『脱ゴーマニズム』裁判

この資料は、裁判所のウェブサイトにある 「知的財産権裁判例集」 「最近の主な最高裁判決」から転載した。スタイルシート対応ブラウザでは、原告側の主張は薄い黄色、 被告側の主張は薄い水色の背景色になっている。

第一審



H11. 8.31 東京地裁 平成09(ワ)27869 著作権 民事訴訟事件

平成九年(ワ)第二七八六九号 著作権侵害差止等請求事件
口頭弁論終結日 平成一一年五月三一日
    判      決
原       告   【A】
右訴訟代理人弁護士     中村裕二
同             瀧澤秀俊
被        告     【B】
被       告   【C】
被       告   東方出版株式会社
右代表者代表取締役     【C】
右被告ら訴訟代理人弁護士   土屋公献
同 高谷 進
同 小林哲也
同 小林理英子
同 加戸茂樹
同 五三智仁
同  高橋謙治
      主      文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
    事実及び理由
第一 請求
一 被告らは、別紙被告書籍目録記載の書籍を出版、発行、販売、頒布してはならない。
二 被告らは、原告に対し、各自金二六二〇万円及びこれに対する平成九年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
 本件は、漫画家である原告が、原告の創作した漫画のカットを採録した書籍の著者、発行者及び発行所である被告らに対し、@右カットの採録は複製権の侵害である、A採録されたカットの一部は原告の意に反して改変されているから同一性保持権を侵害している、B被告書籍の表題等は原告の漫画のそれと類似しているから被告書籍の出版等は不正競争行為に該当すると主張して、被告書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め及び損害賠償を求めている事案である。
一 争いのない事実
1 原告は「【D】」のペンネームで活動する漫画家であり、別紙原告書籍目録(一)ないし(一四)記載の書籍(以下「原告書籍(一)」ないし「原告書籍(一四)」といい、これらをまとめて「原告書籍」という。)の著者である。
2 被告らは、共同して、平成九年一一月一日、被告【B】(以下「被告【B】」という。)、被告【C】及び被告東方出版株式会社をそれぞれ著者、発行者及び発行所とする、別紙被告書籍目録記載の書籍(以下「被告書籍」という。)の初版第一刷を出版発行し、以後被告書籍を販売頒布している。
3 被告書籍においては、原告書籍の一部である漫画のカット(コマ割り)が、別紙採録状況(一)ないし(四九)のとおり、採録されている(甲一。以下、別紙採録状況(一)ないし(四九)に示されるカットを、右各別紙上欄で指定したとおり、それぞれ「カット1」ないし「カット57」といい、これらをまとめて「原告カット」という。右各別紙上欄冒頭の頁数は被告書籍中の頁数を意味し、同頁中に複数のカットが採録されている場合には、カット名の横に括弧内で特定する。)。
4 原告カットのうち、カット4、同27、同37、同53及び同54については、原告の著作物(右各原告カットに対応して、それぞれ「原カット(イ)」、「原カット(ロ)」、「原カット(ハ)」、「原カット(ニ)」及び「原カット(ホ)」といい、これらをまとめて「原カット」という。)に対して、別紙対比表(一)ないし(五)のとおり、人物に目線を施し(カット4、同53及び同54)、手書き文字を書き加え(カット27)又はカットを配置し直す(カット37)という変更をした上、被告書籍に採録されている。
二 争点
1 複製権侵害について
 被告書籍中の原告カットの採録が、適法な引用といえるかどうか
(被告らの主張)
(一) 適法な引用であるためには、@引用して利用する側の著作物と引用されて利用される側の著作物が明瞭に区別できること、A両者の間に主従の関係が認められることが必要である。
 被告書籍中においては、引用する側の被告【B】の著作部分と引用される側の原告カットが明瞭に区別できるし、出所の明示も行っている。
 また、被告書籍において原告カットを採録した被告【B】の意図が、原告カットの紹介ではなく、原告書籍に対する批評、反論にあることは明白であるから、被告【B】の著作部分と原告カット両者の間には主従の関係が認められる。
(二) 引用は、批評の対象を明確化し、適切かつわかりやすい批評を行うために不可欠な行為であり、絵画の批評に際しては絵の引用が認められ、文章の批評に際しては文章の引用が認められる。
 絵部分と文字部分が有機的一体として結合し、不可分の関係にある漫画の批評に際しては、漫画のカット全体の引用が認められるべきである。
 原告書籍においては、絵部分と文字部分を有機的に一体なものとして結合させ、その主張・思想を表現することで、絵又は文字単独ではなしえない効果を醸し出しているから、原告書籍の批評に当たって、漫画のカット全体の引用が認められるべきである。
 被告書籍の主題の一つは、原告がいかにイメージを作り上げ、そのイメージを読者に刷り込んでいるかという原告の表現手法そのものであるから、被告書籍から絵を取り去ってしまえば、読者は原告がいかにイメージを作り上げているかを感得できなくなり、主題が十分に理解できない。したがって、被告書籍において、漫画のカット全体の引用が認められるべきである。
(三) 原告は、後記のとおり、引用が適法であるためには、客観的な必要性・必然性が要求される旨主張するが、著作権法上認められている引用の範囲は「批評の目的上正当な範囲」であり、「必要不可欠な範囲」ではないから、批評を的確に又はわかりやすく行うために必要であれば足りる。しかるところ、原告漫画の絵部分も含めた引用により、被告【B】の批評対象が明確化され、被告【B】の批評がわかりやすくなったことは明白である。
(四) よって、被告書籍は、原告の著作物を適法に引用したにすぎず、複製権侵害は成立しない。
(原告の主張)
(一) 適法な引用の要件
 被告らは、引用の適法性の判断基準を、@「明瞭区別性」とA「附従性(主従関係)」の二点に求めているが、それは誤りである。
 引用が認められるための条文上の要件は「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない」というものであり(著作権法三二条一項)、適法な引用に該当するための前提条件として、次の諸点が必要になる。
 a「報道、批評、研究その他の引用の目的」が存在すること
 b 当該著作物を複製することがその目的を達成するために「必要」であること
 c「正当な範囲」であること
 d「公正な慣行に合致」すること
 これらのうちc及びdの判断はそれ自体抽象的であり、実際には必ずしも容易ではない。そこで、事案に応じて、前記@Aの基準を一つの目安として判断することも有効であろうが、その判断に入る前提として、右aおよびbを具備していることは、著作権法が明文で要求するところである。
 一般に、判例上、右@Aの要件がクローズアップされることが多いというだけで、前記各要件を不要としているものではない。
(二) 引用の目的
 引用の前提条件となる目的は、著作権法三二条一項の規定の趣旨及び文言に鑑みて、「報道、批評、研究」に準じるものでなければならない。
 引用は、我が国の文化発展その他公益的な理由により、著作権者の犠牲において、他人の著作物の自由無断使用を例外的に認める制度であるから、それに値するだけの目的、言い換えれば、原著作物に何らかの付加価値を与え、ひいては文化の健全な発展に寄与するものでなければならない。
 被告書籍が批評の対象としているのはあくまで原告の主張・意見であり、決してカットそのものではない。批評の対象としていないということは、言い換えると、カットを批評する目的が認められないということである。
 被告書籍中の多数の採録箇所の中には、文章中で一応カットに触れているものもあるが、いずれも批評というにはほど遠く、言及又は単純な感想の域を出ないものばかりである。
 したがって、被告書籍においては、適法な引用の前提となる目的の要件を満たしていないから、原告カットの採録は違法である。
(三) 引用の必要性
 著作権法は、オリジナル創作者の権利保護を原則としつつ、社会文化の発展継承のため、例外として使用類型を列挙し、個別要件の下に他人の著作物の自由使用を許している。このような著作権法の基本姿勢の下では、自由使用の許否は、自由使用を許さないことによる不利益と著作権を制限されることによる不利益を、比較衡量して判断されなければならない。その際に考慮しなければならないのは、他人の著作物を、著作権者の犠牲の下に自由使用させるだけの客観的な必要性又は必然性があるのかどうかということである。客観的な必要性又は必然性が認められず、単に使用者の主観的メリットのみで自由使用が許されるのであれば、著作権の保護は有名無実化する。
 被告書籍の内容は、具体的には原告書籍中の従軍慰安婦問題に関する原告の意見に対する批評であり、原告の絵それ自体を批評しているのでもなければ、絵の存在が原告の意見にもたらす効果について批評しているのでもない。
 したがって、被告書籍においては、原告の漫画の文字部分を引用すれば足りるのであり、あえて絵までも引用する客観的な必要性も必然性も認められない。
 被告らは、原告の漫画における文字と絵の有機的一体性を主張するが、これを敷衍すると、作品の手法として文字表現と絵が有機的一体の関係にある以上、たとえ批判者が文章の内容のみを問題とし、絵については一切触れていなくても、絵を含めた作品全体を一体として自由に引用できるということになってしまう。原告の漫画において絵と文章とが有機的に一体化していることは事実であるが、その絵と文章とは決して不可分のものではない。絵と切り離して文章のみを抜き出し、それに批判を加えることは容易なことである。
 したがって、被告書籍においては、適法な引用の前提となる必要性の要件を満たしていないから、原告カットの採録は違法である。
(四) 以上のとおり、被告書籍における原告カットの採録は、引用のための前提要件を欠くので、明瞭区別性、付従性等について検討するまでもなく違法である。
2 同一性保持権侵害について
 被告書籍における前記第二の一4の原告カットの改変が、原告が有する同一性保持権を侵害するかどうか
(被告らの主張)
(一) 被告書籍においては、カット4、同53及び同54について、原告著作の登場人物の目に黒線を入れたが、これらの改変は、原告著作が登場人物の肖像権・名誉権を侵害するものであったことから、やむなく行ったものである。したがって、これらの改変は著作権法二〇条二項四号が定める「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に当たる。
 仮に本件において原告主張のとおり同一性保持権侵害が認められるとしても、カット4、同53及び同54でされた改変は、第三者の肖像権・名誉権に対する原告の侵害行為に起因するものであるから、原告の請求は、クリーンハンドの原則に反し、権利濫用に当たるものである。
(二) 被告書籍におけるカット27の加筆は、原告著作物に対する被告【B】の批評を的確かつ簡明に表現するために必要不可欠な改変である。
 原告著作物が文章表現によるものであれば、「業者(「【E】」と読めー引用者)による強制連行(「殺人未遂」と読めー引用者)はあった」とでも表現されるところであるが、原告著作物が漫画であったことから、被告書籍のような表現となったのであり、絵と文章が有機的に結合した漫画に対して、的確、簡明かつわかりやすく批評する目的で引用するには、この程度の改変は必要不可欠である。
 したがって、右改変は、著作権法二〇条二項四号が定める「やむを得ないと認められる改変」に当たる。
(三) 被告書籍においては、カット37について、左端のコマを下段に移したが、横方向に読み進む漫画においては、左端のコマと下段のコマは連続性を有するのであり、コマの移動によって、漫画の内容が変化するものではない。
 また、右のコマの移動は、被告書籍のレイアウトの都合上、原告書籍のカットを三つ連続して横に並べることができなかったことからやむなく一カットだけ下段に移したものである。なお、これ以上縮小して引用するのでは、原告著作の内容が不鮮明になり引用の目的を達し得なかった。
 したがって、右のコマの移動は、同一性を失わせるものではなく、仮に同一性を失うとしても、著作権法二〇条二項四号が定める「やむを得ないと認められる改変」に当たる。
(四) よって、右各改変はいずれも適法である。
(原告の主張)
(一) 権利としての「肖像権」は、判例上、写真撮影とその写真の掲載という形態において認められており、漫画における似顔絵にまで「肖像権」が認められるのかどうかは疑問のあるところであるが、仮にその権利性が認められるとしても、【F】氏の似顔絵は、これまで、【F】氏自身の承諾(少なくとも黙示的承諾)の下に繰り返し掲載されてきたから、カット4におけるその似顔絵掲載が肖像権の侵害となることはない。そして、侵害となるかどうかが、顔を「好青年らしく」きれいに描いたか、「醜く」「腹黒く」描いたかによって左右されることはない。したがって、被告書籍におけるカット4の改変は著作権法二〇条二項四号が定める「やむを得ないと認められる改変」に当たらない。
(二) カット53及び同54についての被告書籍における改変が、著作権法二〇条二項四号が定める「やむを得ないと認められる改変」に当たるというべき理由は全く存在しない。
(三) 被告書籍では、カット27に書かれた原告の主張について、一部文字を置き換えることにより、従軍慰安婦問題をオウム事件に喩えようとしているが、それは、そこに描かれた絵とは無関係であるから、カットをそのまま掲載して改変を加える必要はなく、著作権法二〇条二項四号が定める「やむを得ないと認められる改変」に当たらない。
(四) コマ割りには、作者の創意工夫が凝縮しているから、カット37について被告書籍がコマ割りを改変したことは、著作物の同一性を失わせる行為であり、被告書籍の方が版が小型であることから、それに合わせてコマ割りを変更する必要があるというようなことは、著作権法二〇条二項四号が定める「やむを得ないと認められる改変」に当たるものではない。
(五) よって、右各改変はいずれも違法である。
3 被告書籍の出版等が不正競争防止法二条一項一号又は二号に違反する不正競争行為となるかどうか
(原告の主張)
(一) 被告書籍の表紙には、「脱ゴーマニズム宣言」と題名が表示されているが、これは原告書籍として社会的に広く認識されている「ゴーマニズム宣言」、「新ゴーマニズム宣言」及び「脱正義論」の各タイトルを単純につなぎ合わせた紛らわしいものであり、原告又は原告書籍の顧客誘引力を利用しようとしたと見られても仕方がない。
