子どもを持って当然と考える男たち (2005-04-01)
子どもを持って当然と考える男たち
子どもを持って当然と考える未婚の男性は多い。
子どもが欲しいと叫ぶ男
会社の同僚たちと飲んでいたら、子どものことが話題になった。ある人は「結婚してどうしても子どもが欲しい」と語っていた。その人は未婚である。子どもが好きという理由よりも、子どもを産んで家庭を築くのが男の使命だから、という理由の方が大きいようだ。
自分自身の自尊心を満たしたり、自己満足のために一人の命を生み出してもいいものか、と考えたりもするが、そんなに深く考えていたら子どもなんて産めないだろう。
それはさておいて。
子どもをもつことの意識
「子どもが欲しい」と願っている女性は多いが、「子どもを産むべきだ」と考えている現代の若い女性は少ない。男性は結婚についての意識が女性よりも遅れていて、未だに「子どもを産んで当然」と考える人が多い。(遅れている=悪いというわけではない)
NHKの調査によると、若い世代では女性よりも男性の方が「子どもはもって当然」と考える人が多く、男性のなかでは既婚者よりも未婚者の方が「子どもはもって当然」と考える人が多い。
子どもを持つことの重さを考えれば、そう簡単に「もって当然」なんて考えられないと思うのだが。未婚男性は気楽に考えているのだろうか。
いっぽう、女性の意識は未婚と既婚で差がない。この点は面白い。現代の女性であれば、自らの意思で子どもを産みたいだろう。周りからとやかく言われたくないのだ。「産んで当然」なんてことはあまり考えないだろう。
未婚であれ、既婚であれ、出産を考えない女性はいない。その意識の差がデータに現れているのではないだろうか。想像のレベルの話だが。
子どもを持って当然と考える未婚の男性は多い。
Yas的日常
ニンテンドーDS
ついさっき、ニンテンドーDSを衝動買い。タッチパネルに触るのって快感。大人気なく熱くなってしまった。
Simple 400万Hits記念負け犬限定オフ開催
400万Hits達成記念のオフ会をGWに開催します。詳細は未定です。
今回は参加を「負け犬」に限定させていただきます。30代で子無しで独身の女性の方、お待ちしております。参加者2名以上で開催します。
興味のある方は、まずはメールでお願いします。お待ちしております〜。ささ、遠慮せずに、怖がらずに。
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なぜ努力が大切か (2005-04-08)
なぜ努力が大切か
「努力」によって、失敗や不平等が正当化される。
ものごとは努力によって解決しない
誕生日のプレゼントに、河合隼雄の『こころの処方箋』をいただいた。常識から一歩引いた視点でものごとをとらえたエッセイである。面白かった。
その中に「ものごとは努力によって解決しない」という哲学者の言葉の引用があった。現実的には、努力によって解決できる物事もあるし、がんばってもダメなものはダメ、ということも多い。
しかし、学校などでは努力の重要さを強調することが多い。教師であれば、たいていは努力して勉強するよう指導するだろう。努力しても良い点は取れない、と言ってしまう教師はおそらく少ない。
なぜ、努力が大切なのだろうか。
失敗を納得するために
大雑把に言って、努力によってもたらされる「良い」結果は2つある。
- 目標の達成や問題の解決
- 失敗の納得や不平等の正当化
一つ目が私たちがよく認識している努力の果たす役割である。受験勉強にしろダイエットにしろ異性にモテることにしろ、努力によって目的が達せられることがある。偏差値の高い大学に入るためには努力が必要である(ということになっている)。
二つ目が失敗の納得や不平等の正当化、である。日本でもそうだが、地位や財といったものは不平等に配分されている。こうした不平等を人々が納得して受け入れられる仕組みが社会には必要である。
努力を重視する学歴社会の場合はどうだろうか。この社会では、「だれでもがんばって勉強すればいい点数がとれる」という考えが浸透している。この考えは、裏返せば、「点数が悪かったのは自分ががんばって勉強しなかったからだ」ということを合わせ持っている。それだけ、みんなをがんばらせるしくみとなるのである。
このような努力重視の学歴社会では、成功者はそれだけ努力したものだとみなされる。反対に、失敗したものはがんばらなかったからだということになる。敗者の納得の論理もそこから出てくる。つまり、自分ががんばらなかったから、だめだったのだということになるのである。
(中略)
失敗の責任は個人の努力不足に求められこそすれ、「生まれ」のような出身階層の問題とはみなされなくなる。それだけ、社会階層間の問題とはみなされなくなる。
