7 : 05 マイナスかけるマイナスは、なぜプラスか

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マイナスかけるマイナスは、なぜプラスか

2003年 2月 8日
記事ID d30208

説明その1

ドラえもんのポケットから「あべこべふえーる」という道具がでてきたと想像してみよう。 (ドラえもんワールドにくわしい人は、「アベコンベ」な「ふえーるミラー」とでも思ってほしい。) 「あべこべふえーる」は、ものごとの性質を反対にして二倍にふやす! 「あべこべふえーる」を使って階段を一階ぶんあがると、 何と2階下についてしまう。戦争だ戦争だ!と熱心に主張している大統領に「あべこべふえーる」を使うと、 大統領の熱意は二倍にふえるが、ふえるといってもあべこべに熱心な平和主義者になってしまうのだ。 使い方にコツがいる。こっそりジャイアンにあべこべふえーるをくっつけておくと、 ジャイアンはだれかを1発なぐろうとするたびに、あべこべに(見えない手で)2発なぐられる。いい気味だ。

100万円のおこづかいを持っているスネ夫に「あべこべふえーる」を使うと、 スネ夫には200万円の借金が発生して、借金とりたての人がたくさんやってくる。ふえることはふえるのだが逆向きにふえるから大変だ。 ところが、1億円の借金があって困ってる人に「あべこべふえーる」を使うと、2億円の財産がある大金持ちになる。 「あべこべふえーる」は物ごとを(-2)倍する未来の道具だったのです。

一億円の借金=マイナス1億円
  ↓
ふつうに2倍すると
  ↓
二億円の借金=マイナス2億円
  ↓
借金がふつうに2倍になった(涙

一億円の借金=マイナス1億円
  ↓
あべこべふえーるでマイナス2倍すると
  ↓
二億円の遺産相続で大金持ち!=プラス2億円
  ↓
マイナス2倍するとマイナスがプラスに変わって2倍になる!

「マイナスをかける」とは「あべこべふえーる」ことなのだ。 マイナスの性質のものを「あべこべふえーる」するとプラスの性質になる。

説明その2

時速100kmでどんどん、どこまでも走り続けている自動車を考える。この自動車は例えば2時間後には200km先にいる。
100×2 = 200
また、3時間前(いいかえれば-3時間後)には300km手前にいたはずだ。
100×(-3) = -300

ここで、あべこべの世界を考えよう。 時速(-100)kmで走り続けている自動車を考える。スピードがマイナスということは、猛スピードでバックしているのである。 前へ進むどころか時間がたてばたつほど後戻りしてしまう。 この変な自動車は例えば2時間後には200km手前までバックしてしまう。
(-100)×2 = -200
また、3時間前(いいかえれば-3時間後)には300km前方にいたはずだ。バックしているので、時間が戻れば戻るほど逆に前にいるのだ。
(-100)×(-3) = +300

説明その3

分配法則から次の式が成り立つ。
(○+□)×△ = ○×△ + □×△
例えば、
(3+4)×5 = 3×5 + 4×5
この場合、○が3、□が4、△が5だ。カッコがない場合、足し算より先にかけ算を計算することに注意。

ここで、わざとマイナスかけるマイナスを発生させるため、○を-3、□を4、△を-5にしてみよう。
(-3 + 4) × (-5) = (-3)×(-5) + 4×(-5)
左側にある(-3 + 4) × (-5)は、1×(-5) なので答は -5 だ。
右側にある(-3)×(-5) + 4×(-5)のうち、 4×(-5)-20だ。
これらで置き換えると、最初の式
(-3 + 4) × (-5) = (-3)×(-5) + 4×(-5)
は次のようになる。
-5 = (-3)×(-5) + (-20)

この等式のなかの、(-3)×(-5) の部分に注目しよう。マイナスかけるマイナスの計算だ。

-5 = (-3)×(-5) + (-20)
もしマイナスかけるマイナスがマイナスで(-3)×(-5)-15だったとしたら、
-5 = (-15) + (-20)
になってしまうが、これでは計算があわない!
(-3)×(-5)+15になるとすれば、
-5 = (+15) + (-20)
となる。これは正しい計算だ。15万円の財産と20万円の借金をあわせると、全体では5万円の借金になる。 ちょっとふしぎなようだが、やはり(-3)×(-5)+15 だと考えないと、 計算のつじつまがあわない。マイナスかけるマイナスはプラスなのだ。

