無為徒食日記 二千五年十二月上旬

十日

購入

お昼ご飯

店員
ご注文は何に致しましょうか。
じゃあ、この天ぷら定食を。
店員
お客様、大変申し訳ございません。只今、ご飯を切らしていまして…。
…じゃあ、こっちのステーキセットを。
店員
畏まりました。

ご飯時に米を切らすな。

読点は重要

このソフトウェアは通常のログ解析ソフトとは違い、404エラーや403エラーなどWebページを公開しているあなたにとって、 常に把握しておきたいエラーが一箇所にまとめられます。

読点の使い方云々の所為で、文章の意味を理解するのが難しかった。

Webページを公開しているあなたにとって、 の「、」が404エラーや403エラーなどの後に「移動」すれば、多分すぐに分かった。

九日

試用

Wisteria - 秀丸マクロ - CompleteTag + CompleteCSSを試用中。

navigateの意味

闇黒日記 平成十七年十二月八日一番目で、navigateの意味が引用されていました。とりあえず、私の手持ちの辞書より。

navigate
  1. (船・飛行機)を操縦する;〈車・船・飛行機・ミサイルなど〉を誘導する;…のかじをとる.
  2. (海・川・空)を航海[航行,飛行]する.
  3. …を海上輸送する.
  4. 《略式》…を通過させる;…を(注意して[安全に])通り抜ける
  5. …を導く,案内する.

情報収集のための11の質問に回答する

「答えて下さい」の様な感じでバトンが回って来たので答える。

RSSリーダーを使っていますか?
使っていない。
そういうのはアンテナで十分。全てのサイトがRSSを提供する様になったら便利だろうけど、全てが全てそういうWeb 2.0的な作りでない限り、こっちのサイトはRSSリーダーで確認して、こっちのサイトはアンテナで確認して、と云った感じでばらつきが出る。なら最初からアンテナで一気に確認すれば良いし、アンテナとRSSリーダーの併用も無意味な気がする。
今、私がRSSの提供(フォーマットはAtom)を考えているのも、便利に使ってくれそうな人がいる、詰りは閲覧者にとってのユーザビリティを向上させると云うだけで、私自身が閲覧者になった時は、他人がRSSを提供してくれなくても支障はない。と言うか、全体的にWeb 2.0と云う概念に興味を惹かれない私は如何すれば。まあ、如何もしないけど。
アンテナを使っていますか?
使っている。
何を使っているかは秘密。登録数は七十五件くらい。
ソーシャルブックマーク(SBM)を使っていますか?
使っていない。
何故他人と共有する必要があるのかが全く理解出来ない。サーバとの遣り取りとかを考えれば、Operaで即ブックマークする方が簡単。ソーシャルブックマークが有益な情報源になると云う考え方もある。然し、過去に数ヶ月ソーシャルブックマークを使っていたが、特に何の役にも立たなかった。矢張りUAのブックマークの方が楽。
その他情報収集に使っているツールはなんですか?
他人の日記(ツールじゃない)。
私の情報源は常にアンテナとOperaブックマーク、そしてアンテナから辿る日記サイトだ。
他人にこれはお勧め!と思う方法は?
他人の日記を閲覧しなさい。手頃なネタが結構手に入るから。
逆にこれはお勧めできないな、と思う方法は?
毎日々々UAのブックマークを一つ一つ見て行く事。
情報収集で良く参照するサイトは?
自分のアンテナとさとみかん
自分のブログで良く言及・リンクするサイトは?
私はブログは持っていないけども、IT ProとかINTERNET WatchとかJapan.internet.comとかITmediaとかCNET Japanとか。
逆にここは参照してはいけない、と思うサイトは?
2
WEB以外で良く情報源にするものは?
特になし。
強いて言えば、INTERNET Watchの記事に言及する時は、殆どINTERNET Watch Flashから。
最後にあなたが情報収集方法を知りたい人は?
某方面【何処】の関係者【誰】。

Internet Explorer 7のβが四ヶ月以内に

本当の意味で、「期待せずに待つ」。

緊急じゃない月はないのか

緊急レベルのパッチが配布されなかった月が、ここ数ヶ月一度もない。

過去の名前だから間違うのも仕方ないが

窓際エチケットという名前の、所謂「ネチケット」を語るサイトだったように記憶していたが、いつの間にかウェブ合戦にウェブサイト作成講座批判が増えて、PC Tipsみたいになっていた。

違います。

関係の薄い話だが、ウェブ合戦のウェブサイト作成講座批判についてのリソースは、例の解説記事が出来たらそちらに移動する積もり。今のInternet Site Opinionは、エチケットだのウェブサイト作成だの、色々な記事が混在していて分かり辛くなっている。よって、エチケットはエチケット、ウェブサイトはウェブサイトで分離する事にした。今書いている解説記事は、ある意味当サイトのリソースを整理する為に書いている記事でもある。

それと、「ネチケット」と云う言葉を私は用いない。ネットでのエチケットと称しているにも拘らず、「人間関係の築き方」について書く人が非常に多いからと云うのが一つの理由。「人間関係の築き方」なんてネット特有のものではない。現実世界で上手く人間関係を築き上げている人は、すぐにインターネットでも人間関係を築ける筈だ。付き合いが上手い人は、そこら辺の「常識」を身に付けている。本当にネット特有のエチケットについて書くのであればネチケットと書いても良いけど、その必要性すら私には感じられない。エチケットで良いじゃないか。ネチケットなんて、acronym要素が廃止されてabbr要素が使われる様になるのと同じく、エチケットと云う広義な言葉によって滅ばされるのだよ。きっと。

