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イラクで人質になり無事に解放された今井紀明さんについて、長らく私は「ヘンな人だな」と思っていました。まあ今でもそう思ってはいるのだけれど、「ヘン」の内実はかなり変化してきました。なるほどふつうの人ではないのだけれど、全く理解できない人ではないし、同じ社会の中でそれなりに仲良く(?)やっていけそうだな、と。
考えを改めるきっかけとなったのは今井さんの処女作「ぼくがイラクに行った理由」の劣化ウラン弾に関するテキストを読んだ愛蔵太さんのコメントでした。きちんと読了するには至っていないのだけれど、興味のある部分を拾い読みした限りでは、勝手に持っていた印象を覆される部分が多かった。会って話して意気投合することはないだろうと思いましたが、「話はできそうだ」と感じたのです。
……あ、そうはいっても、ある種の人々を怒らせる本には違いない。とくにお勧めはしません。事件から約2年、本が出てから1年半が経ち、ブログの記事は、著書よりもっと穏当な、抑制の効いた文章になっています。読むならまず、ブログの記事の方を勧めます。
人質事件の解釈については、今井さんを批判する側に共感するところが多い。けれども、今井さんを一方的にぶっ叩いている人々より今井さんとの方が楽しく話をできそう。今井さんを猛烈に批判する人々の多くは「何でわからないんだ、バカ」という排他的な考え方を持っているようだからです。自分が「非常識」とみなす考え方への不寛容に、私はげんなりさせられます。
鵬一さんという方のそもそも世の中というのは、別にお前と『対話』なんかしたがっていない
という指摘は当っていると思う。相手の誤りは明らかなので、理解も共感も無用と決め付け、対話を拒否しつつ攻撃だけ行う……。今井さんだって著書では一方的な政府批判をやっているようにも読める。ただ、「お前だって」を言い出すと不毛で、聖人でもなければ他人を批判できなくなってしまう。だからバランスの問題でしょう。
私は今井さんを批判している人がみんな一方的だとか、異論を許さない人間だとか、そんなことはいっていない。今井さんを擁護する側にも偏狭な人は多い。これは言葉遣いのていねいさや、あるいは大勢がその人の主張を「正論」と認めるかどうかとは関係ない。主張に根拠があるかどうかも関係ない。ていねいな言葉遣いをし、根拠を挙げて自説を述べつつ、「異論を許さない」人はいます。
個人の内面の頑固さと、大勢の人が様々な価値観をもって暮らしている社会との折り合いのつけ方を意識する人がもう少し増えると、いくらか平和で不満の少ない世界が作れるのではないか、と私は思います。……が、糸井重里さんと池谷裕二さんの対談本「海馬―脳は疲れない」を読んだら、半ば絶望的な気分に。ひとつの解釈に固執するのは脳の特性なのだそうな。