中央広場管理事務所

2001年9月
1日

日記に関する諸注意

今日から9月だ。
別に防災には関心がないので、その話はしない。
緊急避難先は我が家の隣にあるし、
幸いにもそこには防災井戸や備蓄倉庫も完備されている。
よって今日は月初めに相応しい話をしよう。
このHPの日記についてである。

今日、月初めということで毎日更新系のコンテンツ
(更新記録/日記/FW過去ログ保存)を改定した。
これが結構手のかかる作業で、月末の悩みのタネだ。
さて、日記の話である。

当村の日記は他のサイトの日記とは趣が全然違う。
他所様の日記は自身がテキストになってるんですが
うちの場合、それは本稿FWの仕事。
日記のコーナーにあるのは極めて個人的な日記である。
つまり余人が日記帳買ってつけるような類の話である。
勿論、公開しても困らない程度の話ではあるが、
逆に僕を知る人が全て信じられると困ってしまう。

と、いうのも僕の日記、書いてあることは全て真実だが、
真実をすべて書いているかといえば当然否。
大体書ききれるものではないし、
一々全て書いていたら僕と口をきくものは
いなくなってしまうだろう。
また僕だって聖人君子ではとてもない。
書くと困ることだって結構ある。
そういうわけで本日より同窓会効果で
僕の知人も来るとは思うけど、勘違いないようヨロシク。
2日

若者の車嫌い

男のくせにモーター関係に全然興味がない。
モーター関係というのは車のことなのだが、
二輪か四つ輪かということに関係なく、
運転は勿論、デザインにもレーシングにも関心がない。
これはどうやら珍しいことのようだ。

8/30に行われた同窓会にて、
少々ショックを受けたのがこのレーシングブームである。
大抵の奴は免許を持っており、
そうでなくてもカーデザインについて一家言持っている。
中高時の記憶をほじくりかえしても、
とてもそんな兆候があったとは思えない。
趣味について横の連帯があったとも聞かない。
自然発生的に同じベクトルに嗜好が進んだということか。

そうなると、これは激しくマズイ。
私は嫌いなものは徹底的に避けるクチである。
この頑固さは助役によって保証されている。
当然、車なんて友人の全員一致をもってしても興味なし。
同窓会の話題についてけんぞと脅されても否。
運転は教習所退学という前科があり、
更には「教習所創立以来の問題児」という称号あり。
練習場内で2度破壊させれば文句はない。
運転でこれだから鑑賞は更にダメだ。
好きな車を聞かれたって困る。
車を見たってブランドは書いてなければ解らない。

今年の1月、成人式記念の同窓会の話。
車道楽4人と二次会と称してゲーセンに行った。
帰りは足がないということで、僕が家人を呼びよせた。
連中、バトルギアに燃えていたので、
我が家の車を待っている間、
僕の知らない車種の論評をしている。

と、我が家の汚いスターレットが到着。
カーマニアどもの顔が軽蔑に青ざめた。
「乗りたくなけりゃあ、別にいいんだぜ」
内心、カマしてやった。
全員乗った。
3日

去り行く夏への葬送夢

夢の話はしたくなかった。
話したって伝わるはずがないし、
云われる相手こそいい迷惑というものである。
だからFW・日記をはじめ極力言及を避けた。

だが2時間前、2時間の昼寝に極めて象徴的な夢を見た。
過ぎ去りし夏への、思い出の象徴だ。
極私的な話だが備忘録代わりに書こう。
今日はお客さんも少ないことだし(20は行かないだろう)
敢えて書かせてもらおう。
ちなみに夢の話なので、事実関係は滅茶苦茶である。

場所は伯母の木造2階家、時間は夕暮れから夜。
なんでも同窓会がはじまるらしく、
僕は市役所生涯学習課の指導下、雑用をしていた。
庭には虎がいて、絶対に近寄らないように言われた。
はじめに来た客は小学校のときから好きな女の子だった。
彼女は手首に包帯をまいて云った。
「モデルが必要だから呼ばれてきたのよ」
「君は結婚したんじゃ?」そういう噂は聞いていた。
「ええ、夫を連れてきているわ」
なんとそこにいたのはこのHPを見てくれる高校の同級生。
「よお、俺もHP作ったぜ。早く記念施設を作れよ」
「なんで**ちゃんがこんな所にいるんだよ」
「俺は寝る、書かなきゃリンクしてやらんぞ」
座布団を枕に寝てしまう。
続いてきたのは文芸部時代、散々いじめた先輩だ。
彼は殆ど口を聞かずに僕の前を通過した。
その次は小学校の同級生2人、
丸坊主の彼らは警察に取り押さえられながら来た。
「山田、てめえ、ぶっ殺してやるからな」そう云った。

フロアーには次々と人が溢れていく。
仮装した高校の同級生、参宮橋系ビジュアル派、
着飾った後輩、いつのまにか部活の機関紙を扱っている。
無意味に寝転ぶ人々、歌を歌い続ける人、
「私たちは帰るわ」いつ来たのか母と伯母が云った。
「もう6時だし、帰ったって市役所の人も大丈夫よ」
僕は首を振った。彼女らは呆れたように帰っていった。
カメラを持った友人が通りかかった。
「あいつ見たか? これから彼女のヌードを撮りに行く」
「だめだ、許さん。」
「何故? おまえ、好きだったんじゃないのか?」
消えろ、と怒鳴った。本当に消えた。

周りは闇で誰もいなかった。
窓の外は溶岩の奔流が渦を巻いていた。
今、僕は中庭の虎の遠吠えを聞きつつ、
僕はあれに食われて死ぬべきかも知れないなと思った。

居間に彼女が入ってきた。
僕は長い時間かけて色々な話をした。
途中で僕は夢だと気づき、赤面した。
伯母の家は一瞬にして崩壊し、
僕は伯母の家の隣にある公園のブランコに乗っていた。
世界なんて終わっちまえ、言った瞬間目がさめた。

長い2時間だった。
4日

恋愛における年齢差

恋愛における年齢差の許容範囲はどれくらいだろうか?
もちろん、これは大きく個性によって差がある。
我が大学の非モテ系な友人の如き
「女なら誰でもOK」という輩はまったくの論外として、
これが話題となるとなかなか盛り上がる。

僕の交友範囲は大抵、マジメなインドア系である。
あまり遊びや色恋、ファッションの類には関心がない。
極私的な趣味の本や音楽や映画やPCを嗜んだりする。
マニアックな、外見はオタク系の連中が多い。
そんな彼らだがどういうわけか
ロリコン系を好むという特徴がある。
したがって、大体許容年齢も結構下にある。
さすがにロリ趣味とはいえ常識人であるので、
下限は中学生を切ることはまずないが(ない、よな…)
上限が大学一杯、或いは未成年に限るあたり
業の深さをまじまじと思い知らせてくれる。

