趣味Web 小説 2003-02-21

力学の問題:道具と仕事(中3レベル)

中学理科の話題。

中学理科における仕事とは
ある物体の状態が A から B へ変化し、物体の持つエネルギーが a から b へ変化したとする。このとき、ある物体がされた仕事の量は b-a である。つまり「された仕事の量」と「エネルギーの変化」が対応する。

仕事の定義をよく読めば、道具を使っても仕事の量を減らせない理屈はすぐにわかります。仕事の量は b-a だけで決まってしまうので、どんな方法で物体の状態を A から B へ変化させたかまったく関係ないのです。

中学校の理科では、ここで話が終わってしまいます。なんだか変な感じがしますよね。例えば A 地点から B 地点まで移動する場合を考えてみます。歩く場合と、自転車に乗っていく場合では、人間の疲れ方が全然違います。同じ仕事しかしていないというのは妙です。私はかつて塾で理科を教えていましたが、やはり理科の好きな子は、この問題に気付きます。

例えばA地点からB地点までの移動を考えた場合、歩いていこうが自転車で行こうが自分の身体を同じ距離だけ運ぶわけですから力学的に必要なエネルギーは同値になるんじゃないですかね(あ、でも自転車分の重みがあるから実はもっと大変か?)。

とは言うものの、実際には自転車を使ったほうが早いし、楽なわけで。移動に要するエネルギーが同じなのに『楽に感じる』のには何か僕が想像もし得ないような事実が隠されているに違いありません(←表現が大げさすぎです)。

ていねいに考えていきましょう。移動するのは「私」とします。さて、移動の前後で、私の持っているエネルギーは増加、減少、変化なしのいずれが正解でしょうか? 中学理科では「同じ」が正解とされることが多いようです。なるほど、運動エネルギーも位置エネルギーも変化しませんからね。( A 地点と B 地点は高さが同じとします)

しかしじつは、移動後に私が持っているエネルギーは、移動前と比較して「減って」います。これは、移動のために体内に蓄えられていたエネルギーを消費してしまったからです。エネルギーが減ったので、b-a はマイナスの値になります。された仕事がマイナス……つまり、仕事をしたという話になることに、まず注意してください。

ここで問題となるのは、どんな仕事をしたのか、そしてエネルギーはどこに移動したのか、です。……みなさん、ここまでの話、ついてこれてます?

なんで疲れちゃったのかということを考えてみます。移動する人は私ということにしましょうか。

私は最初 A 地点に止まっています。そしておもむろに動き出す。動いている私には、運動エネルギーが生じます。このとき、私は体内に蓄えられていたエネルギーを使います。さて、B 地点で私は再び止まります。さてこのとき、運動エネルギーは私に返ってくるでしょうか?

もちろん、ちいとも返ってきません。じゃあエネルギーはどこいっちゃったの?

人が歩くとき、例えば靴底のゴムがぐにゃっと曲がったり、地面が押されて少し凹んでまた元に戻ったり、ということが繰り返されます。人の周囲の空気が動いたり、あちこちから音が出たり、服がこすれたりもします。体内では、筋肉が伸縮したりしますね。こうした様々な出来事の結果、最終的に熱が生じます。そして、生じた熱はたいてい、周囲の少し温度の低い空気を暖めることにつかわれてしまいます。

つまり、私のエネルギーは、A地点からB地点へ移動する途中の空気をちょっと暖めることに、みんな使われてしまうのです。

自転車で移動する場合にも、基本的には同じです。消費したエネルギーは、結局は空気を暖めることに使われてしまいます。

え~!? って感じですか? でも、このいい加減な説明で納得してください。当たらずとも遠からずの答えではあるので。

話をまとめましょう。

  1. 歩いたり自転車をこいだりすることで、私は体内に蓄えられていたエネルギーを消費する。
  2. 消費したエネルギーは、一部が私の運動エネルギーに、残りがそれ以外のことに使われます。
  3. 私の運動エネルギーは、いろいろなものの熱などに変化して、消費されていきます。
  4. 結局、私はエネルギーを使うばっかりで、消費したエネルギーは返ってきません。

ここからが本題。なぜ自転車で移動すると楽なのか、という話。じつはもう答えが出ているわけなのですが……。

たしかに自転車の質量がある分、自転車に乗っている方が、ある速度に達するまでに消費する必要があるエネルギーは大きくなるはずです。はい、私はいま、必要と書きました。理屈の上での必要最小限、という意味です。

……そうなんです。実際には、必要最小限のエネルギーを消費しただけでは、目標の速度に達しないのです。

私が歩くとき、一歩踏み出して、二歩目を踏み出さなかったらどうなるでしょうか? ひょっとすると前のめりになって転ぶかもしれませんけれども、少なくともそのまま前進し続けることは、まず不可能です。これはどういうことかといいますと、一歩踏み出すのに使ったエネルギーは、すぐその場でほとんどが熱とかに変化して使い果たされてしまうわけです。

私が自転車をこぐときはどうでしょう? 一歩こぎ出して、それっきりにしても数メートルは前進するのではないでしょうか。エネルギーを使い果たすまでの間に、数メートル前進できるわけですね。

これはどういうことなのでしょうか。先ほどのまとめを見ますと、消費したエネルギーは一部だけが私自身の運動エネルギーとなるわけです。自転車を使うと、この効率がたいへん向上します。つまり、消費したエネルギーと、その結果生じる私自身の運動エネルギーの大きさが近くなるのです。歩くのはダメですね。たくさんエネルギーを消費しても、少ししか自分自身の運動エネルギーにはなりません。

さらに重要なのが、運動エネルギーのその後です。自転車を使うと、運動エネルギーが熱エネルギーに変化しにくくなります。だから運動エネルギーの減少が抑えられ、いったん加速したら、そう簡単には止まりません。

結論。自転車の方が効率がいい。だから移動するなら自転車の方が楽。

というか、「体内に蓄えられているエネルギー」というのを中学理科では定義できないからなあ。結局は、そこが問題なんですよ。運動エネルギーと位置エネルギーだけ考えていると、絶対にこの謎は解けないのです。

力学の話ってあんまりネット上に情報がないですよね。以下、私がちょっと興味を持って読んだサイトをご紹介しておきますけれども、どちらを読んでも体内に蓄えられているエネルギーの話は出てきませんのであしからず。

一歩先へ(高校レベルで興味深いもの)

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