風説に過ぎない日本の治安悪化
――なぜこの国は悲観論を好むのか

犯罪心理学者 聖学院大学客員教授 作田明

少年犯罪はむしろ減少

かつて米国の心理学者でジャーナリストでもあるジーン・マックウェラー女史は、強姦が性的欲求不満から生ずる衝動的な犯罪であり、多くは屋外で、見ず知らずの男性によってなされる行為であり、一部は女性側の挑発的な服装や行動によって誘発されることがある、という俗説に対して、これを「強姦の神話」と呼び、強く批判した。

彼女の考えは、今日では犯罪学の常識となっているが、それまでの神話的先入観のために多くの性犯罪被害者が誤解され、傷つき、社会適応が困難になっている状況を変えたいという彼女の願望が、こうした学説を生み出したことは確かであろう。

しかし、ひるがえって考えてみると、犯罪や非行の分野では、マックウェラー女史が批判したような誤った風説が当然のように一般に流布しているケースが実に多い。その典型が少年犯罪が増加し、凶悪化し、低年齢化しているという主張であり、日本の治安が悪化してきているという物語である。

実際、日本の刑法犯の認知件数は2003年以降、刑法犯少年の検挙人員は2004年以降、それぞれ減少傾向にある。また、最悪の凶悪犯罪である殺人の発生数は少なくとも最近二十年ほどは横ばい状態にあり、この間に急増したということはなかった。

さらに、年齢層別の少年検挙人員は、年長少年(十八、十九歳)と中間少年(十六、十七歳)が年少少年(十四、十五歳)や触法少年(十四歳未満)を大きく上回っているのが近年の一貫した傾向である。とりわけ、十四歳未満の少年の殺人や強盗などの凶悪犯罪は、いったん発生すれば世間の注目を浴びることになるが、発生数は少なく、増加してもいない。

治安について言えば、1990年代から日本の経済不況の影響もあり、一時期、財産犯を中心として刑法犯全体が増加したことは事実であるが、先に述べたように最近は減少のトレンドにある。また、ほとんどの主要国や比較的人口の多い多くの発展途上国と比較しても、日本より犯罪発生率が低い国を探し出すことは難しい。

過剰な報道方式にも一因

それにもかかわらず、少年犯罪の増加や治安の悪化を自明のように考える人々が少なくないことについては、いくつかの説明が可能だろう。

たとえば、メディアの過剰な報道、治安に関係する官公庁の過大な広報、安全を売り物とする警備会社や携帯電話会社など企業の宣伝、人々の過去の犯罪についての忘れっぽさなどが、これまでに指摘されてきている。

それらの要因に加え、最近私は、日本人特有の、物事をとかく深刻に受けとめ、日本の国の状況を実態以上に悪く考える傾向が、治安の悪化を強調する議論を助けることになっているのではないかと考えるようになってきた。

確かに情報化が進んだ多くの国では、犯罪が誇大に報道され取り上げられることが多く、治安への関心は高まりやすい。このために厳罰化の議論が活発となり、取締りが強化されることもしばしば生じやすい。

しかし、いったん犯罪が減少し、治安が好転した場合の評価については、日本と欧米との間には大きな相違点があるように思われる。

かつてニューヨークのジュリアーニ市長は、伝統的に犯罪発生率の高かったニューヨーク市の犯罪を減少させることに成功し、このことは米国内ばかりでなく世界中に広く報じられた。実際には、ニューヨークの犯罪が減少したのは景気の回復によるところが大きく、市長の貢献度はそれほど大きくないという議論もあったのだが、ここで重要なことはニューヨークの犯罪減少という事実が大々的に報じられたということである。

日本を正しく見ぬ日本人

こうしたことは日本ではあまり見られない。たとえば日本のメディアは、最近数年間の犯罪の減少を大きく報道することはしない。逆にまた、犯罪が増加してくれば必ず騒ぎ立てることだろう。

メディアの支配的な論調は国民世論の期待の反映であるとも考えられるから、犯罪の増加・治安の悪化というシナリオは、わが国の社会の状況をできるだけ悪く、悲観的に描きたい、という日本人の強い願望が現れているものなのかもしれない。

こうした被害者的な、あるいは自虐的といってもよい感情は、日本人の心性の基盤であるのかもしれないが、犯罪ばかりでなく、日本人が自分の国を正しく見ることができない、ひとつの例ではないかと思われる。

(さくた あきら)

初出

産経新聞・朝刊 2006-05-09