僕の場合、純粋恋愛に限って言えば18−30歳である。
これは仲間内で言えば異端も異端、
「熟女趣味」の烙印を押されてしまう失態である。
これは何かというと、すべては夏の社会教育実習にある。
ほぼ全年齢を対象に指導や指導補助をしてきたが、
年が高いほど礼儀もわきまえて、真摯的である。
知的な話術も嗜めるのはある程度年齢が必要だ。
それに対してガキは嫌だね。
何が嫌ってもう全否定。口を利くのも嫌だね。
確かに女子高生とつきあうのがプレミアになるのは解る。
けど、ああいうのと喋るのは苦痛以外の何者でもないね。

要は自分よりもバカな奴は嫌いってこと。
僕は中学生や高校生のよさを力説する連中に
冷ややかにいつもこう言う。
「へ〜、それでオマエラ中学生や高校生と話合うの?」

あうわけない、ここらへんが真面目系の限界である。
5日

死んだ暴走族

我が家は比較的国道に近い所にある。
それではさぞかし煩かろう、夜は眩しかろうと
同情される向きがあるかもしれないが、
幸運にも我が家と国道の間には結構な林があり、
これが防音帯の代わりで、快適な空間を提供してくれる。
気になる騒音は右翼や基督教の街宣車、
パチンコの新装開店セールス、選挙期間中の演説馬鹿。
各種緊急車両のサイレン、そして暴走族である。

国道沿いに住んでいると、事故には鈍感になる。
やはり夜に起きるのが圧倒的に多く、
家族で食卓を囲んでいる間に、
とんでもない大音響が鳴り響いたりする。
誰も反応せず音によっては父が「死んだな」と呟くのみ。
大抵すぐにサイレンの音が響いてくる。
たまに翌朝の地方紙に事故の詳細が載り、
現場にいくと砕けたガラスや血糊をみることが出来る。

さて、先日またしても事故がおきた。
交差点での暴走族の事故。詳細は知らないが一人死亡。
偶然、今日、事故の現場に通りがかった。
別に現場見物の気はなく、本当に通りがかって驚いた。
T字路の中央分離帯の先端に大量の御供物があったのだ。
一人じゃとても飲みきれない量のジュース・酒。
菓子やパンやらの食品類。
そして花花花、アンドぬいぐるみ。
コンクリート一色の世界でそこだけ眩しかった。

ここで一人死んだ。

壁面に書き殴られた誤字脱字だらけの汚い弔辞。
暴走族に感傷を持っても仕方ない。命を担保のゲーム。
彼らは暴徒化し、犯罪に手を染め、社会の平穏を乱す。
世間にあって大凡必要のない人種ではある。
それでも、死ぬことは悲しいことである。
(いわゆる青春ドラマではしばしば
 ワルこそが青少年の正しい姿であるという
 倒錯した価値観を原点に据えたものが沢山ある。
 大平光代も千代大海も全然尊敬する気にはならないね
 僕は普通にそういう道に進んだ人をよほど尊敬する)
6日

イン ザ ゲットー

最近、幼馴染みの女の子を街で見かけた。
どういう訳だか知らないが、近所に住んでいるのに
私立中学に進んでから彼女らには一切会わなかった。
「彼女ら」というのは小学校の頃(またそれ以前)、
一緒に遊んだ連中の総称だが、これがさっぱり会わない。
小学校を出てからもう8年、
100メートルも家は離れてないのに一度も会わない。
それが最近立て続けに会った。

1度目は高校を出て、大学に入った初夏、電車であった。
はじめ彼女とは解らなかったが声をきいて解った。
金髪、鼻ピーの男に「もう、今度からやらせないよ」
と云っていた。僕は激しく幻滅した。
幼馴染み幻想などこれほど馬鹿げたものはないが、
それにしてもこの変わりようは…酷いもんだ。
次にあったのは近所の本屋だった。
相も変わらず同一男の腕にしなだれかかって、
見てるほうが恥ずかしくなるほど甘えていた。
ちょうど帰り道のぶつかったのだが、
二人は彼女の家まで歩いていった。

小学校の頃、よく彼女とは一緒に帰っていた。
よく彼女が言っていたのは将来の夢
「きれいなお嫁さんになる」ということだった。
おそらく、夢は近日かなうだろう。
しかし悲しいかな、低所得者集中地域。
彼女の人生はもう見えている。
隣のガキは無免許でバイクを乗りまわしている。
向かいは今、引きこもってるのかな?
家族解散が今年すでに2件、
最近出来た高級住宅地街と道一本しか挟んでないが
それだけにこの落差は絶望的だ。
7日

フェイス

自分を芸能人にたとえると、なんだろう?
僕はいつも「誰にも似てねえよ」と答える。
案外芸能人の誰かに似ている奴はいるのかもしれないが
(誰だっけなあ、昔よく云われたことある)
僕は生憎芸能界にまったく興味がないので知らない。

同じような理由で動物にたとえられても困る。
一体そんなこと聞いてどうしようって言うんだろうね?

さて、似ている人はこの世に3人いるってね。
どこかのエッセイで書いたが、
僕は一度電車であったことがある。
地元付近の列車だからまた会えると思うんだが、一回。
バックを見ると高校生らしいんだけど、これは参ったね。
向こうも気づいたのかかなりばつが悪そうだったし。
あれは正直いって気持ち悪かった。

さて、一昨日、僕にそっくりな他人を発見した。
このHPはTripodを利用しているのだが、
まあそこのトップを見てください(クリック!)
今週のメンバーズピックアップの顔。
これが僕に異常にそっくりです。金髪じゃないけど。
勿論、縁もゆかりもない人ですよ。
それなのにそっくりです。
助役の推奨付だから僕のカンチではないはずです。
8日

文化祭について

明日、我らが母校では文化祭が挙行される。
母校というのは僕の過ごした中高のことであるが、
殊、過激な母校原理主義であるところの僕は
当然師匠弟子引き連れて今年も行くことにする。

通常、いくら母校といっても文化祭など
行かないのが常らしい。
同窓会出席率が平均でも7割超、我がクラスでも
卒業次年度はともかく、もはや誰も来ない。
(ま、もう現役の知人はいないのだが)
来る人間はもはや娯楽のない暇人か、
対人関係がまったくなくなった孤立者扱いである。
毎年来ていると誰から何をいわれるかわからない。

それでも何故、僕はいくか。
答えは簡単、教育実習の関係書類を提出する為である。
今月の二十日〆切なのだが、
「てるくはのる」や「池田小事件」以来、
学校警備が異常に厳重で、入るのが非常に煩雑である。
堂々と入れる文化祭日に提出するのが一番なのである。
だから僕はさっさと出してさっさと帰る。

正直、高校期はとりわけ僕の意識に強く残り、
特に文化祭は1週間に1度は必ず夢に出るのだが、
文化祭自体には実はあまり興味がないのだ。
母校に入れれば、それで十分。
あの頃を思い出せれば、それで十分なのだ。