アンテナに登録して定期的に巡回しようかどうか検討中の日記

ただ、こういう日記の場合は最新版を用意してくれると有り難い。その方が一度アンテナに登録するだけで良いし、ブックマークも変更する必要がないから。無為徒食日記には、最新版へHTTPリダイレクトされるリソースを用意してある。

八日

意味は複数

navigateは操縦するって意味なんでは……。

「通過させる」と云う意味も持っています。他には、指示を与えるとか、歩いていくとか、通り抜けるとか。

失態その三 - insの中にdel

訂正して戴きまして有難いのですが、はてなも問題はなからうと思ふのですが。一般ユーザは兎も角、はてなのスタッフの方々サイドバーをフッタに入れるようにしてゐるやうです。

済みません済みません(以下略)。

最近謝る(誤る)機会が多くなった気が。発言する時はもう少し慎重になろう。

製作再開

HTMLの解説記事を又書き始める。次は表関連の要素の解説か。然し、表の解説は嫌だ。要素にしろ属性にしろ複雑で面倒。解説記事は「私のリファレンス」としても使う予定なので、面倒でも書く積もりだが。

時間関係は正確に把握するべき

真名垣氏がNavigateは「通過させる」の意にて、とりあえず個人的な理念であるという事は了解した。あとは件の箇所もそれっぽいものに改めて頂けるといいのだが。

件の箇所って何処だろう。

日本語の講義をだらだらと書かれていますが、どうやら俺の日本語が悪かったのが意見の行き違いの原因らしい。但し、不適切であるのなら勝手に自分で「俺ルール」の意味を定義せずに、最初に「俺ルールって何よ?正しい日本語で書け!」と相手(俺)に言うべきではないだろうか?そうすれば誤解も防ぐことが出来ただろうが、今になって誤解されても仕方のない「俺ルール」と云う語を使用した方が悪い。なんて言われても困るわけ。こっちは真名垣氏が「俺ルール」の意味を理解しているのを前提に言及しているのだから。

だから、自分は意味を理解していると私は認識していたが、話が噛み合わないとすれば自分が認識している「俺ルール」の意味は違う可能性があると思って私は先日の文章を書いたのだ。yam氏の批判は、私が最初から「自分が認識している俺ルールの意味はyam氏の言っている俺ルールと違うかも知れない」と思っていなかった限り成り立たない。

今回の議論中に俺が書いたやっぱり"俺ルール"というリソースを読んで頂けると分かると思うが、この文章を読んでいれば「真名垣氏個人の思想、理念」と「俺ルール」が繋がらないはずがないと思うのだが。どう見ても真名垣氏は「俺ルール」の意味を知っているような気がする...まぁ憶測の域を出ないので何とも言えない。

どの箇所を読めば繋がらないはずがないのかが私には理解出来ないのだが。それと、私は先程も言った通り「話が噛み合わないとすれば語の解釈に相違がある」と考えられるから指摘をしたのであって、その時点では知っていると認識していたのは当たり前。又、どう見ても真名垣氏は「俺ルール」の意味を知っているような気がすると云う批判は、私の俺ルールの解釈とyam氏の俺ルールの解釈が一致した場合のみ成り立つものであって、「語の解釈に相違がある可能性がある」と云う指摘を行った時点では成り立たない批判である。

つうか文法のみでしか他人の言っていることを理解出来ないのなら、言っちゃ何だが真名垣氏の文章読解能力はたかだかUA並みという事になってしまう。そして真名垣氏は俺の文章をパースしてエラーを出しておきながら堂々と反論していたわけだ。全然論理的ではないし、おかしな話だ。

何処を如何読んで文法のみでしか他人の言っていることを理解出来ないと認識したのかが分からない。私は「文法が破綻していた場合、誤解が生じる危険性がある」と言ったのであって、文法のみでしか他人の言っていることを理解出来ないとは、それこそ一言も言っていない。

たった一文字違うだけで、意味が全く異なる。若しも最初の「てにをは」が抜けて「彼、本を売った。」とだけ書いてあった時、それを正確に読み取る事は可能か。勿論、誤解が生じる危険性は非常に高い。「俺ルール」もそれと同じなのである。又、私は先日の記事を書く前に、「俺ルールの解釈に相違があるかも知れない」事に気付いたのであって、エラーを出しておきながら堂々と反論していた等と解釈したyam氏は読解力に欠けている。yam氏の解釈自体が全然論理的ではないし、おかしなものだ。

七日

Navigateは「通過させる」の意

最初に述べておくと、私は「リンク」と「ナビゲーション」を厳密に区別している。ナビゲーションと云うのは、他のリソースへとジャンプする事を前提として設定されたリンクの事を指している。だが、本来のリンクは他のリソースへとジャンプする事を目的としたものではない。リンクは、ある文書と他の文書の間に明示された関連の事を言う。そのリンクの理念に反した形で設定されたものがナビゲーションと云う代物である。それ自体がUAの実装に基づいたものだ。ジャンプさせる為にリンクを設定するなんて、マージンを取る為にblockquote要素を用いる様なものである。普通の文書に存在していた部分を始点アンカーとしてリンクを設定する事は何ら問題のない事であって、それは「ナビゲーション」と言えるものではない。ただのリンクだ。HTML/XHTMLはハイパーテキストであるから、矛盾したリンクが存在するHTML/XHTML文書も、矛盾した文書である。

それを踏まえた上で、以下。

真名垣氏が「無為徒食日記 二千五年十二月上旬」で「文章としての致命的な矛盾」は「HTML/XHTML文書としての致命的な矛盾」になる事があると述べている。それならば、真名垣氏から見ればW3Cのワーキングドラフトや仕様書も致命的な文書になりうるのだろうか?

