言及サイト転載集

目次

旦那観察日記

02月05日

今日の日記はネタ風味じゃなくて、すいません。

ここ最近、某ネットバトルの見物で、ものを書く時間がものすごく減っています。

おおまかな経緯は、華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノも見ると、よくわかると思います。もめ事を見たくない人とか、人が争う様を嫌う人は見ない方がよろしいです。あと、2ちゃんねるが嫌いな人とか。

サイト持ちとしては、いきなり盛り上がっていきなりごうごうに燃える(しかも双方)ネットトラブルというのは、他人事とは思えません。事の起こりは、日記にちょろっとパクラレ不安をこぼした事によるトラブルの襲来。もう、他人事とは思えませんよ。日記に迂闊なことを書くと、もめ事を呼んでしまいそうです。───ましてや、こんなテキストを書いている女ですからね。どんなトラブルになるやら。

というわけで、件のトラブルなのですが、関わったサイトが全壊という、エライ事態になっています。これが、たった五日間で起きたことなのです。2/1に2ちゃんねるで晒されるまでは、責め側は勝利を確信していて、サイト閉鎖など考えてもいなかったはずなのです。

さて、その責め側なのですが、どう見ても、わたくしには、相手が喧嘩したくてたまらなくてふっかけたようにしか見えません。

似てないんなら、それでいいだろう?とはいかないのだろうか。一度疑うと何もかも憎くなるのだろうか。喧嘩をふっかけた様に見えるプリシラさんが「そんな意図はなかった」と言っても、心の奥で自分の勝利を確信して踏み込むことに喜びは覚えなかったのか?非常に疑問だ。どうして勝てると思ったのかは不明だが、同意する人間がいることで、これなら勝てると踏んだのではないのか。間違った行為ではないと、信じていたのではないのか。

ああやだなあ。

だからって、日記で不満を書いてもいいってワケでもなくて。

ここから先は想像なんだが、たとえネットでおおっぴらにつるし上げをしなくても、それと判りそうなヒントを混ぜて周囲に不満を吹聴したら、それだけでも充分にダメージになるんじゃなかろうか。

日記を読んだ人は問題とされるサイトを勘違いして、その悪口を信用するかもしれない。人の口には戸を立てられないから、噂は広がる。誰もおおっぴらではなく、影で非難する。問題とされたサイトの管理人は、自分の知らないところで立てられた噂で周囲に見放されて、反論する場もなくて、ただ寂れていくのだ。しかも原因も判らないのに。

無用な喧嘩はふっかけるべきではないし、陰口もいかんというわけだなあ、と。(喧嘩したい方については止めませんが、チキンハートなわたくしには向いてないと言うことです)

このトラブルが、何処まで広がるのか、今も静観しています。何か自分を見つめ直す物がありそうな気がするのです。

03.02.12追記

時系列に並べられた経緯を見ながらの謎であるが、プリシラさんがyukiさんにyukiさんBBSでカマをかけたのが1月27日の「22:31」 海 凍音さんが自サイトの日記で触れたのも1月27日。海 凍音さんは、やっぱり事前に聞いていたんではないのか? と思ったりする。

まみやさんに連絡が行くのは判る。だって問題とされている作品の作者なのだから。でも、海 凍音さんって、プリシラさんの友人ではあれど、今回の問題の発端では関係者ではあるまい。

1月25日にプリシラさんが自サイトの日記で触れた内容では、yukiさんとは判るまい。プリシラさん本人も、日記でyukiさんのことが判ることは書いていないと、プリシラさんの自サイトの経緯説明に書いているのだから。

で、海 凍音さんの書き込みを確認したのは、プリシラさんの自サイトの経緯説明によれば1月29日 16:15。海 凍音さんは、何で1月27日に日記が書けるのだよ? それが判らないのだ。

……やっぱり、初めから連係プレイが決まっていたんではなかろうか。だとしたら、やっぱり怖いな。

雑感030209

私は、「たろたまにあーヽ(´ー`)ノ騒動」と言われるネットトラブルを見続けることに疲れてしまった。

世の中にはトラブルと聞くとみるみる元気になる人もいるわけだが、この件に関して言えば、私は、すっかり疲弊してしまったのだ。

人が揉める様を見ることは、それだけでエネルギーを消費する。それでも、このネットトラブルを見続けてきたのは、いつ自分が同じような目にあうか判らぬ、という恐怖からだ。

今では、その恐怖は、かなり現実味のあるものになりそうである。「華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノ」からリンクされたことにより、間違いなく当事者達は、私がこの件に関して言及している事を知ってしまった。多くの耳目を集めたトラブルとは言え、いつかは周囲の興味が薄れる日がくるだろう。そのころに、私のサイトの掲示板に、いつ彼女らが突撃してくるか判らぬからだ。

「あなたの非常識な振る舞いを、アタクシ、認められません」とかなんとか言及しながら。

正直に言って、文章読解力が足りぬわたくしには、彼女らの高尚な書き込みは難しすぎる。意図が読みとれない。持って回った言い方やイヤミは、できればやめて欲しい。───いや、それ以前に突撃はやめて欲しいな、と思うわけだが。

そう思うと、トラブルを見続けないと不安なのだ。何処で彼女らが何をしているのか。実は背後にいるのではないかと恐怖するのだ。(もちろん、報復するとは向こうは一言も言っていない。これは私の一方的な想像であり、不安感だ)

恐怖というのは、大概は実体のないものだ。たとえ事実と違うと抗議されても、私が「怖い」と思っていることは事実なのだ。間宮さんの説明文に沿って書くならば、他の閲覧者に対して、脅しているように"見受けられた"のだから、事実と違うと言われても撤回は出来ない。

実際に怖くて、仕方がなかったのだ。

本人の意図と同じでなくともそのように見受けられて、「誠意のないもの」であると受け取られたら、晒した挙句に本気で追い込むぞコラと書かれた挙げ句にネットバトルを仕掛けられないという保証は何処にもないのだから、恐怖するな、というのが無理な話だろう。

何度、ログを見ても、掲示板の書き込みを見ても、謝罪文を見ても経緯の説明を見ても、自分には、彼女らの「常識」が判らないのだ。どんなことをしたら、相手の沸点に触れるのか、理解できないのだ。

だから、恐ろしい。

日記やら資料やらを見たところ、責めどころは「常識ではない」という点においての追求が多い。追求すると決めたら、容赦しないだろうと言うことも容易に見て取れて、こちらの恐怖を倍増する。

プリシラさんのyukiさんへのBBS書き込みは、相手を動揺させようという意図に満ちていて好戦的でおっとろしい。「夏の日に」検証、検証BBS、「ハジメテのオフィシャルネットバトル」どれを見ても、プリシラさんの狙っていたのは「挑発」なのだ。幼児語での語りかけも、相手の創作物を貶す論戦も、BBSの書き込みも、キレた相手管理人の言質が欲しかっただけではないのか、と。

喧嘩というのは、キレた方が負け、と言うこともあり、相手が冷静さを欠いてくれたら勝負は有利に運ぶ。相手がビビるor激高することを期待しての所行にしか見えない。勿論、相手に失言してもらい、論戦を有利にすすめるための。おまけに、やたらと皆さんのチームワークが良くて、プリシラさんがキスを下さいBBSで発言してから、毎日何処かで誰かが言及しているという、いやあな状態。

こんなチームワークで責められたら、自分なら30分で陥落するだろう。サイトも閉じて、メールアドレスも全部変更して逃げ出す。間違いなく。

しかも、それを突き動かしてきたエネルギーが、「誠意のないもの」であると受け取ったという主観的な判断。

勘弁して下さい。

常識とか礼儀とかマナーとかでもめ事になると、解決するわけがないんである。常識やマナーには、これという定説がないからだ。

───その常識は、どうやって得たものなのですか。

常識というものは、今までの生活、親兄弟、友人からの忠告、本やメディアから仕入れた知識や経験で出来上がっているものだと信じている。そして、経験が個々人で違うように、まったく同じ常識を持っている人はいないと思っている。世代が違えば異なるし、時代が違えば別のモノになるような不安定な代物だと。

それは、人によって、びみょーに違うものではないのですか?

