言及サイト転載集

目次

けぇずまにあ

ヒカルとゆうこと花子さん 第十一回 〜インターネットと花子さん〜

ゆうこ「ゆうこです。きょうも宜しくお願いします」

ヒカル「十一度目まして、そろそろ新興宗教でもやろうかなって思い始めたヒカルです」

ゆうこ「…あのさ、前々からアンタに訊いておきたい事があったんだけどいい」

ヒカル「ええ、核ミサイルからゾウリムシまでドンと来たまえ」

ゆうこ「これはネットの世界だけでなく普通の社会でも言えることなんだけど、親しい人間以外と話してはいけない話題の三原則って知ってる?」

ヒカル「ええ、私をあまり舐めないでもらいたいものですな。その三原則とはズバリ『持たず、作らず、持ち込ませず』であります」

ゆうこ「それは非核三原則でしょ! アタシが言いたい三原則ってのは『政治・宗教・野球』のことよ」

ヒカル「ふ〜ん、で、それがなにか」

ゆうこ「アンタは口を開けばそのことばかり喋ってるでしょ!」

ヒカル「はい、で、それがなにか」

ゆうこ「アンタさ、なんで『政治・宗教・野球』の話題を親しい人間以外とするなって言ってるか分かってんの!」

ヒカル「はいはい、どうせあれだろ、人と言い争いになるからだろ」

ゆうこ「なんでキレ気味なのよ! とにかくそうよ、これらの話題ってのは特に思想が絡むから余計に論争になりやすいの」

ヒカル「じゃああれか、私一人が悪者なのか、え、そうなんだろ」

ゆうこ「だからなんでキレ気味なのよ! とにかくさ、もう発言した分はしょうがないからいいとしても、これ以上危険な話題は避けたほうがいいと思うのよ、アタシ的には。

ヒカル「なんで?」

ゆうこ「なんでって、それは…、ここの内容が気に入らないって人からいきなり叩かれたり色々嫌がらせをされたら怖いでしょ」

ヒカル「ああ、なんだそんなことですか」

ゆうこ「そんなこととはなによ。インターネットの世界は怖いのよ。現に嫌がらせをされて閉鎖したサイトだって沢山あるのよ」

ヒカル「私はね、つい最近、その怖いインターネットの世界でそういう嫌がらせから身を守る術を学んだのだよ」

ゆうこ「それならその方法というのを教えてよ」

ヒカル「トップページに『アタクシ震えてませんから』って書けば大丈夫なのです」

ゆうこ「たろたま騒動を知らない人には分からないでしょ!」

ヒカル「たろたま騒動というと、あれのことですかな。ベンツを運転していた一人の人がたまたま信号待ちで隣同士になったベンツを見て『あ、あのベンツ私のベンツに似てるかも』とボソッっと独り言を呟いてそのことを助手席にいた人とヒソヒソ喋っていたら、隣のナンバープレートが893で黒塗りのベンツを運転していたチンピラの耳に入り、『ウチの親分のベンツは別注なんだよ、コラァ』と怒鳴られてびっくりしたその人が『そんなこと言ってないです』と自らの似てるかも発言を匂わす返答をしてしまいさらに追い込みをかけられてその人が乗っていたベンツをボコボコに蹴飛ばされた挙句に、黒塗りのベンツの後部座席に座っていた金バッジから『テメェ、何ふざけた態度かましてんだマジで殺すぞ、コラァ』と脅されたところを野次馬がフォーカスしてくれて助かったという、あの騒動のことですかな」

ゆうこ「これはヒカルの妄想です。実在の人物・団体・事件などには、一切関係ありません」

ヒカル「ま、あれですな。たしかにこの騒動のおかげでインターネットの世界が恐ろしい事が大変よく分かりました」

ゆうこ「いや、アンタは全然分かってないよ」

ヒカル「そんなことはありません。もうこういう公の場で言い争いの火種になりそうな言動は慎むことに致します」

ゆうこ「本当にお願いね」

ヒカル「大丈夫、大丈夫。例えメールで『北朝鮮ネタお願いします』って言われてもそれに反応することは控えるよ」

ゆうこ「そうそうその調子。『政治・宗教・野球』に関する話題じゃなくてもネタなんていくらでもあるんだからさ」

ヒカル「そう、朝日新聞なんてネタの宝庫ですよ」

ゆうこ「やっぱりアンタは全然分かってない!」

ヒカル「でも大丈夫。万が一騒動に巻き込まれてもこう言えば大丈夫です」

ゆうこ「なんかヤな予感するよ」

ヒカル「オフィシャルネットバトル開始! きゃほーーい!」

ゆうこ「これはヒカルの妄想です。実在の人物・団体・事件などには、一切関係ありません」

駱駝mild

2003年2月6日(木) HPの事 リンク追加とちょっと考察

趣味のWebデザインというサイトを新たに追加しました。以前から面白いと思っていたものの(愉快な神父さん頃、、、と言っても知るべくもないけれど)、本来Webデザインについてアドバイスするサイトであるため、こういった形で紹介して良いものかと考えていたため、遅くなりました。このサイトの主張が覆ったとしても変わらないスタンスが素晴らしいと思います。