 しかも、被告書籍の背表紙に「【D】」と赤字で表記するなど、一般読者をしてあたかも被告書籍が原告自身の著作物であるかのごとく誤信せしめる体裁をとっている。
 このように、被告らは、周知かつ著名な原告又は原告書籍に名を借り、その顧客誘引力を不当に利用して、被告書籍を販売しようとしているから、被告書籍を出版、発行、販売、頒布する行為は、不正競争防止法二条一項一号又は二号所定の不正競争行為に該当する。
(二) 被告らは、後記のとおり、「ゴーマニズム宣言」という著作を批判する以上「ゴーマニズム宣言」という対象の明示は不可欠である旨主張するが、被告【B】が批判の対象としているのは「ゴーマニズム宣言」という「著作」ではなく、従軍慰安婦問題に対する「原告の意見」そのものであるから、「ゴーマニズム宣言」を題名に用いる必要はない。
(被告らの主張)
(一) 被告書籍の背表紙には「【D】の慰安婦問題」との題名と同程度以上の大きさの文字で「【B】著」と記されており、被告【B】の著作であることが明示されていること、表紙にも半分以上のスペースを使って「これは、漫画家【D】への鎮魂の書である。」と大きく記してあり、原告以外の者が原告を批評していることが明らかであること、同じく表紙に「【B】著」の文字が大書してあり、被告【B】の著作であることが明らかであること、「脱ゴーマニズム宣言」という題名は、まさにゴーマニズム宣言の思想から抜け出す、自由になるとの意味を持つから、原告自身が自己否定につながるこのような題名の書籍を著作することはあり得ないこと、被告書籍の装丁がこれまでの原告書籍の装丁と全く異なることからすると、被告書籍を原告書籍又は原告の著作物であると誤信するおそれは皆無である。
(二) 「ゴーマニズム宣言」という著作を批評する以上、「ゴーマニズム宣言」という対象の明示は不可欠である。仮にタイトルへの批評対象の明示が禁じられるとしたら、著名企業・著名著作物を批評する際に当該対象を明示するタイトルが全て違法ということになるが、このような解釈は言論の自由を著しく侵害する解釈であり、採用できない。
(三) したがって、被告らの行為が不正競争防止法に該当することはない。
4 原告の損害
(原告の主張)
(一) 被告書籍は、一冊当たりの定価が一二〇〇円(消費税別)で、総発行部数は少なくとも三万部を超えているので、被告書籍の総売上額は少なくとも三六〇〇万円を下らない。
 単行本の出版に要する経費は通常三〇パーセント程度であるから、これを控除すると被告らの利益は二五二〇万円となり、これは、原告が被告らの複製権侵害及び不正競争によって被った損害と推定される。
(二) 原告は被告らの著作者人格権侵害行為により、甚大な精神的苦痛を味わった。これを慰謝するために必要な金額は、一〇〇万円を下らない。
(三) したがって、原告の損害合計額は二六二〇万円を下らない。
(被告らの主張)
 原告の主張を争う。
(一) 被告書籍と原告書籍は互いに論戦を張っており被告書籍の読者の中には原告書籍を購入する者も多いこと及び被告書籍だけでは原告の漫画全体はわからないことからすると、被告書籍の出版により、原告書籍の販売も好調になるはずであって、被告書籍の出版により原告が利益をあげることはあっても、損害を被ることはない。
 また、原告は、小学館に出版権を設定しており、自ら原告書籍を出版販売していないから、被告書籍の出版により、原告自身の出版の機会が奪われることはない。
 よって、原告には損害が発生していない。
(二) 漫画の絵部分の引用と被告書籍により被告らが得た利益とは因果関係がないから、絵部分の無断引用によって受けた被告らの利益自体が存在しない。また、被告書籍の総発行部数は三万部よりも少なく、経費も三〇パーセント以上かかっている。
第三 当裁判所の判断
一 争点1について
1 適法な引用の要件
 著作権法三二条一項は、「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。」と規定している。この規定は、著作権の保護を図りつつ、文化的所産としての著作物の公正な利用を可能ならしめるための規定である。そして、このような規定の趣旨に鑑みると、同項にいう引用とは、報道、批評、研究等の目的で他人の著作物の全部又は一部を自己の著作物中に採録するものであって、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する著作物(以下「引用著作物」という。)と、引用されて利用される著作物(被引用著作物」という。)を明瞭に区別して認識することができ(明瞭区別性)、かつ、両著作物の間に前者が主、後者が従の関係にあるもの(付従性)をいうと解するのが相当である。
2 原告書籍及び被告書籍
(一) 原告書籍(甲二ないし一五)
 原告書籍は、原告の創作した漫画を中心として、原告が漫画で取り上げている主題に関連するインタビュー記事、対談録、鼎談録、論説その他によって構成されている。
 被告書籍に採録されている原告カットは、いずれも原告書籍の漫画の部分(以下「原告漫画」という。)に含まれている。
 原告漫画は、一話単位で章が構成され、その中で絵を連ねて会話の文を書き加えるなどして、各章ごとに又は複数の章をひとまとまりとして完結する物語形式がとられている。原告書籍(一)に収められた序章、第一章ないし第四十八章並びに「おこっちゃまくん・ヤング編」及び「おこっちゃまくん・こども編」の各話は、六頁で構成される第二十章を除き、いずれも見開き二頁で構成されているが、原告書籍(二)ないし(一四)に収められた各話は原則として八頁で構成されている(ただし、原告書籍(一四)には八〇頁を超える書き下ろし作品が収録されている。)。
 また、原告漫画においては、著者である原告がその時々において関心を有している社会問題が主題として取り上げられ、右主題についての著者の主張が漫画の絵と文を通して示されている。
(二) 被告書籍(甲一)
 被告書籍は、「はじめに────【D】へのレクイエム」、本文部分及び「あとがき」によって構成され、本文部分は一一頁から一〇〇頁までの「脱ゴーマニズム宣言」と一〇一頁から一四四頁までの「『慰安婦』攻撃の裏舞台」からなる。
 被告書籍における原告カットの採録は、右本文部分の「脱ゴーマニズム宣言」においてのみ行われている。
 被告書籍中、右「脱ゴーマニズム宣言」の部分は、一頁一八行の上下二段構成であり、「1 ひん死の『ゴーマニズム宣言』」から「22 おわりに───【D】は復活できるか」までのいずれも、原告漫画を題材とした論説(以下、被告書籍中の論説部分を「被告論説」という。)であるが、「1 ひん死の『ゴーマニズム宣言』」から「4 【D】マンガが教科書に?」までの各章が、漫画家としての原告の活動姿勢全般を対象としているのに対して、「5 『強制連行あった』『なかった』は、順序が逆」から「22 おわりに───【D】は復活できるか」までの各章は、主として原告漫画のうち、いわゆる慰安婦問題を取り上げた箇所について批判を加え、反論を行っているものである。
3 被告書籍中の原告カットに関する記述内容(甲一)
 原告カットに関する被告書籍中の記述内容は、以下のとおりである。
 被告書籍中の原告カットと関連記述の位置関係については、原告カットの採録されている頁(以下「採録頁」という。)を基準として関連記述の登載頁を括弧内に示すとともに、関連記述中又は関連記述の前後に隣接して原告カットが存在する場合には【原告カット】として採録箇所を示した。
(一) カット1(採録頁)
 新・旧『ゴーマニズム宣言』の各章の最後には、次のように読者に問いかけるコマがあり、直後にキメの言葉が描かれる。
(二) カット2(採録前頁)
 芥川賞作家の【G】氏は、【D】との応酬の中で、「私は、もう『ゴーマニズム宣言』の手法が無効になっているのではないかと気の毒にさえ思うのである。それに余計なお世話だが、あなたの絵は、戦争中、中国人が配布した日本軍の非道さを宣伝するビラのイラストそっくりになってきている、気をつけたほうがいい。・・・(略)・・・」(「攻撃すべきは、あの者たちの神だ」『新潮45』一九九七年六月)と書いた。
 私も「ゴーマニズム宣言」は彼の社会活動とともに危機にひんしていると思う。それは何よりも、【D】の思想的な問題が原因なのだが、とりあえず漫画の手法に則していえば、【G】氏がいうように、「ビラのイラストそっくり」という点は重要だ。
 【G】氏が「ビラ」と書いたのは中国の「抗日壁画」の勘違いで、次のイラストのことだろう。【D】氏の漫画が一種のプロパガンダ(扇情的宣伝)の様相を呈していることを指摘しているのだ。
(三) カット3(採録頁及び次頁)
 【D】は、この点をよく承知しているし、なんとその上で、あえて彼の作り上げたイメージを読者にすり込むことを始めた。その意図的な始まりは、「ゴーマニズム宣言」第百五十九章で、薬害【カット3】エイズ問題の【H】・帝京大学副学長(当時)を、「名誉毀損覚悟で・・・薬害魔王」(『新ゴーマニズム宣言スペシャル・脱正義論』一八頁)に仕立てる絵を描き始めたことだ。
(四) カット4(採録頁及び次頁)
 HIV訴訟の原告である【F】君の顔を醜く【カット4】描いたこの絵も、【D】と彼の関係が悪くなって以来、何度も繰り返して漫画に掲載された(肖像権保護のための目隠しは引用者による。以下の目隠しも同じ)。
(五) カット5(採録頁)
 「いつの日かこの世を弱者の楽園にするまでわしは闘い続けてやる!」と叫んだ【D】、毒は持っていても心優しい【D】はどこへ行ってし【カット5】まったのか?なぜそこまで変心してしまったのか?多くの読者が嘆く。
(六) カット6(採録頁)
 「わしはこの薬害エイズ問題で決定的に『運動』が嫌いになった!」と、一人叫ぶシーンは印象的だ。
(七) カット7(採録頁)
 彼への批判者とやり合うためには、やはりもともと知識が不足していると痛感していた。【I】氏の「あんたはこの問題(薬害エイズ問題)から手を引きなさい」「ぼくが学生たちを引き受けてもいいから」という申し出を受け容れる。
(八) カット8(採録前頁及び採録頁)
 「ゴー宣」をこれまで読んできた者なら、かつて次のように応えた【D】をこよなく「大チュキo」と愛した筈だ。相手は民族派で一水会の代表・【J】氏である。
【カット8】
(九) カット9(採録前頁)
 「ゴー宣」第百十三章になると【D】は、「教育だな、やっぱり!」「最近、教科書にしたい漫画、というアンケートで、この『ゴー宣』を上げるものが多くなってきたらしい」とほくそ笑んで、次のような宣伝で章を終えている。
【カット9】
(一〇) カット10(採録頁)
 【D】が「慰安婦」問題を初めて取り上げた「新ゴー宣」第24章のメインは、【D】が元「慰安婦」のインタビューをテレビで観るところから始まる。
(一一) カット11(採録頁)
 このように金さんは、【K】氏の本をネタにして「強制連行されたとき、木剣で殴られた傷が今も痛む」とか、「首に縄を付けて連行された時の擦り【カット11】傷が痛い」などと被害を訴えているのではない。
 なのに【D】は、「官憲による強制連行があったかどうかだけが問題だ」という。
(一二) カット12(採録頁)
【カット12】とも描くが、被害者の訴えを聞いた警察官がすぐ加害者に「あんたやったの?」と尋ねにいって、「やってない」と答えられたら「これでお互い相殺だ」と、上のように言うのかい?
(一三) カット13(採録前頁及び採録頁)
 次の漫画は、「朝まで生テレビ」直後の【D】の顔だが、きれいに描かれすぎている。本当は目の下にクマができていて、写真のような顔をしている。少しタレ目でもある。ただ、【D】が自分の顔を、上のように考えている、あるいはそのように見せたい思いがあることもまた事実なのだ。
(一四) カット14(採録頁及び次頁)
 次の漫画は、新しい歴史教科書をつくる会の記者会見のシーンだ。右から二人目と三人目の間にはマイクが置かれている。だが、そこには、下の写真で見ると、【L】氏と【M】氏のネームプレートが置かれていて、二人(【N】氏を加えると三人)が欠席した格好の悪さを隠し、「つく【カット14】る会」がすごいのだと誇張している漫画であることがわかる。
(一五) カット15(採録頁)
【カット15】
 このコマには、欄外に虫眼鏡で見ないと分からないくらい小さく、「つくる会」の呼びかけ人会が解散したことを伝えている。【L】・【N】両氏が呼びかけ人から降りたいと強く要求し、しかし、やめられると格好悪いので、解散という形にしてその事実を隠そうとしたもので、これなどは、二のケースの例だ。
(一六) カット16(採録頁)
 【D】は「広義の強制連行説」を、最近のことだとして、【カット16】と描いているが、すくなくともまともな研究者にとっては、「とっくの昔」の話なのだ。
(一七) カット17(採録頁)
 【D】は、強制連行があったかどうか「だけ」が問題だ、として次のように描く。
【カット17】
(一八) カット18(採録頁)
 だが、本当は自信がなくて、強制連行はあった、ただし、民間業者によるものだ、とする。
【カット18】
(一九) カット19(採録頁)
 【D】は、そのものズバリの資料がないからと、次のように描く。【カット19】
(二〇) カット20(採録頁)
 にもかかわらず、【D】は──【カット20】と言う。
(二一) カット21(採録前頁及び採録頁)
 ところが、「慰安婦」問題についてだけは、証拠がなければ事実は「なかっとしか思えない」と描く。
【カット21】
(二二) カット22ないしカット24(採録頁及び次頁)
 【D】の漫画には、VXガスを注射器に入れて、【D】を待ち構えるオウム信者がたびたび登場する。ところが、初期は、その先に注射針を付けているが、後期になるとゴムホースのような管を付けている。さらにホースの先が曲がってい【カット22ないし24】るのもある。
(二三) カット25(採録頁)
 証言、ちがった、証漫がくるくる変わって信用【カット25】できない──と言っていいのかい? 【D】!
(二四) カット26(採録頁)
 ところで、警察発表によると、【D】暗殺指令は「オウム自治省大臣」の【E】が【O】という元自衛官に命じたとなっているが、【D】は──【カット26】と、【P】が命じたように証漫されている。
(二五) カット27(採録前頁及び採録頁)
 【D】は、「慰安婦」問題で、「業者による強制連行はあったが、軍が行ったのではない」と描くが、これを次の私が書き入れた手書き文字のようにするとわかりやすい。
【カット27】
 「【E】が殺人未遂を勝手にやったのであって、【P】は無罪なのだ」と言ってもいいのかい? 【D】!
(二六) カット28(採録頁)
