意見の対立には、いくつかの段階がある。
お互いに理解不能の場合、双方が相手の意見を全否定することになりがちだ。これではどちらも納得できず、折り合いがつかない。そこで、双方が相手の意見の納得できないポイントを主張し、また回答しあうことで、疑問をひとつひとつ解消していく作業が行われる。
何割かの意見交換はある程度の成果を上げ、一方、または双方が相手の意見を理解するに至る。ただし、ひとつの結論にたどり着くことは稀だ。最終的に、譲れない価値観の差異が(端的な形で)明らかになることが多い。
結局、意見対立自体は解消されないので、無意味な議論だったという人もいるだろう。しかし私は、そう考えない。
しばしば、一方が他方の主張を理解しただけで意見交換は終わってしまう。そうであっても、そこに理解が生じたことは無意味ではない。
わけがわからないことを、丸ごと受け止める、という荒業もときには有効らしい。私の父は宇宙人で、他人の発想がよくわかっていない。けれども、家族は父が宇宙人であることを知っている。父が奇矯な行動に出ると、家族はふわふわと動く。いつの間にやら、火は消えている。そうして、一家の平穏はつつがなく保たれる。