本項の説明 |
普通の携帯エッセイではありません
インターネットで色々なエッセイサイトなどを見ていると、しばしば携帯電話に関する言及にお目にかかる。
大抵は日記などで新機種に買換えたとか一日忘れてブルーだったとか長話して通話料ピンチとかそういう話だ。今や国民の半分、高校生の7割、大学生の9割が所持する時代だ、それもむべなるかなである。
しかるに当にゃごろう村管理人・山田大佐並びにバラ職人は共に大学生でありながら、携帯電話を不携帯のまま大学生活を終えんとしている今となっては希少人種である。
昨今「個性を大事に」とかいうスローガンが主として教育関係周辺で金科玉条の如く言われている。また子供は子供で「人は人でいーんじゃん、差別や干渉なんてダサい」とされている。
真っ赤な嘘である。
如何に一般の人間どもが自分と異なるライフサイクルを送るものに対して厳しいか皆さんご存じない。あるいは自らの罪に鈍感にも気がついていない。
これは世にゴマンとある携帯電話賛美サイトとは確実に逆である。携帯電話の持つ利便性は十二分に理解し肯定した上でその文明の利器を狂気として振り回す、所謂「電波キチ」に対する抗議のコンテンツである。
このサイトの閲覧者は大学生と社会人の方が中心である。皆さん携帯をもっていることは必至であろう。周りに不携帯な人がいない環境にいる人も多いと思う。
そこで敢えて言う。
不携帯者に理解を、力を、光を!
あなたの見慣れた光景は私にとって異界である。別サイドからの視点をお楽しみください。もしこれを読んでムッとしたりマジぎれしたりする必要は一切ありません。
所詮、私どもは少数派ですから。 ▲
|
不携帯の理由 |
答えるのも面倒臭い
携帯電話を持っているかと訊かれれば、隠す謂れもないのでないと答える。すると「どうして?」と来る。これはほぼ100%の率で訊いてくる。僕が普段口を利くような大学生や社会人の方は持っていることが既に自明なのだ。
本当の理由は言って理解された試しがないので、あらゆる嘘をついて逃げている。尤もこれは大学に入ってからで、高校は 校則で全面的に禁止だったから問題にならなかった。
大学では本当に色々な奴が聞いてくる。しかもそれがまたしつこいしつこい。曖昧に笑った程度ではダメである。とにかく理想の実験動物を見つけた研究者の如く、骨一本残すまじといった形相で訊いてくる。
これに対抗する嘘としては「親が禁止している」「銀行口座の実印がない」「ペース・メーカーつけてる祖母の遺言」「脳に腫瘍があって、医師から禁止されている」「金がねーんだよ、コラ」 「宗教上の理由」「守護霊が嫌がるから」などなど随分使った。
全部嘘なんだけど、言い切ってしまえば相手は基本的にそれ以上突っ込まない。あまり1つのバリエーションを使っているのもまずいが、そうしたら変えるだけのことである。
さて、嘘をついてまで隠す本当の理由とは何か?
「面倒臭い」
以上である。
これについての詳細な説明は後のコンテンツで出てくるが、根本はこれである。ショップに行くのが面倒臭い。頭悪げな店員の応対が面倒臭い。諸手続きが面倒臭い。マニュアル読むのが面倒臭い。操作が面倒臭い。
そして…なくても別に困らない。
退屈な電車などカタカタメール打ってりゃ暇潰せそうとか思うけど、先日実際やってみたらあまりの面倒臭さに音を上げた。あれは性にあわない。
しかも僕は電話が嫌いなのだ。いきなり現れて他人の時間をあつかましくも奪い取る。僕と話したければ(僕の私有の時間を侵犯したければ)、それなりに手続きとらんかいと思う。いきなり現れるのに十分な重大な用は僕に関する限りないはずだ。
自宅にいても無神経な電話に悩まされてるというのに、この上そんなキチガイ機器を持ち歩くなど正気の沙汰ではない。僕は友情に飢えていないし、他にやることはある。
しかるに我が友人諸氏はこういう。
「連絡が取れない」
「電車が止まった時などの緊急時はどうするのか?」
「番号覚えられるのか?」
「待合せの時はどうする?」
順に答えると「自宅にかけるか大学にメール送れ」「公衆電話を利用、出来ない時は事情を話す」「手帳の存在を知らんのか」「僕は待合せに遅れたことがない」ということである。
必要性を感じないし、面倒臭いのは嫌だ。
それに僕の性格要素が無理に僕に携帯を持つなと囁く。
