だとすると、引用の条件において「引用元を明示する」ではなく「引用元を示す」となるんじゃないのかと思います。
明示の意味を辞書で調べてからそういう発言をした方が良いでしょう。
それと、「明示=HTML=構造」と「表示=CSS=見栄え」の意味が全く分かりません。
「表示」と云うのは見栄えに基づく存在であり、「表示されるかどうか」は所詮「見栄え」の域を出ないのです。本来、表示と云うのは外部に示す事を指します。が、「UAではcite属性を表示出来ない」と云う主張は、UAのレンダリング結果、詰り「見栄え」を根拠とした反論に過ぎないのです。然し、HTMLは文書の論理構造を明示するマークアップ言語です。形式的に文書の論理構造を明示するHTMLに於いて、UAのレンダリング結果と云う「見栄え」に関する存在が介在する余地はありません。
Internet ExplorerやOperaやMozillaは、HTML文書をレンダリングする過程に於いて、内部に保存してあるCSSを用いています。cite属性が表示されないのは、そのCSSにcite属性を表示するプロパティが記述されていないからです。UAのレンダリングと云うのは、完全に「見栄え」に基づくものです。
HTMLを使用した「cite属性による明示」とCSSを使用した「UAのレンダリング」を下手に関連付けて話そうとすると、本来関連付けて話すべきではないHTMLとCSSの話が混同してしまい、話がおかしくなるのです。
詰り、HTMLとCSSは全く別の存在なので、HTMLによる引用元の明示とCSSによるUAのレンダリングは切り離して考えるべきだ、と。
私の文章が悪くて伝わってない様ですが、文章の引用であれば文章で示していれば問題がないでしょうという話であり、あえて違う手法を用いる意味が分からないということです。
私は文章で示していてもcite属性で示していても問題がないが、HTMLであれば後者の方が望ましいと主張しているのであり、あえて違う手法を用いる
と認識されては困りますが。
今回の
cite属性の話に戻すと、その疑問に対しては、おそらく「W3Cの決定」と答えるのでしょうが(違ってたら指摘お願いします)、これを裁判所が認める根拠が示されていないという話をしてるんです。
W3Cの決定だとは答えません。W3Cが勧告した技術を使うなら、その技術の仕様に基づけば良いと言っているのです。利用形態に応じた著作物の利用は、著作権法自体が認めている事です。因みに、cite属性による出典の明示はISO、IEC、JISも採用した方法です。国際標準化機構、国際電気標準会議、国家規格が認め定めた方法が、UAは表示出来ないと云う理由だけで否定出来るとは思えませんが。
そもそも私は幾度と「cite属性は明示である」と主張し、その根拠を示してきたのですから、裁判所が認める根拠が示されていない
と認識するのはおかしいです。そうせいじ氏は、私が「cite属性は明示である」と主張する根拠に不備があると認識しているのでしょうし、そう認識する分には問題ありませんが、それを基に裁判所が認める根拠が示されていない
と云う結論を導き出すのならば、「cite属性による出典の明示を裁判所が認めない」根拠も示されていないと云う事になるでしょう。
そうせいじ氏の論法に基づくなら、裁判所の判決は所詮裁判官の独断と良心に基づいて下されるものに過ぎないのですから、何らかの判例がない限り、裁判所が認める根拠が示
す事は不可能です。
公衆を対象とした条文ではないので、対象が公衆であると云うのは根本的にずれている気がします。
対象って言ってる意味が分からなくなりました。「公衆送信権」というぐらいですから、公衆へ送信する権利じゃないんですか?
疑問に思ったら調べれば良いだけの話だと思いますが。或は既に調べているのならそれを提示するとか。
私は
と云う文章に反論したのです。公衆送信権の意味を調べればすぐに分かると思うのですが、公衆送信権は公衆送信、つまり公衆によって直接受信されることを目的として無線通信または有線電気通信の送信を行うこと(2条1項7号の2)をコントロールできる権利
の事を言います。公衆送信権は決して公衆を対象とした条文ではありません。公衆送信権の「公衆」は「公衆送信」から来た単語であり、公衆送信権の対象が公衆だからと云う理由から来た単語ではありません。ならば、同じ様に対象が公衆である
と云うのは根本的にずれていると言えるでしょう。そして、そう「言える」なら、著作権法に照らし合わせながら合法・違法を問う場に於いて、閲覧者を根拠とする事は出来ないのです。
と云う事で、ジャストシステムの全面勝利に終わった模様です。然し、実は私、今回の件についてよく知らない。
毒吐きネットマナーで検索してこのサイトに来る人が多いんだよねー。
メモ代わりとしてリンク。拡張子をhtmlのままにしておくリソースはHTML 4.01 Strictにしようかと思ったけど、面倒くさかった。
追記事項。この際と思って一括置換でHTML 4.01 Strictにしてみた。HTMLクイックチェッカで簡易チェックをしたので大きなミスはないと思う。
1番大事な箇所は、cite属性が表示出来ない状態を「明示」と言えるかどうかになります。
文章で書いておけば問題がないと思います。文章を読む対象に対して文章で出典元を明示すれば良いのではないでしょうか?紙媒体の本などを読むと分かりますが、ハイパーリンクなんて機能はついてません。それでも引用条件は成り立ってるので、文章での記述は全く問題ないと解釈できます。
文章でも問題はないでしょうが、文章で書けば問題がないと「言える」なら、cite属性でも問題がないと「言える」でしょう。著作権法は目的や利用形態に応じた形で著作物を利用する事を認めています。HTMLは文書の論理構造を明示する事によりコンピュータが文書を解釈出来る様にする為、策定された仕様です。コンピュータの為の言語である以上、「目的や利用形態」に応じた上で、cite属性により出典を明示する事は必要です。引用について:その3でも書いたとおり、a要素やcite要素ではプログラムはblockquote要素との関連が認識出来ません。書籍は対象が人間ですから人間が認識出来ればそれで良いでしょうが、HTMLは対象がプログラムですからプログラムが認識出来なければなりません。そして、文章による記述の場合、人間は分かりますがプログラムは分かりません。それに対し、cite属性なら人間もプログラムも分かります。HTML文書に於いて「人間が認識出来れば良い」のであれば、HTMLを使う意味はないでしょう。
考えさせられたのは、「〜すれば確認できる」という状態を明示というのでしょうか?
については、明示であると断言出来るでしょう。「明示」と「表示」は、「HTML」と「CSS」の様に「構造」と「見栄え」として切り離して考えるべきです。示されている事が確認出来ればそれは明示となります。が、通常では「表示」されないだけです。
なお、障害者の話が出てますが、障害者の方は別の方法(音声とか)で情報を仕入れると思われるので、別の方法においてはその方法にそった引用を行えば良いと思います。
閲覧する人によっては出典元が分からないケースがある状態を「明示」しているとは言えません
と云う文面に対する反論だったので、別の方法においてはその方法にそった引用を行えば良いと思います
と云う発言は閲覧する人によっては出典元が分からないケースがある状態を「明示」しているとは言えません
と云う主張と対立するものです。「ある方法」に於いては出典元が分からない場合がある訳で、それは閲覧する人によっては出典元が分からないケース
に含まれます。
それに、cite属性を表示出来ないUAを使用している人は、出典元を知りたい時はソースを見ると云う別の方法
で情報を仕入れる筈なので、それについて問題はない筈です。
ここに関しては、閲覧者を根拠としないと駄目でしょう。何故ならば、引用の条件という以前に、他人の著作物をWeb上で配信する行為が著作権23条の「公衆送信権等」を侵害してることになるからです。この場合、対象が公衆であることは明らかです。
等
が微妙ですが、公衆送信権は公衆を対象とした条文ではないので、対象が公衆である
と云うのは根本的にずれている気がします。
引用元の表示と表記の改変に関する議論よりcite属性による出典元明示に関してと云うリソースを発見。既にリソースの作成から10日が経過しているので流そうと思ったのですが、私の疑問に答えてくれてる(というか話題にすら上ってない感じ)ところは見当たりませんでした
と云う事なので、疑問に答えてみます。
ただ、私がどうしても理解できないのは、W3Cが言うことが全てだとどうして言い切れるのかってことです。今回問題となってるのは「著作権法」であり、著作権法を使って人を裁く機関は裁判所です。W3Cが裁くわけじゃありません。裁判所はW3Cとは別の機関になるわけですから、「W3Cが正しい言ってるから、正しいよ!」ってのが裁判所でも通用する根拠に乏しいと思うんです。
私はW3Cが言う事が全てだとは言っていません。cite属性による出典の明示はW3Cが定めた正当な引用方法であり、ハイパーテキストとしてHTMLを用いている以上はHTMLの仕様通りに引用すれば良いと言っているのです。仮に「W3Cの言った事」が裁判所では根拠に乏しいのであれば、q要素、blockquote要素を用いた引用も「引用である事が明確ではない」と言えるでしょう。
更に、「明示」という言葉について考えてみたいと思います。私は単なる一般人なので、法的な判断は違うかも知れないと先に付け加えておきますが、閲覧する人によっては出典元が分からないケースがある状態を「明示」しているとは言えません。
閲覧する人によっては出典元が分からないケースがある状態を「明示」しているとは言え
ないなら、この世から「明示と云う状態」は完全に消え去るでしょう。どんなに分かりやすく書いても障害によって出典が確認出来ない状態は多々存在します。
と言うか、Internet ExplorerやOperaでもソースを見ればcite属性の存在は明らかな訳で、ならばそれは閲覧する人によっては出典元が分からないケース
であるとは言えません。ソースを見れば出典元は明らかです。
UAをとことん手抜き開発すれば、リンクを閲覧出来ない環境だって簡単に成立し得ます。それはソースを見なければ閲覧する人によっては出典元が分からないケース
だと言えます。だからと言って、それが「リンクは出典の明示ではない」と云う結論には繋がりません。明示とははっきり示すこと
を言うのであって、それが表示されるかどうかまでは関係がありません。表示されなくても、閲覧者が出典元を把握出来なくても、書かれていれば明示です。
確かに、W3Cの勧告によれば
cite属性はblockquote要素の出典元と規定されていますが、「文章を読む」のは人間なんです。その人間のうち、一部の人が確認できない状態というのは明示したことにはなりません。
一部の人が確認できない状態というのは明示したことにはなりませんと云う主張が正しければ、その書籍の著者は著作権を侵害している事になるでしょう。
cite属性を表示出来ないUAでもソースを見ればcite属性は確認出来ます。ならばそれは一部の人が確認できない状態には当たらない為、明示になります。
そもそも出典の明示を閲覧出来なければならないと云う思想は何処から発生したのでしょうか。著作権法には、「閲覧者も分かる様に出典を明示しなければならない」とは一言も書かれていません。著作権法には公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
とだけ書かれています。
著作権法に書かれている内容はリソースの作成に於ける条文が殆どです。引用とはリソースの作成過程に於いて行う自発的行為です。出典の明示は引用元の明示であって、閲覧者に引用元を知らせる行為ではないでしょう。私としては閲覧者を理由に著作権法を考える事の方が根拠に乏しいと思うんです
。著作権法と照らし合わせて合法・違法を判断するのは製作者対製作者の議論であって、閲覧者を根拠にするべきではありません。
余談ですが、次にこういう論争が起きたとしたら、それは何年後の話になるでしょう。目立った引用論争なんて数年前「某方面」で起きたのしか知りませんし。
大XHTML移行計画完了。リソースの拡張子を全てxhtmlにして、MIMEタイプをapplication/xhtml+xmlにした。詳細は[リソースのMIMEタイプについて]を参照。
cite要素を出典の明示として用いるのには何ら問題はないが、そのcite要素はどうやったってblockquote要素と関連付ける事は出来ない為、cite要素だけではblockquote要素は出典の明示がない引用になってしまうので、cite属性は必要であると云うのが私の考え方。私はcite要素を試しに<cite>明鏡国語辞典</cite>で調べてみたのですが…と云った感じで、文章の中に自然に出てきた出典をマークアップする形でしか使わない為、出典の明示を目的としてcite要素を使う事は殆どない。出典の明示を目的とするならcite属性。
mustanさんも書いている通り、野嵜さんの書いた制作者にしかわからないサイトナヴィゲーションシステムを読めば分かりますが、製作者にしか分からないナビゲーションは非常識です。
link要素が閲覧者に分かる筈がないでしょう。仕様書にはアクセシビリティ、ユーザビリティと云う言葉が出てくるのだから、それを尊重しないのは理念を理解していない証拠ではありませんか。
私としては何故link要素が製作者にしか分からないのかが不可解である。link要素はW3Cが定めた正式な要素であり、それによってナビゲーションを行うのは、標準化団体が定めた形式に基づくナビゲーションであると言える。製作者にしか分からない訳がない。又、ISO、IECもlink要素を採用している。詰り、link要素によるナビゲーションは国際規格として採用されており、それが製作者にしか分からないのであれば、それは分からない閲覧者が悪い。
理念と云うのは、物事がどうあるべきかについての根本的な考えである。HTMLの理念は正しくHyperText Markup Languageと云う名称が表している。そこに、仕様書にアクセシビリティとかユーザビリティと云う単語が出てくるから、アクセシビリティやユーザビリティを考慮しなければならないと言い出すのは根本的にずれている気がする。
link要素によるナビゲーションが分かりづらいのはUAのユーザビリティの低さに過ぎない。私には石川氏の発言が、使いづらくなる原因を理解していない証拠
としか思えない。
XHTML 1.1では
と云う発言も石川氏はしていた。然し、XHTMLがHTMLをXMLに適合する様再定義したのは、無論XMLアプリケーションにする利点があるからで、application/xhtml+xmlにするのが推奨されているからと言って、それを理由にInternet Explorerを捨てるのはあんまりではないですか。それでアクセシビリティを考慮していると言えますか。text/htmlにしたのではXHTMLを利用する価値は全くない。text/htmlとして認識させるXHTMLは、HTMLと何が違うのか。ただ書式が面倒になっただけである。
application/xhtml+xmlとして認識させ、XMLアプリケーションである利点を活かし、他のXMLアプリケーションを利用出来る様にするのがXHTMLの理念である。私は理念を最優先して物事を考えるので、理念の尊重によりアクセシビリティの低下を招くなら、私は理念の尊重を採る。
そもそも、XHTML文書はXML文書なので、XHTMLパーサが組み込まれていないInternet Explorerで閲覧出来る訳がない。然し、それはアクセシビリティの低下にはならない。ZIPファイルはInternet Explorerでは閲覧出来ないが、ではZIPファイルはアクセシビリティが低いのか。そんな事は断じてない。ZIPファイルを利用するにはZIPファイルに対応したプログラムが必要である。XHTML文書はXML文書なので、XHTML文書を閲覧するにはXHTML文書を閲覧出来るXMLパーサが必要である。それを用意せずにアクセシビリティが低いと言われたのでは堪らない。
MIMEタイプはapplication/xhtml+xml、スタイルシートの読み込みは処理命令。これで既にInternet Explorerでは当サイトは閲覧出来なくなっています。ダウンロードダイアログが出て、それを保存してから閲覧する事なら出来ますが。それと、Lynx、影鷹等のUA、Sleipnir、Lunascape等のInternet ExplorerコンポーネントUAでも閲覧は不可能になっています。SleipnirやLunascapeであればGeckoエンジンに切り替えれば問題はありませんが。
HTML講座。可也良い内容。
XHTML 1.1に準拠しているので、外部スタイルシートをlink要素ではなく<?xml-stylesheet…?>の形で読み込ませたら、Internet Explorerでは表示出来なくなってしまった。XML宣言は解釈出来るらしいので色々分析してみたら、alternate属性を記述するとエラーを起こすらしい。
文法的には間違いないみたいなので、Internet Explorerの対応を待つ事にしてみた。よって、Microsoftが何とかしない限り、Internet Explorerユーザは当サイトを閲覧出来なくなってしまう。が、それは私の責任ではないので、放置。
そうなると、既にInternet Explorerでは当サイト内のリソースは閲覧出来ない訳で、もう文書のMIMEタイプを完全にapplication/xhtml+xmlにしてしまっても問題はない訳だ。ずっとInternet Explorerの対応を待ってブラウザ振り分けを行ってきたが、いい加減Internet Explorerは切り捨てて、XHTML 1.1に完全対応したUAのみを対象としてしまうのも「あり」の筈だ。そもそも現時点で既にInternet Explorerではリソースを閲覧出来ないので、「ブラウザ振り分け」を行う必要性すらなくなってしまった。
さて。どうするべきか。
既に当サイトはInternet Explorerでは閲覧出来ないので、MIMEタイプも完全にapplication/xhtml+xmlに変更。「理想主義」の立場からすれば、現実に妥協せず理想的なリソースを公開するべきなので、理想的な、application/xhtml+xmlをMIMEタイプとしたXHTML文書を公開する事に決定した。これにより、UAにはXMLパーサが必須となり、同時にInternet Explorerでは閲覧出来なくなった。解決策としては、application/xhtml+xmlに対応したUAを使うしかないだろう。
1024×768dpi以上で快適にご覧になれます
とか言われた。現時点では1人も快適にご覧になれる人はいないと思う。
displayプロパティ専用CSS各要素にdisplayプロパティを指定したCSSを公開。
作ってみたとは言っても、随分前から作って使っていたのだけれども。
ul li:before{
content:"(゚∀゚)アヒャ!";
display:marker;
}
title:after{
content:"キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!";
}
WCAGのバナーを貼ることは、「閲覧者のために使いやすいウェブサイト作りをしている」と言っている事と同義です。
真名垣さんの主張ではユーザビリティは無視されている様に聞こえますが?
link要素はユーザビリティの問題であると言っただけです。何度も言いますが、blockquote要素内にcite要素は書けます。blockquote要素内にcite要素+a要素を置くことが引用文と出典の明示との関連が取れないとする根拠は一体何なのですか?
る事は知っています。ただ単にそれがblockquote要素内にcite要素は書け
cite要素の引用に過ぎないと云うだけの話です。cite要素の引用と出典の明示のcite要素をどう区別しろと言うのですか。僕は「cite要素をblockquote要素の外でも中でもどっちでも置いて良い」と思っていますし、以前にもその事は書きました。
cite要素をblockquote要素の中に書き、引用文を加工する行為は「止むを得ない」とは言えないので、違法です。link要素をa要素に置き換えろなんて、誰も言っていません。両方あると素晴らしいと言っているのです。
2ちゃんねるやWeblogが過去ログをリソースに詰め込むのが無為徒食日記の構成に何の関係があるのですか?何故それが「当然」になるのですか?余所がやっているからいいということですか?
余所がやっているからいいとは言っていません。2ちゃんねるやWeblogが採っている構成は当然であると言っただけです。
日記の途中にアクセスする方法が分からないはずがありません。仕様を曲解しているだけです。また、link要素だけでも日付・記事ごとのナビゲーションを提供出来ます。月の初めの日記や2005年9月13日の日記を読みたい場合はどうすればよいのですか?と云う疑問は出て来なかった筈です。mustan氏は何の為に疑問を提示したのですか。とぼける為ですか。
「小学生」「馬鹿」「雑魚」は瞞着ではなく、真名垣さんの意見を集約した「事実」*4です。
実際に「小学生」「馬鹿」「雑魚」と受け取ってしまったのですから。
僕がXHTML1.1の仕様に疑問を感じているが、真名垣さんは仕様をつらつら読んで従っているるだけだからそういう疑問は出てこないでしょうと言っているのです。
つらつら読んで従っているるだけだからと決め付けられてしまいました。私はmustan氏の言う理念は理念と呼べる代物ではないと言ったのです。
真名垣さんや僕の様な人を「W3C信者」といって敬遠する方がいること、「信者」というのが宗教の信者との「比喩」であることを知っているはずなのに、知らない振りはよくありません。
真名垣さんはWCAGを「アクセシビリティ」という単語が付いているからアクセシビリティのみのガイドラインだと仰る様ですが、そうではありません。統括的な「閲覧しやすいウェブサイトを作成する」ためのガイドラインです。
These guidelines explain how to make Web content accessible to people with disabilities.と云う文章だけで十分認識出来ます。These guidelines explain how to make Web content accessible to people with disabilities.と書いてあるのですから、無理にWCAGの「範囲」を広げようとするのは曲解と云うものです。link要素によるナビゲーションだけでは使いづらい、詰りユーザビリティが低いからWAI-AAAのロゴを貼るのは嘘であると言っています。が、WCAGはどうやってもユーザビリティとは結び付きません。結び付くと言うのであれば、それはWCAGの拡大解釈です。HTML4.01の仕様*6にも、所々にユーザビリティ、アクセシビリティに配慮するべきという仕様策定者の理念が見えます。*7その理念を読み取ることが出来ず、それらの文書に書いてあることしか理解出来ていないからそれなりのレッテルを貼ったのです。
読み取ることが出来ていないのですか。
link要素が書かれたサイトは当サイトに限らず使いやすいです。事実、Operaでは使いやすく、逆にa要素のナビゲーションは文章を下に下げるので寧ろ邪魔です。それは単にUAのユーザビリティが低いだけです。それを当サイトのユーザビリティの低さと見做すのは典型的な責任転嫁です。真名垣さんはAkkyさんの要求を一蹴してますので、事実です。
これらの文書の存在を否定しているわけでもありません。真名垣さん自身は気づかずに否定されていますが。
真名垣さんの言っていることは全然筋が通っていないなどとmustan氏は言っていませんでした。
前にも書きましたが、「仕様のために閲覧者に不便を強いる」という考えは仕様・ガイドラインの曲解です。仕様の行間を読んでも、その様な解釈は不可能です。いや、むしろ仕様・ガイドライン違反といってもいいでしょう。
根拠のない批判はひとつもしていません。
「ハイパーリンクがハイパーリンクとして機能しない環境を考慮する」が「閲覧者のために分かりやすいナビゲーションを提供する」よりも優先されるのは、明らかに変です。
「ハイパーリンクがハイパーリンクとして機能しない環境を考慮する」のを優先するのが、「アクセシビリティに優れた、閲覧者にやさしいウェブサイト」にはなり得ません。
単なる劣化コピーでしかありません
だって、ふと気がつくと馬鹿馬鹿しくなってしまったのですから。
だってとだけ言ってmustan氏は相変わらず馬鹿々々しく思える議論を続けています。何故ですか。馬鹿だからですか。
真名垣さんの理念のひとつとして「仕様のために閲覧者に不便を強いる」というものがあるということでよろしいでしょうか?