だから、不一致を理由に攻撃をする人を見ると、将来やってくるであろうトラブル(只の不安感だが)からどうやって身を守って良いのか判らないのだ。殆どの人々が、個性や差違として認めあう部分ですら、ごりごりと摺り合わせようとする論戦が恐ろしく、そのエネルギーの源が判らないから不安で不安で仕方がないのだ。

私は相手の心が読めない。相手の常識は、はっきり言って判らない。想像することは出来るが、間違えていないという自信はない。

「誠意のないもの」であると受け取った

受け取られたら、晒した挙句に本気で追い込ま れるのだ。

おかげで、すっかり安心できぬようになった。毎日のカウンターが回ることが不安なのだ。彼女らが、言及しているサイトを逐一チェックしていないという保証が無いのだ。彼女らが「殺すリスト」でも作っているのではないか。五番目ぐらいに自分の名前がのっているのではないかと想像するだけで不安なのだ。まったく関係ない他のサイトに晒されるのが怖くてサイト畳んでトンヅラらしいですよと乗り込んでこないかと。

同じ人間が運営しているとは言っても、URLかHNが違えば別に扱うのがマナーだと思っていた自分にとって、この乗り込みは衝撃だった。メールアドレスだってあるだろうに、あくまで公開で乗り込む姿に、どうして恐怖を覚えずにいられようか。

しかも、主観的な判断のみで。

受け取った

他者の判断基準を想像することでしか補完できない私にとって、想像できない「判断基準」は、それだけで恐怖なのだ。毎日、ネットで自サイトの掲示板を覗くことが恐ろしい。メールボックスのチェックをすることが怖くて仕方がない。なぜなら、言及している私が、エネミーロックオンされていないという保証がどこにもないから。

「パクられたっ」と私が思われたらやだな。と書いただけで乗り込むのだから、「たろたまにあーヽ(´ー`)ノ騒動」について言及したら、すぐさまエネミーロックオンされる。しかも、話し合いをしても主観的な判断では落としどころも見つかりにくいときているし。

これは、わたくし流の「命乞い」です。乗り込むだろうと恐怖しているわたくしの、精一杯の主張です。そして、乗り込まれたときに「やっぱり!」と言いつつ逃げ出すための言い訳です。

もちろん、そこまで怖いなら書いてしまった日記を削除してしまえばいいのですが、たぶん私は、自分が納得できないかぎり消さないと思うのです。2月5日に不安を感じたことは、事実だから、この文章を書いている現在は、消す気にはなれないのです。

というわけです、関係者の皆様。お願いですから、わたくしの心安らかな日々を返して下さい。主観的な判断のみでエネミーロックオンしないという安心感を、わたくしに見せて下さい。正義とは言いません。「たろたまにあーヽ(´ー`)ノ騒動」に残された記録にあるように、全世界に発信された不安感を取り除いてほしいのです。

せめて突撃するならば、低脳であるわたくしにも、判るような文章にしていただきたいのです。

「あなたは非常識です」ではなく「あなたのAという箇所とBという箇所は、A”とB”という理由によって問題があります。C”という具体的な処置をとって下さい」という、主観的な判断ではなく、低脳にも理解ができる要求にして欲しいのです。そこまで噛み砕いて貰えないと、相手先の要求がわからないのです。

なにせ、低脳なものですから。

02月11日

王様が腰痛にて療養中。これで数ネタあるのだが、ちょっとネタに触れている場合でも無さそうなので、他の話を。

普段から、此処のサイトに来ている人はご存じの通り、普段は10/1Dayぐらいしかカウンタが回りません。というのに、今はめちゃめちゃカウンタが回ってます。MAXは2/7で、前日比4200%とかいう、馬鹿みたいな回り方をしてくれました。中堅どころは普通なんだろうが、まあここ、ロボ除けもしているようなサイトだから。

カウンタの回りが早くなった原因は、「華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノ」からの逆貼りでした。

ネットで書いている以上は、別にいいやと思っているし、切り張り自由と言ってるし、他の方が見る分には別に何の問題もないわけです。

間宮さま一派が、わたくしが理解できぬ理由で突撃してこなけりゃいいわけで。

ところがまあ、「華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノ」に行ってみるとリンクを外してほしいという要望がいくつかあることと、と「最近の更新」(2003.2.11 2:15)に追記があり、吃驚しました。

……もしや、雑感030209を書いた所為で、徳保氏にいらぬ気遣いをさせたのなら、いやだなあと思った次第。どちらかというと、検証サイトからリンクを貼られた方が、突撃があった場合の論拠にもなるかなと考えているのです。雑感030209だって保険のようなものなのだしねえ。

02月15日

さんざん日記で書きました、某ネットトラブルですが、ようやく収束の方向に向かいつつあります。

あまり嬉しいオチではありませんでした。何と言われようと自分の信念は曲げないとおっしゃったので、これからもパーティアタックをする方針のようです。そこまで意志が固いと、そうですかとでもいうか、とりあえず関わらないようにするのが一番のようです。(本人にその意志が無くても、結果的に集団で責めればパーティアタックなわけで、本人の意思がどうあれ、受け取り側の自分はそうとしか見えぬのですが)

それなら、初めからネタにしなきゃいいじゃないかと言われそうなのですが、拙文書きとしては、あの言いがかりの付け方+相手への恫喝がどうしても納得できず、スルーし難かったのです。それでも自分の中では、不完全燃焼ながらもトラブルは過去のものになりつつあります。関係者の方々の今後の身の振り方は様々でしょうが、心底思ったのは、テキストサイト界ってェのは、恐ろしいところだ、という印象。へたれ日記書きとしては、逃げます逃げます。

02月16日

徳保氏とまみや嬢とのメールやりとりで、雑感が貼られていたことを知って悶絶していたり。

……うう。でも戦闘力が低い(というか防御力が低い)のは事実だから仕方がないな。パーティアタックをしていないと言う事実は理解できたし、それぞれの言い分もそれなりに理解できた。でもやっぱり、集団の中で考えが一色に染まるのは怖いことだ。自分も含めて、それは自戒すべきポイントなのかもしれない。周囲の考えに同調して「そうよねそうよね!」と言っているときの頭のしびれは、どっからきてるんでしょうか。脳内麻薬でも出ているんでしょうか。走ったら神でも見えるかもしれません。おお、神よ!

