聖マヤ記念病院
風邪 |
僕と風邪との起承転結
俗説によると馬鹿は風邪をひかないものらしい。
幸か不幸か、僕は風邪は人並みにひく。まあだからといって風邪を引くゆえ馬鹿に非ずかといえば無論そんなことはないんだけどね(この論理展開でつまづく人は大学で論理学を学ぼう)。
ところで人並みとはどういうことかというと具体的には年に3回位である。
まず冬から春になるときに油断して薄着をかましてかかる風邪、逆に秋口に夏の格好のまま過ごしてかかる風邪、そして真冬に一回。大体皆さんもこんなものでしょ? 町医者も激戦後の野戦病院のようにこの頃はやたらと忙しくなる。
風邪のかかり始めは必ず朝目覚めたときに解るもので経験のある人も多々いるとは思うけど、早朝に不意に目が覚めたら喉に異物感がする。「なんだろう」と意識したらもう最後、異物感は激痛に変わりもう眠れもしなければ食事もできない。咳をしようものならあまりの痛みに飛び上がり、常に濡れたような不快感に取りつかれ、それから数時間はきっちり苦しまなければならないという地獄絵図。
経験からいえば、大体2時間も悪戦苦闘していると黄色い固形に近い痰が出て、以後は痛みは急にひいていくもののようだ。昔、医学部言ってる友人に聞いた所、「痰は痛みの原因であるバイキンとそれと戦う体の抵抗体の死骸の塊と考えればいい」と教わった。
そう考えればあれだけ死骸を出すということは大規模戦闘は既に終わっている証拠で、なるほど痛みが引くのも頷ける。
喉の痛みの次は鼻水と咳で、これは大したことない。ただどういうわけか昔から僕にはちり紙を持ち歩く習慣がなく授業中は鼻をグズグズいわせて、チャイムと同時にトイレに駆け込んだものだった。冬になると男子トイレの大便器はこれまた繁盛する。
治療法は人によって千差万別だが、僕の場合とっとと医者に行って抗生物質貰ったらそれを飲んでとにかく寝る。健康より大事なものはそうそうないので学校だろうが何だろうがとにかく休む。殊,学生時代というのは試験でもない限り休んで致命傷を受けることはない。
そして貰った弾丸(薬)は残敵掃討の意味を込めて治りかけても服用する。これを怠ると抵抗力をつけたウイルスの逆襲を受ける。薬が切れるころはもう風邪は大丈夫な筈である。
風邪のウイルスはコンビニみたいに24時間年中無休。常に警戒を怠る事なく「万病の素」の侵入から可愛い我が身を防衛する為にも、まあ、頑張りましょ。
追記 これを書いた翌日に筆者は風邪を引いてダウン。
まったく説得力が無い。 ▲
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扁桃炎 |
僕の闘病記
扁桃炎というのは本来は細菌の体内侵入を阻む機関である扁桃腺が逆に細菌の巣窟になり、体に害悪を与える病気である。症例は簡単に云って風邪の酷いもの、と考えてくれればいい。体温は40度まで余裕に上がり、幼子の身では立つこともできなくなる。喉の痛みは想像にあまりある。
3日から1週間くらいはそんな状態が続き、当然ながら一切の活動は不能だ。厄介なのはこれが月に一度起こるという点で、小学校一年生の頃など月に一度必ず熱を出してぶっ倒れ、多分2/3くらいしか学校に行かなかっただろう。
治療法は簡単といえば簡単で「摘出する」すなわち扁桃腺を取ってしまえばいいのだ。
先ほど扁桃腺は細菌の体内侵入を阻む物と云ったが、別になくても全然困らないのだ。風邪を引きやすいとかそういうことも(自覚症状としては)ない。むしろ月に一度の40度から解放されるわけで結構なことこの上ない。
摘出手術以降、僕は一度も40度を超す熱に見回れたこともない。どんなに体が悪くなっていても一日中立てなくなるような目にもあっていない。
扁桃炎自体は即命を脅かす病気ではなく、手術には一定の体力が必要ということから小学校に上がるまで手術は延期されていたが、この手術というのも 簡単な部類に属するはずが僕の周りでは大騒ぎ。
何にも知らない担任などは僕が今日明日にも死ぬ病気と思っているらしく、それまでの贖罪(よく殴られていた)のつもりか、毎日のようにやってきた。学校までは遠かったので見舞いに来た人はいなかったが(小学校一年で休みがちだったから級友からあまり認知されてなかったろうな)、担任が強制的に書かせた寄せ書き帳や任意の手紙(今も持っているが女子がほぼ全員書いているのに、男子からは二通しかない)はたくさん来た。
入院生活は二週間くらいで終わった。
学校復帰の日、級友が校門で僕を迎えに来てくれたときは心底嬉しかったね。
かくして今では健康そのものです。 ▲
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肺炎 |
メメント・モリ
級友の死には、一度も立ちあったことがない。
と、いって小学校時代の級友は(特に転校前の学校の連中は)もう何年も音信がないので或いは一人くらい死んでいるのかも知れないけど、少なくともリアルタイムで同級生が死んだ、と言うことはない。
これは珍しいことだと気がついたのは、大学に入ってからのことだった。
と、いうのも大学の友人は大抵一人はクラスメートが死んでいるというのだ。学校規模でも死んだ奴がいない僕には驚天動地の話だった。
その死に様も、一番多いのは交通事故。バイクだ。それもパトカーと追跡戦をやらかして電車に轢かれたという奴もいるらしい。続いて病死。自殺なんてのも結構ある。僕の知ってる限りでは2件あった。うち一件は僕の親類のいっている高校でである。
まあ死亡率からいっても、今までそういう手合いを一人も拝まなかったというのは珍しいことかもしれない。いいことには違いないが。
さて、そういう僕だがよくよく思い出してみると一人だけ、死んだような人がいたことを思い出す。
小学校四年のことだ。
僕はその時転校したのだが、偶然にも前の家に住んでいた一個下の子供が、やはり同じ学校に転校してきたのだ。そして彼から元の学校で、彼と同学年の女子が死んだと聞かされた。