(苅谷剛彦・他『教育の社会学』有斐閣 2000 p.230-231)
何かに失敗したり、財の配分にあずかることが出来なくても、それは「がんばらなかったから」とか「がんばりが足りなかったから」と本人に原因が求められる。そうして人々は失敗や不平等を受け入れて、生きていく。本当はもともとの才能や環境が大きく影響するのだが。
とくに公教育の場では努力が強調される。その理由は、努力によって目的が達成できるというのも確かにある。しかしそれよりも、達成できない物事や不平等を人々に正当性をもって受け入れさせるための方が、役割としては大きい。
教育の場に限らず、一般の社会でも努力は重要である。ものごとは努力によって解決しないが、努力によって解決する(はず)というトリックは必要だ。
「努力」によって、失敗や不平等が正当化される。
Yas的日常
誕生日
明日は誕生日。一人でケーキ買って食べます。おめでとう。ありがとう。
負け犬オフ
負け犬オフ会、現在エントリーしている方は2名。あと1〜2名参加してくださるとYas的には幸いです。GWに開催で、細かい日程などは調整します。
専業主婦になりたい!と思っている負け犬も歓迎します。
ニンテンドーDS
今日、つい衝動買いしてしまいました。ニンテンドーDS。
めざまし調査隊
めざまし調査隊の取材を受ける。カメラが動いている間のレポーターのお姉さんはかわいい。でもカメラが止まると急に無愛想になる。人間ってこんなもん。
(ちなみにめざまし調査隊の取材とSimpleとは無関係)
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人工を模倣する恋愛と家族 (2005-04-15)
人工を模倣する恋愛と家族
恋愛は人工の模倣であり、家族もまた人工的なものの模倣にすぎない。
恋するハニカミ!
TBSの『恋するハニカミ!』を見ていたら、こっちが恥ずかしくなってしまった。困った。
あの番組を見ると、恋愛が実は人工的なもので、我々はそのコピーを消費して楽しんでいることに気がつかされる。
恋愛は人工物の模倣
福田和也は『悪の恋愛術』(講談社現代新書)で、スタンダールの『赤と黒』を引き、本当の恋愛をする前に、まず小説やドラマで作り事の恋愛を体験してから恋愛するので、その恋はすべて作り事の模倣になってしまうと述べている。
現在において私たちは、もはや素朴な恋愛なり、情熱なりというものを体験することはありえない、と云ってもいいのです。
どのような恋愛も、何がしかは既成の物語や、映画、あるいはポップ・ミュージックなどの無意識的な模倣になっている。
(p.167)
私たちは作られた物語以外の恋愛はできない。バリエーションや組み合わせを変えることで一見異なる恋愛はできそうだが、果たしてそれで楽しいのか。むしろ、模倣であったとしても、ドラマのような恋の方が楽しいのではないだろうか。
ある人が「恋をしたい」と言った場合、それはたいてい人工的な恋愛を模倣したいのだ。それが恋愛というものなのだから。
模倣する家族
恋愛の後に結婚をし、家族を築く。このパターンは今でも強く残っている。恋愛の延長線上にある結婚生活、家族生活に人々は時に憧れを抱く。
結婚して家族を築くことに大きなメリットがなくなった。そのため、家族も消費財としての価値が大部分を占めるようになっている。
社会学者の三浦展は『「家族」と「幸福」の戦後史 -郊外の夢と現実-』(講談社現代新書)で、我々が作られた家族というイメージを消費している存在であると述べる。
一見自然な存在である家族が、実は「消費する家族」として人工的に生産されたものであるとすれば、その家族の一員として生きているわれわれは、いったい何なのであろうか。われわれは家族という存在を当然視していながら、実は与えられた家族のイメージを消費しているだけなのであろうか。われわれは消費をせずに家族らしくふるまい、家族としてまとまることができるであろうか。
(p.29)
我々は幸せな家族という作られたものに従い、家族らしくふるまっている。それが個人の幸福だと信じる人も多い。
家族らしいことをして満足することと、恋愛をして満足することは、人工物の模倣という点で共通している。
だから空しいという話ではない。たとえ模倣でも、幸せならばましだろう。
恋愛は人工の模倣であり、家族もまた人工的なものの模倣にすぎない。
Yas的日常
今年の巨人
開幕したのだが、あんまり見る気になれない。
負け犬オフ
参加者いませんか〜? GW開催です。募集中です。
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意識変化の男女差 (2005-04-17)
意識変化の男女差