戦闘力という話になるのだが、旦那は、攻撃力と防御力に分けて解説されております。曰く、他者を殴るのは出来るけど(攻撃力有り)自分が殴られたときに弱い(防御力無し)という人なのだそうですよ、自分は。だからこそ、喧嘩はしたくないと思ったりしているんですが。(戦闘力じゃなくて攻撃力ですよ、とAMI氏に指摘されたので修正しました)

後略

OZONE

2/14

忙しい、忙しいと喚き続けてますが、どれ位忙しいかというと1週間風呂に入らず、同じ靴下を3日連続で履き続けてたら足がめちゃめちゃ臭くなるくらい忙しかったのです。嘘です、足が臭くなったのは自分の怠慢です。忙しくても風呂に入る暇くらいはあったはず、ネットに釘付けになってさえいなければ。

説明が面倒なので以下参照。

しかし、この騒動の当事者達の後ろに30代女性の鬱屈した感情を垣間見てしまうのは自分だけでしょうか。30代始め、もしくは一歩手前の年齢ってかなりビミョーなお年頃で世間的には「そろそろ落ち着いて」ってな目で見られがちだけど自分の中では「まだまだ!このままで終わるつもりは無い、いや!終わらないはず!!」……と思っている人が多いんじゃないだろうか、そんな年頃だと思う。そしてこの当事者の人は自己実現の方法として(だかどうだか知らんが)WEB上でサイトを立ち上げて、大手サイトさんとも仲良しになって、自分で立ち上げた企画もそこそこ好評で、そんな風に自分の自尊心を満足させ、「私もまだまだよね」って、とても良い気分でいたところをふと耳に入った「パクリ……?」(本当はそうは言ってないんですが)の一言(しかも自分が関わって大手サイトさんに書いてもらった作品)で思いっきりプライドを傷つけられて、ここまで過激な行動に出ちゃったんだろうな……。って全部憶測!勝手な妄想なんですけどね。

なんでこんな事を考え出したかというと、私の母親がまだ私が幼稚園生の頃、ミニコミだかなんだか、地域発行の機関紙みたいなのにちょっとしたエッセイやショートショートとかをよく投稿しており、いくつか採用されて母もとても喜んでいたのですが、最終的に投稿の内容が、この前やった夫婦喧嘩の内容のグチやらなんやらをグダグダ書き連ねてるようなモノになっていて、子供心に「これ他の人が読んでも面白くないよなー。」って母親の原稿を覗き込みながら考えていた事を思い出したからなのです。

書くことの楽しみ、自己実現の楽しみ、それ自体は良いのでしょうが自分の楽しさを追い求めるあまり、周りが見えなくなり結果的に見苦しい姿を晒してしまうってのはあまりにも悲しく、そして滑稽ではありませんか。そしてそういった過ちは誰もが起こす可能性を持っているのではないでしょうか。私もあの頃の母親の年齢に、今回の事件の当事者達の年齢にかなり近づきつつあり、自分の人生や将来をしんみり考えるようになってしまいました。

しかしオタクで学ラン好きな女の将来って……うぁー……。もうダメだー(ぼのぼの風に)

後略

2/20

前略

華麗にたろたまにあーヽ(´ー`)ノにリンクされて(このサイトにしては)たくさんの方がいらっしゃったようです。いきなり「一週間風呂に入ってない」だの「足が臭い」だの書き散らしててゴメンなさい。2/14のログはコチラ(*)に移しました。

さて、自分は今回、当事者たちとはネットでもリアルでも全く関係は無く、無責任な観客の一人に過ぎなかった訳ですが、そんな自分からみた今回の騒動の感想は以下の通り。

「この人達ってまた同じ事を別の場所、別の方法で繰り返すんだろうな〜。コワコワ。」

特に真新しくも何とも無い意見です。多少の違いは有るでしょうが大多数の方の意見もこんな感じだと思います。

明日は休日出勤なのでもう寝ます。つまんない更新でごめんなさい、限界だ〜。

後略

うたたねチャーリー

20030218

終息してきた感があるので、ちょろっとつぶやきます。

わたしはここ一週間ほど、とあるネットバトルを興味深く観戦していました。有り体にいうとヲチしてました。

それがどの様な内容のものなのか、については、「記録」「考察」「華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノ」を見ていただくのが手っ取り早いと思います。けっこう膨大ですが。

誤解を恐れず簡単にまとめると、

自分が書いた小説と似ている小説を見つけてしまったAさんは、「自分がパクったと思われたらいやだな」と呟きました。

それを聞きとがめたBさんは、「いい掛かりつけてんじゃないわよ」と怒りました。

ところがその怒りぶりがちょっとあんまりだったので、ギャラリーが出来てBさんを責め始めました。

おわり。

わたしはこう把握している、ということですが。実際はもっとややこしいのですが、それは上記サイトを足掛かりに各々把握して下さい。わたしの主観入りまくったスットコな要約を鵜呑みにしてはいけません。

どっちが悪いとかなにが悪いとか、わたしなりに思うところありますが、それを述べることはここではしません。

ただ、ひとつだけ。はしゃいだ文章というのは痛々しい、と痛感しました。「きゃほーーい!」て。とほほ。思い当たるふしがなきにしもあらずなので、尚更、自戒を込めて。「ラブレターは一晩置いて読み直せの法則」は世界の真理だ。

(つまり、昔の日記とか正直読み返すと恥ずかしい。恥ずかしいったら恥ずかしい。ううう消してぇ。でも消さない。なんとなく)

わたしがなんでこの騒動を「興味深く」観戦していたのかといいますと、野次馬根性であることは否定しませんが、発端が(根元ではない)小説のパクリ疑惑? であったからです。ラストに「?」が付くのがキモ。「パクリ疑惑」ではありません、「パクリ疑惑?」です。

他人事ではないのですよ。小説のようなものを書く人間には。

「似てるなあ、参ったなあ」なんてのは割とあることだし、その際、「お、あっちが後発だ。よかったー、こっちがパクったとは思われないな」なんてアリバイ証明する事も大いにあり得るんじゃないですか。ないですか。逆パターンもしかり。ねえ(強く同意を求める口調で)。

そんなことかすかにぼやいただけで、いちいち喧嘩売ったり売られたり騒動起こしたり起こされたりしてちゃたまんねぇよなあ。そんなわけで、上記騒動は興味深かったし結末も非常に気になります。問題の焦点はパクリ云々の是非ではありませんが。

さてパクリ。

実はなによりわたしが気になったのは、パクリの是非について、です。「パクリと思われたらどうしよう」と怯えなければならない、アリバイ証明をしたくなる、そんなふうに追い込まれてしまう心理と風潮について。

昨今、「なんとなく似ている」から「明らかに剽窃」あるいは「盗作」まで全てひっくるめてパクリと呼びますよね(少なくともわたしはそう認識しています)。けどそれって実のところどうなのよ。ついでにパクリは叩かれて然るべきであるという風潮ってなんなのよ。わたしはその辺りが、最近気になってしょうがない。

剽窃或いは盗作はクロだけれども、グレーである「ちょっと真似っこ」や、限りなくシロに近い「似てるだけ」はいちいち目くじら立てんでもいいんじゃないのと思うのですよ、わたしは。

剽窃や盗作は、「パクリ」ではなくちゃんと「剽窃」「盗作」という言葉で表現されなければならない。シャレではすまない、それ犯罪なんよと解らせなければダメでしょう。誰にっつうのは、主にギャラリーに? (なぜ疑問形) じゃないと、なにが悪いんか焦点が呆けてしまうよ。どっかで目にしたのだけど、盗作レベルのパクリ、とゆー不可思議な言葉が罷り通る今日この頃。皆さんお元気ですか。ヘンだろそれは。

そしてクロ以外のパクリについては。いいじゃん別に。それで終わっちゃうのがつまらないなら、パクったこと自体ではなくパクり方の上手い下手でも論じればいいんでないの。その方が建設的。あー、「お、アレに目を付けましたか。でもそのパクリ方は下手っぴ」とかいったりして。それくらいがいえなくなるのもそれはそれで問題だし、まして目を付けること自体が責められるのはそりゃ堅苦しくてたまんないです。わたしは嫌だ、そんな窮屈なん。

