文明の進展は、分業社会の一層の細分化と、(半ば無条件に)大量の知識を受け入れることによる常識の蓄積なしには語れない。
ここでは、高度に発達した現代の文明社会において、あらゆる知識に体験的な裏づけを得ることの不可能について述べられている。人々はもはや、自らの体験と照らし合わせることなく、情報の取捨選択を行わざるを得ない。この状況下では、情報の信頼性は情報の内容だけから判断できるとは限らず、しばしば発言者の信頼性が重要になる。といった内容。
ご覧になればおわかりの通り、711さんの論考は常識的な結論へ到達する。けれども、私にはちょっと不満もあった。情報の価値判断が不可能な場合というのが、実際、この世の中では非常に多い。発言者への信頼度を自分の判断で調節しよう、という結論は穏当だけれども、調節の基準がいつも存在しているという保証はない。たとえ根拠はなくとも、信頼しない場合の拠り所がないから、消極的に全面的に信頼するしかない、ということはしばしばある。そのあたり、どうなのだろう、と思った。
いずれにせよ、今回の更新分は今後の議論の前提をここに置きますよ、という宣言のようだ。次回以降の議論の展開を楽しみにしたい。2ちゃんねると匿名の問題については「2ちゃんねる研究」が何度も取り上げていたような気がする。