-5倍するとは「倍率めもりを5にあわせて、あべこべふえーるを使うこと」と思えば、 (-3)の(-5)倍が(+15)になることも納得いく。

説明その4

同じものに対して「あべこべふえーる」を2回つかえば、結局、正常に4倍にふえる。 例えば、戦争主義者の大統領に「あべこべふえーる」を使うと2倍に熱心な平和主義者になるが、 さらにもう一度「あべこべふえーる」を使うと最初の4倍の戦争主義者になってしまう!  マイナス(逆転)の作用も二重に与えればプラス(正方向)になるのだ。 「マイナス2」かける「マイナス2」は「プラス4」。

おまけ

次のような多人数対戦型のトランプのゲームを考える。

話を簡単にするため、色だけ考えて数字は関係ないとする。 目標は100点を超えない範囲でなるべく100点に近い大きな点数を作ること(最強は100点)。 何となくブラックジャック風。 自分のターンで親に5枚以内の指定枚数のカードを配ってもらうか、 または、3枚以内のカードを捨てていいことにしよう。

例えば
「黒黒黒赤赤」は5点
「黒黒黒赤」は7点
「黒黒黒」は9点

点数が50点以上で10の倍数のときに限って、ゲーム全体を止めて勝負(点数の比較)をかけることができる。

デッキ数は非常に多く、カードはいくらでもあると思ってほしい。 時間をかければ、いつかは最強の100点に到達できるが、 誰かが先に強い手(例えば90点)を作ってストップをかけたとき、 あなたの手が100を超えていると破産だ。 ちょうど100点を作るには必ず1回、100を超えないといけないので、危険でもある。

ゲーム自体の細かいルールはどうでもいいのだが、 手札の点数の変化を考えると、

赤はマイナスの札なので、減れば減るほど手札の点数は増える。 人によっては、この説明の方がスネ夫の財産より分かりやすい…かもね!

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なぞめいた話(ゴルキ公園地区で)

2003年 2月 6日
記事ID d30206

Parody of Scorpions

最初のできごと

1980年代なかば、夏の終わりの宵のことだった。 所用で外出していたKは、マスクヴァ川にそって自宅のあるゴルキ公園の方向へ歩いていた。 満月の夜だった。

すると公園広場のほうから、独特の単調さの変な歌の放送と、大勢の人のざわめきが聞こえてくるのに気づいた。 同じような歌が繰り返し繰り返しとぎれなく放送されているようだった。

近づいていくにつれ、音楽にあわせて土地の人々が奇妙なしぐさで身をくねらせ、 トーテムポールのようなもののまわりをぐるぐる回っているのが分かった。 一種の集団催眠というかトランス状態というのだろうか、 何か妙な熱気だった。トーテムポールと思ったのは仮設の小さな見張り塔のようなもので、 3メートルくらいあるてっぺんで、男が、音楽にあわせ、 酒のたるのようなものを棒きれで叩きつづけていた。
サング、サング、サング、サング、ティット、ティット……
単調で眠気を誘うような音楽が鳴り響き、それにあわせて、満月の下、不気味な塔のうえで男が木のたるを叩いている。 そしてその塔のまわりを、大勢の人間が無言のまま(しかし恍惚とした表情で)身をくねらせて周りつづけている。 ぞっとした。

なかにKが知っている人がいるのに気づいた。

目があった。

瞬間、Kは何か見てはいけないものを見てしまったのでないか、という罪悪感のようなものを感じた。 相手も見られてはいけないものを見られてしまったという感じで、少々まごつきながらも、照れ笑いのように、
「Kさん、こんばんは。今夜は祭典なんです」
あはは、と笑った。

あまり深入りしないほうがいいという直感があったので、「ああ……」とあいまいにうなずきながら通り過ぎようとしたが、 ちょっとまがもたなかったのと、素朴な好奇心もあって
「何の祭典なのですか」
Kは尋ねた。自分でそう尋ねてみると、 これはきっと豊作かなにかを祈願する古くからの風習のようなものなのだろう、と合理的な説明を考えていた。 なぜ最初からそう考えなかったのかというと、 第一印象があまりに強烈で、この人々があまりに不気味に思えて、合理的な思考より直感的な「怖さ」が先だっていたからだ。