僕が中高とその学校に進むことにした理由は、
小学校時代に行った文化祭の壮麗さ。
僕が中高6年間のうち、5年間やりとおしたのは
文化祭実行委員会。

それにも関わらず文化祭実体には興味のない僕。
文芸部にもあまり感慨のない僕。
ただ僕の人生、最良だった栄光の残滓を求めて、
僕は明日、母校に帰る。
9日

僕は確かに、彼に出会った

前回作成のFWの予告通り、母校の文化祭に行ってきた。
それだけでなくおそらく初挙行ともいえる
文芸部OBの二次会イベントに参加してきた。
(ちなみに助役とは21時間一緒にいた)
とにかく初めから最後まで面白かった行事といえる。
結構行く前は覚めた目で母校を見ていたのだが、
どうしてどうして、熱くなってしまったよ。
しかも僕のいた文芸部、やっぱり僕のいた部活だね。

元々僕は大学生という現在の身分に対する絶望感から、
やたらと過去回顧主義・母校狂信主義に走っているが、
差し引いても非常に懐かしく、意義のある体験だった。
お世話になった恩師、先輩、同窓生、直参の後輩。
文芸部の現役で頑張っている部員たち、
たくさんの人たちと色々な話が出来たのは
とてもとても楽しい体験だった。
部活を抜いても現役生徒の色々興を凝らした展示の数々、
非常に興味深く見てまわった。
全国的に中高生が荒れ、向上心が下っているというが、
時に「勉強偏重」「純粋培養」「校則過剰」との
批判を受けつつも、地域の名門として知られる我が校。
とても快適な居心地のいい空間だった。

昔懐かしの(それでも内装は変わっているが)校舎も、
すれ違う同じ服装の生徒にしても、何も変わらない。
すべては異なり、すべては同じ。
そう、5年間も文化祭実行委員として飛び回り、
中学時代をクラス担当、後半を文芸部担当として
もてる時間をすべて濃縮して活動した時と、
あの空気は全く変わらなかった。

2001年9月9日、
いまや落魄した僕は確かにあの頃の僕に出会った。
心優しきものに囲まれて、温かい母校に囲まれて、
彼は確かに、そこにいた。
10日

法学生の邦楽嫌い

別にタイトルは誤植ではありません。
先日の高校文芸部OB会3次会のカラオケの席で、
夜半23時から翌日3時まで逗留したのですが、
私、一曲も歌えませんでした。

勿論、理由は飲みなれないアルコールの過量摂取で、
(と、いって果汁系の薄いのを3杯だけなのですが)
ずっと気持ち悪さを堪えていたのが第一ですが、
どうしてどうして僕は邦楽を殆ど聞かないのです。
古本屋や外食の席などでは有線が流れているので
メロディーは知っているのですが、
タイトルとアーティスト名は誰が誰だか。
幸い周囲が(当村助役含む)よき喉の持ち主揃なので
それでも楽しい時間を過ごせましたが、困ったことです。

今から6年前、中学生の頃は随分邦楽を聞いていました。
我が家は小遣いなどをくれない家で、
アルバイトは校則で厳重に禁じられていましたから
お金がなく、もっぱらラジオと中古CD派でしたが。
(シングルが3年間だけで150枚以上あります)
だけれどもこういう席で古い曲を歌って
座を引かせるわけには行きません。
逆にあまりに古い時代の歌にいくのであれば
それはいいのですが、この3年間以外は無知蒙昧です。

それで僕が一体何を聞いているかというと
洋楽ポップス、殊にブラックミュージックですね。
情報源はラジオとレコード屋の試聴機とフリーペーパー。
体系的に聞いてるわけでないので知識は断片ですが、
それでもよく聞いています。

なら、それを歌えばいいじゃないか?
カラオケに洋楽も溢れる今、そういわれます。
ところが面白いことに僕は英語が全く出来ないのです。
英語嫌いが洋楽を好きだというのも変な話ですが
こればっかりは感覚の問題なので
自分でもなんともいえません。

ただ「洋楽なんて解らないの聞いて面白いの?」という
邦楽フリークの詰問にはこう答えます。
「だって邦楽の歌詞だって殆ど意味通じないよ」
癒しブーム以降、最近は大分マシになりましたが
小室天下の中学生時代、歌詞は総じて滅茶苦茶でした。
ちなみに好きな曲は大抵辞書と首引きで私訳しています。

先日のカラオケ、僕は一つ大きな発見をしました。
山本リンダの「ねらいうち」、高校野球の定番歌ですね。
私の母校も採用しています。
この歌詞を知りましたが吃驚しましたね。
「ウララウララウラウララー」と有名な節が続いて、
「世界は私のためにある」で結ぶんですね。
なんか風俗関係を連想しがちな歌ですが
これがとかく旧弊思想と批判される、
高野連の総本山でよくかかるあたり
アルコールにしびれる脳中で、僕は笑いました。
11日

文化祭、台風、そして別れた彼女について

私は関東地区の住民ですが台風、凄いですね。
昨日の深夜からずっとすさまじい雨音がしています。
大学生の特権という奴で、残り少ない夏休み、
精々残った宿題の掃討戦でも行いますわ。

さて、先日9日に母校の文化祭に行きました。
そして10日から11日にかけて大雨。
このパターンは…去年と同じです。
そう、この現実派去年付き合っていた女の子とのことを
ダイレクトに思い出しちゃいます。

去年、僕は関西にいる子とつきあってまして、
わざわざ母校の文化祭に招待したんですね、
彼女は新幹線に乗ってきまして2泊3日です。
9月9日に来て10日の文化祭に参加、11日帰宅です。
3日間とも雨は殆ど降らなかったんですが、
ところがこの11日夜半には既に台風は名古屋を襲撃し、
新幹線は東京を出たはいいけど、
立ち往生しちゃったんですね。

これは覚えている人がいるかもしれません。

結論からいうと、彼女は24時間以上車内にいました。
駅で止まってるならまだしも殆どは何もないところ、
随分苦労したと聞きます。
ぱさついた、JR至急のパンと茶だけで過ごし、
携帯の充電が切れたら駅のトイレに駆け込む。
幸い乗客は紳士ばかりで、
席など様々に融通を利かせてくれたらしいのですが、
それでも相当消耗したそうです。

僕はテレビのニュースで吃驚して電話したんですが、
何故かいつも話中か電源切れ、何故?
その答えは彼女と別れてから知りました。
関西に住む僕のよりによって親友と喋っていたのです。
その先はまったく予想の通り、
ドラマみたいな話があるもんです。

ちなみに新幹線に乗っておきながら、
こんな長時間の待ちぼうけを食わされた場合、
特急料金は払い戻されます。
一般の乗車券代は戻りませんが。
12日

見えない誰か

世の中の出来事なんて何が影響するか解らない。
僕は日常的に神仏を身近に感じる身ではないが、
こういう事件を目の当たりにすると、
どうしてもそういう超越者のことを考えてしまう。
ここでの事件というのは米国テロ事件だが、
これに限らず大凡すべての事件というものは
偶然により命を落としたり、また救ったりもする。
世の中、何が影響するかわからない。

いきなり話は卑小な方向に向かうが、
超大手サイト「ろじっくぱらだいす」様の
代打日記に助役が当選したお陰で、
昨日の当村来訪者は、Readme換算で、
1274名、Readme7000サイト中100位という
未曾有の記録を樹立しました。普段の40倍です。
この数字は日々、急落し、数日中には戻るでしょう。
しかし、この運命の気紛れのような高騰も、
管理人様の如意によって選ばれたもの。
まったく世の中、何があるかわかりません。