吝嗇という性格要素が。 ▲
|
快楽ゾンビ |
電波ゾンビの布教
これはいろんな人の漫画や小説に出て来るので誰が最初に考えたのか知らないんだけど、こういう話がある。
近未来の社会、ゾンビが大量に出没する。青白い顔で両手を突き出したままゾンビは次々と人を襲う。襲われた人は次々とゾンビ化し、またまた人を襲いだす。かくてネズミ算式にゾンビは増えて、結局人類は主人公だけになる。
主人公は最後に生き残りをかけてゾンビを殺しまくる。生前なら恋人や家族だったゾンビまでも無残に殺す。けれども多勢に無勢、結局主人公は無念のうちにかまれてゾンビ化してしまう。
ところが姿形は気持ち悪くてもゾンビ自身は非常に気持ちよく快適な気分なのだ。「こんなに気持ちのいいものだったら、早くなればよかった」という主人公。周りのゾンビも「そうだろ、だからお前も早くゾンビにしてやろうと思ったのに…」等と主人公が殺した死体を片付けながら言うんですね。
ええと、何が云いたいかというと、携帯電話も大学生の身分ではこんな感じですね。僕のいた高校は全面禁止だったし、つるんでる仲間は高大問わずに真面目系だから、入学時はみんな持ってないんですね。
ところが一人持ち二人持ちと増えていくうちに、彼らはいきなり信者と化して折伏に来る。昨日まで「まともにつかわねー携帯など金の無駄だよな」と言っていた戦友が、あくる日には「やはり ITの波に乗り遅れちゃいけないよな。ドコモの新作だよ、こいつは。おまえも買った方がいいよ。ちなみにauはクソだね」などと言ったりする。
しかも転向者がそうであるように頑固に携帯を持ってなかった奴ほどプッツンした時に反動が物凄く、僕のメールボックスにはそういう奴からの舞い上がりメールが何通か入っている。
さて高校同窓生では恐らく僕一人(同窓会の携帯連絡網は僕のところで確実に止まる。「公衆」と書いてあるからだ)、大学の友人連でもやはり僕一人だけ携帯不携帯者として残った。
もはやゾンビに囲まれた世の中、信じられるのは自分のみ。
いつ食われるのか? それとも生き残るか。
携帯の便利さはある程度、想像がつくだけにこの勝負はなおタチが悪い。
先日、我が家の家人がついにゾンビになった。
僕と長らく携帯所持者のノータリンについて罵倒していたのだが、ある日「友達のツテで格安だったよ〜」とか嬉しげに喚いていた。最新機種だかなんだか知らんが、最近では狂ったようにかけている。後期中毒者ほど恐ろしいものはない。
さて、頑固で知られる僕は、どこまで持つかな。 ▲
|
携帯神経症予備軍 |
病院へ行きな
僕の関する限りネットの世界は時間が経つのが遅い。
例えばHPの掲示板などで、1週間ぶりに来ただけで「おひさしぶりです」になってしまう。大学では一週間に一度しか会わない奴なんてザラにいるぞ。それを言えば教授なんて全員おひさし組だ。
また掲示板のつきあいが一月も続けば「随分長くつきあったからリンクを」となることがある。一月程度の付き合いでは、ましてや現実よりもはるかに密度の薄いネット世界では、相手のことはなかなかわかったものでもないのに、過度に信じてしまう。おそろしいことだ。
似たようなことは携帯でもいえる。
通称・携帯神経症という病気というか症例がある。
精神科の管轄で、「なんであたしの携帯には誰からもかからないの?」というところから端を発して、疑心暗鬼な妄想に捕われていくビョーキである。これに怯えている連中は、時々18時のニュースでよくやっているが、携帯の手放せない人たちね。
それこそ」電話を切ったら10分後にはまた喋ってるような奴、人とつながっていないことに異常な恐怖を感じる奴。一日携帯を忘れただけでパニくるような奴。自分に自信がないんだろう、浅薄な付き合いしか出来ないとはかわいそうなことだ。
問題はこの手合が僕に「携帯を買え」と迫ってくることだ。
一人いるんだな。
「携帯をもたなくていいなんて、お前友達がいないんだな〜。
大学での話は作り話で、お前実はいつも一人だろう」
などと勝手に推理した妄想を並び立てるのがいるんだよ。
これは嫌だねえ。当人は5分に一度携帯鳴らしてビップ気取りで悦に入ってるけどね。こいつは明らかに神経症入ってるね。あと履歴の量を見せびらかす奴やメモリーに入ってる番号の数を自慢するバカな奴もいる。
