趣味Web 小説 2006-03-09

哲学の初歩:事実から当為は導出できない

これなんですがね、「何故、人を殺してはならないか、何故自殺してはならないか」を倫理を入れずに答えよという命題に無理がある。哲学の初歩的な知識として、「事実を積み重ねても当為命題は導かれない」というものがあります。つまり、いくら事例を集めても、「**が正しい」という結論は得られない、ということ。

id:ululun さんの結論は人は誰かを殺してもならないし、自殺をしてもならない。何故なら殺した人以上の存在を産み出す事は出来ないから。なのだけれど、「殺した人以上の存在を生み出すことができない」ことと、「だから人を殺してはいけない」という主張の間には飛躍があることに気付いてほしい。「どんどん世界から価値あるものを減らしていって、何がいけないの? 別にいいじゃん」という主張を倫理的に否定していればこそ、そのような結論が導かれているのであって、倫理から解放されてなどいない。

とにかく、この命題に答えがないことは最初からわかっている。したがって、「**という倫理観は排除する」というように、一部の倫理のみを棄却して意見を組み立てるなどの対策しかありえません。

このあたり、詳細は takn さんの「事実命題から当為命題は導出可能か?」をご確認ください。

この問いへの回答も同じ。倫理観は事実という「動かせないもの」から遊離しているので、「なぜ?」という問いに対し、無限後退に陥ります。倫理は倫理によってしか説明できず、何らかの価値体系(群)の中でぐるぐると論理を巡らせる他ないのです。したがって、永遠に続く問いの連鎖を断ち切るためには、どこかで踏みとどまる必要がある。

「人殺しはいけない」「なぜ?」「悲しむ人がいるでしょ」「それがなぜいけないの?」「こ、この人でなしっ!」「人でなしで、何が悪いわけ?」「そんなこといってると、あんたも他人に傷つけられるよ」「別にいいんじゃない?」「そんなわけないだろ!」「なぜ?」「どうしてお前はそうなんだ?」「理由なんて、必要かしら?」「うっさいわ、ぼけぇ!」「あらあら」

ただ、私は、はあちゅうさんのこの間テレビで「なんで人を殺しちゃいけないのか説明してください」って言ってる高校生を見て、「は?」って思った。もしあれが私の子供だったら、末代までの恥。世の中には説明の要ることと要らないことがあって、その質問は後者のカテゴりーに属するでしょ。という意見には「ご苦労様」という感想を抱きます。「殺人の禁止」を始点とした倫理体系に生きている人は、じつは少ない。

「殺人の絶対禁止」を掲げると、たいへん生きづらいはずです。例えば、正当防衛という概念が成立しなくなるし、死刑も当然にアウト。立て籠もり犯を狙撃することもできず、中絶だって不可能となる。とりあえず4つの「反論」を出したけれど、ひとつでも引っかかる人は、「殺人の禁止」より上位の倫理観を何か持っているということになります。

……なんてね。大学の教養科目レベルで哲学を学ぶだけでも、これくらいのことは書けるようになります。id:michiaki さんも、哲学入門の本を読むといいのではないかと思いました。「あえて無知戦略を貫き、手に負える範囲でつらつらと物事を考えるのが楽しい」という感覚は私にもあるので、強くお勧めするわけではありませんけど。

翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない 子どものための哲学対話―人間は遊ぶために生きている! <子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス

リクエストに応えて感想を書くと、ある事象があってそれについての「正否」を判断しなければならない時、人はその「ある事象」について知っていなければならないというオーガストさんの主張には、根本的な見落としがある。殺人という行為そのものは無意味なんです。何らかの価値観を導入して、行為をどう解釈するかを定めなければ、意味なんて生まれない。

だから、意味を知っていれば判断が出来る筈との主張は問題ありませんが、そこに倫理(=価値観)が入り込んでいることに注意しなければなりません。

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