ところで、この趣味のWebデザインですが、今「贖罪と罷免」について考察しています。ここからはそれについての話ですので、興味のある方はリンク先にてご覧ください。極めて簡略に事情を説明しますと以下のような事件です。

それを見て趣味のWebデザインの徳保氏は「どのようにしたら謝ることで許して貰えるのか」を考察しようとしているのです。

私見ですが、ネット上でも現実でも謝った人間と批難した人間が話す事で蟠りを解くという事は変わらないと思います。しかし、こうまで事が大きくなった要因としてはネット特有のものがあるのではないでしょうか。私はそれが発言方向の不一致にあるとみています。

こうして、多数の閲覧者がいるサイトで事が起こった場合、まず管理人同士のみで解決がはかられることは無いでしょう。知人のサイトや掲示板など、関係のある各所で批難が起こることが多いです。その際に起こるのが微妙に内容の異なった主張の発生です。掲示板にしろ他サイトの日記にしろ「そうだそうだ○○さんの言う通りだ、○○さんの言った点について反省しろ」という主張はまず起こりません。悪かったと考える点をそれぞれに考え、それぞれ一致しないように働きながら独立して批難されるべき人間への会話のチャンネルを開こうとします。

例えば、これが現実ではどうでしょうか。数人で一人の人間を責めたとしても同じ空間であれば主張はまず一本化します。なぜなら主張の内容が一致しない場合は先の言を否定しなければならないからです。この場合、周囲が少しの差異を押し殺して特定の人物が中心となった主張になっていくのではないかと思います。

反省をする場合、相手が怒っている悪いと思っている部分について謝罪をする必要があるのですが、多くの人が違う点を責めれば、どれについて反省すれば良いのか分からなくなります。其々に謝れば矛盾してしまうかもしれませんし、一つにだけ謝れば他方から責められ、全方向へ謝れば(あいまいな内容になってしまって)反省していないとなじられてしまいそうです。

謝る側の対策法は「対話のチャンネルを一つに絞る」事ではないかと思います。まず批難している側の中心人物(主に最も被害を受けた人間)を見極め、メール等の一対一で会話できる状態を作って、解決するまでは他のチャンネルを一切閉じる事を周囲にアピールする。そうして贖罪できたならば許しを得たことをアピールするという方法です。直接のチャンネルを否定し批難する人間も少ないと思いますし、時間をかけた後で合意を得たことをアピールできれば問題は沈静化するのでは無いでしょうか。

と、ここまで書いたのですが思考停止してしまいました。数人に等しく被害を与えた場合はこの方法が使いにくいのです。

結論は出ません。そもそも批難する側が求めているのは公開処刑ですが、最近は謝罪文の持つ罰の価値やイメージが薄れてきたのかもしれません。ネットバトルの最後は大抵謝罪文(もしくは喧嘩別れ)のようですし。

檸檬樹

2003/02/09(Sun) untitled

先週末よりお祭りが続いております。ずっとヲチしております。収まりかけたなーというころに関係者が燃料を投げ入れるので、いまだにボウボウ燃えてます。このタイミングは見事というしかありません。眠いです。眠いです。眠いです。

2003/02/15(Sat) 祭りの後

2/9に書いた騒動の一連はコチラです。他にも関連サイトがいくつかありますがここが一番まとまってるので。

火はくすぶりつつも鎮火方向にあります。燃料投下は相変わらず絶妙なタイミングで行われていますがヲチャが呆れてきた&疲れてきたというか。

私の頭は単純構造ですので、Pさんの「はじめてネットバトル きゃほーい」発言だけでもう初めからヤル気マンマンだったんじゃんと思っちゃいます。明らかに勝利確信の「きゃほーい」でしょうに。すべてここから始まったのだと思います。んで引き際を誤ったと。

ああ眠かった。

ぱた空

2月22日(面白かったので)

僕はウォッチャーではないので詳しい事はわからないし事件自体にはそれほど興味もないのですが、このサイトの管理人さまのロジック構築の道筋が非常に興味深かったので他にも興味を持つ人がいるかな?と思って貼ってみました。

前述していますが、この事件自体は完全把握をしてないしそもそもこちらのサイトの資料すら精読してない状態ですが、それでも事の概略だけ読み、管理人様が意見提示しているものを読んだ限りでは、この人は

「要するに当事者のお二人は(ある意味で)社会的不適合者であり自分達の絶対的に信じる通念を守って世論と無意味に孤立して奮闘するよりは、多少は社会迎合するべき状況と必要性を鑑みてはいかがですか?」