名前はちっとも聞き覚えがなかった。けれどもその名前だけは、妙に記憶に残っている。母に話したら「早死にしそうな 名前だね」と云われた。別に母は姓名判断の趣味があるわけではない。まあ、確かに早死にしそうな名前ではあった。
彼にその子の話を聞いてみた。クラスが違うので詳しくは知らなかったが、とにかく健康的な子で、とても死ぬとは思えなかったという。後に聞いた前後情報でも似た言質がとれた(調べていたわけではない。暇な田舎の子供にとっては大事件なのだ)。
健康体でもすぐに逝ってしまう。自分にもいつふりかかってくるか解らない。
死が、他ならぬ自分をも突然襲うかも知れない。そんな恐怖を植え付けた病は今までくぐってきた病気や近所の人々を倒した病気の数々ではなく、彼女の死因、肺炎だった。 ▲
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盲腸 |
僕は死にたくない
盲腸、いやな病気だねえ。
何がいやだといって僕はあらゆる痛みの中で腹痛はヒョウソウについで弱いのよヒョウソウなんて滅多になるものでもないから、やっぱり怖いのは腹痛だね。中高とまったく訳もなく腹痛を起こして便所篭城生活を強いられて以来、腹痛は怖い。
特に食べ過ぎた夜中など、腹の痛みで目がさめて慌てて便所に駆け込んで、出るもの出なかった苦しみなど筆舌に尽くしがたい。また外出した折りに突然痛み出し、トイレを探して未知の街をさまようなど地獄である。
斯様に僕は腹痛を恐れる。その親玉というべき盲腸は心の底から僕は恐れる。
齢二十歳を越える年になると、周りからも盲腸体験者がぼちぼち出始める。聞くと皆々「死ぬほど痛い」と体験者の余裕で痛みを得意げに話してくれる。なんとなく非処女が処女に猥談かましている構図のようだが、実際盲腸は基本的に生涯一度だし、痛みという点も似ている。ただまったく盲腸には達成感や開放感がないのだが。
僕は母親が盲腸で七転八倒しているところを見たことがあるが、あの痛みや苦しみを表に出さない気丈な母が声を押し殺して耐えているところなぞ、全く二重の意味で痛々しい。そんな死をも願う激痛、119番をかけるために電話まで歩けないほどの激痛。
こんなのが僕を襲ったら僕の痛覚神経はたちまちショートして死んでしまうだろう。僕は痛みに甚だしく弱い。みな痛みには弱いと思うが、僕は特に弱い。色々聞く度に盲腸だけにはならずに人生を終えたいと思うね。
医療モノのドラマなんて見ると、開腹手術のときに「ついでに盲腸を取って下さい」なんて軽口叩くシーンがあるが、もし僕がそういうメにあったら切に頼みたいね。
僕の母は深夜にとある大規模な救急病院に行った。そしたら当直医はなんと精神科の専門医で母を「軽い食あたりです」と診断し、家に帰らせてしまった。母は一晩中苦しみ、翌朝緊急入院した。腹膜炎寸前まで行っていたらしい。
いうまでもないが、盲腸はほおっておくと死ぬのである。
僕はこういうのを見ていると、断固として盲腸にはなりたくないと思う。 ▲
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下痢 |
車にひかれて・・・
中学校一年生の頃、車に跳ね飛ばされたことがある。
幸いぶつかったのは僕ではなく僕の自転車の前輪だったが、その衝撃で自転車ごと吹っ飛ばされ地面にたたきつけられた。車はそのまま走り去った。何のことはない、轢き逃げである。
僕とすれば自転車はぶっ壊されるし、幸い頭を打つようなことはなかったが、Yシャツの袖は破れるし散々な目にあった。家にかえっちまおうかと思ったが、事故にあったのは学校までは歩いて15分程度の所だったので学校に行くことにした。
大破した自転車を押して道を進む。
何故か腹部が冷たく痛んだ。おや? という感じである。突然湿布を貼られたような感じ、腹部全体に広がっていった。腹部がしくしく痛み出したのは校門に入りすぐである。
ここからが大変だった。突如襲ってくる腹痛、歩くのもつらい状態になってきた。校門から学校までたっぷり10分はかかっただろう。
腹痛を言葉で表すのは困難だが、とにかく必死の思いで下駄箱には寄らず、直接保健室まで歩みを進めた。段々腹部の痛みは冷汗や目眩を生み、ついには一歩も歩けなくなり、廊下にへたりこんでしまった。
僕はこの時ほど学校の生徒を非人情に思ったことはない。こっちは腕から血を流し、腹を押さえてうずくまっているのである。声をかけるなり、すぐ脇の保健室に一声かけてもいいじゃないかと思った。棟が違うので僕の級友は一人もこの廊下を通らないのだ。
幸い非常勤の先生が僕を発見してくれ、肩を貸して貰ってトイレまで運んでくれた上、保健室に手配をしてくれた。
さてこの後だが、ぼくはこのようなひどい下痢に見回れたことはなかった。今では笑い話だがトイレの中で死を覚悟したくらいだ。腹部を強打した覚えはないのだが、保健の先生によると「神経性のものだろう」と云われた。
終日、保健室向かいの職員トイレを利用し、結局午後に母を呼んで早退した。猛烈なる下痢はその翌日まで続き、僕はすっかり人事不省となった。母は車にひかれた息子を当日と翌日は気味が悪いくらい丁寧に看病してくれたが、学校に行ける頃になると、「自転車とYシャツどうしてくれんのよ!」としたたか僕をひっぱたいた。
さすがに腹はぶたれなかったが。 ▲
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性病 |
とりあわせ
まあ、幸いにもこの年になるまで性病には御縁のない人生を送ってこれた。アソビ人系の仲間のうちには「友人でかかった奴いるんだよー」とかいう風聞もあるが、僕の直接知っている友人たちは誰も彼も超級なオクテ(ただし、硬骨漢ではなくて単なるムッツリスケベ)であるため僕は寡聞にして性病患者またはそのOBにあったことがない。
ああそうだ。かかったかもしれないという女の子とは随分昔に話したことがあった。このページ、見てる?(見てるわけないよな…)
結局陰性だったようで喜ばしい限りだ。奔放な生活は性病ならともかく「エイズ」にかかる率も高いわけでね。気をつけて!
