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日本国
 当社では旅行者向けに世界各国の人物・文化について情報を提供しています。ただし注意していただきたいことがいくつか……。
     * * *
 僕は海外旅行の経験がなく、このエッセイにも実際に外国を旅した話は出てきません。じつは一度だけハワイへ行きましたが、その話は追々「今更ハワイ研究所」(仮称)で語ります。
 ではいったい何をテーマにエッセイを書くかというと、諸外国からやってくる人々との熱い交流や、逆にそこに行った恩師や友人の話です。ですから話の信憑性や情報精度は、伝聞や推定が入る分、他のコーナーより低くなります。
 偏見や差別は排除するよう努めましたが、無知や欠陥からそうした言葉が出てくるかもしれません。もし見つけたら、そっと連絡していただけるとありがたいです。
 なお、批判的な文章を書くことはありますが、それはある事例に対してのものです。人種民族総合を批判する意図はないことを、予めお伝えしておきます。
 それではボン・ボヤージュ。よい旅を! 

中華人民共和国
世界革命万歳
 ソ連崩壊や東欧革命を経た21世紀の今日、一部の国家を除いて共産主義は全く流行らなくなってしまった。が、未だに一流大学に籍を置く高校時代の旧友には左がかりのデイドリーマーが多い。
 これはどうも全共闘上がりの予備校講師にオルグられるらしいのだが、その影響力たるや慧眼に値する。
 なんといっても中国から発禁処分を受けた光栄の「提督の決断」を血眼になってやっていた奴が「日の丸は侵略の象徴でありアジア植民地主義の名残である。故に即座に焼捨てるべき」とか言い出して自虐史観派になっちゃったくらい。
 またある優等生は管理教育の批判のしすぎで頭のタガが外れて  しまい、管理そのものを憎むあまりに党員もどきになってしまった。予備校に3年行っている奴など、頭は確かにいのだが先日会食の折に「やっぱ最終的には共産主義は正しかったんだよ」とか言い出して懇々と学生運動の話をしていた。
 彼らはどういうわけか、今中国に目を向けている。最後の共産主義大国にして核保有国、彼らの口は違えども、目指すは世界革命だ。時代遅れの学生運動には参加せず、資本主義的退廃のサークルに属して語るは世界革命、造反有理、天皇制打倒。
 中国に関して彼らがいうのは「南京大虐殺を認めて賠償金を払え」 「慰安婦に謝罪しろ」「尖閣諸島を返還せよ」である。そしてとどめをさすのは「文化大革命は正しかった」である。
 中国でさえ完全に認めてはないのにこの言い草はなんだろう。
 けれども結構文革の有効性を信じてるのはいるらしく、僕の大学の中国人教師も日本人の悪口と毛主席の話が大好きだった。科目は中国語なんだけどね。女の癖にやたら怖くて、僕は年齢から紅衛兵あがりと勝手に思ってるけどね。
 だから同窓会では当然僕ら愛国陣営はそういう妄言と戦闘に入る。
 ところが、困ったことに僕を含めて愛国側はみな偏差値50以下の底辺大学に通ってるんだよな。こういう事実を前に、彼らはますます 「知識人は共産主義を支持し、馬鹿はファシストに加担する」と吹聴 するんだな。
 彼らの賞賛する文化大革命で、一番初めに血祭りに上げられたのが誰なのか、知らないのかね? 

十三回旋刀法
 高校時代、友人の親戚が台湾で挙式したとやらで彼は渡航し参列した。彼はケチなことにお土産を何にも買ってこず(催促しちゃあいけないが)、ただ「面白い漫画を買ってきたぜ」と一冊の漫画本を見せてくれた。
 もちろん広東語でかかれた現地の漫画で、A4サイズの単行本で どうやらこの本が第1巻らしかった。日本では「AKIRA」とか「ハート カクテル」の大きさだ。あまり見ない。
 その台湾漫画は剣戟モノらしく表紙は青竜刀を構えた剣士がいる。絵のタッチなどは少々古臭いようだが、今でもマイナー誌の剣戟モノはそんな感じである。
 ところが、これ中を見ると非常に笑える話なのだ。
 広東語だから漢字は比較的日本の常用漢字に近く、ところどころの意味は類推できるのだが、素読できるほどはわからない。仕方なしに絵ときでストーリーを判断することになる。
 ところがこれがさっぱり滅茶苦茶なのだ。
 まずいかにも中華な家で主人公、妹、両親の4人で卓を囲んで食事をしている。と、主人公がポツリと何かを呟いた瞬間に、妹が血相を変え、肉切包丁をもって兄貴に襲い掛かってくるのだ。
 主人公はとっさに箸を使って突如妹を刺し殺す。
 続いてやはり襲い掛かってくる母親も一刀の下に惨殺し、筋肉ムキムキの親父と剣を交えるのだ。ここで何故か二人とも服を脱ぎ、家庭内を滅茶苦茶にしながら、熾烈な剣戟をおっぱじめるのだ。
 結局、主人公が奥義らしい「十三回旋刀法」を用いて老いた父親の首を飛ばして終わるのだが、はて言葉がわからないせいもあり、この展開には全く理解できない。
 大学の2年の履修の賜物で今は若干中国語が出来るが、この本はもう一度読みたいとつくづく思う。 