返ってきた答は、ちょっと予想外だった。「きょうは死んだ祖父や祖母、曾祖父母などが帰ってくる日だ」という。 Kはぎょっとして、
「え、こ、これは蘇生の儀式なんですか?」
思わず尋ねた。さらに「満月だから?」などとわれしらず口走り、自分で自分の言っていることにおびえた。 死者を墓から呼び戻すというイメージ自体は聖書でおなじみなのだが、かれらが「自分たちはいまその儀式をしているのだ」と信じていて、 そのことをこんなふうに平然と話すとしたら、あまりに違和感がある。 曾祖父母のような遠い祖先を生き返らせることができたとしてどうするのだろう? そんなおおぜいごちゃごちゃいっぺんに帰ってきたら、 衣食住の確保が大変でないか……この国の困難な経済に照らして、妙に現実的なことを考えたりした。 いま思うと、相手の意外な答に虚をつかれ、少々思考が乱れていたのだろう。

相手の説明によると、死体を生き返らせる儀式ではなく、 天界のような死後の世界から魂だけが帰ってくる。しかも祭典が終了すると、 魂はまたその天界のような死後の世界に戻る……。 というのだ。言葉でそうやって説明されてみると、今度は何か美しいファンタジーのようなものも感じた。 「天界のような死後の世界と道が通じる期間が一年に一回だけあって、それが今夜の満月なのだ」 というような話だった。Kは一年に一回だけデートできる中国の星の神話の恋人たちを連想したりした。 ……妙な白い布をみにまとって、くねくね手足を動かしながら塔のまわりを回っている人々はどう見てもぶきみだったが、 その背後にあるストーリー自体は要するに土地の言い伝えのようなものだろう、ということで納得がいった。 もっとも、 「これは牛です。これに乗って死者は空に帰るのです」のような説明をうけて指さされたほうを見たら、 ガチョウのたまごのような形の黒い土着植物の実に棒をつきさしたのが暗がりに置いてあって、 さすがにぞっとした。

しかし以上のことは話のきっかけであって、要するにゴルキ公園の近くに住む人々の古くからの宗教的信仰のようなものであり、 (知らないでみるとびっくりするという以外)第三者に迷惑をかける性質でもないので、 説明されてみれば、まぁそういうものか、と理解できるものだ。

問題は何かというと、「一年に一回だけ帰ってくる」という部分。 天体の位置をあつかう位置天文学を専門にしていたKとしては、 「一年に一回の今夜」というその日付をどうやってかれらが決定しているのか、というアルゴリズムに興味をおぼえた。 満月の夜だったので月の周期と関係する太陰暦を使っているのでないか、と予想された……。

続き

そのごKはゴルキ公園の人々と何度か話す機会があって、やはりかれらは死者の祭典の日付を太陰太陽暦(月の満ち欠け周期を基本にしつつ、 太陽年の春夏秋冬と同期をとった暦法)で決めていると分かった。 暦学アルゴリズムは古代中国の計算法を使い続けているようだ。 専門分野だと細かいことが気になるもので
「すると死者の魂は中国の置閏ちじゅん法に従っているのですね」
などと妙に関心してしまった。その暦が中国から伝わったものだとおしえてくれた相手も、 さすがに「置閏」の意味までは知らなかったとみえて、Kは「月の周期で一年を数えると、 かなり頻繁に一年を13か月にしなければ季節とつじつまが合わなくなる。何年おきにどんな周期で12か月の年と13か月の年を反復するかが置閏法で、 いろんなやり方があるんです」と説明した。 具体的な数値をあげたり太陽系の絵みたいのを書いてひとしきり何故そうなるか話したあとで、 「ゴルキ公園で死んだ人の魂も中国の置閏法に従ってある特定の月に帰ってきたり、 来なかったりするのは不合理だね」昼間、自分の在学中の校内だったので、ふてぶてしくも、Kは余分なことまで口走ってしまった。 あの満月の夜のぶきみな祭典の会場では、分かっていてもとてもそんな発言はできなかったと思う。 なにせ全員が信じているようだったから……。