さて、そういうわけで性病については無知である。そりゃ「ゴムをつければ防ぐ率が上がる」とか「不特定多数との性交は防ぐ」とかいう保健の授業のようなことならば知っているけどね、そんなことを話しても面白くない。
それでは僕はさる面白い街の話をしよう。
僕は毎日電車通学をしているのであるが、毎日車窓から見えるとある施設の取り合わせが最高に面白いのだ。
その街はマイナーながらジャンクションで知られる駅を有している。この街は典型的な下町で、なにが名物といってデートクラブとラブホテルが林立していることで知られている。
深夜までネオンは不夜城の如く煌々とともり、その電飾はまったく明るいはずなのに、見ている僕を妙に物寂しくさせる。
さて、その中でもひときわ大きい駅前のラブホテル。電車に乗ってるカップルにアピールしているのか、高架線の高さに堂々とホテルの名前が点滅している。問題はその隣にある施設だ。
馬鹿でかく、そこには「産婦人科」と書いてあるのだ。
僕は初めこれを見たとき、笑いをこらえるのに苦労した。
ラブホテル街に産婦人科。あんまりといえばあんまりな組み合わせである。
これなら性病にかかっても妊娠させはぐっても安心だ。もっともすぐに自覚症状があるのかないのかといえば、僕は知らないが、多分ないんだろうなあ。性病もちであることを事後にコクられたらこりゃ修羅場になるわけで、あまりそういう産婦人科には近づきたくないと、僕なんかは思う。 ▲
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打撲 |
ふたつの打撲
それは小学校2年生の運動会の練習中、転んだ、と思ったら痛みが止まらなくなった。
打撲である。お陰でその年の運動会には出られなくなった。
娯楽の乏しい小学生の当時、運動会という晴れの舞台を奪われた少年の悲哀、解っていただけるだろうか。しかも当日から毎日学校の近所の病院まで痛む足を引きずって歩かねばならぬつらさ。もちろん寄道禁止な小学生なのでわざわざ2倍以上の時間をかけた遠回りにつきあってくれる友人もいなかった(今ではとても信じられないことだが、当時は補導員がコンビニや本屋に常駐していたのだ)
まったく気が滅入ってしまう。
しかしまあ、悪いことだけではなかった。1週間後に、病院で「サトミちゃん」に逢ったのである。彼女は近所の貸家に住む2つ上の女の子で病弱なのかいつも家の中にいる女の子だった。その弟と僕はよく遊んでいたので、彼女のことは知っていたが、そう口をきいたりはしなかった。
知らなかったが、彼女も毎日その病院に通っているらしく、一緒に帰る相手が出来て本当に嬉しかった。相手もそうだったらしくその日以後、毎日一緒に帰った。小学生のことだから話題もたわいない物が多く、二人ともあまり小遣いのもらえない家庭にいたので、近所のことや学校でのことを、毎日1時間しゃべり続けた。
運動会が終わり、ギブスは取られ、僕の怪我は日増しによくなっていった。対して彼女はそれが何の病気かは知らなかったが、通院は続くようだった。
通院最後の日、病院の前で彼女は一人の女の子を見ていた。
その子は近所の私立小学校の制服を着た女の子で僕らが揃ってその病院へ歩いているときよく見かけた女の子だった。偶然、時間が合ったのだろうが、サトミちゃんがいつも彼女の制服を見ていたことは僕も感づいていた。
彼女はその子を目で追いながら「可愛い服よね」と云った。
そして、ここはくっきり思い出せるのだが、「あたしが着ても似合うかなあ」とかつてない真顔で訊いた。
僕は「全然」と云った。なんでそんな馬鹿なことを云ったかは未だに解らない。多分、子供の強がりだったのだろう。それでも何故か、セーラー服に憧れていたであろう彼女がそういう答えを望んでいなかったのははっきりと知覚していた。
好きな子に対する嫌がらせだったのか、そうかもしれない。
彼女がちょっと泣きそうな素振りをしたとき、僕は心底後悔をした。したが、謝れなかった。最後の日なのに、二人とも初めて無言で家に帰った。
それ以後、病院に行くことはなくなり、僕と彼女の接点は消えた。彼女の弟ともなんとなく僕の方から避けるようになっていった。罪の意識がそうさせたのだ。
謝ろうと思っているうちに、彼女の家は引っ越していた。
引っ越し先は学校こそ違え、市内のよく知っているところだったが、会いに行こうともしなかったし、しばらくそこの近所も避けていた。生まれて初めて僕は罪悪感に苦しんでいた。
高校生になって、あの私立小の女の子と僕は同じクラスになった。しかし、僕はそのことを話すどころか、彼女とはクラスで唯一一言も口を利かなかった。
もうサトミちゃんの名字すら忘れた今になっても、心の打撲は癒えてはいない。 ▲
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骨折 |
腕白者の武勇伝
骨折には僕も身内も全く縁がないので、例によって昔話をしよう。
ある日元気で健康体そのものの級友が突如学校を休んだ。この意味することは大きくクラスは様々な憶測が乱れ飛んだ。なんたって勉強は劣るが、それを補うにあまりある体力と元気を併せ持つ男だったのだ。大事でなければいいが、そうみんなが思っていた。
数時間の授業が過ぎ、やがて担任が新報を持ってきた。
「**くんは骨折したようです」
クラスはどよめいた。たぶんみんな、とんでもない大事故を想像しただろう。元気さの裏面で無鉄砲なところがあったから果たして車に轢かれたか、崖から落ちたか。気の早い連中はお見舞いの時間を打ち合わせている。
続報として「大事はない」ということだったが、それでも憶測や疑念は消えなかった。
翌日、彼は当然のことながら来なかった。