 さて、女性たちが慰安所にどのように暴力的に閉じこめられていたかを見てみよう。【D】は、次のようなマンガを描いて、女性たちがまったく【カット28】自由に働いていたかのように見せる。
(二七) カット29(採録頁)
 【D】は、次のようにソ連兵に強姦された女性が自決するシーンを描いて後、「日本の女は凄い! わしはこのような日本の女を誇りに思う」(「新ゴー宣」第24章)と言う。
【カット29】
(二八) カット30(採録頁)
 家でつづきを読んで驚いた。これまで見た新・旧「ゴー宣」の絵の中で最悪、サイテーだ。理屈で精一杯、読者へのサービス精神は枯渇し、ただ暗ーいだけの絵じゃないか(下)。面白くも何ともない! 人を楽しませないで、何が漫画か! 「わしは漫画か(家)」などと、ふざけたごまかしは許さんぞ!
【カット30】
(二九) カット31(採録前頁及び採録頁)
 昔、【D】は、自分自身を奴隷状態に順応して進化(退化?)した人間ならぬ「漫間」として描いてみせたことがある(次頁)。これなどはまだ笑わせたぞ。とても右と同一人物が描いた絵とは思えないほどだ。こんなの見ると、「たしかに、漫画家も、くろーしてますなー」と同情したくなる。
【カット31】
(三〇) カット32(採録次頁)
 慰安所がどうしてこんなに過酷だったかという理由を考えるとき、もういちど、彼女たちを縛っていた拘束力の強さを見ないといけない。【D】は、前頁のようにソープ女性や公娼と慰安婦を同じものと考えている。
(三一) カット33(採録頁)
 あるいは、次のように女性たちをプロと讃える。
(三二) カット34(採録頁)
 【D】は、慰安所のなりたちを、極限状態で軍が犯すレイプを防止するためだったとして、次のように説明する。
【カット34】
(三三) カット35(採録頁及び次頁)
 慰安所の効用について、【D】は、【カット35】とも描く。
(三四) カット36(採録頁及び次頁)
 【D】は、【カット36】と描くが、実態は、内部でしっかりとつながっていたのだ。
(三五) カット37(採録頁)
 ここで、元「慰安婦」の人たちが、漫奴隷と較べてどうだったか、もういちど検討してみよう。
【カット37】
 このように【D】は、「新ゴー宣」第30章で、軍の慰安係長・【Q】が書いた『武漢兵站』(一九七八年)をとりあげた。
(三六) カット38(採録頁)
 そして、次のように、慰安所を作ったのは「民間の業者だ」と、一方的に言うのだ。
【カット38】
(三七) カット39(採録頁)
【カット39】
 【D】が右のように描いたのは、読者が動けば、自分で資料に当たって調べるなどして、漫画の嘘がバレるからなのか?
(三八) カット40(採録頁)
 【D】はまた、【R】という軍医がまとめた『漢口慰安所』という本もマンガで紹介してい【カット40】る。
 三万円もの貯金をした【S】と源氏名で呼ばれた朝鮮女性がいたという。
(三九) カット41(採録頁)
 また【D】は、一時にたくさんの軍人が押し寄せたので、女性たちの陰部が「摩擦のため充血し、腫れていた」ことを知った軍医が(右の著者ではない)、三日間の休業を命じたところ・・・・・・【カット41】という話を紹介し、「これのどこがレイプで性奴隷なんだろう?」と疑問を投げかける。
(四〇) カット42(採録頁)
 昨年(一九九六年)の一二月二日、「新しい歴史教科書をつくる会」が発足した時の記者会見のこと、【D】は、居並ぶ記者たちの前で、わざわざパネルまで用意して、「慰安婦」問題の資料解説をやった。
【カット42】
 紹介した資料の核心は、なんといっても、日本軍の「慰安婦」問題への関与を決定づけた、【T】教授が発見した有名な資料で、通称「副官通牒」と呼ばれるもの。
(四一) カット43(採録頁)
 【D】は、これを、女性たちを強制連行させないよう軍が「よい関与」をした証拠と、自信たっぷりに解説した。
【カット43】
(四二) カット44(採録頁)
 そして、「実際には『よい関与』というものがあるのではないか?」と【T】氏を批判して、次のように言う(画面右が【T】氏)。
【カット44】
(四三) カット45(採録頁)
 【D】は、一九四四年二月のマニラ地区兵站が、慰安婦の衛生管理に注意すべきだ、としている報告書を紹介して、【カット45】と主張する。
(四四) カット46(採録頁)
 だが、【D】は、これを吹き出しの中に書かれているように解釈する。
【カット46】
(四五) カット47(採録頁)
 【D】は、これに対して次のように反論した。
【カット47】
(四六) カット48(採録頁及び次頁)
 また、【D】は、右のやりとりの中で、【カット48】と描いているが、録画でよく確かめたところ、この「はい」というのは、【D】への返答の言葉ではない。
(四七) カット49(採録頁)
 ついでに、この尋問報告書に「慰安婦」と兵隊の結婚の話が紹介されているので、これにも少し触れておこう。【D】は、これをつかまえて、【カット49】と描く。
(四八) カット50(採録頁)
 私たちが「慰安婦」問題を取り上げると、【D】は、【カット50】と、「じーさんたちこそ被害者」と反論する。
(四九) カット51(採録頁及び次頁)
 「どうして五〇年も経って今ごろ?」という疑問が、ときどき聞かれるが、五〇年経ってようやく、アジアの女性たちは声を上げる条件を手に入れたのだ。【D】は、【カット51】と描くが、見当違いもはなはだしい。
(五〇) カット52(採録頁)
 「慰安婦」問題を取り上げることは、じっちゃんたちの世代を辱めることだと、【D】は言う。
【カット52】
(五一) カット53(採録頁及び次頁)
 何を隠そう、私は、今年(一九九七年)の二月一日、【D】たち「新しい歴史教科書をつくる会」の面々と「朝まで生テレビ」で対決し、あんたも次のように描いた一人だ(左端が著者)。
【カット53】
 このテレビ番組の様子を、あんたは「新ゴー宣」第37章で、かなり強引に、歪めて描いた。テレビを観た人ならば、その一方的な描き方にびっくりしたことだろう。
(五二) カット54(採録頁)
 ところが、第37章を読んでびっくりした。【U】氏が、【カット54】と言ったと描かれているのだ。「・・・・・・と考えるとしたら大間違いだぞ!」の箇所が抜けている。これでは、もはや「重要箇所の省略」などでなく、全くの嘘、デマというものだ(しかも顔は醜く歪んで、ひどい中傷だ)。
(五三) カット55(採録頁)
 【G】さんのサイン会の中止についても、サイン会は言論でなく、催し物だから、言論弾圧でない、と詭弁をふるう。
(五四) カット56(採録頁)
 「新しい教科書」(本当はフルーイ教科書の焼き直し?)に【D】の漫画を載せることについて、【カット56】と、断っている。
(五五) カット57(採録前頁)
 【D】は、次のように描いた。
【カット57】
4 原告カットの採録が被告書籍の読者に対して与える効果
右3で認定した事実に前記第二の一3の事実と証拠(甲一ないし一五)を総合すると、原告カットの採録は、いずれも被告書籍の関連記述中又はその前後で行われていること、右採録が被告書籍の読者に対して与える効果は、それぞれ次のとおりであること、以上の事実が認められる。
(一) 原告カット中の絵部分を批評している採録箇所
 カット3、同4、同13、同14、同22ないし同24、同30、同31及び同53は、被告論説中において、右各原告カットの絵そのものが批評の対象とされている。
 したがって、右各原告カットの採録は、被告書籍の読者に対して、被告論説の批評対象である原告カット(絵)を明示しているということができる。
(二) 原告カット中に示される主張を批評している採録箇所
 カット8、同9、同12、同16、同17、同19、同20、同26、同28、同29、同33ないし同36、同38、同39、同41、同44ないし同51、同54、同56及び同57は、被告論説中において、「次のように」、「・・・と描いている」などの表現を伴って採録され、右各原告カット中に示される原告の主張に対して批評が加えられている。
 したがって、右各原告カットの採録は、被告書籍の読者に対して、被告論説の批評対象である原告カット(主張)を明示しているということができる。
(三) 原告カット中に示される主張を要約し又は一部引用して批評を加えている部分に対応する採録箇所
 カット5ないし同7、同10、同11、同18、同21、同27、同32、同37、同40、同43、同52及び同55は、被告論説中で、原告漫画の主張を要約して示した上で、又は、その一部を引用した上で、批評を加えている部分に対応するカットとして採録されているものである。
 したがって、右各原告カットの採録は、被告書籍の読者に対して、被告論説の批評対象に対応する原告カットを示しているということができる。
(四) その他の採録箇所
(1) カット1
 カット1は、原告漫画中において多数使用されている同旨のカットの中の一つである。
 被告論説中では、その冒頭の原告漫画の特徴を紹介する部分において「読者に問いかけるコマ」として採録されている。
 したがって、カット1の採録は、被告書籍の読者に対して、「読者に問いかけるコマ」の例証を提示し、原告漫画の特徴に関する記述の理解を助けるものであるということができる。
(2) カット2
カット2は、【G】が、原告漫画の絵について「戦争中、中国人が配布した日本軍の非道さを宣伝するビラのイラストそっくりになってきている」と評したことを受けて、右に賛同しつつ、「ビラのイラスト」とされたものが中国の「抗日壁画のイラスト」のことであろうとの推論を示した部分において採録されている。
 カット2は、原告漫画中に右「抗日壁画のイラスト」が描かれているから、カット2の採録は、被告書籍の読者に対して、被告論説中の原告漫画に対する評価のもととなる資料を提供するものであるということができる。
(3) カット15
 カット15は、原告カットの欄外に記載された内容及び右内容が小さい文字で表示されていることを述べている部分に採録されているから、カット15の採録は、右論説の批評対象を示し、被告書籍の読者をして、被告論説指摘の欄外文字が、カットと比較してどの程度小さいかを認識させるためのものであるということができる。
(4) カット25
 カット25は、原告漫画中で、元慰安婦が複数の場面で行った各陳述中にそれぞれ異なる部分が存在することから、そのいずれかは嘘である旨主張している部分のカットである。
 被告論説中では、原告が原告漫画において「オウム信者からVXガスで殺されかけたことがある」旨述べていること、VXガスを注射器に入れて原告を待ち構えるオウム信者の絵を描いたカットが原告漫画中に複数存在すること(カット22ないし24)及び右各カット中の絵が微妙に異なっていることを取り上げ、これを慰安婦問題についての右原告の主張と対比し、原告漫画の論法を攻撃している部分に、カット25は採録されている。
 したがって、カット25の採録は、カット22ないし24の採録と相俟って、被告論説中の主張を原告カット自体に仮託させることによって、被告書籍の読者に対して、原告漫画の論法に対する批判を強調するものであるということができる。
(5) カット42
 カット42は、被告論説の前提事実として、原告が参加した記者会見の模様を紹介する部分で採録されている。
 したがって、カット42の採録は、右前提事実が原告漫画中に述べられていることを示すものであり、被告書籍の読者に対して、右前提事実の真実性を担保するための資料を提示するものであるということができる。
5 被告書籍における原告カット採録の目的
 被告書籍の「あとがき」に「最後に、【D】氏の漫画を、本人の了解なく大量に引用したことをお断りしておきたい。相手の表現をまず正確に引用してからでないと、批判を厳密に行えないため、漫画そのものを掲載しなければならなかったからだ。これは普通の文章を批判する場合と同じで、他人の文章を歪曲して批判するなどしてはいけないのは当然だ。正確に相手の表現を引用した上で批判するのが礼儀であり、その際、本人の了解が必要ないのと同じだ。漫画を批判するとなると、文字だけではどうしても正確を期したことにならない。画面そのものに含まれた多様な情報も引用する必然性がある。」との記載があること(甲一)に右3、4で認定した事実を総合すると、被告書籍における原告カットの採録は、原告漫画に対する批評を目的としていると認められ、各原告カットのうち、右と異なる目的で採録されているものが存在するとは認められない。
6 明瞭区別性
 右2(一)及び(二)で認定したとおり、原告カットと被告論説は、漫画と論説という性質の異なる著作物であること、前記第二の一3のとおりカット1を除いては全て採録カットの欄外に出典が表示されていること及び右4(四)(1)のとおり出典表示のないカット1は原告漫画中に同旨のカットが多数使用されているものであるという事情があることを総合すると、引用を含む著作物である被告書籍の表現形式上、引用著作物である被告論説と、被引用著作物である原告カットを、明瞭に区別して認識することができるものというべきである。
7 付従性
(一) 右2(一)で認定した事実及び前記第二の一3の事実によると、原告カットは、最低でも見開き二頁の一話単位で、通常は八頁の一話単位で完結する原告漫画のごく一部に過ぎず、原告カットはいずれもそれ自体が独立の漫画として読み物になるものではない。
(二) 右(一)で述べたところに、右4の原告カットの採録が被告書籍の読者に対して与える効果を総合すると、被告書籍中における原告カットの採録は、いずれも被告論説の対象を明示し、その例証、資料を提示するなどして、被告論説の理解を助けるものであり、他方、各原告カットがそれ自体完結した独立の読み物となるといった事情も存しないから、引用著作物である被告論説と被引用著作物である原告カットの間には、被告論説が主、原告カットが従という関係が成立しているものと認められる。
8 原告の主張について
 原告は、適法な引用であるためには、引用について客観的な必要性又は必然性がなければならないところ、被告書籍の内容は、原告の意見に対する批評であり、原告の絵に対する批評ではないから、絵を含めた作品全体を引用する必要性又は必然性はない旨主張する。
 しかし、一般に著作物の引用は、右1で示した引用の要件を充たす限りにおいて、引用著作物の著者が必要と考える範囲で行うことができるものであり、前記1の要件に加えて引用が必要最小限度のものであることまで要求されるものではない。
 また、漫画は、絵と文が不可分一体となった著作物であるところ、原告は、そのような漫画によって自己の主張を展開しているのであるから、絵自体を批評の対象とする場合はもとより、原告の主張を批評の対象とする場合であっても、批評の対象を正確に示すには、文のみならず、絵についても引用する必要があるというべきであり、絵自体を批評の対象としていないから、絵について引用の必要がないということはできない。