「伝説の教師」ってドラマ。教職課程の教師が見ろというから、1回見たことがあるけど「メモリーを切って番号を復元できる友達が真の友達」みたいな言葉があったけど、それはいえる。
僕もバラ職人も友人がゼロだって? 笑わせるなよ! ▲
|
電話嫌いの真相 |
嫌いなもんは嫌いだよ
何故に僕は電話が嫌いか。
これは携帯電話に限らず固定電話についてもいえるのだが、自分の行動を有無を言わさず寸断することが相当腹立たしい。いくら私が暇人で知られているからといって、別に始終壁に向かってブツブツ云っているわけではない。
僕の日常は暇というより、「明日は明日の風が吹く」的に予定を詰めない主義だから「今日やることも持越可」、つまり至急の要件があるならそっちを先にやりますよという意味で暇なのである。
だから「俺は*月*日から*日まで忙しい、遊んでやるから好きな日を選べ」というメールがたまに来るとこれはムカツク。大抵はレスしない。そこまで暇なわけではないからだ。断るところを予定を先延ばしにしてでも付き合うこっちの温情を無視している。
ともあれそういう訳で何かをしている時に出し抜けに意識を寸断させて、割り込んでくる電話というメディア、嫌いだ。何をしていても電話が鳴っている時は「受話器を取る」ことが最優先行動事項になるのだ。食事中も寝ているときもセックスの最中も、つまり人間の三大欲に勝ってしまうのだ。恐ろしいことである。
僕の日常はそこまで深刻でもないが、家にいるときは本を読んでいるか、映画(テレビかビデオ)を見てるか、PCたたいてるか、勉強をしている。つまり何かに集中しているときにかかってくる。否応なく現実に引き戻される。
覆水盆に返らず、集中力はぶちきれる。
そのくせ電話なんていうのはロクな要件を運んでこないのだ。
手紙の方がよっぽど大事な用を知らせてくる。電話はセールスが特に多く。ついで友人の暇つぶし。その次にやっと必要な事務連絡になる。この第三がなければ我が家に電話は要らないのである。僕はもう自分からかけることなんてまずないから。
これで僕が携帯を持ったらどうなるか。
すべての行動に奴はついてまわる。それは持ち歩かなきゃいいんだが、それじゃあ買う意味がない。しかし持ち歩いたって僕は日中大学で講義を受けているか電車に乗っているか家にいるかしかないのである。外出時は電源を殆ど切ってるし、家にいる時はいらないのである。
この項は僕のしつこい友人知人に特に言うよ。
オルグるな! 僕は必要ないし、そもそも電話は嫌いだから。 ▲
|
ショップの店員 |
馬鹿っぽい今時テイストは嫌い!
関連勤務している人には悪いが、僕曰く「携帯ショップの店員は頭悪げな奴が多い」という言説をあげておこう。実際頭がいいのか悪いのかはもちろん問わない。あんまりバカな奴は商品説明なんて出来ないだろうから一定上はあるのだろう。
しかし、外見から見ると頭悪げなのが多い。
と・く・に電器屋の店先か何かでやっている奴は論外である。いわゆるストリート系。あるでしょ? 店舗の路頭でやっているような奴。あれはダメだねえ。
なんでケータイショップの店員はあんなに馬鹿っぽいかなあ。これはおそらく携帯電話のお得意様であるガキに対して(小学生以上、大学生未満)売りつける必要性からかと思うけれど、やたらと外見が今っぽい。店員とわかるのは前掛けや制服の故で、それらがない店ではTシャツGパン、茶髪に極まった奴になるとガングロで売りつけに来たりする。女はキャンギャルのレベルひくげな奴らがやってるから当然といえば当然なんだけど、男だってまるでホストかスカウトだ。
またあの喋り方、親近感を出すためかタメ語で話す馬鹿。そうでなければ慇懃無礼の見本のような喋り方をする。慇懃無礼って言葉、解らない人はケータイショップに行こう。
とにかく僕はそういう今時の若者っぽいテイストがまったくダメだから、そんな所に近づくのも嫌だ。更にそういう奴に教えを請うのも嫌だね。自分からそういう声かけている中で申込みに行くのも卑屈っぽくてNGだし、声かけられたらもう買う気なんて絶対起きない。
要するに僕は馬鹿っぽい奴と話すのは嫌だし、ましてそんな信頼できない奴に誘われてハンコ押すのも嫌だね。
つまり、僕は買おうと仮に思っても買えないね。
ケータイの自販機なんてものがあれば話は別だが。 ▲
|
ふられた理由 |
