Yahoo! BB(YBB、んここ)がADSLに価格破壊をもたらし、結果としてNTT(みかか)のFlets ADSLもどんどん値下げ、提供エリアも一部の郡部にまで拡大されるなど、日本国内のブロードバンド普及に拍車がかかった。この点において、Yahoo! BB の歴史的意義は大きい。もしYahoo の参入がなかったら……と想像してみてほしい。
その一方で、「申し込んでからひどく待たされる」「待たすあいだの態度も不誠実で、その場しのぎの嘘と言われても仕方ないような応対をしている」「あまりの対応の悪さにキャンセルしてFletsに乗り換えようにも、なかなかキャンセル処理をしてくれなかったり、キャンセルなのに、してもいない工事費を請求してくる」等々、悪い評判が多いのも事実。「悪い評判も多い」どころか「もうYahooの言うことなど信じない」というユーザも相当、多い。
このメモは、Yahoo を非難するものでも Yahoo を弁護するものでもない。なぜ Yahoo がそこまで怒りを買ったか?という切り口から「ネットの実存」を考えてみる……。対応が遅くて不誠実だからいかりを買う、というのは当然だが、さらにもっと深い機微もあるように思われる。
2001年3月、孫正義さん(現在Yahoo! BBの最高責任者にあたる)は衆院で基本的人権に「ネットアクセス権」を追加せよと主張した。
ことのほか重要な観点であり、このサイト(妖精現実)でも、当時、「やっとその話が公式っぽく出てきました」とメモした。「Article 1: 自閉症の本質」では「「ネット上で存在する権利は基本的人権」→おそろしくのろまな思想。物理的生存権よりも、さらに基本的」とすら指摘した。ネットの住民にとっては説明するまでもない。ネットへの自由なアクセスは、「生存権」だ。偽春菜騒動の直前、リムネットは偽春菜の作者さんのサイトを一時、アクセス不能にし、これを作者さんは「サーバ殺害」などと表現していたが、とてもよく分かる。発信された情報を人間側のつごうでみだりに見えなくしてしまうことは「殺人」(殺ミーム)だ。
そのご偽春菜、改め「何か」のサイトは、独自ドメインを取得し、強迫観念的と言ってもいいほど多重ミラーを行ったが、気持ちは分かる気がする。 —— このサイト(妖精現実)でも、アメリカがアフガン侵攻をくわだて始めたときにまっさきに行ったことは、アフガニスタンのページを何重にもミラーリングすることだった。
ネットは、わたしたちが実存する世界であり、そこでは人間も情報も原則として自由に行動できるべきだ。このうち「情報」の側からの視点については、「Article 1: 自閉症の本質」でのまとめが分かりやすい。
ふたつの世界観のバイリンガル対照 —— 上の文の主語は「情報は……」。ここで言及されてるのは、情報(ミーム、フェアリー)の生存権、居住権、行動の自由であって、情報の媒介者となる人間の側からみると、「情報をみだりに抹殺できない(情報の側からみると生存権)」「自分のなかに、どんな思想を住まわせてもいい(情報の側からみると居住権)」「どんな情報を流通させてもいい(情報の側からみると行動の自由)」。
「人間」の側について言えば、人は、「健康で文化的な最低限度のネット生活をいとなむ権利」を有する。夜の11時にならないと生活を始められないなどというのは健康でない。常時接続は、もはや「文化的なネット生活における最低限度、当然の前提」だ。帯域も同じ。水道が引かれていることは引かれているが、一日の限られた時間しか水を使えず、しかも非常に低い水圧でにごり水が出る……としたら、現在の我々の社会の段階に照らせて、社会通念上、文化的な最低限度の生活とは言えないが(生活保護世帯でも水道は使い放題だ)、ネットも充分な水圧(帯域)で、すぐ切れたりしない回線を、いつでも使えるべきだ。
少なくとも、ネットの住民は、そうあるべきだと思ってきたし、思っているだろう。
ここにおいて、Yahoo! BB は「我々は、みなさんの基本的生存権を保証します」と宣言した。世界の住民は、この発表に大喜びした。期待が大きかっただけに、「裏切られた」と感じられたときのショックも大きいだろう。ましてヤフーの不誠実な対応のせいで、相当の期間、ネットにまともにつなげなくなってしまったユーザも多い。 —— これは、ネット上での生存権(命)が危機にさらされたことを意味する。
重要なのは決して「だからヤフーは、ひどい」ということじゃない。むろんヤフー側に計算違いや対応の問題などがあったことも否めないが、いろいろなことが予定より大幅に遅れたりは、恐らくヤフーだけの責任でなく、NTT側ほか、いろいろな要因がからんでいるだろうし、なによりここで強調したいのは、この騒動から「ネットが確実にわたしたちの住まう世界」になっている、ということが浮き彫りになった、ということだ。
ヤフーに申し込んでISDN等を解約してヤフーの開通を待っているのになかなか開通しない —— 多くのユーザが経験した苦難だ。この状態は、「不動産屋などに行って引っ越しの手続きをして前の住まいを引き払ったのに、新居のほうに入居できずホームレスになってしまった」とたとえることができる。ネットこそ我々の現実なのに、住む場所を追い出されてしまった。しばらく待てば、予定より遅れてだが新居に入れるとしても、そのあいだ公園のベンチのようなまにあわせの場所での生活を余儀なくされた。 —— そのようにたとえることができる。