日記でのリアルタイムな論調と過去に公開したリソースとの論調がまったくかみ合っていないと云う結果を招くでしょう。
真剣に「閲覧者に対して優しいウェブサイト」を作成されている方の苦労を、真名垣さんはすべて踏みにじっている様なものです。迷惑です。
迷惑です。
閲覧者に対して優しいウェブサイトを作成する事は考慮しています。だから私はWAI-AAAのロゴを貼ったのです。ただ単にUAが使いづらいだけです。
曲解でも極論でも感情的な意見でもなく、どう頑張ってもこの結論しか出せません。
ノルウェーのOpera Softwareは9月20日、Webブラウザ「Opera」無料版の広告をなくすと発表した。従来、無料版は広告入りで、有料のライセンスキーを購入すれば広告を撤去できた。
これでOperaの人気も高まったり…しないか。10周年記念でパーティをやってからまだ間もないのにこういう事をやられると、パーティをやった意味が分からなくなってしまう。パーティでは無料でコードを配布する以外にも色々やった訳だけれども。
- Akky氏が要望している。
- 真名垣さんは
WCAGに沿ったサイト作りを行なっている*。- だがAkky氏の要望に対応しない
この様に文章を変えて考えてみてはどうでしょう。2番目と3番目が大きく矛盾してますね。無関係とは思えない流れですが、どうですか。
Akky氏の要望はそもそもWCAGとは無関係です。私がcite属性で出典を明示した時点で、Akky氏はcite属性を見る事が出来ませんでした。それを著作権法に反する引用だと認識してしまったと云うだけの話です。
cite要素を書く事が止むを得ないと言えます。cite属性は必須ではなく、またcite要素のみでも出典の明示になり得るからです。そうした場合、blockquote要素内にcite要素を入れなければ、真名垣さんの言う「引用文と出典の明示との関連性」が取れなくなる可能性が大きいからです。
blockquote要素内にcite要素を打ち込んだところで、引用文と出典の明示の間に「関連」は明示されません。誰がblockquote要素内にcite要素を打ち込めば「関連」が明示されると決めたのですか。cite要素よりも確実なcite属性と云う方法があるのに、止むを得ないと言うのはおかしくありませんか。本当にcite要素の挿入は他にどうする事も出来ない
から行った事だったのですか。
- 閲覧者から「使いづらい」という指摘を受けている
- 真名垣さんが閲覧者に優しいウェブサイトを作っていると自称しているのに、実はまったく閲覧者に優しくない作りになっている。要するに「嘘を自称している」ことになる*2。
です。間違えないで下さい。
私は閲覧者に優しいウェブサイトを作っていると自称してい
ません。WCAGはあくまでも全てのユーザがウェブコンテンツを利用出来る様にする為のガイドラインでしかありません。link要素によるナビゲーションが面倒であれど、事実別のリソースに移動する事は可能であり、その時点でウェブコンテンツは利用可能です。
もし真名垣さんが「自分のサイトのユーザビリティは良く出来ている」と思っているのであれば、一言「自惚れないで下さい」と言わせて下さい。
アクセシビリティとユーザビリティはまるで違う概念なので、WCAGのロゴを提示しただけで「自分のサイトのユーザビリティは良く出来ている」と思っている
と解釈されては堪りません(なので、今思えばZAKUROさんとのアクセシビリティに関する論争も間違った題名なのですが)。
ちなみにウェブサイトを持つ人間はそのウェブサイトの開発者でもあります。開発者の怠慢で不利益を被っている人間がここにいます。ウェブサイト開発者としての対応をぜひ検討して頂きたいです。
私がナビゲーションを実現したとして、「何だこの長いナビゲーションは。本文を読みたいのにこんなものを置かれては邪魔で堪らない。これではUAの実装ではどうにもならないではないか。使い辛いにも程がある。」と言われたら、私はその時どうとも反論出来ないでしょう。
ですから、文面のみですべて解決しないで下さい。文面しか読んでいないとこちらが認識したので「理念を理解していない」「チェックポイントを満たしてだけで満足している」という言葉を使ったのです。
文面のみで全て解決する事に対し不満を抱くなら、そもそもmustan氏は何故1. Introductionを引用したのですか。文面のみで解決する事は問題ですが、全く別の話題として扱われている文面と文面を結び付ける事にも問題があるでしょう。
そもそも認識
なんてものはmustan氏の主観に基づくものでしょう。主観に基づいて判断されたのでは客観的な議論なんて出来ません。
上記の引用の様な真名垣さんの主張では、真名垣さんが書かれた「テーブルでのレイアウトについて」の様な、ご自分の考えを主張された文書の意味と重要性が大きく損なわれてしまい、結果「真名垣さんはこっちではこう言い、あっちではこう言っている。何を主張したいのだ?」と閲覧者を混乱させかねません。少なくとも僕は混乱しています。
テーブルはウェブコンテンツの利用そのものに影響を与えます。mustan氏が認識している様に描画速度の低下などの、仕様に明記されていない付加的な問題点
がありますから。が、link要素によるナビゲーションはウェブコンテンツの利用「そのもの」には問題を与えません。だからWCAGとは無関係である、ただそれだけの話です。それなのに代替手段(しかも容易に実現可能)を準備しないということは「Guideline 10. Use interim solutions.」は満たされていないと解釈出来ます
の様にして、ユーザビリティの問題をアクセシビリティの問題として扱おうとするから話がおかしくなるのです。
ところでmustan氏はInternet Site Opinionで使用している技術についてを引き合いに出したくらいですから、当然Internet Site Opinionについても読んだのでしょう。それなのに日記でのリアルタイムな論調と過去に公開したリソースとの論調がまったくかみ合ってい
ないから僕は混乱しています
と言い出すのはおかしくないですか。サイトを更新している間に私の意見が変わる事は多々あります。古い文書と新しい文書に書いてある意見には食い違いがあるかも知れません。
と云う文章を私は書きました。それも読んでいないのに、僕が書いた事を本当に読みましたか?
も糞もないでしょう。
「ハイパーリンクがハイパーリンクとして機能しない環境を考慮する」が「閲覧者のために分かりやすいナビゲーションを提供する」よりも優先されるのは、明らかに変です。「ハイパーリンクがハイパーリンクとして機能しない環境を考慮する」のを優先するのが、「アクセシビリティに優れた、閲覧者にやさしいウェブサイト」にはなり得ません。プライオリティを完全に間違えています。
mustan氏は「ハイパーリンクがハイパーリンクとして機能しない環境を考慮する」が「閲覧者のために分かりやすいナビゲーションを提供する」よりも優先されるのは、明らかに変です
、「ハイパーリンクがハイパーリンクとして機能しない環境を考慮する」のを優先するのが、「アクセシビリティに優れた、閲覧者にやさしいウェブサイト」にはなり得ません
とは言いますが、具体的にどの様な点が変なのか、その根拠が長文の中には書かれていません。そもそもlink要素をa要素に直したところで、アクセシビリティは向上しません。
また、「新しい日記が上にあるから」という主張についてですが、月の初めの日記や2005年9月13日の日記を読みたい場合はどうすればよいのですか?
分かりません。更新されなくなったリソースは全て「過去のリソース」です。前日以降の日記は、単なる「過去のリソース」に過ぎません。2ちゃんねる系の情報サイトでも、Weblogでも、度々過去ログを同じリソース内に詰め込むと云う手法が採られます。それは当然でしょう。何しろ「過去のリソース」なのですから。
僕のサイトの構成が悪いから「お前には偉そうな事を言う権利はない」とでも言いたいのですか?小学生みたいな思考論理ですが、それが通じると思っているのでしたらこの日記では以後は一切反応しないことにします。お好きな様に言及なさって下さい。僕も僕でそんな馬鹿げた思考論理を持つ雑魚に構っている暇はないのです。
誰もそんな事は言っていません。mustan氏の主張はそっくりそのまま自分に返ってくるのではないか、と言ったのです。今回の「引用論争」で、Akky氏は「俺は引用の際の条件を満たさないが、お前は引用の際の条件を満たせ」と主張する自己中心主義の態度を採ったので、その点を私は批判しました。mustan氏の態度もそれと大して変わらないのです。
又、mustan氏は小学生
、馬鹿
、雑魚
、構っている暇はない
と云った言葉で相対的に私を下手だと見せ掛けて、相対的に自分を上手だと見せ掛けようとしています。mustan氏の言っている事はただの瞞着です。そんな手には騙されません。
ですが開発者が仕様を何の疑問も抱かずに鵜呑みにするのはアプリケーションの開発者だろうがウェブサイト開発者だろうが、開発者としてはあるまじき姿です。
mustan氏はXHTML 1.1に相応しくないhr要素を私が使っていると云う点について述べた後で、私は論調だと文面のみ重視しているため、この様な疑問は抱かないのでしょう
と決め付け、最終的に仕様に従うだけ
と結論付けています。が、私はそもそもhr要素が非合理的だとは思っていません。XHTML 2.0ではhr要素が廃止される事をmustan氏は知っています。ならば、当然separator要素が導入される事もmustan氏は知っているのでしょう。然し、私にはseparator要素がhr要素の代替以外の何者でもないとしか思えません。ただ単に要素名を変えただけでseparator要素が論理的であると主張出来るなら、hr要素自体が論理的であると言わざるを得ないでしょう。
真名垣さんの「エチケット随筆集」や「Web作成雑記集」のリソースは、野嵜さんやばけらさんに代表される様な「偉大なる先人」たちが数年前に公開したリソースの焼き直し、というか、仕様と他のサイトのリソースを鵜呑みにした単なる劣化コピーでしかありません。
mustan氏は終わりの方に近付くほど根拠のない批判を繰り返す様になります。
私はエチケット随筆集を作成するに於いて鳩丸やPC Tipsを参照した事は殆どありません。皆無と言っても良いほどです。Web作成雑記集の方では度々それらのサイトを参考にした事があります。が、テーブルレイアウトについてや実用的で良心的なバナーの作り方と云ったリソースは閲覧者の立場から見た内容として度々作成されます。又、フェースマーク一覧、一考・秀丸エディタ&鶴亀メール、[配色やレイアウトの盗用の問題点]、ソフトウェアは高機能より高性能、角丸テーブルについての疑問、教えて君は何故嫌われるのか、[XHTML文書を全てのUAで開くには]と同じ、或は類似したリソースは、鳩丸にもPC Tipsにも存在しない(と思う)のですが、mustan氏は何を思って劣化コピー
だと言ったのですか。
真名垣さんの様な「仕様を理解して理念を理解せず*7」、「W3Cの仕様、アクセシビリティガイドラインに従っていると言う割に閲覧者からの不便だという声を一蹴し」、「理念が理解出来ずにW3Cの仕様、ガイドラインにただ従っているだけ」のW3C信者は、非常に危険な存在なのです。極論だけをWWWにばらまいて、エンドユーザのことをまったく考えないウェブサイト開発者がよく臆面もなくW3Cのロゴを貼れたものです。ひどい曲解です。
W3C信者
とmustan氏は言いますが、mustan氏にはW3Cのサイトが宗教化団体のサイトに見えるのですか。もしかして、mustan氏はW3Cのサイトに類似したサイトを見ていませんか。W3Cは宗教化団体ではなく標準化団体なのに。ひどい曲解です
。
又、私は何故link要素だけでナビゲーションをするのかを、自分でも長過ぎると思うほどの長文ではっきり書いたのですが、それの何処が一蹴
なんですか。
真名垣さんは「嘘を平気で主張し」「ここを読んで下さいといっても読まない」「物事の優先順位を知らず」「自分のウェブサイト開発者という立場は棚に置いてMSに全てを押しつけ」「結局言っていることに理念などない」、とんでもない方ですね。議論が馬鹿馬鹿しくなってきました。
mustan氏はWCAGを誤解して私が嘘を平気で主張し
ていると誤解し、私が読んだ上で反論しているにも拘らず読んで下さいといっても読まない
と極付け、物事の優先順位を自分自身の主観で勝手に決め付けた上で物事の優先順位を知らず
と決め付けを繰り返し、UAの開発者であると云うMicrosoftの立場は棚に置いて私に全てを押し付け、またも根拠もなく言っていることに理念などない
と決め付ける。とんでもない方ですね
。私の反論を見た時点で馬鹿馬鹿し
いとは判断出来た筈なのですが、何故馬鹿馬鹿しくなってき
た事を無視して私に反論したのですか。馬鹿々々しくなってきた議論を無駄に発展させようとする人間はただの馬鹿です。
改めて書いておきますが、本件は真名垣さんに無理にナビゲーションを準備しろだの、
cite要素を使えと言っている訳ではありません。僕の視点から見た「誤り」を指摘し、真名垣さんによく考えて頂きたいのです。
mustan氏の言う僕の視点
はアクセシビリティとユーザビリティを混同したものに過ぎません。mustan氏は「誤り」を指摘し
ているのではありません。誤った知識を基に「誤り」を指摘し
ているのです。
14日の記事で、ソースの記述がおかしい所為でXMLパーサがエラーを起こしてしまうと上記の2サイトから教えてもらったので、修正しました。有難うございます。
即ち、様々な環境での閲覧になるべく障害が発生しない様に代替手段を準備すべきということです。すべての障害に対応しろ!というのはさすがに無理がありますが、サイトナビゲーションはウェブサイトを構成する非常に重要な要素です。UAが
link要素に対応していなければ大半の閲覧者に不便を強いるのは分かり切ったことです。それを「UAが対応してないのが悪い」という理由で代替手段を準備しないのは単なる怠慢にしか思えません。
確かにmustan氏の言うとおりUAが
が、そうなるとmustan氏の言ったlink要素に対応していなければ閲覧者に不便を強いるのは分かり切ったことですまったくもってその通り(ブラウザが対応していないのが悪い)だと思います
さえ、「UAが対応してないのが悪い」と云う理由で代替手段を準備しない
単なる怠慢にしか
なりません。
以下、同意出来るかどうかは別として、link要素を解説しているリソースへのリンクを集めてみました。
link要素@ばけらの HTML リファレンス(未完成)<link>タグでユーザビリティlink要素の使い方link要素(他の文書との関係を表わす)link要素 - 他の文書との関連多くの方がlink要素でのナビゲーションは有意義であると述べています。が、UAの実装が遅れているとか、まだa要素でのナビゲーションも必要であると云った旨も述べられています。
然し、このlink要素が登場してからもうどれくらい経つでしょうか。link要素はHTML 1の頃から存在していました。このHTML 1は1993年には存在していたのですが、実際はInternet Draftとして提出されたものをダン・コノリー氏がHTML 1と呼んだに過ぎなく、このHTML 1自体は勧告されず規格化もされなかったので、実質最初のHTMLはHTML 2であると云う事になります。が、このHTML 2にもlink要素は存在しますし、更にHTML 2が勧告されたのも1995年11月の話です。詰り、link要素が登場してから既に10年弱が経過しているのです。
10年あればUAにlink要素を実装させるには時間があり過ぎるほどにあります。事実、Mosaic、iCab、Lynx等は数年以上前からこのlink要素に対応していました。現在はNetscape、Mozillaも対応しています。(Mozillaが対応しているのに)Firefoxは未対応ですが、Link Toolbarを導入する事でlink要素には対応します。10年の年月があれば、例え私1人だろうとVC++やDelphi、Java等を勉強してlink要素を実装したUAを作る事は十分出来るでしょう。そもそも、10年前のHTMLの仕様に既にlink要素が含まれているのであれば、古いUAであろうと十分実装出来る筈です。
にも拘らず、Internet Explorerは未対応です。HTML 4.01ですら、勧告されてから6年近く経ちます。それがMicrosoftの怠慢であるとしか私には思えないのです。<object>の様に非常に抽象的で実装が難しい要素に未対応なのは考慮して、使用を控える事により対処しているのですが、link要素は10年前からある要素ですし、実装も難しくない(と思う)ので、流石に放置し過ぎだと思われます。
勿論、それ故WCAGにはGuideline 10. Use interim solutions.
と云うガイドラインが設けられている訳ですが、a要素で長いナビゲーションを記述すると先程も言ったとおり音声環境では邪魔になる可能性が高いですし、印刷してしまえばそれこそ邪魔なだけのリストになってしまいます。どのリソースかは失念しましたがuseit.comでもスクロールしなくても情報を読み始める事が出来る様にするべきであると述べられています。
長くなってしまったので纏めますが、8〜9割台のシェアを誇るInternet Explorerを完全に見捨ててしまうのは確かにアクセシビリティの観点から言えば好ましくない事かも知れませんが、私にはその現状がどうしてもMicrosoftの怠慢だと思えてしまいますし、その為に音声環境や印刷時の都合を無視してしまうのは「勿体ない」と感じるのです。link要素が例えば1〜2年前に勧告された比較的新しい仕様に含まれる要素であれば仕方ありませんが、HTML 2の頃(10年ほど前)から存在していたlink要素なのだから、それはUAの開発者の責任であると私は主張します。
なお僕が「
img要素にalt属性を入れる必要性が分かっているなら、link要素以外にナビゲーションを提供する理由も分かると思う」と書いたのは、
img要素のsrc属性の代替手段としてalt属性があり、なおかつsrc属性で示される画像が表示出来ないUAに代替手段を提供することが重要であるために仕様では必須属性となっている- 上記から、W3Cがあるリソースにアクセス出来ない環境に対して代替となる手段を準備すべきだという方針を打ち出している
という意図であり、これが「"分かりません*"」ということであればWCAGの理念どころかXHTML1.1の仕様(といいますか、根っこになっているHTML4.01の仕様)の意図を理解していないことになりますが。その様な方に「ナビゲーションは
link要素だけでも問題ない」と言われても納得しかねます。
私は「link要素はUAの実装次第でどうにでもなるが、img要素のalt属性はUAではどうしようもない」と言いました。先日の記事ではmustan氏は
としか書いていませんでした。だから分からなかったのです。img要素にalt属性を入れる必要性が分かっているなら、link要素以外にナビゲーションを提供する理由も分かると思うのですが
mustan氏は画像の代替手段としてalt属性を記述するのだから、link要素も代替手段として用意するべきだと主張しています。然し、Guideline 1. Provide equivalent alternatives to auditory and visual content.にはalternativesと云う単語が含まれますが、Guideline 10. Use interim solutions.にもGuideline 13. Provide clear navigation mechanisms.にも、と言うかGuideline 1以外には一切alternativesと云う単語は出てきません。ならば、mustan氏はimg要素のalt属性が代替手段を提供するべきであるとWCAGに書かれているからlink要素の代替手段も用意するべきであると解釈するべきではありません。そもそもGuideline 1はProvide equivalent alternatives to auditory and visual content.が題名なのですから、link要素と関連があると認識するのにも無理があります。
そして、WCAG-Triple-Aのロゴはチェックポイントを満たせば提示する事が許されているのですから、私がロゴを掲示する事には何ら問題はありません。
ついでに言っておくと、a要素でのナビゲーションを用意するのは容易に実現可能
ではありません。リソースごとにナビゲーションの内容は異なるのですから、私はリソースを一つずつ、しかもlink要素を基にしながらa要素に修正しなければならないでしょう。それなのに代替手段(しかも容易に実現可能)を準備しないということは「Guideline 10. Use interim solutions.」は満たされていないと解釈
するのは不可能です。
無為徒食日記には話題や日付ごとの恒久的なURIを指し示す(
id属性を持つ)アンカーへの(href属性を持つ)アンカーがなく、いちいちソースからコピペしないといけないので非常に不便です。Internet Site Opinionというサイトの性質上、余所のサイトから言及が来ることは容易に想定出来ます。WCAGは「すべての閲覧者に対し文書その他のリソースに、どうすればアクセスしやすいかをガイドラインとしてまとめた」ものです。本当に閲覧者のためを思うなら上記のアンカーを設けるのも一考して頂きたいものです(当然、強制ではありません)。
mustan氏はcite属性を表示しないUAが悪いと言った筈なので、私は「id属性を表示しないUAが悪い」と返答します。
私がリンクをしたところで、リンクをクリックしてid属性を確認するのさえ面倒くさがる閲覧者だってざらにいるのですから、「ソースを開いてid属性を確認する」のも「リンクをクリックしてid属性を確認する」のも大して変わりません。と言うかソースを開いてid属性を見るのって非常
が付くほど不便ですか。
第一、部分的に参照させなくても言うまでもなく記事はリソースに存在するのですから、各見出しへ直接リンクする必要はありません。その上で「ソースを開かないとid属性値は確認出来ない。だから不便だ。」と言うのならば、リソースの全ての話題にid属性を書かないと不便と云う事になります。
それと、Internet Site Opinionというサイトの性質上、余所のサイトから言及が来ることは容易に想定出来
るので、私はエチケット随筆集やWeb作成雑記集やウェブ合戦を適度な長さに分けているのです。
cite属性問題Akkyさんの言うとおりの対応をしたところで真名垣さんの名誉を傷つけられる訳でもなく、また仕様上問題のない解決方法があるのに、何故その方法を実行しないのですか。WCAGに沿ったサイト作りを行なっているのであれば、むしろAkkyさんの要望に対応すべき。W3Cの仕様やガイドラインを変に解釈しないで下さい。
WCAGに沿ったサイト作りを行なっている。
その様な流れになる理由が私には理解出来ません。Akky氏の今回の要望はWCAGとは無関係だと思われます。
また、
blockquote要素の中にcite要素を入れて出典の明記を行なうという行為は、著作権法 第二十条 第2項 四号にある「"著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変*"」に十分含まれます。
含まれません。何度も言っている様に、blockquote要素にはcite属性が存在します。それを書けば出典の明示は完了するのですから、cite要素を書く事が「止むを得ない」とは言えません。cite属性が仕様になく、UAに引用元を解釈させる方法がないのならば、引用文を改変するのは「止むを得ない」と認められるでしょう。
ナビゲーションの前に本文の先頭記事へ飛ぶためのアンカーを置けば良いと思います。
ハイパーリンクは常にハイパーリンクでなくなっても矛盾しない構成にする必要があります。「本文へ飛ぶ」式のリンクはそれがリンクとして機能しなくなった時、「何処に飛ぶの?」としか言えないただのテキストになる為、そのアンカーは適切ではありません。
又、各日記の見出しに対して、リストと云う形でリンクをするのも同じ理由で適切ではありません。私は日記に目次を書いた事はありません。
そもそもナビゲーションが長くなってしまう以前に、単一のリソースに約160KB(うち130KBは画像ですが)、テキストの行数にして1300行強も使っている事の方が低速回線ユーザーにはよっぽど不便を強いていることになります。ブロードバンドユーザーに対しても、どれだけ下位のリソースにアクセスするためにスクロールさせる気ですか?
