日本では CD アルバムの定価は約 3000 円が相場となっています。しかし、海外で日本の音楽メーカが販売している同種の CD の価格は 550〜1600 円程度なんです。本当は日本と同じ価格で売りたいところですけれども、それではあまりに値段が高すぎて、海賊版を封じ込めることができません。
海賊版対策には大きく2つの方向性があります。ひとつは、摘発です。しかし、禁酒法の失敗を例に引くまでもなく、強烈な需要が存在する限り、海賊版を十分に減らすことはできません。そこで、正規版を廉価販売することになります。当然、メーカの儲けは期待できません。しかし、「海賊版を買うのが当たり前」という風潮を放置するよりはマシです。そういった空気は、究極には音楽産業を壊滅的状況へと追い込むことになりますから。
というわけで、最近10年ほどの間に日本の音楽メーカはアジア地域を中心として、現地向け価格での正規商品投入に精力的に取り組んできました。
そこで問題となりつつあるのが、海外向け邦楽 CD の還流です。海外向けの正規商品は、国内向け商品と比較してたいへん安い値付けになっていることを既に説明しました。ここに金儲けの種があることは、誰の目にも明らかです。そうです、海外向け CD を輸入して国内で販売すると、とても儲かるのです。日本の音楽メーカは、これではたまりません。国内で利益を確保していることを前提として、海外販売では海賊版追放のために(未来の音楽市場を守るために)廉価販売しているのです。国内で安く売られては商売になりません。
文化庁と公正取引委員会は昨日、与党に著作権法改正案の骨子を示しました。新聞報道によれば、ほぼ1月14日の答申にある通りの内容です。
- 「書籍・雑誌の貸与」に係る暫定措置の廃止
昭和59年に,「書籍・雑誌の貸与」については,当分の間,貸与権の規定を適用しないとする「暫定措置」が設けられたが,新たなレンタルブック店の出現により大きく環境が変化し,「書籍・雑誌の貸与」による著作権者への経済的影響が大きくなってきていることなどから,この「暫定措置」を廃止し,「書籍・雑誌の貸与」についても,著作者の権利が及ぶこととすることが適当。
- 「日本販売禁止レコード」の還流防止措置
日本における販売を禁止することを条件に,アジア諸国等でライセンスされた日本よりはるかに安い日本の音楽レコードが,日本へ還流してくるという問題については,日本の音楽産業の国際展開や音楽文化の海外への普及を積極的に図る環境を整備するため,還流防止措置を導入すべきといった積極的な意見や,欧米諸国の音楽レコードの輸入にも影響を与える可能性があるといった現段階での導入に慎重な意見など,様々な意見が見られたが,日本の音楽レコードの還流防止のため何らかの措置が必要であるという意見が多数。
具体的方法論については,欧米諸国等の音楽レコードに対する影響や他の著作物等への拡大を懸念するなどの慎重意見を踏まえた検討が必要。
これに対し、消費者原理主義が主流のネット世論は総スカン、例によって少なからぬ弁護士がその流れに同調して政府を批判している、という状況です。
著作権法改正案では、音楽メーカが特定地域のみでの販売を希望する商品を他地域で輸入・販売することを禁じようとしています。そこで懸念されることは、例えば北米向けに販売される CD が国内の音楽店で買えなくなるのではないか、ということです。みなさんご存知の通り、DVD では既にリージョンコードによって先行実施されていることなので、音楽コンテンツも同様の展開を迎える可能性は高いといえましょう。いや、大丈夫だということを審議会委員の方は発言された由ですが、もちろん裏づけなどありません。しかし、そういうことをいわないと日本の消費者は納得しない。政治的、戦略的な発言だと思います。
私は、DVD のリージョンコード導入に賛成です。日本では日本向けの価格で、アメリカではアメリカ向けの価格で、アジアではアジア向けの価格でコンテンツが販売されるのは、結局のところ文化保護のために必要なことだと考えるからです。CCCD 問題は、端的にいえば DVD-Audio がいつまでも普及しないために起きた、(本来ならば)過渡期の問題に過ぎません。音楽コンテンツの流通を複雑にしているのは、CD がいつまでも市場に居座っているからです。予定通りに DVD-Audio への移行が進んでいれば、なし崩し的に還流は禁止され、不正コピーも困難となっていたはずです。