とゆう当事者達への妥協的打開策の提示を事実に照らし合わせ、説明しながら行っているとゆうスタンスのようです。

これは、非常に僕には共感できる考え方でした。

とゆうか、本当に只共感できる、とゆうだけで紹介しているのですが、これは形は幾許か変わりはすれど、私達の身の回りにいつ、どのようにおこってもおかしくない類の物であると考えるので自分ならどの時点でどのように対応したかを考えるに非常にいい素材となるものだと思います。

僕なら世論形成が大勢を喫した時点で平謝りともとれる謝罪と共に、いつか、同じ場所に戻ってくる時に多少なりとも免罪符となりえるいいわけを添えてほとぼりが冷めるまで待つだろうな、とゆう所です。皆様の所感も宜しければ聞かせていただきたいです。

・・・万難を排して自己正義を声高に叫ぶ事は時にこの上なく格好よくても、時に周りからは狂人にしかなりえないとゆうのは、理解をしていても怖いものですね。どちらの立場からしても。

ポトチャリポラパ

ダイアリー 2月23日2002年

好みのタイプは?とたずねられて、「好きになった人がタイプです」という意見をみる。男でも女でもある。

なかなか気の効いた答えであるなと思っていたのだが、今朝、それはまちがいということに気づいた。「好きになった人がタイプ」の「好きになる理由」が好みのタイプは?なんだから、じゃあ、どういう人を好きになるのか?という問いかけには答えられないことになる。だけど、それでも答えがあるんだよな。「好きにならないとわからない」

これもまた気の効いた答えに聞こえるけど、ただ、単に自分の感性を把握してないだけなんですね。「好きにならないとわからない」という回答にさらに「どういうときに好きになると思う?」と追い討ちをかける。すると答えは決まってる。「わからない」

そう、つまり、最初から答えは「わからない」なんですね。

そのことが追求されないのは、基本的にどうでもいい質問だからです。

これの具体的な回答にしてもおおよそ意味が無いものばかりか、「数値」しかないから。

と、まあ、「数値」を提示するところをあいまいにするために意味のないあいまいな形容詞で誤魔化すという感じですか。

不思議なことに、逆のパターンで冒頭の回答は聞かない。「キライなタイプは?」「キライになった人がタイプです」

こういうやりとりは聞かない。いろいろと回答が出てくる。「ウソツキ」「不潔」「喫煙者」「身勝手」「貧乳」「毛深い」などなど。

してみると、人を好きになるよりキライになるほうがたやすいということになるのかしら?と思ったりもする。

まあ、世の中の90%はクズとかいいますし、気に入らないもの=キライなものが多いのは道理ですけどね。

「好きなタイプ」をあげるという行為は、自分の中のキライな人を90%ふるい落とす作業になる。それは大変な作業ですよね。だから、アイマイなのかしら?

とりあえず、おれの「嫌いなタイプ」に「好きなタイプはと聞かれると好きになった人が好きなタイプですと答えるやつ」という項目をプラスしておくことにしよう。

中略

と、「1」のようなことを思ったのも、最近の朝トイレで「女たちよ!/伊丹十三」を読んでの影響です。役者であり、監督でもある伊丹氏は同時にすぐれたエッセイストでもあるのですよ。やっぱり、買えるだけ追いかけようと思いましたわ。

読み終えたら「ブック」で取り上げようと思いますが、個々の話に関して書いていたらいつまでたっても終わらないので、とりあえず、それを受けての話をふくらませてみたのです。

***

本当は「1」の話は、ごく狭い「世間」で話題沸騰中の「華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノ」にまでつながる話でしたが、なにぶん、忙しくて集中力が途切れてしまい、中途半端なものになってしまったのですよ。

このネタ、意外なところで言及されてるのをみたりしますね。おれなんかは、ダークマターで知ったとき、「つまんね」と一蹴してましたんで、そういった意味でも2倍意外です。

これ、創作系の人は他人事じゃないからなんでしょうねえ。そういうのに片足つっこんでるような人がわりと反応してるんですね。

いや、親方親方変換スクリプト「機械の平和」は腹をかかえて笑わせていただきました)じゃないけど、基本的に興味はないんですが、このことと、好きなタイプネタをからめて嘲る予定でしたが、あの狂乱の昼にかき消されてしまいました。そいでもって現在はつなげようとしたことだけ覚えていて、どうつながるかは全然わからないのです。

こういうこと最近多いんだ。ボケに磨きがかかってきたな。

***

で、「女たちよ!」なんですが、「死に至る病」というのが非常に興味深いんだよ。

「モテたい」と思う気持ちが非常に危険なことをとうとうと説いておられる。

まあ、くわしくは読んでいただけばいい(おれ古本で100円で入手したくらいだし)けど、「モテたい」という気持ちには「現在」がないんだそうで、くるかどうかもわからない「未来」に出会う理想の異性のために持つ意識であり、そのためのエステやオシャレであるわけです。

「未来の自分に投資」という言葉もありますが、そのために現状にいつでも満足できない状況になります。文中では、常に、空しい期待と、うそ寒い悔恨の中に生きるということになってしまう。と、これが「死に至る病」と。