この日記では常に新しい日付を上部に書いているので、下位までスクロールさせる必要はありません。寧ろ私は1日の間に結構な数の記事を書く事が多いので、月ごとのページを週ごとに分割
したところでナビゲーションのリストは長くなる訳で、無駄にリストとリンクでナビゲーションをする方が低速回線ユーザーにはよっぽど不便を強いていることになります
。
音声環境の人は下位のリソースに到達するためにいちいち上位のリソースの内容をすべて聴かなくてはなりません*1。本文の先頭から読みたいけどナビゲーションが長いので本文になかなか辿り着けないという場合は、最初に提示した「ナビゲーションの前に本文の先頭記事へ飛ぶためのアンカーを置く」方法で解決出来ると思います。
新しい日付の日記は上部に書いているので、音声環境でも問題はありません。
そもそもmustanのウェブ日記自体、音声環境では本文に辿り着くまで相当時間が掛かります。製作者側のスタイルシートを無効にすれば明らかですが、まずはてなが自動挿入する上部のナビゲーション、次に題名、日記の検索、最新タイトル、カテゴリー、最新のコメント、最新のトラックバック、本文と云う順序で読み上げられる為、よっぽど音声環境では本文へ到達するまでに時間が掛かるでしょう。しかも全リソースが同じ構成の為、一つの話題に対して一つのリソースを設ける姿勢は良いのですが、音声環境では何れにしろ不便です。
ナビゲーションが長くなってしまうのは、真名垣さんの文書の構成に問題があるとしか思えません。「文書の構成」を理由に本来あるべきナビゲーションをおろそかにするのではなく、「じゃあどうすればうまくいくのか*2」と考える方が、WCAG、ひいてはW3Cの理念に近づけるのではないでしょうか。
勿論、考える事は重要でしょうが、その為に私は新しい記事を上部に書いている訳ですし、各記事へのナビゲーションを用意する方がアクセシビリティ上は問題があります。と言うかWeblogにしろそうなのですが、記事へのリンクと実際の記事を同一のリソースに纏めるのは「欲張り過ぎ」です。
然し、W3C上「正しい」ことと、読者から見た「分かりやすい」ことは別です。 と、こう書くと、「そんなことは分かっている。」と真名垣さんから反論されそうですが、本当に分かっておられるのなら、「この引用文は○○さんの発言です。」と引用部分の近くに付け足しているハズです。 それをしない真名垣さんは、読者の「引用元が分かりにくいなー。」という不満を分かっていないのです。
そもそも私には引用元が分かりにくいな
と云う不満自体が理解出来ません。私が例えば他のサイトでの「喧嘩」を見ていたとして、それがcite属性のみの出典の明示だったとしても、不便だと思った事はありません。寧ろソースを開く程度の手間をとても不便
だと言う方がどうかしていると思いますが。どんなに分かりやすくしても理解出来ない、又は面倒くさがる人はいる訳で、リンクをしたところで引用元が分かりにくいな
と感じる人はいるでしょう。cite属性にしろcite、a要素にしろ似た様なものです。
そうなると、やはり私は読者の「引用元が分かりにくいなー。」という不満を分かっていない
のでしょう。
重要な連絡なので1番上に掲載します(その所為でid属性の属性値が「ちぐはぐ」になっていますが)。
最終的に私とAkky氏の同意の許で私が利用しているISPに今回の引用論争について裁定してもらう事になり、私も真っ向から受けて立つ立場を示していたのですが、今回の論争については私が自ら原文通りに引用文を修正し、Akky氏の主張を受け入れる事にしました。現時点では既に修正が終了しています(一時的にコメント欄がなくなるらしいので、コメントに対する言及は放置状態ですが)。
私が文章の一貫性を捨ててAkky氏の主張を受け入れて原文通りに修正する事を決めた理由は二つあります。
「已むを得ない改變」とはいへないものの、「違法である」ともいへない、といふことになります等の意見も、最終的な決定には反映されなかった訳ですが参考にしました。
一部の方面からは「ISPの裁定による結果」を期待していた方も多くいるみたいで、それらの方々にとっては今まで「譲る」姿勢を全くと言って良いほど見せなかった私がいきなり「譲った」のは「肩透かし」になってしまう訳ですが、「決断したらグダグダ余計な事を言わない」を一つの方針としているので、ここでAkky氏の主張を受け入れる事にします。
Akky氏には結論までの時間が必要以上に「間延び」してしまった事についてお詫びします。
ただ、一つだけ問題があって、何故か最近「何か」の調子が悪くて、メールの送受信に軒並み失敗してしまいます。メーラーが問題なのかISPが問題なのかメールサーバが問題なのかは一切不明瞭のままで、解決策を幾つか採ろうとしたのですが未解決のままとなっています。私は引用した文章を原文通りにして、後は「礼儀」として「謝る」
と云う形でAkky氏の「要求」には十分答え
たと思うのですが、もしあなたがご自分の意思で本件引用文の改変部分を原状に復することを決意されるならば、ご自分でOCNに連絡を取り、著作権者の要請にしたがって本件引用文の改変部分を自ら原状に復する意思を伝え、現に当該改変部分を原状に復してください
と云う用件には答えられそうにありません。
最後に、今後は文章を改変して引用する様な事はしない事にしますが、今回は許されなかった可能性が高いだけなので、「自分の文章の都合上、引用文を加工する事は許される」と云う主張は捨てる積もりはありません。文書がinvalidになるから、アクセシビリティやユーザビリティが低下するから、等の「止むを得ない」マークアップの修正は今後も行う積もりでいます。又、cite属性によるURIの記述は出典の明示となると云う主張も捨てない積もりです。それらに関する論争は何時でも受けて立ちます。
アクセスアップになると踏んで「引用論争」をするのであれば、何か根本的に間違っている様な気がします。 理念理想を求めない「話し合い論争」なら、長々と続ける必要はない。
アクセスアップになると踏んで「引用論争」を
した訳ではありません。ただ、この「引用論争」が起こって以来、飛躍的にアクセス数が上昇したので、その「事実」を述べた上で、「このまま続けば更に伸びる様な気がする」と思い、あの文章を書きました。なので、アクセス向上の為に引用論争をした積もりはありません。特に私は運営する上では「アクセス数」はあまり気にしていません。が、誤解を与えてしまったのは事実なので、文章の方は撤廃しておきました。
全然関係ない話なのですが、自称「とっぷぺーじ」よりもこの日記の方がPVが高いのは自分でもどうかと思う。流れ的には当たり前なんだろうけど。
直接書くと長くなってしまうので、別のリソースに移動。
余談ですが、文字コードをUTF-8からShift_JISに「戻した」ら、文書のサイズが結構小さくなりました。
cite属性とWCAGこの話は以前に色々話題になってましたね。僕は「どっちでもいい派(blockquote内に入れ様が、外に出そうが仕様でOKならOK)」なので、あまり気にしていません。出典を明示するための「"文章の改変*"」ならば問題ないでしょう。そもそも個人的には改変に当たるとは思っていませんが。
確かに出典を明示する為の文章の改変に文句を付ける人はまずいないでしょう。仮にそうすればUAもblockquote要素内に含まれるcite要素が出典の明示であると理解出来る様になります。が、そうなると「cite要素の引用」と「出典の明示の為のcite要素」の区別が付かなくなります。
ちなみにはてなでは
blockquote要素にcite属性とtitle属性を指定するともれなくcite要素がblockquote要素内に現れますが、僕には対処のしようがないので、何卒ご勘弁を。
私の場合は改変は特に気にしないです(文意が変わるほどだと困りますが)。
ISO-HTMLの仕様のみではなく、アクセシビリティの観点から色々考えて頂けると良いかな、と思います。
よく分からないのですが、ISO-HTMLの仕様は知っていますが、私は準拠しているのはXHTML 1.1なのでISO-HTMLは関係ないと思います。私は要素の説明を見る時はHTML 4.01の仕様書を読み、XHTML書き方を見る時はXHTML 1.1の仕様書を読んでいます。
因みに、link要素によるナビゲーションが恐ろしく不便
なのはアクセシビリティの問題ではなくユーザビリティの問題だと思われますが。
ついでに言うと、Operaでは随分とlink要素が使いやすく実装されています。
img要素にalt属性を入れる必要性が分かっているなら、link要素以外にナビゲーションを提供する理由も分かると思うのですが。
分かりません。link要素であればUAの実装次第でどうにでもなりますが、alt属性は製作者が書かないとどうにもなりません。alt属性を書くのは画像が表示出来ない環境の方でも、問題なくコンテンツを利用出来る様にする為です。まさか、画像を解釈して自動的に適切なalt属性を挿入する様なUAなんてないと思いますし。
本当にW3Cの「"理念*"」を理解しているとは思えないですね。
何故理解しているとは思えない
のかをmustan氏は説明してくれないのでしょうか。私の文章を読んだのであれば、私が根拠のない批判を中傷と判断する事くらい分かる筈です。
又、Core Techniques for Web Content Accessibility Guidelines 1.0では、以下の様にしか述べられていません。
A consistent style of presentation on each page allows users to locate navigation mechanisms more easily but also to skip navigation mechanisms more easily to find important content. This helps people with learning and reading disabilities but also makes navigation easier for all users. Predictability will increase the likelihood that people will find information at your site, or avoid it when they so desire.
Examples of structures that may appear at the same place between pages:
- navigation bars
- the primary content of a page
- advertising
A navigation mechanism creates a set of paths a user may take through your site. Providing navigation bars, site maps, and search features all increase the likelihood that a user will reach the information they seek at your site. If your site is highly visual in nature, the structure might be harder to navigate if the user can't form a mental map of where they are going or where they have been. To help them, content developers should describe any navigation mechanisms. It is crucial that the descriptions and site guides be accessible since people who are lost at your site will rely heavily on them.
これを読めば分かるとおり、ナビゲーションがlink要素によって構成されるか、a要素によって構成されるかは定められていません。
と言うか、アクセシビリティとmustan氏は言いますが、ソースを見たなら分かると思いますが、当サイトのナビゲーションは結構長いです。特に下位のリソースになるほど長くなります。それをa要素で行う方がユーザには不親切なのではないですか。音声環境ではリソースを移動する度にそのナビゲーションが一々読み上げられるのですから。
当方が貴方と「特定」したホスト名の主は、今月12日月曜日18:21にえっけんさんのはてなブックマーク(以下「むだの素」)から当ブログへ最初のアクセスを記録し、3度目に「ブックマーク」からのアクセス、4度目に「無為徒食日記」から当ブログへの最も早いアクセスを記録しています。これは丁度、貴方のサイトに当ブログの記事が引用され、リンクが張られたと思われる時間帯と合致するものと考えられます。
私はリンクは張っていないのですから、リンクが張られたと思われる時間帯と合致するもの
と云う推測は完全に間違っています。又、私はAkky氏の記事は一回もブックマークしていません。と言うか、私は事実しか述べていないのだから幾らその様なアクセスログを提示しても、私が認める訳がありません。OCNが調べようと思えば私がどのプロキシを通して、何時、何処にアクセスしたかは丸分かりです。ならば、そもそも私が嘘を付いて「あのOCNのホスト名は私のものではない」と主張する事自体無意味です。
もし仮に、この人物が貴方のサイトで当ブログへのリンクを発見し、それを辿って流れてきた来訪者だとすれば、何故「むだの素」から最初のアクセスが記録されているのか、甚だ疑問です。この当時、「むだの素」には貴方のサイトの記事は1つもブックマークされていなかったのですから、当該人物がそこで貴方のサイトの記事を発見し、そこからこちらへ転々と流れてきたと云う可能性はちょっと低いと思われます。
私も甚だ疑問
です。私は「むだの素」にアクセスした事はありますが、当サイトの記事は1つもブックマークされていなかった
時にアクセスした事はありませんし。と言うか、Akky氏の推測で行くならば、最初私が「むだの素」からAkky氏の記事へとアクセスし、次にブックマークからアクセスし、その後自分のサイトから「日々是自己主張」へと転々と流れてきたと云う可能性
も低いと判断するべきではないですか。そもそも、可能性が低いから、その可能性がなくなる訳ではないのですから、可能性が低いからと言って断定する事は不可能です。
当方が最初に貴方のサイトの記事を見たとき、「むだの素」から当方自身も辿った事のある記事に関する言及が多々あったものですから(貴方が自サイトで最初に扱った当ブログの記事2つもそうです)、これはてっきり、「むだの素」の閲覧者の1人のサイトなのだなと思いました。
私はその当時は「むだの素」の閲覧者の1人
ではありません。若しもAkky氏が「特定」したと「勘違い」しているホスト名・IPアドレスが私のものなら、私はそこまで詳しく自分の情報を「取得」されているのですから、「はい。それは私です。」と認めます。
結局、何が言いたいかと言いますと、当方が「特定」した件のホスト名の主は、「むだの素」で当ブログの例の2つの記事を発見し、それを自サイトで記事にした後で、(どういう理由かは分かりませんが)自分で張ったリンクを辿って当ブログに足跡を残したというのが当方の「推理」です。詰り、件のホスト名の主は貴方だと云う事です。
Akky氏が行ったのは推理
でしょう。それなのに何故件のホスト名の主は貴方だと云う事です
と断定出来るのですか。「むだの素」で当ブログの例の2つの記事を発見し、それを自サイトで記事にした
と推理
した根拠は何ですか。「むだの素」から最初のアクセスを記録し、4度目に「無為徒食日記」から当ブログへの最も早いアクセスを記録
しているだけでは、自サイトで記事にした
とは断定出来ません。
損得勘定と云う点でいえば、貴方が当方の要請に従って、引用文の表記を原状に復したとしても何の損もないと云う事は初めから分かっていた事です。だからこそ当方は、体面に拘って他者から意に反する処分を受ける事のない様にご注意くださいと、敢えて申し上げたわけです。
当方は、自らの思想・信条を守る為に、著作権法を根拠として、真名垣さんによる記事の改変を原状に復してほしいと要請してきました。真名垣さんの言う損得なんてものはまるで考えていませんでしたよ。あちこちに批判めいた事を書かれたって我慢してきました。だから「費用対効果」を無視してやると、ずっと言ってきたじゃないですか。
Akky氏はまた誤解をしています。何時私があの記事をAkky氏に向けて書きましたか。あれはただ私が私なりに「勝った時と負けた時、私はどうなるか」を考えた結果を書いただけです。Akky氏が「費用対効果」を無視してやると、ずっと言ってきた
事なんて知りません。
先ほど来のあなたのホスト名に関する記述を見ると、どうやら貴方は、自分が誰であるかを特定される怖れがない事を前提にして話をしていた様に見受けられますね。本当にそうだとしたら、随分と酷い話です。
これも誤解です。私はただAkky氏が「特定」したと言っているホスト名は私のものではないとしか言っていません。
最後にAkky氏に一つの質問をします。私は今日、一度だけ法律的な論争を法廷外で行うのは無意味だという意見についてへアクセスしました。そこにAkky氏が私のものだと特定した「ホスト名・IPアドレス」はありましたか。あったとしたら、それは何時頃でしたか。或はアクセスは一度だけでしたか。
繰り返し言っておきますが、私はOCNが私の引用は違法であると「判断」し、「警告」した時点で有無を言わず無条件に従う積もりです。一度違法であると判断されたにも拘らず、またそこで文句を言ったら今度は法律上、私は圧倒的不利な立場となりますし、そもそも私はその判断に逆らう気などないからです。
上記の段落はAkky氏に向けたものではありませんので。念の為。
この様な論争が起こっている最中は、外部からの言及に必要以上に反応せず、特に反論する必然性、必要性がない限り言及しない方が良いと思った。読み返すと自分でも何が何だか分からなくなってくる(誰への反論だったとか、その他色々)。
- 何故、サーバー様が満足されるのか?
リンクの神、いわゆるゴッドであらせられますサーバー様は、ご自身の管理されている WWWにて無闇やたらと張られているリンクの現状に大変お哀しみでございました。
サーバー様
ってサーバ管理者と云う意味でしたか。
私はてっきり管理者が利用しているレンタルサーバ業者かと思いました。そういう「俚語」は私には理解出来ません。
「サーバー様」へのリンクは原文のままにしておこうとしたのですが、不正なURIなので止めました。
その哀しみは凄まじく、サーバー様の涙の洪水によって7つの大陸が水没し、マザーボードや電源などあらゆる電子部品がショートして壊れてしまったのです。*1 その後、サポセンの電話が7日間ずっと鳴りやまなかったことからも、サーバー様の哀しみの深さがうかがえるかと存じます。
完全なるネタだと解釈しておきます。
さて、
a要素を使用してリンクを張る際は、必ずサーバー様のご神託を仰ぎ、許可を得た上で必要最小限のリンクを確立しなくてはなりません。 WWWの世界に於いてリンクを張る行為は、とても神聖なものであることをサイト管理人はもっと自覚する必要があるでしょう。
そんな事はありません。WWWでリンクは自由です。WWWはハイパーテキスト、そしてハイパーリンクを中心として成り立っているのです。管理者の意思は関係ありません。WWWの標準化団体であるW3Cもリンクは自由であると大々的に(?)主張していますし。
引用の際、
cite属性に URIを指定する記述方法は、出典の記載であって、リンクではありません。 このことは、リンクの乱立に対して激烈な怒りと深淵の悲しみを顕しておられるサーバー様のお心をいくらか鎮める作用があるのです。引用時、
cite属性に URIを記述するのみに留め、a要素でのリンクは決して行わない、禁欲的とも言えるWebサイト管理人の姿。サーバー様はこれを見て、良しとされた。
私にはどうしても全文がネタであるとしか思えないのですが。特にサーバー様
と云う俚語を堂々と使うところとか、語り口調とか。"かうして、夕があり、朝があつた。第一日。"でもネタか何かだと言われていますし。
先日のを拡張。
cite属性orリンク、それとも?完全なる批判ではないのですが、一応。
真名垣さんも折れてあげられればいいのにな...とは思います。
cite要素(強調部分)を一行をぶち込むだけでさっぱり解決!です。<blockquote cite="引用元文書のURI" title="引用元文書のタイトル"> <p>引用した文章</p> <p><cite><a href="引用元文書のURI">引用元文書のタイトル等</a></cite></p> </blockquote>
cite要素をblockquote要素内に打ち込むと、cite要素の引用になり、それこそ表記の変更どころか文章の改変になってしまいますが。
今回の件と似た様な事ですが、
link要素のみでしか各種ナビゲーションを提供していないのはどうかと思います。FirefoxのLink Toolbarという拡張を入れていたのでたまたま気づきましたが、トップページへ戻る時に可也必死にアンカーを探してしまいました。
マークアップする前の文書に前へ、次へや、<<○○について、>>○○についてと云ったナビゲーションを記述していた経験が私にはないので、a要素を用いたナビゲーションリンクは不当であると思います。
各種ナビゲーションが実用的な形で実装されていないのも、cite属性の非表示と同じくブラウザが対応していないのが悪い
と思います。
例のAkky氏は先方のプロバイダに本件について問い合わせを行い、対応を求めたいと思います
と言いました。実は昨日から気になっていたのですが、私の契約しているISPをAkky氏は分かるのでしょうか。一応私はOCNに契約していますが、最近はプロキシを通しているので私のホスト名、IPアドレスをAkky氏は知る事が出来ないと思いますが。も然して私の契約しているレンタルサーバ業者の事でしょうか。
ところでAkky氏、自分のした引用についての言及は未だに行おうとしません。原文の大幅な改定と、引用文である事が不明確な引用、この2点について、Akky氏は相変わらず無視しています。別に私はこの文章を表記を変更した上で引用されても良いのですが、Akky氏が自分の文章を表記を変更された上で引用される事に対して文句を付けているのであれば、それこそ自己中心的な態度をAkky氏は示している事になります。私とAkky氏がそれぞれ第三者機関
に対し自分の考えを提示する様な場面があったら、その事についても触れておく事にします。
単に相手さんが偏屈なだけ。
とは言え、あの「引用」の仕方では腹を立てるのは分かりますし、そもそもあれは引用ではないと思う。
稀な判例を挙げて「こういう事実もある」と言われても、それだったら「万引きしても御咎め無し」の例もあるわけで、正直、理解し難い発言が多い。
大体、僕のコメント「読者に不親切」に対し「不親切なのはUAであって、自分ではない」と発言しているが、UAが不親切だとしても、それをリンクタグで回避する事が出来るのだから、少なくとも引用元が「そうしてくれ」と発言したのなら聞いてやれって。
稀な凡例と云う憶測による決め付け。そもそも引用で裁判が行われること自体
稀である。一言コメントが合法であると云う判例が
稀ならば、一言コメントが違法であると云う判例も
稀であるとえっけん氏は認識しなければならない。
<a>はアンカーであってリンクではない。リンクは<link>。リンク元1件で、反論するのもどうかと思うし、はてなダイアリーでも無ければ、トラックバックも無しで、コメント書かせてくれない様なブログを書いてる人を相手にするのも、どうかとは思う。アンテナ貼ってくれてる人は、「イチイチ、相手にすんな!」って怒るだろうね。でも、なんか卑怯な人は嫌いだし、kiya君とかTakahashiMasaki氏とかを罵っといて放置するのもアレなんで、また、愚痴りますよ。
この日記は完全手動なのだから、コメントやトラックバックを書けないのは当たり前である。その当たり前の事をこの人は卑怯
だと感じているらしい。私は全リソースにメールアドレスを書いているのだが。
「本気なわけ、ねーだろっ!」(一応、突っ込んであげますね)。自分のブログ内で、散々ネチケット否定をしときながら、こんな事言っても、説得力ないよ。大丈夫(何か、頭とか)?
