言い方の問題、なら、所詮はそれだけのことであり、一部に見られた(しかし絶対数としてはかなりの多人数による)激烈な罵言の数々はアンバランスと私は考える。
……が、それはともかくとして、だったら、どういえばよかったのか。
穏当に、過去にない判断が示されたことで、今後、他の裁判にも影響が出てくる可能性について、どのように考えていらっしゃいますか、といったところか。
記者が私見をぶつけてはいけない、といった意見も、2ch まとめサイトなどで拾われたレスにはいくつもあった。これはさすがにタメにする批判と思う。だって、なーんも私見を入れちゃいけないなら、今回の裁判が何に影響しそうか、ということ自体、判断しちゃいけないわけで、「今のお気持ちは」くらいしか訊けない。
記者は何かを考えて、そうして質問を組み立てていくわけであり、記者の私見を会見でぶつけるなというのは、取材活動の否定だろう。と、批判しても、被害者遺族への「取材」など要らない、遺族のいいたいことをそのまま伝えてくれるだけで十分だ、みたいな感じなのかもしれないな。
元記事の意見には、大筋で賛成。
ただ、結果について責任みたいなものを問いたいなら、相手は裁判長なんじゃないか、と思う。でも裁判官は答えてくれないから、関係者に意見を聞いて回るしかないという事情はわかる。
個人的な動機から社会に何かを要求する、それはいい。しかし意見が通って社会が変われば、大勢に影響するわけだから、動機は個人的でもいいが、社会を納得させる説明が必要になるだろう。
人の視野は狭いから、自分ではよく考えたつもりでも、いわれるまで気付かない、いわれても気付かないことがたくさんある。だから、説明をして(聞いて)おしまいではなくて、いろいろ感想なり意見なりを募り(投じて)、さらに応答していく方が、行き届いた議論になりやすい。
司法の判断基準を動かしたい、と主張する人に、もしあなたの主張が現実のものとなると、こんな影響があると思われますが、そのことを認識されていますか? と質問をすることに不思議はない。
もっとも、今回、裁判という場で従来の司法判断を覆すことを要求していたのは検察なのだから、やはり質問する相手は検察官が妥当だろう。でも検察官は答えてくれないから、関係者に意見を聞いて回るしかないという事情はわかる。
あれれ、またそういう話に。
どうして記者会見して大衆に訴えるのは弁護士だけなのだろう。というか、弁護士がそういうことをしていいなら、検察も裁判所も同じようにしていいのではないか。だって新聞には、関係者の談話が載っている。匿名でコソコソ記者の質問に答えて主張を世に広めるのはオッケーで、会見はダメという理屈があるか。
それとも、会見しているのかなあ。警察なら、しょっちゅう会見しているイメージがあるんだけど。
裁判の主な論点と、その社会的なインパクトはズレている。裁判上の論点は、それはそれで大切なんだけど、その他大勢にとって重要なのは、結果としてどんな判断が下り、そのことによって私たちの生活にどのような影響があるのか、だ。
しかし裁判でそこは直接には扱われない。じゃあ世論は判決と無関係かというと、そうじゃない。それは判決を読めばわかる。いつも社会のことを気にかけている。なんかそのあたりに違和感がある。
だったら、世論喚起合戦と、法廷と、ちゃんと両方やればいいんじゃないか。
検察や裁判官が答えるべき質問が被害者に、あるいは弁護側にぶつけられる、それはおかしいと思う。