結婚しちゃうもんなんだよ」と言われることがある。もしも本当だとしたら面白い。

「結婚しない」と考えている人はそれだけ結婚に対する関心が強いわけで、実は結婚願望の裏返しとも取れる。

しかし現実はそれほど逆説的ではなく、いたって常識的である。

結婚意欲が高いほど結婚する

結婚への意欲が高い人ほど結婚しているし、反対に結婚への意欲がない人は結婚していない。これが現実である。

厚生労働省のデータを見てみよう。

独身の若者に調査を行い、「結婚意欲」を調べた。その結果がグラフの横軸である。約1年後に同じ人に調査を行い、結婚しているかどうかを調べた。結婚していた人の割合がグラフの縦軸である。

女性では、「絶対結婚したい」と考えていた人の8.7%が実際に結婚をし、反対に「絶対結婚したくない」と考えていた人の98.8%が実際に結婚していない。(1.2%が結婚してしまった)

男性も女性も、結婚意欲のあった人の方が結婚しているという傾向が見られる。

よって、「結婚しないって言っている奴の方が結婚しちゃうもんなんだよ」という話は誤りである。結婚したいと思っている人が結婚するのだ。「絶対結婚しない」と考えていても、うっかり結婚してしまったり、できちゃった結婚などで結婚してしまったりする人もいるだろうけど。

「絶対結婚したい」と思っている人が一番結婚しやすい。

Yas的日常

スピードワゴン握手会&トークショー

3/20(日)に渋谷のタワーレコードで行われるお笑いコンビ、スピードワゴンのトークショー&握手会の整理券を入手。

スピードワゴンのDVDを買えばもらえるが、もう全部出てしまっているだろうな。

ルミネtheよしもと

新宿のルミネtheよしもとで、お笑いのライブを観る。テレビで見たことのあるネタでもライブで観ると全然面白さが違う。笑いすぎて体力消耗した。

ホワイトデー

ホワイトデーのお返し、すべて発送済み。お返しは、チョコと秘密の白いモノ。もらった人だけのお楽しみ。

「24 シーズンII」

最後まで見た。面白い。シーズンIIIも見たいのだが見始めると止まらないのでやめておこう。


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世代差ではなく個人差や階層差 (2005-03-25)

世代差ではなく階層差

ダメなのは今という時代ではなく、問題は階層の違いと個人の能力の違いだ。

なぜ今の若者は・・とボヤくのか

就職活動をしている人からメールをいただいた。「なぜ最近の若者は・・と批判されやすいのか。100年前も同じように言われているのだが、どうしてなのか」という内容。なんでもプレゼンで必要らしい。

せっかくなので話題にさせてもらう。ネットで公開してしまうので、使えないと思うが。

赤十字は「あかじゅうじ」

少し前に、赤十字を「あかじゅうじ」と読んでしまう小学生が多いとニュースで報道されていた。文部科学省所管の財団法人、総合初等教育研究所が調査したところ、5年生では半数近くが赤十字を「あかじゅうじ」と読むらしい。((Yahoo!ニュース)

このニュースを読んで、「最近の小学生は漢字が読めなくなってる」とコメントしていた人がいた。過去の調査と比較したわけではないし、赤十字の認知度によっても結果は違ってくるから、この情報だけから「最近の小学生は漢字が読めない」とは言えない。

私立で高い階層の親の子どもが集まる学校であれば、赤十字を「せきじゅうじ」と読む小学生は多いだろう。私の経験で言えば、5年生で赤十字を「せきじゅうじ」と正しく読める人はクラスで数人しかいなかった。田舎の公立の小学校のレベルは低い。5年生で半数が「せきじゅうじ」と読めたら、その方がすごいと思う。

「今の小学生は漢字が読めないんだ」と感じている人は、良い小学校に通っていたのではないだろうか。

個人差と階層差を錯覚してしまう

先の統計的な話ではなくとも、単なる個人差や階層差を世代差と感じてしまうことが人には多い。

教育社会学者の広田照幸は、批判する際には時代的な変化を誤って読み込んでしまいがちだと述べている。

電車の中で騒ぐ子供を注意しない母親について、同世代の母親が「今のお母さん方は……」と非難する投書を新聞で目にしたことがあるが、これなどは、階層差か個人差かはわからないが、しつけにきびしい親がそうでない親を批判しているにすぎないのに、昔と今との対比で論じてしまっている例である。真面目な高校生が、「今の高校生は……」と批判めいた投書で書いているのも同じ誤りである。

同様に、(中略)、豊かな家庭できちんとしたしつけを受けて育ってきた者が多い学者や評論家といったたぐいの人たちが、「最近の母親は子供を甘やかしてけしからん」と非難する際も、時代的な変化であるよりもむしろ、実はこのようなしつけ態度の社会階層的差異を反映したものであるのかもしれない。

(広田照幸『日本人のしつけは衰退したか』講談社 1999 p.186)

豊かな家庭で教育を受けた人が年を取り、そして貧しい家庭で低いレベルの教育しか受けていない若者を批判する。「今の若者はダメ」と。

ダメなのは今という時代ではなく、階層の違いと個人の能力の違いだ。

教育と階層差

教育の内容と階層には関連がある。下のグラフは、母親の学歴としつけの内容を表したものである。買ったチョコレートを帰り道で子供が食べたいと言ったときの母親の対応だが、母親の学歴によって差がある。

こうした階層意識が弱いと、自分とは異なる価値や行動を見たときに、それを時代のせいにしてしまいがちだ。

また、世代に理由を押し付けた方が、何かと平和的で安心できる。もしも本当の理由を言ってしまえば、トラブルの火になりかねない。学歴や所属による階層差の話題はある種の緊張感を生む場合が少なくないし、階層差や能力差を意識すれば、自分自身もそれによって傷つく。

人にとって安心するのは、時代や世代のせいにすることなのだろう。

ダメなのは今という時代ではない。問題は階層の違いと個人の能力の違いだ。

Yas的日常

これからイラン戦

観てきます。友達の家で。

もうすぐ400万

もうすぐ400万Hits達成です。ありがとうございます。記念のオフ会、考えています。(何らかの縛りを設定する予定)


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