本気でない=中傷OKと云う認識がYakobu_Yakokohu氏の中にはあるらしい。私はネチケット
を否定
した覚えはまるでないのだが、Yakobu_Yakokohu氏こそ頭がおかしいのではないかと思われる。
「当たり前じゃん!」(一応、突っ込んであげますね)。大体、ブックマークの批判元にある9/5の内容が濃いと思うのか?「僕、ドク。ドク・マムシぃ、三太夫でぇーす!」とか書いてるのにさ…。
その当たり前の事をYakobu_Yakokohu氏が理解していると私には思えなかったので書いたのである。別に私は9/5の内容が濃い
となど一言も言っていないのだが、何処をどう読めばそういう解釈が出来るのだろう。
僕が言ってるのは、「時間を掛けた=労力」。一言批判は、忍びないって事さ。「反論出来ないブックマークコメント+一言批判=そりゃなくねえ?」って事を言いたくてね。
だから私はあの記事を書いたのだが、Yakobu_Yakokohu氏は私の記事を読むも、理解するまでには至らないらしい。ところで、Yakobu_Yakokohu氏はブックマークでのコメントを反論出来ないと認識しているが、本気だろうか。私なんか、堂々とブックマークでのコメントに反論している。何故「出来ない」のかが分からない。
あと、『例え製作者が気分を害したとしても何も問題はない』とか言うのは、止めようね。それは、批判も暴言も中傷も優しく受け止められる、【心の広い人】が発言する事であって、僕らの様に悪口が止められない人間が発する言葉じゃないよ。大体、同じ様にブックマーク攻撃を受けて、14日に君も反論してんじゃん。あれ?お仲間だったの???
Yakobu_Yakokohu氏は何を言っているのだろうか。
WWWでリソースを公開した時点で、言及自体には如何なる問題もないと云う事。私は14日に言及の内容に反論したのであって、言及自体には文句を言っていない。そして私は言及自体には問題はないとしか言っていないのだから、批判も暴言も中傷も優しく受け止められる、【心の広い人】が発言する事であって、僕らの様に悪口が止められない人間が発する言葉じゃないよ
と云う反論が来る訳がない。
ところでYakobu_Yakokohu氏、先程は反論出来ないブックマークコメント
と言ったのだが、ここできっちりブックマーク攻撃を受けて、14日に君も反論してんじゃん
と言っている。Yakobu_Yakokohu氏は統合失調症ですか。
では、この日記は全て本気ではない発言なので、頭がおかしいYakobu_Yakokohu氏は一々反論しないで下さいね。この発言に反論した時点で、Yakobu_Yakokohu氏は自らの主張を自ら裏切った事になりますよ。
ついでに言っておくと、ここではあえて誹謗中傷になる言葉を選んでいます。よって、大多数の閲覧者の方は「苛立つ」か「退く」でしょう。が、Yakobu_Yakokohu氏曰く、本気でなければ誹謗中傷は「あり」らしいので、その主張を尊重しておく事にします。
ホスト名・IPアドレスの主の「特定」方法についてここで公開する事によって、また詰まらぬ議論を呼んでも面倒なので敢えて公開しませんが、言える事は、当方が真名垣さんのものと「特定」したホスト名・IPアドレス等は、ここで書き込みをされた「名無し」さんのものとは違うと云う事です。どうぞご安心を。
今後も同様のご質問を受けると面倒なので言っておきますが、当方は真名垣さんが「OCN」をプロバイダとして使っていると表明するずっと以前から――もっと言えば、あちらのサイトで当方の記事が引用され始めた直後から、この方のホスト名・IPアドレスをある程度まで「特定」していました。ご本人がプロバイダは「OCN」である旨の表明をされた事、及び、この方がこれまでに当ブログへ六十数回に渡って足跡を残されていることが、最終的な「特定」の傍証になった事だけは言っておきます。
済みませんがAkky氏、それは確実に私ではありません。
ところでプロバイダって?でも書いたとおり、私は最近から、正確に言えば先月の半ば頃からプロキシを通してインターネットを利用していました。それはCyberSyndromeで公開されている匿名のプロキシです。そのプロキシが吐き出すIPアドレス・ホスト名はOCNのIPアドレス・ホスト名とは関係がありません。実際、プロキシを通したとしても警察やISPがちょっと本気を出せば本当のIPアドレス・ホスト名は容易に割り出す事が出来ますが、忍者TOOLS等のアクセス解析では不可能です。
又、私は六十数回
もアクセスしていません。大体で言うと20回〜30回程度です。ファイアウォールがアクセスログを記録しているので、確実な記録です。一つ一つ探していくのも時間が掛かり過ぎるのでやっていませんが、大まかに集計しただけでも大体のアクセス回数は割り出す事が可能です。少なくとも、六十数回
はアクセスしていません。
よって、Akky氏が私であると推測しているIPアドレス・ホスト名は私のものではありません。
それから反訴として、当方の引用方法について疑義を申し立てられるのは一向に構いません。然し、当方の引用方法も「違法」とされるなら、恐らくそちらの引用方法の「違法性」も見逃される事はないでしょうね。
もし何らかの「傷」を受ける方があるとすれば、双方と云う事になるでしょう。
私が問題視しているのは「自分は著作権法で述べられている引用方法を満たしていないのに、他人には著作権法で述べられている引用方法を満たせ」と主張するその態度です。
>当ブログへ六十数回に渡って足跡を残されている事
足跡と云うのは詰りページビューのことです。真名垣さんの言うアクセス数20〜30と云うのはページビューベースにすれば妥当な線です。
私もPVの事を言ったのですが。
因みに、Proxy関連情報も取得しています。真名垣さんは当ブログのアクセス解析ではホスト名等の情報を拾う事は出来ないと繰り返しおっしゃっておられますが、どういう訳か拾っているのですから仕方がありません。
私はアクセス解析ではホスト名等の情報を拾う事は出来ない
とは言っていません。プロキシを通した場合、アクセス解析ではその人の「本当の」ホスト名等の情報までは特定出来ないと言っているのです。アクセス解析ではプロキシの吐き出すIPアドレスやホスト名しか取得する事は出来ません。どういう訳か拾っている
のがOCNのホスト名であれば、それは全くの別人なのです。
因みに、私が真名垣さんのものと「特定」したホスト名にて、本日20時少し前に1回、20時10分前後に2回、20時25分過ぎから20時40分前にかけて9回のページビューを確認しておりますが、これは貴方のアクセスを記録したものではないのですか?
違います。私は19時半頃から約1時間、PCをスタンバイ状態にしたままでした。20時25分過ぎから20時40分前
のアクセスについては時計を見なかったので正確な時間は分かりませんが、20時25分過ぎから20時40分前
の間に私はアクセスしたと思います。が、9回
もアクセスしていません。
思ったけど、この論争で第三者機関
が私の引用を違法と判断しても、私は大して損をしない様な気がする。本当の裁判に縺れ込めば、私が負けたら私は可也損をする訳だが、今回は第三者機関
による「判断」に過ぎない。そして、Akky氏自身も当方は金銭的な賠償を求めている訳ではない
と言っている通り、私が負けたとしても、私は引用した文章を原文通りにして、後は「礼儀」として「謝る」だけで、Akky氏の「要求」には十分答えた事になる。私は随分と文章を引用したが、それを原文通りに直すのは10分弱で出来ると思われる。更に、負けた場合でも、それが「私が引用文の改変が正当であると主張してはならない」と云う結論には繋がらない。そう考えると、実際、勝っても負けても「損得」の問題で言えば大して変わらないのかも知れない。
引用論争は続くよ何処までも。
こだわるとは、「心が何かに囚われて、自由に考える事が出来なくなる事」を言うのですね。 なるほど。 では、言い換えましょう。 無為徒食日記さんは、心が W3C に囚われて、自由に考える事が出来なくなっているのではありませんか?
そんな事はありません。事実として、W3Cはcite要素を仕様として用意しています。cite要素は出典の明示を行う要素ですから、W3Cはcite要素によって引用元を明示する行為も認めていると解釈出来ます。ただ、それではblockquote要素との関連が明示出来ず、blockquote要素の中にcite要素を書いたのではcite要素の引用になってしまう為、私はcite属性を用いたのです。
そうなると今度はUAに心が囚われていると言われるかも知れませんが、元々HTMLは最低限の機能で最大限の互換性を実現する規格でした。あらゆるコンピュータでデータを利用出来る様に定められた規格ですから、当然UAの事を第一に考える必要があるでしょう。別に私の文章を引用した人がcite要素とa要素で出典を明示したところで、私は「引用元を明示していないので著作権法違反」と文句を言う積もりはありません。ただ、私は個人的にUAを優先し、cite属性を用いると云うだけの話であります。
えっと、不用意に他人を愚弄する様な発言は、お控えになったほうがよろしいかと存じます。
takopons氏には根拠のない批判が不用意に他人を愚弄する様な発言
だとは思わないのでしょうか。仮に「馬鹿」が言い過ぎだったとしても、何故私が「馬鹿」だと判断したのかと云う根拠を挙げているだけ、根拠のない批判よりは「マシ」だと思いますが。
2桁まで行くかどうかが見物。
黙っていようと思ったけれど、くだんの人物がまたおかしなことをいいだしたので反論しようと思う。
Akky氏は当方は、自ら誤りを正そうとしない人にこれ以上物申すことに価値を認めません
と言いました。Akky氏は無価値の発言をしているのです。
まず第一に、「『止むを得ない』が消極的なものに対し、『必要』は多くの場合積極的なもの」という解釈につき、いかなる法的根拠に基づいてその様な解釈をされているのかをご説明いただきたい。
私のあの文章は法的根拠
に基づいた発言ではありません。著作権法には前三号に掲げるものの他、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし止むを得ないと認められる改変
と書かれていました。私はそれを基に漢字への変換が合法であると主張しました。そして、takopons氏はその変更はどうしても必要なものだった。というワケですね。
と言って私に反論を行いました。然し、止むを得ない
と必要
は異なるものであると、私は「国語的根拠」に基づいて主張したのです。そこに法的根拠
は関係ありません。
第二に、「Akky氏は何故表記の変更をされたくないのかを述べず、逆に私は表記を変更した理由を述べたのですから、その場合は改変が認められると解釈しても良いのではないですか。」とあるが、判例・法例の解釈上、同一性保持権は引用者が改変の理由を述べればそれで足りるという程度の緩やかな権利制限と見るべきではなく、法例の趣旨に照らして、引用者による改変理由が著作権者の同一性保持権を制限するに妥当と認められる場合にのみ認められるものと解する。もしそうではないとするならば、その法的な根拠を明確に示していただきたい。
Akky氏は根本的な所で誤解をしています。私は引用者が改変の理由を述べればそれで足りる
とは一言も言っていませんし、思ってもいません。Akky氏は何故表記の変更をされたくないのかを述べず、逆に私は表記を変更した理由を述べたのですから、その場合は改変が認められると解釈しても良いのではないですか
と私は書き、Akky氏はそれを引用したのですから、それくらいは読み取ってくれても良いのではないでしょうか。
「被引用者」に理由はあるが、「引用者」に理由はない。「被引用者」に理由はあるが、「引用者」にも理由はある。「被引用者」に理由はないが、「引用者」に理由はある。「被引用者」に理由はないが、「引用者」にも理由はない。それらは全く異なります。裁判官は自分の良心に基づいて判決を下す事が許されています。理由の有無によって、表記の変更が認められるかどうかは左右すると言っても良いのではないですか。
そもそも、当方の記事が「表記に一貫性を持たせ」ていないかの様なこの記述は甚だ心外である。
私はAkky氏が「表記に一貫性を持たせ」ていない
とは一言も言っていませんし、思ってもいないのですが。
「止むを得ない」が消極的なものに対し、「必要」は多くの場合積極的なものです。
平仮名を漢字に直す事で、表記に一貫性を持たせる事は、私は大切であると思っています。無論、それは単なる「感情論」ですから、私の心情は無意味かも知れません。
然し、被引用側が何らかの理由があって表記の変更を禁止し、引用側が特に理由もなく変更したのであれば問題ですが、Akky氏は何故表記の変更をされたくないのかを述べず、逆に私は表記を変更した理由を述べたのですから、その場合は改変が認められると解釈しても良いのではないですか。
Akky氏はこの部分を引用しました。では、何処に「表記に一貫性を持たせ」ていないかの様な
記述
が存在するのでしょうか。Akky氏が漢字・かな表記は、当方の文化的思想・信条等に基づき、その反映として選択している
のは分かります。が、私は、私の選択
とAkky氏の選択
に違いが生じた時、私がAkky氏の文章を引用したら私の選択
とAkky氏の選択
が混同してしまい、文書全体の一貫性がなくなってしまうと言っているのです。
当方の漢字・かな表記は、当方の文化的思想・信条等に基づき、その反映として選択している表記方法であり、その表記を引用者が勝手に改変することは当方の著作権を侵害するものと解する。
表記を引用者が勝手に改変する事は著作権の侵害だ。何故なら、俺の漢字・かな表記は俺の考えに基づき選択している表記方法だからである。
これで大体は合っているでしょう。この意見は御尤もです。そして、その例外を設けているのが前3号に掲げるものの他、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし止むを得ないと認められる改変
と云う部分です。然し、Akky氏は参考文献を基にして私が行った表記の変更は不当であると主張しています。勿論、それに対して私は反論する訳ですが、このまま前3号に掲げるものの他、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし止むを得ないと認められる改変
と云う部分を引用してもあまり発展する気配がないので、今回は別の観点から見てみます。
著作権法は著作物を思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの
と定義しています。これが著作物です。そして、この定義に当てはまらない物は著作物ではありません。詰り、その著作物ではない物の改変は無条件で許可されます。そして、Akky氏の文章は言うまでもなく著作物です。が、保護されるのはあくまでもAkky氏の創作的な表現です。表記は著作物の定義には当てはまりません。表記が思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの
に当たらないと云う事は言うまでもありません。
もし上記2点について、納得のいくご説明をいただけない場合は、「無為徒食日記」に対して当該引用文の削除または訂正を要求する。
私が幾ら説明をしたところで、Akky氏が納得する筈がないではないですか。私の「国語的根拠」に基づいた発言に対して「法的根拠」を求めたり、引用者が改変の理由を述べればそれで足りる
とか「表記に一貫性を持たせ」ていない
と云う愚論をでっち上げたりと、それこそ我田引水な論理展開をしているのですから。
裁判官に判断させれば違法と判断されない「かも知れない」と云う理由で、自分の行為を正当化しようとすると云うのは、いやはやなんとも、お話になりません。これでは、著作権者が先方の違法性を主張する為には、その事案を法廷の場に持ち込む他ない事になります。
Akky氏はまた間違った解釈をしています。私は判例に基づいた上で裁判官に違法ではないと判断される可能性があると主張したまでです。マシンガンで大量殺人を犯したならいざ知らず、裁判官は自分の判断と良心によって判決を下す事が許されているのですから、今回の様な例では「可能性」の話にしかならないではないですか。それとも、Akky氏は「同意」としか「本文」のない様な引用は判例上、認められていません
と判例に基づいて文句を付けておきながら私が判例に基づいて反論するのは話にならないとでも言うのですか。或は「判例・先例があろうと俺が違法だと判断したら違法なんだ、相手の弁解なんて知ったこっちゃない」とでも言う積もりですか。そしてそれが最終的に著作権者が先方の違法性を主張する為には、その事案を法廷の場に持ち込む他ない事にな
ると云う結論に繋がったのでは、いやはやなんとも、お話になりません
。
ところで、Akky氏が私を批判しているのは引用の条件を満たしていないと捉えたからでした。然し、私にはAkky氏こそ引用の条件を満たしていないとしか思えません。
<span style="font-style: italic;"><span style="font-size: 75%;">「止むを得ない」が消極的なものに対し、「必要」は多くの場合積極的なものです。<br>
<br>
平仮名を漢字に直す事で、表記に一貫性を持たせる事は、私は大切であると思っています。無論、それは単なる「感情論」ですから、私の心情は無意味かも知れません。<br>
<br>
然し、被引用側が何らかの理由があって表記の変更を禁止し、引用側が特に理由もなく変更したのであれば問題ですが、Akky氏は何故表記の変更をされたくないのかを述べず、逆に私は表記を変更した理由を述べたのですから、その場合は改変が認められると解釈しても良いのではないですか。</span></span>
これがAkky氏の引用です。そして、以下が私の記述した原文です。
<p>「止むを得ない」が消極的なものに対し、「必要」は多くの場合積極的なものです。</p>
<p>平仮名を漢字に直す事で、表記に一貫性を持たせる事は、私は大切であると思っています。無論、それは単なる「感情論」ですから、私の心情は無意味かも知れません。</p>
<p>然し、被引用側が<em>何らかの理由があって</em>表記の変更を禁止し、引用側が<em>特に理由もなく</em>変更したのであれば問題ですが、Akky氏は何故表記の変更をされたくないのかを述べず、逆に私は表記を変更した理由を述べたのですから、その場合は改変が認められると解釈しても良いのではないですか。</p>
Akky氏にとって、これは表記の変更をしていない引用であるそうです。が、実際は可也書かれている内容は異なります。
又、引用である事も明確ではありません。
<br>
著作権法上の同一性保持権についてざっと調べた結果を上記に引用してみた。何れの解釈を見ても、著作権法第20条2項4号における「やむを得ないと認められる改変」がかなり厳格に解釈されていることが分かる。<br>
一方、件の「無為徒食日記」において、この「やむを得ないと認められる改変」の解釈について下記の記述がなされている。<br>
<br>
<span style="font-style: italic;"><span style="font-size: 75%;">「止むを得ない」が消極的なものに対し、「必要」は多くの場合積極的なものです。<br>
<br>
平仮名を漢字に直す事で、表記に一貫性を持たせる事は、私は大切であると思っています。無論、それは単なる「感情論」ですから、私の心情は無意味かも知れません。<br>
<br>
然し、被引用側が何らかの理由があって表記の変更を禁止し、引用側が特に理由もなく変更したのであれば問題ですが、Akky氏は何故表記の変更をされたくないのかを述べず、逆に私は表記を変更した理由を述べたのですから、その場合は改変が認められると解釈しても良いのではないですか。</span></span><br>
<br>
<div style="text-align: right;"><a href="2005/09.html" target="_blank">「無為徒食日記」<a><div><br>
<br>
まず第一に、「『止むを得ない』が消極的なものに対し、『必要』は多くの場合積極的なもの」と云う解釈に付き、如何なる法的根拠に基づいてその様な解釈をされているのかをご説明いただきたい。<br>
これで引用である事が明確だと言えますか。Opera等のグラフィカルUAで、製作者側のスタイルシートをONにすれば引用である事は分かりますが、UAはこれを引用だとは判断出来ません。仮に見栄えのみを考えるとしても、問題があります。製作者側のスタイルシートを切ってしまえば引用だと分かりませんし、Lynxだと明らかに区別が明確であるとは言えません。Lynxユーザは案の定少数派な訳ですが、少数派だから無視して良いと云う訳にはなりませんし、私はLynxをOperaの次によく使います。若しも私がOperaではなくLynxを使ってAkky氏のウェブサイトを見たとしたら、引用文の区別は難しかったでしょう。
原文の表記を大幅に変更し、引用文である事を明確にせずに人の文章を引用しておきながら、私の表記の変更を否定する積もりですか。ふざけないで下さい。
色々な所から今回の引用論争について言及されている様です。
cite属性orリンク、それとも?背景画像を固定している所為でスクロールが「がたつく」ウェブサイトがあるが、そういうのって大抵スクロールする前に予測が付く。いや、どうでも良い話だけれど。
富士通と富士通フロンテックは、顧客が自分で精算出来るレジを開発したと発表した。「セルフチェックアウトシステム」として富士通から10月3日に発売する。レジ店員を削減出来る他、レジの待ち時間も減らせるとしており、スーパーマーケットやホームセンター等への導入を見込む。「レジは限りなく無人化していく」と同社担当者は話し、今後はRFIDなど先端技術を使った無人精算システムの開発も進めて行きたいとした。
同社によると、セルフチェックレジは、2000年頃から欧米で導入が始まっている。米国では2004年度時点で4.7万台普及しており、全レジの2%程度がセルフ型になっているという。同社は北米シェア2位、36%を占める。
国内でも今後3年でPOSレジの2%、5000台が無人に置き換わると同社は予測。欧米で販売中のシステムを日本向けにカスタマイズして投入する。同社が長年培ってきたPOSと銀行ATMシステムのノウハウを融合。現金払いが多い日本人向けに、現金の挿入口やつり銭の補充機能などを改良し、本体サイズも小型化した。
高速道路の無人ゲートがあれだけ「こけた」からなあ。無人レジもまた「こけそう」な予感がする。尤も、高速道路の場合は料金が高い事と、手続きが必要な事、手続きが終わっても暫くしないと利用できない事等、問題が多かったから「こけた」訳だけれども。
例によって、cite属性で出典の明示、そして漢字への変換。
貴方の視聴率は 6.6%です
- 因みに瞬間最高視聴率は「お風呂に入ろうとしたら水だった瞬間」の 7.4%です。
- 貴方がテレビに出演するとテレビ局は 150万円の利益になる様です。
- 貴方がボキャブラ天国のネタになると、バカシブの5.6に置かれます。
- 貴方がトリビアのネタになると 64へぇ獲得。
- もし貴方が笑点に出場すると番組内で座布団を10枚貯める事が出来ます。
- もし貴方がクイズミリオネアの司会者になると、 6899人が心臓麻痺を起こします。
- もし貴方が水戸黄門の格さんになると、斬り 10回、蹴り 18回、
1回の末、 20時 48分 31秒に印籠を出すでしょう。
視聴者の意見は・・。
- たまにはニュース見よう。(48歳男)
- 冷静な人ですね。(29歳女)
- もう少し分かりやすいギャグ言ってほしい。(32歳男)
貴方は、卒業写真の右上に小さく写ってる様な、目立った人間の様です。貴方はどうやら馬鹿で過ごした方が幸せになれる様です。
・゚・(ノД`)・゚・
個人がPerlスクリプトでWeblogを作ってしまうのは凄まじい。そして、それ以上に吐き出すHTMLが凄まじい。
一昨日辺りから、このログの量が急激に増加した。言うまでもなく引用論争が起きたから。この時点で有り得ないほどに長くなってしまった。現在、1番長いログが8月のログである。約170KBある。そして、この日記はまだ半月しか経っていないのに約160KB。長いなあ。でも、1月1ページで頑張る。
HTMLには詳しいが、日本語が不自由なのかもしれない。記事を読むのは読者であって、コンピュータではない。
思うんすけど、この人は、単に被引用者と読者に激しく不親切なだけじゃないかと。
無為徒食日記さんは、「W3Cの中の人とサーバー様にご満足いただければそれで良い。」と、お考えなのかも?