 さらに、証拠(甲九四、九五、一〇三ないし一〇五、一〇七、一〇九ないし一一二、乙七ないし一一、一三)によると、漫画の内容を批評する場合に、絵を引用することなく批評している例があることが認められるが、他方、絵を引用している例も多数存することが認められるのであるから、漫画によって示された主張を批評する場合に、絵を引用することなく批評するのが一般的であるとか、そのような慣行が成立していると認めることもできない。
9 以上述べたところを総合すると、被告書籍中の原告カットの採録は、いずれも著作権法三二条一項にいう引用の要件を充たすものであるから、原告の複製権侵害の主張は理由がない。
二 争点2について
1 原告漫画の変更
 右一3で認定した事実に前記第二の一4の事実と証拠(甲一)を総合すると、次の事実が認められる。
(一) カット4について
 カット4は、原カット(イ)(甲一五。原告書籍(一四)七八頁上段の一カット)を縮小し、描かれている人物の両目部分に黒い目隠しを施した上、被告書籍に採録されたものである(別紙対比表(一)参照)。
 被告書籍中、カット4が採録された頁及び次頁において、同カットに関する記述がされるとともに、「(肖像権保護のための目隠しは引用者による。以下の目隠しも同じ)」と記載されている(別紙採録状況(四)参照)。
(二) カット27について
 カット27は、原カット(ロ)(甲一三。原告書籍(一二)一一一頁上段中程の二カット)を縮小し、「業者」、「強制連行」(二個所)及び「軍」の各語を丸で囲んで欄外に向かってそれぞれ線を引いた先にそれぞれ「【E】」、「殺人未遂」(二個所)及び「【P】」と記入したものである(別紙対比表(二)参照)。
 被告書籍中、カット27が採録された頁の前頁において、同カットに関し、「これを次の私が書き入れた手書き文字のようにするとわかりやすい。」との記述が存在する(別紙採録状況(二一)参照)。
(三) カット37について
 カット37は、原カット(ハ)(甲一三。原告書籍(一二)八〇頁上段の三カット)を縮小し、左の一カットを中のカットの下に配置し直した状態で、被告書籍に採録されたものである(別紙対比表(三)参照)。
(四) カット53について
 カット53は、原カット(ニ)(甲一四。原告書籍(一三)五頁中程の一カット)を、ほぼ等倍のまま、当該カットの下から五分の三程度の部分について、描かれている三人の人物のうち右二人の両目部分に目隠しを施した上、被告書籍に採録されたものである(別紙対比表(四)参照)。
 被告書籍中、右目隠しに関する記述は、カット4の部分に存在する右(一)の記述が当てはまる。
(五) カット54について
 カット54は、原カット(ホ)(甲一四。原告書籍(一三)一三頁右上の一カット)を、ほぼ等倍のまま、描かれている人物の両目部分に目隠しを施した上、被告書籍に採録されたものである(別紙対比表(五)参照)。
 被告書籍中、右目隠しに関する記述は、カット4の部分に存在する右(一)の記述が当てはまる。
2 同一性保持権の侵害
 右1を前提として、同一性保持権侵害の有無について検討する。
(一) 著作権法二〇条一項は、著作者人格権の一つとして同一性保持権を定め、著作者の意に反する著作物の変更、切除その他の改変を許さないことにより、その保護を図っている。
著作権法二〇条二項四号は、「前三号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」について、同条一項が適用されないとしている。
そこで、右1(一)ないし(五)について、まず、著作権法二〇条一項にいう「改変」に当たるかどうかについて判断し、「改変」に当たるものについては、次に、著作権法二〇条二項四号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たるかどうかについて判断する。
(二) カット4について
(1) カット4における原カット(イ)に対する目隠しは、著作権法二〇条一項にいう「改変」に当たるものである。
(2) 原カット(イ)で漫画に描かれた人物は、原告漫画中でHIV訴訟原告団のうちの特定の人物であると明示されているところ(甲一五)、原カット(イ)中の右人物は、同人がこれを見れば不快に感じる程度に醜く描写されているものと認められるから、同人の人格的利益たる名誉感情を侵害するおそれが高いと考えられる。
 このような場合、原著作物に相当な改変を施すことを許容しなければ、当該著作物を引用する際に、引用者において右第三者の人格的利益を侵害するという危険を強いることとなり、さもなければ、当該著作物の引用を断念せざるをえない。
 著作物の適正な利用の確保を目的とする著作権法二〇条二項の趣旨に鑑みると、右のような場合に相当な方法で改変をすることは、著作権法二〇条二項四号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たると解するのが相当である。
 しかるところ、描写された人物の両目部分に目隠しを施すという改変方法は、描写された人物の権利を保護するために一般に広く行われている方法であり、原カット(イ)に目隠しをすることによって目の部分が隠されたため名誉感情を侵害するおそれが低くなったものということができる。また、右1(一)のとおり、被告書籍において目隠しは引用者によることが明示されている。したがって、原カット(イ)に対する目隠しは、著作権法二〇条二項四号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たるということができる。
(三) カット27について
 カット27における原カット(ロ)に対する加筆のうち、原カット(ロ)内に位置するのは、文字の一部を丸で囲んだ線とこの丸を欄外に導く線の一部であり、右線があるとしても、原カット(ロ)のもとの内容は完全に認識することができる。
 また、右1(二)の被告書籍中の記述とともにカット27を見ると、右加筆が被告【B】によるものであることは明らかであり、被告書籍の読者が、カット27の加筆部分を原告著作物の一部であると誤解するおそれは存在しない。
 そうすると、カット27における原カット(ロ)への右加筆は、著作権法二〇条一項にいう「改変」ということはできない。
(四) カット37について
(1) カット37が原カット(ハ)の配置を変更したことは、著作権法二〇条一項にいう「改変」に当たるものである。
(2) カット37において原カット(ハ)の配置が変更されたとしても、各コマを読む順序に変更が生じる可能性はないものと認められる。
 他方、前記第二の一3の事実に弁論の全趣旨を総合すると、被告書籍の本文部分「脱ゴーマニズム宣言」中の「14 慰安所を作ったのはダーレダp」の章の冒頭は、見出しの表示の後の「ここで、元『慰安婦』の人たちが、漫奴隷と較べてどうだったか、もういちど検討してみよう。」という導入部で始められており(別紙採録状況(三〇)参照)、右見出しの表示及び導入部の後に、原カット(ハ)をそのままのコマ割りで引用するために縮小すると、小さな文字で書かれた台詞部分が判読しにくくなるものと認められる。
  以上の事実によると、右改変は著作権法二〇条二項四号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たるというべきである。
(五) カット53について
(1) カット53における原カット(ニ)に対する目隠しは、著作権法二〇条一項にいう「改変」に当たるものである。
 なお、カット53について、原カット(ニ)の下から五分の三程度の部分が採録されている点は、原告著作物の一部を引用したに過ぎず、「改変」に当たるものではない。
(2) 原カット(ニ)を含む原告書籍(一三)中の原告漫画「新ゴーマニズム宣言第37章」は、特定のテレビ番組を題材に取り上げたものであり、カット53において目隠しを施された原カット(ニ)中の人物も原告漫画中で特定され得るものである上、同人らが原カット(ニ)を見れば不快に感じる程度に醜く描写されており、原カット(イ)と同様に、原カット(ニ)も第三者の名誉感情を侵害するおそれが高いものであるということができる。また、カット4の場合と同様に、目隠しという改変方法も相当なものであるということができる上、右1(四)のとおり被告書籍において目隠しは引用者によることが明示されている。したがって、カット53による原カット(ニ)の改変は、著作権法二〇条二項四号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たるということができる。
(六) カット54について
(1) カット54における原カット(ホ)に対する目隠しは、著作権法二〇条一項にいう「改変」に当たるものである。
(2) 原カット(ホ)は、原カット(ニ)と同様に、特定のテレビ番組を題材に取り上げた原告漫画中のものであり、カット54において目隠しを施された原カット(ホ)中の人物も原告漫画中で特定され得るものである上、同人が原カット(ホ)を見れば不快に感じる程度に醜く描写されており、原カット(イ)及び同(ニ)と同様に、原カット(ホ)も第三者の名誉感情を侵害するおそれが高いものであるということができる。また、カット4及び53の場合と同様に、目隠しという改変方法も相当なものであるということができる上、右1(五)のとおり被告書籍において目隠しは引用者によることが明示されている。したがって、カット54による原カット(ホ)の改変のうち目隠しは、著作権法二〇条二項四号にいう「やむを得ないと認められる改変」に当たるということができる。
3 以上のとおり、原告カットにおける原カットに対する各改変は、著作権法二〇条二項四号の「やむを得ないと認められる改変」に当たり、又は、同条一項の「改変」に当たらず、原告主張の同一性保持権侵害は認められない。
三 争点3について
1 原告の主張について
 原告の主張は、被告書籍は、周知かつ著名な原告の商品等表示である原告書籍名(「ゴーマニズム宣言」、「新・ゴーマニズム宣言」及び「新・ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論」)及び原告名(【D】)と同一又は類似の商品表示である「脱ゴーマニズム宣言」及び「【D】」を使用しているから、被告書籍を出版、発行、販売、頒布する行為は、不正競争防止法二条一項一号又は二号所定の不正競争行為に該当するというものであると解される。
2 両書籍の題号
(一) 原告書籍の題号は、「ゴーマニズム宣言」、「新・ゴーマニズム宣言」及び「新・ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論」である(甲二ないし一五)のに対して、被告書籍の題号は、表題が「脱ゴーマニズム宣言」であり、副題が「【D】の『慰安婦』問題」である(甲一)。
(二) 「脱」は「@ぬぐこと。Aぬけること。とりのぞくこと。Bぬかすこと。Cぬけ出すこと。のがれること。Dはずれること。E自由になること。」(広辞苑第四版一五九四頁)という意味であり、「新」や「続」など、その文字が付加されたことによって、同一性を維持することが示されるものではなく、むしろ別異の性質を備えていることを示すものであるということができる。
3 被告書籍の体裁(甲一)
被告書籍の表紙には、上部に「これは、漫画家【D】への鎮魂の書である。」と大書されるとともに、右文章の両側に赤の罫線が引かれており、その下に著者名として「【B】著」、題号として表題及び副題である「脱ゴーマニズム宣言」及び「【D】の『慰安婦』問題」の表示がされている。右のうち表題「脱ゴーマニズム宣言」の「脱」の字には赤字が用いられているほか、文字は全て黒字である。また表題を除き、ペン字による手書き風の字体が用いられている。
背表紙には、上部に表題及び副題が、下部に「【B】著」及び「東方出版」の文字がそれぞれ表示されており、表題のうち「脱」の部分及び副題のうち「【D】」の部分にそれぞれ赤字が用いられているほかは全て黒字であり、表題を除きペン字による手書き文字風の字体が用いられている。
4 右2、3で述べたところに基づき、右1の不正競争防止法違反の主張について判断する。
(一) 「脱ゴーマニズム宣言」は、被告書籍の表題であるので、被告書籍についての商品表示であるということができるところ、「脱ゴーマニズム宣言」という表示は、原告書籍の表題である「ゴーマニズム宣言」を含んでいる。
 ところで、自己の商品表示に他人の商品等表示が含まれるとしても、それが、専ら商品の内容、特徴等を表現するために用いられた場合は、他人の商品等表示と同一又は類似のものを使用したとは認められないところ、「脱ゴーマニズム宣言」の「脱」は右2(二)のような意味であること、右3で認定した被告書籍の体裁及び右一2(二)で認定した被告書籍の内容を総合すると、「脱ゴーマニズム宣言」のうち「ゴーマニズム宣言」の部分は、被告書籍の内容を説明するために用いられたものであると認められるから、「脱ゴーマニズム宣言」が「ゴーマニズム宣言」を含むからといって、原告の商品等表示と同一又は類似のものを使用したとは認められない。
 また、「脱ゴーマニズム宣言」の表示は、原告書籍の表題の一部である「脱正義論」とは同一でもなければ類似でもない。
 そして、他に「脱ゴーマニズム宣言」の表示が原告の商品等表示と同一又は類似のものを使用したというべき事実は認められない。
(二) 被告書籍の表紙及び背表紙には、右3認定のとおり、「【D】」という表示のあることが認められるが、これは、副題である「【D】の『慰安婦』問題」の一部として又は表紙上部の「これは、漫画家【D】への鎮魂の書である。」との記載の一部としてそれぞれ表示されているものである。
 表紙上部の「これは、漫画家【D】への鎮魂の書である。」との記載は、被告書籍には別に表題及び副題が付されていることや右3で認定した被告書籍の体裁からすると、被告書籍の商品表示ということはできない。
 これに対し、副題である「【D】の『慰安婦』問題」は、被告書籍の商品表示ということができるが、被告書籍には別に表題が付されていること、右3で認定した被告書籍の体裁及び右一2(二)で認定した被告書籍の内容を総合すると、右副題のうち「【D】」の部分は、被告書籍の内容を説明するために用いられたものであると認められるから、右副題が「【D】」を含むからといって、原告の商品等表示と同一又は類似のものを使用したとは認められない。
四 以上のとおり、原告の複製権侵害の主張、同一性保持権侵害の主張及び不正競争防止法違反の主張はいずれも認められず、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから、これらを棄却することとし、主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第四七部