大韓民国
愛の代償
 大学の先生の特徴に国籍の多様性、ということがある。
 僕は中国、台湾、韓国の先生にしか教わったことがないが、大学を探せば米・英・独・仏・西・露・中などの多国籍から来ている。語学が過半数であることは否めないが、一般科目だってちゃんといる。僕の例では国際法の先生は台湾人だったし、公民科教育法の先生は  韓国人だった。
 この韓国人の社会学の先生は面白かった。
 彼女は黒板に自分の名と読み仮名(勿論韓国語読み)を書くと、 いきなり「私は名前から解る通り、幸いにも日本人ではありません。韓国人です」ときた。
 僕はいやな予感がした。前に日本嫌いの中国語の先生に当たって一年間日本人の悪いところを延々と聞かされたからだ。
 ところが先生はこう続けた。
「私はここの大学院で修士号をとったらさっさと帰るつもりでしたが、何の因果か日本人と結婚してしまい子供まで生まれてしまったので、もう帰れません。仕方なく日本で教えることにしました」
 文で読むと倣岸でむかつくが、悪意のない喋り方で表情も明るく、 とても「恨」の国から来たとは思えなかった。勿論、講義では日本人 批判や民族については一言も触れなかった。
 僕はこの先生には好感を持っているが、「日本人と結婚したから 帰れなくなった」という言葉は妙に重みを持って感じられた。
 ルビー・モレノ主演の「月はどっちに出ている」であったでしょ。韓国人の青年がいて、母親は韓国人との結婚しか認めない。日本人は 勿論、済州島出身者も駄目だという。
 韓国は一部そういうところがあって、今の金大中大統領だって全羅道出身というだけで当選が危ぶまれたことがあった。
 己の意思や受けた教育とは反対に日本人を愛し、帰れなくなって しまった先生。いつか雪溶けの日が来て、家族を連れて凱旋できる日がくることを祈ります。 

田舎の大航海時代
 あれは友人とさる田舎に住む別の友人の家にいったときの話だ。
 僕の住んでいる街も田舎だが、それは地理的に田舎に位置するというだけであって、ちゃんとした地方都市である。少なくとも彼の家の周辺とは異なりコンビニやスーパーはあるし、文字通り山や谷を2つ越えてやっと人のすむ家があるなんてことはないし、車道を牛が歩くこともなく、通行人に道を訊いたら訛りが酷くてわからないということもない。
 以上、すべて真実である。
 さて、そういう苦難の道の果てに僕らは彼の大豪邸(田舎にはそういう家がよくあるのだ)にお邪魔した。いや、彼の家を発見したときは嬉しかった。まさしく「歴史的発見」の感覚だった。僕らはダンジョンをさまよい、めざすお城にたどり着いたのだ。
 そして僕らは楽しく遊び、夕方に帰ることにした。夜までいるなんてぞっとしない。街灯があるかどうかも解らないのだ。
 帰り道、行きは苦労をしたが、道がわかるだけスムーズに帰れた。それでも田舎道のこと僕はすっかりくたびれてしまい「喉が乾いたよ」と苦情を云った。
 ところが自販機もコンビニもあるわけはない。
 必死こいて自転車こぐこと数十分。ようやく前方にポツンとコンビニらしき灯が見えてきた。新大陸を発見した船乗りの喜び、これに比すであろう
 ところがこれがまた新大陸発見だった。
 人跡稀なる田舎のコンビニに、ワケもなく長身のインド人が2人いたのだ。ターバンを巻いて、浅黒い肌に鼻ひげを生やしている。映画やドラマに出てくるインド人のイメージそのものだ。
 僕はすっかり気が動転してしまった。
 なんだってこんな日本人だってろくにいないところにインド人がいるんだ? 不条理だ、アナーキーだ。
 バスコ=ダ=ガマがインドに到達したとき、あるインド人がイスラム商人から習ったであろうポルトガル語を話して大いに船乗りを気持ち悪がらせたというが、或いはそんなものかもしれない。 

