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本音 |
私が今回の件についてどう思っているのか、きちんと対応すべきだという声が多くあります。
プリシラのした事を「全面的に肯定して擁護するのか」との問いに関しましての答えは「NO」です。
彼女には非があり、謝罪する必要があったと、当たり前ですがそう思っています。
しかし彼女の非は「掲示板に書き込んだ事」そのものだとは思いません。
今や個人が自分のサイトを持つ事はとても簡単な事です。
でも、だからと言ってその「簡単さ」に比例して「公に文章を発信する責任」までもが、
軽くなったとは思いません。
先様のサイトはパスワードでアクセス制限が施された「閉鎖した空間」ではありませんでした。
当たり前のようにwww上にあり、何時誰が見てもおかしくない状況にありました。
どんな人が閲覧するのか、それは誰にもわかりません。
その場所において、自分の思った事、感じた事を日記に綴る。
其処までは「表現の自由」だと感じます。それを咎める事が出来る人は居ません。
しかしその「表現の自由」には「責任」がついてまわります。文責が生じます。
責任を果たす義務を負う事が前提の「表現の自由」です。
自分を好意的に受け取ってくれる方ばかりがwwwという世界に存在するわけではありません。
ともすれば反感を買う事など、当たり前のようにある世界です。
自分の書いた文章を読み、疑問を抱く人、異議を唱える人、反応は様々でしょう。
それに対し、疑問や反論に答える事が「責任を負う」という事だと思うのです。
勿論、疑問や反論に同意し謝罪する事だけを指しているわけではありません。
もしその疑問や反論が納得出来ないものであれば、其処でその事を説明をする事も責任のひとつだと考えます。
自分のサイトにおいて、自分の思った事を書く。
其処までは表現の自由であり、それそのものを咎められる筋合いはないと思います。
先様が日記を書かれた事と同様に、プリシラの書いた1月25日の日記もまた「表現の自由の範疇」であると思うのです。
内容云々に関わらず、其処には責任が生じますし、その責任を負う義務があるのです。
www上にある先様のサイトをプリシラが訪れ、其処で日記を読む。
日記に書かれていた事、それに対する先様の掲示板での遣り取り。
その内容にプリシラが疑問を持った事は極当たり前の反応だと思います。
其処で先様の掲示板にプリシラが書き込みをする。
その行為に「異常性」はありませんし、それ自体が「遣り過ぎだ」とも思いません。
www上では日常茶飯事です。よくある光景です。
書いた内容が挑発的に感じたとの話もありますが、それの受け取り方は人それぞれであり、
その内容を「悪だ」と断言する事は出来ないと思います。
先様はそのプリシラの行為に対し、責任を果たさなくてはいけなかったと思います。
自分の書いた文章に疑問を感じ、それを投げかけて来た人が居るのですから。
しかし先様はプリシラの書き込み内容を一旦認めたにも関わらずそれを書き換え、
2度目のプリシラの書き込みがあった後にサイトのファイルを削除してしまいました。
サーバーのメンテナンスは突然行われるわけではありません。事前に必ず告知があります。
ましてや「サーバー内のファイルを削除して」行われるような大規模なメンテナンスであれば尚更です。
事前にメンテナンスがわかっていたのなら、サイトで告知するものじゃないでしょうか。
閲覧される方の事を考えるなら「この日はメンテナンスによりアクセス不能になります」と。
先様のサイトにはその告知はありませんでした。
しかし先様は「サーバーのメンテナンス」と仰っておられました。
突然のサーバーダウンならまだ納得も出来ますが、嘘を吐かれている事は明らかです。
公に向け発信した文章に対する責任を取ろうともせず嘘を吐いて逃げ出した。
私には先様がこう映ったのです。
自分の「表現の場」としてwww上にひとつのスペースを借りる。
そのスペースは公開されている以上「自分だけの場所」ではありません。
「負う義務のある責任を放棄しなければいけない事態」を招くような行為はやはり肯定出来ません。
少なくとも私は自分の書いた文章に疑問をぶつけられた時、それを削除して逃げた事は一度もありませんし、
誤解があればその誤解を解くための努力を惜しんだ事はありません。
しかし、
これは「私の主義主張」であり、皆様に押し付ける性質の物とは多いに異なります。
今回の件が「騒動」と呼ばれるようになった当初、私は心の底から「私は悪くない」と思っていました。
自分の主張が間違っているとは思いませんでしたし「名指しで晒し挙げた行為」には一切関わっていなかったからです。
何故私の知らない所で起こった「晒し挙げ行為」の責任が私にあるのだろう。
何故直接関わってもいないのに「たろたま騒動」と呼ばれているのだろう。
考えても考えても、私の中で答えは出ませんでした。
騒動を収めるために、主義主張を曲げ平謝りに徹し、ほとぼりが冷めた頃に何食わぬ顔で復活すればいいじゃないか。
多くの方からこのように言われました。余計なプライドなんて捨ててしまえと。今は意地を張る時じゃないと。
しかし私は「どうして悪くないのに謝る必要があるのだ」と頑なに思っていました。
時系列を誤まって掲載する検証サイト。
相手の非を完全に許しこちらを「ひとくくり」として行われる言及。
無関係な場所を的にしてとにかく騒ぎ続けるためのあらを探す人たち。
完全に「架空の物語」で盛り上がっているだけじゃないか。
チャンス到来とばかりにとにかく叩きたいだけなんでしょ?