シャイロック山田
携帯電話を持っていないと、持っている人にとっては常識というようなことも知らない。例えば、僕に携帯電話を投げてよこされてもかけることすら出来ない。それは持ってないから当然としても、市外局番を入れ忘れるなんて頻発である。友人から貸して貰って、入れるのであるがよく呆れられる。
またHPが見られるというのは最近知った。着信がDLできることは1年位前に知ったが、自作できるというのは2週間くらい前に知った。人によって着メロを変えられるということは1年前、写真を撮れると知ったのは1週間前の同窓会である。
携帯の電話代が高いというのは前々から知っていたが、どれほど高いのかは知らなかった。
これは遠距離交際時代の話である。
僕は関東に、彼女は関西にいた。使えるメディアはすべて使って愛を育んでいたのだが、ここで問題が起こった。我が家のパソコンがイカれて日常的に言を交わす方法が電話だけになったのだ。
ここで僕の悪いくせが頭をもたげる。
僕は妙にケチで「女には絶対金を払わない」なる鉄則がある。金を貢ぐなんてとんでもない。飯一食ジュース一杯奢らない。金を要求する日が別れの日と硬く決め、断断断じて女に金は払わない。払ってもらったことはあるにせよ、自分からは絶対払わないというケチぶりである。
そんな主義をもってしても奇特な女性はいるもので、彼女やらデート相手は出来るものなのである。大体、女性の自立や男女平等を叫ぶ奴が施しを要求するとは何事だ、馬鹿野郎めが。
…いや、その話はともかくここで電話である。僕はここでもこの悪しき癖を発現させ。電話代払いたくなさに自分からはかけない。彼女からかかるのを待つ日々。しかもさらに都合が悪いことにこの交際、お互いの家から猛反対を受けていたのだ。
もし彼女が我が家にかけて親が出れば、罵詈雑言の下に切り捨てられる。逆に僕が彼女の家にかけると、そこまでの目にはあわないがロクな結果に成らない(彼女の家は電話に厳しかったのだ。長距離電話によって電話代がやばかったのだ)。
結局、僕が彼女の携帯にワンギレさせて、彼女の携帯の通話料でいつも喋っていた。嗚呼、僕は携帯の電話代の高さを知らなかったのだ。ま、知っていたからどうなったという問題でもないが。
話せば最低1時間、長いと3時間喋ったこともある。それを週に一日、休みの時は三日に一度とか。一体、いくらかかったのか想像も出来ない。
まあそんな交際が続くはずもなく、別れちゃったけどね。
僕は別れ際、「貸の経費があれば請求額を払うよ」と云った。
なんせデート代など結構向こう払いだったからいくら請求されるか気が気でなかったが、1円もとられなかった。これは彼女は立派な行為である。
僕は現在、山田家の電話代を負担している。回線仕様料1600円は親から現金で貰っているが、通話料は安いものなので負担している。たまに家人から携帯40分、2000円とか来ると厳重に注意して場合によっては現金をぶんどっている。
一体、彼女はあの夏、いくら払ったのかな?
携帯で、しかも関西から関東へ。
10万円は下らないだろう。20万いってるやも知れぬ。 ▲
|
カウントダウン |
コーシューで悪いか?
これは大学1年の冬にやった同窓会の1コマ。
「おい、ヤマダ。お前、コーシューは酷いよ」
「は?」
それまでゴニャゴニャと内々で騒いでいた高校の同窓生を前に、僕は反問した。酒席ではあるから、多少なら口臭がついても止むをえんが、公に指摘されたのは初めてである。僕は小学校の啓発指導で自分の口腔中の歯垢細菌を顕微鏡で見せられて以来、歯磨きは朝晩欠かさずに励行しているのだ。昼間やるほどファナティックではないが。
それに対人マナーとして人に会う前はガムを噛んでいる。別に自臭症というわけではないが。そういうワケで口臭がするなどといわれてはこれは聞き捨てならん。
片膝立てる僕に仲間が追撃する。
「携帯、いいかげんに買えよ」
なるほどこれで合点がいった。
ゴニャゴニャなにを密かにやっていると思ったら携帯番号の交換や着メロ談義で盛り上がっていたのだ。その時僕らは「天皇制の正当性」について左翼と論争(?)していたのだが。
ともあれ天皇を人民裁判にかける夢など語る奴に用はないので、僕は体を返して携帯話に参戦することにした。
「コーシューコーシューって臭うように言うない!