勉強になりますねえ。だから、ガキがいるのに、出会い系で出会った男にフラフラ着いていった挙句、ガキが死んで山に埋めるおバカがいたりするんですねえ。でも、そんなこといっても、みんな目指すは「モテ」って状況になって久しいからなあ。こういう考えがあることじたい不思議なのかもしれないですね。

***

などと、くどくど書いてますが、非常に中断してます。改行の度に席を立ってるような状態です。

***

ああ、「たろたま」のネットバトルが「死に至る病」じゃないかな?ってことをいいたかったのかと思います。いや、ちがうか。わからんわ。また、これを期にアクセスをバリバリ稼ごうとしたのに、そういう邪な考えを神様に見透かされたのかしらね。

後略

Still alive

2003/02/12

最近私のよく行ってるサイトさまがすごいことになってます。いわゆるたろたま騒動ってやつですか? 大体の内容は「趣味のWebデザイン」さま内の華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノが検証サイトでは一番にぎわってるみたいな印象が。つかここ見つけてほぼ徹夜してまで読みふけっちゃいましたよ。他人事なのに。私的にはゆいちゃんのリボンがよく出来てるなと思ったです。

私はたろたま好きだしよく見に行ってたんですけど、ここ最近の更新なんか妙なくだりだなー、また何かプライベートにあったのかなー? とぐらいに思ってたんですよ。まさかここまでの大事になっていようとは。この間の(2/11)の更新見てて流石にちょっと前後調べてみようと思ったんですが、いやーネットバトルって怖いっすね。私ディベート能力乏しいから絶対出来ない。<そういう問題ではない。ぱくりぱくられ問題は、以前友人に、イラストとかのトレース疑惑でこじれてるサイトあるよー、とか教えてもらって「うわ凄いね」とか言い合っていたんですが、もうあんなの目じゃないぐらいの燃え上がりっぷりです。

でもね、さすがに好きで見ててもこれはやりすぎだな、とか思った。これは言及したくもなるわ・・・。ちゃんと謝罪してるのに、こんなもので、サイト閉鎖ぐらいで済むと思ってるんですかと絡んでるようにも感じられるくだりはちょっとねー。そもそもぱくりなのか果たして。こういうことになり得る状況は誰にも平等にあると思うし、どうやら気をつけててもなる可能性もあるようなので自分の主張を他人に強制するのはやめるように心がけようと思いました。自分を強く持つことと頑迷さは紙一重なんだなと、多数派が正義になるのはそれが道理に適ってる時だけなんだなと、私、教訓として肝に銘じておきたいと思います。

自分がひたすらに正しいと、思って思って思い上がっていく前に、来た道を振り返る勇気と躊躇いを忘れないでいこうと。常に、常に。

しろくまファミリーランド

2月16日(日) 寝る前に思い出すのは歯ぎしりをしながら眠る君の横顔

洗車すると雨。

何がいけなかったのか考えてみたんだが、やはり、いくら安いからといって自分の能力を考えずに昨日ワインなんか買ってしまったのがいけないんだと思う。白ワイン190円。安いよね?安いから買った。しかし、まあ、同じことをいつか書いたのかもしれないが、実は私は酒に弱い。強いと思われているがそれは何か皆さん大事なポイントを見誤っているのだ。正確に書くと「酒に弱いくせに酒量が多すぎる」ということである。弱いのだ。本当に。すぐ記憶は飛ぶし、すぐ泥酔して壊れるし、吐くし、二日酔いすごいし。凄まじく飲んだ翌日普通に働いているのは、それは、我慢強いから二日酔いでも働ける、それだけだ。私じゃなかったら会社休んでておかしくない攻撃のすごさだが、我慢強いので働けるのだ。とにかく酒には弱い。普通だったらもっと早い段階で「もう飲めない」という言葉が出るのだろうが、そうならないで酩酊し迷走し暴走して、その後二日間くらい後悔するのだ。

で、ビールや焼酎、バーボンならまだいいのだが、ワインと日本酒は決定的にダメなのだ。ワイン。飲んでいい思いをしたことが殆ど無い。まったくない。いわゆる「暴走状態」になるまでの時間が異様に短く、そして体調が悪くなる。吐けばワイン臭でさらに気持ち悪くなるとか、翌日のダメージもワインだと倍増だ。もう、私はワインに向いてないのだ。赤はヤバい。ロゼまあまあ、白ならまだ・・・・・。なんか、すごい高いやつで白かったりすると、そうでもなかったりするのだが、とにかくワイン飲んではいけないのだ。それなのに買ったのだ。馬鹿である。もう、もう・・・・・。

で、ゆうべは日付が変わった後だかに白ワイン開封してしまって、DVDで「続・猿の惑星」と「新・猿の惑星」を観た、気付いたら白ワインは空になっていた、その所為で今日は日曜日だったのに二日酔いで死んでいた。と。概要はそんな感じである。やはり、買わないのが正解だったのだ。