修羅場のクソ力
 今となっては焼け落ちてしまい、確認する術はないのだが、近所のアパートにパキスタン人が住んでいた。世はバブル景気のさなか、彼らは肉体労働に従事しており、僕が小学校に行く時間帯になると、 よくトラックの荷台に乗り込んでいたものだ。
 彼らは共同生活をしていたらしく、色々な人が出入りしていた。
 とはいっても実に彼らはおとなしいもので、巷間いわれるように大声で深夜まで騒いだり喧嘩したり等の問題は原則起こさなかった。
 問題が起きたのはただの一度だけだ。
 当時、僕は中学生であり、真面目に夜中は部屋で勉強していた。
 と、いきなり表からガシャガシャンと何かがぶっ壊される音がする。当時、我が家の付近は開発真っ最中で、近所には工事現場が沢山あったのだが、こんな深夜に工事はしまい。しかも何事か争っているような怒鳴り声まで聞こえる。
 ラリ公やゾクが暴れているのかと恐る恐る外を見てみても、人っ子一人もいなかった。階下に降りてみると家族全員居間に集まっており 「今夜は鍵を厳重にかける」という決定がなされた。
 その夜、僕は耳を塞ぎつつ眠りについのだが、その音源は翌朝に判明した。パキスタン人が住んでいるのはアパートの二階なのだが、そこで痴話喧嘩が発生し、女が家具をあらかた窓から投げ捨てたというのだ。アスファルトにはタンスやら電子ジャーやらもろもろの道具の死骸が横たわっていた。
 その家にパキスタン人の女が住んでいたなんて隣人なのにちっとも知らなかった。だがまあ女手ひとつでよくもあんなに投げたものだ。 これが世にいう火事場のクソ力というものなのかどうか。イスラム圏の癖にすごい女丈夫だなと思った。
 翌年、アパートは火事で燃えた。以降のことは全く知らない。 

インドネシア
 僕の昔馴染みの女性が単身インドネシアに旅行にいった。
 友達と一緒に行くわけでもなければ、無論パック旅行でもない。
 完全な一人旅である。
 まだ二十歳を超えない女性が言葉も通じない異国に一人で行くとはどういうこっちゃと僕はその勇気に感服し、またその無謀に呆れたりもした。特にその当時は数十年続いたスハルトの支配が打ち砕かれ民衆が殺気立って暴動が起きた頃である。
 いくら彼女が亜細亜好きだって…少々無茶だと思った。
 ところが、彼女は行ってしまった。そうして何事もなく無事に生還したのだ。僕のメールボックスには家に着いたばかりの、未だ興奮覚めやらぬといった感じのメールが届いた。とにかく楽しいことは文面から十分にわかった。
 そして彼女とあった折り、色々インドネシアの話を聞くとどうもナンパはよくされたようなのだ。まず訳のわからない言葉をゴニャゴニャと 云われ、わからんと手振りで表現したりすると、今度は中国語らしい言葉でゴニャゴニャ言う。それでもわからんと云うと、やっと「ニホン
ジンデスカ、オチャノミマショー」とか云ってくるらしい。
 インドネシアってイスラム圏じゃなかったのか?
 インドネシアとは関係ないが、彼女は東南アジア人には美人(或いは軽いねーちゃん)に見えるらしく、一緒に日本の街歩いているときにアジア系の外国人3人にナンパされたことがあった(おい、お前らには俺が見えねーのか!)。
 別に僕は彼氏ではないのでどうでもいいのだが、外国行ってナンパされたと聞くと妙に悔しく感じるのは何故でしょね? こういうところからもナショナリストは生まれるのだよ。 