なんか文章が上手くまとまらんな。文章力のなさがもどかしい。

あーつまりですね、パクリが指す範囲はエラく広げなのに一緒くたに叩いてヨシな風潮がある(ように感じられる)のは、創作活動をする上で窮屈だからいやーん、ってことです。

なにか作ってもさ、一々既存との類似をチェックしてからじゃないと怖くて発表できないってのは辛いじゃない。大体なににも似ていない物語なんて無いから。全てのパターンは突き詰めれば古典で出尽くしているんだから。

似たって別にいいじゃん。こまいこと気に病むこたない。ほんで、こまいことでいちいち怒ることもないのだ。

以上、上記騒動をダシにしてパクリについての所感を述べてみました。無駄に長くてごめんなさい。

立ち位置を表明しとかないかんかな、となんとなく思っていたので。まあいい機会かな、と。要するに、わたしはパクリ容認派です(クロ以外の、といちいち附記せにゃならんのがうざったいけど。というか盗作剽窃をパクリいうのはやめて欲しいのう。或いは逆に、盗作剽窃のみをパクリと呼ぶか)。わたしが書いたものと似たものをどこかで見つけたとしても、「発想が同じ人間は居ても不思議はない」と思うだけだしなにもいいません。逆もまたしかり。

以下余談。

実際、自分が書いたものと似たところがあるもの、先発のものも後発のものも両方読んだことがあるのだけど、「発想が平凡ってことな。ちぇ」と思っただけでしたね。しかも片方はわたしのより面白くて、くそうこういう料理法もあったのか、とかなり歯噛みしましたことよ。あれはマジ悔しいね。余り悔しいから全作品DLして永久保存して読み倒していつか超えてやると勝手に誓いました。掠りもしないジャンルの方だから、向こうはこっちのことなんか知らんだろうけど。

確信犯的にパクったものは、大抵発表時にネタ晴らししてしまいますね。日記やら後書きやらで。黙ってられないのだな、なんとなく。それとも無意識的に予防線をはっているのだろうか。

20030220

前略

動機について。

おとついあげたネットバトルについての話なのだけど、喧嘩を売ったBさんがなぜあそこまで激昂したのかわからん、という意見を目にした。とか書いちゃうとどこ見てるかモロバレしそうだけどまあいいや。

あれ、ひょっとしてこうかな、想像付くところがあるんだけどさ。つまり、多分Bさんは、疑惑のかかっているものが自分の作品だったらああならんかったと思うんだな。他人の、しかも身内の預かりものだから怒ったんだな。

身内を侮辱されることは自分がそうされるより遙かに許せない。やりすぎたことは悪かったか知らんけど、やり始めたこと自体は悪くない。でなければ身内は永遠に侮辱されたままになってしまうのだ。それは我慢しがたく許し難い。

だから火達磨んなっちゃっても自分の非を最終的に認めないってのは当たり前のことだし、ついでにいわゆる自己犠牲精神発揮しちゃって自分てばアンチヒーロー。周囲の理解を得られなくても正義のために戦う俺ってばデビルマン? みたいな。

ヒロイズムに酔っちゃって、テンパりつつも充実してたんではないだろうか、彼女は。

なーんて勝手な憶測と邪推なんだけどさ。いや、わたし的には好意的解釈なんだけど。ああそうか、これは、こうだろうという推理じゃなくて、せめてこうだったらまだマシだよなという期待か。

まあ、上の想像は多分に自己投影した物で。

わたしは友人をしてシシリアンマフィアかお前はといわれる身内大事人間な上ものすご短気なので、身内が侮辱されたと感じたら後先考えず立ち上がっちゃいそうなのな。自分のことだったら「いってろバーカ」と余裕かましてらても。しかし論理的思考が出来ない感情的な人間はそんなことしちゃうと火に油注ぐ獅子身中の虫以下である。頭に血が上ってそんなことも気付かず卓袱台ひっくり返す可能性はないとはいえない。なんて怖ろしいことだろ。

あー、とりあえず深呼吸か。あと水垢離。乾布摩擦も健康によし。で、行動はそれからにしとこう。

20030226

前略

間違った言葉を正してみる。

先日の、まあネットバトル言及のなかでの話。やたら「アリバイ証明」いってたけど、アリバイ証明というのは不在証明と書きまして、つまり意味を厳密に取るならば「その場にわたしは居なかった」という証明をする場合のみに使われるべき言葉なのかもしらんとか思ったり思わなかったり。要するに「無実を証明する」という意味で使うのは割と大間違い。

他にぴったり来る言葉が思いつかなかったので安易に使用しましたよってことです。ニュアンスは伝わったと思うけど、間違って覚えてるぜヘイヘイとか思われるのも癪なので(誰に)、一応解説というかいい訳でした。

後略

E2 JUNKY

2月19日

たろたま騒動とは、1月下旬から2月の頭まで行われていた、大手テキストサイト周辺の、ひとつのサイトへネットバトル、というか一方的虐め(?)を言う。

正直、俺なんかがもはや沈静化したこの問題を取り上げること自体が間違っているのは明白だが、どうしてもこのことを取り上げたくてたまらなかった。内容はリンク先のサイトを読んでいただければ全てわかるだろうし、ネットをよく使う人々はもはや既知であろう話だ。

まぁ、簡単にまとめる。

あるテキストサイトを運営するYさんが、氏の日記の中に、自分の作品とプロットが似ている作品を見つけた、もし自分の作品がパクリだろうと思われたらいやだなぁ、と発言したことから始まった。彼女は、その似ている作品をこれ、と名指しせず、自分の中のつぶやきとしてその文章を書いたのであろうと思われる。

その文章が書かれた数日後、ある人がそのサイトを訪れ、その文章を発見する。その文章を発見し、読んだ,、Pさんはその文章に書かれた内容が一体誰の作品を示唆したものかをなんとなく感ずいた。なぜ感づいたのかというと、彼女の運営している文芸サイトで彼女の友人が寄稿してくれた作品がその内容に似ていたからだ。そのことを感づいたPさんは、まず自分のHPでこういうことを書いているものが居ると書いた後、YさんのサイトのBBSでYさんに、この作品であったのではないか?と問いかけた。Yさんはその問いかけに対し、一旦Pさんの問いかけた作品が「自分が似ていると思った作品である」と認めたが、その後、Pさんの問いかけた作品ではない、と最初の回答と反対の回答に修正した。その修正したところを目ざとく記録していたPさんが攻撃を開始、YさんのBBS上でYさんに詰めより、なおかつ自サイトでYさんを誹謗中傷する内容を名指しで堂々と公開、それ以降も謝罪などの対応に落ち度のあったYさんを何度も中傷しつつ、Pさんの友人の「たろたま」と呼ばれる大手サイトを運営し、該当の作品を文芸サイトに寄稿したMさんに逐一報告、また、その文芸サイトで、Yさんの作品を取り上げ、誹謗中傷を行うにいたった。その誹謗中傷は、大手サイトたろたまのMさんと仲の良い人々の間全体で行われ、集団でYさん一人を追い込むという状況にいたり、それを見ていた人々が、それはあまりにもやりすぎではないか、と誹謗中傷を繰り返したたろたま陣営のサイトたちに押しかけ、たろたま周辺の彼らはYさんに謝罪するにいたった。