どうしてもワイン飲んでしまった原因は、ちょっと、ネット上のある騒動を追いかけていて、現実逃避しながらもその騒動をしっかり追いかけなくてはいけないという状況に陥ったからである。その騒動、とは、んまあ、華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノというキーワードで(そのままコピペしていけると思う)検索にでもかけてくれればひっかかると思うので、興味のある方はそちらを見てくれると大概のことはわかると思うのだが、ある人が自分のホームページに書いた日記にある人が反応して、それは最初一対一のモンダイだったのだが、一対多にふくれあがり、それを観ていた連中が飛び込んできて多対多の騒動になり、今となってはあちこちで皆がいろいろとその件について主張したり頭を悩ませたり、私のように追いかけすぎて睡眠不足になったり、もう大事件になっているのだ。

そりゃ、ま、インターネット上の限られた人たちの中で大事件なんだが、私は騒ぎの当事者(今のあちこちの世論の流れでは非難されている側の人)のサイトに実は定期的に通っていて、それこそ「ファン」みたいな状態だったので、追わないと気がすまなかったのだが、しかし、恐い。騒ぎの発端となったのが、「日記」であり、そこに噛み付いたり(って表現もちょっとアレだが)掲示板で紛糾したりという流れなのだが、これって私からしても、なんか、どっちの立場にもなりうる、つまり当事者になってたかもしれない事件なんだなという点でまず恐かった。今、こう、大勢の人がその騒動を見ながらいろいろ批判したり同情したりしてるんだが、批判してる人たちが、当事者のスゲエ過去の日記とか引っ張り出してきて「日記に書いてたことと矛盾しておる!」という観点で彼女たちを非難している、そこがちょっと恐かった。

多分、長いこと見てるひとはわかると思うけど、私の日記に対するスタンスってこの1年くらいでようやく固まったんですよ。それまではもう、なんていうか、日記がフラストレーションの行き所というか、掃き溜めというか、汚物いれというか、ゴミ屋敷の住人というか、とにかくネガティブな自分やら周囲への恨みつらみやらを延々と書き綴っていた、んだけど、ちょっとづつ変わっていって、なんとなく「読み物」として「それなりに」読めるものになったんだと思う。多分私がまったくの第三者で、この「しろくま日記」を発見したとしたら、まあ、それなりに毎日読みにはくるかなあ、というレベルくらいまでには。

で、何度か日記でトラブルもあったので、その中で自分の中で絶対的に守らなくちゃいけないなと思ったことが2点あって、それは、「誰かを傷つけることや追い込むことを目的として書かないこと」それと「安易に傷ついたと主張しないこと」この2点は徹底的に守ってきたので、それが「しろくま日記」が微妙に安定してきた理由なんだと思う。

で、この2つの点ってかなり密接で、例えば「傷ついた傷ついた傷ついた」と、肉体的な傷じゃなく精神面での傷について主張すると、相手は「傷ついたという君の主張で傷ついた」ということになり、結局双方がさらに傷ついて泥沼化するのだ。だから、主観は書いても、「誰かに与えられた精神的なダメージ」について綿密に主張して相手を非難することは避けてきた。避けてきたというより「避けられるようになってきた」のか。

だがしかし、書いたことに関してどこまで確信を持てるかという点では自信が無い。わかりやすく言うと2ヶ月前に「胡麻豆腐嫌い、胡麻豆腐ファック!」と書いた私が、現在は「胡麻豆腐大好き 胡麻豆腐ないと生きていけない」となる可能性がある、という感じか。

そこで、うっかり「胡麻豆腐ウマイ!」とか書いてしまって、知らない人に「しろくまさんが二ヶ月前に胡麻豆腐ファックと書いてくれて私は非常に救われた気がしました。なぜなら私は胡麻豆腐という文字を目にするだけでジンマシンが出るくらい胡麻豆腐を憎んでいるからです。それなのに、2ヶ月前の発言を平気で翻すような今回の胡麻豆腐大好き発言。私、傷つきました。とても傷つきました。どうして自分の言ったことに責任がもてないんですか?もう27歳ですよね?どうして公の場で書いたことを平気で裏切る発言が出来るんですか?」とか掲示板に書かれたとして、そこで何を反論できるか。

ああやべえと二ヶ月前の日記を削除したところで、グーグルはキャッシュを拾ってしまうし、その前に誰かが保存して勝手にミラーサイトを立ち上げていたらどうなんだろう。「人の味の好みなんて変わるんですよ」と書いたところで「それが解っているなら、最初から胡麻豆腐ファックとかそういうことなんて書かなければいい」「言論には責任を持て」「かねてからしろくま君の言動は矛盾が多すぎる。例えば・・・・・・・云々」とかいくらでも反論されるだろうしなあ。