入院はしていないと言うことだったが、それでも心配なことは心配だった。
ところが、午前中の授業中にその当人がひょっこり現れたのだ。手には白い包帯が巻かれている。
クラス中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになったことは云うまでもない。
「いや、小指を骨折してね」騒ぎが一段落した頃、彼は言った。
クラスの注目はその理由に集中した。彼は言いにくそうに口をもぐもぐさせていたが、やがて観念したかのように告白した。
その理由にクラスは爆笑の渦に巻き込まれた。
なんと彼は通学中によそ見をして歩き、思いっきり電柱に小指をぶつけたというのだ。それで小指の骨がポキリ、実際そういう事故に遭う格率は低いとは思うのだが、とにかく事実は小説より奇なり、で彼は病院送り。
とにかくこの事件は腕白者の彼の武勇伝として卒業まで語り継がれることになった。 ▲
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虫歯 |
誤診の被害者
最近医療界の不祥事が甚だしい。ま、昔からあるにはあったのだろうが隠蔽されていたのだろう、最近は大分メジャーに出てきたが隠したがる風潮は相変わらずのようだ。しかしそういう死に方はしたくないものだ。大体病気で死ぬより苦しそうじゃない。マスクをつけられ二酸化炭素を吸わされたり、消毒薬を注射されたり、ワイヤーを頭に刺されたりろくなものでない。
さてそんな大袈裟なものではないが、僕も誤診はよく受けていた。
歯科検診という奴である。どういう訳か僕はよくこれに引っかかり、恐怖の源泉である歯科椅子に座らされたのである。そして医者は決まって「何もないですね」というのである。
確かに虫歯だったのは幼い頃の二回だけで、小学校に上がってからは毎年、ひっかかっては落とされると云うことが繰り返されていた。ここで当然「お前の歯が汚いから落とされるんじゃないか?」という疑問が提起されるのだが、読者よ、初めの数回はそうかも知れないが僕だって馬鹿じゃない。その日だけ歯ブラシを用意して必死で磨くのである。
それでも落とされて病院送り。
今では信じられないことだが、虫歯のある奴は名簿を作られ掲示板に張り出されていたのだ。だからほっておくと教師からは文句ばかり云われるし、級友から「バイキン」呼ばわりされかねない。頭の悪い虫歯防止教育の賜である。
だから治療証明書(と、いってもプリントである)片手に歯医者に行くのであるが何も云われず判子だけ押して貰い幾ばくかの金を取られて退散する始末。高校三年の時など「折角いらしたんですし、歯石を取っていきましょう」という訳で歯の掃除をしてもらったこともある。小学生の時、付き添いの母が医者に聞いたことがある。彼は眉をひそめて「一度に沢山の人を見ますからね」と哀しそうに云った。
僕はここで陰謀論をぶちあげる気はない。
昔の彼女が歯医者でバイトしていたということもあるし(あの唾を吸い取る機械なんぞを操作しているのは助手で、免許はいらないそうだ)、虫歯の治療は嫌いだが、実は落とされまくっていても歯科検診は好きだったりするのだ。 ▲
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口内炎 |
針の先ほどの大きな不幸
小指の先程の金属が体にめりこんだだけで、そいつは使い物にならなくなる。
よく戦争小説に使われるお決まりのフレーズだ。勿論この小指の先サイズの金属とは弾丸のことであろうが、どんな大巨漢といえでもそれがどこかにめり込んだだけで戦闘行動力は大規模に落ち、頭や心臓に当たろうものなら目も当てられない。繰り返すが、たかだか数センチの金属片がね。
鏡の前で大きく口を開けて、ポツリとできた口内炎を見る度にいつもそんなことを考えてしまう。弾丸のように小指の先どころかほんの針の先ほどのプチっとした白い点が口の中に出来るだけで、日々の幸福はどこへとやら、大層な御馳走も味気無いただのカロリー補充のための苦役へと変わる。
このだれでも一度はかかったことがある病気、原因は実は不明なのだ。
近所の東大理3出身の皮膚科医がそういってるのでまあ確かだろう。口の中に傷があるとなりやすいとか、疲れてるときにくるとかそういう程度のことしか解ってない。どんなメカニズムでなるのか、ウイルスの仕業なのか、治療法は何なのか、わかっていないそうだ。
だから口内炎にかかった人が医者に行って、処方くれる薬は食事などの時に患部を保護するゼリー状のパッチくらいなものだ。たしかにこれは効果があるのだが、治療の役には立たず(まあ一定期間で治るから治療的な効果もあるといえば結果的には正解だが)、これに苦情をつければパッチを患部にとりつけ定着させるのるのには相当な技術がいるのである。
さてそんな口内炎だが治すのにひとつだけ圧倒的に効果的な方法があるのだ。それはタバコである。
精神を落ち着かせるからだとか、ニコチンが効くんだとか色々な説があるが、とにかくタバコは効くらしいのである。愛煙家たちの防御論法にしばしば使われるから知ってる人も多いと思うけど、かなりタバコは役にたつらしいのだ。
これが事実なら少なくとも嫌煙家が叫ぶほど百害あって一利なし、というものではないようである。
ちなみに僕は一年に二百日は口内炎が出来ている。それでも煙草に手を出す気がないのは従来の経験からして己の精神の弱さを熟知するが故である。それに1本十数円を煙に変えるだけというのは惜しい。これ以上出費は増やしたくない気分である。 ▲
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C型肝炎 |
殺らずに死ねるか!
