この作品は第一部が傑作だから、それで既に十分価値がある。 第二部は多少劣るが「人気があるため予定外に延長してつまらない」というのは仕方ないこと・よくあることで、 これはそれでもまだ非常に良い方だ。
よって、以下は全体として名作だというリスペクトが大前提で、 けなす意味では決してないのだが、 第二部に対する不満は大きい。
ネタばれ注意 以下のメモは作品の結末を踏まえた感想です。 具体的な展開については、意図的にぼかしてありますが、 何かが分かってしまう可能性があります。ご注意ください。
メロ・ニア萌え注意 メロ OR ニア萌えの方には大変申し訳ないのですが、 以下は第二部のキャラは第一部のキャラに比べて陰が薄いという立場から書かれています。 また単行本完結前に連載完結の時点で書いたことと、 書いたとき多少失望やフラストレーションを感じていたため、 大ざっぱ過ぎる表現が少なからずあります。 「派手でない(あまり目立たない)キャラの良さ」を否定する意図はありませんが、 上記のような事情なので、これららのキャラのファンの方が読むと腹が立つかもしれません。 どうせたいしたことは書いていないので、該当する方は読まない方がいいかもしれません。
デスノートの良さは、一言で言えば「ルパン」の良さだ。 (もう一つ、現代社会の「倦怠」「退屈」をうまくとらえているという面も大きいが、今回は略。) 再放送などで、タイムボカーンやら戦隊モノやらいろいろ見た人は多いと思うが、 あれらの致命的弱点は「正義が勝つ」という縛りのためストーリーをどうひねっても本質的な意外性がないということ。 もしタイムボカーンシリーズとルパン(初代)を同時に見た人がいたら、ルパンがどんなにカッコイイか、 ひしひし感じただろう。 一方はマンネリ自体が味であるとしか言いようがない退屈な世界、 他方は泥棒(悪)が警察(インターポール)を出し抜き何が起こるか分からないスリリングな世界。
誤解のないように言っておくが、現実世界で悪が栄えて不正がまかり通ることがおもしろいと言っているのではない。 ファンタジーの中では、現実とちょっと違う意外なことが起きてもいいではないか、という話で、 犯罪や悪を賛美することと「犯罪モノ」のおもしろさを語ることは違う。 「デスノート」のおもしろさを語ることは現実的に殺人を賛美しているのではない。
花の子ルンルンはパスポートを持たずに出入国管理法違反をしているが、 だから魔法の花を探して世界を旅してはいけない、 あれは犯罪者が主人公の悪いストーリーだ、などと夢のないことを言う人はいないだろう。 現実にはできないこと・やってはいけないこと、現実と違う世界やルールを前提にしてこそ、 空想や思考実験のおもしろさがある。 ルンルンが出入国管理法で逮捕されて終わったら「はっ?」である。 それは作品世界におけるストーリーの意外性ではなく、世界観自体の崩壊だ。 これはイニシャルDで主人公がダウンヒルで崖から落ちて突然死したら最悪であるのと同じくらい興ざめで、 現実であったら事故が起きておかしくないことだが、そういう現実的な部分には必要以上に触れないことで、 作品世界を純粋に楽しめるようになっている。 ルパンが銭形に逮捕されて死刑になったらこれも最悪である。 大泥棒だから最後には処刑されるのが当然である、などと現実のルールをいきなり押しつけられても困るし、 それを押しつけないということを前提にルパンの活躍を楽しむのが作品の世界なのだから。
まだ単行本の方は完結していないのでそれ以上は今は語らないが、 個人的感想としては、それがデスノ二部の残念な点だった。
意外性の世界はリアリティと程よくミックスされるとき、良い効果を上げやすい。 第一部でコンソメ味のポテチを食べたり、テニスをしたりするキャラたちは、 非常にリアルで濃い存在感があるのだが、 第二部は、 悪い意味でふわふわしていてストーリーに現実感がない。 第一部でキャラがポテチを食べたリンゴを食べると、それを追体験できる。 テニスをすればボールの重みがある。 ところが、 第二部のキャラがあれだけ板チョコを食いまくっても、一度も甘い味を追体験できなかった。 フルムーンとデスノートのネタを書いたとき、あれだけいろいろ細かいかけことばを使いながら、 言われてみれば明らかな「めろこ~メロ」を見落としていたのが象徴的だ。 「タクト・キラ~キラ」と違って、あの時点では、 メロは記憶だけを頼りにネタを書くと存在自体を忘れてしまうほどだった。
アメリカ合衆国自体を既に味方につけ、FBIでもCIAでも好きに動かせるはずのライト視点では、
あんなひとりで飛行機も乗れないニアを生かしておいても困ることは何もないわけで、
通信を着信拒否すればそれで終わりである。
ここは「敵ボス・デフレ」という非常に珍しい現象が起きている。