CD は簡単にコピーできます。そして、世界中のどのプレーヤーでも再生できてしまう。消費者の目先の利益だけ考えれば、これは素晴らしい特質です。しかし消費者はいつだってケチで、未来のために投資することを考えない。少しでも安く済ませようと、悪知恵ばかり働かせます。消費者のいう通りに値下げをしていったら、日本の音楽産業は危機的状況に陥ります。
データコピーやデータの送信が当たり前になった世の中には、それに沿った現実的な課金制度が模索されるべき
といった意見は、いいことをいっているようで、じつは破壊的主張をきれいな言葉で飾っているに過ぎません。そもそもデータコピーやデータの送信が当たり前
なら、課金制度は崩壊するに決まっているのです。お金を払いたい人だけ払えばいい、みたいなことになれば、ほとんどのアーティストは生きていけません。ひょっとして、「音楽が本当に好きならお金に執着する必要はないんじゃないの?」とか素朴に考えていたりしませんか。
MP3 のような低音質で満足してしまう庶民に圧倒的な高音質をアピールしても無意味だということ。
基本的に、CD audio は CD-R が普及した時点で「終った」技術です。誰でも簡単に原本と同等のコピーをできてしまうような媒体で、まともにコンテンツを売れるわけがない。だから DVD-Audio への以降は業界の死活問題だったわけです。ところが、消費者は CD が便利なものだから、DVD-Audio への移行なんて微塵も考えちゃいない。バカに立派な道具を与えるとこういうことになる、という典型的事例です。
300円でレンタルしてきて50円の CD-R に焼く。それが可能だとわかったら 3000 円出して CD を買うのがバカバカしくなるのは道理です。そりゃあ、今でもミリオンヒットになる曲はありますよ。でも、「CD を定価で買ってもいいかな」と思う心理ラインが低下したら、現在の音楽環境は維持できません。
値段を半分にしても3倍売れればいいじゃないか、みたいなことを仰る方がたくさんいらっしゃる。けれども、趣味で音楽をなさっている方ならわかると思う。半額にしたって、倍も売れやしないって。体力を削る消耗戦にしかならないのです。
最近の実例を日経エンタテインメント2004年2月号から引きましょう。クリスタル・ケイの「4 REAL」はチャートの初登場4位、発売2週間で17.3万枚の売上です。前作はチャート初登場2位で最終的に30万枚を突破しましたから、売れ行きは落ちているように見えます。ところが、前作は特価 2400 円だったのに対し、本作は通常価格の 3059 円なんです。だから、発売2週間の時点で販売金額は前作の2か月分に並びました。単純に比較することはできませんが、「適正価格」について考える一助にはなるでしょう。
高速道路の値下げ試験の結果も、似た傾向を示しています。値下げすれば通行料は増えますが、結局、総収入は減ってしまうのでした。むしろ値上げした方が総売上は増えるのです。需給バランスの示す「適正価格」は、もっと高かったわけです。消費者は自分勝手なので、そんなことはお構いなしに「値下げしろ」とばかりいう。しかしその通りにしたら、道路公団はすぐに破産します。そして、巨額の借金が残る。同じことは音楽コンテンツについてもいえるだろう、ということです。
音楽メーカは儲かっている、と思い込んでいる方が多いですけれども、世の中にボロい商売はそうそうあるものではありません。「アーティストより会社の取り分が多いなんて!」とはあまりに単純な物の見方であって、数少ないインディーズCDの大成功例を一般化してはいけません。たしかに音楽メーカは、一見無駄なように見える大勢の社員を抱え、その中には高給取りの者もいます。しかし、メジャーを離れて以前と同じように成功し続けているアーティストがいかに少ないか、その現実を見つめるべきです。
音楽メーカの社員は、決して遊び暮らしているわけではありません。
編集者が無能な漫画雑誌は売れません。持ち込み原稿だけで食っていける作家も、滅多にいません。(ほとんどの)作家は、独力で原稿を仕上げているわけではないのです。編集者とは、原稿をただ黙々と本にし広告を打つ仕事ではありません。音楽だって、同じです。アーティストがいれば勝手に音楽が生まれてくると思ったら大間違いなんです。いや、そういう幸運な例がないとはいいません。しかし、それは例外なのです。