これが、あまりにも簡単だが、今回の騒動の概要である。

以下、自分の思ったこと。

インターネットは人の抑制力、倫理観を薄れさせてしまうことが往々にあることを改めて感じさせてもらった。人は相手の顔が見えないというネットの特性によって凶暴化するのだ。

大手の庇護の下にあることを自分で理解し、それを利用して行ったのはPさんの日記を見る限り(リンク先に文献が存在します)わかるはずである。自分の後ろには沢山の仲間が付いている、Yさんはそんな友達もいないのか、かわいそうに、といったような貶めるような文章を書いていることからもわかるはずだと思う。

Yさんのあの日記に悪意があったとは到底思えない。それを「この作品である」ということを自白させた上で攻撃をしたPさんは、Yさんをハメた上で攻撃したとしか思えない。その後相手があたふたしている所ひとつひとつを攻撃し、謝罪しても「誠意」が感じられないとつっぱね、Yさんの退路を立った上で「たろたま」周辺の人々と共謀して集団リンチを行ったのだ。当のYさんが似ていると感じた作品を書いたMさんはそのたろたま周辺の人々の集団リンチを眺めながら止めようとはしなかった。

何より、自分の中で衝撃的だったのは、人間という生き物は集団になるとそれを自身の力であると勘違いし、いきすぎるということ。またその私刑の行い方のえげつなさ(自サイトで面白半分に相手を嘲り笑い自分は相手を中傷しておきながら相手には完璧な対応をもとめ、それが気に食わないと攻撃を加えるという行為)だった。

しかも、当初の要求は「YさんがMさんの作品を闇にでもパクリかもしれないと思った、ということ安易に日記に書くことは好ましくない」という前提の下で、それについて謝罪を求めたはずなのに、それについての謝罪は途中でどうでもよくなり、ただYさんのあら捜して、アラをみつけたらたたくだけたたくという行為を行った。

これは虐めではないか?恐ろしいことこの上ない。自分が謝ってもゆるしてもらえず、えんえんと攻撃されるのだ。その恐ろしさは沢山のネットの住民にも恐怖を植え付け、いつ何時自分のサイトにもこのようなことが起こるか解ったもんじゃない、と感じさせた。ネットはこんな危険をはらんでいるのだと。

自分も今回のことで驚いたことが沢山あるため恐ろしくてしかたない。いつ何時攻撃アクセスが大量にくるのかわかんないぞ…と。

まぁ、長々と書いたけど、今回のこの事件は、ネットコミュニティーのあり方、ネットを使う上での一人一人の心のあり方、を考えるための貴重な事例、また研究材料になりえるであろうことは確かであると思う。自分達はこれを教訓に自分のあり方を考え、これからこのような愚かな事件を繰り返さないようにつとめていかなければならないのではないかと思う。

***

追記、というかものすごく駄文(上の文章とかなり重複点あり)上の文章を読んだ後に読むとくりかえしウザーかも

今回の事件、インターネットを楽しむ一人の人間として、本当に恐怖を覚えた。

なんとなく自身の日記で独白した言葉をとがめられ、大手サイト連合にってたかって痛めつけられる。こんなことが普通に起こりえるのだ、と。

Yさんの原因になった文章は本当に些細なものであると俺は思う。名指しでもなく、自分が疑われるのではないか、と恐れたことをただ書いただけである。そんなことを、一体どの作品でそう思ったのか自白させ、なおかつ謝罪しても誠意がたりないとさらに追撃し、自分達の仲間を寄せ集め、一方的にYさんをボコボコに、まさにたこ殴り状態にするのだ。

これを恐怖しないサイトの管理者は居ないであろう。こんなすごい因縁をつけられてボロボロにされるのはかなわん、と。

しかも、Pさんには悪意があったのが完全に見て取れた。自サイトで、当初はYさんの名前は匿名であったが遊び半分に馬鹿にし、こきおろし、Yさんに対して、メールで「似ていると思った作品はこれか?」と問えばいいものを、BBSという公開の場でその質問を行い、Yさんの対応のまずさをその場で暴露していった。

当事者どうしでやりあえばいいものを、あえて公開で、皆の見ている前で(←観覧者の前ということ)追求し、自分の友達であるMさん以下「たろたまー」(たろたまを好きな人たちをいう)を引き連れてどんどんYさん批判の輪を大きくしていったのだ。面白半分でやったことは明らかではないだろうか。Pさんは騒動後、確かに批判の仕方はひどく、謝罪に値するがあくまで正義感でYさんの行動を批判したと述べているが、ネタを見つけたから晒してやろうという打算的な考えが公開で行うという手法をみれば全く無かったとは言いきれないと思われる。

あと、今回の騒動の根本には、Pさんの大手サイトMさんに対する憧れなどが読み取れてならないような気がしてならなかった。この方法で自分もMさんのような大手サイトになってやろうと…。また、その一方で自分の憧れの対象であるMさんが書いた文章をパクリではないかと闇にでも疑われたことに対する怒りで今回の行動に移したのではないかと思われる。

今回のこの行動は、このことから、Pさんの、自分はたろたまのMさんという大手サイトの友人に守られているという安心感というか、自分のバックにはこんなに凄い存在がいるんだ、という勘違いした自信が存在したためここまで大きな誹謗中傷を行うことになってしまったのだろうと思われる。

人間、自身の力ではないのに、自身の友人が強いだけで自身が強いと錯覚してしまう部分があるのは否めない。

まぁ、だらだらと他のサイトでも考察されていることを書いても仕方ない、とりあえず今回の事件で感じたことは

などなど…

まぁ、、なんで自分がこれをこんなに取り上げたかっていうと、たろたまっていうサイト、以前ここにも紹介するくらいに好きで良く見に行っているサイトで、前は良くこのサイトのBBSにも書き込みして、PさんのこともBBS上では知っていたので、そんな人たちの周りでこんな事件が起きていたのか、、、とすごいショックを受けたから。

最近、たろたまを見にいくたびに何かもめてるなぁという風に思っていたけどこの事件を知って裏側でこんなことが起きていたんだ!という驚きと、ものすごく今回の事件が常軌を逸している事件だったので取り上げた。

はっきり言って知らない人がこれを見てもさっぱり解らないだろうし、知っている人が読んだら何を今更、、。といったところであることは承知している。しかし、どうしてもなにか一言言いたくてたまらなかった。

第三者がこんなだらだらと人さまの事件をもちだして話をすることはよろしくないことは確実であるし、本当に申し訳ないと思っています。本当にすみませんでした。

RDサクセション

2月12日(水)
せいい 【誠意】
うそいつわりのない心。私利・私欲のない心。まごころ。「―を尽くす」「―ある態度」
しゃざい 【謝罪】
(名)スル 罪やあやまちをわびること。「―する気はない」「―広告」

って考えると誠意ある謝罪を求めた側が、全然誠意ある謝罪文になってないと思った。その文にうそいつわりは無かったが、私利私欲が見え見えなのは決定的。なまじ大手になってしまった故のプライドがそうさせるのか・・・悪いと思ってない謝罪が何処の世界で通用するのかしら?小学生とか?