ところが、その相手いわく、そういう難しいことは分からないが、かれらがウーラーと呼んでいるそのシーズンに死者が帰ってくるというのは、 事実だという。もちろんこの科学の時代にかれらの全員が「確信」しているわけではないというのだが、 しかし少なからぬ人々がウーラーに先祖の幽霊をみたり、先祖の遺物がカタコト音をたてるのを聞いて、 「ああウーラーだから帰ってきたんだな」と納得するのだという。 そういうふしぎな現象は病院や墓場でも起きるし、仮に霊魂や死後の世界というものがあるとして、 先祖も家族のことが気になって一年に一回、様子を見に来てもおかしくない、 とその女性は話した。

彼女のくちぶりは冷静でしみじみとしていた。 ねっからの合理主義者のKとしては、合理主義者なればこそ霊魂や死後の世界の存在は否定できない、と知っていたので、
「まぁそうかもしれませんね……」
とあいづちをうちつつ、合理主義者の悲しいさがで、
「で、何世代前まで、先祖が戻るのですか」
とせんさくを始めるのだった。

何より気になったのは、いったいだれが彼らのために死者回帰というウーラーの日付を決定しているのか、 言い換えれば、古代太陰暦はいいとして、 置閏法を含めた正確な計算をだれがどうやって行っているのか、ということだった。 置閏をせず一年を月の周期の12か月で数えつづければ、月の番号と季節の関係はどんどんずれてゆく。 イスラム暦はそうだ。しかし彼らのウーラーは常に晩夏ということなので、置閏されているのは明らかだった。 しかも満月の夜……。満月の正確な日時を前もって決定するのは — たしかに天文計算でできるのではあるが — コンピュータを使っても正確には非常に難しい、 ということをKは熟知していた。 このような現代的な天文位置計算、古代の暦、そしてかれらの不気味な信仰がブレンドされている奇妙さに、 かれら自身は気づいていないのだ。

話を聞くと、結局のところ、かれらのカレンダーには最初からウーラーの日付が書いてあるので、それをみて祭典を行うということだった。 イスラムではイードを観測で決めるらしいが、 彼らのウーラーはエフェメリス(理論的に作った暦)にもとづいているようだ。 キリスト教会暦での復活祭などの例から、かれらのウーラーもエフェメリスを使っているのかなとは想像していたが、 だれがそのエフェメリスを計算しているのだろう。失礼な話だが、計算誤差のせいでウーラーの月が本来のアルゴリズムと一か月ずれて、 本当のウーラーは次の満月か前の満月なのに、かられは知らずにずれた満月の夜に祭典を開いている年があるに違いない、と思った。 月の暦の計算は地球の公転周期や地軸の傾きの微妙な変動の影響をうけて、本当にそのくらい複雑で難しいのだ。 地軸の傾きの変動を詳しく予測するには太陽と地球だけでなく、すべての惑星の位置を計算する必要があるからだ。

彼女はKの専門分野が何か知っていたので、Kは
「その古い暦の計算はきっととても難しくて神秘的なのでしょうね。知見に照らすと、 一月ずれることもありそうだ」
と率直にくちにした。すると、ますます奇妙なことに、彼女のいわく、「はい、ひとつきずらしてウーラーの祭典を行う地域もあるそうです」という。
「えっ? でもそれは死者の魂が回帰可能な特殊な神秘的期間なのでしょう? ひとつきずらす地域では死者のほうでも訪問をひとつきずらすのですか」
「お墓の掃除をしたり、親族が集まって故人をしのぶ形式的なことでもありますから……」
要するにそれは迷信なんでしょう、とくちまで出かかったが、伝統行事を否定するのはふだんから無礼なKとしてもさすがに気が引けて、
「ふーむ、死者のためというより、故人をしのぶ生者のための行事なのでしょうかね」
とあいまいなコメントをはさんだ。しかし彼女は、
「でも確かに帰ってきたのを感じたり、見たりした人も多いんです。不思議ですね……」
と言う。なんとも答えようがなく、Kはうなってしまった。

