遥かな道しるべで紹介されていた記事ですが、こういうくだらない発言にいちいち感動する人々というのはなんなのか。さて、大人を騙して拍手喝采を浴びたセヴァン氏は、社会人になった今も妄言をくりかえしているようです。
人間に、そうそう大それたことはできません。天地がひっくり返ってもできやしないこと(たとえば走り幅跳びで100メートルとぶとか、そういうレベルの話)を、やればできると本気でいっている人間は、害悪です。社会のためになりません。現実に可能な、小さな一歩を馬鹿にするからです。多勢の人間の努力を、馬鹿にするからです。そして、それをいいことだと信じて疑わないからです。大いに自戒を込めてご紹介しました。私はきっと今後も罪作りな言動を続けるでしょうが、それがどれほどまずいことか、肝に銘じていきたいと思います。[2002.11.17]
ちょっとした追記ですが。アマゾンの森林破壊を止めたければどうしたらいいのか。ブラジルにいる医者を全員抹殺すればよいのです。アフリカ大陸の砂漠化を食い止めるにはどうしたらいいのか。ありとあらゆる薬をアフリカ大陸から引き上げればいいのです。環境破壊の元凶は、人類が地球の規模に対して増えすぎたことにあります。産業革命当初の人口であれば、みんなが先進国なみの生活をしたって、あるいは焼き畑農業などをしたって、地球環境にさしたる影響はなかったのです。
環境問題を考える際に、人口問題を考えないのは馬鹿げています。しかし人類は、生存競争、自然淘汰によって死にゆく同胞を見捨てられません。重い病気にかかったら死ぬのが人間の定めですが、その運命を受け入れられないのです。だから、子どもが生まれないよう努力することはしても、生まれた人間を死ぬに任せようとはしません。人口爆発の原因は、子どもが生まれすぎることじゃないんです。生まれた子どもが死なないことなんですよ。
アフリカ大陸にはとくに、死にそうなほど飢えている人々がいます。一昔前なら、彼らはさっさと死んでいきました。そして、不毛の大地から、人類は追い出されたのです。ところが現在は、歩くこともできない人々も、かなりの期間、かなりの人数が生き続けます。それどころか、ちょっと体力が回復するや、子どもを産んで増殖さえしてしまいます。人類は度し難い馬鹿です。死ぬべきものを生かし、自らの運命を閉ざしていくのです。人類の全ての不幸の始まりは、人類の優しさ、盲目な優しさにあるといってよいでしょう。
話が少々飛びますが、日本の少子化対策について。日本人は、日中戦争前と比較して、人口が2倍以上に増えています。爆発的に人口が増えたのです。戦争による死者は、いろいろな説があるとはいえ、300~800万人に過ぎません。人口爆発に対しては焼け石に水でした。日本の都市問題が高度経済成長期に深刻化したのは、爆発する人口に国作りが追いつかなかったからです。土地の値段が高すぎるとか、文化的断絶とか、みんな根本の原因は人口爆発にあります。
日本に少子化対策は必要なのでしょうか。目先のことだけ考えれば、若者が減り、老人が増える少子化傾向が望ましくないのは確かでしょう。しかし日本の国土に見合った適正人口というものを、なぜ考える人がいないのでしょうか。いったん大人口にあわせて社会を作ってしまったから、人口が減っては困るという、そういう発想で物事を進めるのは亡国の道です。日本人は多すぎます。それは誰もが気づいていることなのに、目先の不利益を我慢できないんですね、誰もが。
環境問題について考えるならば、日本人はいささかエネルギーを使いすぎています。しかも毎年使うエネルギーが増えている。もう日本人は環境問題を語るなといってもいいくらいなのですが、とりあえず人口を減らして環境問題の緩和に協力するという発想はないのでしょうか。環境サミットの二酸化炭素排出量削減目標を達成できる唯一の先進国であるロシアは、まさにこの人口減を最大の武器としているのです。
日本は少子化対策なんてしなくていいんです。それは決して亡国の道ではなく、少しだけ、人類の、ひいては日本の命運を伸ばすことにつながるのですから。(ということを私は高校時代からずっといい続けています。進歩がないというか、むしろこの考えが正しいとますます強固に思うようになりつつあるわけで……)[2002.11.17]