公衆電話のどこが悪い? 誰に迷惑かけた? ああん!?」
と、これは文芸部時代の先輩の受け売りである。
要するに、彼らは携帯不所持の僕が外出先で公衆電話からかけてくることに不満らしいのだ。云うまでもないが着信画面には「公衆」とだけ表示される。
「んなこと云ってもさ、かなり吃驚するよ。公衆って出ると」
「じゃ、非通知にしてやろうか」声にドスを含んでやる。
「それも困るけどよォ、やっぱお前買えって」
「いらねえよ、テレカとメモ帳あればどこからでもかけられる」
「おっ、テレカ。懐かしいね」
と、いう訳で話題は変わってしまったのだが、実際に連絡を取るだけなら公衆を使えば殆ど困らない。友人連の番号を総記した手帳は常時「携帯」してるからだ。
ただ困るのはその料金の高さだ。元々回線を使った市内通話でも公衆電話と家やオフィスなんかの固定電話とでは値段が全然違う。無論公衆のほうが高いのであるが、これが対携帯となると目も当てられない。
距離と料金に因果関係があるのか知らないが、関西の友人(これはさっき「コーシューやめろ」と云った奴である)にかけたときは凄かった。緑の電話からなのだが、赤い度数表示がカウントダウンのように落ちていく。これはちょっとパニくった。
面白いといえば面白いのだが、あの体験は悪夢が入ってた。 ▲
|
喧嘩売ってる? |
携帯所持者は誰も気づいてくれないけれど
例えば非喫煙者がレストランの喫煙席なんかにいくと、あまりの煙にとても居たたまれない目に会うことがある。ところが喫煙者の場合は例えその時煙草の持ち合わせがなくても平気な顔して料理をぱくついたりしている。煙の匂いとかは気にならないらしい。
喫煙者が喫煙者ゆえの無礼をしても、非喫煙者から指摘を受けるまではなかなか気がつかない(例えばいきなり煙草に点火するのがマナー違反とか)。それは服についた匂いのように、内部では気がつかないものなのだ。
携帯もそれはいえる!
もっとも煙草は「嫌煙派」という強硬かつファナティックな糾弾者たちがいるから、その悪行やマナー違反を公衆の啓発の為にあげつらってくれるが、携帯は既に世の中枢を制圧しており、携帯所持者ゆえの悪行・マナー違反はなかなか発見され得ないのだ。
例えば、人と話している最中に、かかってきたとはいえいきなり長話始める奴。これ、携帯所持者は非常に寛容なのだが僕には許しがたいね。しかも相手から誘われた席での一齣だと腹だたしいことこの上ない。大抵は席を蹴って帰っちゃうけどね。
人と話をする時は、電源くらい切っとけ。一度相談があるとやらでファミレスに行き相手にこれをやられた時は頬をはたいた。恋愛の退屈な相談だったがそんな無神経な馬鹿は嫌われて当然である。(また携帯もつと突然態度の変わる奴というのも信用しがたいね)
この系譜は携帯電話全体にいえて、特に許しがたいのはメールである。これは人と応対している時にやっちゃいけない。相手を侮辱したい時はやるべきだが。例え相手から来たからといってその場でカチカチやるべきではない。
模範は席を立って電話で用を済ませるべきである。とにかくあれをやられて愉快な奴はいない。「お前の話は聞いていないよ」なる意思表示と見られても致し方ない。
メールを打ってる奴の顔って大抵馬鹿面だもんな。
とにかく僕は自分と会話している時に、相手が長話に講じたり殊にメールを打ち始めるようだったら喧嘩を売っているか礼儀知らずの馬鹿とみなしている。大抵そう判断して間違いないのだが、それにしてもこの大流行、携帯人はちっともマナー違反とされないのが不思議でならない。良くぞ耐えられるものだ。
(電車内の携帯ももってみると止められないって云うしね。
それにしてもああいう不快感を与える行為はやめるべきだ) ▲
|
着メロ |
休憩
着メロほどその人の性格を現すものもない。
僕は音楽については基本的に無知だから、曲自体は語らないが、妙なこだわりを持った奴、ヤダねー。ここでは僕は特に語ることもないので、僕のネタ帳ノート(要は備忘録の殴り書き)から今まで出会った奇妙な着メロフリークを紹介していきたい。
・サザエさんのエンディング(鋲ファッションのパンクス)
・アメリカ国歌(ハイソ系(?)OL)
・ボス電でもないのにBOSSのテーマ(うちの大学生)
(しかもこいつ出るなり「ボスボス?」といってた、つまらん)
・寅さんメインテーマ(IN上野)
・火曜サスペンスのCM直前音源(多分高校生)
・ワルキューレの騎行入れてた小学生(AHSか?)