「人は一人で生きているわけではない」
小学校の教師がしつこくリピートしていく格言。
教師の本意とは異なるけれどもまったく然り。
無人島に一人で住まおうとも、
そこにはいつも誰かが見ているんですよ。

(僕らしくない宗教チックなFWですね〜)
13日

地元のテロリスト

日がなテレビの米国同時テロ事件を見ていると
僕はついつい高校文芸部時代に書いた小説を思い出す、
「テロ・テロ・テロ!」と題したその小説は
仏教校である我が高校に
イスラム原理主義テロリストが、乱入。
教師・生徒を片っ端から殺した挙句、
「聖戦だ」と叫んで隣接寺院を爆破するという話。
ま、それでもなかなか好評を戴いた変な話でした。

この小説の特徴は導入部は完全に実話なんですよね。
導入部というのはこの小説のモチーフとなった
地元の公立高校で起こったテロ事件なんですね。
勿論犯人はイスラムではなくて左翼過激派ですが、
深夜に高校の部室に侵入し、
隣接する警察署を時限発火装置付迫撃砲で
爆破しようとしたらしいんです。
発火はしたにはしたんですが、
部室の一部屋を黒焦げにしただけで、後は変化なし。
しょうもない事件でした。

僕らは学校帰りにその高校まで、見物に行きましたから。
すでに捜査は終わっていましたが、
段ボールで目隠しされたクラブ棟は印象的でした。

あなたの側にもきっといるテロリスト。
怪しいなと思ったら、最寄の警察署までお電話を!
(あ〜、俺の知人にも危ないのが何人かいるなあ)
14日

四次元への行き方、教えます

さて「ろじぱら」様からの大津波も収束しまして、
私どもの村も、再び過疎問題を考えねばいけない事態に、
相成りました…こんにちは、村長の山田です。

今日は図書館に行く様があり、久しぶりに自転車で、
昔通っていた小学校の脇を通りました。
いや〜、すっかり変わっていて驚きましたね。
かつての古墳に、住宅地が立っていたのです。

私の住んでいる関東某所は
それはそれは古墳が集中しているところでして、
(全国的に珍しい土器が多数出土)
特に新市街地は古墳を切り崩して作ったような街です。
今でも公園や学校の中に不自然な隆起などが沢山あり、
云わずと知れた古墳と解ります。
事実、その小学校にも立派な小古墳がひとつあり、
地形を利用して滑り台が作られています。
罰当たりなことですが、僕もよく遊んでました。

さて、その小学校は新市街の中にあり、
周りは殺風景な団地が数えるのも面倒なほど
林立しておりました(何であんなに無個性なんですかね)。
地価もそこそこ高いのですが、
何故か小学校脇の広大な敷地は空き地だったんですね。
古墳群があったからです。

フォークロアというのはどこの小学校にもあって、
花子さん伝説をはじめとする怪異歎は
勿論僕のいた小学校にもありました。
そして古墳という古代墓がその対象にならぬはずもなく、
こういう話が信じられていました。

「最も高い隆起の上で、三回まわると四次元にいける」

これ、僕も完全に信じていました。
なんせ友人どもと通りながら唆されても、
頑として拒否したくらいですから。
周りの同胞に話を振っても全員断ったことから
きっとみんな信じていたのだと思います。

古代の豪族が眠る墓、破壊して立てた家。
もし、ここで誰かが行方不明になる報が流れれば、
街中に散った同世代の小学校OBは
口を揃えてこう云うでしょう。

「ああ、やっぱり」と。
15日

旧友

時が経ち、敬老の日が巡ってくるたびに
僕はある友人の琴を思い出してしまう。
あれは小学校2年生の時だから、もう12年ほど昔の
敬老の日の思い出だ。

小学校低学年の当時、
僕は非常に限定的な友人しかいなかった。
理由は簡単で病弱のため、
そもそもクラスメートに認知されなかったのだ。
幸い幼稚園が一緒の子や家が近い子とは
仲がよかったが、人間関係はそれだけだった。

彼はその中の一人だった。
幼稚園の頃から一緒で、男子では一番近くに住んでる子。
彼の家はうちと違って規律が緩く、
殊にファミコンはいつ行っても新作があり、
僕らはよく楽しんでやっていた。
家はボロかったが車や家具は高級品であり、
父親は会社の幹部ということでよく家にいた。

小学校2年生の敬老の日。
僕は彼と「たけしの挑戦状」なるゲームをやっていた。
彼はいきなり「敬老の日〜」といって、
道行く爺様婆様を撲殺し始めた(そういうゲームなのだ)。
僕はゲラゲラ笑いつつ、なんてことする奴だと思った。

僕は2年後転校し、彼とは会わなくなった。
彼も後に引っ越したらしく、あの家は取り壊されていた。
彼はその後、ちゃくちゃくとゲームの腕を磨き、
ローカルながら若干知られる有名人になったようだ。
あの幼少期のゲーム環境を見ると頷ける。
そして僕は風の噂で彼の親が暴力団関係者だと知った。
別にそれだけでは珍しくない。
僕の友人にもそういう人は沢山いる。
貧困者の住む街にいれば、珍しい話ではない。
今では旧友に服役者がいてもおかしくない。

それでも真面目で素直で頭のよかった彼、
最後にあったのは成人式の時だった。
髪を伸ばした彼は、いきなり僕の腕をつかみ
「おお、やまちゃ〜ん。誰だかわかる〜」
と昔からは創造できない声色でいった。
上下ともレザーで固めた成人式らしくない衣装。
それでも、彼が彼であることには変わらなかった。

本日、敬老の日。
現実社会の彼は決して老人を襲わないだろう。
ゲーマーには珍しく、彼は本当の痛みを知っている。
友人の一人である僕の証言だ。
16日

東大生との変わりなきランチ

昨夜現東大生の旧友から電話があった。
明日、地元に帰省するので出張って来いという。
本来明日はレポートの清書日なのだが、
東大生に招集かけられては断る訳にはいかない。
万事捨て置いて、ひょこひょこ出頭することにした。

彼とは小学校時代の進学塾以来の付き合いで、
文芸部にも共に属した仲間である。
卒業後は年に数回あっては酒食を楽しんでいる。
どういう訳か暇になると声をかける瓢然居士である。
その性格は私とほぼ対照をなし、
その活動的な性格や交友活動、理論的な思考、
努力家ぶりに該博な知識などは到底かなわない。
僕とはあわなそうなのが、気があうのは何故だろう。

今日も半年ぶりの環境も何のその、
いつものようにデパートを巡り、飯を食い、
古本屋を冷やかして、延々6時間楽しんできた。
話題は大学・学問・恋愛・交友と幅広く
彼は東大という最高学府を究めながら、
非常に興味深い体験談を次々に披露してくれる。

僕はクラス男子で序列最下位の大学に入って以降、
すっかり零落してしまい、未来の展望もなく、
なんとなくその日を生きるのみの生ける屍と化している。
つまらない生活であるが、かつての栄光の残滓はある。
少なくともエリートたる彼らは昔のまま遇してくれる。
下らない大学、誰もが同情して止まない大学生活。

僕は自分の人生はとうに放棄している。
あとは旧友に会うこと、彼らの幸福な人生を見ること。
これ以外になんら楽しみはないと断言できる。
人生など所詮追憶の夢の中、
虚しい記憶に酔いしれる時、彼らは僕の前にいる。
未来ある人と接するのは我が人生最高級の出来事だ。

明後日より、また大学が始まる。

(追記;東大生の彼は今年でた「東大合格体験記」系の
    本に多数執筆している。
    幾つか並べて読んでみましょう!
    その文体に「こいつが山田の友達じゃ…?」
    と一発で解るはずです。)
17日

特許権紛争と海の水

ハーイ、こんちわー!
ストーンオーシャンのイントロが「明日があるなら」に
似ているとか不敬に思っちゃう人手ェあげて〜!

