趣味Web 小説 2002-12-01

楽して作れないミリオンヒットサイト

愉快な神父さんは私に限らず多くの方から突っ込みを受けています。それでも「楽して作るミリオンヒットサイト」特集の連載開始以降、概ねアクセス数は上昇傾向にあるようです。これは当然でしょう。サイトの表紙に連載されているこの記事は、たしかに非常に興味深く、そして大きな需要のある内容を突いています。

楽して作るミリオンヒットサイトへの反応は大きく4種類だといいます。

  1. わりと正しい。続きも読みたい。
  2. 正しい。しかし、そんな運営法で大きくなっても嬉しくない。
  3. 間違っている。そんな運営法で大きくなっても嬉しくない。
  4. 間違っている。努力せずにいいサイトは作れない。

私は4番目の立場です。そして私が最も嫌うのは、2番目の立場の方々です。3番目の方々は意味不明。愉快な神父さんが間違っているなら、そんな方法ではそもそも大きなサイトを作ることは不可能なので、何も心配は要らないはずです。1番目の方々は素直でよろしい。

さて、愉快な神父さんから、嬉しくない派はともかくとして、私のような不可能派に対して反撃が行われています。

間違っている」と主張するのなら、まず「ブログ運営において、努力とヒット数には、正の相関がある」という事と、「ブログ運営において、努力は、アクセスアップに対する必要条件である」という2つの仮定を証明しましょう。加えて、「大手ブログサイトを作るには、特殊な能力を必要とする」という証明も必要です。

アクセス向上というテーマで記事を書き、アクセス向上を目指すならば、すべからくこうすれば貴方にもアクセス向上を達成できるというテーマ設定をするべきです。ふつうの人にはアクセス向上なんて不可能です……なんて、みんな本当はわかっているわけです。わざわざアクセス向上の記事を読む人の大半は、それでも夢を諦めきれない人でしょう。愉快な神父さんは、少なくとも連載が終了するまでは決して「ぶっちゃけ凡人には無理なんだよ」とは口が裂けてもいえないはずです。

愉快な神父さんは演出がうまいので困りますね。見事に話をすりかえている。今まで常識的に否定されていたことを認めさせようというのですから、証明が必要なのは愉快な神父さんの側です。そしてこれまで愉快な神父さんが示してきたのは、私はこうやって成功しました、という話ばかりなんですよ。それはつまり、私はこうして楽に人気サイトを作ってきました、という証明でしかない。

愉快な神父さんの主張は、ふたつあります。アクセス向上に苦労は要らない。そして、誰でもできる

あらためて、再整理して私の反論を述べましょう。

アクセス向上に苦労は要らないか?

アクセス向上に苦労しない人もいるでしょう。けれどもそれは、その人が苦労を感じなかったというだけの話で、他人が真似をするには苦労するのがふつうです。この問題はデザイン中級講座[企画篇]のメインテーマとして取り上げています。

私はこれまで300以上のサイトにアドバイスしてきましたが、依頼の約半数はアクセス向上の悩みに多かれ少なかれ関係していました。悩んだ彼らが、実際にどんな対策をしていたか。実態を調べた私は、そのたびに、薄ら寒い思いをしたものでした。すなわち、あまりに無策、あまりに不勉強、あまりに努力が足りないのです。たかだか1日数行の日記さえ3日坊主で終わっているサイトのなんと多いことでしょうか。内容の充実よりもサイトのリニューアルの方がよほど作業時間が長いサイトのなんと多いことでしょうか。はっきりいって、レベルが低すぎるんですよ。アクセス向上云々以前の問題といっていい、はっきりそう斬り捨てていいサイトがあまりに多いのです。

愉快な神父さんは、努力なしのサイト運営を掲げていらっしゃいますが、そういっている楽して作るミリオンヒットサイトの連載自体が実情に反しています。12月1日の更新分だけで文章の量が原稿用紙15枚を越えます。塾で作文の授業をする際に、テーマをたくさん与えて好きなものを選ばせ、とにかく長い長い作文を書かせるという手法があるんです。他人に読ませることを考えなくてもいい、とにかく量を書け、というやり方。中学3年生の3クラス52人に対して同じ授業をやった結果が手許にあるわけですが。えーと、優秀なAクラスでさえ結果は平均4.2枚。勉強の苦手なCクラスは平均1.3枚。Bクラスでは平均2.7枚。で、15枚って?(ふはははは、やった!! 反論の糸口を見つけたよ)

まあこれは比較するのも問題のあるようなデータだけど、この線は行けそうですね。予告します。遠からず、ReadMe!登録の個人ニュースサイトを上位中位下位よりそれぞれ抽出して、更新頻度と紹介記事の件数、紹介記事の分量等を調べます。調べないうちからいうのもなんですけど、私の経験上、この勝負、勝算はあります。愉快な神父さん、首を洗って待っててくださいよ。

ふつうの人レベルの低さに驚くがいいんです。圧倒的多数の不人気サイト運営者が、どれほど気抜けしたサイト運営をしているか。何を研究する気もない、あるいは研究する能力もない存在か。そのくせアクセス向上だけは望むというやっかいな心をもっている。その現実を数字で見せて差し上げる。(いいんかいな、ここまで大口叩いて)

アクセス向上は誰にでも可能か?

結局、前項で私が予告したデータが示すのは、愉快な神父さんが苦労せずに行った数々の行動を、誰もが真似するのは不可能という事実を示すものとなるでしょう。

もし、その程度の更新を ”努力”というのなら、確かに私の意見は間違いです。

私が示そうとしているのは、その程度の更新努力なしにできる人間はおそらく少数である、ということなのです。

個別の論点について現時点における回答
ブログ運営において、努力とヒット数には、正の相関があるか?

