写真家は昔からの親友アジーズを気づかっていた。アジーズは今もナッサルバール村に住んでいることが分かったが、2001年にアメリカが今度は公然とアフガニスタンに侵攻してから、政治的な理由で外国人のナッサルバールへの立ち入りは禁じられているという。
政治的な理由? どんな理由だか想像がつくだろうか。
ナッサルバールは、パキスタンへ避難してきたアフガニスタンの居住地だ。「避難生活」といっても、約20年前のソ連の侵攻、アメリカの反政府ゲリラ支援以来の話なので、一時的な避難生活というより、定住に近い。ここで生まれた子どもたちもいる。もちろん死んだ者たちも。
事実上の定住であってもパキスタンからみれば「よそ者の難民」に変わりない。パキスタンにはアフガニスタンからの避難者に同情的な人々も多いが、あまりに避難民が多く、長期にわたってパキスタン国内に滞留しているため、自国の経済への負担などから、アフガン難民に対する反感もある。居住地から立ちのかせる、ささやかな住まいを破壊する、そうしたいやがらせや暴力的行動もあった。いやがらせどころか、ほかの難民滞在地(ジャロザイ)では、文字通りの「見殺し」があった。避難民が糞尿にまみれて飢えと病気で死んでゆくのを放置した。避難者に対するこうした非人道的態度が「政治的理由による立入禁止」と結びつく。
だが、パキスタンばかりを責められない。百万単位の想像を絶する人数がアフガニスタンの故郷から大移動してきたその原因。そしてこれら避難民に対する支援を貧しいパキスタン一国に押しつけ知らんぷりをしてきた国際社会。これらについてパキスタン自身にいかほどの責めがあるだろうか。かれらを放置しきわめて非人道的な「見殺し」を行ってきたのは、パキスタンでなく、むしろ世界各国、あなたの国を含む国際社会だ。パキスタンは少なくとも、数百万人の難民を受け入れは、した。アフガニスタンのほかの隣国タジキスタンのように、国境を封鎖した国もあったのだ。火事で燃える家から逃げ出そうとする人々に対して玄関先に有刺鉄線を張り銃を向けて「そこから出るな」と命じた —— 。
そしてなにより、「情報化社会」と言われる国々の「世界の動きをいち早く伝える」メディアは、国際社会が生み出した現代のアウシュビッツについてくちをつぐみつづけた。正確には「国際社会が」というより「それを牛耳る利己的な一部の国々が」ということだが。そもそも資源の権益をにらんで他国に軍事介入し、対人地雷や今回のクラスター爆弾のような(ほかの国には用いられないであろう)非人道兵器を投入し、すさまじい空爆を行った「難民発生の根本原因」について、テロ撲滅などというおためごかしを信じているのは愚かなお人好しだけだ。
写真家の久保田自身がナッサルバール村へ立ち入れなかったため、仕方なくほかのアフガン人の友だちにたのんで、旧友アジーズを自分の宿舎へ連れてきたもらい、再会を果たした。そのご、UNHCRの協力もあって、写真家はナッサルバールを訪れることができた。
最後に訪れた昨年10月からまた破壊された家が増えていた。しかし —— 皮肉なことに —— アメリカの空爆がナッサルバールの破壊を遅らせていた。政治的な動揺と混乱のため気勢をそがれたのか、あるいはアフガニスタンの人々への同情が高まったのか、いろいろな要因があるにせよ、依然、パキスタン国内にのがれたアフガニスタンの人々の立場は複雑で不安定だ。
以下は写真家の日記である。
UNHCRのナースShahmazさんとナッサルバールに行く。看板だけ見て知っていたが、ナッサルバールの入り口近くにはWHOのオフィスがある。今回見せてもらったが、入り口から見るとたいしたことがないのだが、中はすごいひろさで、数えられないくらいのトラックと食料庫がある。いつも通っていたところにこんなすごい設備があるとは驚きだ。
WHOを見させてもらった後、すぐ近くにあるアジーズの家に行く。アジーズにはもちろんアジーズの兄弟や娘達も大喜び。Shahmazさんは20年UNHCRで働いているパキスタン人で、現場型の人。快くアジーズの家でのランチをOKしてくれた。