例えば、XHTML� 2.0の最新ワーキングドラフトを見れば分かるように、主題はもちろんXHTML� 2.0、入れるとしてもW3C Working Draft 27 May 2005ぐらいであろう。然し、最上部にナヴィゲーションらしき記述が容易に確認できるし、実際<div class="navbar">という記述がされている。さらに、その下にはW3Cのロゴがあって、そこからW3Cのトップへとジャンプ出来るようになっており、<div class="head">という、h1~h6とは別個だという位置づけがなされている。ロゴの話も含めて、この一連の記述をナヴィゲーションとしてとらえない事がどうして出来ようか。

私からすれば、W3Cのワーキングドラフトや仕様書も致命的な文書になりうる。XHTML 2.0のWDの上部と下部に用意されている[next] [table of contents] [elements] [attributes]等のリンクは、ジャンプする事を前提としている矛盾したリンクだ。

全てのUAがlink要素をサポートして、全てのサイト製作者がlink要素を的確に記述すれば、ウェブのユーザビリティは格段に上昇すると思うのだが、残念ながらそうはいかない。サイト製作者が「俺ルール」でサイトを製作している以上、link要素が一般化する事はまずないだろうと思う。しかもlink要素をサポートしたUAは非常に少ない。Internet Explorer、Firefoxの二大UAはlink要素をサポートしていないし、OperaにしろLynxにしろ、まだまだlink要素を使い易くする事は出来る。その様な現状があるから、W3Cは便宜としてナビゲーションをbody要素直下に入れているのではないか。

そもそも、W3Cが勧告してきたHTML/XHTML自体が「便宜主義」に基づいたものである。StrictにしろXHTML 1.1にしろ、その仕様は依然として便宜主義に基づいており、その仕様に基づくHTML/XHTML文書も、便宜主義の名の元に存在する。W3Cは理想主義的な立場を見せる事が多いが、時として便宜主義的な立場も見せる。仕様書にあるナビゲーションも所詮は便宜主義に基づいたものであり、好ましくはない。

さらに、Quick Table of Contentsでは、XHTML� 2.0を説明するための項目が並べられている。いわば、本で言う目次だ。そして、もちろんそのアンカーをクリックすれば、閲覧者が期待している通りの内容を読むことが出来る。ッ これはナヴィゲーションそのものではないのか。

目次は目次であって、ナビゲーションには成り得ない。本で言う目次に含まれるある部分を始点アンカーとして、他の文書と関連付けているだけである。無論、インライン要素は著者の意図なり判断なりを明示する要素だから、若然したらW3Cはジャンプする為にリンクを設定しているかも知れないし、本人に聞かない限りそれを読み取る事は不可能だ。だが、少なくとも仕様書の目次は、「元となる文章」に含まれていても、何ら矛盾するものではない。何故ならば、それはtetsuryu氏も認めている通り、本で言う目次に過ぎないからだ。

そもそも、HTML文書にもナビゲーションは存在しないとしたら、「Internet Site Opinion」のindexやらも致命的な文書になってしまう。木を見て森を見ていない状態であり、おかしい話である。

Internet Site Opinionも、本で言う目次をアンカー化して、そこからリンクを設定したものであり、致命的では有り得ない。

ある人は「無断リンクは禁止できる」という。もちろんこれは個人の思想としては認められる。但し、これを一般化することは出来ない。 それと同様に、真名垣氏の言っていることも個人レベルならOKだ。「一般化された物」と認識しているものとして話しているから、yam氏に「俺ルール」と叩かれるのである。

私は「一般化された物」と認識しているものとして話していない。私は最初から個人の思想を前提にして話している。「HTML/XHTMLの理念から言って、body要素直下にナビゲーションが存在するのは矛盾だ」と云う指摘も「個人の思想」だ。「HTML/XHTMLの理念から言って、body要素直下にナビゲーションが存在するのは矛盾だ」と云う旨の文章が、W3Cの勧告した仕様の仕様書には含まれていないからだ。仕様書に含まれていない以上、どんなに「論理的に正しい」としても、「個人の思想」だ。仕様策定者に聞いて、解釈があっているかどうかを聞かない限り、「論理的に正しい個人の思想」にしか成らない。見出しレベルの飛躍が悪いと云うのも、div/span要素の大群が成している文書は好ましくないと云うのも、全ては個人の解釈から生まれたものである。それらの思想も、所詮は一般化された物等ではなく、今に至っても「個人の思想」の域を出ない。詰りは、私のHTML/XHTMLの理念についての解釈も「個人の思想」に過ぎなく、一般化された物には成り得ない。

然し、それはあくまでも個人の思想に過ぎないから、yam氏の「俺ルール」と云う指摘は不適切だ。「個人の思想」と「俺ルール」は意味が異なる。yam氏が「それは個人の思想なのでは」と云う疑問を呈したとすれば、私は端的に「個人の思想です」と返しただろう。だが、「俺ルール」ではないから、私は「俺ルールではない」と返したのである。