非加熱製剤による薬害といえばまずエイズがあげられるが、最近クローズアップされたのが、このC型肝炎である。先日、国がようやく重い腰を上げて非加熱製剤使用病院を公表したが、何気なくそこを見て僕はビックリした。
僕の街にある大学病院級の総合病院がでかでかとクレジットされているのだ。そこはかつて僕が扁桃腺摘出手術を受けた場所。しかも危険時期は76−88年。手術を受けた時期とも一致する。
さあ、これはいよいよやばいぞと思った。
記事を読み進めると、検査には一万円かかるとのこと。ただ以下の危険患者に対しては国費で行うと書いてある。その危険な四条件の中に扁桃炎なんてことは一切書いてなかった。
さて、困った。
もっとも大学病院級の規模だからこの十年以上の間に手術した者は膨大な数になるだろう。全国で千人程度といわれる患者。条件の中に入っていない以上、とりあえず僕は安全だと思うのが、それでも一抹の不安は残る。
もし、僕がC型肝炎だったらどうなるか。
どう考えても原因はこの時の手術である。
カミングアウトをして叩くというのもありかもしれない。しかし薬害エイズ運動のその後や安部教授の裁判なんかを見てもとても法による救済が得られるとは思えない。
こうなりゃてっとり早くテロるのが一番だろうね。
なに、世間は非難するだろうが、だからといって何もしなければ世間が賞賛してくれると云うわけでもあるまい。酒も飲めないのに肝硬変で死ぬなど御免である。薬害エイズの「殺された」被害者を見よ。彼らは同情は受けるやも知れぬ。しかし畢竟それだけだ。
まあ大物は消せなくても小物くらい(病院の医師だよ、医師)は家族ぐるみで殺してもいい。先を知れない身だとすればそれくらいは怖くはない。
ま、僕はおそらくC型肝炎ではないだろうからこんなことが云えるんだけど、もしそうだったら、どうしようかな? ▲
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ヒョウソウ |
あなたの知らない「病気」の世界
ヒョウソウという病気は案外知られていない。
僕のかつての持病(?)なので僕自身は実によく知っているのだが、まあ簡単にいえば破傷風の簡単なバージョンとでも思ってくれればいい。患部は主に足の親指でどっかからついた傷に変な病原菌が付着し、化膿炎症する病気である。
これを読んだ人は「足の親指なんて傷を負うもんか」と思うだろう。爪きりで間違って切ってしまうことも稀にはあるだろうが、巻爪の場合は放っていても傷を付けてしまう。巻き爪とは爪の形が指の形よりも遥かに反り曲がる状態のことで、爪は両端の肉を切りながら成長する。これを防ぐためには深爪する必要があり、そうすると誤って皮膚を切ることも多くなるのである。
まさに進者も退者も無限地獄、ダブルバインドである。
この病気で死ぬことこそないようだが、その痛みたるや尋常ではない。
ただ肉体的にはそれほどきついものではない。高い椅子に腰掛けて足をぶらぶらさせている分には全く痛くない。しかるにそこから飛び降りようものなら、数分は立ち上がれないだろう。つまり圧迫や接触に非常に弱いのだ。虫歯などと同様で医者に見せない限り治らないし、痛くなる一方である。2週間もすると靴も履けなくなる。
このような病気は体よりも精神をやられるのだ。退屈な授業や通学など病気のことを考えてしまうとき、ついつい痛みがあると触りたくなる、確認がしたくなるのである。しかしそれは激痛を伴うし、また普段の生活では逆に意識して障害物を避けなければならないのである。足を踏まれようものならそれが体重30キロの女子でも悲鳴じゃすまない。
相当精神を使うし、事実触れば激痛なので治療せざるを得ない。が、その治療法にもろくなものがない。一つは爪を先から根元までハサミで裂きその後に直角に突き立て患部をほじくり出す方法、一発で直るが術中は自殺を望むほどの激痛だし爪をはがすので、2週間は歩けない。もう一方は薬を塗る方法、2週間近く心身ともに応える痛みを耐えなければならないし、薬を綿棒で塗るとき患部を圧迫する。これもまた気が狂いそうになるほどの痛みをもたらしてくれる。
まったくこの病気を知らない人は幸せだ。総じて病気なんてそんなモンだけどさ。 ▲
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急性アルコール中毒 |
敗軍の将は救急車に乗って
僕は下戸である、ただし比較的には質のいい下戸に属すると思われる。
適量をほぼ完全に心得てるから「今日はハメはずしちゃってもいいかな?」と思う時以外は原則としてサワージョッキ二杯までという鉄則は厳守する。これを守らないとハチ公に喧嘩を売ったり、たまたま隣に座ってた奴を口説き出しかねず、大変危険である。
酒の問題では一度ならず懲りているので、なかなか鉄則は踏み外さないし、危険に対して慎重な性格はこういうときに役に立つ。
ま、だから僕はアル中にはおそらくならないと思う。
僕はさておき、しかしアル中でぶっ倒れた仲間というのは見たことがある。初めてアルコールの入った同窓会のときの話だ。その顛末を話そう。
同窓会というのは高校の同窓会で顔を合わせるのは半年ぶり位の時のこと。真面目な高校の真面目なクラスの真面目なグループだった僕らは、お互いに誰が強いかなんて知らなかったわけで、意外な人が強かったりまたその逆もあったりして(これ僕)新鮮な感じだった。
はじめは高校の教室のように固まって座っていたのが、アルコールが入ると座席なんてどうでもよくなり、席が男女ごちゃまぜになってきた。この頃からなんか座が怪しくなってきた。
女子が一気のみを扇動し始めたころ、2人の友人が飲み比べを始めたのだ。そんな馬鹿なことをするところからお解りのとおり二人とも酒豪をもって自負し、事実強かったのだ。
始めはビールの押収だったのが何度も繰り返されて興がそがれたのか、なんと日本酒をコップに注いでぐいぐいやりだした。その往復が十数回。見てるだけで嘔気がしてくる。
へべれけ男子は片方が関西の大学に行ってることから「関ヶ原!」とけしかけるし、女子は存在が既に扇動的だ。
