全員が全てのマンガを読める必要はないと思う。その上で、いま低年齢層向けのマンガ雑誌にも高度なマンガ表現が入り込み、それが声の大きい層の支持を得やすいがゆえに読者の切捨てにつながっているのだとすれば、「そこには商機がある」と考えたい。
しかし、対象読者を低年齢層だけに絞ったマンガ雑誌はもはや成り立たない時代なのだとすると、各雑誌が生き残りを図って合理的に行動した結果、「マンガの文法についていけない読者層」がどんどん増え、マンガの未来が先細りになってしまうのかもしれない。だがそうだとしても、いずれ「高度なマンガ文法を理解できない人々」の絶対数が閾値を越え、初歩的な表現しか使わないマンガがペイするようになるはずだ。
あるいは、マンガが歌舞伎のようにハイカルチャーな人々の嗜好品に落ち着くなら、それはそれでいいんじゃないかな。庶民はそのとき、また別の楽しみを見つけてるはずだから。
私の場合、少年マンガはだいたいすんなり読めるのだけれど、少女マンガや青年マンガには、一読では内容が理解できず、少し戻って読み返す作品がしばしば。「オシャレ」「スタイリッシュ」なマンガは、とくに苦手。パラ見派の私には、間や空白を使った表現がつらい。セリフや絵作りのわかりやすい作品が、私は好き。
1990年代以降の大作アクション映画も、私が苦手なもののひとつ。画面の動きが激しすぎて、「何が起きているのかよくわからない」です。もっと地味なカメラワークでゆったりと映してほしい。私の好みは1960年代の特撮映画かな。カメラが俯瞰で、音楽も動きもゆったりとしているのがいい。
コンソールゲームのRPGも、1990年代中頃のスーパーファミコン用ソフトくらいの表現が、私にはちょうどよかった。その後、見た目はどんどんリアルに近付いていった。その意義は否定しないが、作りこまれた画面ではなくミニマップを見てキャラクターを操作している自分に気づくと、「これって進化なの?」とも思う。