趣味Web 小説 2004-03-28

留年

私は2人兄弟で、弟は4月から大学3年生になる、はずなのだが、これがいささか怪しくなってきたとのこと。おそらく大丈夫だとは思うのだけれども、年度末の試験結果が思わしくないようで、4月の成績発表には戦々恐々であるらしい。留年してもしなくても学生寮は追い出されてしまうので、3月から大学のすぐそば(大岡山)にある家賃8万円のアパート(築6年)で暮らしているという。しかし家賃8万円って、贅沢なやつだなあ。

弟は親のすねかじりで生活している。面倒くさがって、ろくにバイトもしないくせにお金だけは湯水のごとく使うのは、いったいどういう了見か。それでいて留年の危機だという。お話にならない。しかし当人は、「超一流とはいわないまでも一流の国立大学に合格して、自分で返す奨学金もとっているのだから、こんな経済的な孝行息子はそうそういないよ」といってはばからない。なるほど、一浪したとはいえ市立の小中学校と県立高校を卒業し、予備校も特待生で授業料免除、病弱で親を泣かせた私と違って健康で運動も得意だった弟は、よくできた息子には違いない。「自分の価値」を両親は正当に評価していない、という気持ちは理解する。理解するが……。

私は両親に多くを望まなかった。病弱に生まれ育ち、そして病気の克服のために何らの努力もしてこなかったことに、私は引け目を持っている。私は「こんなもの、たいした病気じゃない」と思っていて、その克服のための努力にはとても耐えられなかったのだった。結局、病気と一生付き合うことになってしまったが、私自身は納得している。

しかしそのために、両親の人生は路線変更を余儀なくされた。登山の好きな父は、私と山に登りたいと願い、私の名前に登山に関連する漢字を入れた。しかしついに、その望みはかなわなかった。両親は兼業農家になろうと計画し田舎にささやかな土地も用意していたのだが、病院から遠いためにとうとう家を建てる決心がつかず、手放すことになった。他にもたくさんのことを、諦めなければならなかった。

だから、というわけではないが、私は現状以上のことを、両親に望まなかった。毎日、おいしい食事を与えられ、部屋も服も与えられ、何を学ぶ際にも支援があり、これで何の不満があるというのだろう。

弟が、テレビゲームや漫画やお小遣いを欲したのは、別段、おかしなことではない。私にとってそれらは必要なものではなかったが、ふつうの子どもである弟には、なくてはならないものだったに違いない。友人より「程度」の低い環境に、甘んじることはできなかったのだろう。よその子が学校のテストで100点をとっただけで新しい自転車を買ってもらえるのに、私の弟であったばっかりに、あるいは、いつも100点を取っていたばっかりに、「よかったわねぇ」という言葉しか報酬が無い。弟は不満だったろう。私は、両親に誉められるだけで満足だった。ありがちな科白を援用するなら、「ぼくはここにいていいんだ」と安心できた。弟にとって「自分がここにいていい」なんてのは当然のことだったから、よりよい環境を求めてやまなかった。

私の弟だったために、私より勉強も運動もはるかによくできたにもかかわらず、叱られ続けて育った。ただ「正当な報酬」がほしかっただけなのに、「親に過大な要求をする傲慢な子」として扱われた。よその子が、ずっと羨ましかったろう。

4年で、NO!は、留学を厳に戒める昨今珍しい Web サイトだ。弟には、ぜひ読んでほしい。留年するとこうなるによれば、奨学金が止められてしまうのだという。まずいんじゃないのか。父はまじめだから、無いお金をどうにかして工面してしまうだろう。けれども、それを「当然だ」なんて、俺はいわせない。弟は「当然のことを当然といって何が悪い」と眠たいことをいうだろうけれども、そろそろ大人になってほしい。両親に、二言目ではなく、一言目に「ありがとう」といえる人間になってほしい。

参考(2004.3.29)

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