かくて二次会のカラオケになだれこむころ、東軍は居酒屋のトイレで便器の恋人となり、そのまま病院送り。西軍はカラオケまでは歩けたが、今度は何故か女子トイレの恋人に。
適量ややオーバーの僕は、まあ元気だったので「お前馬鹿だな」といってやったら「見たか、俺の実力を」と喘ぎながら勝ち誇っていた。呆れた男である。
結局のところ東軍は翌日退院し、その一週間後には既に別の飲み会に参加するなどして修行を積み雪辱戦を狙っている。対する西軍は運動サークルでガバガバ飲んで半裸で川を泳いでいるらしい。
酒飲みの常として彼らも懲りると云うことを知らないらしい。
まったくこういう愛すべき大馬鹿野郎な友人たちを心配してしまうあたり、僕は老けてしまったんだろうか? くれぐれも肝臓には気をつけて! ▲
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結膜炎 |
障害者体験
これもまた友人の話である。
友人の病名をバラスのは気が引けるが、どうせ小学校時代の話だし、まさかこのHPの閲覧者には小学校時代の知人などはいるまいな。だいたい転校前の話だし、今の僕を知るものなど皆無だろう。
と、断り書きを入れた上で書く。
結膜炎、これはどういう病気なのか医学に全然造詣のない僕は知らない。ただ、それがとても恐ろしい病気であることは、小学生のときに友人から聞かされて知っていた。
どういう病気かというと、寝ている間に目やにが異常に発生するというのだ。
炎症が起きればああいうネバネバした物が出るのは感覚的に納得できるが、それがとにかく信じられないほど出るらしい。そこでどうなるかというと朝、意識が覚醒して目をあけようとしてもあかないのだ。
つまり目やにが上マツゲと下マツゲを固めてしまい、あけようにもあかないという。にわかには信じがたい話だが、彼のいう事が真実ならいやな病気だ。
独力では目が開かないからどうなるか? 小学生の身、大声をあげて母親を呼ぶのだ。既に起きている母親はかねてより用意していた蒸しタオルを持って彼の部屋まで行き、彼の顔を覆ってやるのだという。
そうすると熱のせいか蒸気のせいか、目やには剥落し、やっと目が開くようになるのだそうだ。急いで顔を洗うと、目の周りには固形化した目やにが随分びっしりついているそうな。それは顔をごしごしこすってはじめて落ちるのだ。
治るまで毎朝これが続いたそうだが、ある日、母親が寝坊して、蒸しタオルを持って現れなかった日があったらしい。彼はパニックになって何度も叫ぶも降りてこない。彼は一人っ子だったから多分、父親は先に出勤したんだろうな。彼は絶望して目をつぶったまま手さぐりでタオルをとり洗面所の温水蛇口から湯を出して目をあけたという。
自分の家なのに、あの孤独感、不安感、達成感。
目を閉じれば、そこは既に別世界。
彼はこの病で「目の見えない人の苦労を知ったよ」といっていた。最近は老人の体を体験する機械みたいなのも出ているが、普通に生活しているだけでは、彼らの苦労は推定さえ出来ないのだ。 ▲
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腰痛 |
見学の不愉快と牽引の愉快
高校のときに運動をやらないくせに腰痛もちになり、体育は随分休んだ。
いや常時痛んでいたわけではないから、やろうと思えば体育にも参加できた。但し運動をすると予後が悪くなるかもしれないので医者から見学するように診断書つきでいわれていたのだ。
体育の見学なんてダルなときはいいけど、そうでもなきゃいいもんじゃない。僕は運動嫌いだが、体育はそんなに嫌いじゃなかった。
これはまず進学クラスだったからみな運動は大して出来なかったし出来ない者をバカにする悪風もなかった。さらにみんな気のいい奴だったことだ。
そういうわけで見学なんて仲のいい奴も見学なら喋ってられるからいいが、よほど話がノラなきゃ寂しいものだ。見学の特性からいっても、寂しい中にコルセット巻いて座っている。いやなものだ。
体育の見学ならまだしも月に何回か猛烈に痛む日には医者経由で通学する様なこともあった。ただまあ医者といっても毎回何かしてくれるわけではない。医者に用があるというよりは、寧ろ腰を伸ばす牽引装置に用があったのだ。
これは本当に気持ちがいい。たまに音とかするから。腰痛の最中もツイストのような体勢をとるとぽきぽき音がして痛みが止まることもあった。整体に行ったときなどこれのオンパレードで確かに気持ちがよかったが、医学的には寧ろ危険なそうだ。
みなが授業をやっているときにこっちは寝転がって本読みながら、腰を牽引してもらっている。それはそれは気持ちよくて、規定は10分だったが、もっとやって欲しかった。
病院から外に出て、しばらくは何もしたくなくなっていた。
別に学校に不満はないけど、あの気持ちよさの後に授業を受けようとは少々思えなかったね。僕は時計を見て、ちゃんと休み時間に学校に到着するように計算して、あたりの店で時間を潰した。
今では腰痛は雲散霧消したけれど、あの牽引だけならやってもらいたいような気がする。 ▲
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精神分裂病 |
未知との遭遇−深夜病棟編−
これは僕の懇意にしている友人の話である。
深夜、彼の母が突然盲腸のような痛みを起こした。
救急車を呼べばいいものを彼の母は「大したことない」と思ったのか彼を連れ、自力で車を運転して病院まで行った。彼の父は運悪く当日年に数度の出張だ。
さて、緊急の外来と云うことで暗い無人のロビーに待たされた。本当は即時治療が始まるのだろうが、その時ちょうど救急車が入ってきて当番医はそちらを優先する決まりなのだそうだ。彼の母はさすがに車の運転という緊張の糸がとけたせいか、冷たいベンチに横になり、ウンウン唸り始めた。
彼は苦しむ母にいてもたってもいられない気になった。そして救急車の搬入口を兼ねる緊急治療室に意識を向けた。と、若い女の声が聞こえる。妙なことに彼女はこう叫んでいるのだ。