そう信じるように言われているから、みなが言っているから、そう信じているだけなのでないか。 信じているから、なにかの物音や夢を死者の帰宅と感じているのでないか。 あとから知ったことだが、かれらの怪談には、なるほど「これこれこういう奇怪な現象が起きた。 それはウーラーのことで、納得した」というような話がたくさんあった。 Kは、かれらのカレンダー屋を買収して長期的に本来と異なる嘘の日付にウーラーのしるしをつけたらどうなるか実験してみたい欲望にかられた。 先祖の霊とやらは、それでもカレンダーに書いてある(Kがでっちあげた嘘の)ウーラーの日付にしたがって、出現するのだろうか。 それともカレンダーの日付とは異なる時期にあいついで霊が帰ってきて、
「霊の帰る時期がこよみとあわない。このこよみは計算が間違っている」
という苦情がカレンダー屋に殺到するのだろうか。

そんなことはあるまい。やはり一種の集団幻想のようなものだろう。民話や伝承の価値を否定するつもりはさらさらないが、 彼らの主張は科学的に受け入れがたい。 カレンダー屋にやとわれて月の暦を計算している人はそれなりの学者に違いない(繰り返すが、月の暦の計算は、本当にそのくらい難しいのだ)、 ひょっとしてKの知っている人が副業でひそかにやっているのかもしれない。 万一それが自分と親しい先生とかだったら、おもしろい心霊実験と説き伏せて来年からウーラーの日付をわざと一日ずらさせてみたい、 などと妄想めいた悪巧みをめぐらせるKだった。

さらに続き

以上は迷信だとしても文化的心霊現象だとしても、いずれ他人には無益無害のことがらだ。 Kも何年かするうち、彼らの習慣に慣れ、それ以上、深く尋ねることもしなかった。

ところが、最近になって、彼らがまた妙なことを信じているのに偶然、 気がついた。「アジアのAという地域の人々が井戸に毒をなげたり人をさらって殺し人肉を売買している」 というのだ。 別の女性から先日、聞かされた話だ。 さすがにその風聞はA地域の善良な市民に失礼ではないかと思いつつ、
「わざわざゴルキ公園まで来てアジアまで人を連れ帰るのですか? 人肉のために? その人肉をどうするの? 食料のため? 得られる肉より、 ゴルキ公園まで来て人を連れ帰るコストのほうが桁違いに大きいのでその話は不合理と思う」
Kは不愉快な表情を隠さなかった。「同じアジアの出身者としてそういう噂を立てられるのはハッピーでない」
彼らがよくやるのをまねて、かっと目をみひらき、おおげさに眉をつりあげてみせた。

すると彼女の言うことには、「人肉うんぬんは噂かも知れないが、A地域の人が人さらいに来ているのは事実である。 我々だってここはある意味アジアの端くれであって、アジアをばかにする意味ではない。地域的偏見ではない」というようなことを、 びっくりするほど強い口調で言うのだった。

その口調に驚いて「もしかして身内や友人がそういう目に……?」とKが聞き返すと、 「友人の友人があやしい人影を見た。A地域の悪いヤツラらしい」というような反応だった。 やっぱり彼女の言い方は何かおかしい。 非科学的な言い方だが、何かにとりつかれたようだ。 そう思いつつ、「友人の友人が」という主語のたてかたは都市伝説の典型ですね、 などとニヒルにコメント。すると
「伝説ではない。テレビでも言っている。国営エナーシュカ通信でも人さらいの疑いが存在する、と報じているほどだ」
と断言する。「Kさんもニュースで知っているでしょう」

Kは正直そのニュースのことはよく知らなかったが、「疑いが存在する」という報道なら嘘とも言えないなあ、と思った。 疑いがあるかないかといえば、経緯はともあれ今や「ある」らしい、ゆえに「ある」のだろう。 これ以上深入りしても無意味だと感じ、「テレビといえば最近PCでテレビを見るのが一般化してきて、 また見直されているようですね」などと、話をずらすコメントをした。 しかし彼女はムキになっていて「単なる疑いではない。たくさんの事例があるらしい。 少なくとも何例かは本当に事例がある。 少なくとも一例は確実と思う。 だからたくさん、あってもおかしくないし、事実、たくさんあるのだ。Kさんはこの国の人でないから怖くないでしょうけど、 気をつけたほうがいいですよ」
真顔でアドバイスさえするのだった……。

