アルバニアは、イタリアやギリシャのあたりにあります。地図をごらんください。
ごらんのように、アルバニアの上がユーゴスラビア、右がマケドニアで、最近これらの地域の「アルバニア系住民」の地位の問題が、よくニュースになりますけれど、それは後で触れるとして、とりあえず「アルバニア」という国があることを確認してください。 —— アルバニア人というのは、決して、ユーゴのコソボ地域やマケドニアの一部の住民のことでなく、アルバニアという国がちゃんとあるってことです。
アルバニアというのは、どういう国でしょうか。
ギリシャのすぐおとなりということから想像がつくように、内陸部は山が多くごつごつしてるようです。地図から分かるように地中海(アドリア海)にも面していて、海岸を中心に平野っぽい部分もあります。人の住まない山のほうが多いけれど、山すそには、なだらかにひらけてる部分もあり、主に川ぞいですが、そういった土地で —— しばしば強国の支配にほんろうされながらも —— ひとびとがひっそりと暮らしてきたようです。
2001年3月に初めてアルバニアを訪れた旅行者が、Albania: first impressions として、こんなことを書いています。
In Albania every moment you touch the rough surface of life. Where there is wealth, it is gross and unembarrassed. Death is close and unhidden. Power and evil are undisguised, with no silk wrappings. Poverty rules to a degree seen nowhere else in Europe, and yet it is not hard to encounter kindness and welcome of a quality not easily found in richer countries.
アルバニアの生活は飾りない。豊かな文明国では巧みに隠されている人間のなまの生活。ここでは「死」は身近なものだ。権力も邪悪さもストレートで、どこぞの大国のように「正義」の仮装をまとったりは、していない。生活は、ほかのヨーロッパの国々では見られないほど貧しいが、アルバニアの人々の親切心、客人への歓待というのも、ほかの豊かな国々では、なかなか見られないものだ。
The great majority of people are living in austere circumstances while in the countryside life has changed little since the medieval period. Many roads are unpaved, while those that are surfaced are so full of holes that even a short drive on what appears to be a straight road is a longer ride because of the curves the driver must make in choosing the path least likely to damage the car. Many still use horse and wagon or donkey. Electricity is unpredictable and the voltage flow so uneven that electrical circuits are easily damaged. Hospitals are few, with meager resources and in appalling condition -- broken windows and doors, badly overcrowded, many elevators no longer working. Schools are often in a similar state. Many factories are closed because of age and decay.
住民の大半は、まるで中世そのままの、質素できびしい生活を送っている。道は舗装されていないし、ひどくでこぼこで、短距離であっても車を走らせるのは一苦労だ。多くの人は今でも荷馬車やろばを使っている。電気が来ていないところが多いし、たとえ来ていても電圧が不安定なため電気器具は、すぐ壊れてしまう。病院もほとんどない。ほんのわずかな病院は設備も貧弱で、ひどく混みあっている。壊れた窓や扉も修理されずに放置されている。学校もしばしば同じような状態だ。多くの工場が、設備を維持できずに閉鎖されている。
Poverty often breeds crime, especially in a society in which religious life has been badly damaged, and this is the case in Albania. The "Albanian Mafia" is infamous throughout western Europe. A car stolen in Amsterdam may well end up in Tirana. There is also the drug trade and, still worse, a trade in young women forced into prostitution with the threat that any effort to escape will result in the murder of one or more members of the woman's family.