・母校の校歌(勿論同窓生の自作、欲しいねえ)
・炭鉱節(何故か高校生!)
・「帰ってきたヨッパライ」(中年リーマン)
・ウルトラクイズテーマ曲(←同窓生)
昔はチープな音源だったのに、最近は随分豪華になった。
CMじゃないが聞きほれてるっぽい奴、たまにいる。僕はどっちにしろ関心ないし、買ったとしても着メロなんてつけない。寧ろない方が今は識別に便利そうだし。 ▲
|
親指トム |
送信の技術
携帯電話のメールに偏執的にハマっている奴のことを「トム」というそうだ。はじめこれを聞いたときメールと覗きについての因果関係を本気で考えてしまったが、種をばらせばピーピングではなく、あの童話「親指トム」からきているらしい。
なるほど大学のキャンパスや電車内やファミレスやベンチなどどこでも小さい画面を睨みながらピコピコ打ってる奴を見ることが出来る。僕は一度友人から借りてやってみたことがあるが、あまりの面倒臭さにやめてしまった。キーボードなら瞬時に出来ることがなれぬせいもあるがやたらと時間がかかる。そこまでして伝えたいことってなんだ?
僕のメールボックスにも携帯からよく来るが(本数はこっちの方が多いかもしれない)その労力を考えると誠に申し訳ない。携帯からだと必ずタイトルがついっていなくて、面倒くさがらず書けよと思ったものだが、ここまで面倒臭いと強要するのは酷な気もする。
最近は技術の進歩で、ン千文字送受信可とか画像着メロ送信可といわれているが、そんなもの何に使うのかと考えると不思議な気がする。ン千文字打てないのは自明だが読む方だっていくら拡大したとはいえあの小さい画面では大変である。
もはや絶滅に瀕死ているポケットベルが全盛だった我が中高時代、コギャルと総称される流行追撃女子たちは公衆電話に向かっては、北斗百烈拳よろしくプッシュボタンを連打していたものだ。あれでちゃんと意味が通じる文章が送れていることに僕なんぞは驚愕したものだが、あの技術のように、親指で素早くメールを押し出す技術が、無駄にならないことを祈る。 ▲
|
電車の乗客談 |
要するに不愉快だ
電車での携帯電話の使用は一般にいって非常識である。
これを禁じるのに心臓ペースメーカーへの悪影響を指摘する声が金科玉条の如く云われているが、果たして未だ実例がなく疑わしいというレベルのものを禁じるのは理由としては弱い。
本当の理由は言うまでもなく、不愉快だからである。電車内での会話は、まず基本的に迷惑なものである。静粛な環境が模範であることは言うまでもない。しかしまそこは浮世であるからして複数で電車に乗った集団がお互い話を始めるのは致し方ない。人間は社会的動物だからだ。非常識な大声は(たまにいるが)論外であるがまったく話をしていけない空間がどんなに重苦しくて、寧ろ環境的に有害であるかは大体皆さんお分かりいただけるだろう。
しかし携帯電話の会話というのは普通の会話とは全く違う。普通の会話が完全に公開されているのに対し、携帯電話は極めてその場の雰囲気から逸脱しているのだ。会話は理解できるが故に無視しやすい。ところが携帯電話というのは相手方の声が聞こえないので、必然的に浮いた雑音としてその声は車内をさまようことになる。
これは解らない、そして解らない音というのは不愉快である。普通の会話より低い音でもなおさら気になる。
とにかく電車内での携帯電話は不愉快である。さすがにこの不快さは身内であるところの携帯電話所持者もわかっているらしく反対の声はあがっているが、やはり大多数の携帯電話所持者はこの不快さがわからない。身内ゆえの鈍感さである。
先日、しつこく携帯電話で喋る女子高生にいい年こいた爺様が、「電波出すなバカヤロー」と叫び、僕は思わず失笑したが、まったく携帯所持者の公共心の欠如、何とかならんか。 ▲
|
バカ大学の講義 |
法学部の無法地帯
何を隠そう馬鹿大学の在学者である。