「なによ、先生はあたしがどうなってもいいのね! あなたの子供を妊娠したのに! この嘘つき、藪医者、死んでやるわ!」
彼の話を聞いたのが2年前のことなので細部は怪しいが、彼女はそんなことを叫んでいた。彼は流石に痛みに悶える母を差しおいて痴話喧嘩に励む医者に怒りを感じ、怒鳴り込もうとベンチを立った。そのときドアが突然開き、一人の女が泣きながら出ていき、後から看護婦が一人追いかけていった。
そして他の看護婦が「**さん」と、彼の名を呼んだ。
盲腸の可能性が強い以上、服を脱ぐだろうからということで彼は一人ベンチに待たされた。治療室からは声一つ聞こえなかった。
しばらく経って彼は前から妙なうなり声が聞こえてくるのを感じた。
深夜の病院である。なんだろうと目を凝らすとさっきの女が両脇を二人の看護婦に抱えられてやってきた。一人が乱暴にドアを開けると、「屋上のドアを叩いていました」と冷たく医師に告げた。
医師が何事か呟いた瞬間、突然女が暴れ始めた。それまでぐったりと看護婦にもたれかかっていたのが、両腕を振り回して悪態をつき言葉にならぬ言葉を叫び始めた。
彼は、確かにあの瞬間、母の病状も深夜の病院をも越える恐怖をそこに見たという。髪を振り乱し定まらぬ視線であたりをにらみつけ、真っ赤な口からよだれを垂らし、あらぬことを呟き続ける彼女。
あ、これは違う。彼はそう思った。
精神分裂病も重篤化すると、妊娠妄想が生じる場合があるということは後に知ったことである。
付記・この話が「彼」の作り話だと思った人、その考えは正しくない。何故かと云えば、この「彼」こそが僕自身なのだから。(Kよ、ちょっと期待したか?) ▲
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神経性胃炎 |
私には解らない
どういう訳だか、中学の三年間、毎朝腹痛を起こしていた。
しかも決まって時刻は8時半から9時にかけて激痛が走り、9時半までには嘘のように消えていた。
以上のたった三行だけで賢明な人は「あー、思春期にありがちなアレね」と思い当たる人がいるかもしれない。そう、不登校児やストレスの強い生活を送っている人がなる神経性胃炎という奴である。
不登校児は朝になると体の不調を訴えると云うがあれはあながち仮病ではなく、実際に痛むらしい。そして危機を脱すると痛くなくなるそうだ。
さて、ここで僕である。僕も取りあえずは新聞などで読んでそういう病気があって同年代のガキどもに蔓延しているということは知っていた。そしてそれらしきことが我が身にふりかかり(内科にかかってみたが病気という病気ではなかった)じっくり内省してみて、はて原因が思い当たらないことに驚いた。
別にこれはHPだから都合の悪いことは隠している、というわけではなく、実際これは昔から、実は今に至るまで連綿と続く謎である。いじめも自殺もノイローゼも、人間関係も恋愛も不良も恐喝も、教師も勉強も経済もさっぱり悩みという悩みがなかったのである。元々、中学の時は至って何も考えない子供だったのである。
そのくせ、御丁寧に休日以外は規則正しく毎日痛む状態には閉口した。
これには悩んだ。そう、唯一の悩みがこの腹痛だったのである。
周りに話を聞いてみると、「やっぱり本当は何か悩んでいることがあるんじゃない?」という答えが飛んでくる。
なお、僕はこの件で保健室に駆け込んだことは一度もない。9時半を(大体は9時15分)過ぎて痛んだことは一度もないし、そもそもが保健室にたむろしている集団はとても嫌いだったのだ。
やがて高校・大学と進んでまったくその苦痛とは解放された。
未だに原因はわからない。 ▲
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アトピー |
実話から学ぶこと
恥ずべきことだが、高校文芸部時代、エッセイで「子供の純粋性」について語ったことがあった。曰く「子供は純粋で大人のように汚れてはいない。故に僕は無心でいられる子供がうらやましい。出来うるならばあの頃に戻りたい」というトンデモない話である。
今は若干良識と現実を知り、とてもこんな青臭い文は書けないが、あの頃は大真面目な顔で発表し、好評を得れると信じていたのだ。確かに俗耳には入り易い模範論であり、わざわざ高校の文芸誌を読むようなメンタリティーの弱い人には受け入れられそうな話だ。僕は、当時こういう詐欺的手法で人気取りをしていたのだ。
ともあれここに一人の温厚な先輩が登場する。
彼はこれを読むと人柄に似合わず怒り出し、僕に翻意を促す手紙を送った。
その中には「子供の純粋は無知の裏面として現れるもの」であり「その純粋性は虫を健気にバラバラにする精神と一脈通じている」というものだった。 そしてその根拠としてあげていたのが、かつてアトピーに苦しんでいた彼自身の半生だった。
アトピーの子供は色々、他の健康な子供と比べて外見が若干異なる。アトピーに限らないが、啓蒙されざる子供は異型のものを徹底的にいじめるのである。彼が「アトピーはうつらない」と科学知識を前面に説得しても(事実アトピーは感染しないが)聞かない。彼は説得をあきらめ「馬鹿に理を説いても無駄だ」とばかりに以後の中傷をすべて聞き流すことにした。
結局この問題は勝手に心配した周囲の大人が介入して終結したのだが、この一例に限らず、子供の純粋(馬鹿)故に起きた悲劇というのはたくさんある。子供が真に純粋なら教師は勉強を教えるだけでいい。彼らはその純粋さゆえに平和な理想郷を作るだろうね。
病気自体は医学の進歩により、必ずしも恐るべきものではない。寧ろおそるべきは周囲の偏見、ことに無知なる子供とそれを「純粋」と評価することを賞賛する現在だ。
チビ、デブ、ハゲ、今は大人でさえ身体の異常を嘲笑することを是とする社会だ。教育機関によって啓蒙された大人でそうなのだ、純粋なる子供だとすれば如何に凄惨な現場になるか、或いは知っている人も多いだろう。
世に溢れる一見正論を鵜呑みにするとどうなるか?