イラン
スクープ
 中学校2年生の頃はやたらと校外学習があった。
 夏休みは林間学校、秋には校外旅行、冬はスキー教室があった。今回話すのはこの校外旅行である。僕の中学の田舎度が知られるが、2年生の旅行の場所は電車を乗り継いで、東京は上野だった。
 東京の表玄関で田舎者がはじめて足を踏み入れる都市。田舎者に占領される渋谷でないだけマシという気もしないでもないが、とにかくあんまり校外学習には向いていない気がする。
 旅行の方式は現地集合現地解散、前もって班単位で提出した企画書に従って行動し、終日自由行動。ただし旅行後班ごとに報告書を提出する義務があった。
 さて、僕らの班である。ここに問題児がいた。
 彼はこのHPでもしばしば俎上に上げているが、小学校の塾以来の悪友で喧嘩とメカと危険が大好き。オマケに家は大金持ちで色々な ことに手を出したがる道楽息子だった。
 彼は企画段階でこうぶち上げた。
「上野にたむろするイラン人の違法行為を突き止める」
 皆さんはもう忘れてるかもしれない上野のイラン人とくれば違法に 改造したテレホンカードを売り裁いていることで有名だったのだ。今は携帯全盛でテレカなど一顧だにされず、またICカードの導入でシノギとしては成立しなくなったが、当時は十分通用したのだ。
 メンバーはみんな彼の発想に圧倒されて仕方なく同意した。まあ、みんな好奇心が鋭い奴らばかりだったが。
 旅行当日、先生から報告書用の使い捨てカメラを貰うと早速アメ横に向かった。アジアンテイスト溢れる一大マーケットである。悪の匂いがぷんぷんする。
 事実、いた。麻黒い肌の彼らが白昼堂々「使い放題テレカ、10枚で千円だよ」といいつつ手に持ったカードをぺちぺちやっていた。それがあの短い通りに6人もいたのだ。危険愛好家の僕らは通り過ぎざまに腕の下からカメラを出してシャッターを押した。
 その危険なる友人はさまざまな盗撮テクニックを存分に使い、不法行為(とはいっても当時は変造テレカを売ることを犯罪とする判例は出ていなかったが)の証拠写真をバレずにとりきった。
 そして報告書発表会。全27班のうち、投票の結果僕らの班は2位の評価を得た。そりゃそうだ、こんな馬鹿をやるのは我が班だけだ。皆からは呆れられながらも僕らは表彰を受けた。
 ところで、なんでイラン人ってわかったって? この旅行の後、カードをめぐる抗争でイラン人が刺し殺されたからさ。 

撃沈
 船乗りの先輩がいる。
 船乗りといったからって眉をひそめてはいけない。3Kな職場のせいかやたら卑しいイメージを持つ人がいるが、彼はちゃんと商船大学を出た立派な機関士である。メカいじりの大好きな陽気な先輩だった。体格も体中筋肉の塊でヒヨワ男なら5人係りでも倒せないだろうな。
 とにかくそういうカッコいい先輩でした。
 これは彼から聞いた話。彼は船会社の命令でアメリカに赴いたり、東南アジアに行ったり中東に派遣されたりするのだが、やっぱり一番怖いのは「海賊のアジア」より「戦争の中東」だってね。
 特に湾岸戦争時の紅海なぞは戦争があろうとなんだろうとタンカーが動かなければ日本の石油がとまるわけで、責任重大である。
 これは幸いにも先輩ではなく先輩の友人のいた会社の船らしいのだが、そのタンカーは国旗を掲げた船を先頭に前もって関係する国に提示した船団を組んで移動していた。
 と、中の一隻が故障し、船団から離れていった。船内では機関士が必死に修繕しているだろう。と、突然船団から外れたタンカーが爆発炎上したというのだ。ミサイルが飛んできて撃沈されたらしい。総員 退艦命令が出たのかどうかは知らないが、とにかくそういうことがあったという。
 その後、外交的にどう処理されたのかは知らない。ただ先輩は「普通の海でも故障したら即刻分単位で早く直さないと、流されて座礁したり他の船舶に衝突するからね」といって笑った。 

アメリカ合衆国
ペリーとマッカーサー
 友人いわく僕は右翼らしい。とんでもない話だ。
 ただ単に国旗と国歌に誇りを持ち天皇陛下を内心敬っているだけで右翼扱いされてしまうのだ。別に歴代天皇の名を云えるわけでも 教育勅語を暗誦できるわけでもないのにこれである。こういう手合いが「グローバルスタンダード」とかいうのを聞くと笑ってしまう。
 ともあれ僕は他の国民がそう思っているように自分の国をどこの国より愛しているし、その為になる人間になりたいとは思っている。別に昨今の「戦争論」ブームでそういっているわけではなく、物心ついた時から多分に父の影響でそう思っていた。
 小学校6年生の頃、僕は社会科の授業で違和感をおぼえていた。
 当時の担任はバリバリの左翼だったのだが、それはどうでもいい。僕が問題に思ったのはその当時使っていた社会科(小6では歴史をやっていた)の副読本である。
 その本、巻末には「日本史偉人伝」という付録めいたものがあり、 イラストと簡単な評伝が載っていた。
 ここに外国人は4人載っていた。
 「フビライ」「ザビエル」「ペリー」「マッカーサー」
 この4人の共通点はなんだろうか? 答えは侵略者である。
 ザビエルは違うというかもしれないが、当時のイエズス会のやり口を見ているととても純粋な布教目的とは思えない。禁教令をみれば解るとおりである。
 特にペリーにマッカーサーを偉人とは何事か。
 結果的に2者の侵略行為は日本の益かもしれないが、例えば南北戦争がなければ、朝鮮戦争がなければ、日本は歴史から忘れられた植民国になっていただろう。
 僕は決して米国嫌いではない(ここらへんが右翼じゃない所以だな)が、あんまりこういう人たちを偉人と崇める気にはならない。 