言及したいなら事実関係きちんと把握してからにしてよ。
騒ぎが大きくなってから、私の頭の中にはこんな言葉だけが張り付いていました。
私は間違った事は言ってないししていない。
それが間違いだと気付いたのはプリシラが期間限定で設置した掲示板を見た時でした。
厳しい言葉で追及する人たち。なんだ、結局誤解して追い詰めてるだけか。
苦々しい気持ちでスレッドを読み進めながら気付いた事。
ほとんどの方が最初にプリシラに対し「お疲れ様」という言葉を掛けている。
今回の件で憤慨し、プリシラの事を良く思ってないだろうと思われる方たちが、
まず最初に「お疲れ様でした」と労いの言葉を掛けていました。
プリシラに対し、とても優しい言葉を掛けている人も居ました。
それに気付いた瞬間、私は自分の一連の行為をとても後悔しました。
何故私は自分を否定している言葉ばかりに囚われて反発していたのだろう。
何故私はこの騒ぎの中にある真摯な意見まで「間違った認識上での追及」だと思っていたのだろう。
「物事を感じる部分は人それぞれ」と言いながら、
自分の考えを「間違っていない」と押し付けて理解させようとしていた。
その行為そのものが大間違いであったにも関わらず。
私の事を知っている人ならば、私の書き込みや日記を「脅迫」だとは受け取らなかったと思います。
私はその事が「共通の認識である」と思い込み、
私を知らない人がその文章を目にした時にどう思うのか、という大切な部分を見落としていました。
誰に非があるとか、時系列がどうだとか、そんな事よりも、
「私の文章を読み怒りを覚えた人や怖さを感じた人が居る事」が何よりも事実だったのに。
それは私が正当性を主張したとしても、絶対に覆らない事実であったという事に、
プリシラの掲示板で労いの言葉を掛ける「礼儀」や「優しさ」を目の当たりにし、初めて気付きました。
私の友人が私を心配してくれたように、私が友人を心配したように、
先様のご友人だって、先様を心から心配されたに違いないのに。
この状況を見て心を痛めた方が居る事も、自分の事のように怒った方が居る事も、
何もかも「此方に正当性がある」というフィルター越しに見ていたばっかりに、気付く事が出来ませんでした。
私の非は、騒動を止めなかった事よりも何よりも、
大勢の方を悲しませ、驚かせた事、そしてそれに気付くのが遅かった事だと思いました。
周り中を敵だと思い込み、正しく状況判断が出来ない状態で、頑なに譲らずに居た事が、
更に多くの方々を悲しませる結果を引き起こしてしまいました。
私の文章を読まれ、傷付いた方、悲しんだ方たちに対し、心からお詫び申し上げます。
本当にごめんなさい。
今後一切、余所様の掲示板にて発言致しません。
プリシラは今、www上で誰もが目にする事の出来る場所において文章をあげた責任を、
自分なりの方法で一生懸命果たそうとしています。
プリシラに対し「とにかく低姿勢に、平謝りで」というアドバイス等もあったようですが、
彼女はそれが出来ません。それは「逃げる事だ」という認識があるからです。
彼女は自分が楽になりたいから、謝罪しているわけではありません。
彼女に対し「まみやをかばうのはやめた方がいい」というお話もあったようですが、
彼女は私をかばっているわけではありません。
私の事をよく知っているので「本気で悪くない」と思っているだけなんです。
私を知る人と知らない人の認識が食い違うのは当然の事であり、その事で彼女は責められる立場にはいません。
私に対するお叱りであれば、私が受けるのが当然です。
それをプリシラに問うのはどうかおやめください。
あらためて、
今回の私の行動で傷付かれた方、悲しまれた方にお詫びします。本当に申し訳ありませんでした。
今まで私を応援してくださった皆様、励ましてくださった皆様にもお詫び致します。
温かいお言葉を掛けてくださったのに、失望させるような事をしてごめんなさい。
まみや |
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