裁判長裁判官   森 義之


  裁判官   榎戸道也


  裁判官   杜下弘記

第二審

H12. 4.25 東京高裁 平成11(ネ)4783 著作権 民事訴訟事件

平成一一年(ネ)第四七八三号 著作権侵害差止等請求控訴事件(原審・東京地方裁判所平成九年(ワ)第二七八六九号)
平成一二年二月二四日口頭弁論終結
  判      決
      控訴人    A
右訴訟代理人弁護士    中 村 裕 二
    同            瀧 澤 秀 俊
     被控訴人    B
      同             C
      同             東方出版株式会社
    右代表者代表取締役    C
      被控訴人ら訴訟代理人弁護士 土 屋 公 献

      同             高 谷  進
    同             小 林 哲 也
    同             小 林 理英子
    同             加 戸 茂 樹
    同             五 三 智 仁
    同             高 橋 謙 治
       主      文
一 原判決主文第一項を次のとおりに変更する。
1 被控訴人らは、原判決別紙採録状況(三〇)に示される漫画のカットを含む原判決別紙被控訴人書籍目録記載の書籍を出版、発行、販売、頒布してはならない。
2 被控訴人らは、控訴人に対し、各自金二〇万円及びこれに対する平成九年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 控訴人のその余の請求を棄却する。

二 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二五〇分し、その一を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人の負担とする。
  事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人 
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人らは、原判決別紙被控訴人書籍目録記載の書籍を出版、発行、販売、頒布してはならない。
3 被控訴人らは、控訴人に対し、各自金二六二〇万円及びこれに対する平成九年一一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
 との判決及び仮執行宣言
二 被控訴人ら
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
第二 事案の概要
 事案の概要は、次のとおり付加するほか、原判決の事実及び理由「第二 事案の概要」のとおりであるから、これを引用する。なお、当裁判所も、「控訴人書籍」、「被控訴人書籍」、「カット1」ないし「カット57」、「控訴人カット」、「原カット(イ)」ないし「原カット(ホ)」、「原カット」、「被控訴人論説」、「控訴人漫画」、「採録頁」の用語を、原判決に準じて用いる。

(当審における控訴人の主張の要点)
一 引用における附従性(主従関係)について
 主従関係とは、両著作物の関係を、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量、並びに被引用著作物の採録の方法、態様などの諸点にわたって確定した事実関係に基づき、かつ当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対して附従的な性質を有しているにすぎないと認められるかどうかを判断して決すべきである(東京高裁昭和六〇年一〇月一七日判決・無体集一七巻三号四六二頁)。
  本件においては、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量、並びに被引用著作物の採録の方法、態様は、次のとおりである。

1 引用の目的
 被控訴人書籍における控訴人カットの採録は、控訴人漫画に対する批評を目的としているということである。それを主従関係との関連で言うと、控訴人漫画を批評する被控訴人の文章がまず主体的に独立して存在し、カットは、あくまで「主」となる批評文章の理解を補足し、参考資料として情報を補うという「目的」の限度においてのみ、「従」として認められるものというべきである。そうだとすると、本文そのもの(しかも重要な部分)を被控訴人自身が書く代わりにカットをして語らしめ、もってカットを本文の構成要素として使う「目的」で採録する場合は、もはや「従」とは認められないことになる。
 被控訴人書籍では、三二のカット(カット1、8、9、12、16、17、18、19、20、26、27、32、33、34、35、36、37、38、39、40、41、44、45、46、47、48、49、50、51、54、56、57)に関しては、カットを取り去ると文章としてはつながらず、独自主体的な存在たり得ていない。すなわち、「カットをして語らしめる」ために採録されているから、文とカットとの主従関係は認められない。

2 両著作物のそれぞれの性質・内容
(一) 漫画カットは、商品価値及び情報量の二点において、文字著作物の一文節とはその本質を異にしている。漫画カット自体の存在価値を踏まえたうえで文章との主従関係を検討すべきである。
(二) 漫画カットには、強力なアイキャッチ力・メッセージ伝達力・顧客吸引力があり、それはすなわち、商品力・商品価値なのである。まして、控訴人の作品は、単行本だけでも毎号数十万部ずつ売れているのであるから、そのカットの持つ商品力は大きい。実際に、山岡白竹堂が「カット1」を印刷した扇子「ゴー扇」を発売した際のカット使用料は三〇万円、東京都消費者センターが控訴人書籍中のカットをキャンペーンのポスターに使用した際のカット使用料は一五〇万円であった。このような漫画カットの特質に照らすと、漫画カット(とりわけヒット作品のカット)を使うと言うことは、それだけの商品価値、顧客吸引力、すなわち経済的メリットを借用するということである。