あ、すいません。テキストサイトに興味ある人じゃないとわからない話でした(笑)

でもまだ続いたりします。

俺が思うに、あれは「誠意ある謝罪」ではなく「権威ある陳謝」のような気がします。

とはいえ、現実社会でも誠意を見せるのは容易なことではないし、実際にそう言われても平謝りで済ませる事が大半なんじゃないのかなぁ。「誠意ある謝罪」ていうと妙にかっこいいですけど、自分が出来ないなら要求もしない方が賢明かと。

けんい ―ゐ 【権威】
(1)他を支配し服従させる力。「親の―を示す」「―が失墜する」
(2)ある方面でぬきんでてすぐれていると一般に認められていること。また、そのような人。オーソリティー。「その道の―」「―ある学説」
ちんしゃ 【陳謝】
(名)スル わび言を述べてあやまること。「非礼を―する」

狂文:たろたま騒動所感

カオスに浮かぶ複数のアイデンティティ

事のあらましは、検証、考察サイトに記載されています。私は、2003/2現在、世論により「悪」とされているサイトをROMしており、このたびの騒動において、「D」というハンドル名にて、プリシラ様のBBSにて発言を行っております。

私個人は、本騒動は、主観による「むかつき」の連鎖である、という意見に賛成です。

大手サイトに関係を持つ複数人が、比較して規模の小さいサイトの管理人を、「むかつき」を原動力として追い込む(ように傍目から見える)。

世論をかさに着る群衆が、大手サイトに関係を持つ複数人を、「むかつき」を原動力として追い込む(ように傍目から見える?否、愚かにも自分も参加している!!)。

原因はちょっとした糸のほころび。(しかしこれは客観的見解。糸のほころびを「大事」と見るものにとって、これは「大事」なのだ。)客観的に見て、糸のほころびが小さな物と見えるせいか、世論は、糸のほころびを正せと詰め寄る。

上記までで、私の糸はほころんでいるのだ。気づきませんか?これを読んでカチンとくる人がいるかもしれないのです。私の表現は、自由な発言である側面と危険な発想である側面を併せ持つことでしょう。

このことで私が仮に非難され、第三者から謝罪を求め詰め寄られたとき、私は頑として謝らないかもしれません。迎合して謝るかもしれません。

私は多分後者を選ぶと思います。ごめんなさい。そして以降、ネット上では無難な発言を繰り返すことでしょう。2度とほころばぬ様に。

「空は青い。」

「地球は丸い。」

「総理大臣は、、、人間だ。」

このようにすれば、きっと私は頭の弱い人間として放免されるでしょうね。

それは知恵?それは臆病?それは打算?それは誤りか?一つ言えることは、「攻撃の圧力が強ければ、攻撃の圧力が弱い状況に比べて、無難に済ます人間の数が増える。」

ネットの先にいるのは人間です。猿じゃない。「人は強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない。」私はカルシウムを摂ることにします。改めて皆で摂ることも良いと思ってます。

教祖も信者もイヤでただ人間らしくありたいだけなんだ!!否、大人にならなければいけない。

負の連鎖は有効か? 一体誰のために? 社会のために? 自分のために? 我に返る。そしてそこで感じる怒りは果たして何に有効か?

視点は異なるのですが、さらに付け加えます。私は以下の点、よく考慮することを欠如するのです。

あなたの発するそれを、本当にあなた自身は体をそらさず前面から受け止められるのか?私は「口だけ大将」でない自信がないが、あなたは自信があるのか?本当に示せるんですか!?「何言ってるのお前?ブラフとか否定すんの?×××じゃねーの?つか交渉知らねえのな。」と心の声が聞こえます。

「子供じみた意見だ。ネットにおける人間関係の機知がわかってない。」ごもっともです。無知とは罪。機知の根源を知りたい。機知とは何なのか?その状況をしのぐもの?何らかの改善方向に向かうもの?

かねてから、解けない疑問があるのです。カオスに浮かぶ複数のアイデンティティは、馴れ合うべき?叩き合うべき?共存するのに普遍的な法則を導き出すべき?

ネット民法でもあればいいか。カオスを打ち消す父になればいいか。グローバリズムも交えて。国や宗派や風習も考慮しながら。カオスを好む故にカオスを打ち消すジレンマにさいなまれながら。そこにもきっと、アイデンティティを見出せる。いくつかのアイデンティティがぶつかるかも。コミュニティを形成してぶつかるかも。でも、国連のようにコミュニティが連合する手もある。良いね。それでいこう。

壊れてきたので落ち着こう。

極論を言えばきりがない。覚悟のある正義は奥が深い以前に、自分にはまだ主観でしか分かったつもりになれない。最大公約数が正義かもしれない。でもこれに「死ね」といわれて「はい死にます」ということは未だ自分にはできぬ。次の日に自然数が1増加していることが日常茶飯事だったからだ(#1)。

だからこそ、自分が声高に正義を主張するときは自分自身が後ろ暗いことを知っているつもりでいたいと思う。そう思う人間は少ないのか?突っ込まれて生き残れないからか?それともマジで世の中はこの問題の解に到達した立派な人間だらけなんだろうか?いや、とにかくまず牛乳を飲んでおこうか自分よ。落ち着かなけりゃ、人間の心なんて絶対に見えないと思うよ。

・・・読み直してみて、電波文って感情のままに書きなぐって推敲なしにすればいいんだって事が分かった。

(#1) それを知ってて最大公約数nを持ってn日待ち構える奴って結構いますとか余計なことは言うまい。

Aeonian Evolution

02月21日Early Morning

前略

最近でもないけど、ネットサーフィンがとても楽しい。趣味のページにしろ、ファンサイトにしろ、テキストサイトにしろ、その向こう側には人がいる。ネットはリアルで会える人よりたくさんの人と出会うことが出来ます。その中ではいざこざがあったり、何らかの運動があったり、社会が出来ていたりして、その一つ一つが大変興味深く、面白いと思う。これはもう、一生はなれられないなと感じるんですよ。

そのネット社会の中でまたちょっとした出来事がありました。今日はそれを紹介させてください。最初は些細なことから生じた揉め事でしたが、最初に転がる方向を間違えてどんどんと争いの輪が広がってしまいました。このサイトは、なぜそのような出来事が起こってしまったのかを考察しています。そして、二度と同じ過ちを繰り返さないように警告しています。

ちょっと前の話なのですが、今ならまた出来事が広がることはないだろうと思ってリンクを張らせて頂きます。考えにふけっていると、目的と手段が摩り替わっていることが多々あります。そういう時は、考えを一旦止めて自分は「誰に」「何をして欲しいのか」「どうしてそう思うのか」を考えてみるのがよいと思います。自戒も込めて。

後略

(=´▽`=)

2003/02/18 (Tue) 吐き気を催す邪悪

仕事がテンパってみたり。もー、こう言う時はゲイツが死ぬほど憎らしいね。

基本的にはFFしかしてないんだけど、ちょっと興味深い事件がネットであったのでそのログ消化中。膨大な量なので素人にはお奨め出来ない。俺も全然消化出来なくて困ってます。今週中に読み終わればいいなぐらい。

簡単に説明するとyと言うサイトの管理人が書いた日記の「自分の作品がパクリだと思われたらイヤだなぁ」をpが「パクった」と脳内変換。「謝罪しる!」とBBSに特攻。yは謝罪。パクリを認めるような認めないような発言をし、それをpに叩かれる。さらにpは自サイトでy叩きのコンテンツを発表。

pは作品発表HPの共同運営者でパクり元作品とされる作品の作者兼共同運営者mとその他運営者と共に検証コンテンツを設ける。mは自サイトの日記でパクリについて言及。

が事件の大まかな流れです。それが2chのヲチ(生暖かく見守る)板に飛び火して現在に至っています。事実だけ述べるとどこが凄いのかさっぱりですが、Bの自サイトのA叩きコンテンツと作品発表HPの検証コンテンツとCの日記の内容が余りに酷いので祭りになりました。

俺は胸糞悪くなりました。更に驚いた事にそれらを書いた管理人は全員30前後のいい大人であったと言う事実です。もうね、お前ら分別ないんかと。

なんか他にもそんな奴らが居るみたいだしさ。いい年した大人なのに、このバランス感覚は普通ありえないと思うわけですよ。でも他にも更に凄いのが居ると言われると、こりゃ迂闊な事は書かない方がいいなぁと。って言うかこんな奴らがまかり通る社会ならダメぽだと思います。

なんか読まなくてもいい方向に持って行こうと思ったんだけど、偏見なしに物事を書こうと思ったら読まないとダメな方向になった気がします。暇な時にでも読んで自己判断して下さい。

Cube!!

