趣味Web 小説 2003-01-22

対論:野嵜健秀さん その2

要するに、「自分に都合の良いものは何でも利用する」と云ふ事で、徳保氏の態度は一貫してゐる譯だ。

ちょっと違いますね。私は、自分に都合のよいものがあるのに、それを利用しないこともありますから。「何で?」っていわれても困りますけど、とにかくそれは利用したくない、と思うこともあるわけです。だから一貫してないんですよ。

徳保氏が何を考へてゐるのかは全く理解出來ない、と云ふ事だけは言つておきたい。

全体としては意味不明でしょうが、部分についてはわかっていただけるのではないかと。例えば私がなぜCSS振り分け様々なUAの実装状況を考えることを嫌うようになったか。それは、面倒くさいからです。CSSを難しくする元凶だからです。これではおかしい、というところから理屈を考え始めています。

私は、部分的に理解していただければ満足です。私はでたらめな人間なので、全体を見れば矛盾だらけで自分でも理解できないことばかりですから。

正字の勉強は結構ですが、正かなの勉強はなさつてゐないのですね。

野嵜さんの書かれたいくつかの解説などに目を通したくらいですね、たしかに。正かなで書かれた文章を写すというやり方が推奨されていたわけですが、意志薄弱なものでなかなか……。段々にやっていきます。

私の誤讀が意地悪に基くものであると、徳保さんは何を根據に判斷なさつたのでせうか。或は、なぜ意地悪なのかどうかを問ひ質さうとなさつたのでせうか。ただ、間違ひなら間違ひと言へばそれで濟むのではないですか。

あの「著作権放棄」の二つ目の文章、主語が無いから、そう読める、という理屈は理解できます。けれども、主語を省いても文脈から私の意図は伝わるものと思ったわけです。内容の転載・改変等を行う際、というただし書きがありますからね。ありうる解釈のうち、私を批判するのに最も都合のよいものを選んでいるように感じたので、「意地悪なのか?」と疑義を表明したわけです。

なお、野嵜さんのご意見には理があると納得したので、問題の箇所は書き換えました。

検索エンジンに引っかかるようにしてどうしようと言ふのだらうか。本當に情報を利用したい閲覽者ならば、檢索エンジンにそのものずばりの情報が表示されなくても、評判なり何なりを調べて、解凍される前の壓縮ファイルの存在を知るのではないですか。

私はかつて、「スタイルシート移行の手引き」を見つけるのに少々てこずった記憶があります。必読、などと紹介された記事があったので、ぜひ読みたかったのですが、一度は発見を諦めたくらいです。検索エンジンに引っかかるようにすれば、私と同じ苦労をする人は減るでしょう。私はそこに価値を見出します。

以上。ところで、私は毎日7時間くらい寝ています。それでも昼食後は眠くて仕事になりません。情けないことです。

Information

注意書き