尤も、私は「俺ルール」と云う言葉を「俺『の』ルール」と云う意味であると解釈しているが、「俺ルール」と云う言葉には「てにをは」がないので、「俺『の』ルール」と云う意味ではない可能性があり、若しもそうであれば今回の論争は最初から話が噛み合う訳がないし、本当に「俺『の』ルール」と云う意味でなかったとしたら、それは「てにをは」がない、誤解されても仕方のない「俺ルール」と云う語を使用した方が悪い。

nl要素

XHTML 2.0ではnl要素と云う如何考えてもリンクの理念を無視したとしか思えない糞要素が追加されるみたいだ。私は現時点でのXHTML 2.0のWDには大反対だ。賛成できる箇所と言えば、section/h要素の導入と、見栄えに関する要素の完全廃止くらい。本当にそれくらいしかない。br/hr要素の廃止も賛成出来るが、separator/l要素と云う又微妙な要素が追加される。今のXHTML 2.0はHTMLの理念からもXMLの理念からも遠ざかっている。

何だかなー。

六日

「ホリエモン」の商標登録出願について

と云う事で、livedoorだけが取得可能との見解が出たらしい。今更「ホリエモン」の名を出しても、誰も興味を持たないと思うが。

ブログ普及委員会は滅べ

要らん。

ブログ普及委員会は、ブログの楽しさをより多くのユーザーに伝え、健全なブログ文化の育成に寄与することで楽しくて役立つインターネット社会の実現を目指す目的で、ジャパンブロガーカンファレンス協力、ニフティ後援のもとで設立されるもの。

楽しさを感じられるのは製作者と、それに馴れ合う閲覧者だけだ。文章のみを読みたい閲覧者にとっては、ブログだろうとそうでなかろうと一緒ではないか。製作者と連絡を取りたいわけでもない、文章のみを読みたい閲覧者にとって、ブログと無為徒食日記にどれほどの差があるのか。寧ろ、「コメント」「トラックバック」「最近の記事」「カレンダー」「おとなり日記」とかの、それこそ特定の閲覧者にしか役に立たない様な代物がない分、無為徒食日記の方が、アクセシビリティにしろユーザビリティにしろ、ブログより優れているとは言えないか。

私は「ブログ」も閲覧しているが、「はてな」や「ココログ」等のウェブサービスでは、ユーザスタイルシートを使うと「段組みレイアウト」が崩れて、「コメント」「トラックバック」「最近の記事」「カレンダー」「おとなり日記」とかの部分を全てスクロールして読み飛ばさないと記事に辿りつく事が出来ない。「はてな」「ココログ」等のブログはユーザスタイルシートとの整合性が悪過ぎる。

validとwell-formedを混同

上記のリソースに書いてある通り、先日の文書を下まで全部閲覧出来れば、それがvalidである証と云う文章は間違いで、正しく言い直すなら「文書を下まで全部閲覧出来れば、それが整形式である証」でした。失態致しました。

余談。MS-IMEでは「いたずらがき」が「悪戯書き」としか変換出来ない。仕方ないから単語登録。

またも失態

「はてな」とか「ココログ」とか、そういう「一般的なブログ」を対象にして書いた記事なのだが、その旨を書いておくのを忘れていた。とりあえず、何とかそういう意味になる様、二箇所ほど追記しておきました。

余談。「○○は滅べ」と云うフレーズには元ネタがあるんだけど、分かる人、いるかな。

まずは文書を読め

この一文、まったく意味不明。元の文書にないものをいちいち追加するわけないだろうが。

元の文書にないものをいちいち追加するわけないならHTML/XHTML文書にナビゲーションは存在し得ない。

ちなみにWord文書は本文中にハイパーリンク(ナビゲーション)を埋め込むことが可能だし、アウトライン文書として見出しごとにナビゲーションが作成出来るが、それは別物扱い?ではその文書をHTML文書に変換する際、本文にナビゲーションを入れてはダメなのか?そんな馬鹿な話はない。そのような強制はされない。何をもって自分の論理を正当化しようとしているのかまったく理解出来ない。

yam氏はハイパーリンク(ナビゲーション)と書いている。この時点で既にすれ違いが生じているのである。ハイパーリンク(以下、リンク)とナビゲーションを、私は厳密に区別している。私は、別のリソースへ移動させる為に、故意に設定したリンクをナビゲーションと呼んでいる。逆に、それ以外のリンクは全て「文書と文書の関連」の事であって、ナビゲーションではない。私が言う「矛盾」は、リンクに於ける始点アンカーを、他のリソースへ移動させる為に態と設定する事であって、元の文章に存在している部分をアンカーとする事ではない。本にある目次等をHTML文書としてマークアップする際、各ページの題名の部分をアンカーとしてリンクを張る事を、私は問題視しない。が、他のリソースへ移動させる為のアンカーはリンクの理念に反する。HTML/XHTMLがハイパーテキストである以上、矛盾したアンカー、リンクはHTML/XHTML文書に於いても矛盾で、若しそういう矛盾したリンクが必要なら、それは妥協としてhead要素に打ち込めば良いと言っているのである。

ちなみに他者って誰?