ま、別に我が大学でなくても、今や大学と名のつくところは大概そうなのだけれども講義中の携帯電話のラッシュ、何とかならないか。僕は今まで生きてきてここまで携帯電話が集中してかけられている場所は成人式の式場しか知らない。
勿論、大学の講義がすべて携帯鳴り響く騒音地獄かといえばそういうわけでは無論ない。しっかりと教授が取締っているところではちゃんと皆私語もせずに眠ったり漫画読んだり音楽聴いたりゲームボーイしたりしている。勉強をしているのは必修科目や少数ながら知的関心を持つに足る興味深い講義の時だけ。
そもそも大学の講義なんて履修者の半分も来れば御の字なのだ。
さて、では教官が何らかの理由で学生から舐められ、既に罰則もとれないほど弱体化してしまった講義はどうなるのか? 私は法学部法律学科にいるのだがこの学科は優秀な方である。教職関係で色々な学部の講義を聴いてきたが、公然と教授を面罵したりマジメ系学生を襲撃しない分だけ優秀である。
その法律でも余計科目とされている法史系科目これは酷い。例外は一教科あるのだが、大抵の法学生にとって大学まできて歴史科目なんて取る意義が感じられず、もっぱら「単位大盤振舞」科目として認知してきているに過ぎない。事実法史系科目は出れば確実に優がとれる。
これはアソビ人系にはおいしすぎる。
従って何の心得もないのが大挙してやってくる。教官もどういう訳か注意しない。自分の科目がどのように理解されているか知っているのだ。まるで全員示し合わせたかのように「夏の課題と試験をやれば全員優」と決っている。
そういう科目は本当に物凄い。携帯をいじらないものは仲間同士で大騒ぎしている。着メロのお陰で、講義にBGMがついていると感じさせるほどだ。僕が法史系科目で前に座る理由は視力の問題に加えて、そもそも講義が聞こえないからだ。
そういううるさい教場では携帯組は大声を張り上げないと相手に通じない。よってひときわ携帯組は大声で怒鳴っている。悪循環はまわりまわって酷い時になると「何、もう一回いって」といいながら教場を出てく奴もいる。
それでもまだいい。
僕は大学1年生の時に信じられないものを目にした。
中国語の講義なのだが、クラスの半分は商学科の不良学生だった。聞くと商業高校あがり(商業で受験すると有利らしい)の連中と、併設高校からの無学習組の無敵のタイアップで出来た不良学生なのだが、これが徹底的に教官を罵倒する。
毎時間のように「死ね」だの「カス」だの「殺すぞ」だの喚き、教官は毎時間怒鳴るが空回り。これの試験は凄かったねえ。試験が開始と同時に携帯をかける奴続出。さすがに中国語のことを喋る奴はいない。それは四人一組とかになって会議してるからだ。無論、試験中はそんなこと禁止されている。
ひとり凄い豪傑がいた。
彼は「あ? 今、**だって。OK、すぐ行くわ」とかいうと、試験用紙を破り捨てなんと窓から(教場は一階)出て行ったのだ。僕はこれを見て「こりゃダメだ」と思ってその講義を放棄した。
翌年、その先生は辞職してしまった。あれから何があったのか、僕は行っていないから解らない。だが翌年の再履修の時は見知った顔に何人にもあった。 ▲
|
待合せの激怒者 |
みんなは気がつかないけれど…
携帯電話普及の弊害の一つに主として若者が「待合せ等の時間にルーズになった」ということが最近しばしばあげられている。確かに携帯があれば一本「遅れるわ」と相手の携帯に入れるだけで基本的に問題は起こらない。飯くらい奢らされるかもしれないが、それで逢えなかったり絶交だなんてことはない。
携帯電話を持っていないとこういうことでも泣かされる。僕は昔から「鉄の規律心(?)」なるものを待合せに関しては持っているので、まず遅刻しない。5分前には必ず目的の場所についている。そして目標時刻を過ぎても10分間は待っている。
ところが携帯電話主義者にとっては相手が僕でもなかなか従前のように時間をしっかりと守ることが出来ないでいる。これは極めて由々しい話である。僕は今年に入ってから覚えているだけで7件出会えずにいる。こういう時だけは携帯が欲しくなる。