普通、対戦相手はだんだん強敵になって「インフレ」を起こすわけだが、
ニアはLより実力も存在感も弱い。単に「設定上」のみLを越えるかもしれないというだけで、
ストーリー的な裏付けに乏しい。
「わたしがLです」と大学に来てテニスをやるLの大胆さ、
とっさに
年少の読者も多いので、 まあ殺人者が主人公で勝利ではまずいのでは…と批判や配慮もあったのだろうなあ …という面は想像できるし、全体としては名作なので悪く言いたくないのだが… 最後は敵対していたこのふたりの深い友情というとってつけたような少年漫画的解決になっているのは、 ちょっと不自然かな…。
主人公が負けて終わるのが悪いとは言わない。 例えばヒカルの碁でヒカルが負けて終わるとしても、それはリアルの重さを感じさせる「心地良い裏切り」とも言える。 ジョーもホセに負けたが「負けたこと」でのみ表現できる美がある。 人によって考え方は異なるだろうが、 読者の夢を壊すようでも、 少なくとも、そこには作者の明確な主張がある。
しかし、あそこまで非現実感を醸成してしまったデスノ第二部で、突然、 正義は最後には勝つみたいな、まともなムードが出てくるのは…。
あんなに前からライトが負けそうな伏線をあれだけ出しまくって (やけに自信満々のキャラが必ず負けるのはお約束w)、そのまんま、ではね。 主人公が勝利するのは普通の展開だけに安っぽくなりやすいが、 主人公の敗北を美しく描くのには非常に高等な技術とストーリー展開の妙が要求される。 デスノの二部にそんな絶妙さなどない。 ニアには勝たせたいと応援したくなるほどの魅力すらない。 ライトをやばそうに見せて、その実、ライトには秘策があったのだが、さらに裏をかかれた…くらいの展開なら「おおお」と思うが、 ライトがあれだけ自信満々だと…。「さらにどんでん返しがあるのかあ?」と思って見たら「なんだやっぱりそういう展開なのかあ」と。 最初に書いたように、ルパンが銭形につかまって処刑されたとしたら「作品世界の中での心地良い意外性」ではなく、 「作品世界の構造全体を矛盾させる破綻」としか言いようがない。 だから、もし、ルパンがそうならざるをえないようにストーリーを進行させたら、 それは作品世界の失敗だろう。
そう分析するとき、デスノートのゲームバランスのまずさをあえて言えば、 「定期的な支払い」がなかったことである。 ライトは「無料で」ノートを使い続けた。 ルパンは盗んでもすぐ横取りされたり、空振りに終わる。 星飛馬は名投手でありながらひそかに腕を痛める。 矢吹丈はパンチドランカーになり脳を冒される。 オスカルはフランス革命を成功に導くが不治の病も進行し…。 というふうに、古典的名作では、プラスとマイナス、成長とブレーキが同時に進行することで、 敵キャラインフレの中でもゲームバランスが保たれる。ライトもいちばん最初には「ノートを使うことで精神をやられる」という「これは」と思わせるナイスな伏線を出しながら、なぜか、どう克服したのか説明がないままうやむやになっていて、 それは第一部のワン・アイデアな展開ではOKなのだが、長期連載すると、 プラスばかりでマイナスがなかったことが非常に大きなツケになってしまった感じがする。
マイナスの面を見せないのは、今風で、それ自体は決して悪くない。 ただでさえストレスの多い今の子どもが、漫画の中でまで精神的に苦悩しつつ競争相手を倒す、 という現実とパラレルの悪夢を見せられてはかなわない。 第一部はあれで完結した名作だ。だからこそ、Lが死んで、ライトがほくそ笑むところで、 後は想像にまかせて、余韻じょうじょうと終わってくれたらどんなに良かっただろう…。
とはいえ、第二部は第二部で決して悪くない。予定になかったのに急に作った続編としては、 なお非常に良い部類だ。本当に批判するべきものがあるとしたら、 この作品の展開ではなく「人気があると、既に完結しているものを無理矢理続けるはめになる」という作品作りの現状のネガティブな面だ。 デスノの二部が一部に比べてつまらない、と批判するとき、本当に悪いのは二部の展開ではない。 ストーリー的に完結しているのに「おもしろいから続編きぼんぬ」と無理を言う読者にこそ最終的な責任があり、 ひいては「読者の大量支持」が第一のパラメータになる制作現場の構造的問題である。
無名のお堅い同人作家なら、どんなに続編きぼんぬと言われても、 「これはこれで完結した世界ですから」「人気やお金儲けで書いてるのではありませんし」と拒むだろう。 メジャーの世界でも、そうできる場合も多々あると思うのだが、 この作品の場合は、結果的に続編を作ることになってしまった。 読者の強い希望で予定外に作った続編がまた傑作ということもありうるのだが、 そうでないことも多い。 そしてそれは、原作者の責任とばかりは言えない。