Tim Berners-Leeに決まっている。私はしっかりとISBNを明示して引用しているのだから、それを調べれば電子化文書をネットワークで交換する際に用いられるべき共通フォーマットとして開発されたと云う文章が、Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのかからの引用である事は自明。この後の文章でyam氏が例え野嵜氏が言っていることであろうとと述べている通り、私が「誰のリソースから引用したのか」をyam氏はしっかりと調べている。何故Webの創成からの引用だと調べられないのか。

論理的に正しいのであれば、それは正義に成り得る。は同意。その後のHTML/XHTMLの理念から言って、body要素にナビゲーションを設置する事は矛盾である」と云う指摘が論理的に正しければ、それを間違いだとする事は出来ない。という箇所、何故勝手に「HTML/XHTMLの理念から」なんて言っているのか?個人的な理念だが論理的に正しいということなら理解出来るのだが、勝手に「HTML/XHTMLの理念」としてでっち上げないで欲しい。

HTML/XHTMLの理念からと云う部分も指摘の内に含まれている。私はHTML/XHTMLの理念から言って、body要素にナビゲーションを設置する事は矛盾であると云う部分を一括りにして指摘と称している。その指摘が論理的に正しければ――詰りは何故「何故『HTML/XHTMLの理念から言えば』ナビゲーションを設置する事は致命的矛盾なのか」を論理的に説明すれば――それは批判し得ないと云うだけの話である。

HTML/XHTML文書としてナビゲーションが必要であると思えばナビゲーションを文書中に加えるのは何の問題もないし、いらないと思えばナビゲーションは取っ払うなりlink要素のみで提供するなり、作成者が好きなようにすればいい。仕様もそれを許容している。ただそれだけの事である。

元の文書にないものをいちいち追加するわけないと言っておきながら、ここではナビゲーションを文書中に加えるのは何の問題もないとyam氏は主張している。何故か。yam氏は最初にまったく意味不明と書いたが、しっかりナビゲーションを文書中に加えると言っているではないか。全く人を嘗めている。

完成された文章中にナビゲーションを置いてはいけないというルールは存在しないので、野嵜氏がW3Cから引用(または意訳)した「文書構造に於る機能に基いたマークアップを行ふべき」という一文は「ナビゲーションをそれなりにマークアップしてやればいい」という話ではないか。すなわち、文章の構成はマークアップに無理のない程度に自由に行なって、それにふさわしいマークアップをすれば良いというだけの事。

私はルールの話はしていない。普通に文章を書けば、自然に「ナビゲーションのない文章」が完成すると私は言っている。そもそも、ある文章のある部分にリンクを設定すれば私の言う「ナビゲーション」が成立するのであって、完成した文章にナビゲーションが存在する事はない。完成された文章中にナビゲーションを置いてはいけないルールは存在しないと云うyam氏の反論は二重の意味で的外れ。

「文章としての致命的な矛盾」は「HTML/XHTML文書としての致命的な矛盾」たる根拠にはならない。そもそもこんなこと言い出したらハイパーリンクの存在意義が怪しくなるだろうに。

何故怪しくなるのかをyam氏は説明しない。

尚、私は「文章としての致命的な矛盾」は「HTML/XHTML文書としての致命的な矛盾」になる事があると述べた。「なる事がある」とは「全てに於いてそうなる」と云う意味ではない。

俺が言いたいのは「HTML/XHTMLの仕様を読み手が誤解するような文章は止めて欲しい」ということ。

その様な行為は私も止めて欲しいと思う。が、私の主張はHTML/XHTMLの仕様を読み手が誤解するような文章ではない。私は仕様の話をしていない。理念の話をしている。その事は、既に仕様書が全てではないで述べた。

五日

HTMLは何の為に開発されたのか

電子化文書をネットワークで交換する際に用いられるべき共通フォーマットとして開発されたと云う引用文が一番読んでもらいたかった部分なのだが、yam氏はそこの部分に触れなかった。

Wordでも一太郎でも何でも良いが、特定のソフトウェアに依存した文書は、自分は開く事が出来ても、相手は開く事が出来ないかも知れない。Word文書はバイナリデータであるから、テキストエディタで閲覧する事は出来ない。それを文書交換用のフォーマットとして用いるには互換性が低過ぎる。文書交換用のフォーマットとしては、互換性を追及したものが適している。その為にHTMLは開発された。

電子化文書をネットワークで交換する際に用いられるべき共通フォーマットとして開発されたと云う文章を読めば全ては自明である。理念に沿ったマークアップを行えば、普通の文書とHTML文書に含まれるそれぞれの文章は一致している筈だ。例えば、汎用性の低いWord文書をネットワークで交換する際にはHTML文書としてマークアップすれば、汎用性が高まる。Word文書に「ナビゲーション」たるものが存在していれば、HTML文書のbody要素直下にナビゲーションが存在していても矛盾はないが、若し存在していなければ、HTML文書にもナビゲーションは存在しない。yam氏、私のこの主張を俺ルールだと呼ぶが、この論理展開が他者の文章に基づいている時点で、既に「俺」ルールには成り得ない。

「StrictなHTMLはこうあるべきだ」という意見に周囲が同調して出来た思想であると言われても、私はその様な解釈はしていないので、その後に続く「数の暴力」は、例によって「蛇足」。

ならば、どのように解釈しているかを書くべきだろう。

ちなみに仕様にない思想がこうも広まった理由は俺が以前挙げた理由以外に何があるだろうか?