カフカ的拘禁
 大学ともなると世間が広くなり、色々な奴に合うものだ。
 教職の小規模クラス(全部で17人だったかな)で初めに自己紹介というものをやった。教職は人の前でちゃんと話すことが必要であり、その実践的訓練である。
 自己紹介も即応性を養うためか、話題は全くランダムに指定され、その課題を考える時間は3分間という短さ。僕は「行ってみたい国を中心に」という話題で比較的楽だったが。人によっては話すことと噛み合わず苦労した人もいた。
 さてその中でペルーに行った人の話がすごかった。
 ペルーはフジモリ大統領がいたことから親日的な国であったが政情不安な国情を反映して警察とて信用できるものではない。昔、早稲田の探検部の学生が金目当ての国軍兵士に殺害され、時の橋本首相は「学生が悪い」と頓珍漢な発言をして叩かれたが、そういうこともあるのである。
 彼の遭った目はまさしくそれだというのである。車に乗っていたら マシンガンを持った警察に連行され、所持品奪われた上に独房に 監禁されたというのだ。言葉は通じないし、相手は銃を持っているし、相当怖い思いをしただろう。
 結局、同乗者の日本人が言葉に堪能で解放してもらったというが、こういう話を聞くと外国には行きたくなくなる。
 しかし、彼は何しにペルーなんていったんだろうね。 

小さな国際親善
 うちの近所にブラジル人が何人か住んでいたので、便宜上そうしているだけだ。まあ肌の色からして南米系の人であると考えてくれればまあ間違いないだろう。
 僕は小学校5、6年生とサッカークラブに入っていた。
 顧問の先生はサッカーが専門の色黒の若手教師であり、当時流行していたドラクエ5の「パパス」そっくりの風貌であった。
 僕ら児童が2列に分かれてパスの練習をしていたときに、その事件は起こった。ラテンな顔をしたい轆轤の二人組がいきなりグラウンドに闖入してきたのだ。
 「てるくはのる」や「タクマ」のようなキチガイが学校に闖入する時代ならここですかさず110番だが、当時は緩やかな時代だったのだ。
 彼らはいきなりズボンを脱いだ。もし何も履いていなければいよいよ本物の変質者だが、用意周到に短パンを着用していた彼らはゴールの前で学校の備品であるボールをとり器用にリフティングを始めた。
 練習しているところとは結構離れていたが部員は騒然となった。
 怪しげな南米人は確かにボールさばきがうまかった。小学校の素人クラブでは10回できれば上出来の世界である。まだJリーグもない頃で、僕らはその妙技に感嘆した。
 僕らは感嘆しても先生はそうではない。
 先生は大股で彼らのもとに近寄っていった。何が起こるのか、僕らは戦々恐々としていた。先生は彼らの元へ行くと身振り手振りで会話をはじめた。何語で何を話しているのかは解らないが、二人は大きく頷いて、退散の準備をした。誰かが「先生、すげー」といった。
 片方の男は最後、ボールを投げると餞別代わりにか見事なボレーシュートを決めた。部員たちは惜しみない拍手を送り、男は軽く手をふってそれに答えた。 