cite属性で出典を明示したところで、W3Cの中の人も
サーバー様も満足する訳がありません。W3Cやサーバにとって、私個人の事などどうでも良いのではないですか。そもそも
cite属性での出典の明示が、W3Cならまだしも、サーバと結び付く理由が私には理解出来ません。Akky氏は更に誤解を繰り返していきます。
くだんの人物ですが、ついにふざけるなと逆切れです。逆切れすれば、ご自分の違法行為がうやむやになるとでも思っておられるのでしょうか。
Akky氏は冷静を装って私が違法行為を働いていると兎に角強調しようとします。然し、Akky氏は自らの自分の違法行為
は完全に無視しています。Akky氏は「俺は引用の条件を満たさないがお前は引用の条件を満たせ」と言う自己中心主義者なのです。
……と思ったら、最初に見たとき(9/15pm4:20ごろ)といま(同日pm6:40)とで、文面が微妙に違っていますね。最初の文面はすべて保存してあるので、なんならその証拠をお見せしてもいいのですが、まあ、さしあたりそれは放っておきましょう。
文面を書き直したのだから微妙に違ってい
るのは当たり前です。わざわざ証拠を見せなくとも私は書き直したと認めます。書き直してはいけないと云う決まりはそもそもありませんし。
どうも誤解されている様なので改めて申し上げておきますが、当方は最前から、あなたのサイトにおける当方の記事の引用について、あなたの「法的責任」を問うているわけです。そこに引用された当方の記事が著作権法に違反するかどうかということを法的に解決しようとしているのです。国語的な根拠なんてものはこの際どうでもよろしい。時間の無駄です。
Akky氏は、私がtakopons氏に書いた記事を勝手に自分に向けられたものだと思い込み、勝手に「法的根拠」を求め、反論されるとどうでもよろしい
といとも簡単に切り捨てます。馬鹿だからです。Akky氏は時間の無駄
だと言いますが、そもそも私のtakopons氏への反論に勝手に「法的根拠」を求めたのは誰ですか。
あなたはこの一連のやり取りを個人間の「論争」という程度にしか捉えていない様ですが、本件事案はすでに、当該引用が著作権法に違反するかどうかという「法律上の紛争」になっているということをお忘れなきよう(民事司法の場はあくまで個人間の法律上の紛争を解決するための場であって、司法の俎上に乗っていないからといって、法律上の紛争が起きていないことにはなりません)。
紛争とも言えますが、私とAkky氏がそれぞれ「原文の改変」について違法か合法かを主張しているのですから、論争でも間違いではないのではないですか。
この紛争を法的な観点から解決するに当たり、当方はあなたの当該引用に関わる法的な解釈を求めたわけです。然るに、最新記事を見ますと、あなたはそれを単なる国語的な問題にすり替えて論じようとし、結局のところ、何らの法的根拠を述べることもなく、果ては、「表記」が「表現」の範疇に入らないという「珍説」を持ち出す始末です(この際、この一文の法的根拠もお尋ねしておきましょうか)。
Akky氏は本当に私の文章をきちんと読んだのかと小一時間問い詰めたい。
私は「止むを得ない」と言ったのに、takopons氏は「どうしても必要だった」と解釈してしまいました。それに対して私は「止むを得ないと必要は意味が違う」と主張しただけの話です。そこに勝手にAkky氏が「法的根拠」を求めてきたのです。Akky氏は根本から論点を摩り替え、私が元々の論点を説明したら、すり替え
と言ってきたのです。Akky氏の様に、自分で根本から論点を摩り替え、相手がそれに「付き合わない」と論点の摩り替えと見做そうとする自己中心主義を私は否定しているのです。
ついでに、表記が表現の範疇に入らない事は、Akky氏の言う最新記事
で既に説明しました。Akky氏は致命的に読解力に欠けているのです。
あなたはあくまで個人間の「論争」の範疇で事を収めようと考えておられる様ですけれども、当方にはそのつもりがないことをここで繰り返し申し上げておきます。当該引用が著作権法上「違法」であるかどうかという問題は個人間の「論争」レベルで解決できる問題ではありません。
私は「引用文の改変は認められている」と著作権法に基づきながら主張し、Akky氏は「引用文の改変は著作権の侵害である」と著作権法に基づきながら主張しました。これは明らかに論争
です。Akky氏が論争
ではないと思っていても、論争
が論争
である以上、私はこの争いを論争
と呼びます。
あなたが先の当方からの要求(当該記事の削除または訂正)に従うことなく、これまでの様ないい逃れを続けられる様であれば、当方はあなたが利用されているプロバイダ等の第三者機関に連絡を取り、本件の経過を説明した上で、著作権法違反を根拠として当該記事の削除または訂正を要請することを検討します。
どうぞご自由に。ところで、私は原文の改変が著作権の侵害ではない事を既に主張したのですが、そちらは無視ですか。或は、珍説
と言っただけで否定は終了とでも思っているのですか。現時点では「引用文の改変は認められている」と云う私の最新記事に於ける主張に、Akky氏は具体的に根拠を挙げて反論しようとしません。その状態で当該記事の削除または訂正を要請
しても、通らない事は自明であります。
当該引用に関して、当方とあなたの見解が相違していることは、これまでの紛争の経過から見ても明らかです。ですからこれ以上、あなたが当方に対して、少なくとも法的根拠に基づかない反論記事を書かれることは実質的に無意味です。
私はAkky氏に法的根拠に基づ
いた上で反論したのです。私はAkky氏に反論する際、何度著作権法の内容を引用したと思っているのですか。実質的に無意味
なのは、Akky氏には読解力が致命的に欠けているからです。
そればかりか、今後の第三者機関による裁定の際に、あなたにとって不利な証拠となる可能性もありますので、不必要な反論はお止めになるよう敢えてお勧め申し上げます(なお、当方は今後も逐一、あなたの記事を証拠としてデータ保存させていただくことを申し上げておきます)。
大きなお世話です。不必要な反論
かどうかは私が判断します。ところで、Akky氏は原文を大幅に改変し、引用である事も明確にしていなかったのですが、何故そちらには一切触れようとしないのですか。
Akky氏は私が何を言おうと、反論出来る所にだけ反論し、反論出来ない所には根拠なく珍説
だと極付けます。私が「ふざけないで下さい」にも言ったにも拘らず、Akky氏は未だにふざけた上で自分の無理を押し通そうとしています。が、人の話を聞かずに一方的に話を進める馬鹿に挑発されて逆上するほど、私は鶏鳴狗盗ではありません。
もしあなたがあくまでも、著作権法の規定に照らしてご自分の引用方法に違法性はないと主張されるのであれば、あなた自身のためにも当方のためにも、プロバイダ等の第三者機関にその当否を法的に裁定してもらうのが最良の方法であると考えます。その際、今回の記事であなたが書かれた様に、当方によるあなたの文章の引用方法が著作権法に違反している等の反訴を行うことも可能でしょう。その当否についても、第三者機関に裁定してもらえばいいことです。
私もそれが最良の方法であると考えます
。
あなた自身、最終的には裁判官に判断してもらうしかないとおっしゃっておられるのですから、その前段階として、第三者機関に裁定を申し入れることは望むところでありましょう。然しおそらく、第三者機関はあなたの望む様な国語的な解釈ではなく、法的な解釈としてこの問題の裁定をすることと思われます。少なくとも当方はその様な方向で話を進めるつもりです。法的な観点から見て、本件引用の違法性を判断してもらい、もし違法性があるならば、当該記事の削除または訂正を求めるつもりです。
「止むを得ない」が「必要」であると解釈されてしまった事への反論は、「原文の改変は違法か合法か」と云う論点とは関係がありません。Akky氏は、私が「日本語にずれがある」と云う旨を指摘した事について、法的根拠があると勝手に勘違いしたにも拘らず、勝手に私が国語的な解釈
を望んでいると決め付けているのです。
尚、私はプロバイダ等の第三者機関にその当否を法的に裁定してもら
い、私の引用が「違法である」と判断された時点で、自分の敗北は認める積もりであります。その際、改変部分については修正し、「同意」と書いた部分は全体を削除する予定です。最終的には裁判官に判断してもらうしかない
とは言っていないので、裁判にまで縺れ込ませる積もりは私にはありません。
当該記事を削除または訂正するか、もしくはプロバイダ等の第三者機関に双方の主張の法的な当否を裁定してもらうか、あなたの採るべき道は二つにひとつです。どちらを選ぶのもあなたの自由。よくよくお考えの上、ご対処ください。
なお最後にご忠告までに申し上げておきますが、体面にこだわるあまり、自ら身を処する機会を失い、第三者機関の裁定によって意に反する処分を受けられる様なことのないよう、切にお祈り申し上げます。
私が体面にこだわるあまり、自ら身を処する機会を失
っていなくとも、意に反する処分を受けられる様なこと
は幾らでもあるでしょう。
尚、私もAkky氏が最後まで表記の変更は違法であると判断するなら、一つの参考文献として青空文庫の2)出版社の許諾は必要かを読んでおくと良いかと思われます。こちらは第三者機関
が示した公正な見解であります。
今度は外部からの批判です。こういうのをやっていると、数年前に交わされた野嵜さんといずしさんの「闇黒式引用」についての論争を思い出します。
元記事の改ざん
ただ「同意。」のひと言を添えるために、何故わざわざ元の文章を改変する必要があったのか? しかも、その変更点は、「ひらがな」を漢字に変換しただけ。 不可解ですね。
ただ「同意。」のひと言を添えるため
であろうと、原文の表記を変更しなければ、例えば平仮名の「いわゆる」と漢字の「所謂」が混同してしまいます。原文を改変する事が許されるかどうか、或は改変する必要があるかどうかと云う問題に於いて、コメントの長さは関係あるのでしょうか。問題なのは文章の記述が一貫しているかどうかの1点です。
引用元の隠ぺい
無為徒食日記さんの引用方法は、日々是自己主張さんからの引用であることが(表面上)見えない様になっています。 確認のため、無為徒食日記さんの HTML ソースを開くと、
<blockquote cite="http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/303">の記述があるので、どこからの出典かは分かります。 然し何故、リンクを表に出さないのでしょうか?ひらがなを漢字変換する余裕があるにも関わらず、引用元のリンクをハッキリ明示しないのは、どうしてなのだろう?
まずリンクを表に出さない
と云う表現は不適切です。cite属性はリンクではありません。
仮に私が<cite>タグと<a>タグで出典の明示をしたところで、それがblockquote要素と関連があるとは断定出来ません。HTML文書を読むのは人間ではなくUAです。そのUAはプログラムなのですから、blockquote要素の近くにa要素があっても、そのa要素が直前のblockquote要素の出典を明示しているとは判断出来ません。
若しかしたら、blockquote要素の直後のa要素は別の出典を明示しているかも知れません。逆に、a要素はその直前のblockquote要素の出典を明示しているかも知れません。それをUAが判別する事は不可能です。然し、cite属性であれば確実です。属性として書いているのですから、cite属性で示されたURIは引用元のURIである、詰り出典の明示であると断定出来ます。仮にそのcite属性がblockquote要素の出典を明示していないなら、それは書く側の問題であり、その場合は「引用の条件を満たしていない」と言えるでしょう。
そもそもHTMLはコンピュータの為の言語です。だからこそ、cite属性の様に、結び付きが断定出来る様な仕様が必要なのであります。人間はa要素とblockquote要素の結び付きを簡単に理解出来るでしょう。が、それがHTMLである以上、人間の目を理由としてcite属性のよる明示を否定するのは、根拠に乏しいと言わざるを得ません。blockquote要素は「ブロックレベル要素での引用」を示すものであり、cite属性は「引用元の明示」を行うものです。そこにUAのレンダリングと云う「見栄え」が介在する余地はありません。
尚、takopons氏はblockquote要素内にa要素を記述する事で、当サイトの文章であると云う事を明示しました。然し、blockquote要素内に存在しているのであれば、それはリンクの引用に過ぎません。それは出典の明示にはなりません。そしてtakopons氏はただ<blockquote>と書いているだけで、cite属性は書いていません。これでは、HTML文書に於いては引用元を明示していない引用だと云う事になります。「だから有罪」と判決を下す様な裁判官は流石にいないと思いますし、私はその点について「出典を明示していないではないか」と文句を付ける気はありませんが。
明示しているか?
blockquote の cite 属性によってリンク元が表示されるのは、IE以外の一部のブラウザだけです。 cite 属性が有効に機能しないのであれば、それは「明示している」とは言えない。と私は考えます。
ここで、「それはブラウザが cite 属性に対応していないのが悪い。」と、問題をすり替えられてしまう恐れがあるので、あらかじめ申しておきます。
「リンク表記は、アンカータグ
<a>が利用できるのだから、blockquote の cite 属性にこだわる必要はありませんよ」と。
文字参照の;を書き忘れていたみたいなので、ここでは修正してあります。
「Internet Explorer以外の一部のUAしかcite属性を表示出来ないので、明示とは言えない」と云う意見は尤もらしく聞こえますが、これには3点の誤りがあります。
はっきり示す事を言います。引用する時には出典の明示が必要です。が、逆に言えば、明示をしていれば引用の際の条件の内の一つは満たした事になります。Internet Explorerが
cite属性を表示出来なかったとしても、ソースには間違いなくcite属性が記されています。明示はあくまでも「記述」に過ぎないのですから、UAの「表示」は関係ありません。cite属性を表示出来ません。が、HTML文書の作成者がInternet Explorerのレンダリング結果に基づいてHTML文書を作成しなければならないとする根拠はありません。HTMLは論理構造を形式的に明示する為のマークアップ言語です。見栄えは規定していません。特に私は仕様では非推奨になっていない要素であろうと、見栄えに関するものであれば使用はしないと云う点で徹底しています。例えばb要素はHTML 4.01やXHTML1.0、1.1では非推奨になっていませんが、見栄えに関する要素なので使いません。その様な私にInternet Explorerのレンダリングを押し付けられても困りますが。cite属性が有効に機能しないInternet Explorerでも、ソースの表示は出来ます。私は右クリック禁止もソースの暗号化も用いていません。ソースを見れば、出典が明示されている事は明らかです。HTML文書に於いて、a要素を用いずにcite属性を用いる理由は十分あります。先程も似た様な事を言いましたが、引用文と出典の明示の間には必ず「関連」が明示されていなければなりません。blockquote要素の直後、或は直前に<a>を書いたところで、それがblockquote要素と「関連」しているとは言えません。が、cite属性であれば間違いなく「関連」が明示されていると言えます。
更に言うならば、「引用元が明示されているかどうか」は間違いなく法律に関する問題です。「cite属性は多くの一般人が利用しているInternet Explorerでは表示出来ないから、明示ではない」と言って、引用側が訴えられたとしましょう。その時、引用側はソースにcite属性が記述されている事を説明すれば、間違いなく無罪です。その場合「明示されている」と主張する側も「明示されていない」と主張する側も、裁判官に自分の主張が認められる事のみを前提として主張します。私もAkky氏も「この引用は法令に反するか」と云う1点を問題としています。ならば、両者とも「法律についての考え方が他者に認められる事を目指す」と云う事を前提としているので、「では、他者とは言うが実際、誰に認められれば良いのか」と云う疑問が出てきた時、その答えは間違いなく「一般人」ではなく「裁判官」です。「論争の相手」でも良いでしょう。その場合、Internet Explorerには利用者が多いと云う一般人に関する情報は関係ありません。
…それにしてもtakopons氏、「リンクをすれば良い」とは言いますが、若しもhref属性を表示しないUAが現れたら、今度は「リンクでは「明示されている」とは言えない」とでも主張する積もりでしょうかね。
私は「一般人に関する情報は関係ない」と言いました。私はtakopons氏がInternet Explorerのレンダリングを引き合いに出して来た理由は、「Internet Explorerの利用者は多いから」であると解釈しています。然し、takopons氏は「多くの一般人が利用している」と云った事は口にしていません。ならば、takopons氏は利用者の数は関係なく、Internet Explorerがcite属性を表示出来ない事に問題があると考えている、と解釈する事も出来ます。が、その場合、やはりhref属性を表示しないUAが現れたら、takopons氏はリンクによる出典の明示は不当であると主張しなければなりません。
その様な、論理に一貫性が存在しない「現実主義」的な考え方を、私は受け入れたくないのです。
無為徒食日記の管理人:真名垣さんは、改変が許可されているから、「できる」から改変した。と説明されてます。 つまり、「同意。」と言い添えるためだけに引用文に対して著作権法上許可されている改変(ひらがな→漢字変換)を施した。 しかも、その変更はどうしても必要なものだった。というワケですね。
この文章は間違っています。私はどうしても必要なものだった
とは一言も言っていません。嘘だと思うなら、UAのページ内検索機能で「必要」を検索してみて下さい。
私が引用した文章の中には特定の電子計算機においては利用し得ないプログラムの著作物を当該電子計算機において利用し得る様にする為、又はプログラムの著作物を電子計算機においてより効果的に利用し得る様にする為に必要な改変
と云う文章がありました。然し、私が見せたかったのはその後に続く前三号に掲げるものの他、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし止むを得ないと認められる改変
と云う文章です。「止むを得ない」が消極的なものに対し、「必要」は多くの場合積極的なものです。
平仮名を漢字に直す事で、表記に一貫性を持たせる事は、私は大切であると思っています。無論、それは単なる「感情論」ですから、私の心情は無意味かも知れません。
然し、被引用側が何らかの理由があって表記の変更を禁止し、引用側が特に理由もなく変更したのであれば問題ですが、Akky氏は何故表記の変更をされたくないのかを述べず、逆に私は表記を変更した理由を述べたのですから、その場合は改変が認められると解釈しても良いのではないですか。
この先、法律云々で争っても互いに平行線のままでしょう。 私も疲れてきたので、そろそろ言いたいことをハッキリ書いて寝ようと思います。
- 上手な引用方法を考えろ!
著作権法がどうであれ、元記事の著者から不快感を表明される様な引用のやり方はマズイ。 せっかく引用するならば、もっとスマートにエレガントに、「引用してくれてありがとう、嬉しいよ。」と原作者から感謝されるくらいの引用を心がけるべきです。
私もAkky氏も法律についての論争を交わしていたに過ぎないのですから、著作権法がどうであれ
と言われてしまったのでは堪りません。そもそも「関連」が明示されないa要素による出典の明示が上手な引用方法
と言えるのでしょうか。
- 費用対効果を考えろ!
「同意。」と、うなづくためだけの引用にしては、手間をかけ過ぎている。 その後、元記事の作者(Akkyさん)からの抗議に反論するべく書かれた内容は、法を盾に自己正当化の弁解をしているに過ぎない。 ってゆーかね、うなづき系の記事引用だったにしては、ゴタゴタしちゃって大変ですね、と。
法律についての論争に於いて法を盾に
するのは当然です。と言うか、「この引用は著作権法に反するか」と云う議論に於いて、法律以外に何を盾にしろと言うのでしょうか。法を盾に自己正当化の弁解をしているに過ぎない
とは言いますが、法を盾に自己正当化の弁解を
する事が悪い事であると、takopons氏は説明しません。説明出来ないからです。
- リンク方法を考えろ!