…………………………………

ま、まあいいでしょう。
昨日はあんまりにも暗すぎるFWに非難殺到だったため、
今日は明るい話をしましょうか。
先週の日曜に行った母校の文化祭の話です。

私は取りあえず母校の中学が、
勉学にかけては比較的優秀な学校だと信じていました。
私の同窓生に訊いても大抵はそう答えました。
仮にも私立ですから、あまりに酷い人はいないはずです。
ところが…学力不足の波は母校をも浸食しつつあり、
これは少々捨て置けないレベルの展示を発見しました。

場所は中学三年生の教室(同クラスの展示です)
展示内容は新聞の切抜きと生徒による寸評。
まあ無難な内容とはいえましょう(面白みはないけど)。
そこに二点、とんでもない展示を発見しました。

1つ目は発光ダイオードの特許権紛争についての記事。
評者であるところの男子生徒はこう寸評しました。
「ふたりとも大人なんだから、喧嘩しないで半分ずつ
 分ければいいと思いました。」
…なんという寛大な大岡裁き。
僕は此れを見た瞬間激しく脱力して、
法学の勉強を辞めようかとさえ思いました。

しかし上には上はいます、
女子の評者は漁船転覆漂流事件にこう評しました。
「海には水がたくさんあるから、
 喉が渇いたのなら飲めばいいのにと思いましたが
 よく考えるとしょっぱいので、
 飲むのは無理だと思いました」
こ、これが母校の中学3年生の意見。
おじさん(注)が中学生の頃はなあ、中学生の頃はなあ
「海が塩水であることぐらいは知ってたんだぞお!」

歳月無情。

(注)筆者は二十歳の大学3年生です。
18日

I LOVE MUSIC!

大学が始まったというのにちっとも気分が晴れない。
気分は沈鬱の底に沈み、そのくせ神経はささくれ立つ。
僕はメンタル系人間では(多分)ないので、
殊更に鬱病だとか自殺願望とかオーバーに語らないが
(気分がダルけりゃ鬱病なんて、そんな馬鹿な!)
こういう時に傍らに彼女がいればなあとは思う。
まあ云っても仕方がない。音楽を聴こう。

退屈な講義の時、音楽と人との接し方を考えてみた。
僕は5つほど、候補をあげることができた。

聞く/歌う/演奏する/踊る/作る

この5つのファクターを眺めてみると、
自分が如何に音楽に対して
「聞く」という一面的な態度でしか臨まないかが解る。
聞いてるだけなら40時間持つウォークマンが、
1週間で電源切れになることからも想像はつくだろう。
大学では講義か知人とくっちゃべる時以外は、
飽きもせずに音楽を聞いている。

ところが「歌う」となればからっきしダメ。
英語嫌いのくせに洋楽ポップス&ロックがメインで、
邦楽にせよR&Bなど、カラオケ不向きな曲が好き。
かくして大学入学以降10回は行ったが殆ど歌わない。

「演奏する」ってこれは何を? って感じ。
とにかく音符が読めないし手先が不器用だから全くダメ。
小学校のとき、あまりの音楽感性のなさに、
担任がマーチングバンドだろうが合唱団だろうが、
僕と相棒を抜いたのは有名な話である。
弦楽器だろうが鍵盤だろうが、全くダメである。

「踊る」、最後に踊ったのは小学校6年生の運動会。
曲目は当然、市民音頭。
僕は変なところで羞恥心が強いので、
ダンサーを見ているとこっちが恥ずかしくなります。
ストリートだろうが社交だろうがフォークだろうが
能だろうが、僕が踊ることは決してありません。
(小学校のとき、強制参加の盆踊り大会練習編で、
 一生分踊り尽かしちまったよ。)

「作る」、論外である。
大体五線譜も読めないし楽器の素養もない。
ましてや音楽センスなどとてもとても。

ところが、僕の高校友人連はこの5つ、
どれにでも当てはまる奴がいるんですね。
それも大学でのライフワークにしている奴らが。
そういう奴を見ていると、
僕はとても音楽が好きとはいえないなあと思いつつも、
聞いている「時間」だけなら負けないつもりです。
19日

車内漫談

以下に記すは夕方の山手線での会話です。
オタクっぽい二人組の大学生風で人相風体は以下の通り
甲:目つきの悪い全身ユニクロ男。声は甲高く煩い。
乙:例えれば熊のような感じの男。人はよさそうだ。

甲「よお、アメリカのテロやったの誰だか知ってっか〜」
乙「ラディンとか云うおっさんだろ?」
甲「い〜や、あいつは小物だぜ。真の黒幕は裏にいるんだ」
乙「なんだよ、電波くせえな。誰だよ」
甲「それは何を隠そうジャ*ーズ事務所だ!!」
乙「おいおい、なんでだよ」
甲「だってお前、この事件のせいで稲*メンバーの報道が
  完全に打ち止めになったじゃねーか」
乙「そんなことでビル爆破するかよ〜」
甲「あり得る、だからアメリカが匿う奴も容赦しね〜と
  云ったのは奴らのことを暗示しているわけだな」
乙「……………」
甲「しかも最近無節操なネットの世界じゃあ、
  ラディンは美男だとか言ってるそうじゃない」
乙「上祐ギャルの心理だろ?」
甲「であるからして、S*APの稲*メンバーの代役は
  ラディンに決定したな。頑張ってくれ」
乙「くだらねえなあ。で、事務所に米軍が核攻撃か?」
甲「そう、日本に数千万規模でいるとみられる
  S*AP原理主義者はこれを以て総テロリストとなる
  武道館チケットを御守に自爆テロ多数。
  これは怖いぜ。神風の国のテロリストだからなあ」
乙「おいおい、お前HPにそんなこと書いてなかった?
  もうちょっと大人になろうぜ。就職できないよ」
甲「うっ…ま、まあいいじゃないか。
  あ、秋葉原だ。じゃ、俺ここで降りるから。
  バイビー、アディオス、チャオ〜」

まったく老若男女問わず睨みつける視線に気づかずに
この甲という男は何しにいったんだか?
就職氷河期の中、是非とも頑張ってほしい。
20日

美才節が始まるよ!

私がこれを書いているのは9月20日の23時です。
あと1時間、あと1時間が過ぎれば何かが始まります。一体何がはじまるんでしょうか?