僕は反省し、自らの不明と軽率を恥じた。 ▲
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癌 |
理想の死に方
幸いガンの家系ではない。身内にガンで死んだのは一人、、、いたかな?
とはいってもガンは厳密にいえば遺伝病ではないし、差別云々の問題もあるから言は慎重にせねばならない。ただ遺伝的要素のある病気が身内から出るというのはやはり気分のいいものではないからそれはそれでよしとする分には別に構わないだろう。
ガンという病気の恐ろしいところは、まだ直接恐怖にさらされる年ではないから(小児ガンというのもあるけどね。)実感としてはピンと来ないが、やはり「余命宣告」の可能性だろう。あれが気になるからこそ、ドラマなどでもよく取り上げられるのだ。しかもエイズとは違って往々にしてその期間は短い。
勿論、他にも痛みの問題(ある雑学本によれば1割は素顔がわからぬほど苦悶の表情で死ぬそうだね)や非人間的な医療、患部の摘出(特に性器付近)への恐怖もあるだろうが、今回は余命宣告について考えたい。
まず、僕は妙に気が弱いくせに告知派です。だからああいうドラマを家族で見ているときも、それをはっきり表明している。ただ、家族の性格を見るとなんとなく隠しそうだが、彼らは嘘や演技が下手なのですぐわかると思う。
なんで告知派なの? と尋ねられると、実はこれといった理由はない。けど自分のことは最後まで知りたい、というのが答えかな。昔は「死ぬまでの間、ゆっくりと色々考えてみたい」といっていたが、年を取って自分が解るにつれて恐らくそう悠然とした日々は送れないだろうとは解る。おそらく外科(ガンは概ね外科の管轄である)から精神科の通院も必要になることは想像に難くない。
だからおそらく告知されれば「知らないで死んだほうがよかった」とずっと思い続けるだろうね。だけど、これも推測だけど告知を受けた患者のパターン「恐怖」「怒り」「悲しみ」「受容」の、最後の段階まできたとき他の患者がそうなるように、まるで仏のような境地になると思う。
受容できるまでの立場になった後、どれだけの期間が残されているのか解らないが(僕のような比較的精神力の脆弱な人間は前三段階が長いだろうな)、そしたら僕は相続法の知識を生かして遺言状を書き、余裕があれば葬式のプランを練る。さらに時間があれば僕の自伝たるこのHPを死ぬまで書くだろうね。
そういうことは告知されなくちゃ出来ないわけでね。勿論「なんでそんなことを知らせてくれたんだ」と涙で枕を濡らしながら死ぬかもしれない。そこのところは賭けだが、ギャンブルにリスクはつきものだ。
余命宣告のある病気はガンが一番多い。
苦痛のない突然死の魅力も捨てがたいが、死への心の準備が出来るガンという死に方もそれほど悪くないような気がする。 ▲
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アルツハイマー |
閉ざされた心
僕の知るある老女は記憶が10年前に止まっている。
アルツハイマー症候群だ。
病魔の残酷な悪戯か、確かに彼女は「今」を生きてはいるのだが、記憶は10年前に止まっている。僕はもう永らく彼女を見ていないのだが、注意してほしいのは発症したのは10年前ではなく、5年ほど前なのだ。
最後に逢ったのはいつだったろうか、中学生の時には逢ったことがある筈だ。勿論、その時は病の兆候すらなかった。少々早口な、ハスキーな声で、とうとうと喋っていたのを思い出す。
彼女は確かに生きている。身の回りのことなら、なんとか自分で出来るようだ。
それでももう、彼女の社会的な命はないも同じだ。
夫も娘も、もう知覚出来ない。
あるのは「夫」と「娘」という概念だけだ。
10年前の写真なら解る。今の顔は解らない。
「**さん(←夫の名)を知ってます? 最近見ないのですが、私 の夫なのです」と夫に言ったりする。
去年、僕の母に逢ったとき、彼女は僕に言及した。
「息子さんはお元気? 確か小学校5年生のはずだけど…」
彼女の記憶は10年前に止まっている。それも統一性のないバラバラな記憶に囲まれて、娘の結婚式すら理解できない。「娘」が誰なのかもわからない。「結婚式」の意味は解るが、この2つの言葉がどうしても結びつかない。
直接的な治療法のないこの病気。
残酷な話だ。 ▲
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"HOSPITAL 731"
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