追記4(1:43 2003/02/21)

前回の更新から約1週間。普通のサイト管理人ならリメイク作業はもう終わってる時期でしょう。まぁ、僕の場合こんなのを見つけてしまって、関係資料を読み漁るのに忙しくてそれどころではなかったんですけどね!(←言い訳)

んで、あちこちで騒がれている(騒がれていたこの騒動
正直いままで所謂ネットバトルと呼ばれるものってのは、自分にゃ関係ない話だと思っていたんですよ。やたらと毒舌をはいたりとか、誰かを誹謗中傷するとか、他人のサイトをそのままパクルとかしない限りは巻き込まれる事はないだろうと。

で今回、そうとも言い切れないということに気づかされたわけですが、僕には『Web上ではなにも書かない、喋らない』ということ以外自衛策が思いつきません。何か裁判所のようなものがあれば話は別ですが、(Web上で完全なる第三者として判断を任せることの出来る人間かどうか確かめる手段が無い)現状ではそういうのも無理でしょうし。かといってサイトは止めたくない。痛し痒しですね。

まぁ、結論としてはうちのような弱小サイトには関係ないハズだと思い込むしかないんだろうなあ……あ、あともう一つ。こんな風(↓)な、どこかの誰かがやっていると容易に予測のつくネタをやらないって事ですね。

後略(ネタに興味のある方は転載元を訪問すべし)

むうんさいど・だいありぃ

前略

明日、朝早くから両親のドライバー。

朝 6:00 に叩き起こされるのがわかっているので早く寝よう。と思ったのに、面白そうな話題を読み漁っていたら 2:00 廻ってた。どーしたもんかね、われながら。

ちなみに読んでたのは盗作疑惑から発展したネットバトルの記録。参考資料はこちらとかこちらとかこちらとか。

んで、読んで思ったんだけども。関わったサイトがほとんど全部お休みしてる。コレが原因で。言っておくけども。言わなくてもいいんだろうけども。俺のサイトの休止理由って盗作じゃないノデ!(笑)

こういう事件って結構あるのね。いやはや、勉強になりました。出来ればあまり経験したくないけどね(苦笑)

後略

kiss the moon

戯言日記 2003年 2月22日 (Sat)

■1

ネットの争い事には、昔巻き込まれて(自ら巻き込まれていって?)以来とんと興味を持てなかったものだが、最近小中学生の多く存在するサイトに関わり、彼等のあまりの無防備さを見るにつけ、再びネットでのいざこざに興味を持っている。

そんなところに持ち上がったネットケンカ? 騒動。わたしがそれを知ったのは、ほぼすべてが終わったらしい2/10過ぎあたりだったと思う。 (以下、上記リンクを読んだものとして話を進める)

上記リンクの経緯をすべて読み、色々と再認識させられることは多かったが、割と「今更だな」の出来事だったと思う。

集団リンチもマイノリティの悲哀も逆襲も、わたしは肌で知っている。基本的に調整役に回りたがるわたしの性質から言って、意見が合う合わないよりまずマイノリティに荷担してしまうあたり反省すべきなのだが;(でも反省する気もあまりないあたりも反省点…。) 実体験に比べれば大した収穫もなかった、というのが感想だ。

が、子供達を思い返し、ふと考えた。また入れ替わったらどうなるのだろう、と。

場が違えばメジャとマイナは入れ替わる。わたしは多少なりとも「集団リンチでなくケンカという体裁」になるようマイノリティに加勢し狼少年になるのだが(万が一ここを見ていたら私信です。あのまま記事をクローズしなければ、わたしはあなたの側に付きました)、今回圧倒的マジョリティであった側を見事にマイノリティに一変させたのは、ウォッチャーという大衆だった。

上記リンクの運営者である徳保様は、ウォッチャーの発言の数々を「社会的制裁」という言葉で纏めていたようにわたしには読めたが、今回の最初マジョリティ側だった人達は、本当にムラ社会に於ける鬼っ子だったのだろうか? わたしにはこの点が疑問である。

途中で、ムラの枠組みが変わってしまったのではなかろうか。わたしはこの「ムラの枠組みを国外の人間が変えてしまった」ことに非常に興味がある。善悪とか正否はこの際無視して、「ムラの枠」にのみ焦点を当てて論じてみたい。

最初、確かにムラ社会の中で、彼等はマジョリティであった。非難されていた人物はマイノリティであった。ムラを彼等近辺サイトのみと限定すれば、彼等も「鬼っ子に社会的制裁を加えていた」に過ぎない。

その制裁のレベル、及び、そもそものムラの掟に納得できない人達(ウォッチャー)が、ムラの外から押し寄せた図に、今回の騒動は見える。

それは騒動を大きくした云々の話ではない。大量のマレビトが押し寄せたことで、ムラ社会の規範が変わってしまい、マジョリティ達が掲げていた正義が正義として通用しなくなった、つまり「ムラが大きくなった」という話をしている。

だからこそ、ふと考える。

現在のマジョリティ(ウォッチャー)が、また外から押し寄せた大量のマレビトによってマイノリティになったとき、彼等はどうするのだろう、と。

そして、再びマジョリティに戻ったとして、最初のマジョリティであった現在マイノリティの関係者達はどうするのだろう、と。

ここまで考えて気付いた。最初のマジョリティと言ったが、そもそもそれが間違えている。もっと前のマジョリティが存在する。今回ウォッチャーによって? 被害者とされたひとりの人、彼女が今回最初のマジョリティである。

その人も、自分のサイトというムラでは、マジョリティであったのだ。だからこそ、つい口を滑らせてしまったのだろう。

マレビトによってムラの枠が変わり、規範が入れ替わる、その繰り返し。相が移るだけ。わたしの目に映った今回の騒動の姿は、それだ。

最近の低年齢ネッターの、無防備な発言を見ていると、本当に恐ろしくなるのだ。その最初のマジョリティも、次のマジョリティも、また次のマジョリティ(ウォッチャー)も、いつマイノリティになるかわからないのに。逆に、マイノリティがマジョリティになることもありえるのに。

現在、マイノリティになってもまだ、自分の主張を続けている人が居る。頑迷といえばそれまで。だがそこまで潰されても曲げない発言の方が、わたしはまだ怖くはない。

マイノリティの最中は小さくなっていて、マジョリティになった途端徒党を組んで押し寄せる世間の波というもののほうが、わたしには怖い。

数による権力。正否や善悪や秩序混乱に関わりなく生まれる、「マジョリティであるということの幻想」が怖い。

否、それ自身が怖いのではない。

わたしが気付かずマジョリティになり、大群を引き連れることの可能性が怖い。

今回の関係者、すべてになる可能性が、わたしたちには、ある。

わたしはもっと怖がらなくてはならない。わたしのこの恐怖を、どうしたらあの子供達に伝えられるのだろう。

「みんなと同じ意見です」。そう言えてしまう子供達に、どうやって伝えたら良いだろう。

……なりふり構わず嘆願でもしてみようかしら(笑)。自分の文章形態が、どうやら子供向きでないらしいことが口惜しい。

■2

そういえば徳保様。謝罪させたがったロジックがわからないとのことでしたが、恐らく近頃の個人サイト的個人サイトでは、それを無意識にでも理解できる人間のが多いのでは、と。