どこまでバランスを取って文章を書いたらいいのか、そういえばそもそもこの日記の存在意義って何だ?とか。いろいろ考え始めたらわけわからなくなったので、ちょうどサイト引越しのタイミングだし、もう、日記も何もかもやめて短歌だけ書いてようかなとかいろいろ考えてしまった。 そんでわけのわからない恐怖心にかられて、私の自我はワインに飲み込まれていったのだ。激しく混乱した。

今回その、追いかけていた「たろたま騒動」というのは、結構当事者達は主婦だったり、子供がいたり、30歳超えてたり、いろんな方々だが「子供がいるくせにこんなことを」とか「30にもなってこんなことを」といった意見が出て、なるほどと思った。やっぱ皆、年齢ってかなりのモノサシなのね。私あんまりこう、年齢細かく考えないらしい。昔から。いや、礼儀とか敬語とか、そういう点に関してはちゃんとするけど、あまり「子供のくせに偉そうに」とか「いい大人がもう、云々」とか、本気で思ったことはない。他人に対しても、自分に対しても。まあギャグとして「27にもなって、道で転んで骨が折れたんですよ」とか言ったりはするけど。

で、こういう騒動があるたびに「やっぱ女性は云々」と言い出す男がいるのが少々恐い。「男の理屈を女性に押し付けないほうが」とか「男と女とでは考え方が違う」とかね。こういう奴らって、「しろくまさんの文章って理屈っぽくて女らしくない」とか言っちゃうんだろうな。とか。どうも「女は理屈こねちゃいけない」ということになるそうなのだが、そこが、うーん。そういう人って、多分私と向き合って論争しても「だいたい女ならそんな理屈こねないで」とか言って逃げ出したりしないかね。っていうか、そもそも考え方とか理屈とかって、男と女じゃなくて人間ひとりひとり皆違うんだよ。それを男は女はと言い出すときりがない。嗚呼、ま、この件について書くと延々と書き続けそうなので、ま、いいや、マジで。

1998年の7月、しろくまファミリーランドはスタートしました。日記を最初に書いたのは、今は亡き祖母のお見舞いにいった日のやつだったってのはよく覚えている。

おばあちゃん、予想してたより悪い状態で、体中機械につながっていて、そんでも元気だった頃と同じペースで話をしてて、でも、その状態を目の前にして、ばあちゃんとうまく話ができなくて、激しく後悔して、帰りの電車でひとりで泣いちゃったとか、そういう一日で、とりあえず日記にしたんだった。と。バアちゃんがそのとき「運転免許取ったほうがいい」と言ってたのも、その時期からさんざん「卒業式は、袴姿で」と言っていたのも、遵守した。っていうか、卒業できるかどうかわからなかったのでハラハラしてたのだが、ちゃんと次の春に卒業したし、袴姿で卒業式に行った。

うまくいえないけど、あの「日記を書き始めた瞬間の22歳の自分」を裏切ってはいけないんだなと。で、あの瞬間の自分を思い出せるなら、しろくま日記は、ちゃんと、続いていけるかなと、今、ちょっと、思った。いずれにしろ、飲みすぎた言い訳にしてはショボいかもしれないけど、私は、こういう騒動が「ネット上だから起こった」「ネット社会ってむずかしいな」と「ネット」を言い訳にして論じるのを避けたいと思った。もうネット社会は存在するんだから、それから逃げちゃいけないんだな、とか。

で、引越し、すこしずつしてるので、皆さんも新しいほうのしろくまファミリーランドを、少しは見てください。動画あるし。

あなたの海はどんな色

2003年2月24日(月)

昨日ネット三昧だった私は とあるサイトに釘付けになってました。

いわゆる『ネットバトル』って言うのかな?イトの管理人同士がネット上で喧嘩してて それを第三者の人が検証してるの。最初は アホくさぁ〜 なんて読んでたんだけど いつの間にかハマっておりました(^^;

数ヶ月前、私もそうなりうる事があったんだ・・・なんて思いながら。そのバトルの主人公は32歳と38歳のどちらも女性で同じような内容のHPでした。(歳も私と同じ30代だしぃ〜)

しかし、片方は大きなサイトで日のアクセス数も多く 自分でも『癒し系』だと戯言おっしゃってます。しかし、もう片方はコジンマリしたサイトでお客さんもまだ少ないようでした。("〜でした"と過去形を使ってるのは 今は閉鎖されたようなので)

・・・で、事の発端はどちらかがどちかのモノをパクッたかもとの日記からはじまります。それを聞きつけたパクリの因縁を付けられた方は『謝罪しなッ!』と仲間を引き連れ因縁をつけに行ったらしい。。。

ネットという所は恐い所です。どこからともなく話は流れとうとう2チャンネルの板にまで広がってしまったのです。喧嘩を煽る者 冷静に事の成り行きを見てる者 喧嘩の輪に入って行く者。ところが、事態は思わぬ展開に流れていくのです。

パクられたかも・・と言われた方が窮地に追い込まれていくのです。それまでにかなりの暴言を吐いてらっしゃいました。。『癒し系』なハズなのに。その暴言の内容を読みながら、ふと思い出した。この人も『・・・つうか』『なんちて』を連呼しちゃってるよ・・(^^;

人は周りからチヤホヤされると初心を忘れて天狗になってしまうのだな。ん〜、ちょっと複雑 (v_v)

所詮、ネットの世界じゃないか って思うのはヘン?