貧困は、犯罪の温床となる。とりわけ宗教的道徳が損なわれている社会では。アルバニアもこの例にもれない。実際、「アルバニア・マフィア」は西ヨーロッパで悪名をとどろかせている。アムステルダム(オランダ)で盗まれた車は、アルバニアの首都ティラナに行くのかもしれない。麻薬の密売人の暗躍もさることながら、女性の人身売買が行われている。逃げようとすれば家族を殺すとおどされて、無理矢理、売春宿で働かせるのだ。
引用文の筆者は、キリスト教のギリシャ正教会(the Orthodox Church、東方正教会)の伝道師としてアルバニアを訪れているので、「宗教的堕落」うんぬんの部分は、多少、相対化して読まなければならないとしても、だいたいの雰囲気は感じられるように思います。アルバニアにはイスラム教徒のかたが多く、なんらかの宗教に属している人々の6~7割ほどはイスラム教徒、ギリシャ正教徒は2割程度のようです。正教会のかたからみれば「宗教的に損なわれた国」ということにもなりましょう。最近まで「科学的社会主義」が国教だった(宗教活動が禁止されていた)こともあって、無宗教を表明するかたも多いそうですから、そういう意味では、信仰の自由がそこなわれたのは歴史的事実です。
イスラム教徒が多いというのは、もしかすると、一般の「ヨーロッパ」のイメージにあわないかもしれませんが、中世以来、長くオスマン・トルコの文化圏にあったことを考えれば、ふしぎでもないでしょう。
同様に、旧ユーゴ諸国にもイスラム教徒のかたは、たくさんおられます。この人たちがミロシェビッチに対し銃をとって独立運動をしたときは「ムスリム人」と言われていました。ほかの地域で同じことをすると「イスラム過激派」と言われるんですが、アメリカの軍需産業のお客様だと、べつの表現をしてもらえるようです……(微苦笑)
アルバニア人の系譜は、いまだに、なぞにつつまれています。アルバニア語はインド・ヨーロッパ語族に属し、「ヨーロッパ人」であることは間違いないのですが、その系統は未解明です。ご承知のように、インド・ヨーロッパ語族のなかには、英語、ドイツ語を初めとする「ゲルマン系」、フランス語、イタリア語などの「ロマンス系」、ロシア語、ポーランド語などの「スラブ系」……などなどのいろいろなグループがあるのですが、アルバニア語は、そのどれにもぞくさないのです。言い換えれば、インド・ヨーロッパ語族のおおもとの祖語がゲルマン語だのロマンス語だのに分裂した遠い昔、それらと対等なものとして「アルバニア語」ができたらしいということです。
同じ祖語を話す人々が地理的にいろんな場所に広がり、いろんな言語が枝分かれしてできてくるとして、アルバニア語というのは「言語の木」の相当ねもとに近い場所で、つまり遠い上代に、ほかの諸言語と分かれたらしいのです。言い換えれば、非常に古くからほかと異なる独自の言語と文化を持っていたわけですが、それがどんな文化なのか分からないのです —— 一般には、この興味深い文化のにない手・アルバニア人というのは、「古代イリュリア人」の子孫なのだと考えられていますが、完全に証明されたわけでもありません。イリュリア人は、かつて皇帝の地位にまでついた種族ですが、やがて歴史の表舞台から姿を消します……その生き残りが今のアルバニア人だと考えられているのです。
しばらく前から、コソボ(現在はユーゴスラビア連邦内のセルビア共和国の一部)やマケドニア(現在はマケドニアという独立国)の「アルバニア系住民」がよくニュースに登場します。コソボを含む現在のユーゴも、マケドニアも、(ついでにいえば、スロベニア、クロアティア、ボスニアの3国も)、もとはユーゴスラビア連邦というひとつの国(いわゆる旧ユーゴ)だったのが、いろいろあって分離独立したもので、アルバニア人としても、それなら自分たちも独立したいと考えているのでしょう。
よくあることですが、これも「民族問題」「民族紛争」ということにされています。が、問題は、もう少し複雑です。この「民族問題」が起きている場所というのは、もともとトルコ(当時の言い方ではオスマン帝国)の領土でした —— 下図は1912年当時の国境をあらわしています。
現在、トルコといったら、ほとんど小アジア(アナトリア半島)だけですが、歴史的にみると、長いこと、バルカン半島のかなりの部分がトルコ領だったわけです。そしてバルカン半島のトルコ領をはさむように上にセルビア(今のユーゴスラビア)、下にギリシャがありました。最近、いざこざが起きているコソボやマケドニアは、もともとこの旧トルコ領の部分である、ということを、まずおさえてください。
で、細かい話は抜きにして、バルカン戦争でトルコは負けたので、勝った連中が、当然のことながら、負けたトルコからぶんどった土地のうばいあいをやりました。おれにももっと分け前よこせ、という、いつものパターン。