どのように解釈しているかは既に書いた。

周囲が同調せずとも、論理的に正しいのであれば、それは正義に成り得る。私の意見に同調されている方が極端に少なかろうと、「HTML/XHTMLの理念から言って、body要素にナビゲーションを設置する事は矛盾である」と云う指摘が論理的に正しければ、それを間違いだとする事は出来ない。勿論、個人の思想、理念であると言わざるを得ないと断定する事も不可能である。

yam氏はこの文章を無視している。何故だろうか。

それと、仕様にない思想がこうも広まった理由と云うのも不可解な文章だ。思想がこうも広まったと書いているが、その「広まった思想」とは具体的に何を指しているのか。ここでyam氏が指している思想とは、一体どの様な思想なのかが分からない。そもそも私は「広まった理由」等論じていない。私が「広まった」「広まっていない」と云う話を自主的にした事など一度もない。「○○がHTML/XHTMLの理念だ」と言ったとして、それが正しいかどうかを判断する時、数は何の関係もない。

それが「俺ルール」なんじゃねえかと。HTML/XHTML文書がそうあるべき理由がどこにある?誰が決めた?

HTML/XHTML文書がそうあるべき理由がどこにある
HTMLは本来、電子化文書をネットワークで交換する際に用いられるべき共通フォーマットとして開発された言語であると云う部分をyam氏はしっかり引用した筈なのだが。それを読めば何処にあるかは自明。
誰が決めた
誰が決めたかの話はしていない。

その大前提はいったい何を根拠に「大前提」とされているのか?「完成した文章」をマークアップしていくという行為はこうあるべきという決まりが存在するのか?見たことがない。それも「真名垣氏の個人的な俺ルール」ではないか。俺から言わせれば「そんな大前提はない」としか言えない。

「完成した文章」をマークアップしていくという行為はこうあるべきなどと私は言っていないし、その様な決まりも存在しない。私は「『完成した文章』をマークアップしていけば、ナビゲーションが紛れ込む事はない」と言っている。「こうあるべき」の話ではなく、「こうある筈だ」の話を私はしている。

「完成した文章」をマークアップしていくと云う大前提が成立する事も、電子化文書をネットワークで交換する際に用いられるべき共通フォーマットとして開発されたと云う文章によって証明されている。

そして「数の暴力」は何故か真名垣氏から嫌味たらしく突っ込まれるので「一般論」という根拠も使えない。

当たり前だ。一般論が如何であろうと私の知った事ではない。一般論が何の根拠になる。一般論を根拠にしようとする「現実追随主義者」に、「理念」など理解出来る筈がない。

或は、「数の暴力」は何故か真名垣氏から嫌味たらしく突っ込まれると云う部分を態と強調する事自体が既に嫌味になっている事にyam氏は気付いていない。気付いているのであれば、yam氏の思考は他人の嫌味は責めるも自分は嫌味を言うと云うダブルスタンダードだ。

結局のところ、真名垣氏の主張は「文章中にあるナビゲーションは"文章"として致命的な矛盾」となり、HTML/XHTML文書とは何ら関係のない話。HTML/XHTMLの理念と文章書きの理念がごっちゃになってしまっている。そういうところはおかしな理念を生み出さないためにも切り分けて考える必要がある。

「文章としての致命的な矛盾」は「HTML/XHTML文書としての致命的な矛盾」になる事がある。W3Cは、HTMLでマークアップされるべき要素は、文章に於る構造上の機能に基いた要素であるべきだと述べている。文章とHTMLは常に密接な関係にある。何ら関係のない話って、yam氏は一体何を言っているのだろうか。

今週のレポート

「全文を読み終えた後にメールが歴史的仮名遣いで書かれている事に気付いた自分について」。

読まずに意見を述べる人は「もぐり」

WWWとかW3CとかHTMLとかの論争をする場合は、Webの創成 World Wide Webはいかにして生まれどこに向かうのかの購読は必須。理念、理想、原理、原則を学ぶのに、これほど適した本はない。これを読まずにWWWとかW3CとかHTMLの論争をしてはいけない。この本は初版は誤字脱字が多いが、後に修正されている。割と古めの本だが、内容は全く問題がない。今でも「そのまま」で通じる内容である。

Webの創成の内容は私が保証します。

野嵜さんも保証してくれています。

後藤さんも保証してくれています。

KeiYu HelpLabも保証してくれています。

保証してくれている人は幾らでもいます。

と言うか、無為徒食日記の読者は必ずWebの創成を読むべし。

因みに

私の持っているWebの創成は現在貸し出し中。

ロゴがゴロゴロ

W3Cのロゴとかを貼っているのを見ると、何となく無意味感を感じてしまう。私はvalidであろうと何であろうと、ロゴは貼らない事にしている。だって、こういうサイト柄だし、わざわざロゴを提示しなくてもvalidである事くらい分かるだろう。このサイトがinvalidだったら、それこそ「論理的な欠陥」が生じてしまうのであり、多方面から叩かれるのは間違いない。と言うか、application/xhtml+xmlだから、invalidだったらXMLパーサがエラーを起こしてしまう。文書を下まで全部閲覧出来れば、それがvalidである証。