 右のような漫画カットの持つ本質的特徴、文字著作物との重大な差異は、主従関係の認定において、極めて重大な要素である。
(三) 一般に、絵と文字の結合表現である漫画カットには、著者のメッセージや多様かつ大量な情報が凝縮されている。ことに、「ゴーマニズム宣言」では、ネーム(せりふ)が非常に多く、背景や登場人物の描写も極めて精緻で具体的写実的であるところに大きな特徴がある。
 読者は被控訴人書籍中の簡単な一行コメントを読まなくても、それとは全く無関係に、控訴人カットに込められた多様かつ大量の情報やメッセージを直接感得し、もって控訴人カット自体を「読む」ことができる。その意味で、漫画カットは作品の一部分や一コマであっても十分独立の「読み物」になっているのである。
(四) 主従関係とは、引用する著作物と引用される著作物との相関関係によって決まるものである。そうだとすると、一コマであっても独自に極めて大きな商品価値と情報量と訴求力を持つ漫画カットを「従」として「引用」するためには、そのカットを批評する文章の方には更に高度の存在価値や著作物性が認められなければならない。しかし、被控訴人が書いた批評文は、例えばカット6については一行触れているだけであり、カット31については抽象的で陳腐な「感想」を一言述べているだけであって、カットの批評とはほど遠く、到底、それ自体が「主」となり、カットを「従」として無断利用するだけの相対的価値のある文章とは言い難い。

(五) 控訴人カットは、それだけで商品価値を有し、独自に取引の対象となりうるものである。また、情報量の多さやアピール力の強さから、それだけで読者にとって「読む」対象となり得ている。そのため読者は、被控訴人の文章とは関係なく、控訴人カットの複製物から控訴人の意見やメッセージを感得し、これを「読む」ことができる。控訴人カットは、「読者がその助けを借りて被控訴人の文章を理解するためだけのもの」とは、言い得ない。
3 分量
(一) 文章の量
 「主」と「従」というためには、両者相拮抗するが一方が他方を若干上回るという程度では足りない。カットを批評する文章が「主」であり、カットが「従」といえるためには、量的に見て、カットのそれを大きく上回るボリュームの文章が必要である。ましてや、前記のような漫画カットのもつ付加価値や情報量の大きさに鑑みると、それに対して文章が「主」と認められるためには、圧倒的なボリュームがなければならない。ところが、控訴人カットの方が、被控訴人がそれに触れた文章よりもボリュームがあることは一目瞭然である。

(二) 頁中の占有率
 カットと文章とを量的に比較するための一つの指標として、被控訴人書籍の控訴人カット採録頁中における、文章と控訴人カットとの占める面積割合を考慮すべきである。
 この観点から被控訴人書籍の控訴人カット採録頁をみると、@控訴人カットが二分の一ないしそれ以上大きな占有率のもの(原判決別紙「採録状況」の番号で、六、八、九、一〇、一三、一六、一九、二〇、二六、二八)、A控訴人カットが三分の一ないしそれ以上大きな占有率のもの(同二、五、一二、一四、一八、二四、三〇、三二、三三、三五、三六、三八、四二、四四、四六、四七)がある。これほど多くの部分を控訴人カットが占めていると、読者はまず控訴人カットの方に目を奪われ、その内容を読まされることになるのは必定であるから、控訴人カットが頁の中で主たる構成要素となっているということができる。

(三) 数の多さ
 被控訴人書籍では、合計九〇頁の間に、五七カット(六九コマ)を複製掲載している。本件証拠上、一般漫画批評や控訴人作品批評、批判の出版物は極めて多数存在しているが、一人の作者の一つの作品からこれほど大量のカットを無断で「引用」した例は一つもない。非常識というほかなく、「引用」の濫用以外の何ものでもない。また、そのような数の多さからも、被控訴人書籍が控訴人カットに強く依存していることが明白となる。
4 被引用著作物の採録の方法・態様
(一) カットをして語らしめる方法
 被控訴人書籍では、読者に対し、本文の代替としてカットに含まれるネーム(セリフ)を読ませ、カットをして語らしめたうえで、そのネームに対する被控訴人の批評・反論を加えるというやり方が多くとられている。これらでは、いずれも、カットが文章の主要かつ不可欠な構成要素となっており、カットを取り去ってしまうと本文自体が成り立たなくなる構成となっている。

 「主従関係」が認められるためには、まずカットを批評する文章が独自主体的に存在しなければならないから、その成立自体がカットに強く依存している文章をもって「主」とし、文章の成立に不可欠な構成要素となっているカットをもって「従」とするような強引な認定は論外である。
(二) 拡大複製
 被控訴人書籍では、原カットよりも拡大して複製した物を掲載している箇所が七か所ある。本件では拡大複製する合理的必要性はない。被控訴人がカットに求めているのは、大きなカットのインパクトによって読者の関心を強く引きつける効果、あるいは文章量の少なさをカットの大きさでカバーし、頁を埋める効果などを意図したものとしか考えられない。
二 同一性保持権侵害について
1 本件は、無断引用した物について、さらに改竄をしているという事案であり、著作権者は、二重にその権利を侵害(制限)されているのである。著作権の保護と公的利用のバランスを図るという法の基本理念に照らすと、著作権者に二重の犠牲を強いるためには、「やむを得ない」改変か否かの解釈認定においては、より一層慎重な吟味が必要であり、他にとるべき方法が全くなく、真にやむにやまれぬ状況でない限り、不適法とすべきである。

 引用者としては、無断引用することで別の第三者の権利を侵害するおそれがあるというのであれば、その第三者の権利侵害と著作権者の権利侵害のどちらがより深刻で現実的かという対比が必要であり、その結果によっては、例えばそのカットの引用をやめ、文字で表現するよう努力するということも求められるべきである。
2 カット4、53、54について
(一) 原判決は、「醜い」、「不快」という曖昧不明確な判断基準を用いており、例外規定として本来慎重厳格に行われるべき「やむを得ない」の解釈としては、あまりに安易である。「似顔絵」の掲載においては、「モデルが不快に思うだろうから」などと目隠しを施すことはあり得ない。なぜなら、似顔絵とは、モデルの一瞬の表情の特徴をとらえ、そこを強調して表現することで、ときにはモデルの人格・人間性まで浮き彫りにし、見るものに共感を覚えさせる表現手法として広く社会的に認知され、受け入れられているからである。風刺画や似顔絵では、「辛辣さ」や「醜さ」こそが作者の主観的主張であり、出版物においての売り物である。もちろん、そのような「醜い」作品に対してモデル本人が名誉感情侵害を理由に著作者に抗議し、削除を求めるのは自由である。しかし、そのような重要な部分を、そのモデル本人ではない第三者が、「醜い」などという極めて抽象的曖昧な概念を用い、「他人の推測的不快感」を理由に、著作物を勝手に改竄してよいということは、著作権法の精神にかなうものではない。

(二) 原判決は、「描写された人物の両目部分に目隠しを施すという改変方法は、描写された人物の権利を保護するために一般に広く行われている方法であ」るとしたが、写真ではなく、漫画や似顔絵に目隠しを入れるなどというのは、一般的に広く行われている方法ではない。作者の主観・主張が相当程度含まれてくる似顔絵と、一瞬の表情を機械的に焼き付ける写真とは、その本質において根本的に異なる表現方法であるから、両者を単純に同列に扱うことは短絡的である。
 また、一般に目隠しが使われるのは、当該人物が特定できないようにして、そのプライバシーを保護する目的である。描写の「醜さ」や当該人物の「不快感」の排除や「名誉感情」の保護を目的としているのではない。そして、本件においては、目隠しは、当該人物が特定できないようにする目的でされたものではなく、目隠しを施す合理的理由は存在しない。

(三) カット4、53、54について、目隠しされたカットの方は、非常に汚らしく、人物の雰囲気を実に怪しげなものにしているから、黒い目隠しは描写の「醜さ」を軽減してない。
(四) 仮に、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)がモデルを「醜く」描き、名誉感情を侵害しているとすれば、その侵害者は著作者である控訴人である。被控訴人は、その似顔絵について「醜い」と批判的に扱っているのであるから、モデルの人格的利益を侵害する危険はない。
(五) 被控訴人書籍においては、多数の似顔絵を引用しているが、そのうち目隠しをしているのは、わずか三か所であり、目隠しせずに引用しているのが一〇か所に及ぶ。そこでは、目隠しを施すか否かについて明確な基準があるわけではなく、全く恣意的、場当たり的に行われている。以上から見ると、改変を許さなければ「当該著作物の引用を断念せざるを得ない。」などというせっぱ詰まった状況が全く存在しないことは明らかである。

(六) 被控訴人書籍においては、控訴人の描写力やイメージ操作について論評し、その一環としてカット4を「醜い」と評している。そうだとするなら、批評の対象であるカット4を正確にそのまま引用しなければならないはずである。それをあえて目隠しによって覆い隠し、「醜くない」絵に変えた上で不正確な引用をするのは論理矛盾である。
3 カット27について
原判決は、@被控訴人による加筆があっても、「原カットの内容は完全に認識できる」こと、A読者が加筆部分を「控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは存在しない」ことを理由に、右加筆行為が著作権法二〇条一項の改変に当たらないと判断したが、誤りである。
(一) 著作物への無断加筆が行われると、その瞬間、原著作物とは異なった表現がもたらされるのであり、自己の創作物の形を変えられたことそれ自体による精神的苦痛が発生する。その加筆が「原カットの内容は完全に認識できる」ものであることや、加筆部分を「控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは存在しない」こととは関係がない。

(二) 控訴人の作品では、コマ割の欄外スペースに控訴人自身が手書きでコメントを書き込むのが通例となっている。したがって、読者が加筆部分を控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは十分に存在する。
4 カット37について
 原判決は、@配置変更によっても各コマを読む順序に変更が生じる可能性はない、A原カット(ハ)をそのままのコマ割で引用するために縮小すると、小さな文字で書かれたセリフ部分が判読しにくくなるとして、コマの配置変更をやむを得ない改変であるとしたが、誤りである。
(一) 漫画におけるコマの配置は、各コマを読む順序、すなわち文字の流れだけに止まるものではない。カット37の原カット(ハ)では、左端のコマ(以下「第三コマ」という。)に控訴人自身(似顔絵)を登場させ、直前にある中央のコマ(以下「第二コマ)のセリフを受けて、そのコマに対してはっきりと視線と人差し指を向け、まとめのセリフを言わせているのに、カット37では、右のような控訴人の構成意図が全く無視され、第三コマの控訴人の視線と指はあらぬ方向を指し示し、間の抜けた意味のない構図になってしまっている。

(二) また、縮小複製してカット中の文字が小さくなる場合には、ネーム(セリフ)の文字は本文中で抜き出して引用するという可能かつ容易な方法があり、現実にそのようにしている書籍(乙第七号証)があるから、原カット(ハ)をそのままのコマ割で引用するために縮小すると、小さな文字で書かれたセリフ部分が判読しにくくなることは、やむを得ないことの理由とはならない。
 原判決は、カット37の被控訴人書籍での配置場所を「見出しの表示及び導入部の後」と、あたかもそれが所与の前提であるかのように扱っている。しかし、同カットがそこでなければならない必然性はない。同カットの採録頁には、見出しの周辺に大きな空白がある。また、例えばカット22ないし24のように見出し導入部のない頁で一段をすべて使ったなら、原カットのままで容易に収めることができる。さらに、見出しを避けるため、例えばカット3のように引用したカットとそれに触れた被控訴人の文章とが別の頁にかかったとしても特段の問題はない。