アルバニア人もトルコの支配に反発して激しく戦ったわけですが、当時としては、結局アルバニア人は「トルコの植民地にされてたのを列強に助けてもらった」という弱い立場。英仏独伊を初めとする列強はアルバニアの独立を承認したものの、それは、アルバニア人の土地の半分以上を自分たちのものにしたうえでのことです。 —— 「トルコの支配をうちやぶろう。ともに戦おう」とアルバニア人を応援して、アルバニア人もいっしょうけんめい戦って実際に支配者のトルコを追いだしてみたら、「よくがんばったね。んじゃこのたびの手数料として、このへんの土地は、いただきます」と国境線を陣取りゲームみたいに自分勝手にでたらめにひきまくられてしまう、という、まぁ、非常によくあるパターンです。例えばコソボは、このときユーゴスラビアにとられちゃった部分です。アルバニア人の住んでいた土地をめぐって政治的ぶんどり合戦をやらかしたのは、ユーゴとギリシャとブルガリアで、結論としてはユーゴがだいたいゲット。これが今のマケドニア(旧ユーゴの一部)でありコソボ(今のユーゴの一部)だったりします。またギリシャも下のほうを少しゲットしました。
旧トルコ領だった時代は「アルバニア人の土地」として一応つながっていた地域に、勝手に国境線が引かれ、切り刻まれてしまったわけです。で、余り物の岩山だらけのどーでもいーような部分は「独立おめでとう、君たちの土地だよん」とアルバニア人に与えられました。これまたよくあるパターンです(例えばアラブ諸国が同じ目にあってます)。
んなわけで、ユーゴ(旧ユーゴのマケドニアを含む)には現在、200万人くらいのアルバニア人がいます(ギリシャにも数十万人のアルバニア人がいます)。なにはともあれ、現在の国境線は初めの地図のような状態になってます。
例えば、日本がAという国の支配下にあって少々くるしんでいるとして、アメリカやソ連のような強大な国が日本人を「解放」しA国から独立できるよう手をかしてくれるとします。日本人は喜び勇んでA国と戦うかもしれません。で、実際にA国を倒してみると、北海道と東北地方をソ連にとられ、大阪以南をアメリカにとられ、本当に独立できたのは日本列島の半分だけだった。ちゃんちゃん。という感じ。 —— なんだかなぁと思っていたら、ソ連が崩壊してくれたので、「チャンス!」とばかりに北海道あたりの日本系住民がソ連系の住民からの独立(そして日本への合併)を求めるのは自然の流れ。それを「民族問題=北海道地域に住む日本系住民が独立を求めて過激な行動をしている」とだけ、そこだけ見ていたら、ちっとも問題の本質が見えてないのは明らかでしょう。これは国境線をでたらめに引きなおし日本列島を切り刻んだことの結果であって、べつにソ連のホッカイドウ地方に住むジャパン系住民が過激な民族であるとか、ソ連系住民と平和共存できない好戦的な民族だ、とかの問題じゃないからです。
上のたとえで崩壊したのを旧ユーゴスラビア連邦と思えば、ほとんどそのまんまです。
だからといって、アルバニア人の土地を認めて、また国境線を引き直すというのも、今となっては困難です。国境線引き直し会議が始まれば、バルカン戦争で負けて土地をごっそり失ったトルコだって「あそこは、もともと自分たちの土地だったんだぞ」というかもしれないし、実際に今でも、ご承知のように、トルコというのは小アジアだけでなくてバルカン半島のいちばん端(トラキア)もトルコ領。バルカン半島への足がかりは残っているわけです。で、バルカン戦争(というかその戦後処理)のつづきみたいに、トルコとギリシャが領土をめぐって争いになることは、とくに大国にとってつごうが悪いと考えられます。以前、ユーゴスラビアのページでも指摘したように、「トルコもギリシャもNATOの国」というわくぐみがあり、ここいらの紛争も「NATOによる自称・平和維持」(笑)として昔と同じように今も列強が介入しているわけですから、そのNATOというわくぐみのなかで内部分裂が起きると、収集がつかなくなるおそれがあります。
とりわけ、地理的にバルカン半島とぜんぜん関係ない、ヨーロッパですらないどこぞの大陸の無関係な国が、こんなところを空爆したり劣化ウランをばらまいたり、大暴れできるのも、これはNATOの行動なのだ、という大義名分があればこそ……。そうした国にとって、まさにバルカンは難しい火薬庫で、火薬庫に火がつくのを防ぐために、べつのところに火をつけてみたりもするのでしょう。みずからの影響力の強大さを見せつけいい気分になっている昔の王侯と違うのは、(例えばNATO御用達の商人のような)軍需産業、関連企業の権益、というクールなビジネスで動いているってあたりでしょうか。
画像の出典:アルバニアの子どもの写真 from Save the Children in Albania|アルバニアの風景 Llogara from Discover Albania and its beauty|1912年当時の国境 Balkan Aspirations from UT Library Online - Perry-Castañeda Map Collection - Historical - Historical Maps of The Balkans