「この国の国籍の人だけが選択的に誘拐されるのですか」Kはいつもの悪いクセで、妙に合理的な尋ね方をしてしまった。 「もしそうなら、自分も国籍はこの国だから危険があることになる」
「国籍はそうでも中味もそうとは限らないし」彼女はくちをついたようにそういった。
明らかに彼女の失言だ。Kは鼻白んだ。彼女も余計なことを言ってしまったと気づいたらしく
「いやKさんのことではないんですけど……」お茶をにごした。
Kはムッとしながら「きっすいのこの国の人だけがA地域からの攻撃対象になるような身に覚えでもあるんですか」
事実関係などまったく知らなかったのだが、思わずそう発言してしまった。これも失言だったらしい。 なにやら気まずい雰囲気になってしまった。

「まあPCで見れるテレビはいいね」口調をかえて、とりつくろった。「録画しておいて見れば、 もっと詳しく知りたい疑問点などあれば一時停止して、すぐとなりの窓で検索できる。もっともここまでくるとなぜテレビ電波を使う必要があるのか、 という根本的疑問を感じますがね……はは。そもそもニュースを最初からネットで流したほうが速いような」

わたしはPCでテレビを見たりしない、と彼女は言った。「え?」Kは驚いた。「この地域ではクリックできないテレビ放送がまだ一般的なのですか」
ここはハイテク地域として有名なので、まさかそれはと思った。 しかし彼女によると、ここいらでは前世紀型のテレビ放送がまだけっこうさかんで、 住民は、インタラクティブに反応できない、その一方的にやってくるだけの情報を毎日1時間も2時間も浴びつつける習慣なのだという。 情報のちからは必要だなあとKは感じた……そもそもA地域について人肉がどうこうとばかげた噂を立てられるのも、 A地域がネットで密接につながっていないからだ。もしつながっていればA地域の住民は「そんなアホな」と猛烈に反論するだろうし、 反論可能な形で当事者がつながっていれば、あまりとほうもないウワサを広めることは不可能だろう。 それにしてもこれだけは言っておかねば、と思い、
「現実に存在する特定地域についてあまり妄想を広げるのは良くないと思う」
「たしかに一部はデマでしょうけど」と彼女はいちおう認めつつ、「でもそればかりとも言えないんですよ。そういう事件に巻き込まれたり、 見たり聞いたりした人もいるんです。被害者のかたがテレビや新聞のインタビューにも出ているんですよ」
「そうなんですか」
自分が知らないだけで、彼女の猛烈な恐怖感の原因となったようなあるきっかけの事件というのは、事実存在するのかもしれないな、 とKも認めた。世界のあちこちで、さまざまな目的の組織的な、ときに国際的な誘拐事件があることはKも聞いている。 なぜ彼女が特定の事件にそんなにこだわるのかは完全には理解できなかったが、 誘拐というのが実際あるとして、目的が身代金なのだか怨恨なんだかハッキリしないからこそ、 つまり理屈がつかないからこそ、怖いのかもしれないなあ、などと漠然と考えた。 理屈がつかないからこそ実在する怖さというのは、たしかにある。 それにしても、いくら理屈がつかないとしても人肉をとるのが目的などというウワサさえ立つような状態では、 この近辺に住むA地域の一般市民は今ごろひどい目にあっているに違いない。 彼女の気持ちも分からないでもないが、立場が同じ「無関係な異邦人」にも同情を禁じ得ない。 それとなくKがそう言うと、
「そうかもしれませんが、Kさん、その感覚は普通と違うのであまり言わないほうがいいですよ。でないと、KさんもA地域の人に違いないと思われて、 イヤな目にあいますよ」
じじつ自分の出身は地理的に言えばA地域に近いので、そのような誤解はありうると思った。

そのとき、なぜか唐突に1980年代の風景がKの脳裏をよぎった。 マスクヴァ川にそって自宅のあるゴルキ公園の方向へ歩いていた。 8月の夏の夜。ウーラーの祭典に出くわした夜。 兵士たちが通り過ぎてゆく。 もう20年も前のことだ。 あんな大きな変化が起きるとは、だれが想像しただろう。 Kは、当時(1980年代)この国の領土だったが今は独立した中央アジアの諸国のことに思いをはせた。 独立前も大変だったみたいだけど、独立すればしたで大変だよなーと。

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