 原判決は、レイアウトに関するわずかな工夫すら怠り、安直にコマ割を変更した被控訴人の行為を簡単に容認して、控訴人に一方的犠牲を強いたものであって、バランスを失している。
(カット37における同一性保持権侵害についての当審における被控訴人らの反論の要点)
一 右綴じで横方向に読み進む漫画においては、左端のコマと下段の一コマ目のコマは連続しており、控訴人漫画においても同様であって、左端のコマを下段に引用しても、控訴人漫画の意味内容が変化するものではない。したがって、複数のコマのうち、レイアウトの都合から左端のコマのみを下段に引用しても、改変に当たらない。
二 カット37の上段のコマ(以下「第一、二コマ」という。)と下段のコマ(第三コマ)を、それぞれ別々に引用することも認められ、このような引用が改変に当たる余地はない。本件では、レイアウトの都合上、第一、二コマを上部に、第三コマを下部に引用したにすぎず、そもそも改変には当たらない。

三 カット37の第一、二コマは、全体が一つの四角い枠線で囲まれているから、全体として一つのコマである。そして、原カット(ハ)の控訴人を示す人物像が指さしているのは、第一、二コマの全体であり、カット37の控訴人を示す人物像も、第一、二コマの全体を指し示している。したがって、原カット(ハ)とカット37は同一の意味内容となっている。「第三コマの控訴人の視線と指はあらぬ方向を指し示し、間の抜けた意味のない構図になってしまっている」という控訴人の主張は、失当である。
四 仮に、カット37のコマの移動が改変に当たるとしても、意味内容に変更を加えるものではなく、極めて軽微な変更である。他方、カット37は、被控訴人書籍において詳細に批判されるべき重要なカットであった。そして、読者に被控訴人の批判を理解してもらうためにも、右カットを、カット37の程度の大きさで引用する必要があったから、その結果、第三コマを下段に引用せざるを得なかったのである。

 したがって、右改変は、著作権法二〇条二項四号の著作物の性質及び利用の態様上やむを得ない改変に当たるものである。
第三 当裁判所の判断
  当裁判所は、控訴人の本訴請求は、カット37に関する同一性保持権侵害を理由とする、被控訴人書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め、並びに、慰謝料及びこれに対する遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余は理由がないと判断する。その理由は、次のとおり付加・訂正するほかは、原判決の事実及び理由「第三 当裁判所の判断」一ないし三と同じであるから、これを引用する。
(当審における控訴人の主張に対する判断)
一 引用における附従性について
1 引用の目的について 
  控訴人は、被控訴人書籍では、三二のカットに関して、カットを取り去ると文章としてはつながらず、本文が独自主体的な存在たり得ていないことを理由として、本文そのものの重要な部分を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているとし、これを前提に、本文とカットとの主従関係は認められないと主張する。

 しかし、カットを取り去った場合に文章がつながらなくなるとしても、そのことをもって、直ちに、本文そのものの重要な部分を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているとみる根拠とすることはできない。カットを取り去った場合に、文章がつながらなくなる原因としては、様々なものがあるからである。例えば、同じく他人の詩の一部を引用するとしても、自分の言いたいことについて文章を書く代わりに、他人の詩の一部を引用して代替するという場合もあれば、他人の詩を批評するためにその一部を引用し、それについて批評の文章を書く場合もある。前者の場合、詩の部分を取り去れば文章がつながらなくなるのは当然であり、この場合には、本文そのものの重要な部分を書く代わりに「他人の詩の一部をして語らしめた」ということができよう。後者の場合でも、その引用部分を取り去れば、批評の対象がなくなってしまい、やはり文章がつながらなくなる。しかし、こちらの方では、批評の対象を引用によって明示しているために(引用しなければ、批評の対象を示せないことも多いであろう。)、それがなくなれば、批評の対象がなくなってしまって、文章がつながらなくなってしまうにすぎないのである。そして、このような場合に、本文そのもの(批評)を書く代わりに引用された詩に「語らしめ」ているということができないことは明らかというべきである。
 控訴人主張の三二のカットについて、控訴人カットを取り去った場合に文章がつながらなくなる理由は、後者の例に対応するものである。すなわち、右三二のカットは、被控訴人論説の批評対象そのものを引用によって明示し(カット8、9、12、16、17、18、19、20、26、33、34、35、36、38、39、41、44、45、46、47、48、49、50、51、54、56、57)、被控訴人論説の批評対象に対応する控訴人カットを示し(カット27、32、37、40)、あるいは、「次のように読者に問いかけるコマがあり」との記述に続いて批評の対象としている「読者に問いかけるコマ」の例証を提示している(カット1)ため、控訴人カットを取り去ると何を批評しているのか分からなくなることが原因となって、文章としてはつながらなくなるにすぎない。このように、控訴人カットは、批評の対象を示すために採録されているものであって、本文そのものの重要な部分(すなわち、批評)を被控訴人が書く代わりに「カットをして語らしめる」ために採録されているものではない。したがって、右三二のカットについて、本文とカットとの主従関係は認められないとする控訴人の主張は、前提を欠くものであって、失当である。

2 両著作物のそれぞれの性質・内容について
 控訴人は、@漫画カットには、強力なアイキャッチ力・メッセージ伝達力・顧客吸引力があり、それはすなわち、商品力・商品価値があり、一コマであっても独自に極めて大きな商品価値と情報量と訴求力を持つ、A漫画カットを「従」として「引用」するためには、そのカットを批評する文章の方には更に高度の存在価値や著作物性が認められなければならない、B被控訴人が書いた批評文は、一行であったり、抽象的で陳腐な「感想」を一言述べているだけであったりで、カットの批評とはほど遠く、到底、それ自体が「主」となり、カットを「従」として無断利用するだけの相対的価値のある文章とは言い難い、と主張する。
 しかし、文章が、商品価値や情報量において、漫画カットに劣るとしても、そのことをもって、文章が漫画カットに対して、主従関係に立てないというものではない。

甲第一号証によれば、被控訴人書籍においては、批評を加えている部分である本文の方が、控訴人カットよりも、被控訴人書籍における主題(すなわち、漫画家としての控訴人の活動姿勢全般を対象とした論説(批評)、及び控訴人漫画のうち慰安婦問題を取り上げた箇所についての批判、反論)に関して重要な位置を占め、高い存在価値を持っていることは明らかである(原判決の事実及び理由の「第三 当裁判所の判断」一4認定に係る、控訴人カットの採録が被控訴人書籍の読者に対して与える効果参照)。換言すれば、被控訴人書籍において著者が論じようとし、実際に論じたことの中心となっている事柄は、右主題に係る論説(批評)、批判、反論であり、それはすなわち本文の部分である。
 一方、甲第二ないし第一五号証及び弁論の全趣旨によれば、控訴人書籍は、控訴人自身「意見主張漫画」であると自認するものであり、その意見は各話ごとに主張・表明されていることが認められる。そして、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控訴人漫画のごく一部にすぎず、被控訴人書籍の前記主題に係る批評、批判、反論に必要な限度を超えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるものとは認められない。

 以上の点からすれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係があるということができるのである。
3 分量について
 控訴人は、漫画カットに対して文章が「主」と認められるためには、文章の方が量的にみて圧倒的なボリュームがなければならないと主張する。
 しかし、漫画カットであることから、直ちにそれに対して文章が「主」と認められるためには、文章の方が量的にみて圧倒的なボリュームがなければならないというものではない。
 また、控訴人は、カットと文章とを量的に比較するための一つの指標として、被控訴人書籍のカット採録頁中における、文章と控訴人カットとの占める面積割合を考慮すべきであるとし、これを根拠として、主従関係を判断しようとする。
 しかし、甲第一号証によれば、被控訴人書籍では、控訴人カットを例証又は資料とする論説が、カット採録頁だけでなく、前後の頁にわたって書かれていることが認められるから、カット採録頁における文章と控訴人カットとの占める面積割合をもって主従関係を判断すべきものではない。

 例えば、被控訴人書籍において、カット6に関して直接論及した記述内容は、同カット採録頁の「「わしはこの薬害エイズ問題で決定的に『運動』が嫌いになった!」と一人叫ぶシーンは印象的だ。」というものである。しかし、甲第一号証によれば、被控訴人書籍では、同カットの属する章「「Aヘンシーン!」の謎」において、前後四頁にわたって「A(控訴人)の変身」を主題とし、これについて批評を加えた被控訴人論説が書かれており、右カットは、カット5とともに、右批評に対応するカットとして、象徴的ないし印象的な例として挙げられているものと認められる。右の例をみれば、カットと文章とを量的に比較するに当たって、控訴人カット採録頁における文章とカットとの占める面積割合をもって判断されるべきではないことは明白である。
 そして、甲第一号証によれば、被控訴人書籍においては、各章ごとに一つの小主題を論じており、控訴人カットは右各小主題に関する被控訴人論説の例証又は資料となっていること、その各章における控訴人カットと文章との割合は、第九章が全体で八段あるうち控訴人カットが四段程度を占めているほかは、控訴人カットの分量はいずれも三分の一ないしそれ以下であり、被控訴人書籍全体としてみても、控訴人カットの分量は五分の一に満たないことが認められる。
 控訴人は、被控訴人書籍では、合計九〇頁の間に五七カット(六九コマ)を複製掲載していることを指摘して、控訴人カットの引用数が多いから分量の点からみて主従関係がない旨主張する。 しかし、控訴人は、その意見を、「意見主張漫画」として漫画という表現形式によって表現しているのである。ところが、他人の意見を批評、批判、反論しようとすれば、他人の意見を正確に指摘する必要があるから、控訴人の意見を批評、批判、反論するために、その意見を正確に指摘しようとすれば、漫画のカットを引用することにならざるを得ないのは理の当然である。そして、その批評、批判、反論が多岐・多面的にわたればそれだけ引用する漫画カットの数も増加することになるのは、やむを得ないところである。

 右事情を前提に前認定に係る被控訴人書籍における控訴人カットの分量の全体に対する比率を考慮すれば、引用されたカット数が前記の程度であるとしても、被控訴人書籍の本文とカットとの間には、十分主従関係が認められるというべきである。
4 被引用著作物の採録の方法・態様について
控訴人は、被控訴人書籍では、読者に対し、本文の代替としてカットに含まれるネーム(セリフ)を読ませ、カットをして語らしめたうえで、そのネームに対する被控訴人の批評・反論を加えるというやり方がとられており、カットを取り去った場合には文章がつながらないことを理由として、文章とカットとの間に主従関係がないと主張する。
 しかし、カットを取り去った場合に、文章がつながらなくなるとしても、そのことをもって、文章とカットとの間に主従関係がなくなるというものではないことは前示のとおりである。

 被控訴人書籍では、控訴人書籍におけるカットよりも拡大して複製した物を掲載している箇所が七か所(カット8、11、21、25、30、33、46)ある。右のように拡大複製する合理的必要性については、疑問がないではないが、そのことは、本文と控訴人カットとの間の主従関係を失わせるものではない。
5 主従関係についてのまとめ
 以上検討したところ、とりわけ、控訴人書籍が「意見主張漫画」として、漫画という表現形式によって意見を表現したものであり、被控訴人書籍は、右意見に対する批評、批判、反論を目的とするものであること、及び、被控訴人書籍に引用された控訴人カットは、控訴人漫画のごく一部にすぎず、右批評、批判、反論に必要な限度を超えて、控訴人漫画の魅力を取り込んでいるものとは認められないことを考慮すれば、被控訴人書籍においては、被控訴人論説が主、控訴人カットが従という関係が成立しているというべきである。

 控訴人カットに独立した鑑賞性があることは認められるけれども、控訴人書籍と被控訴人書籍の右関係に照らせば、そのことによって、被控訴人論説と控訴人カットとの右主従関係が失われるということはできないのである。
二 同一性保持権侵害について
1 控訴人は、引用の場合においては、「やむを得ない」改変か否かの解釈認定は、より一層慎重な吟味が必要であり、他にとるべき方法が全くなく、真にやむにやまれぬ状況でない限り適法とすべきではないと主張する。
 しかし、著作権法二〇条二項四号においては、「やむを得ない改変」か否かについて、引用であるか、それ以外の場合であるかを特別に区別していない。そして、これを実質的に考えても、引用は、新しい文化活動をしようとする者と著作権者との調整として、著作物の利用を許した規定であって、著作物の利用が許されているという点において、著作物の利用が許されている他の場合と異なるものではない。そうである以上、「やむを得ない」改変か否かの解釈において、「やむを得ない」か否かが「引用」との関連において判断されるという当然の点は別として、他の場合と異なる基準を設けなければならない理由はないのである。

