本当のことを教えよう。妖精は死なない。でも「妖精の死」は、ある。少女が妖精を捨てたとき、少女のなかで妖精は失われる。けれど、妖精の国は永遠だ —— おとなたちが、思いもかけず妖精と邂逅(かいこう)したとき、驚くというより、むしろなつかしさがこみあげてくるのも、そのためだ。
少女よ、妖精を失ったことを悲しまないで。約束するよ。ぼくたちは、きっとまた会える。
「ぼんぼりのかげに 少女たちのうぶ毛が光り 深くうるおってきた瞳が光り 少女たちは眠って めざめて —— 旅がひとつ終わる」(吉原幸子「桃」より)
「さんざしの木の陰から その瞳を見つめて、笑う
」
「妖精の死」は、子ども(エルフ)であった何も知らなかった自分が、 女である自分の現実にとつぜん直面する「死」の物語なのかもしれない。 けれど、それは本当の死では、ない、と、わたしは思う。 そのときから、妖精にふたたび出会うための、本当の旅が始まるのだ。と。 それは死ではなく、始まりなのだ。と。
ふるい雛たちに なつかしく
謎めいた微笑みを投げ
さよならを言う と
とびたつとき
うすべにいろの花びらが匂う
少女たちは眠って めざめて
—— 旅がひとつはじまる
吉原幸子「桃」
無垢の光のなかで無垢であることは、たしかに純真だろう。けれど、泥のなかの蓮のように立つことは、いっそう清らかだ —— 現実にいながら夢みる者が、夢のなかで夢みる者より、いっそうイマジネイティブであるように。なんであれ妖精の国へささげる「祭祀(さいし)」 —— 自分の行動 —— の残り物(結果)を平等なこころで、いただくこと、甘くても苦くても、祭祀の残り物を食べて、それで満足して、楽しく生きるということ、「うた」 —— 自分の創造 —— を通じて、遠い世界に触れるということ、星と地上をむすびつけるということ。
http://www.jvcmusic.co.jp/ram/vicl-60043-9.ram
「妖精の死」 Song by 新居昭乃(あらい・あきの)
PS:川原泉“みんなきよらか”どだきみも妖精にならないかい?
だから咲くのさ、矢車草が!