家庭や結婚の意識変化は女性の方が先行し、男性はそれに追従する。
性の意識変化は男性の方が先行し、女性はそれに追従する。
まれにある読者からの苦情
まれにだが、読者様から苦情が来ることがある。先日、次のようなテキストを書いた。
男性は結婚についての意識が女性よりも遅れていて、未だに「子どもを産んで当然」と考える人が多い。(遅れている=悪いというわけではない)
そうしたところ、「子どもを産んで当然、と考えないことが先進的な価値を持つのか。子どもを産んで当然という考えが古い、という常識に立った文章が残念」という苦情がとある女性から送られてきた。
わざわざかっこ()の中で「遅れている=悪いというわけではない」と書いてあるのに、意味が伝わってなかったようだ。誤解を招く文章を書いた私が悪いといえば悪いのかもしれないが。
意識変化の男女差
日本人の意識構造の変化を調べてみると、面白いことが分かる。家庭・結婚に関する意識は女性の方が男性よりも先に意識変化がおこり、男性はその意識・価値に追従していく。
反対に、性・セックスに関する意識は男性の方が女性よりも先に意識変化がおこり、女性はそれに追従する。
先の苦情のあった自分の文章は、単に「男性は女性よりも遅れる」(=意識変化が女性よりも遅く、女性に追従する形で意識変化が起きる)という意味でしかない。そこに価値判断は含まれていない。遅れる=悪いわけではないし、相対的に古いことが悪いわけではない。良いとか悪いとかいった価値判断は、ここではしてない。
性については男性先行
では、具体的にひとつの例を見てみよう。
上に示したのは以前参照したデータである。かつては結婚しなければセックスしてはいけないという厳しい規範意識が強かったが、まず男性の側から意識の変化があり、結婚や結婚の約束がなくても、愛情があればセックスしてもいいだろうという意識が広まっていった。若くなるほど結婚無しでのセックスを認めている。
「性意識の変化は・・・女性より男性のほうが変化のスピードが早い」(『現代日本人の意識構造[第六版]』(NHK p.48)
スペースの都合上、ひとつの例しか示さなかった。ひとつの例から性の意識変化が男性先行であるとは言い切れない。また、性と言ってもその内容は様々である。その点は注意したい。
家庭・結婚生活については女性先行
今度は女性の場合を見てみよう。
結婚しても仕事をし続けたほうが良いか、という典型的な質問である。両立したほうが良いとか悪いという話ではない。女性の方が意識変化は早く、男性はその後についていく。女性から見れば男性の考え方は遅れている。遅れているというだけであって、それが悪いかどうかはまた別の話である。
男女による意識変化の差が何をもたらすのか、なぜ意識変化に差があるのか、あれこれ考えてみると面白い。個人としての男女のパワーゲームの力関係が、社会調査の結果にも現れているように思える。
家庭や結婚の意識変化は女性の方が先行し、男性はそれに追従する。
性の意識変化は男性の方が先行し、女性はそれに追従する。
Yas的日常
カツオ和風ステーキ
カツオが美味しい季節に。
スーパーでカツオを買ってきて、刺身ではなく和風ステーキにして食べる。
且⊂(゚∀゚*)ウマー [85]
ついにMr.Childrenのニューシングル発売!
ミスチルのニューシングル「四次元 Four Dimensions」が6/29にいよいよ発売。4曲収録。
- 「未来」(ポカリスエットCM曲)
- 「and I love you」(カップヌードルCM曲)
- 「ランニングハイ」(映画「フライ、ダディ、フライ」主題歌)
- 「ヨーイドン」(「ポンキッキーズ」テーマ曲。
迷わず買い。もう予約した。せめて発売日までは生きねば。
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同僚が結婚していく (2005-04-21)
同僚が結婚していく
同僚が結婚することになったので、結婚に関するいくつかの話を。
核心に触れない話題
同僚が結婚することになった。おめでとう。
同年代の友人達が家族を築いてく
人生観は様々 そう誰もが知ってる
悲しみをまた優しさに変えながら生きてく
(Mr.Children/『花』)
なんとなくミスチルを引用したくなっただけで、深い意味はない。
話を結婚に戻そう。彼と結婚の話をしても、いまひとつ核心に触れられない。当たり障りの無い話題ばかりしている。奥さんは美人なのか、とか、逆玉の輿なのか、とか、色々聞いてみたいのだが。
大事なのは金とセックス
「金とセックスを抜きにして結婚を語ることはできない」と社会学者の山田昌弘は述べている。個人の間では金の話やセックスの話は抜きで結婚について語り合うことはあるが、冷静になって結婚について考えを深めるならば、金とセックスについて考えないわけにはいかない。