……と、数ヶ月前までロゴを自慢げに貼っていた私が述べてみた。

四日

便利

当サイトのリソースを最も多く取得しているUAWDG_SiteValidator/1.6.2

三日

Operaが普及しない理由

推測だが、Internet Explorerとの互換性が皆無だから、Operaは普及しないのだ。その点、FirefoxはOperaの数段上を行く。

初めての

仙台に雪が降ったぞー。

話題を戻してOperaの話

Operaは使い慣れればそれこそ良いUAだと思う。少なくとも、私にとって、Operaは他のどんなUAよりも使い易い。だが、問題はInternet Explorerから移行する時だ。

OperaはInternet Explorerとの互換性が皆無であるから、初心者は少し――本当に「ほんのちょっぴり」――使っただけで、Operaを投げ出してしまいがちだ。Internet Explorerに使い慣れたユーザにとって、Operaは非常に違和感がある。スキンとか、パネルとか、ツールバーとか、ボタンとか、ユーザは自由自在にOperaのUIを弄る事が出来る。本当に、自由自在である。所謂「インターネットショートカット」をパネルに置いたり、「戻る」「進む」ボタンの横に置いたり、「ステータスバー」に置いたり出来る。この機能、私は結構便利に活用している。パネルは左右、ツールバーは上下左右、何処にでも配置出来る。パネルは浮動表示させられるし、邪魔なら表示させない事も出来る。パネルやツールバーに表示させるボタンも、メニューから自由に変更出来る。「皆は殆ど使わないが、俺は良く使う」と云う様な機能をすぐに使える様に、パネルやツールバーにそれ用のボタンを設置しておく事も出来る。この日記に書くにはあまりにも長過ぎるほど、カスタマイズ面は機能に富んでいる。どれだけ自由度が高いかは、実際に使ってもらう事でしか伝えられないと言って良い。

…だが、Internet Explorerユーザにとって、そのカスタマイズ機能は無用の長物。何しろ、Internet Explorerはスキンがないのだ。ツールバーもボタンも、カスタマイズは出来るものの、可也自由度が低い。Operaのパネル相当の機能なんてない。そんな固定化されたUIを持つInternet Explorerから移行して来たユーザにとって、Operaのカスタマイズ機能は何の魅力もない。勿論、カスタマイズ機能が目当てでOperaに移行した人も少なからずいるだろうが、矢張り「ネット初心者」には高機能過ぎる代物である。

初期状態では、ブックマーク、メモ、ダウンロード、履歴、リンク、ページ情報、ネットサーチ云々が左に並んでいる。例によってInternet Explorerユーザにとっては不自然な代物。リソースの表示領域が狭くなるから、ノートPCでは横スクロールバーが出易くなると云う意識もあるだろう。

マウスホイールでスクロールした時のOperaのスクロール速度は、Internet Explorer(或はGecko)と比べて速い。Internet Explorerに慣れた人にとっては、自分の思い通りにスクロールするのが少々困難だ。マウスホイールをクリックして、自動でスクロールしようとした時、Operaはポインタが自動的に中央に移動する。これもInternet Explorerと異なる。

スタイルシートを作成者モードにするかユーザモードにするか、そんな事は初心者にとっては如何でも良い。サイトでスタイルシートが指定されていると意識している初心者等、殆どと言って良いほどいないからだ。これも初心者にとっては要らない機能。

又、OperaはUIがWindows標準に適合しない。新しいダイアログが出た時、そのダイアログのボタンへ自動的にポインタを合わせるスマートムーブ機能は、Opera独自のダイアログでは機能しない。OS側で出すダイアログでは機能するので、Operaを使った場合、スマートムーブが機能する場合と機能しない場合があって混乱する。これはFirefoxも同様。OperaにしろFirefoxにしろ、WindowsのUIに近いUIにする為のスキンが用意してあるが、WindowsのUIに近づくだけであって、WindowsのUIには掛け離れた存在である。これは初心者にとっては敷居が高い。その点、Windowsの操作性とInternet Explorerの操作性は、まるでデッドコピーしたかの如く似ている。事実、デッドコピーされている。

Operaは高機能で高性能だが、Operaユーザになるには、まず全てに慣れなければならない。大袈裟な言い方かも知れないが、慣れてしまえば、他のどんなUAよりも使い易い。だが、慣れるまでは、他のどんなUAよりも使い辛い。Operaが全面的にInternet Explorerに勝っている事は確かだが、Windowsとの互換性の面では、遥かにInternet Explorerが勝る。これは開発業者が同じだから当たり前の話なのだ。然し、その当たり前の話が原因で、Operaはシェアを獲得出来ていないのではないかと思われる。Windowsの操作性をデッドコピーした、Internet Explorerの様な操作性を持たない限り、「初心者向けのUA」とは認め辛いものがある。

死んでいる

ウェブサイト
Sophia'sに置いてありますが、実質的にPersonnel(ペルソネル)のみです。全然同期していないミラーサイト(Personnel (www.esn.gr.jp のミラーサイト))もあります。本サイトのサーバが死んだときに同期を行ってデッドリンクを回避するのに使用しています。

全然同期していないミラーサイトのリソースが既になくなっているのだけれども。

二日

Firefox 1.5を使ってみた

貶してばっかりなのも問題なので、良い点を。

HTML文書でのナビゲーションとか

突っ込みを入れられていたらしいので。

この手の「Strictな文書を書くための思想」というのは、「StrictなHTMLはこうあるべきだ」という意見に周囲が同調して出来た思想である。だが、真名垣氏の本文を設置する場所にナビゲーションを置くのは、「完成した文章」をマークアップしていくと云うHTML/XHTMLの理念に反するという意見に同調されている方を俺は見た事がない。まったくないとは言えないが、やはりその数は極端に少ないだろう。よってこれは2005年11月時点では真名垣氏個人の思想、理念であると言わざるを得ない