ブラウザ環境によって表示されるかされないか分からない cite 属性に固執せず、素直にアンカータグを打てばいいに。 まぁ、編集作業はラクに行きましょ、ラクに。
私にとって表示されるかされないか分からない
事はどうでも良い事です。ところで、takopons氏はhref属性を表示しないUAは存在しないと何を根拠に言っているのでしょうか。
- つまらんことでケンカするな!
Akkyさんの文章を一部引用して、真名垣さんが同意しました。 お互いの考えが一瞬とは言えシンクロしたにも関わらず、引用方法と改変の是非について対立することになってしまった。 ネット・マナーに一家言を持っておられるお二方なれば、ここは歩み寄りの姿勢を見せ、マナーの手本を示していただきたいものです。
takopons氏は論争が発生したら歩み寄りの姿勢を見せ
るのがマナーの手本
であると主張します。出来ればそう云った考えに至るまでの経緯や根拠を示していただきたいものです
。論争はあくまでも論争なのですから、気が済むまで言いまくれば良いのです。
takopons氏はコメント欄でも色々と述べていたので、そちらにも反論しておきます。takopons氏以外の人が書いたコメントにも文句ありまくりな訳ですが、大体はこの日記の内容そのままで反論出来そうなので、特に取り上げる様な事はしないでおきます。
私は IE至上主義者ではありませんが、アクセシビリティの観点から考えると、IEでもフツーに(=余計な操作なしで)見れてこそ初めて「明示した」と言えるでしょう。
takopons氏はソースを表示すると云う作業を余計な操作
だと言っています。
ある人が書いた論文が、雑誌に掲載されたとしましょう。その論文では色々な場所から様々な意見を引用しています。然し、一々出典を明示していると冗長な文になってしまいます。そこで、引用文の側には「注1」とか「注2」と書いて、論文の1番最後に出典を纏めて明示する事にしました。最後には「注1の文章は○○から引用しました」と云った類の文章が書かれています。その文はコメントである為、普通の文章が「黒」なのに対し、「赤」で書く事にしました。そして、ある人がその論文を読みました。然し、その人は生まれつき白内障であった為、白地に書かれた赤が読めませんでした。が、例えばそれを白黒でコピーすれば読める様になります。然し、面倒なのでコピーするのは諦めました。では、その場合、出典を明示していない事になるのでしょうか。なりません。
又、白内障でなくとも、論文を途中まで読んで最後まで読まなかった場合、論文を読んだ人は出典の明示を読まなかったと云う事になります。では、その場合、出典を明示していない事になるでしょうか。多くの人は「引用元が記述されているが、その人は最後まで読まなかった。然し、明示している事にはなる」と答えるでしょう。然し、仮にその答えが正当であると認められるならば、「引用元が記述されているが、その人はソースを読まなかった。然し、明示していることにはなる」と云う理論も成立すると見做せます。
尚、Windows版Internet Explorerでは、コンテクストメニュー追加セットを利用する事で、ソースを見なくてもcite属性を表示出来ます。まあ、これも余計な操作
の内に含まれるのだと思いますが。
無為徒食日記さんの謳う「引用」は、blockquote の
cite属性に URI が確かに記述されてはいるけれど、肝心の、「どのサイトの何というタイトルの文章なのか」が明示されていません。 それが問題なのです。
著作権法によると、出典の明示については出所を明示する事
としか定義されていません。「どのサイトの何というタイトルの文章なのか」が明示されてい
ない事は問題
ではありません。
技術的・W3Cの文法的には間違ってないと思います。
ただ、何と言いますか、マークアップ言語に詳しいのならば、
cite属性がほとんどのブラウザで機能していない現状もご存知のハズであり、それを知っていてなおcite属性にこだわっている姿勢に窮屈さを感じてしまいます。 良く言えばストイックな求道者、悪く言うと頑固者の石頭ってカンジですね。
私はマークアップ言語に詳しい
から、a要素による出典の明示では、a要素とblockquote要素の「関連」が明示されていない事、そしてUAが機能していない現状
は関係ない事を知っているのです。
又、a要素の他にcite要素を用いたり、両者を併用すると云う方法もあります。が、何れにしろblockquote要素との「関連」を明示する手段はありません。HTML文書を解釈するのはUAです。人間は、あくまでもUAのレンダリング結果を見ているに過ぎないのです。
と言うか、takopons氏は拘るの使い方を間違っています。拘るとは、心が何かに囚われて、自由に考える事が出来なくなる
事を言うのです。仮にtakopons氏が拘るを正しい意味で使っているならば、それこそ人格否定です。
Internet Explorerユーザは、この辺の記事を参考にすると良いでしょう。因みに、以下の様なスタイルシートを適用させる事によって、リンクは設定出来ませんが、URIを表示させる事なら出来ます。
blockquote[cite]:after{
content:"引用元 : "attr(cite);
}
すると、引用元 : http://www.example.com/の様に表示されます。が、:after擬似要素に対応している事が条件で、今回的となったInternet Explorerは:after擬似要素に未対応だったり。
ネチケットの拡大解釈の引用が「出典を明示している事」と「改変は合法である事」は既に説明しましたが、今度は「主従関係を満たしていない」と云う反論が多く来たので、追記しておきます。
まず引用とは自分の説の拠所として他の文章や事例又は古人の語を引く事
を言います。そして、引用について:その2でも書いたとおり、私が持っている法律書には一言だけコメントが書かれた引用が「是」であると云う判例もあります。
その判例の内容は、「引用の直後には一言しか文章を示さなかったが、引用された文章が扱っている話題に関する文章が、その後のページにも続いていた。それら全体を一つの章と見做すならば、明らかに引用文は従の関係にある」です(引用する気にならないほど長く、そして難しいので分かりやすく要約しました)。これには耳を疑う人もやはりいるでしょうが、その様な判例があるのは事実です。私の書いた記事を「「同意。」と一言だけ書いている」と評価する人が殆どで、私も反論の際、それに「乗せられた」訳ですが、仮にその判例に従って書くとすれば、当サイトには「エチケットの拡大解釈」なり「無断リンクの問題」なりを扱ったリソースが多く存在します。又、ネチケットの拡大解釈の後には、同じ様に「エチケットの拡大解釈」なり「無断リンクの問題」なりを扱った文章が続きます。私は引用について:その2で認められた判例もあります
とだけ書いたので、「一言のコメントが主従関係を満たしていると云う判例が存在する」と勘違いされてしまいましたが、実際は「その一言だけが全てのコメントであるとは断定出来ない」と云う理由付きで、その様な判例が存在するのであります。
私は12日の日記では「エチケット」に関する話題を多く取り扱っていたので、その中で目を惹いた文章としてAkky氏の文章を引用しました。判例に従って、例えば12日の部分が全て一貫した話題を基に成立し得るなら、主従関係と云うのは十分満たしていると言えます。勿論、Akky氏の文章に対するコメントが「同意。」だけであると裁判官に判断されれば私は確実に負けますが、先程紹介した判例を下した裁判官が裁判を担当したのであれば、あの引用が主従関係を満たした引用であると判断される可能性も「ある」のではないですか。
スゲー。まさか一升瓶を持った猫が、一気飲みや一気飲ませを推奨しているのはどういう事か
と云う突っ込みが入るとは思わなかった。
因みに、私が「続・〜」等を用いずに、「〜:その2」と云う形で続編を書いているのは、シリーズものになるほど話題が続いた時、題名に困らない様にする為。「続・〜」だと「続続・〜」とする方法があるが、この話題が10回続くとなると鬱陶しくなる。私の手法なら、「〜:その10」と出来る。
「このエントリーをブックマークしているユーザー」で、色々な批判が寄せられている。あくまでもブックマークのコメントな訳だが。それにしても、何故インターネット利用者には平気で他人を中傷する人間が多いのだろうか。根拠のない批判は単なる中傷に過ぎない。コメント欄では文字数が限られている。が、だからと言ってそれが「中傷をして良い理由」にはならない。
この日記をブックマークしているユーザは6人で、その内コメントを書いている人が5人。その中で根拠のある批判をしているのはekken氏とlsty氏の2人だけである。残りは全員中傷。が、当の本人に中傷をしていると云う自覚はない。馬鹿だからです(takopons氏はtakoponsの意味で私の記事を批判済みなので、こちらも「根拠あり」と見做しておく)。
それにしても、「明示」の意味を分かっていない人が多過ぎる。引用をした時に必要なのは「明示」である。私は「明示している」と主張しているだけなので、「明示」と「表示」を混同して批判されたのでは堪らない。
正当な理由も無しに他者の文章を改竄する人間の言う台詞か!
TakahashiMasaki氏は私が挙げた「表記を変更する理由」が何故正当な理由ではないのかを説明しません。だから馬鹿なのです。
明日(あした)と調べると「明日(あす)」と説明され、明日(あす)と調べると「翌日」と説明され、翌日と調べると「明日(あした)」と説明される。そんな某国語辞典。焼き捨てたいが、勿体ない。
当サイトは俗に言う「Weblog」ではなく、1人で文章を書いて、順にマークアップしていき、Putすると云う作業を延々繰り返していく完全手動日記である。よって、コメント欄はないし、トラックバックを送る事も出来ない。当然、こちらからコメントを書く事は出来るが、トラックバックを送る事は出来ない。
その理由は、私がWeblogにあるコメント、トラックバック機能が便利であると感じていない事、そして世のWeblogがまともなHTMLを吐かない事の2点に尽きる。世の中には出力するHTMLを自由に改変出来るWeblogがあるのでそちらを利用したり、或は自分でCGIスクリプトを作成する事でまともなHTMLを吐かせる事が出来るが、そこまでしてWeblogを使う事に、私は意義を見出せない。「自動化」のデメリットもあるので、このまま完全手動日記を貫く積もりである。自分の書いた記事を当方に伝えたい時は、アクセスログを採取しているので、それをトラックバック代わりに活用すれば良いかと。或は、直接メールをするとか。
何だか色々と広がっている。
原文の表記を変更しなければ、例えば平仮名の「いわゆる」と漢字の「所謂」が混同してしまいます。
http://lan.rgr.jp/diary/2005/09.html
……ていうか、そんな自分のエゴイズムのために他人の文章を勝手に改竄しないでください。
文章というものは、使用する漢字や仮名遣い等の表記によって、発音は同じでもニュアンスや受ける印象が変わるので、勝手に「漢字→かな」とか「かな→漢字」などの改竄をすれば、元の文章と比べて読者の印象等も変わってしまうからです。
私は著作権法では表記の変更が認められるから、変更に法的問題はないと言ったに過ぎないのですが。「日本語の作文技術」本多勝一,朝日新聞社,76ページには引用はあくまで原文のままで示さなければならない
と書かれている様です。然し、現に著作権法には著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし
た上で、その例外を設けると書かれているのです。
読者の印象等
が変わってしまったところで、それが何のデメリットになるのでしょうか。平仮名を漢字に修正した結果、ニュアンスが変わり、最終的にとんだ迷惑を掛ける事になる
のは、漢字に修正した程度で意味を勘違いしてしまう閲覧者の知識能力の問題です。
仮に、 この文章が正当であると認められ、この意見を尊重しなければならないと云う事になれば、XHTML文書に於いて、HTML文書から引用した文章をXHTMLの「ルール」に直す事が出来なくなります。製作者はその為だけにXHTMLからHTMLへとマークアップを修正しなければなりません。が、XHTML文書からの引用とHTMLからの引用が混在していれば、更に困った事になるでしょう。
実際に、あなたのやった行為でAkky氏(無為徒食日記の管理人氏に文章を”引用”された方)が迷惑をこうむっているのです。
Akky氏の書いた記事には、特に迷惑を被った様な事は書いていませんでしたが。
そもそもmasaki_tm氏自身が私の文章を大幅に改変した上で引用しています。人の文章を改変して引用しておきながらそんな事を言われても、説得力は皆無です。
blockquote要素の属性citeは、現時点でシェア等が最も大きく「一般的なブラウザ」といってよいInternet Explorer(以下IE)ではソースを見ない限り表示されないので、Web利用者全体の中でもおそらく大多数であろうIE利用者は引用元のサイト(ページ)に行って原文を確かめたい場合、
- わざわざ「ソースを見る」とかのコマンドでメモ帳とかでソースを開き、
- 当該
blockquote要素のcite属性の中の「"」で囲まれた部分のURIを選択→コピーして、- それをブラウザのアドレス欄に張ってエンターキー等を押す
などどいう動作をしない限り引用元の原文を確認することが難しいのです。これはリンク(
a要素)を貼る場合と比べて明らかに一般的な閲覧者に対して余計な負担が多いことは明白です。Firefoxなど、
cite属性を上記よりやや簡単な動作で表示できるブラウザもありますが、それでもリンクに比べて余計な操作を閲覧者に強いることになるため「不親切」ではないですか。W3Cのルールを自分が厳密に守るのは勝手ですが、閲覧者に不親切な状態の文章を公共のWeb上に上げるのは傲慢なのではないですか。
UAが不親切
であり一般的な閲覧者に対して余計な負担
を掛けているのです。
私はUAの実装は殆ど考えずにHTML文書を作成しています。それはHTMLの理念から言って当たり前の事です。
私はあくまでも理想主義者の立場を取ります。現実主義者の立場は取りません。現時点でシェア等が最も大きく「一般的なブラウザ」といってよいInternet Explorer(以下IE)ではソースを見ない限り表示されない
と云う現状があったところで、私の知った事ではありません。私がHTML文書を記述するに於いて対象としているUAは、HTMLの仕様を忠実に守った理想的なUAです。
そもそも「cite属性は出典明示となるか」と云う点が論点だったのですが、それが結果的にユーザビリティの話へと昇華してしまっているのはどうかと思いますが。
これは「1.事実に対して仮定を持ち出す」ですね。
UAの実装は根拠に乏しい、或は現実主義は論理に一貫性がないと言っただけなのですが。
そもそも、何処の誰が作成したのかも分からないガイドラインを元にして詭弁であると判断されたのでは堪らない。
これは「2.ごくまれな反例をとりあげる」。生まれつき白内障の人の数が人類全体にしめる割合と、Web利用者全体のうちのIE利用者の数の割合とは全然違うでしょうが。
こんな事を言ってどうする積もりでしょうか。私は「表面的に出典の明示が不可視だった場合、それは明示にならないと言えるか」と云う点について述べただけです。因みに、「Internet Explorerの利用者が多いからInternet Explorerの表示に基づいてHTML文書を作成しないのは不親切であり怠慢だ」と云う主張を人は一般的に数の暴力と呼びます。
管理人氏は論理的な文章を書いているつもりなのかもしれませんが、はっきり言って、自己の信念に固執し過ぎて一般的なWeb閲覧者への配慮も見せず、詭弁を振りかざしているだけです。
ならば、masaki_tm氏は一般的なWeb閲覧者への配慮も見せ
ないのは怠慢であると云う自己の信念に固執
しないで下さい。
(あ、一応この時点のページ保存しといたのでよろしく。後で直してもだめよ)
保存された事については知りませんが、誤字の放置はしたくないので修正しました。
見よ、この違いを。
当方の記事が引用元と思われるこの文章について、他人の文章を引用したら引用元を明示してください。また原文はそのままで引用してください。ところどころ、使用されている文字が原文と違っています。あなたのやっていることは著作権法に違反すると思われます。ネチケット云々の問題ではありませんので、直ちに修正を要請します。
引用元の明示についてですが、私は<blockquote cite="http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/303">と書いているので、明示は行っていると言えます。
又、著作権法によれば、表記の変更は許されています。
2 前項の規定は、次の各号の何れかに該当する改変については、適用しない。
- 第三十三条第一項(同条第四項に於いて準用する場合を含む。)、第三十三条の二第一項又は第三十四条第一項の規定により著作物を利用する場合における用字又は用語の変更その他の改変で、学校教育の目的上止むを得ないと認められるもの
- 建築物の増築、改築、修繕又は模様替えによる改変
- 特定の電子計算機に於いては利用し得ないプログラムの著作物を当該電子計算機に於いて利用し得る様にする為、又はプログラムの著作物を電子計算機に於いてより効果的に利用し得る様にする為に必要な改変
- 前三号に掲げるものの他、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし止むを得ないと認められる改変
この通り、引用文の表記の変更は許されています。著作権法では同一性保持権は著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする
と定義されていますが、前3号に掲げるものの他、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らし止むを得ないと認められる改変
の場合は、同一性保持権は適用されないとされています。
例えば、日本人が他国の文章を引用する時は日本語に書き直す事があります。又、「正字と歴史的仮名遣い」で文章を記述している人が、「常用漢字と現代仮名遣い」で記述されている文章を「正字と歴史的仮名遣い」に直して引用する事もあります。そして、私は同様に「いわゆる」「こと」「すべて」等の平仮名を漢字に直しています。それらは、全て著作権法により許可されている事です。
Website Explorerでサイト内のリンク切れをチェックした。そしたら、15箇所にも上るリンク切れが発見された。Website Explorerには感謝せねば。
尚、若しも「Homepage Explorer」だったりしたら気にも留めなかった筈。
引用元の明示についてですが、私は
<blockquote cite="http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/303">と書いているので、明示は行っていると言えます。無為徒食日記
といっているそばから、また引用元を明示しないで当方の記事を引用をしている。
私の書いた文章はきちんと読んでくれたのでしょうか。
私は「明示は行っていると言えます」と書いたのに、と言っているそばから、また引用元を明示しないで当方の記事を引用をしている
と言われても困りますが。この様な反論をされたのでは、ただ無限ループに陥るだけです。
Akky氏が反論している引用についてでも、cite属性で引用元を明示しています。ついでに言っておくと、今回の引用もcite属性を書いているので引用元の明示は行っていると言えます。blockquote要素のcite属性は、引用元のURIを示す為の属性です。
Akky氏は何を思ってまた引用元を明示しないで当方の記事を引用をしている
なんて言ったのでしょうか。ネチケットの拡大解釈でも引用についてでも、きちんとcite属性で引用元を明示しているのに。Akky氏が私の書いた文章を読んでくれているのかどうかが、本当に不可解です。
しかも、あなたが上記のリンクを張っているのは、その下にある別の記事です。リンク先のアドレスを見て、おそらくそういう詭弁を弄してくるつもりではないかとは感じていましたが。
この部分ですが、上記
とか下にある別の記事
とかリンク先のアドレス
とか、具体性のない言葉ばかりなので文章全体の意味がよく分からないのですが。
上記のリンクを張っている
がまず分かりません。私の文章が引用されていましたが、その文章中で私がリンクをした部分はありません。下にある別の記事
もどの記事を指しているのかがよく分かりません。リンク先のアドレス
と言いますが、同じく引用された私の文章の中にリンクしている部分はありません。仮に<blockquote cite="http://blog.drecom.jp/akky0909/archive/303">がリンクであると解釈されたなら、リンク先のアドレス
はAkky氏自身が作成したリソースのURIと云う事になり、やはりよく分かりません。
各語の指す文章・文書・URIを具体的に示して下さい。
そもそも、「同意」としか「本文」のない様な引用は判例上、認められていません。
私の持っている法律書によれば、認められた判例もあります。と言うか、何故その旨を今、初めて言うのかが理解出来ないのですが。私がリンクをして表記を原文のままにしたところで、同意
としか書かれていない事に変わりはありません。
あの改変が「止むを得ないと認められる」と考えるのはおそらくあなただけですよ。自分の美意識に従って記事を表示したいなら、他人の記事を引用などせず、自分自身の言葉で記事をお書きください。少なくとも、この記事の著作権者である当方は、この改変が「やむを得ないと認められる」ものとは考えておりません。
引用された側、所謂「被引用側」が「止むを得ないと認められる」ものとは考えて
いなくとも、「止むを得ないと認められる」事はあります。
そもそも、何故「やむを得ないと認められる」ものとは考えて
いないのかを説明してくれないのでしょうか。自分の美意識に従って記事を表示したい
とは言いますが、何処をどう読んで私が美意識に基づいて表記を変更したと判断したのかは一切書かれていません。よって、私は特にこれと云った反論は出来ないのですが。反論する要素がないのですから。
当方は、自ら誤りを正そうとしない人にこれ以上物申すことに価値を認めません。それにしても、法令を遵守することもできず、自ら誤りを正すこともできない人間がブログ論だのサイト論だのをすまし顔で語っているというのは実に片腹痛い。論外。そういうの、自分や記事の評価を下げるだけだよ。
私は自ら誤りを正そうとしない
のではありません。自らの行為が誤りではないので正す必要はないと判断しているに過ぎません。
何故cite属性によるURIの明示が引用元の明示にならないか、何故私のあの改変が「止むを得ないと認められる」ものと考えてはいないのかを説明しない限り、幾ら法令を遵守することもできず
などと煽っても無駄です。根拠のない批判は単なる中傷です。平気で中傷をする人がマナー
なりネチケット
なりを語る資格なんてあるのでしょうか。
そういえば、某検索エンジンで「パクリ」と検索したら某サイトが一番最初に表示されたと云うネタを先月の日記で取り上げた気がする。
やはり、無断リンク禁止の類が一般的に無視されやすい原因は、検索エンジンに文句を付けないからではないだろうか。
それにしても、モヒカン族ってネーミングセンスゼロ。
ただ、いわゆるネチケットみたいなものがかなり拡大解釈されつつあるのだなという流れは感じましたね。自分が不快と思うことはすべてネチケット違反・道徳違反という解釈が一部ユーザーの間でまかり通っている模よう。実際、無断リンク・直リンクされただけでサイトを閉鎖するという人がいる様ですが、当方にはその意識がよく分からない。そんなガラスみたい心の持ち主は、アクセス無制限の場で物なんかいわなきゃいいのにね、と思う。だって、ネット上で物をいうってことは、公共の電波を使って何かを叫ぶのとほとんど変わりがないわけでしょう。無断リンクとか直リンクってのは、テレビ番組にたとえていえば、視聴者による録画・録音に近い行為と思われ、それをいちいち番組制作者に連絡してからやりなさいよってのは、ちょっと無理な話かなと思いました(※)。
同意。
人の記事を参考にしたり引用した際は、該当記事にTBする様にしましょう。
どうしよう。
ああいう人達を刺激すると荒れてしまうかも知れないけど、ムカつくんで愚痴を書く!ホント、お亡くなりになれば良いのにね。まず、批判なら、コメント載せられる、自分の日記に書いてくれよ。
お亡くなりになれば良いのに
と云う、直訳すれば「死ね」になる発言が愚痴なのだろうか。
リンク元に、見慣れないURLがワラワラ載って来たんで、飛んでみると『はてなユーザーのブックマーク』だった。因み、ここがブックマーク纏め(書いてる時点では3件)「毒舌ってタイトルに付けてるサイトは大抵低レベル」「”【非モテ】=「モテるための努力を回避する」”違わないか?」って意見は、まあ、そうかも知れない。だが、いずれにしろ、1・2時間かけて書いてるのに、一言批判で終わりかよ?人のアドレス張っといて、【君らの嫌味通りの展開を期待して、覗きに来る人を増やす行為】は、止めてくれない?ウザイし、俺の所から、他の人のアンテナ辿って欲しくないよ。それは、そっちも同じじゃない?