金をめぐるトラブル
性に関する悩みも夫婦間では多いが、金に関するトラブルも多い。アメリカの場合、夫婦間の争いのもっとも大きな原因のひとつは、金銭問題だという。(デヴィッド・M・バス『女と男のだましあい』草思社 p.250)
そして面白いことに、金を巡るトラブルの多くは、所有する金銭の多い少ないではなく、その金を何に使うかという配分を巡る争いであるという。男性は女性がお金を使いすぎることに不満を持つし、女性は自分に割り当てられたお金が少ないことで不満を抱く。
たしかに家に何の稼ぎも無いニート同然の専業主婦がいて、無意味に金を浪費していれば、夫は妻に不満を抱くだろう。少なめに見積もって、専業主婦に寄生されている夫のうち95%は専業主婦に不満を抱いていると想像するが、どうだろう。
専業主婦は夫の稼ぎの再配分で不満を抱くだろうが、専業主婦なのだから仕方あるまい。
結婚生活で金は大事だが、金銭の多少だけでなく、再配分の割合や方法が重要。
あとはセックスがんばれ、と同僚に言いたい。
Yas的日常
負け犬オフ、詳細
4/30(土) 17:00集合。場所は新宿で。
決行いたします。我こそは負け犬!負け犬の中の負け犬!という方の参加をお待ちしております。
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「崩壊」し続ける家族・そして愛情だけが残る (2005-04-28)
「崩壊」し続ける家族・そして愛情だけが残る
家族は歴史的に常に崩壊し続けている。
家族の機能は外部化され、家族には愛情が残る。しかし、愛情は家族でなくても満たすことができる。
専業主婦は必要か
先日、専業主婦について軽く触れたら、専業主婦から苦情が来た。メールの概要は、母親が家にいてちゃんと子どもを育てないから、社会全体で家庭崩壊が進む。というもの。
たしかに、家庭崩壊を嘆く声は多い。だが実際は崩壊しているわけではなく、家庭内で果たされていた家族の機能が低下しているだけである。
家族は歴史的に、生産を工場へ、教育を学校へという形で、常にその機能を外部に委譲してきている。その意味では家族は歴史的に常に「崩壊」し続けており、だからこそ少し前の状態を標準において「家族の崩壊」を説く保守的な言説は常に存在するのだ。
(瀬地山角『AERAMook 家族学のみかた。』朝日新聞社 p.20)
かつて専業主婦が必要だった時代が存在したことは認めるが、現在もそれが当てはまるかどうか意見が分かれるところだ。
梅棹忠夫が「妻無用論」で妻の不必要性を説いたのは40年以上も前のことだ。徐々に専業主婦は不要になるだろうが、未だに専業主婦は存在している。
専業主婦がなかなか不要にならない理由
なぜ未だに専業主婦がいるのか。家族を結び付けているのは現代では愛情が中心であり、とくに母子間でそれが強い傾向にある。そのため子育てに専念してしまう専業主婦がいつまでたっても減らない。
社会学者のオグバーンは、家族には以下の7つの機能が存在したと述べる。
- 生産単位としての経済的機能
- メンバーに対する地位付与機能
- 子どもに対する教育機能
- 家族メンバーの生命・財産を守る保護機能
- 進行活動を通じてメンバーの精神的安定と結束をはかる宗教機能
- 安らぎを図るレクリエーション機能
- メンバー同士の愛情機能
オグバーンは産業化の発展にともない、7番目の愛情機能のみが家族の中心的機能になると指摘した。
指摘のとおり、愛情以外の家族の機能は低下している。愛情は親子間でとくに強く作用し、愛情機能は家族のコアとなる機能となっている。
ただし、この愛情というものも家族外で満たそうと思えば満たせるものである。いや、むしろ恋愛などは家族外の方が満たされるのではないか。
私は、家族に残るのは「子どもの再生産機能」と「精神の安定化機能」だと考えている。人間に次の世代に遺伝子を残したいという本能と、不完全で弱い心があれば、家族という集団を作ることを人間は止めないだろう。
家族は歴史的に常に崩壊し続けている。
Yas的日常
負け犬オフ
4/30(土)17:15に新宿駅に集合。現在4名の負け犬がエントリー。申し込み締め切りは4/29。
あさり汁
あさりが安かったので、あさりのみそ汁を作って食す。
且⊂(゚∀゚*)ウマー [85]
使っている味噌が「ダシ入り」の味噌だったのが唯一の失敗か。だし入り味噌は便利なんだが、応用が利かない。
最近疲れ気味
最近疲れ気味です。今は我慢の時。もうしばらくしたら復調したい。
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