あいつはイギリスに行った
 大学受験の本勝負たる高校3年生ともなるといろいろな会社から 色々な郵便物が送られてくる。自分で申し込んだ大学発行の資料集やロハで送ってくる電話帳のような厚さの志望校ガイドブックなんてのはまだいいが、酷いものになると本当に酷い。
 例えばある予備校、頼みもしないのに勝手に封書を送りつけて曰く、
「あなたを○×コースの編入を許可します」
 誰が許可してくれなどといったこの馬鹿、とゴミ箱直行である。
 さてそんな中、ちらほら来るのは「外国の大学で学びませんか?」という奴である。普通に考えれば100%英語の授業が理解できる様な頭なら、それだけで一流大学に入りそうなもんだが、何十通もDMが届くところを見ると申し込む奴も多いのだろう。
 僕は外国なんぞに行こうとはさっぱり思わないから全部ゴミ箱の華にしてやったが、僕の同窓生にはその甘言に乗り、外国にいった奴がいた。
 彼はエキセントリックな人だったが、自分の進路までそう来るとは思わなかった。僕も不本意ながら変人の異名を取るが、彼には到底勝てそうもない(別に勝ちたくないが)。
 彼は元々中学にて「我が闘争」を読みきったり自衛隊に志願したりするような人だったが、イギリス(ウエールズかな)の大学で戦争学をやっていると聞いたときは頭が痛くなった。
 一時期、彼からは英文のメールがたびたび届いた。
 イギリスでの生活や外国の友達(イギリス人以外の外国人も沢山 いるそうだ)の話など興味深いトピックが並んでいた。例えば物価がやたら高く、食堂でサラダが500円もするとかね。
 僕は英文メールの中に、確かに異国情緒を感じた。
 あるとき、彼がメールに写真を添付して送ってきた。
 遥遥地球を半周してやってきたその画像、メールには友達の写真である旨記されている。僕は初の写真にドキドキしながら開封した。
 写真にはイギリスのどこかの海岸に男女総勢20人。
 全員日本人だったよ。 

国籍で判断してはいけません
 フランス人の男の子、って聞くとなにを想像する?
 まあほぼ間違いなく金髪碧眼のかっこいい少年を想像するんじゃないかな? 日本人の白人種に対する羨望と劣等感は相当なもんだからね。まさしくバナナ。
 実際はそうでもないと、当たり前のことだが気がつかされた体験を話す。
 高校3年生の2学期の始業式前、僕は仲間とつるんで体育館前でだべっていた。夏休みに校舎を改修したので教室にはまだは入れず、仕方なしにそこにいたのだ。
 と、前方から金髪頭がやってきた。
 悪いことに居合わせた奴らは僕も含めて全員目が悪かった。上履きを見るとヘッドが赤いから1つ下だとわかる。
「今年の後輩は気合が入ってるねえ」
「金髪で来るなんてイカレてるぜえ」
「停学か、誰かにシメられるね」とみなみな勝手な放言をしていた。
 始業式、留学生紹介の中に彼の姿があった。
 まあ9月から留学生がくるのは当然といえば当然だが、その頃僕の頭には全くそのことはなかった。そして金髪がたどたどし日本語で「フランスから着ました」といったとき、女子が卒倒せんばかりの歓喜の悲鳴を上げた。
 僕らはますます面白くない。
 中には「生まれつきの茶髪が染めさせられるのに、あいつは何で金髪なんだよ」という奴もいた。ステージの上の豆粒のようにしか見えない金髪は女子からの熱い声にへらへら笑い続けていた。
 僕が彼を至近距離で見たのは2週間くらいしたあとのことだった。
 女子を引き連れた彼は至近距離で見ると、実はチビで腹は出ており、典型的オヤジ体系だった。顔はにきびだかそばかすが酷く、かけた眼鏡は日本の「オタク族」を連想させた。
 「あんな汚いフランス人もいるんだなあ」と僕らは呆れていた。「女好きのところはそれっぽいが」と補足するものもいた。
 とにかく僕のきざで高貴で美男子のフランス人というイメージは完全に壊れた。 

トイレはビックサイズ
 政治を履修している関係で、日本の明治維新については若干勉強した。まあ進学高校の日本史を若干掘り下げた程度だが、興味深い時代ではある。
 そこでいえるのは当時は1人の留学生がその体験を武器に国家の形成にまで関わってしまうんだなということである。
 殊に長州藩のお墨付きでイギリスに滞在した伊藤博文をはじめとする5人組がその技術を持ち帰って明治維新の科学技術系のテクノクラートになっているし、また後年は伊藤自身が憲法研究のためにプロシアに遊学し、シュタインなどに憲法学の薫陶を受けている。また日本の民刑法は仏独法の継受法のため、そこでも留学生が影響を発揮したことはお分かりの通りである。
 かくも明治の留学生はさまざまな文物を持ち帰ったのに、現在の教員研修会の堕落振りはどうだろう。
 高校時代の担任はまあ手のかからないクラスを持ったせいか随分奔放かつ豪快な先生で悪い人ではないんだけど、あまり教育に熱心な先生ではなかった。それでも同窓会出席率が8割行くんだから実はたいした人なのかもしれない。
 その先生が教員研修会に座長として参加し、ヨーロッパを回って外国の教育事情を研修に行った。
 そしてその報告会が学校集会の一環としてあった。
 彼はいきなり「えー、ドイツのトイレはドイツ人の体に合わせて、えー、ビックサイズで」とのたまった。いったいどこの教員が欧州の教育現場を見て回ってトイレの話をするだろう。
 他の生徒は笑い転げ、我がクラスのメンバーは頭を抱えた。 