僕は目標時刻から10分過ぎるとどうするか? まず公衆電話へと歩く。相手の番号にかけて、こちらが頼み込んだ場合は30分迄まつが、そうでない場合は帰る旨告げて、とっとと帰る。
これをやると大抵そいつは逆キレするから面白い。まるで携帯を僕が持たないので遅れたような口ぶりだ。「山田のせいで忙しい時間を無駄にした」という奴もいる。笑止なことだ。これを機会に僕に携帯を買わせようと説得しにくる奴もいる。
遠慮なく殴りますけど、そういう卑劣漢は。 ▲
|
理想の使用法 |
電源は絶えず切に
こんなことを云うと自分の政治姿勢が鮮明になってしまい、ある意味危険なのだが、私は「ゴーマニズム宣言」の姿勢を支持する。ま、信者じゃないから無批判に受け入れたりはしなけど。
ともあれ別にこの項で葉僕の政治信条について云々するコーナーではない。問題は携帯電話の話である。
作者はいつだったかの号で、自分の番号も知らず専ら車の中などからかけるためだけに持っているというが、そういう持ち方、いいですねえ〜。とにかく僕はいきなり自らの生活領域にずかずか割り込んでくる電話という概念自体が嫌いなので、常に電源は切って、送信専用なんていいですね。
ただここまで公衆電話が発達した現在、果たして電話が必要な時があるかというと、殆どないんですよ。車なんて乗らないし、雨が急に降ってきた時なんかは電車の中で家族を呼びたい気もしますがそれだって駅前の公衆電話を使えばすぐ来てくれるんですよね。
差し迫った必然性がないから持たないのですが、理想の使用方法とはメール機能くらいですか。PCは煩雑ですし持ち運べません。これに対し、携帯電話は軽いし迅速ですからね。どうせ着信は常時切りまくってると思うけど、退屈な時なんかにメールを確認して、よほど暇なら打ち返すのもいいと思う。
なんか極めてやる気のない結論になってしまったが、要は緊急の送信機とメール送受信用。なんかまったく受動だが、今回の米国で起きた同時テロなどの非常事態を考えると、携帯電話も必要かなあと思います。 ▲
|
結局、将来は… |
携帯かからぬ暇がいい
結局僕が携帯のみならず電話そのものを厭い、ひいては携帯人種の蛮行を憎んでいることは散々書き散らかしましたが、そういう僕の将来はどうなってしまうのでしょうかね?
僕は底辺に位置する文型私大に席を置く身ですが、まあまず就職は出来ません。このことを話し出すときりがないんですが、うちの大学はそもそも就職活動をしないことで有名で、大学当局は就職のガイダンスの度に「フリーターにはなるな」と連呼する情けなさ。留年率は3割を超えるという教授の話もあり、もはや真っ当な採用担当者からは論外にされている有様(公示されている進路状況は、フリーター上がりや支社採用、運動部入社など全部含めてるから、情けない)。
ま、そういう訳でいわゆる一般企業の内定は無理という訳で我が大学らしく地元の中産業の事務員にでも入れればマシという事態であり、困ったもんです。
そうなると携帯電話はどうなるか? 営業なんかやるくらいならその日に辞めるから外回り業務にはつかないつもりです。自動車の免許も取るつもりないし、外に出なければ携帯電話も早々は必要になるとは思えないんですが。
今夏、僕は市役所の生涯学習課というところで実習をしたんですが、驚いたのはあれだけ外回りの多い場所でありながら職員さんがお互いの番号を知らないんですよね。番号の交換をしているところも何度か見ました。
さすがに金を貰っておきながら、電話に出ないということは出来かねるでしょうが、まあ携帯を駆使するようなヤンエグなんて人種、なれないのは勿論ですが、たまらないですね。
日がな暇で、珈琲でも飲みながら読書や音楽聞いてたり、クロスワードやってりゃいいって仕事は、ありませんかね? ▲
|
|
|