幸か不幸か私は天狗になりうる要素がないので安心しておま♪(天狗になる程文才ないし)それに、ココのサイトってそんなにお客さんも来なければハデなサイトでもないからねぇ(笑 お陰で平穏な日々を過ごさせてもらってます(*^-^*)

ん〜〜、まったり♪

あ、興味がある方は下記から飛んでみてくだされ。

日刊 肉球パンチ

久々に 2003/02/28 (金)

人間嫌いモゥドです。ダメです。私の場合、「かつて自分を傷つけた」人が主に許せなくなるのね。「私にも悪いところはあるかもしれないけど…そこまで私に辛く当たるか?」みたいな人。=^-_-^=は「違う」って言うけど、私から見ると、他人を必要以上に貶めて不快な気分にさせるのが楽しくてしょうがない、てゆう風にしか見えない。「趣味=嫌がらせ」みたいな。そんな人に対する苛立ちが煮詰まってくると、「他人に平気で意地悪するような人なんだから、きっと有害だから氏んだ方が世の中の為ね!」とまで思ってしまいます(逝)物忌みが近いからかなぁ…。

ところで。最近、某WEBで起こった事件の検証サイトとかを見て、色々考えてます。半分は野次馬根性かも(爆)

事件のあらすじは、「あるテキストサイトで、作者が『自分の小説と似た設定の文章を偶然見つけた。こんなこともあるのか。私が真似したと思われたら嫌だな』とサイト内でひとりごちたら、『似てると言われた小説』の作者の知り合いがそれを偶然見てしまい、『濡れ衣を着せられた』とそのサイトに怒鳴り込んで大騒ぎになった」って感じです…2chでも結構有名な事件だったみたい。勿論ヲチしてた人達が非難したのは大騒ぎした方の人。「そんな事をサイトで呟く方も悪いが、名指しされたわけでもないのに大騒ぎした上、相手の小説をWEBでこき下ろすなんて!」って。その人が相手(「似てる」と言った人)を吊し上げ小馬鹿にした文章もその検証サイトにはうpされてて、読んでるうちに、何かブルーな気分になりました。

でも、「自分は悪くない側の人間だから」って一点を錦の御旗にして、「自分に非がない事を表明し、心証を害した事を訴える」つもりが、いつのまにか「相手を叩きのめす」ことに目的がすり替わってる事って結構あるよね…。私もキレるとそうなってしまいがちです(反省)私が「かつて自分を傷つけた」と思ってる人もそうです。結局、人間て、「自分が傷つけられる事が怖いから、やられる前にやっちまえ」って考えの人が多いのでしょうか?私の場合は、「自分を傷つけた人が少なくとも同じくらい嫌な目に遭えばいいのに」って思ってるだけですが(死)勿論自分から攻撃をする事はなく、ただ「あの人に不幸が起こりますように」ってたまに祈ってるだけです(オイ)

でもって、その検証サイト。(直リンです。ごめんなさい。)結構ブルーになります;

痴的好奇心

2003/03/01 (土) ネットバトル

..なんか最近あちこちで目にする騒動ですねー。

華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノなんですけど。もうなんかごちゃごちゃ私の単純な頭ではどう語っていいのかわからないので読んでばかりなのですが。

もし非がその人にあったとしても、あそこまで責めたてる(しかも集団で)こたないだろ、とか、あんなようある内容の文をどっちがどうだとか言えないだろ、とか。集団でいてると特にだけど、自分が正しい!!!な考えで暴走したりするもんなぁ。

なんつうか、やはりネットは恐ろしいなあと。

しかしなあ、私は「常識」「正しい」などの言葉を振りかざすタイプの人苦手だわ。↑の騒動にしたってそうゆうお偉い常識的な(あーけっこうなこった)方々が一人の人を責めたてたわけだし。

苦手。やっぱ。だって常識って曖昧で人によってけっこう違うよ。それやのに非常識だ常識だふりかざしてあからさまに人を罵れるかね。偉そうなこと言ってるけどじゃああんたはそこまで正しい常識的な社会人かね?立派な人間かね?とか言いたくなるよ。押し付けがましい。