欧米礼賛のトリック
 別にファッションに詳しいわけではないが、何故かイタリア製の服を多く持っている。はっきりいって「ノーブランド」(いや襟元にはちゃんとタグついているから「ローブランド」というべきか)揃いだが、直感的に気に入ったデザインが他国に比べて多い。
 これは鶏と卵の関係みたいなもので、イタリア製がカッコイイという理由で買い揃えたから気にいったのか、デザインがいいと思って買ったのがイタリア製だったのか、原点は忘却のかなたである。
 ただ、事実として僕のハンガーにはイタリア製の服が多くかかるという点は確かである。ただし廉価好きの特徴として一番多いのはやはり中国製である。イタリア製なのはYシャツとかジャケット等、パッと見て他人から注目される部位である。
 今、イタリアと中国について書き、イタリアの方がファッション的に上というような書き方をした。これはやはり大抵の人が思っていることだが、僕くらいのレベルでは、勿論差が解るはずもない。ファッションフリークなどは服を見ただけでどこのブランドのどこ工場で作ってるか解るそうだが、僕は服を見ただけではどこの国のものかさえわからない。
 要は気分の問題である。そしてその気分とは脱亜入欧の世界だ。勿論、トップデザイナーの世界に行けば欧米優位は必至かもしれないが下々のものにはわかりっこないのである。
 先日、それを象徴するかのような服を買った。
 なんてことないカジュアル系のYシャツなのだが、なんと説明したらいいだろうか、妙にワンポイントが入っていたりして、スーツの下にはとても着られないようなデザインのものである。個性的なスタイルはとても「ヨーロピア〜ン」な風情である。
 襟元のタグにはイタリア人っぽい名前がデザイナーズブランドとして記名され、その下に面白いことが書かれていた。

「Idea from Italy」

 イタリア製じゃないんですね、腰のあたりのタグにはしっかりと「Made in China」の文字がありましたよ。欧米偏重の我々を、嘲笑するかのようなトリック。
 結構、僕は気に入ってますよ。 

ミスマッチ
 ユーゴスラビア、内戦の続く国。独裁者、飢餓、テロリズム。
 そんな国から我が高校に留学生がやってきた。
 まあとはいっても見た目は普通の高校生で間の抜けた面構えなどなかなか親しみやすいものがあった。どうも留学生関連の話題では辛口になる傾向があるが、確かにこの年の留学生は極めて庶民的な御面相が多かった。僕の同級生諸氏は同意願えれば幸いだ。
 さて、彼が来る前に、予習のつもりかなんなのか各クラスに一枚、留学生の略歴に関してプリントが配られた。僕らは教室に張ってあるそれを見て「こいつこの学校でやってけるのかよ」と思った。
 まず「現在の社会で問題になっていること」というお堅い質問に彼は誠に相応しい回答を用意した。即ち「民族紛争、それを惹起する宗教対立」てな趣旨のことを書いていた。
 宗教対立? まてい、我が学校は仏教系の学校だぞ。宗教の授業こそないが、各種礼拝は一年過ごしてればあるぞ。わざわざそんな 異教徒の学校に来ることもないだろう。
 また「日本の教育に一言」という点では校則が厳しいだの教師が 生徒を信じないだの、お世辞にも「一言」とはいえないきつい言葉が並んでいた。翻訳した教師はよくもまあそのまま載せたものだ。それにしても近隣学校で一番校則の厳しい学校に来るなんてねえ。
 結局彼がドロップアウトしたなんて話は聞かないけどうまくやれたのかなあ。せめて我が母校にいる間だけでも有意義なる生活を送ってほしいと切に願うよ。 