「StrictなHTMLはこうあるべきだ」という意見に周囲が同調して出来た思想であると言われても、私はその様な解釈はしていないので、その後に続く「数の暴力」は、例によって「蛇足」。

周囲が同調せずとも、論理的に正しいのであれば、それは正義に成り得る。私の意見に同調されている方が極端に少なかろうと、「HTML/XHTMLの理念から言って、body要素にナビゲーションを設置する事は矛盾である」と云う指摘が論理的に正しければ、それを間違いだとする事は出来ない。勿論、個人の思想、理念であると言わざるを得ないと断定する事も不可能である。

それをHTML/XHTMLの理念に反するという、「HTML/XHTMLの権威による理念」と取れかねない言い回しで勝手に吹聴されるのは迷惑である。実に迷惑である。

何でこの手の論者はすぐに迷惑だと主張するのだろうか。私は迷惑を掛ける事は、それ自体として悪い事ではないと考えているので、迷惑だと言って批判されても自重する訳がない。或は、迷惑だと云う「感情論」で批判される方が迷惑である。

「より良いHTML文書の書き方」を論ずるには、仕様書のみでは事足りないのであれば、真名垣氏はまず、何故本文を設置する場所にナビゲーションを置くのは、「完成した文章」をマークアップしていくと云うHTML/XHTMLの理念に反し、またそれがHTMLの構造上致命的矛盾であるのかを、周囲が納得出来る形で説明する必要がある。

「完成した文章」をマークアップしていくと云う、私が提示した前提は、十分、本文を設置する場所にナビゲーションを置く事が致命的矛盾である事を証明している。それが違うのであれば、yam氏こそが、私の提示した「完成した文章」をマークアップしていくと云う大前提を周囲が納得出来る形で説明する必要があると言える。

HTMLは本来、電子化文書をネットワークで交換する際に用いられるべき共通フォーマットとして開発された言語である。文章はHTMLの為に書いている訳ではないのだから、HTML文書にマークアップする前の「完成した文章」の中に、HTML文書に存在する「ナビゲーション」が、アンカーとして機能しなくなった状態の文章として存在していない限り、body要素の内容にナビゲーションは存在し得ない。HTML文書にマークアップする前の「素の文章」に、他のリソースの名前を羅列するリストやら、パン屑リストやらが存在していないなら、body要素の内容にナビゲーションが存在する事はない。存在していないなら、他のリソースとの関連性を明示する為の情報は、head要素に打ち込む他なくなる。原則は、あくまでも普通の文書をHTML文書へとマークアップする事にある。

どう見ても俺ルールです。本当にありがとうございました。

ありがとうございましたって、一体何にお礼を言っているのだろう。

人間関係とか信頼関係とか

無断リンクしたら先方にこっ酷く怒られてしまいました。非常に強い口調で苦情を言われたのですが、こういう壊れた人間関係って元に戻せますかね。

好い加減なアドバイスだけど、戻そうと云う気があるなら戻せると思う。先方とはWWW上では友達関係だったみたいだから、とりあえず謝れば何とか修復可能かと。

ただ、無断リンクしただけで壊れる様な人間関係だったら、いっその事壊してしまった方が幸せだよ。多分。

一日

XHTML 1.1化

さようなら、Internet Explorer。

どれが良いかは分からないが

文字コードもShift_JISからUTF-8に変更しようかと考え中。XML文書の文字コードはどれでも良いけど、UTF-8/16が「標準」だし。でも、どれが優れた文字コードで、どれが駄目な文字コードなのかが良く分からない。規格がばらばらだし、文字コードの事は良く分からないし。

後日、UTF-8にした。見事にファイルサイズが大きくなってくれやがった。

毎度御馴染みの世界観

かりあげクン 40巻を読んだ。

他人のを拝借

今、こっそり備え付けのPCを借りて、外からPutしている。

今日から六日までの(土日を抜いた)六日間は試験があるので、例のHTML解説記事の製作はお休み。今日は一日目だったが、意外と問題が簡単だったので自信はある。問題は残りの三日。特に五日と六日に難しいのが集まっている。

アボガドロ

究極的なのはXHTML 6.02*1023だね。

ちょっとがっかり

When serving an XHTML document with this media type, authors SHOULD include the XML stylesheet processing instruction [XMLstyle] to associate style sheets.と言っているにも拘らず、W3C CSS 検証サービスxml-stylesheet処理命令を解釈してくれないと云う遣り切れなさ。CSSが指定されている文書のURIを指定するだけでも、きちんとCSSの文法をチェックしてくれるのだが、link要素でないと駄目らしい。仕方ないのでCSSファイルのURIを直接入力したが、出来ればxml-stylesheet処理命令に対応してもらいたい。

Another HTML-lintはXMLの記述に関して少々疎い部分がある。xml-stylesheet処理命令を使っていると、処理命令 `<??>` は理解できませんと出る。application/xhtml+xmlではxml-stylesheet処理命令の利用が推奨されているので、理解出来る様になれば良いと思う。

リソース情報

この文書のURI
http://lan.rgr.jp/diary/2005/12a
作成日
二千五年十二月一日
更新日
二千五年十二月十日