辺の長さが 3cm、3cm、6cm の三角形をかきなさい。
という出題に対し「三角形は作図できない」と回答したら「小学校では書けるんだ」と先生に力説されたという話を子どもから聞いて困惑した親御さんの相談。そりゃ、やっぱり先生の説明には無理があるんじゃないの、という反応がほとんど。
球面なら……とか、話の前提を変えてしまえば面白い回答はいろいろありうるけど、それはまた別の話だと思う。球面上では平行な線は2回交わる、とかね。
私の出身小学校では、中学校と同様に、専任教諭が各科目を教えていました。だから小学4年生になる頃には、最低でも2人、最大で4人(補助教師も含めれば最大8人)の「算数の先生」と顔見知りになれます。このことを利用し、「もし先生の説明がよくわからない場合には、これまでに教わった他の先生方にも相談してみてください」という指導がなされていました。
教師にも思い込みやミスはあるけれど、だからといって全ての授業を録画して情報共有するというのも難しい。「問題のある指導があったとき、自動的に生徒が動いて多くの教師に情報を伝える」というのは、よくできた仕組みだと思う。
それに、たとえ生徒の方が正しくても、小学生くらいだと、生徒が教師に丸め込まれてしまいかねない。「たしかに君のいうとおりだ」と思った教師と、勘違いをしている教師とでバトルをしてもらう方が、すんなりまとまりやすいじゃないか。ちなみに私も、国語の小説の解釈などで「訂正」を勝ち取ったことがある。4人くらいの先生を巻き込み、職員室の一角で30分近い激論が交わされたそうな。
私は小中高の一貫校に通いました。小中高をまたぐ人事異動なども行われていたためか、共通する教育手法もいろいろありました。「なるべく多くの先生で生徒を教える」というのは、そのひとつだったと思う。
中学は3年間しかないので、英数国理社の主要5科目は、それぞれ内容で2つの授業に分けて、中学3年間で1科目あたり6人の先生に学ぶ仕組みになっていました。非効率なようにも思えるけれども、一人の先生に問題があったとき、その情報を学校全体で共有して解消していくためには有効な仕組みだったのではないか。
たまたま中学時代は経験の浅い先生に当たることが多く、私は「先生に対するダメ出し」が多い嫌な生徒をやっていました。新人の先生には気負いがあって、その場で質問やツッコミに対応しようとして墓穴を掘ることが多く、ベテランの先生ほど「次の授業までに検討しておきましょう」と慎重でした。
後で聞くと、本当はその場で回答できることでも、職員室に持ち帰って若い先生の研修課題などにしていたそうな。
あれこれ思い起こしてみる限りはいい小学校だったはずなのだけれど、実際のところ入試で選抜した割には生徒の成績が伸び悩んでいたので、何か私の気付いていないところに問題があったんだろうな……。ただし私の学年はなぜか後にも先にもない唯一の定員割れが起き、入試は有名無実化してました。
逆に中学の方は成果が出ており、私の卒業後、少子化の逆風の中でさらに定員増を実現しました。
注:いずれも昔の話なので、近況は知りません。