ロシアンロリータ
 演劇部の音響担当Y先輩が夏休みの間に丸刈りにしてしまった。
 元々個性的な先輩だったが、突然の豹変に皆々吃驚してしまった。理由を聞いても本人は口ごもるばかりでちっとも答えてくれない。
 当然この変身劇には色々な話題を呼び、理由については諸説乱れ飛んだのだ。定説となってしまったのは彼が頭の上がらない強健な T先輩の主張だった。
 彼は柔道部上がりの照明担当で非常に体格がよく、頭もよかった。この点、Y先輩とは対照的で裏方コンビとしては非常に相性の悪い でこぼこコンビだった。もっともお互い軽口の叩きあいは満更でもないらしくよくじゃれあっていたが。
 さて、T先輩の主張とはこうだ。
 Y先輩は当時流行し、愛用している「ロシアンロリ−タ」のエロ本が親にばれてしまった。そして激怒した親のツテで善光寺だかそんな名の寺におしこめられて、謹慎生活を送ることになってしまったそうだ。
 期間は一週間でこの段階では髪もあったのだが、住職は彼が全く更生していないのを知って怒り、親に電話をして今度は剃髪の上、 さらに一週間寺預かりの身になってしまったそうな。
 嘘か誠か知らないが彼も否定しないので案外本当かもしれない。
 先日、演劇部長だったK先輩にY先輩の足跡を聞いてみた。と、彼は現在福祉関係の専門学校で「女ばかりだよー」と喜んでいるそうである。
「ロシアンロリータ*****(←Y先輩の名が入る)」
「うるせー、てめー、ぶっ殺すぞ」
「おお、殺してみろ。お前修学旅行の班に入れてやらねーぞ」
 先輩が軽口を叩き合っている光景、今でもよく覚えている。 

青い目のフェミニスト
「今年の留学生は確かこのクラスに配属だと思う」
 高校2年生の夏、ふと学年主任の国語科教師が授業中に呟いた。その瞬間、教室は大混乱に陥った。そりゃそうだろう、国際化社会とはいってもまだまだ外国人は珍しいのだ。
 結局、これは誤報で留学生はGではなく英語科教師が担任のC組に行ってしまったのだが、その留学生はすごかった。
 オーストラリアのケーキ屋の娘という彼女はそれはそれは国籍にも家業にも恥じない堂々たる体躯の持ち主だった。まあ端的に云えば太っていたんですがね。それでもそんなことはおくびにも出してはいけません。
 と、いうのも彼女はバリバリの「フェミニスト」だったからです。
 僕の学校の女子の制服はコシノ姉妹の誰かが作ったブレザーで、当然下はスカートなのだが彼女はずっとズボンで通していた。まあ、スカートは男女差別で性的搾取の象徴とか思っていたんだろう。 僕の高校は校則の厳しいことで聞こえた学校だけど、彼女については何も云わなかったな。
 留学生というものは1年を通して始終ちやほやされるものだけど、彼女に関しては一人で歩いているところをよく見た。それはそうだ、 先生の目を盗んで丈を詰めているクラスメートと、足を見せるのは女の地位を落とすことと考えている人とは話が合うはずはない。
 結局、特にみなの記憶に残るようなことをやらないまま、僕の代の留学生は去っていった。
 余談だが先述の学年主任の国語教師は授業中にこう云った。
「留学生の彼女から日本語で手紙が来たよ。末尾に「私の日本語、変じゃないですか?」と書いてあったけど、やっぱり変だったね。でもあれだけ早く忘れる人も珍しいよ」と。

 僕はクラスに彼女がこなくてよかったと本当に思う。
 当時僕は「反主婦連同盟」を組んで、アンチフェミニズム運動をしていたから。そんなところに彼女がきたら国際問題になることは必至である。 

南の島のICBM
 彼氏のいる女の子とサシで飲んだことがある。
 とはいっても恋愛とかそんなんではなくて単にかつていた部の先輩と後輩の関係だけである。僕は高校の頃は大層伝説が先行した人間であり、それを信じてくれる人が今でも少数いるのだ。
 この酒宴で彼女は僕の本性を知ったろうから、もう二度と呼ばれることはないだろうが、それでもその時の話をしたい。
 飲みに行くとはいっても彼女に彼氏がいることは知っていたから、少々躊躇はした。だが結局は好奇心に負けて居酒屋で向かい合いグラスを傾ける羽目になった。意思の弱さにはほとほと呆れる。
 僕は彼女曰く「こんな弱い人とは初めて」といわれるほどの下戸でなんとかカクテル一杯死守したが、それでも酔うと比較的(←強調)下品なことを口走りだす。
 それで「キミは彼氏がいるらしいけど、まさかここまでぶん殴りには来ないだろうねえ」といってみた。すると彼女は「そんなこと絶対にありませんって」と4杯も飲んでるくせにちっとも酔わずにいった。

「だって、ニュージーランドにいるんですもん」

 はあ、ニュージーランド。南の島。国境を越えた遠距離恋愛。
 それは殴りかかってくることはないだろうけれど…ここで普通の男 なら口説きだすかもしれないが、僕はそんな気も起きなかった。
 南の島から白煙上げて飛び上がるICBM。
 その弾頭が僕の頭を粉々にするイメージが、酔った脳裏に浮かび続けていた。 

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