二次創作で、パクったパクられたなどという騒ぎがしばしば起きているのを見ると、オリジナリティは自分(身内)が手掛けたものすべてに存在すると信じている人間が多いのだと実感させられます。

オリジナリティは、恐らく「創作」と呼ばれる類の行為に関わる人達にとって絶対の正義に近いものなのでしょう。「正義」だからこそ「皆に受け入れられるものでなければならない」ものであり、「創作した人間」は「勝者(王)でなければならない」のではないかと。

それは(丸々コピペではなく設定等のパクり←二次創作の設定って…?;)パクった側の発言からも伺えます。「人としてやってはならないことをしてしまいました」、などの過剰な書き方。

パクりの積み重ねでない芸術が現代に存在するのならば是非とも見てみたいものですが、彼等はそうは考えないのでしょう、恐らく。

あくまでも、創作をしている人達の、表に出ている行為からの推測に過ぎませんが。

■3

ところで疑問。わたしはウォッチャーがあそこまで特攻したいと思った激しい動機がイマイチわからんのですが。

ネットじゃ集団リンチくらい日常茶飯事だと思ってたワシの認識がマイノリティなのかな(^^;

昔はそんなものが起こっても、ウォッチャーなんか出ないほど、そもそもネットしてる人間が少なかったということだろうか…。

……ワシが巻き込まれてた頃は、もしかして2ちゃんねるなんて存在してなかった…?(爆)

サイト持ちが少なくて、サイト対サイトって形にならずに、他人様の掲示板やチャットで呼び出しイジメをしてた人が大半だからってのもありそう(遠い目)。

■4

もっと疑問。今回、話を追うために2ちゃんねる用語を勉強したが、何故2ちゃんねるでは皆、あのような一般社会(わたしにとってのだけではないと、多分)では使用しない特殊な単語を使うのだろう(汗)。

コギャル言葉なんかも同様にわたしには理解しがたく好きではないのだが、コギャルと呼ばれた少女達が、どうやら自分達だけのコミュニティを作ろうと苦心惨憺(でもないのかな)言葉を作ったように(実際、コギャル言葉が世の中に広まったら、逆にそれらの言葉は使われなくなっていった)、2ちゃんねらーも外部に理解しにくい単語で、自分達だけのコミュニティを作ろうとしている……のならば理解できなくもない……のだが、そうなのか???

理に適っている意見も無責任な作り話もあり玉石混淆だったが、どちらにしろ読みにくいことこの上ない;;;(と言うとおまえの文章もだと言われた・笑) なんであんな形態なんだろう。

2ちゃんねる初期からの利用者で、そういうの考察してるサイトないかな……調べてみるか。

■5

関連記事

MEMO

2003/2/21 13:02 【覚書】たろたま騒動

単純に解決でき文章化できるような事象は掃いて捨てるほどあるが、そうではない事象もまた同様に掃いて捨てるほどある。それらは「問題」と称され様々の議論を呼ぶのであり、その複雑さと首を突っ込む第三者は相関関係があるように思える(そして私もその一人である)。

久し振りの友人らと会っていたり、諸般の雑用をこなしたりしていたこの数週間、かつてほどの興味を持たなくなったテクストサイトへの更新確認は滞っていた。知らない間にとんでもない事態が発生し、知らない間に一応の収束を迎えたようである。

ご存知の方も多いであろう、いわゆる「たろたま騒動」である。ことの経緯については華麗に たろたまにあーヽ(´ー`)ノに詳しいので必要ならば一読されたい。(以下の文書は感想を述べたものであり、事態の経緯については一切触れていない)

本件は非常に多くの鬱積し発酵した矛盾がとても悲しい形で析出してしまった事例のように見える。私が普段感じていることがいくつか関係しており、第三者的な、表現の正確性を期するならば(と断りながら造語を用いるのも不適当のようだが)第二者的な興味から文章化するのである。文章化すると言いつつ箇条書きになるのは、私の文章表現力の拙さと睡眠不足と記憶力の脆さ、加えて就寝前のメモから起床後に「当時」の心境を高い整合性を持たせたまま再現する能力の低さによる。

実社会での常識とWWW上でのそれは性格が異なる 実社会にもWWWにも常識は存在し、また必要である 常識は定義されたものであって定義するものではない WWW上のリソースは「PCを使用できない者」に対してはクローズドである 誰の目にも触れるのは「小さなサイトのある日の日記」も「どこかの公園のトイレの落書き」も同じでは 「表現の自由」は「制限のしようがなく物理的実害もないから放置された消極的自由」では 多数決は「意思」の決定手段であって「善悪」の判定手段ではない

誤解されると困るのだけれど、私個人には「たろたま」と間宮氏は尊敬の対象である。純粋にあれだけの量の文書を書き、しかも質は高く、立派にサイト管理をされていたし多数の方の信頼と尊敬も集めていらした。ものを書くという行為に大いなる関心がある私としては敬服するばかりだが、今回はさすがにまずかったと思う。

彼女の口調論調が支持されたのは一般性を欠いているからだ。そもそも普通の人間が普通の生活の中で感じたことを普通に書いただけでは誰も読まない。彼女には読ませる技術があった。それが琴線のような緊張感ある雰囲気であり彼女の作り上げた(しかしローカルルールに則った)カナ変換文字だった。彼女の管理するコミュニティではみながほぼ一様に彼女の「文法」を倣った。

今更気付くのも恥ずかしいことだけれど、「こういう趣旨の発言をしましたよね」という問いに対して「そういうつもりで発言したのではない」とか「その単語は使っていない」とかいう形式(テンプレ化しているようにさえ見える)の反応は彼女らの形成する一派の常套手段に思える。自分たちの表現と感性でしか議論を進めず、それ以外の表現と感性を誤解と捉えられては敵わない。また、よほどのことがない限り、誤解はした方でなくさせた方に問題があると思う。

これまで彼女の価値観を一度は否定した者が最終的にみな謝罪してきたこととこれからも彼女が永遠に正義の手引書たりえることとは全く関連がない話だと思う。(注:彼女は上述の単語は使用していないが上述の趣旨を明文化している。)

彼女の文章表現能力や潔い物言いには敬服する。それは今も変わらない。であるからこそ、「自分の正義が通用しない相手もいる」などと既に自身のサイトで言及していたことを持ち出して卑屈にならないで頂きたかった。数千数万という人間に多からずあるいは少なからず影響力のある方なのだ、本人が望む望まないに関わらずこの状況は理解すべきだったし慎重であるべきだった。アクセス数の極端に異なる二つのサイト(派閥)が同じ土俵で争おうとすることは不公平だと思う。

そして今回のことは、特に周囲の人間にはこれから咀嚼され糧とされてゆくべきで、その意味で、(当事者にとっては不適切な表現に聞こえるかも知れないが)意味のあるものだったと思う。

「まっとう な しゃかいじん」という言葉が漢字変換される日を願う。

本文書は追記される可能性が高い。