「アピール」に書いたような理由から、「偽春菜(にせはるな)問題」に関する「公開質問状(第一次)」の連署(署名)に加わりました(といっても名まえとメールアドレスを書いただけですが……)。
この質問状には、計613名が署名し、本日、日本時間2月16日、午前3時に送信されたそうです。
なお、「春菜」側が「偽春菜」という名まえの使用中止を要求しているため、現在、「偽春菜」は「任意」とか「任意たん」と呼ばれています。
この問題は、形式的には、パロディー表現をめぐる「表現の自由と無形財産権(原著作者の権利)の衝突」という、典型的な「ふたつの権利の衝突」の事例になっています。「偽春菜」が秘めていた潜在的可能性が、あともうほんの少しだけ現実のものとなってユーザ層が広がっていたなら、この問題は、もっとずっと大きな関心を呼んだでしょう。実際には、おおむね、「萌(も)え系(かわいい女の子)の絵が好きな一部の人たち(それも悪く言えば“幼稚”な)だけが関係する、特殊な問題」という程度の、一般の認識にとどまったかと思われます。
偽春菜の作者さん自身は、こう指摘しています(Finite Laboratory Root「August 10, 2003 (Sun) <!-- February 12, 2001 (Mon)-->」より):
ニアミスのニュースになぜ人が恐慌するかと言えば、自分が同じ目に遭う可能性が比較的高いからである。電車の事故、地震、殺人、多くの事件は当事者外の他人にとって自分が巻き込まれるか否かというただ一点のみにおいて重要性を持つ。大きな騒ぎになるのは「自分や身内が同じ目に遭わないように再発を防止しろ」という意志が収束するからだ。これは大変分かりやすい。
一方船の轟沈が騒ぎになるのは理由が全く違う。この事件を受けて「自分もハワイに船で出かけていって原潜に沈められるのではないか」と不安になる奴はいない。つまり「自分や身内が同じ目に遭わないように再発を防止しろ」という意志はない。100%純粋に野次馬根性だけで騒いでいる。騒ぎになるのはこれがレアケースでなかなか見られない貴重な「見せ物」だからだ。死んだ奴を気の毒だと思うかもしれないが、それも一瞬の気の迷いで、数日もすればそんな事件のことなど全て忘れてしまう。
偽春菜を前者のケースとして受け取れる人間は1%に満たないでしょうね。
作者さん自身は、この質問状へは関与していないそうです。
「著作権」の未来とのかねあいでは、バナー集に書いた次の観点が重要でしょう。すなわち、偽春菜問題に関連して、哭きの竜さんの2月12日の日記にある次の指摘が、的確だと思いました。
ネット社会にはリアル社会とは全く別の倫理が存在する。それは「ネットに存在するモノは全て共有物である」という考え方だ。ソフトにせよ、キャラにせよ、情報にせよネットに公開されたモノは全ての人が自由に使え、なおかつ(これが重要な部分だが)よりよいモノに「自由に」改良させ発展させるべきモノであるという考え方なのだ。これは「何でもタダで使わせろ!」というケチくさい考えではない(そいう部分もある)。
これは既存の著作権の考え方とは真っ向から対立する。しかし、著作権を頑強に主張されれば、ソフトにせよ情報にせよ自由に利用できなくなることはもちろん、著作者以外は改良させることも発展させることもできなくなる。すべての著作物は著作権者の限られた能力以上のものには進化しえなくなってしまうのだ。魅力的なモノであればあるほどに惜しいことなのだ(仮に良いアイディアを提示しても、著作権者に理解する能力がなかったり、そもそも改良する意志がなければそれでお終いということ)。これは、「よりよいモノをつくりたい」という人間本能に反する。
すでにDer Angriffによっても、印象的に予言されていたところですが、下記の「情報」という部分を「ソフトにせよ情報にせよ」と置き換えたことによって、主張は、より明確になったように思います —— まさに「さらによい情報に高められる」ということですが。
活字印刷術時代の遺物たる「著作権」という概念は、21世紀のサイバー情報時代には大きく変貌を遂げるであろう。もはや著作物を著者が独占し、情報の所有を宣言する時代は終焉を迎える。情報は共有され、そして多数の人間によってさらによい情報に高められる。そこに関与した人間、最初に考案した人間の名誉は守られるであろうが、それ以上に、優れた情報を共有することを人々は喜びと感じるようになる。
一人の人間が著作権を主張するということは、その一人の限界が思想の限界を生み出すことにもなる。しかし、共有と連結による思想の高まりは、21世紀以降のサイバー・ガイア生命体とでもいうべき高度な思索状態を生み出す可能性がある。
「偽春菜」は広い意味では明らかにこれに当てはまります。ただ、厳密な意味では、「模倣」「改変」には、なっていません。「インスパイアー(触発)」という程度が適当でしょう。
偽春菜問題は、本質的には、決して商標権や著作権の問題だとは思いません。春菜側の偽春菜に対する「戦い」は、本質的な内容の勝負ではなく、外形的な瑕疵(かし)につけいったものだからです。その点において「本質的でない」といい、かぎかっこ付きで「ひれつ」とも言うのです。偽春菜が別の名まえで、まったくべつのキャラだったとしても、それは、徹底的に春菜を「食った」でしょう。偽春菜が「たまたま」春菜と似た名前だったがゆえに、春菜側に防御のチャンスが生じたにすぎません。その防御が正当かどうかについては、著作権や表現の自由ともかかわる問題ですし、そういったことを考える良い機会では、あります。
現在、「第二次署名」を受け付けています(19日24時〆切)。「質問状」への連署というより、意思表明の意味の通常の「署名運動」に近いようです。興味あるかたは、「任意たん公開質問状のぺぇじ」をごらんください。
(第一次の)署名を呼びかけているあいだは、わざと言及しませんでしたが、筆者は、現状のペルソナウェア一般に対して、(標準的なユーザが持っているであろうのとは、まったく別種の)不満を持っています。次のバナーに象徴されるような、“女性蔑視” —— 女性を「選ぶ」対象、モノのようにとらえる観点についてです。この点については、機会を改めます。
PERSONA Watchにあるキャバレーまがいのバナー。ペルソナコミュニティ全般の品位の低さは否めない。偽春菜コミュニティを高く評価したのは、ひとつには、こういう限界を超えてゆくより一般的なスキンの存在においてだった(当時の記事参照)。加えて、偽春菜には、より本質的な意味での「独立した人格への志向」が認められ、それがペルソナ「春菜」との質的な違いと感じられる(もちろん偽春菜も、そうさせようと思えば、春菜と同じ方向へも伸びてゆけただろう。いったい、良い素材は上手に料理することも下手に料理することも可能だが、素材そのものがあまり良くない場合、いくら上手に料理してもおのずと限界がある。これらに関しては、論点が多いので、ここでどっちがどうとか即断せずに、機会を改めることにする)。→証拠画像(2月16日キャプチャ)
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著作権の定義は変更することも可能であり、おそらくは変更すべきものだろう。「著作権はこれまでもけっして不変だったわけではない。常に変化を続けている」