「自分の信じる音楽を一筋に追求します、商業的成功は望みません」みたいな考え方を「カッコいい」と誉めそやす、妙な芸術信仰をやめるべきだ、と私は思う。そういう音楽はあっていい。ただ、商業芸術に心奪われている消費者がそういうことを口にする様を眺めるとき、私はふと「罰当り」という言葉を思い浮かべます。
日本の音楽メーカの従業員は日本人ですから、日本人並の給料をもらって仕事をします。でなければ、日本で音楽業界に勤めようという人はほとんどいなくなってしまうでしょう。日本の CD が、少なくとも国内価格において海外メーカの CD よりも値段が高いのは、ある意味当たり前のことです。
アメリカというと自由貿易推進の旗手のようにいわれますけれども、実際には産業保護に多額の税金を注ぎ込んできた歴史があります(とくに農業の保護に関しては異常)。勝ち組になった途端に「自由貿易!」と言い出すのがアメリカなんです。あれほど、いっそ清々しいまでに身勝手なことをいう国はない。
何でも規制緩和がいいんだ、値段が下がればなんだっていいんだと、そういうことをいってきたから日本の食物自給率はボロボロになったのです。農家の収入は必ずしも少なくありませんが、諸経費を引いた残りは雀の涙です。日本で農家をやっても、ホントに儲からない。努力が足りないという人は多いけれど、現在ありうるビジネスモデルとして紹介されるのはいずれも「高付加価値商品の生産」であって、日本の食物自給率を根本的に改善する方策は何もないのが現実です。
大根1本200円を高いという人に、「じゃあ200円あげるから大根作ってくださいよ」なんていっても仕方ないのですけれども、暴論はともかくとして、農産物の値段がこれだけ下がってもまだ文句をいう人がいるのは理解し難い。それが消費者というものだ、といえばその通りだけれども、それを諦めたら食物自給率は回復しない。
ニュースや解説はバーチャルネット法律娘 真紀奈17歳がわかりやすいように思います。ちなみに真紀奈さんは、今回の改正には反対の立場です。どうもネット言論というのは、一方の声ばっかり大きくなりがちです。今回の私の記事は、例によって「一石を投じる」こと自体が目的の大半であります。
ところで、私は今回の改正案を支持しますが、国会審議において反対派のとりでとなると思われる資料をご紹介します。
レコードの再販制度が必要な理由によると、再販制度は直接には地方の中小レコード店を守るものだという。しかしもちろん、中小レコード店の保護は日本の音楽文化を守るという大目標を達成するための手段に過ぎない。
真紀奈の掲示板で私の記事が紹介されているわけですがね。
音楽産業って一般消費者を対象としてる産業じゃなかったのかな?音楽ってだれのためのものなの?
消費者はいつだってケチで、未来のために投資することを考えない。少しでも安く済ませようと、悪知恵ばかり働かせます。消費者のいう通りに値下げをしていったら、日本の音楽産業は危機的状況に陥ります。
(中略)
自分にレスです。↑この理論でいくと「音楽産業」を「住宅産業」「自動車産業」「繊維産業」・・と置き換えても通用するとになるなァ〜
どぉお?
私がなぜ食物自給率の例を余談に持ち出したのか、ご理解いただけなかったようで。
値段さえ安くなればいいのである、と。特別にいいものなら、従来通りの値段でも買うけれど、ふつうの音楽コンテンツなら、どんどん買い叩くよ、と。そういうことをいっていると、日本の農業と同様に、日本の音楽産業も壊滅的な打撃を受け、立ち直れないところまでボロボロになりますよ、ということを私はいいたいわけです。
もちろん、そんなの知ったことか、という意見もありえますよ。食物自給率は低くても、日本人は食べ物に困っていませんからね。食べ物の値段が安くなって、世界中の食材が日本に集まって、たいへん結構な状況です。だから、むしろ日本の食卓は「よくなった」と思っている人が多いでしょう。でもね、私は「どんどんまずい方へと向かっているな」と考えています。目先のことだけ気にするならそれでもいいけどね、後悔することになりませんか? 私はどうしても気になるわけです。