そういう人に限ってまた、じゃああんたのその行動は世間的に正しいと思ってもらえると思うの?と思うようなとんでもない事をしたり言ったりするもんです。

常識ってじつは物凄く主観的なものなんじゃないのかな?と、なんとなく思います。

あー、こういいつつ私もたまーにそんな嫌な考えになってたりするんだよねえ。やだやだ。やっぱ私も自分勝手な「常識」人なのかなあ。やだーー。

EYES☆ALTVENRY2

2003/3/2 いまさらですが

ちょっと前に、某テキストサイトがらみでかなりの盛り上がりをみせていた【ネットバトル騒動】がありました。

実際はバトルにもなっていない、第三者まで加わった(っていうか発端が第三者)ただのいじめみたいなモンだったようですけど。

検証サイト、考察サイトがたくさんあって、ちょっと興味が湧いて読んでいるウチにあれあれ、これってちょっぴりミニオボエなんですけど、って思って。

以前、あるプロジェクトに参加していました。複数の管理人で、テキストや日記を書いていたのね。

そこの掲示板に良く書き込みをしてくれてた男性が「掲示板を作ったので見に来て。」と言うのでサイトに遊びに行ったところ、自作の掲示板があって感心したんです。

あたしにはそんなこと絶対できないもん。

で、壁紙が豹柄の色違いで選べるようになっていたの。

たまたま、その時ウチのあるコンテンツが豹柄でページごとに色が違う壁紙だったので、掲示板に、

「自分で作っちゃうなんて凄いねー! 壁紙さア、ちょっとウチのに似てないかい?」

…って書いたのよ。

今見ると、確かにちょっとイヤミっぽい書き方にも見えるんだけどもともとそっちのプロジェクトの方でもそういうキャラだったしいつもこんな風に言い合いしてたんですよ。

それに、はっきりいって、同じ柄で色違いでまとめるなんて良くある方法だし、あたしが豹柄を開発したわけでもないし(もちろんヤツが開発したわけでもないヨな!)ウチの素材は素材屋さんからの借り物だし書いた時は単純に、おそろい〜〜!嬉しい〜〜!ってつもりだったんだけど

「私は素材から作っています。パクリではありません!」

なんて内容のレスが返ってきちゃって。

それまではけっこう、くだけた口調でお互いにふざけあうようなやりとりをしていたものだからいきなりの他人行儀なレスに心底驚いてしまったわけ。

「真似したんじゃないぞ!ヴァカ!!」とか、粗暴な口調のレスだったらこんなにショックじゃなかったような気がするのね。ヤだけど。一見冷静な言い方に、なにか怖いものを感じたんだな。

しかも、パクった、と他人を攻めるような人間だと誤解された!っていうのがかなりショックだったのね。こっちは友達だと思ってたのに勘違いだったのか!が〜〜ん!って。

うぶかったなあ。

今だったら、えー、全然パクリとか言って無いジャン、アフォか、この被害妄想ヤロー!!…とか思いつつ

「言い方が悪かったね、ごめんね。」

なーんちゃって、大人の対応ができると思うのですがまだネット初心者だったあたしは

「そんな風に言われて心外です。もう来ません。」

なんて青いコトを脊髄反射で書いてしまったのよ。(最悪)

んで、電源切ってわんわん泣いてた。師匠にヨシヨシしてもらったけどかなりへこんでました。

その後、しばらく開店休業状態で更新もしていなかったのですが同一人物から嫌がらせのメールとか来るようになったりウチのサイトとそっくりの構成で(サイトネームは全く同じ。)Hな内容のホームページを作られちゃったりまあ、誰がやったかは知りませんがそうとう陰険なことをされたのよ。

その人がやったとは思いたくないけどね。

もうずいぶん経つので別にいいんですが当時は本当にダメージっていうかすごく悲しくてその人が顔を出すからそのプロジェクトもやめちゃったし関係してる人のサイトにも行かなくなったしやめたことを心配して掲示板に来てくれた人にも「迷惑かけるといけないからこない方がいい」ってメールして。

大事にはいたらなかったから良かったけどさ。

必要以上に「似ている」を「パクった」と咎められていると脳内変換してしまう人がいるもんだな、と今回のてん末を見ながら思い返してしまったのでした。

そういう人って、パクリ、と言われないかいつもヒヤヒヤしてるんでしょうか。特別に斬新なことでもないのにねー。

『ゆいちゃんのリボン』

襲の色目

H15/2/9(日):言質の拘束と言葉の逆凪

皮肉にもここ数日ほどサイトをはしごして追っていた、件のテキストサイトの揉め事に関する諸々を消化している内に、スランプがだいぶ抜けてきました。(きっぱり言っちゃえば「たろたま」関連。こことかここに詳しい)

私はリアルタイムで掲示板を、後に記録などを読んでいる間に腹立たしくなって途中で放り投げかけた耐性のない人間なのですが(後ろ暗さを中傷に変えるなど、あれが仮にも文字書きのする事か?)、やっとこさ全部読み切れそうです。

言及というか考えというか、それに類する事はテキストサイトではないので色目では何とも難しい所ですが、もし読める文章に形作れたらどこかにひっそり置こうかなとも。

悪意と毒舌と優位の認識が揃った時、人は人を言葉で燃やせる。

それが如実に現れた件の事は、サイト持ちとして決して安全な所で観賞できる派手な花火などではないと思いますから。

日記の文章へと毒の針が刺された事、それが端緒であった事からも。