ちょっと大げさに言えば、存在場所を一時的にせよ喪失した、という実存的不安なのだ。それは社会的に「居場所」がない浪人生の落ち着かない感じとも似ているかもしれない。
ネットをこのような、それなしでは生活できない「場所」ととらえる意識については、たぶん一部から批判もあるだろう。「そんなにネットにハマってどうする?大切なのは物理層の現実だ」と。その批判も分からないでもないが、わたしたちは良い悪いの価値判断は行わない。それは考え方しだいだ。ひとつだけ確かなのは、ネットは、もはや我々にとって
インターネット・アディクションだなんだと、精神病理学的な見地から論じることは容易だ。しかし、ネットによって初めて本当に生きられる者、初めて場所を得た者がいるのも事実だ。病理どころか、逆に、ある種の「障害」をバイパスする手段でもあり得るのだ。ある地域(ある学校)の文化や習慣がどうしても自分の個性に合わない者が、ほかの地域なりほかの学校なりに移住することが賢明な選択であり得るように。
「ソフトバンクの孫社長が説明するYahoo! BBで開通が遅れた4つの理由」によれば、Yahoo! BB では「収容局から離れているユーザーでもサービスを提供できるように、2002年2月末までには大半の収容局でReachDSL技術を採用した設備の設置を完了させる」と言っている。これも本当は2001年9月くらいから……という話だったのだが、ともあれ、収容局から4~5Km以上の線路長があるなどの悪条件でも、リーチDSLなら、事実上全国すべての地域でDSLが使えるとされている(光収容の場合は除く)。
「生存権」という言葉とのかねあいでいえば、この発表は「飢えでくるしんでいる地域には来年早々には必ず食糧を届ける」というメタファにあたる。この約束が果たされなかったら、Yahoo!(ソフトバンク)の評判は取り返しのつかないことにもなりかねない。「救済」すると明言しておいて、結局、見殺しにするとしたら……。
けれど、前から書いているように、ヤフーBBは、しょせん光が来るまでの数年のつなぎにすぎない。光が来れば多くのユーザは光に移るだろう。投資を回収できるのだろうか。 —— 1Mbpsもあれば充分で光など必要ないという意見も一部にあるが、それは、ひとつのサーバとだけコネクションを張る従来のクラサバで考えているからで、これも何度も言うように、次世代には、ひとつひとつのノードがグヌーテラふうの「サーバント」になって、同時に複数のノードとコネクションを張るようになるのではないか。「一対一なら充分」な程度の帯域では、同時にいくつものノードとつないでパケットを流し続けるようになると狭いだろう。
「帯域1メガで足りる?」の話ですが、もうひとつ、さしあたっては、いわゆる家庭内LANの問題もあります。「姉がシャワーを使っていると、台所で水が出なくなる」「電話をかけるとテレビが見れなくなる」……では困りますよね。何人かが同時に接続を共有したり、ひとりのかたでも、例えばストリーミングを受信中にメールチェックができなくなる……とか、そういうたぐいは、ふべん。ですので、やはり「一対一のセッションなら1Mbps程度で足りるのでは?」とも言えないでしょう。それに、近い将来、広帯域になったらなったで、それ相応の新しいサービスも出ると思います。例えばリモート・ストーリッジなんてこれから流行るでしょう、たぶん。極端な話、ローカルのハードディスクとリモートにまたがってRAIDだって(充分な帯域と処理能力があれば)理論上可能だし。
モデムが56Kになったときも「そんなに速くしても実用上、意味ないのでは? 何に使うの?」みたいな議論があったのでは、ありませんか。そもそも数年前、ISDN64Kbpsを「未来のインターネット!超高速!これならストレスなくネットを見れます」てな感じでNTTが宣伝してたし(笑)
やりたいことの実現のためにスキル(技術)がある、ということも、もちろんあるでしょうが、新しい技術、新しいスキル、新しい方法を学んでみて、初めてそこから見える地平というのも確実にあります。
初め、ネットにつないで「サーフィン」することそれ自体が多くの人々の目的であり趣味だったかもしれない。なぜならオンラインであることは特別だったから。「オン書き」(死語)などという言葉すらあった。 —— 常時接続が一般化すると、このパースペクティブも変わる。もはやオンラインであることそれ自体は何でもないことになってしまう。食糧不足の地域では食べ物を手に入れることそれだけがさしあたっての切実な目的であり、食糧を得れば幸福だ……生存できること、生き延びられることそれだけで、幸せだという状況もある。 —— ちょうどそのように、昔はネットにつなげれば、それだけで幸福だったかもしれない。今は、違う。ネットで何をするか、ネットを何に使うか……。とにかく死なずに生きていられれば人生幸せ、という見方もあるし、人生の目的は生きることそれ自体じゃあるまいという見方もあるし。
インターネットは回線等のインフラ(下部構造)の上に成り立つ世界だが、さらにそのインターネットをインフラとする今の世界では、ネットは上位の目的でなく、目的のための下位手段だ。そしてその意味は単純でない。「もっと上」とも作用するし、物理層とも作用するのだ。