日本は農業を捨てて、工業もどんどん海外へ出してしまって、大いなる空洞国家の道を歩んでいるわけです。ある程度は仕方ないですよ。でもね、欧米は基本的に国内の工場を最後まで守りきるつもりですよ。最小限度なりに。そして、農業は手放さない。死守しています。日本はどうなんでしょうか。まあ今更、農業を取り戻すのは無理でしょうね。もはや農業のために革命は起きませんから。工業はキヤノンなどが国内生産の死守を掲げて反転攻勢の機運がありますが……厳しいでしょうね。空洞国家への流れは止まらない。
文化産業は、最後の砦だと思います。映画はアメリカ映画に相当やられましたが、音楽はまだ、国内が強い。テレビと出版は国産品が圧倒的といってよいでしょう。「もういいよ、何もかも諦めようよ」という意見は、ある意味では正解のひとつかもしれないですよ。でも私は、その様な未来を信じません。だから、文化産業を消費者原理で開放してしまうことに賛成しません。
ようするに、fan さんの指摘は「その通り」だと思います。「音楽産業」を「住宅産業」「自動車産業」「繊維産業」・・と置き換えても通用する
のです。で、fan さんは市場原理(ここでは消費者原理の意味)にすべてを任せることが、消費者のためになると思っていらっしゃる。争点はここです。私は、目先の利益に目が眩むと、結局は消費者が後悔することになると思っているのですよ。音楽産業の利益は、究極的には消費者の利益になるはずだ、と。
LPがCDに移行した時は「音質の良さ」が一つの売りだったんですけどね。DVD-audioやSACDが普及しないのは、再販制度の適用が不明確なためです。去年の夏の段階で公取委に電話して聞いた時、これらは適用されないと言っていましたが、市場に出回っているモノには再販品で有るマークが入っています。CDが登場した時もそれには適用されないはずだったのですが同じような手口でなし崩し的に適用品にしました。公取委も市場の流れで柔軟に対応すると言っていましたけどね。
LP は、レコードとプレーヤーの状態がともによくないと音質が悪くなる欠点がありました。「LP は CD よりも音がいい」というのは、ごく一部の環境でしか通用しない話だったわけです。小学校へ上がる頃、私の家にはレコードプレーヤーとラジカセがありましたけれども、いずれも CD プレーヤーに置換されて当然の音質だったことを覚えています。
MP3 も MD も、音質はそれほどよくありません。少なくとも、CD より悪いのは事実です。けれども、LP やテープよりはよかった。そして消費者(の大半)は、MP3 や MD 程度の音質で満足しました。CD をカセットにダビングすることに音楽メーカが鷹揚だったのは、明らかに音質が低下するため、ダビングテープで満足する人は少ないだろうという読みがあったからでしょう。CD 販売への脅威となるとは、あまり考えなかった。だから、MD 登場時には揉めました。素人はこの音質で満足するだろうな、ということが予想されたからです。MD メディアの価格に著作権料を上乗せすることで決着しましたが、続く CD-R の普及には愕然とすることになりました。
ところで、音楽業界が本当は DVD-Audio や SACD に移行したいと考えていることは、著作物再販協議会(第3回)議事概要[PDF]に端的に記されています。
- ウ 音楽業界の現状について
- (コピーコントロールCDについて)
- ○ レコード産業は1998年の約6000億円の生産額をピークに縮小しており,2002年の生産額は約4400億円となっているが,その原因として,主なユーザー層である若者が減少していることや,家庭内録音を逸脱したCD−Rへの複製などが考えられる。このようなCD−Rへの複製を防ぐために,昨年からパソコンでの複製を防ぐ機能を付加したCD(コピーコントロールCD)を発行するレコード会社も出てきている。
- ○ コピーコントロールCDの発行は,CD−Rへの複製を防ぐために進むべき方向として間違っているのではないか。デジタルコピーされたくないということであれば,DVDオーディオやスーパーオーディオCD(共に複製防止機能が付加されている)で発行すべきであり,再販制度の対象にしておきたいがためにCDと名の付くものに固執するのはどうか。コピーコントロールCDが再販制度の対象となる音楽用CDに当たるかどうかということも疑問である。