Yakobu_Yakokohuさんが1・2時間かけて書いて
いようと、批判する側にとっては関係のない事である。例えば、幾ら長文を書かれても、内容が薄ければ語るべき事は少ない。逆に、短文でも内容が濃ければ幾らでも文章は書ける。長い時間をかけて書くと云う行為自体は結構であるが、製作者が長い時間をかけて書いた=批判記事も長くなるとは限らない。
Weblogに限らず、公表されたリソースは常にWWWを通じて各ローカルへと「運搬」されていく。WWWは情報を運ぶメディアである。一度公開したリソースに対する言及は、例え製作者が気分を害したとしても何も問題はない。問題にすべきなのは、その一行批判が単なる中傷になっていないか、である。
それと、ここがブックマーク纏め
たるアンカーは適切ではない。アンカーは、常にリンクがなくなっても不自然ではない様な内容にしなければならない。
まあ、一人は公開もしてねーわ、一人は全然っ高レベルじゃねーわ。どういう事よ?凄い事書いてるんだと思って覗いたら、単文ばっかりじゃん。まあ、個人情報を漏洩し尽くしている、id:kiya2014の生き様には、敬服します…。
勝手に凄い事書いてるんだと
期待されて、勝手にがっかりされて、最終的に罵られたのでは堪らない。
ただ、「非モテ系テキストサイトの香り…にしては、アンテナ感度が低い。それだけ。何を今更。」って書いてる人、何語???何かクールっぽいの???ヤナ感じのオタク同士なら、「ぷぷっ」とか言えるセリフ???非モテ系テキストサイトとアンテナ感度って何らかの関係性がある、って事なんだ?因みに、何が今更なの?君は、【非モテ】の最先端研究者かも知れないけど、俺の周りはそんな言葉すら知らないぜ。興味もないしね。俺が軽く見知って、しかも今後上らないであろう、お茶飲み話を見て、ブックマークなんかにすんなよ。君がモテないってのは分かったけど、お仲間にはしないで。痛いから。
私にはこの文章が何語であるかが理解出来ない。特に、俺が軽く見知って、しかも今後上らないであろう、お茶飲み話を見て、ブックマークなんかにすんなよ
の部分が何回読んでも理解出来ない。
賢いユーザーさん達は、当然、こういう手合いは無視するんだろうね…。無論、ブックマークをしてくれた優れた人達も、僕の戯言なんて流しちゃってくれるんだろうね。ほら、絵に描いた様な反応なんだから、何一つ面白みもなく、とりたてて言う事なんてないんだからね。
何故とりたてて言う事なんてない
のかまでは説明せず。こういう根拠のない決め付けは、反論の抑止に最適である。
鋭い。
因みに、私の議論に於ける押し付けについての立場は、「押し付けられるのが嫌だと主張する人は多いが、何故押し付けがいけないのかは説明しない為、押し付けても問題はない」である。押し付けが悪い事であるなら、その旨をきちんと説明出来る筈なのに、説明する人はいない。それは何故かと言うと、押し付けられたくないと云うのは感情論であり、押し付けられたくない理由を理論的に説明出来ないから。
阪神は阪神タイガース。中日は中日ドラゴンズ。横浜は横浜ベイスターズ。巨人は読売ジャイアンツ。
おかしい。何かがおかしい。
「明らかにGIMPで作りました」式のISOロゴを集めてみた。
やはりこういうのを堂々と飾るウェブサイトには馴染めない。
α版。参考書のみで記述したので、欠陥があるかも知れない。
結構良い内容の「HTML講座」を発見したので、リンク集に追加しようと考えていたら、リンクの説明が「文字列をクリックする事で別のサイトにジャンプする仕組み」となっていて残念な思いを(以下略)。
2005年9月の時点でまだこの程度の世界だよ?22世紀にドラえもんの世界なんて無理に決まってるじゃない。
どうしてプログラマーと云うのは、こういう笑えるHTMLを恥ずかしげもなく書けるのだろうか。
KENT WEBは文字コードを記述する前に2バイト文字を書いている。その後ではインライン要素の中にブロックレベル要素を書いている。終了タグが<tableとなっているので、恐らく>を書き忘れている。リンク先のスキームはhttpとするのが正しいのにhttと書いている。文書型宣言はHTML 4.01 Transitionalだが、少なくともこれらを直さないとHTML 4.01 Transitionalは宣言出来ない。
CGI RESCUEは文書型宣言を書かないし、引用符が必要な属性値なのに引用符で囲まないし、XHTMLでもないのにimg、input要素の終了タグを書いているし、<td>タグを<tbody>タグの直下に書くし、タグの入れ子関係は完全に破綻しているし、<select>の直下に普通のテキストを書くし、form要素は閉じないし、コメントの中に--を書くし、img要素にalt属性は書かないし、valign="center"と書くし、独自拡張の要素や属性は使いまくるし、同じ属性を複数回書くし…。
Falcon Worldはalt属性やtype属性等、必須の属性をことごとく省略する。<script>〜</script>の中に</と書く点も見逃せない。
Perl初心者の部屋は凄い事になっている。文書型宣言がない事やimg要素にalt属性がない等の基本的な事はやってくれるが、驚くべきなのは、何とa要素にalt属性がある事だ。画像リンクなのだが、<A HREF="http://www.harukaze.net/%7Emishima/perl/" ALT="harukaze.net"><IMG SRC="../image/harukaze.gif" ALIGN=right BORDER="0"></a>と書かれている。なんだコリャ。「HTML初心者の部屋」に改名すれば良いと思う。
CGI-StaTionも酷い。とんでもないHTMLのオンパレードなのだが、どうしても採り上げておきたいのはmeta要素である。
<meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=Shift_JIS"
http-equiv="Content-Style-Type" content="text/css"
http-equiv="Content-Script-Type" content="text/javascript"
name="Author" content="Jawa"
name="Keyword" content="CGI-StaTion,CGI,Perl,Free,Script,BBS,掲示板,ゲーム,配布,設置,講座"
name="Description" CONTENT="初心者のためのCGI配布サイト"
>
</meta>
(´д`;)
K's Power Webも代表的な事は大体成し遂げる。その中で目を惹かれたのは、id属性値の重複である。id="menu-sub"が至る所に存在する。id="menu-title"も多い。id="main-menu01"も重複していた。又、画像が大量に使われているが、img要素にはalt属性がない。然し、タイトルと広告にはある。あると言っても、広告の場合はClick Here!の集まりなのだが。タイトルはまともである。
…何故、Perlと云うちょっと間違えただけで完全に動かなくなるプログラミング言語の仕様は守れるのに、HTMLと云うちょっとくらい間違えても何とかなるマークアップ言語の仕様は守れないのだろうか。そこには、1種の「差別意識」があるのではないか。Perlの仕様はきちんと守るのに、HTMLになるとめちゃくちゃになるなんて、プログラマー失格である。
「間違えても何とかなるのがHTMLである」と主張する人がいるが、そう思っているなら、彼らの取るべき行動は、プログラミング言語もルーズな文法になる様要請する事である。
彼らはHTMLが持っているルーズな文法を長点としている。ならば、Perlは大きな欠点を持っているのであって、Perlの開発者に、Perlもルーズな文法になる様要請するのが妥当ではないか。「エスケープのし忘れくらい許容してよ。」「制御構文の閉じ忘れくらい補ってくれても良いじゃん。」と主張するのが筋ではないかと思われる。
要するに、プログラマーと云うのは御都合主義者なのではないか。
何とかXML文書をXSLTで操作出来る様になった。XSLTの勉強はXSLT登竜門を参考にした。それにしても、習得してもあまり使わない様な気がしてならない。
11日午前3時20分ごろ、大阪城公園(大阪市中央区)内の広場でバーベキューをしていたダンスグループのメンバーから「仲間が自生していたキノコを食べ、気分が悪くなった」と119番通報があった。24〜30歳の男性3人がおう吐等の食中毒症状を訴えて救急搬送され、いずれも軽症。
府警東署の調べでは、10日午後3時ごろから約30人でバーベキューをしていたが、同9時ごろ、3人が近くに生えていたオオシロカラカサタケとみられるキノコ1本を焼き、分けて食べたという。
オオシロカラカサタケはハラタケ科に属し、国内に広く自生する毒キノコ。食べると下痢やおう吐等の症状を起こす。
あのー( ̄△ ̄;
当サイトの文章から、(笑)を追放しました。だって、笑ってるの私だけなんだもん。
11日投票が行われた第44回衆院選は、出口調査等の結果、自民が大勝する勢い。民主は伸び悩んでいる。安倍自民党幹事長代理は、特別国会を開催し郵政民営化法案を成立させたいと述べた。
民主党の開票センターが設置された東京プリンスホテル(港区)には、投票終了直前から岡田克也代表ら幹部が次々と集まり始めた。出口調査で苦戦が伝えられた為、幹部らの表情は一様に厳しく、会場には重苦しい空気が漂った。
岡田代表がホテルに到着したのは午後8時ごろ。1階ロビーに現れた代表は、真っ直ぐ前を見詰め、無言のままエレベーターに乗り込んだという。然し、テレビカメラ等が待ち構えるホテル2階の開票センターには向かわなかった。
報道各社のインタビューに臨んだ枝野幸男幹事長代理は、民主党苦戦を伝えられると、「民主党支持層の反応は悪くなかったが、中間的な立場の人に我々の主張が十分伝わっていなかった」と厳しい表情。岡田代表の辞任に質問が及ぶと、「代表自身が判断されること」と話し、答えを避けた。
福岡10区では、自民党前衆院議員・西川京子氏(59)が、郵政民営化関連法案に反対票を投じた無所属の元郵政相・自見庄三郎氏(59)ら4人に競り勝ち、3回目の当選を決めた。自見氏は落選した。
徳島3区では、自民党前衆院議員の後藤田正純氏(36)が、民主、共産の2新人を退け、3選を決めた。
選挙区の大半は山間部などの過疎地。郵政民営化関連法案で賛成に回った為、郵便局の民営化に反対する地域の声や、「小泉改革」への批判も心配されたが、大叔父の後藤田正晴・元副総理時代からの抜群の知名度や支援組織もあって、支持を集めた。
地元首長や県議らの応援に加え、街頭での集会などには、妻で女優の水野真紀さんも度々参加し、夫婦二人三脚で「次世代への問題先送りは許されない」と改革の必要性を繰り返しアピールした。
岡山3区では、郵政民営化関連法案の採決で反対票を投じ、約30年ぶりに無所属で臨んだ元経産相の平沼赳夫氏(66)が、自民党新人で元日本看護協会副会長の阿部俊子氏(46)ら3氏を破り、9選を決めた。
11日投開票された衆院選の新潟5区で、無所属の前職、田中真紀子氏(61)が自民新人の米山隆一氏(38)を破り、当選を確実にした。
案の定と言うか、何と言うか、やはり正字正かなに対する反対の数が賛成の数を常に上回る。そんなに正字正かなは駄目か。じゃあ、やっぱりこのサイトは略字略かなのままで行くべきなのだろうか。
1回目と2回目で、合計1週間、私は正字正かなの考案に対するアンケートを取り続けた。結果は反対が多数派。このまま行っても、賛成が反対を上回る気配はないので、やっぱり略字略かなで行きます。
xml:idが勧告後で目を通しておこう。
毒吐きネットマナーの用語集は如何なものかの評判が悪い。他と比べて平穏なので楽しめないからなのか、閲覧者の中に毒吐きネットマナーのファンがいるからなのかは分からないが、あまり高い評価はもらえていない樣子。資料はきちんと用意した上で書いたので、内容が決定的に間違っているとは思えないのだが、やはり批判の相手が毒吐きネットマナーなのが悪いのだろうか。
今月の日記から各見出しにアンカー識別子を記述しました。部分的に参照させたい方はid属性値を利用して下さい。
題名通りの通知がメールにて届いたのですが、支店名には感動しました。本店の他は全て音楽。ジャズ支店に始まり、ロック支店、サンバ支店、ワルツ支店、オペラ支店、タンゴ支店、サルサ支店、ダンス支店、リズム支店、ビート支店、マーチ支店。そりゃランダムな文字列を付与されるよりは良いけれどもさ。間抜けにも程があるよなぁ、と。私の口座はジャズ支店になったのですが、可能ならばオペラ支店に移したいですね。いや、つまらん理由なのでこれ以上は書きませんが。
Operaのアフェリエイト用バナーを貼っているのを見ると、大体予測は付く。
そもそも「ネットマナー」についての議論に終りが来る訳がないのだから、私が他人の批判を止めないのも当然である。
Blog や SNS 、RSSリーダーなどの比較的新しいサービス――これらに共通するのは、また ID・パスワードが増えてしまった、ということである。2001年にも同様の調査を行ってるが、ユーザーが利用しているログインサービスの数は増加傾向にある。
インターネットコム株式会社と株式会社インフォプラントが行った、ID・パスワードを必要とするログインサービスに関する調査によると、ID・パスワードを「頻繁に忘れる」ユーザーは9.3%、「たまに忘れる」に至っては82.0%にものぼる。
調査対象は ID・パスワードを必要とするログインサービスを利用している、全国の20代から60代のインターネットユーザー300人。男女構成比は男性44.0%、女性56.0%。 年齢層分布は、20代26.3%、30代46.3%、40代18.3%、50代7.3%、60代1.7%。
全体300人に、利用しているログインサービスの数を尋ねたところ、最も多かったのは「5〜10個」で39.7%。以下、「11〜15個」(18.7%)、「16〜20個」(15.7%)、「2〜4個」(10.0%)、「31個以上」(9.7%)、「21〜30個」(6.0%)と続く。ログインサービスを11個以上利用しているユーザーが全体の半数を占める結果となった。
古い記事になるが、2001年に行った調査では11個以上としたユーザーは3割強だった。これまでも EC サイトやポータルサイト、Web メールに於いてログインは必須であったが、Blog やそれに関連する新サービスの登場でログインの機会は確実に増えてきている。
そうなると、ID とパスワードの管理が大変になってくる。91.0%のユーザーが「同じ ID・パスワードを利用しているサービスもある」と回答し、1.3%が「すべて ID・パスワードを利用している」と回答するのも当然だろう。すべて違うものを利用しているユーザーはわずかに7.7%だ。
然し、それでも忘れてしまうことは多い。ID・パスワードを「忘れたことはない」と回答したのは全体の8.7%に過ぎない。「頻繁に忘れる」ユーザーは9.3%、「たまに忘れる」に至っては82.0%にものぼる。2002年の調査と比較すると計3.3ポイントの増加だ。
私はIDは分かりやすいものにするが、パスワードは覺えられない文字列にしてゐる。キーボードから適當に、大文字、小文字、數字を混ぜて、制限文字數まで入力したパスワードが最も覺えられにくく、破られにくいパスワードである。電話番號、住所、本名を入力するサービスも少なくないが、さうなると尚更覺えられないパスワードにしなければならない。パスワードの制限が8文字だつたら私は8文字のパスワードにする。12文字だつたら12文字のパスワードにする。内容はランダムに入力した文字列である。そして、サービスごとにパスワードは全く別のものにして、使ひ回しはしない。それが當然ではないだらうか。寧ろ、覺えられるパスワードにする方が危險過ぎるのである。
私のパスワードはS74nInxKのやうな文字列ばかりである(このパスワードはサンプルとして入力したものなので、實際は使つてゐない)。最初にSbfgs4ddA0Dh233bXpのやうに長く入力して、後は制限文字數に合致するやう、適當な部分を削つていく形で入力する。では、覺えられないパスワードはどうやつて入力するかと言ふと、私はNorton Password Managerを使用してゐる。クラッキングされてソフトウェアを盜まれたらそれまでなのだが、ソフトウェア自體のセキュリティがしつかりしてゐて、ウイルス、スパイウェア、クラッキング對策ソフトも導入してゐるので、完全にはならずとも安全ではある。
一應ハードディスクが崩壞した時の爲にデータのバックアップを取つてゐるので、萬が一パソコンが壞れてもあまり困らない。CDが盜まれたらそれまでなのだが、そこまで神經質になつてゐたのでは、インターネットなど使つてゐられない。
何にせよ、IDは良いとしても、パスワードを覺えられるやうな單純で短いものにしたり、使ひ回したりする行爲には決して感心出來ない。そのやうな管理をしてゐては、何時個人情報が流出するか分かつたものではない。
サンプルとして提示したパスワードを、code要素にするかsamp要素にするかkbd要素にするか、迷つた。
トレンドマイクロは、個人向けウイルス対策訪問サービス「ウイルスバスター レスキューサービス」を、「パソコン救急の日」にあたる9日に開始した。
同社の認定資格「個人向け認定レスキューパートナー」を取得したパートナー企業のスタッフが、ユーザーの自宅に出向いてウイルス駆除や感染状況の判断、セキュリティ対策ソフト「ウイルスバスター」のインストール販売などを行なう。ユーザーは、パートナー企業の一覧ページから自宅に近いパートナー企業を検索できる。料金はパートナー企業ごとに異なる。
パートナー企業は、NTTコミュニケーションズや横河キューアンドエーなど7社。トレンドマイクロでは1月に、個人向け出張サービスのパートナー企業として横河キューアンドエーと提携。その後、パートナー企業が増えたことを受けて、今回のサービスを開始した。
氣前良いねえ。因みに、私が今使つてゐるウイルスバスターも、トレンドマイクロの製品である。一時期はニュースで取り上げられるやうな大失敗をした事もあつたが、それ以後は特に目立つたトラブルもなく、快適に動いてゐる。ウイルスもしつかり感知してゐる樣子。
無爲徒食日記。英譯するとIdling-the-time-away diary…?