そうです、美才節です!

なんじゃそりゃ、とお思いの方は
どうか当村の祝日条例を御覧下さいませ。
「美しくて天才」な村長、
つまりは僕の誕生日をお祝いする日でございます。
ちなみに私はあと1時間で21歳になるわけです。
他人から祝われたり、自ら喜ぶ年でもありませんが、
やはり当人としては感慨深いものがあります。
さらば、二十歳の僕。

ところで世の中には誕生花なるものがあるようですが、
これほどいい加減なものはありません。
と、いうのも調べた所によると5つも出てきたのです。

1.イヌサフラン(いぬふぐり)
2.カンナ
3.クズ
4.蛇の目菊
5.女郎花

どうも1が通説らしいのですが、この花言葉が凄い。
「飾らない美しさ」
「裸のあなた」
「悔いなき青春」
3つもあるんですね〜、しかし裸のってなんだよ。
笑うに笑えないお話でございます。

ちなみに美才節期間中、
当村では祝辞祝電を受け付けております。
掲示板かメールで御連絡いただくと、
僕としては深く感謝しちゃったりします。
(こんなこと書くと助役から怒られるんだろうなあ)
21日

HAPPY BIRTHDAY!

ハーイ、エヴリバーディー!
こんにちは〜、本日21歳になった山田です。
いや、皆様に誕生日を祝われまして、感激でございます。
現実世界じゃ殆ど祝われませんしね。
大学の連中なんて全然祝ってくれないし〜
(それ以前に期待なんてしてないもんねえ)
何らかの形で祝辞を戴いた方には
ささやかながら左にリンクを設定しました。
どうもありがとうございました。感激であります!

と、いう訳で今日のFWは今日誕生日の方々紹介です。
これらの人々はみんな、9月21日に生まれ、
9月21日になるたびに祝われたんですね〜
それではいきます。HERE WE GO!

フリードリヒ3世   (神聖ローマ帝國皇帝 1415年)
H.G.ウエルズ    (小説家 1866年)
ギュスターブ・ホルスト(作曲家 1874年)
樫山純三       (オンワード創業者 1901年)
正田英三郎 (日清製粉会長/美智子皇后父 1903年)
スティーブン・キング (小説家 1947年)
松田優作        (俳優 1949年)
安部晋三        (政治家 1954年)

こんなところでしょうか、
もちろん他にも一杯いるんですが
僕が知っている人物はこのくらいでした。
(芸能人関係は殆どわからない)

さて、では目線を下ろして僕と全く同じ誕生日の有名人。
即ち1980年9月21日生まれの人、二人いました。
ジャジャーンと大公開です。

田中瑞季 (野球選手;ダイエーホークス、1980年)
上原めぐみ(AV女優 1980年)

おお、僕と同じ日に生まれたもの。
僕と同じ日に誕生日を祝われ、同じ齢を重ねてきたもの。
一人は野球選手に、一人はAV女優に、
そして僕はしがない大学生としてここにいます。
決めました! 僕はここでこの両名を勝手に応援します。
(尤も二人とも今の今まで全く知りませんでしたが…)

ところで今日は何の記念日だか知ってます?
いや、美才節以外に。
ええと、物の本には…
「宮沢賢治忌」(つまりは命日ですね)と
「ファッションショーの日」と
「アルツハイマーの日」とあります。
なんだよ、アルツハイマーの日って。

僕は今日もファッショナブルに生きていきます…
22日

謝辞

はい、こんにちは。
昨日と一昨日と誕生日ネタでこのFWを書きましたが、
今日はその謝辞につきます。
明日から普通のネタに戻りますので、
皆様これからもよろしくお願いいたしますね〜。
(一般のエッセイをお望みの方は今日10コマほど
 新規施設を用意しております)

さて、たくさんの方々の祝辞、ありがとうございました。
半ば強引な反則技まで行使しての行動でありましたが、
掲示板、チャット、メールなどを用いましての御祝賀、
わたくし決して忘れません。

ムーランルージュ☆ 様
宇治様
もか様
伝説様
蛍様
ぷれいぼ〜い様
yuki様
塾長様
KUMO様
HAPPY ISLAND様
太公望様
のりをメン様
いっこう様
BIN様
雅やん様
みけ様

誠にありがとうございました。
このサイトがある限り、皆さんのご恩は忘れません。
特に昨日、CHATに来ていただいた
「yukiくん」「いっこうさん」「のりをメンさん」
「久保くん」「太公望さん」「ぷれいぼ〜いくん」
どうもありがとう!

皆様に囲まれて、僕はいるんだなあ〜と再確認しました。
無数のサイトの中から目をかけてくださった皆様、
本当にありがとう、
そしてこれからもよろしくお願いします!
23日

DOG−EAT−DOG

まずは一曲。神田川って曲だったかな〜 どうぞ!

♪あなたは〜 もおお〜 わすれたかしら〜
 こおそくで〜じょしちゅうせい〜なげすてられた〜

そう! テロ事件ですっかり報道が消えたもの。
稲垣メンバーの事件(オマワリ跳ねて起訴猶予?)と
双璧をなすのが中国自動車道中学生投捨事件ですね。
この事件は発生当時から云いたいことがあったんですが
ようやく今日になっていうことが出来ます。

僕に言わせりゃあこの事件は
DOG−EAT−DOGなんだよね。
犬が犬を食らうって英諺で、どっちもどっちという意味
「セクハラ教師」という仇名つけられて、
頭がショートして学校を休職していた手錠ロリ教師も、
若干1年生にしてテレクラの妙味を知っている中坊も、
まあどちらも大した人間じゃないですね。
犬が犬を食って、食った犬は捕らえられて、
社会的には頭を吹っ飛ばされたも同じ。
それが何? だから何?
中坊の悲しいところ、淫売のリスクに気がついていない。
(厳密にはテレクラ利用者が淫売であるとは限らない
 ただ純粋恋愛に使われた黎明期とは異なり、
 今やセックスを主眼に利用されていることは分明で
 世間的にはそう思われてなんら問題ない)

犬が犬を食っただけの馬鹿馬鹿しい事件。
それでも僕の心には幾つかひっかかったことがあった。

被害者なのに実名と写真付で天下にさらされた
テレクラに電話をかけた少女

この事件に限った話ではないが
ああいうことするのが真面目な子?