 控訴人の主張は、採用することができない。
2 カット4、53、54について
(一) 控訴人は、@風刺画や似顔絵では、「辛辣さ」や「醜さ」こそが作者の主観的主張であり、出版物においての売り物であるから、これを第三者が、「醜い」などという極めて抽象的曖昧な概念を用い、「他人の推測的不快感」を理由に、著作物を勝手に改竄してよいということは、著作権法の精神にかなうものではない、A一般に目隠しが使われるのは、当該人物が特定できないようにして、そのプライバシーを保護する目的であって、描写の「醜さ」や当該人物の「不快感」の排除や「名誉感情」の保護を目的としているのではない、B目隠しされたカットの方は、非常に汚らしく、人物の雰囲気を実に怪しげなものにしているから、黒い目隠しは描写の「醜さ」を軽減してないと主張する。

 しかし、風刺画や似顔絵であるからといって、他人の名誉感情を不当に侵害してよいものではないことは当然である。そして、醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあるか否かということは、単なる主観によるものとしてではなく、常識に照らして客観的なものとして判断することができるものである。原判決別紙対比表(一)、(四)及び(五)を見れば、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)は醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあり、カット4、53、54においては、目隠しによって、名誉感情を侵害するおそれが低くなっていることが明らかであるから、右目隠しは、相当な方法というべきである。乙第二三、第二四号証によれば、カット53、54において描写された人物本人は、その原カットの描写を不快に感じたこと及び目隠しによってその不快感が減少していることが認められ、右事実は、前記認定が正しいことを裏付けるものである。
 なお、控訴人は、写真ではなく、漫画や似顔絵に目隠しを入れるなどというのは、一般的に広く行われている方法ではないと主張するが、目隠しは広く行われている方法であるから漫画ないし似顔絵に適用したとしても異様な印象を与えることもないのであって、相当な方法であるか否かについて、写真であるか似顔絵であるかを区別しなければならない理由はない。
(二) 控訴人は、仮に、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)がモデルを「醜く」描き、名誉感情を侵害しているとすれば、その侵害者は著作者である控訴人であり、被控訴人は、モデルの人格的利益を侵害する危険はないと主張する。
 しかし、カット(イ)、(ニ)、(ホ)をそのまま引用した場合には、被控訴人書籍が読まれることによって、更にモデルの名誉感情を侵害するおそれがあることは明らかであり、被控訴人に、右名誉感情の侵害を強いなければならない理由はない。そして、このことは、モデルから責任を追及されるのが控訴人であるか被控訴人であるかとは別の問題であるから、控訴人の主張は失当である。

(三) 控訴人は、被控訴人書籍において、引用した似顔絵のうち、目隠しをしているのが三か所、目隠しをしていないのが一〇か所で、目隠しを施すか否かについて明確な基準があるわけではなく、全く恣意的、場当たり的であるから、改変を許さなければ「当該著作物の引用を断念せざるを得ない。」などというせっぱ詰まった状況が全く存在しないと主張する。
 しかし、原カット(イ)、(ニ)、(ホ)は醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあり、カット4、53、54においては、目隠しによって、名誉感情を侵害するおそれが低くなっていることは前示のとおりである。そうである以上、他にも醜く描写されているために名誉感情を侵害するおそれがあるカットがあるとしても、右目隠しが相当な改変でなくなるものではない。
(四) 控訴人は、被控訴人書籍においては、控訴人の描写力やイメージ操作について論評してカット4を「醜い」と評しているから、批評の対象であるカット4を正確にそのまま引用しなければならないはずであると主張する。

 しかし、カット4は、目隠しによって減少しているとはいえ、なお、原カットの描写の様子を理解することはできる(すなわち、原カット(イ)ほどではないが、なお「醜い」)から、これを「醜い」等という批評の対象とし得るものである。そして、このように名誉感情を侵害するおそれを減少させる相当な方法があるのに、批評するに当たって、これをしてはならないという理由はない。
3 カット27について
(一) 控訴人は、カット27について、原カット(ロ)とは異なった表現がもたらされていることを前提として、その加筆が「原カットの内容は完全に認識できる」ことや加筆部分を「控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは存在しない」こととは関係がないと主張する。
 しかし、被控訴人書籍中、カット27が採録された頁の前頁において、同カットに関し、「これを次の私が書き入れた手書き文字のようにするとわかりやすい。」との記述が存在することは、原判決の事実及び理由「第三 当裁判所の判断」二1(二)のとおりであり、右記述とともにカット27をみれば、被控訴人書籍の読者は、原カット(ロ)内に位置する加筆部分を、控訴人著作物のうちの該当個所を特定、強調するために被控訴人が書き込んだものであると明確に認識できることは明らかである。そうである以上、右読者は、控訴人著作物に関するものとしては、カット27を、右加筆部分が存在しない表現、すなわち、原カット(ロ)と同じ表現として認識するものと認められる。したがって、カット27をもって、原カット(ロ)と異なった表現をもたらすものとすることはできない。控訴人の主張は、前提を欠くものであり、失当である。

(二) 控訴人は、控訴人の作品では、コマ割の欄外スペースに控訴人自身が手書きでコメントを書き込むのが通例となっているから、読者が加筆部分を控訴人著作物の一部であると誤解するおそれは十分に存在すると主張する。
 しかし、被控訴人書籍においては、カット27の手書き文字は、被控訴人が書き入れたものであることが明記されているのであるから、読者が誤解することがあるとは考えられない。
(原判決の訂正)
 七四頁一〇行目から七六頁二行目までを次のとおりに変更し、七九頁一行目から三行目までを削る。
「(四) カット37について
 (1) カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは、著作権法二〇条一項にいう「改変」に当たるものである。
(2) 被控訴人らは、右綴じで横方向に読み進む漫画においては、左端のコマと下段の一コマ目のコマは連続しているから、複数のコマのうち、レイアウトの都合から左端のコマのみを下段に引用しても、改変に当たらないと主張する。

 しかし、例えば学術論文において、著作者が改行しなかった箇所を、出版する際に出版者が改行したという例を考えれば分かるように、読み進む順序が変わらないからといって、同項にいう「改変」に当たらないというものではない。
 本件についてこれをみると、原カット(ハ)においては、第三コマの人物像が第一、二コマの左側に書かれ、その視線と指さした指の方向が第二コマを向いているのに対し、カット37においては、第三コマの人物像は、第一、二コマの下方にあって、その視線は、その右の空白ないしその先の第一、二コマの右の方に向いており、原カット(ハ)における、第一、第二コマと第三コマの位置関係を用いた表現が改変されていることは明らかである。
この点に関して、被控訴人らは、カット37の第一、二コマが、全体として一つのコマであることを前提として、原カット(ハ)の控訴人を示す人物像が指さしているのは、第一、二コマの全体であり、カット37の控訴人を示す人物像も、第一、二コマの全体を指し示しているから、原カット(ハ)とカット37は同一の意味内容となっていると主張する。

 しかし、カット37の第一、二コマには、女性が殴られているのを軍人が煉瓦の蔭から見て驚いている場面と、軍人が業者に押印させているらしい場面の二つの異なった場面が左右に書かれているから、第一、二コマは二つのコマというべきである。のみならず、同じコマを指さしているとしても、そのコマのどの部分を、どの方向から指さしているかということ自体が控訴人書籍における表現なのであるから、同じコマを指さしているから改変ではない、ということもできない。
(3) また、被控訴人らは、第一、二コマと第三コマを、それぞれ別々に引用することも認められるから、カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは改変に当たらないと主張する。
  しかし、第一、二コマと第三コマを、それぞれ別々に引用した場合、読者は、引用された第一、二コマと第三コマの位置関係が控訴人書籍の位置関係とは異なっていることを理解できるのに対し、カット37のように引用した場合には、読者は、控訴人が「新ゴーマニズム宣言第三〇章」において、カット37のコマ割を用いて表現したものと認識するものと認められる。したがって、カット37において原カット(ハ)の配置が変更されていることは、第一、二コマと第三コマを、それぞれ別々に引用したものと同列に論じることはできない。

 被控訴人らの主張は採用することができない。
(4) 被控訴人らは、カット37の改変は、意味内容に変更を加えるものではなく、読者に被控訴人の批判を理解してもらうためにも、右カットを、カット37の程度の大きさで引用する必要があったから、著作権法二〇条二項四号の著作物の性質及び利用の態様上やむを得ない改変に当たると主張する。
  確かに、原判決別紙対比表(三)によれば、カット37においては、各コマを読む順序に変更がないこともあいまって、第三コマの控訴人の似顔絵が述べているまとめのセリフが第二コマの絵及びセリフを受けていることを認識できるから、第三コマにおける右セリフの意味は、原カット(ハ)におけるそれと同じものとして理解することができるものと認められる。しかし、意味が同じものとして理解できるとしても、カット37が、原カット(ハ)における表現を改変したものであり、表現の微妙な部分まで同じといえるものではないことは明らかである。

  そして、甲第一号証、乙第七号証によれば、カットを縮小して引用したためにカット中の文字が小さくなっているものの、セリフの文字を本文中で抜き出して引用しているため、これを容易に判読できる書籍があること、また、縮小複製しない場合には、カット37の採録頁の見出しの周辺の空白を使用する方法、カット22ないし24のように見出し導入部のない頁で一段をすべて使う方法、カット3のように引用したカットとそれに触れた被控訴人の文章とが別の頁にかかるようにする方法などがあることが認められ、これらの事実に照らせば、カット37において原カット(ハ)の配置を変更したのは、被控訴人書籍のレイアウトの都合を不当に重視して原カット(ハ)における控訴人の表現を不当に軽視したものというほかはなく、被控訴人ら主張に係る著作物の性質、引用の目的及び態様を前提としても、カット37の右改変を、著作権法二〇条二項四号の「やむを得ない改変」に当たるということはできない。
(5) 以上によれば、カット37の右改変は、控訴人が控訴人書籍において有する同一性保持権を侵害したものというべきであり、弁論の全趣旨によれば、被控訴人らの右著作者人格権侵害の行為は、少なくとも被控訴人らの過失によるものであること、及び、控訴人が、被控訴人らの右行為によって精神的苦痛を受けたことが認められる。右苦痛の慰謝料としては、控訴人は漫画家として著名であること、カット37は原カット(ハ)と意味が同じものとして理解できるものであること、右侵害行為の内容、程度その他本件記録上認められる諸般の事情を総合すると、二〇万円を相当と認める。」
第四 結論
以上によれば、控訴人の本訴請求は、同一性保持権侵害を理由とするカット37を含む被控訴人書籍の出版、発行、販売、頒布の差止め(なお、被控訴人らは、カット(ハ)の著作者である控訴人から、本訴を提起されているのであるから、カット37が控訴人の同一性保持権を侵害する行為によって作成されたものであることを知っていることは明らかである。)、並びに、右同一性保持権侵害に基づく慰謝料二〇万円及びこれに対する侵害日である平成九年一一月一日から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余は理由がない。これと異なる原判決は異なる限度で不当であり、控訴人の本件控訴は右の限度で理由があるから、以上の趣旨に従い原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法六一条、六四条、六五条、六七条を適用し、仮執行宣言は必要ないものと認めて、主文のとおり判決する。

   東京高等裁判所第六民事部

        裁判長裁判官   山  下  和  明

           裁判官   山  田  知  司
 
           裁判官   宍  戸   充

第三審(確定判決)

2002年4月26日、 引用側は一点のカットの引用についても正当であるとしてさらに上告していたが、 「上告理由に当たらない」として、棄却された。 これでこの裁判は確定。 第3小法廷(浜田邦夫裁判長)