と言ふか、正字正かなに直したら、殆どの文書のページタイトルが變はつてしまふ。「無為徒食日記」も「無爲徒食日記」になるし。まあ、良いか。
幼兒教育として教へられる「自分がされて嫌な事は他人にもしない」と云ふのは、幼兒とは言へない年齡に達した方々の間でも、常識とされてゐる事が多い。だが、これははつきり言つて間違ひである。例として、以下の會話を見てもらひたい。
この通り。「自分がされて嫌な事は他人にもしない」と言はれたとしても、幾らでも卷き返す事が可能であると言へる。自分が批判される事を好む人はあまりゐない。ならば、自分が誰かを批判したらそれもまた自分がされて嫌な事を他人にしてゐるのではないか。
實際、上記のやうな言葉巧みな子供はゐないと思ふ(ゐたらヤダ)。然し、安易に大人にまでこれを使ふと、自分の理論と言ふのは一撃で崩されてしまふ。
「自分がされて嫌な事は他人にもしない」は間違ひである。この言葉を使ふと、自分がされて嫌な事を他人にしてゐる事になるからである。誰かを批判する時は、違ふ言葉を使はなければならない。
それに、「自分がされて嫌な事は他人にもしない」は、自分がされて嫌な事を他人も嫌がつてゐない限り、通用しない理論である。
例へば、Aと云ふ人物は「私は無斷轉載される事を嫌がるよ。他人のものを轉記する時は必ず事前に許可を取るよ。」と言つてゐる。そして、Bと云ふ人物は「私は無斷轉載してもどうとも思はないよ。寧ろ許可を求められると鬱陶しいよ。」と言つてゐる。AがBの文章を轉載しようとした時、Aは無斷轉載を嫌がる爲、自分がされて嫌な事は他人にもしないなら、當然Bに轉載の許可を求める。然し、Bはそれを鬱陶しく感じる。その時、許可を得て轉載するか、許可を得ないで轉載するか、どちらが好ましいのだらうか。この場合、自分が嫌がる事を他人にした方が返つて好ましい結果となる。「自分がされて嫌な事は他人にもしない」は、絶對的な理論ではない。それを絶對的な理論と言へるかの如く、「自分が嫌な事を他人にするな」と、何故「自分の嫌がる事は他人にしてはいけないのか」を説明せずに用ゐようとするから、話がをかしくなる。
そもそも「自分がされて嫌な事は他人にもしない」は「どうして惡い事をしてはいけないの?」と云ふ幼穉園兒の疑問に答へる爲の結論として用ゐられる言葉ではないだらうか。幼穉園兒の爲に分かりやすく、簡略化されてゐる言葉を、大人になつてもそのまま引きずつて議論に持ち出さうなんて、何とも情けない話ではないだらうか。早く大人になつてくれ。
チャットのルールでも追加しようと、いつものやうに毒吐きネットマナーを參考にしようとして檢索をしてゐたら、毒吐きネットマナーを批判してゐるサイトを見つけました。
- http://lan.rgr.jp/battle/kanmaru.html
- http://linkfree.fc2web.com/dokuhaki.html
ここです。
そこで私はこの二つに批判。
無闇に批判する事は良くありません、と。(
ぢやあ、私はこの批判に反論。大きなお世話です、と。と言ふか何處をどう讀んで無闇
だと思つたんですか、と。
尚、記事の題名は言ふまでもなく某サイトのパクリです。
正字正かな移行計畫に對する意見を多數頂いたので、印象に殘つたものを公開します。
尚、著作權法によると同一性を保持する場合に限り、表記の變更は認められてゐるので、この日記が現在正字正かなで記述されてゐる事に則り、略字略かなのメールは正字正かなに變換してゐます。
以下、敬稱略。
發音と表記の間に關聯性はないと思ひます。發音する時は發音の理念、表記する時は表記の理念を守る事が望ましいと云ふのが私の考へ方です。發音と表記を結び付ける現代假名遣ひには反對です。
文書の記述は表記に基づくものですから、その場合表記に關するルールが適用されるのが自然です。發音する時のルールを表記のルールとして持つてくるのはどうかと思ひます。
正字正かなには大贊成です。世の中の正字正かなのサイトは文字コードの制限の所爲で正字の中に常用漢字を混ぜてしまつてゐますがそれは一貫性に缺くと思はれます。よつてUnicodeを用ゐて、完全に正字を記述しようとする管理人さんの姿勢にも贊同します。
舊字舊かなの惡さは讀みにくいの一點に盡きると思ひます。コミュニケーションを圖るなら讀みやすい新字新かなを用ゐるのが當然だと思ひます。今では小學校でも中學校でも新字新かなを使つてゐるのですから「普通の社會人」なら新字新かなで書くのが當たり前です。
正字正かなには反對です。それには二つの理由があります。
- 讀みにくい
- 影鷹もよく使ふ
といふわけで反對です。宜しくお願ひします。
色々な意見を頂戴しました。有難う御座います。
と言ふか、正字正かなにはある種の「魅力」を感じてゐるのですが、若しも正字正かなに移行すると「眞名垣 郁夫」に改名しなければならない。まあ、變へても支障はないでせうが。因みに、「真名垣 郁夫」は僞名ですよ。所謂「はんどるねーむ」と云ふものです。本名だと思つてゐる人が多いのですが、本名はもつと珍しい姓名です。
廣島6區から無所屬で出馬してゐる堀江貴文氏(32)率ゐるライブドアのポータル(玄關)サイト上に、5日午後1時に殘り時間がゼロになる「謎のカウンター」が出現し、その設置理由を巡り「選擧に關する重大發表では」「堀江社長辭任發表か」等憶測飛び交ふ騷動が起きた。
カウンターは先月29日に突如設置された。クリックしようとすると「このカウンターに關するお問ひ合はせはご遠慮ください」と云ふ意味深な文字が出た爲、ユーザーらはネット上で「何かが起きる」「社名變更發表か」等の憶測を交はし、“サプライズ”を見込んで同社株を大量購入した人まで出た。
5日午後1時、殘り時間表示がゼロになつたが、結局、重大發表等はなく、サイトのデザインが變更されたり、利用者1500萬人達成キャンペーンの告知が行はれた程度だつた。サプライズを期待した人は肩透かしを食らつた格好となり、ネット上の掲示板には「ただのリニューアルぢやねえかよ」「カウントダウンしてまで宣傳することぢやなかつた」等の聲が書き込まれた。選擧期間中だつただけに、“お騷がせ”となつた。
私はライブドアなだけに期待してゐなかつたので、肩透かしは食らはなかつた。と云ふか、リニューアルした結果、ますます「Yahoo!のパクリ」になつてはゐないだらうか。Yahoo!に似てゐるウェブサイトだと云ふ聲は隨所で耳にしたが、今回のリニューアルで更にYahoo!に似てしまつた。Yahoo!もライブドアも嫌ひ。
ソースネクストは、音声認識ソフト「Dragon NaturallySpeaking 2005 Partner(ドラゴンスピーチ)」を10月7日に発売する。価格は5,970円でマイクを同梱する。対応OSはWindows XP/2000/Me/98SE。
ドラゴンスピーチは、マイクに向かって話すだけで文字入力を行なえる音声認識ソフト。Windows上で動作するほとんどのアプリケーションで利用できるという。ユーザーごとの音声認識プロファイルは、指定された文章を数分間朗読することで、自動作成される。
句読点を自動的に挿入したり、「えー」や「あー」などの不要音を自動的に削除する機能を搭載。文字入力スピードは「ワープロ検定一級の人と比べて最大3倍程度」で、日常会話と同等の速度で入力できるという。
正字正かなの入力が出來ないのであれば不可。略字略かなの入力が出來ないのであれば不可。正字正かな、略字略かなの兩方が入力できるのであれば可。若しさうなれば、私はこれを買つてしまふかも知れない。早いし。
「正字正かなで書いてほしい」と云ふメールを2件頂いた。一度は正字正かなの檢討は廢止したのですが、2件のうち1件があまりにも熱烈だつたので、完全無視するには惜しい(?)。現在、正字正かなと略字略かなの間を可也彷徨つてゐます。せめて、贊成票と反對票に大幅な差が生じれば思ひ切りが付くのですが。
と言ふか、閲覽者の方々の意見に頼らず、自分で考へて決めた方が良いですか。然し、假に閲覽者の意見を無視したとすれば、私はすぐに正字正かなを採用すると思はれます。
自由国民社が11月に発行する予定の「現代用語の基礎知識2006」に掲載される「はてなダイアリーキーワード」が9月6日に発表された。「2ちゃんねらー」「ぬるぽ」「中の人」などを含む105種類のキーワードが収録される予定だ。
このほかにも「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」「ここは酷いインターネッツですね」「テラワロス」「qあwせdrftgyふじこlp」など、インターネット上でおなじみのキーワードがピックアップされている。「萌え属性」「ツンデレ」「萌え擬人化」といった“萌え”関連の語句や、衆院選を反映してか「改革Tシャツ」「政権担当能力」などの政治的なキーワードも収録予定だ。
これら105種類のキーワードは、原則としてはてなユーザーが編集したままの内容で掲載する予定だが、紙幅の都合により一部省略するケースもあるという。また、各キーワードの関連語句については、「掲載語に関連するはてなキーワード」として紹介する。
いやだぁ・゚・(ノД`)・゚・
米Microsoftは9月6日、人間工學的な設計を取り入れて使ひ勝手の向上を圖つたキーボード及びマウスと、ゲーム向けに最適化したマウスの新製品を發表した。
新キーボードの「Natural Ergonomic Keyboard 4000」(64.95ドル)は、キーをユーザーの手の形に近づける形で配列、不必要な動きを減らして自然な姿勢で入力出來るやうにした。「戻る」「進む」ボタンや「お氣に入り」キーも裝備、Webページをボタン一つで操作出來るやうになつてゐる。9月中に發賣豫定。
左右12度まで開くキーボードが、その新キーボードらしい。何だかここまで竒拔な物を販賣されると、逆に期待してしまふ。Internet Explorer 7は劇的な變化を遂げるやうな旨は報道されてゐないので期待してゐない。
ゲーム用に最適化した新マウス「Laser Mouse 6000」(54.95ドル)は、「Game Precision Series」のシリーズ新製品となる。ゲーム專用のソフト機能として、スピードと照準コントロール切り替への爲の「Precision Booster」、ボタン一つでよく使ふ武器やプログラムを切り替へられる「Gaming Toggle」を裝備。薄型で柔軟性の高いコードはワイヤレス感覺で操作できる。10月に發賣豫定。
パソコンでゲームはやらないので、こちらは興味無し。
キーボードにしろマウスにしろ、認識させる爲のソフトウェアは矢張り必要なのだらうか。
任天堂は、ニンテンドーDS用ソフトとして「スーパープリンセスピーチ」を、2005年10月20日に発売予定であると発表した。価格は4800円(税込)。タイトルからも分かる通り、本作はピーチ姫を主人公にした横スクロールアクションゲームとなっている。
なぜピーチ姫が主人公なのか、マリオは? という疑問を持つ人もいるだろう。事の発端はクッパ。マリオに仕返しを企むクッパは、「喜怒哀楽」をおかしくさせるという不思議な力を持つ「キド・アイラックの杖」を入手し、その魔法でマリオたちを捕まえてしまう。卑怯なクッパに怒ったピーチ姫が、マリオたちを救うため、相棒のカッサーとともに冒険の旅へと出発する、となったわけだ。
………。
私はニンテンドーDSは持つてゐるが、DS專用ソフトはヒトフデしか持つてをらずGBA專用ソフトばかりをやつてゐる。オカルトバリバリの逆転裁判でも買ふか(GBAでは「逆轉される裁判」ばかり體驗してしまつたが)。
「文字化ける」で貼っていた画像が大き過ぎて、影鷹では縦スクロールバーが表示されてしまったので、画像へのリンクを設定する事にしました。普通のUAでは横スクロールバーが問題なのですが、影鷹では縦スクロールバーが問題となります。縦書きなので。
土曜日に出てきて、それから 2回寢たやうな氣がするので、今日は月曜日でせう。間違ひない。
これを讀んで考へてみたのですが、私の場合、曜日の感覺がなくなつても殆ど困らない日常生活を送つてゐます。まじで。
米Googleは、ハリケーン「カトリーナ」の被害を受けたニューオーリンズの衛星写真を、同社の地図検索サービス「Google Maps」で公開している。同社Google Maps部門製品担当マネージャのBret Taylor氏が、米国時間9月2日のブログ投稿記事で明らかにした。写真は8月31日に撮影したもの。
晒(以下略)。
WWWの標準化団体であるW3Cに全ての決断は任せられます。WWWの利用者が幾ら反対しても、W3Cが決断を下せばそれがWWWの理念となります。更に、W3Cの会員の殆どが賛成しても、W3Cの総長(現時点ではTim Berners-Lee氏)が承諾しない限り、その案は勧告する事が出来ません。
その旨が、度々WWWの欠点として挙げられます。民主的ではないからです。が、それはWWWの欠点などではありません。寧ろWWWでは当たり前の事です。そもそもW3CはTim Berners-Lee氏が自分の理想を実現する為に結成した非営利団体ですし、WWW自体もTim Berners-Lee氏が自分の理想を実現する為に開発したシステムなのですから、民主的ではないのは当たり前なのです。幾ら利用者が反対しても、W3C、特にW3Cの総長の独断でWWWの理念を操作出来ます。それに反対するのであれば、WWWを利用しなければ良い。それがWWWの在り方です。
「利用者が増えてきたからルールを変えるべきだ」とか「昔の理念なんて既に通用しない」とか言っている人は、本当にWWWの理念を知っているのでしょうか。
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- 質問した人:ID非公開
- 回答件数:1
- 投稿日時 : 2005/ 9/ 4 21:08:16
- http://lan.rgr.jp/
- ここの管理人のメルアドはどこに載っているのですか?
- 回答した人:ID非公開
- 投稿日時 : 2005/ 9/ 4 18:34:16
- 回答番号 : 21494662
- ありました。トップページのソースをご覧ください。
<link rev="made" ...>- という記述の中にメールアドレスが記述されています。
- ですがこの方とコンタクトを取るというのは相当勇気がある行動だと思いますが。
てへっ★
それにしても、Yahoo!のソースが酷過ぎだよ。会話文として成立させる為にマークアップし直しましたが、原型をまるで留めていません。
正字正かなによる文章の記述が不評だったので止め。反対票が賛成票を大きく上回りましたとさ。
よく、批判されるとすぐ「私の意図したことを誤解された様なので」とかなんとか言って、
ヤサシイ言い方に変えたりする人がおりますが、そうなると、おもしろくなくなっちゃうんですよねー。
寧ろ優しい言い方に変えた方が、善人を装っているのでタチが悪かったりする(厳しい言い方の人=善人ではない、と云う意味ではありませんが)。
真名垣さんの書かれるものを、もっと読みたく思い、無為徒食日記さんの9月分をブクマしました。
有難う御座います。4日で正字正かなの検討を廃止してしまった日記ですが、よろしくお願いします。
昨夜、アクセス解析結果の「ウチをリンクしてるよそ様から来た人〜」を見て、真名垣さんちを見つけた俺ですが、今朝、真名垣さんの8月日記を見たら、俺んちへのリンクがない様なんです。???
ゆんべ、このダイアリー記事書きながら、真名垣さんちを参照していた時には、タイトルの
引用「29日 リンクについて ガラリアさん好き好き病 の発言について」部分に、
ウチへのリンクが貼られていたのを見たよぉな気がするんですが、あれは俺が見た夢だったのかな。???
まーいーや、リンクを貼る・貼らないも、みんなの自由ですもんねぃ。
誰かに殴られて記憶を失った可能性がありますが、とりあえず私が29日 リンクについて ガラリアさん好き好き病 の発言について
の部分からリンクをした覚えはありません(いや、記憶がハッキリしないので曖昧なのですが)。
アクセス解析についてですが、blockquote、q要素のcite属性で引用元のURIを示しているので、そこから人が移動したからアクセス解析で発見出来たのだと思われます。例えば、Internet Explorerはcite属性を表示する事が出来ませんが、Netscape、Mozilla、Firefoxはcite属性の値を参照出来ます。又、コンテクストメニュー追加セットを利用する事で、Internet Explorerでもcite属性の値をリンクに変換する事が出来ます。それらを閲覧者の方が利用した可能性が高いです。
私がブックマークしている日記。一部、日記っぽいものも混ざっている。
何故Internet Site Opinionよりも「Usually Diary」を斬るの方が人気なのだろう。と言うか、このサイトは「世にも奇妙なマナーの主張に突っ込み」の主張に突っ込みと「Usually Diary」を斬るの人気が変に高い。「「世にも奇妙なマナーの主張に突っ込み」の主張に突っ込み」だけが単独でリンクされている事もある。自分では分からないが、そんなに良い内容だろうか。まあ、好まれている事は明らかだと思うのだけれど。
dl要素は何にでもある意味、物理マークアップよりもdl、dt、dd要素の方が製作者の意図が伝わりにくいのではないかと思う。太字にしたい、斜体にしたいと云う製作者の意図を閲覧者が掴む事は出来ないが、dl、dt、dd要素だって、定義リスト、会話文、テーブルの置き換え、サイトのメニュー、日記、リンク集等、何にでも使える。結局、製作者がどういう意図でdl、dt、dd要素を用いているか、UAは正しく解釈出来ないのではないか。
言ひ譯が惡いのではなく、卑屈な言ひ譯が惡いのです。
この人までプチ野崎たんになつちやつた。
まあ、ここは試驗的なものなので、正字正かなによる日記の評判が惡ければ、略字略かなに戻す積もりです。今のところ、贊成7票、反對12票の状態です。
この際、差別化の爲に復古調文體にでもしてみますか。因みに、上の文章を復古調文體に直すと、以下のやうになります。
まあ、此處は試驗的なるゝものなれば、正字正かなによる日記の評判が惡ければ、略字略かなに戻す積もりにて候。今の處、贊成7票、反對12票の状態で御座候。
硬いなあ。
Internet Explorer 6は一部の正字を表示出來ない。Opera 8ではきちんと表示出來る。それぞれキャプチャ畫像を用意したので、比べて見てみれば、Internet ExplorerはHTML、CSSだけではなく、日本語への對應も不十分である事が分かるだらう。又、Netscape、Mozilla、FirefoxもOperaと同樣、きちんと表示してくれる。Lynxと影鷹は未對應のやうだ。
Internet Explorer 6やLynx、影鷹ユーザの方はソースから文章を讀むと良いと思ひます。こんな事を言ふと「UAを選ばせるウェブサイトを作るのはいけないと言つたのはお前ぢやないか」とか言はれさうですが、この場合は言ふまでもなくUAの所爲であり、私の所爲ではありません。世の中に存在するUAを選ばせるウェブサイトの多くは、仕樣を守らなかつた結果、UAに依存してしまつたものであります。
尤も、ソースを見れば良いとは言つても、メモ帳もWordPadも一部の正字には未對應です。有名なTeraPadやMKEditorも未對應のやうです。秀丸エディタなら對應してゐるので、そちらをお試し下さい。と言ふか、TEditor自體が正字を上手く表示出來ないので、エディタ部分にTEditorを使用してゐるソフトは軒竝み駄目みたいです。
私が長年愛用してゐたRepl-Aceと云ふ一括置換ソフトまで一部の正字に未對應だつたよ…。その所爲で、一括置換したら一部の正字が?に變換されてしまつた。OperaやMozillaのやうに、正字に完全對應した一括置換ソフトつてないのでせうか。
今日公開した目に優しいウェブページを求むに存在する、強烈なほどに不適切なクラス名を批判されたら、私は全く反論出來ない。
何か今のクラス名に代はる良いクラス名を思ひついたら、自分のサイトからでも良いので提案してくれれば嬉しいです。
とりあへず日記だけ正字正かなで書いてみる事にする。評判が良かつたらIMEの問題を何とかしつつ、サイト全體の文章を正字正かなにして、評判が惡かつたら略字略かなに戻す積もり。私が突然「正字正かな」の記事を書き出したのは、闇黒日記 平成十七年八月二十八日で紹介されてゐた、学校では教へてくれない日本語の秘密を讀んで、感銘を受けたからである。今まで「慣れてゐるから」とか「發音を表した方が分かりやすい」とか云ふ理由で略字略かなを用ゐてゐたが、この本を讀んで一瞬でその考へを捨ててしまつた。それが、私が正字正かなへの移行を檢討した一番大きな理由である。「表記と表音の區別」は、「構造と見榮えの分離」と同じ原理。私がHTMLとCSSで構造と見榮えを分離してゐる以上、表記と發音を區別しようと云ふ發想が生まれてくるのは極自然な事である。と云ふのが、本を讀んで感じた事。
實行に移すとしたら時間が掛かるが、正字正かなによる無爲徒食日記の記述の評判が良ければ、暇を見つけて正字正かなに移行する豫定。
尚、私が言ふ「正字正かな」は「『正字』と『歴史的假名使ひ』」の組み合はせの事で、「略字略かな」は「『常用漢字』と『現代假名使ひ』」の組み合はせの事である。
ホームページリーダーは正字正かなを上手く讀み上げられない。略字略かな方式で讀み上げてしまふ爲、「云ふ」は、あ行のゐの段と、は行のうの段の組み合はせで發音される。その上、一部の正字は解釋すら出來ず、空白文字と同列の扱ひになつてしまふ。詰り、對應してゐない正字に當たつた時は一瞬間を置いてから、さつさと次の文字に移つてしまふのである。IBM…。
私がUAによつてMIMEタイプを振り分けてゐるのは言ふまでもなくUAの實裝に對して妥協をしてゐるからである。私は閲覽が可能かどうかで、UAの實裝に合はせて妥協するかどうかを決める。link要素によるナビゲーションにInternet Explorer 6以前は對應してゐないが、閲覽は十分可能なので、構はずlink要素だけでナビゲーションを行つてゐる。が、XHTML文書のMIMEタイプをapplication/xhtml+xmlにするとInternet Explorer 6以前では直接參照が出來ないので、妥協した上で振り分けを行つてゐるのである。
私は理想主義者と言へど、現實を全く考慮してゐない譯ではないのである。
パソコンをフォーマットしたので秀丸エディタを再インストールしたのだが、秀丸メールで受信したメールはサーバから削除する設定にしてしまつてゐた爲、免除制度の利用方法が書いてあるメールを紛失してしまつた。秀まるをのホームページにはメールアドレスなど登録情報が變更になつた方は、新しい登録内容で再申請をお願ひします
と書いてあつたので、メールアドレスを變更する譯ではないが、再申請してみた。
私が最も非合理的だと思つてゐる要素はfont要素でもcenter要素でもなく、img要素なのである。空要素は例外的なHTML要素であり、HTMLを誤解する元となつてしまひやすい要素である。img要素は空要素であり、畫像を表示させると云ふレンダリングを規定するものであるし、alt屬性も理念から見れば極めて非合理的であるし、普通のテキストしか書けないので實用的ではない。尤も、普及し過ぎてゐるので廢止するには問題が多いのだが…。因みに、XHTML 2.0は全要素にsrc屬性が追加され、インライン要素で畫像等を表示させたい時はobjectやspanを用ゐると云ふ仕樣になつてゐる。
文字コードがShift_JISだと一部の正字が機種依存文字と認識されてしまふので、UTF-8に變更した。Shift_JISなんてイヤイヤ。
私としてはIMEから正字正かなを出力出來れば、正字正かなで文章を記述出來ます。が、IMEは正字正かなに對應してをらず、自分でユーザ辭書を作らうにも時間と勞力が要るので、略字略かなのままなのです。正字正かなは讀んで字の如く「正しい」ので、IMEから正字正かなを出力する事さへ出來れば、私は當サイトの文章を正字正かなに直すかも知れません(若干抵抗はありますが)。
ところで、言語コードに正字正かなと略字略かなを區別する爲のコードが追加されないでせうか。ja-validとja-invalidとか。