加害者だから借りたビデオの種類まで世間に公開された
職業倫理に薄いビデオ店員。

しばらくこの出来事について書いてみたい。
24日

ビデオ屋店員に守秘義務はないが

今回の中国自動車道の教師の話ってのは
事件としては表面上は素人目にも解りやすい犯罪だよね。
捜査当局者やマスコミが表層見て判断しちゃマズいけど
みんなこの事件見て予測した構図は

1.ロリコン趣味のある、性格的に不適格な教師がいる
2.彼はその持ち前の性格から徹底的に嫌われる
3.結局精神ぶっ壊して休職する
4.妄想を膨らまし、性的欲求からテレクラにいく
5.なんと自分がいじめられたのと同い年の中坊がいる
6.今までの生徒を思い出して激昂し、キレちゃう

こんなところだろう。
実際教師になるためのシステムが
真面目系を欲するように出来ている以上、
こういう手合は非常に多い。
教職の都合上、思想検査が出来ないので、
こういう教師の出現を事前に阻止するのは不可能だろう。

事件そのものは甚だ解りやすい。
だが、問題なのはビデオ屋の店員である。
事件後、犯人が愛用したビデオ屋の店員は
マスコミに向けて彼が借りたビデオを公開した。

これ? 職業倫理的にやっていいんですかね?
いや別に刑法犯にはなりませんよ。
公務員や医者や弁護士が秘密を漏らしたら犯罪ですがね。
銀行員やNTT職員が明かしても罪になると思った。
ビデオ屋はいいんですかね?
犯罪者なら明かしていいというものではないでしょう。
令状持った警察に提供するならまだしも
マスコミ相手に大開陳、やってはいけないでしょう。

僕はいわゆるAVは店から借りたことがないんですよ。
だから個人的には大丈夫なんですがね。
しかしこの論法で行けば一旦容疑者になったら、
借りたビデオで犯罪因子があると
世間に思わせられることは出来ますよね。

例えば色々問題になってるホラーやスプラッター。
クライムムービーやハードアクション。
任侠物からミリタリーまで持っていれば糾弾できる。
恋愛物だって少年少女の奴や不倫モノならば
事件によっては弾劾できる。

僕はハードアクションばかり見ているので、
「彼はそういう資質があり」とか書かれるでしょうね。
事件を起こさなくても、容疑者になれば。

AVなんか誰だって見る、
人によってはロリコンものもSMも、
いわゆる変態世界で前ニ者は
かなりメジャーな地位を占めている。

今回の容疑者は揺れる点などないようだが
その趣味を犯罪者と同一視して為すよう
世論を喚起することに関しては僕は反対だ。

すべての記録が残ってしまう以上、
ビデオ屋が簡単にマスコミに情報を公開してしまうのでは
普通のビデオだとしても借りるのに勇気が必要となる。
25日

親友から届いた手紙

今日は大佐に届いたお便りを皆さんに紹介します。
私信不可侵の原則がありますから大意だけ述べますが、
こういう封書が山田家の郵便ポストに届けられたのです。

・大佐よ、元気か? こちらは冷や冷やしながら生きている
・ここではネットが出来ないので村の様子はわからない
・いつぞやの「ろじぱら」津波は今でも続いているだろう
・あ、頼まれたFW傑作選案はつくっておいた。
・10月のはじめには免許と共に帰還する予定

そうです!
今は北方へ合宿免許を取りに行っている
我が「にゃごろう村」共同管理人助役である、
バラ職人先輩(彼は僕より一級上)からの手紙です。
やれ嬉しいな、二十日ばかり寂しかったのおと
殊に最近思っていたので、この帰還報告は嬉しい限り、
早く逢いたいな〜とか思っています。

しかし!
困ったな〜、助役はまだ「ろじぱら津波」が
当村を席巻していると信じているらしいんだな。
当日は1200人こその来村者がいたけれど、
現在は昨日ついに50人を切り、
いつもの20〜30人規模に近日戻りそうな予感。
これを知ったら助役は哀しむだろうなと
村長はかなり胸を痛めております。
僕の非力がすべての原因なんですが。

ともあれ助役は1週間後には戻ってくるものと思われます。
僕としては親友の帰りをただただ待ち望むのみ。
助役がいなくなって、初めて彼の偉大さが解った気がします。
ま、こんな殊勝なことを云っても1週間も経てば
チャットルームで元気に罵りあう姿が見られるでしょうが、
僕は心の底より彼を尊敬し、信頼していることを
今日ここに改めて宣言します。
26日

見えざるアジテーター

一体普段はどこにいるのか
知れない奴というのが大学にはいる。
すなわち「4月1月組」と呼ばれる奴らで、
学年はじめの4月と試験の1月にくる奴らである。
この時になるとキャンパスは大混雑に陥り、
(我が大学はキャンパスの密度の濃さと
 教授一人当たりの学生数は全国でもトップクラス)
教場では普段見なかった人たちに逢うことが出来る。

例えば筋骨隆々の運動部員、例えばガングロギャル、
これらは普段の講義ではまず見ることがない。
試験のときに現れて「へえ、うちの学部にもいたんだ〜」
と僕らに思わせるだけである。
こういうのがいるから我が大学の1/3は留年するのだ。

さていつもはどこにいるか解らないが、
確実に生息しているもの…我が大学は「学生運動」が
冷戦も終った21世紀の今日に至るまで健在である。
彼らの日常業務はポスターを貼りまくることと、
教場の机にアジ文書をばら撒くこと
独特のフォントの立て看板を貼りだすことくらいである。

特殊業務としては入学式でのオルグ活動と
また学園祭を「正当に」ジャックして
(自治会選挙なんていつやってるんだ。委員長って誰よ?)
学園祭を開店休日状態にするということもする。
なんせ当日は夏休みより人はいなく学食さえ閉まる始末。

ともかくそのいつもは何をしているか解らない、
斜陽の学生運動闘士諸君がいきなり街宣活動に出た。
今日の昼休み、いつもは裏門の立て看板が
いつのまにやら中庭に出ている。
「米帝の報復に名を借りた帝国主義的侵略を阻止」
云々と書かれた看板をひっさげて、
特設スピーカーから演説をしているものがある。

まあ、それは別段喚かせとけばいいのだが、
僕が奇異に思ったのは立て看板の周りに闘士がいて
彼らは出てきた学校当局者らしき人と言い争っている。
演説はひっきりなしに続いている。演説者はどこよ?
僕は特設スピーカーのある2階の通路に上って
はじめて演説者を発見した。

彼は壁の陰になるようにしゃがみこんで、
壁に向かい、マイクにむかって原稿を読んでいた。
色々左右を問わず演説というものはあるものだが、
学生運動の合法闘争レベルで演説者が現場にいながら
顔も出さずに叫んでいるなんて聞いたこともない。

これで一般学生が立ち上がると思ってんのかね?
だってうちの馬鹿大学、全員享楽主義者であって。
彼らがストイックない思想に目覚めるなんてこと、
まあまずありえないことだと思うね。
(僕? 僕はただの愛国者だよ)
27日

闘う外交官

いや〜、アメリカのテロ事件以降、
国籍・派遣先を問わず外交官たちは大忙しの日々を
過ごしていらっしゃるのでしょうねえ〜
まあ、お仕事とはいえご苦労な限りです。

さて、こういう殊勝なイントロからぶっ飛んで、
今日はワルな若人たちの車の話をします。
暴走族なのか、単なる遊び人なのか、知りませんが、
悪そうな車ってありますよね〜。
最近は外国の霊柩車みたいなワゴンが流行ってますね。
共通点は大抵黒塗りで窓からベース音鳴り響かせてるの。
僕はこれをリズム族とか呼んでますが、
曲はR&BやHIP−HOPなどのブラックが中心。
道を歩いているとドップラー効果の確認が出来ます。
あんな密閉された所でガンガンかけて
彼らの鼓膜は大丈夫かと思うんですが、
ハンドルを握る異型の格好のにーちゃんねーちゃんは
ちっとも意に介したような心持もありません。
「YOYO HEYHEY YOHEYHEY」
と人を小ばかにしたような曲が聞こえてきます。