- ○ レコード業界としては,音楽データを書き込んで発行しているCDについてはCDであると考えており,コピーコントロールCDは再販制度の対象と考えている。コピーコントロールCDの発行は,DVDオーディオやスーパーオーディオCD等が普及するまでの過渡的な対応であると考えている。
- (有料音楽配信サイトについて)
- ○ 日本においては,レコードメーカーによる音楽配信事業が主体であり,米国のように独立系の事業者が展開している状況にはないが,今後の見通しはどうか。
- ○ 日本でも3年ほど前からメーカー,独立系ともに力を入れているが,日本には海外に例の無い音楽用CDのレンタル業者が存在し,消費者がコストや手間を勘案して,ダウンロードよりもレンタルを選択しているということではないか。日本でも音楽配信事業は徐々に広がっていくだろうが,この数年で大きく伸びるとは考えていない。
- ○ JASRACの昨年度の著作権料収入では,音楽配信の使用料のうち,約95%が着メロ,着うたによるものであり,一般の音楽配信はまだまだ少ない。
ご指摘の通り、音楽メーカは現時点において既に DVD-Audio へ(法的に怪しいまま)再販制度を適用しています。引用した発言は、CD のときと同様にこれが将来そのまま認められることを前提にしたものだろうと思います。
いずれにせよ、何事にも賛成派と反対がいるわけですが、公取委の議事概要には両者の意見がきちんと載っています。法案のような形で何らかの結論が出たときに、「**は**に牛耳られている!」みたいなことを書く方が世の中には大勢いらっしゃいますけれども、議論の過程で反対意見が出ていなかったわけじゃないよ、ということは知っておくべきですね。よく調べもせずに「偉い人たち」を侮辱しないで。
今回ご紹介した資料は公取委が主催した会議の議事概要だけに、輸入権問題における反対派の方々の溜飲を下げるような意見が、たくさん載っています。一読を勧めます。
あとDVD-audioはDVD-Videoの後から出て来た規格で専用のハードを必要とします。今発売されているDVDプレーヤはユニバーサルプレーヤと言う名のマルチ規格対応のプレーヤが主流になり問題は無くなって来ましたが、ちょっと前のDVDプレーヤではかかりません。それを改善すべくDVD-VideoベースのDVD-Musicと言う規格が制定されましたが、なぜかソフトがほとんど出ていません。
まあそのあたりは、いつもの「鶏が先か卵が先か」問題でありまして。あと、DVD-Music は端的にいえば DVD-Video そのものなんです。音質は DVD-Video と同じなんですね。とすると、ふつうの人は映像つきの通常の DVD コンテンツの方がいいと考えるのではありませんか。音質が同じなら、静止画より動画の方が受けるのではないか、と。「動画+音楽」の商品が「静止画+音楽」の商品とほとんど同じ値段だというあたりが、商品としての難点ではないかと思います。DVD-Audio なら「音質が桁違い」という売りがあるのですが。
ただ、CD を単純に置換するメディアとしての可能性はあると思います。DVD プレーヤーは十分に普及してきたわけですから。
今回の輸入権の問題で、私が一番疑問に思うのは環流防止策がいきなり水際で止める法律となる点です。現地のライセンサー(子会社の場合が多いみたい)は現地での販売のみと言う契約なのですから、それを守る義務が有るはずです。日本市場に影響を与える様な大量の輸出が有るならその流れを調査し、潰すべきなのではないでしょうか? そう言った努力をしていると言う話を私は知りません。
私は還流 CD の現状をよく知っているわけではありませんが、問題となっているのは海外で安い CD を仕入れて、日本へ輸入して売る業者でしょう。現地のライセンサーが日本へ輸出して儲けているという話ではない。現地のライセンサーは、確かに現地で商品を販売しているわけです。輸入業者が「私は輸入業者です。買った物を日本で売りさばきます」と自己紹介するはずもなく、現地のライセンサーには対処法がないと思いますが。
給料の話ですが、欧米の音楽産業従事者が他の産業よりも特に給料が安いという話は聞かないのと、物価もアジアと日本との格差ほどは無いのですが、現地ローカルなバンドのCDも世界的大ヒットのCDと同程度の価格で売られています。国によって差はありますが、高い消費税を入れても日本の1/2〜2/3位の値段です。これはどうしてでしょうか?給料の差では説明出来ないと思いますが?