そんなものはないでしょうね。私は、アクセス数を決めるのは第一に才能だと思っています。そもそも、ある種の努力をできるかできないかは才能によっています。私が一切のスポーツを嫌い、どれほど馬鹿にされても体を鍛えない一方で、座学のお勉強だけは人一倍やるという一例をあげるまでもなく、人には努力できる分野とできない分野がある、ということは事実といってよいでしょう。

これと同時に、努力を努力と感じもしない分野、というものが人により様々な分野に存在します。愉快な神父さんはアクセス向上の秘策を探るために様々な手段を通じてデータの収集をはかってきたわけですが、これまでそのようなことをしたいと思った人(例えば私)は多勢いても、実行できる人はいませんでした。例えば私にとっては、得られるデータの魅力と比較して要する努力が大きすぎたのでした。しかし、愉快な神父さんにとってはそうではなかったわけです。

誰もが、アクセス向上に直結する効率のよい更新を努力なしにできるわけではありません。重要なポイントのいくつかが非常に億劫に感じられる人、単にその手法に(アクセス向上を心から望んでいるにもかかわらず)嫌悪感がある人、とにかく飽きっぽい(そして愉快な神父さんの提唱する手法に飽きを抑制するだけの魅力を感じられない)人、これら様々の要因を抱える人をどんどん除外していくと、一見、誰もがとはいわずともかなり多くの方が実現できそうに見える手法であっても、本当に実行できる人は相当に限られてくるでしょう。

最後にもう一度確認しておきますと、努力とアクセス数に正の相関はない。これは私も賛成です。ただ、愉快な神父さんの提唱する手法が、努力を要さない方法だというのは嘘だと断言します。はっきりいって、愉快な神父さんの記事を全部書き写すだけでもたいへんな労力です。分量が凄い。これだけの記事を書くことを苦労と感じない人は多くないんじゃないのか。

ブログ運営において、努力は、アクセスアップに対する必要条件であるか?

必要条件じゃないでしょう。当人が努力を努力と認識していないというのはよくあることですよ。私もよくいわれます。よく300件もアドバイスしましたね、大変だったでしょう、って。私は趣味でやっていたら自然とログがたまったという認識だから、別に苦労した記憶はありませんねー、なんて答えます。ただ、それはこの記事を書いたのが私だからであって、他人が真似をするには努力が必要になるのは当たり前だと思っています。

この理屈が、理解できませんかね。当人はさしたる苦労と認識していないわけだから、努力は、アクセスアップに対する必要条件といわれても遠い世界のことのように感じる。けれども他人からは、それは十分努力しているように見える、と。

大手ブログサイトを作るには、特殊な能力を必要とするか?

こんなの、証明するまでもない。というか、特殊な能力というから変な感じがするのかもしれないけれど、事実として一部のサイトしか人気が出ていないのだから、既に自明のことといっていい。百歩譲っても、こういうことができます。

少なくとも、自分で大手の個人ニュースサイトを作る方法を見つけることはできなかった人々が大半である、と。

ひょっとすると、愉快な神父さんの記事が一部の特殊な管理人さんの知恵を普及することで、現状を破壊するのかもしれませんね。けれども、それは愉快な神父さんがこれから証明するべきことですよ。

愉快な神父さんの重大な欺瞞

そうか、これなら誰にでもできそうだ、というのでは証明になりません。それなのに、自分は証明したから反証を示せというのは重大な欺瞞ですよ。それは貴方の成功談に過ぎない。誰にでもできるという主張を証明するためには、神父さんの主張を実践した人が全員ミリオンサイトを作ることに成功した、という事実が必要なのです。

現実として、一部の人以外は人気サイトを作れないという状況があるのです。これは、大手ブログサイトを作るには、特殊な能力を必要とする自明な証拠です。まず愉快な神父さんが、この事実に挑戦してくれなきゃあ困る。

愉快な神父さんは、自説に反論するなら反証を示せという。私は少し頭を働かせたから、一理ある努力不要論は認めることにしました。誰でもという主張の誤りに焦点を絞れば、何もしないでも反証できるからです。ただ、待つだけでいい。

愉快な神父さんは、この件こそ本当に、首を洗って待っているといいよ。半年後、1年後に、ミリオンサイトの作成は誰でも楽に可能だ、ということが果たして常識となっているかどうか。それだけで勝負が決まります。断言してもいいですよ。そんな状況は決してやってこないと。神父さん、貴方の負けを予告します。

アクセス向上を願う人は多勢います。楽してミリオンサイトが作れるなら、それに越したことはないと思うでしょう。愉快な神父さんの記事に従えば、誰でもそれを実現できるそうですが、あっはっは、大口叩きすぎですよ、神父さん。

先日の宣言を、くり返しておきましょう。

誰もが、楽に、アクセス向上を達成する方法、なんてものを本気で布教する人間は許し難いですよ。1600人のお客さんのうち、愉快な神父さんのお説通りにアクセス向上に成功できる人間は一握りに過ぎない。今冬のボーナスを全額賭けます。ReadMe!に、神父さんのご高説通りにやって成功しましたと自称する1日1000VISIT OVERのサイトが200以上、新規に登場したらボーナスを全額差し上げます。冗談ではなくて。これは、誰もが人気サイトを作れるという主張と比較して、まだしも譲歩した条件だということに注意していただきたい。

以上。

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