未だにリーゼント頭のボンタンが
「初代狂*会特攻隊長 ****推参」とかいう
旗を立てて喚いている我が千葉の田舎でも、
ピンクのキャデラックが恥ずかしげもなく走る
渋谷近郊の我が大学でもリズム族はいます。

今日も日本有数の高級中Tら口にある我が大学の
これまた有名な大通りで、僕はリズム族を見ました。
いつものそれと違うのは、車が普通のものであった点。
中に乗っているのが東南アジア風の若者だった点。
そしてナンバーが青地に白で「外2」とあった点。

おい、これって外交官用の車じゃない。
ってことはカジュアルな服で決めてる
頭の悪そうなガキどもが外交官? まさか!
彼らはおそらく英語の曲をガンガンに掛けながら、
渋滞の中をのろのろ走ってました。
お互い肩を叩き合い、ふざけあっているようでした。

まさか外交官用の車を盗むなんて
馬鹿なことはやるまいと思うから、
やっぱ彼らは関係者なんだろうな〜、大使のご子息?
ともあれ特に女性の皆さん気をつけましょう。
国際法で外交関係者には警察権は及ばないのです。
彼らの車に連れ込まれたら、
米軍兵にレイプされるより悲惨です。
絶対に犯人は日本の法廷に出ませんから。

昔、アフリカの外交官の子息がレイプやって
被害届出されたら外交特権で本国に逃げちゃったって
話があるでしょ?
彼らを見て、僕はそんなことを思いました。
28日

自称

ハ〜イ、こんちは〜。
今更ですが僕は山田大佐です。
そう、「僕」は山田大佐なんです。
「俺」でも「私」でも「ミー」でも「自分」でもなく
「僕」が山田大佐なんです。

自分を指し示す時、何を使うかというのは人それぞれで、
僕は原則、「僕」を採用しています。
このサイトでも原則「僕」、メールでもそうですね。
基本的に普段の生活では「僕」を使っています。
文芸では「僕」であり「ぼく」「ボク」ではありません。
緊密な仲間はこれを除きますが私生活では「僕」です。

「俺」は実世界ではしばしば使います。
主に高校の仲間内や部活関係など緊密な相手に使います。
まあ、あんまり大学では使いませんね。
大学のライフサイクルは実生活とは認めがたいので。
大学の校風から品位は全く要求されませんが
それでもなお、僕は「俺」とはあまり云いませんね。

「私」は目上及び発表などの公式の席で使っています。
読みは勿論「わたし」です。「わたくし」ではないです。
小学校の頃から公式の席ではこれです。
だからよく「お前は女か」といわれました。
生徒からは勿論、時の教師までそう云ったから酷いもんです。
現在は目上と接する機会そのものがないので、
まったくといっていいほど使いません。
最近使ったのは社会教育実習の市役職員相手でしょうか。

これ以外は現在まったく使いませんね。
比率に直せば僕:俺:私=5:3:2くらい。
かつては絶頂期である高校時代は一時「余」を使い、
(大学で「よ」とか云っても絶対に通じないだろう)
年賀状では「小生」を使ったこともあるけど、
口頭では用いません。
いわんや「自分」「山田」「**(本名)」など、
使ったことはないはずです。
29日

地球に帰ってきたぜ!

子供の頃、年に何度か母親に連れられて東京見物をした。
今では毎日あの頃と同じ電車で通っているわけで、
東京見物が旅行といわれてもピンと来ないが、
出不精の子供の身では2時間も電車に揺られると、
これはもう立派な旅行であった。
(事実大学の友人を家に連れて行くとみなそういう)

分不相応な他所行きの服を着て、東京の街を歩き回る。
母の知るプレイタウンは殆どが上野で、
動物園、不忍池、博物館、美術館、アメ横、演芸場、
いろいろ地元にはない施設を、一日中歩き回った。
そんなようだからすっかり疲れ切ってしまい、
帰りはラッシュで、座り寝してしまうこともあった。
電車は大抵僕の降りる2つ前の駅でガラガラになる。
夢うつつの中で座席にもたれかかり、
地元駅の夜景を見たときは本当に嬉しかった。
未知の世界から既知の世界への帰還。
あの光景が意味するものは今もなお心に息づき、
今でもあの景色を見るとほっとする。

こういう心に残る原風景というのはあるもので、
高校卒業2年後、神奈川に住む同窓生を誘って、
高校のある地元駅で降りたことがあった。
彼は2年ぶりの駅前の風景を見て一言、
「地球に帰ってきたぜ」と云った。
云いえて妙じゃないかと僕は思った。
故郷、思い出の封じられた場所への再会、帰還。

昨日、助役が二十日ぶりに米沢から帰ってきた。
合宿免許を規定どおりに終らせて戻ってきたのだ。
故郷の街に立った彼がはじめて何を思ったのかは
未だ僕の知るところではないが、
ある種の郷愁に似た感慨を感じてくれれば
郷土原理主義者の僕としては嬉しい。

「地球に帰ってきたぜ!」
30日

大学株式とバブル

大学は株式と同じ、とは高校の友人の言葉だ。
勿論偏差値が株価に相当する。
高いところほど優良なところで世間浸透度も強い、
学問だろうと運動だろうと優秀な成果をあげれば
株価は跳ね上がり、不祥事を起こすとジリ貧に下がる。
勿論株価は大学の校風やキャンパスイメージにも依り、
素敵な大学は株主が引きもきらない状態となる。

最近、我が大学に関して目の痛くなる事実を2つ見た。
ひとつは大学ランキング、もうひとつは某週刊誌。
大学ランキングで母校が乗っていたのは
記憶にある限り2つだけだ。
即ち人口密度と教授一人当たりの学生数だ。
勿論、両方とも「高い・多い」方で
全国屈指だと認定されてしまったのだ。

それを補強する記事は週刊誌の方にあった。
「「****」と呼ばれる大学群は
 80年代の都会ブームに便乗して地方から学生を集め
 1つの教場に大多数の学生を集めて、
 進歩ない講義を繰り返している。
 偏差値だけは立地条件だけで上がり続けたが、
 不景気と少子化で偏差値は適性数値に戻りつつある。」
そういう趣旨のことが書いてあった。

これですべて合点が云った。
何故4月1月はあそこまで混むのか。
何故1つの教場に数百人規模で登録があるのか。
何故土曜にも必修講義があるのか。
みせかけの学生数、みせかけの偏差値。
あれはすべて流行バブルだったのだ。

僕が入学してから2年半。
偏差値はすでに6ポイントも落ちている。
致命傷を食らうのも時間問題だろう。
とんだ株に身売りしたものだが破綻せぬだけましだろう。
短大や専門では破綻したところも少なくない。




・中央広場管理事務所に戻る前月翌月

・官庁街・繁華街・学生街・文化街・住宅街