アメリカ産の農産物の価格は安いけれども、アメリカの農家の収入は必ずしも少なくありません。けれどもそれは農業のやり方・環境が違うからであって、日本では真似できない(あるいは、諸般の事情との兼ね合いから農業のことだけを考えてアメリカ式を導入することを躊躇せざるをえない)。結果として出てくる価格と給料を単純に結ぶわけにはいきません。私は、現在の音楽環境を維持しつつ欧米並の値段は実現できない、といいたいわけです。仕事の仕方が違うのだから(参考)。
商売のやり方を変えれば、給料の維持と値下げは両立するでしょう。日本の農業が全滅したわけじゃないのと同じく。でも、それでいいのか、ということです。
基本的には、国内盤の存在しない輸入盤は規制されない。また国内盤と競合する輸入盤についても、消費者さえしっかりしていれば問題は生じない。音楽メーカは商売で CD を売っているのだから、輸入盤の販売を差し止め国内盤のみの販売とした結果、利益が減るようなら差し止めは行われない。とはいえ現在、国内盤が売れて商売になっているところを見るに、先行きは怪しいといえる。高い値段で売れるなら、高値をつけるのが商売の基本だ。高値の国内盤が売れるなら、音楽メーカが安い輸入盤を規制したいのは当然だろう。
ただし、国内盤が CCCD である場合は話が違う。国内音楽メーカは売上減を甘受してでも CCCD を推進しようとしている。その理由は、「音楽 CD はコピーできる」という常識を破壊するためだ。WWW とパソコンの普及・発展により、たった一人の「神」が現れれば、100万人でも1000万人でも無料でコピーされた音楽を入手できる状況となった。コピーコントロール技術により全員の行動を規制する必要が生じた所以である。
もともと CD にはコピー制御技術が用意されていなかった。したがって、通常の CD プレーヤーへの影響無しにコピー制御技術を組み込もうというコンセプトには無理があった。CCCD が不出来なのは当然である。したがって、本来であれば音楽メーカは CD に見切りをつけ、DVD-Audio などコピー制御技術が用意された媒体だけで商品を販売したいと考えている。
しかし DVD-Audio や SACD のプレーヤーの普及は遅々としている。MP3 程度の音質で満足する大多数の消費者は、DVD-Audio をほしいと思わないからだ。私は、CCCD で売上減を覚悟するより、CD の販売を止めて DVD-Audio だけで商品を出すという試みに挑戦してほしいと思っている。しかし、CCCD の痛みと DVD-Audio の痛みでは桁がひとつ違う。音楽メーカは倒産の危機に直面することになる。
だが、その挑戦なくして未来はない。DVD-Audio を普及させるには、誰かが痛みを引き受けなければならない。CCCD で体力を削るのは、緩やかな自殺行為だ。(もちろん、DVD-Audio 一本での商品販売は急峻な自殺行為となる危険がある)
音楽コンテンツのパッケージが DVD-Audio へ移行すれば、映像コンテンツと音楽コンテンツの垣根がなくなり、再販制度から音楽コンテンツが抜けることにもつながる可能性がある。その代わりに DVD-Audio にもリージョンコードが指定されるだろう(現在、リージョンコードが設定されているのは DVD-Video だけ)。そのときおそらくMightyさんの懸念は現実のものとなるのだが、一般消費者は値下がりを歓迎し、マイナーな商品の死など一顧だにしないに違いない。まあ、それが民主主義だ。
DVD だってコピーできないわけじゃないし、リージョンコードも解除する方法がある。だからザルといえばザルなのだが、一部のマニアにしかできないことなのであれば、それは問題ではない。
こう書くと、先の記述に矛盾するから、補足説明が必要だろうと思う。
可能性の話をするならば、神はたった一人で革命を起こしうる。しかしながら、著作物の違法な流通を忌避する人が大半ならば、神は音楽メーカにとって無視できる程度の存在でしかない。可能性は可能性にとどまるというわけだ。最悪の事態を想定してコピー制御技術は進歩を続けているが、当然、完璧にはならない。しかし完璧でなければ意味がないかというと、そうではないということ。
一般人に不可能なことを一部の人々だけがなしえるとき、その一部の人々は賞賛の対象となるか、あるいは忌避される。
音楽コンテンツは、作曲家・作詞家・歌手らだけで作り出せるものではない。素人の作る CD にはそういったものが少なくないが、プロの作品には、もっともっと大勢の手が加わっている。小説だって、作家一人ではつくれないのだ。本というパッケージの製作過程だけでなく、作品の成立自体に編集者が大きく関わっている。音楽も同様なのだ。
だから、商品価格の1割未満だけが作曲家らの取り分という契約でみな納得している。消費者は何か幻想を抱いているようだが、クリエーターは、そのあたりをよく理解している。だからこそ、クリエーターの取り分を増やす代わりに商品パッケージの製作以外に何の支援もしませんという新興音楽メーカはいつまでもインディーズ市場担当なのであって、大半のクリエーターは大手に所属する。
そのあたりが一般人の常識となるかどうかが、賞賛と忌避の分かれ目だと思う。音楽メーカ叩きが、結局はクリエーターの首も締めることになる、と思う人が多くなれば、「神」はその地位を失う。
ただ、音楽コンテンツのコピーが「誰にでもできること」であり続けると、このシナリオは崩壊する。「みんながスピード違反しているのだから、一人だけ速度制限を守っていたらかえって危ない」という超理論が説得力をもってしまうからだ。全員が速度制限を守るのが筋なのだが、状況がその正解を許さない。そうして、みんな不幸になるのである。