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鉄道旅客研究所



小学生
いじめの光景
 時々、電車通学している私立の小学生を見る。
 あの年で受験を経てるくらいだから、大体狡猾そうな嫌な面構えをしている。とはいっても顔を見なくても公立じゃあランドセル背負って電車には乗らないから解るのだが。この間、その集団にあった。
 おそらく沿線の学校の終業式かなんかで一斉下校なのだろう(行事にしては引率らしき人がいなかったからね)十人くらいでドアの前を占領し、ペチャクチャ喋り始めた。年頃は小学校三.四年くらいだろうか。
 別に子供の生態などに関心はないが、戯れに聞こえてくる声に耳を傾けると、どうも一人の子供をいじめているらしい。いじめの方法としては昔懐かしの「バイキン」ものである。そしてここで問題なのはいじめの標的が「ヤマダ」という名字である点だ。集団で見事に「山田菌」と連呼していやがる。
 はて僕と同姓の男は少し先のドアのところで一人でぽつんと聞こえないふりをしているが、こちらを随分恨めしそうにちらちらと見ていた。集団もそれには気がついていると見て露骨に大声をあげて、傘でつつくはヤマダが近寄ると奇声を発して客を避けて逃げるわ大騒ぎ。
 最近の子供は嫌がらせの手口がうまいもんで第三者の僕までいらついてきた。かといって大学生が小学生をはり倒すわけにもいかず、「さっさと降りねえのかなあ」と思っていた。
 乗客を見ると、これがまあ情けないくらい全員居眠りしている。
 かつて長髪時代、傘を忘れてずぶ濡れになり、前髪から滴を垂らしながら電車に乗ったとき乗客が突如居眠りをはじめて笑ったけど、子供相手に居眠りねえ。僕は徹底的に傍観者決め込んでたけどね(悪質だね)。
 結局、ヤマダ菌の保菌者氏は哀れ孤立無援の中、車内で泣き出した。
 いじめっ子は薄ら笑いを浮かべながら「泣くな、俺達はお前を鍛えるためにやったんだ、強くなりたいだろう?」と云っていた。保菌者は「ありがとう」といいながら泣きじゃくっていた。まるでSMである。
 ああ、なるほどと僕は思った。
 この少年はいじめを教師に訴えることは絶対にないだろう。これもれっきとした彼の居場所だから。これだって「無視」されるよりはましなんだろうな。嬉し泣きのような顔を見て、そう思った。
 そして、「いじめ自殺を出したクラスのその後は往々にして明るい」という噂も案外本当かもな、と思った。
 ヤマダ少年には強く生きてほしい物である。

付記;その後、我が家に来た先輩にこの事件を話したところ「そういうときは「うるさい!」と叱るといいよ」と云われた。 

小皇帝
家庭内暴君の真実
 中国の一人っ子政策の問題点に「小皇帝」という現象があげられる。
 完全にこの政策を遵守すると、親二人祖父母四人にとって可愛いお子さまがただの一人と云うことになり、それはそれは丁寧に育てる。すると溺愛されて育った子供はわがままで自己中心的な性格を持つに至るというのである。
 周囲にちやほやされるあまり、性格がスポイルされてしまった皇帝の例は確かに中国史を見ると散見される。蜀なんてそれで滅んだ好例である。
 さて、合計特殊出産率が2人をきった日本でもこの傾向は現れているようだ。
 土曜日、朝の七時。僕はあくびをかみ殺しながらホームで列車を待っていた。頭にはまだ霞がかかっている。そんな折り、親子連れがホームに降りてきた。旅行なのか子供は黄色い帽子をかぶり水筒なんてぶらさげている。まあどこにでもいる男の子の顔だ。親は薄化粧に極地味な普段着を着ていた。若いが大人しそうな表情で、暗い感じだった。
 この親子がホームにやってきて朝の静寂は破られた。
 子供のヒステリーである。
 とにかくずっとグダグダ親をなじっているのである。原因は弁当がまずいとか電車に遅れそうになった(ホームに着いた時点であと五分はあったが)とかそういういちゃもんである。うちの親なら大喝してすますものを親はじっと聞いている。まるで聞けば解決するように。
 子供の方は手応えのなさに甲高い声で怒鳴りながら、親の頬をパチパチ叩き始めた。親はまたく抵抗せずに僕や他の乗客をちらちら見て「やめなさい」と小さく云った。まるで客が変な目で見るからやめろと云うように。
 電車が来るまで子供はずっと些細なことで親を怒鳴り、髪を引っ張り、叩いていた。母親は叱るどころか抗うこともなく、文句のための文句を謹聴し、何を云われても「ごめんなさい」を連呼していた。
 電車が来て、僕と子供は乗った。母親はわざわざ入場券を買ったのか「気をつけてね」とボサボサの頭で云い、電車が動くまで手を振った。子供はそれを見もせずふんぞり返って座っていた。
 僕と子供は向かい合って座っていた。睨み付けると二度と正面を見ることはなくなった。やがて列車は満員になり、僕は目的の駅で手刀をかき分け降りた。列車から出ると誰かの足がコツンとズボンにぶつかる。
 振り返ると、あのガキがいた。
 足がぶつかったのだろう。軽く睨んで「痛てえな」と云ってやった。真っ青な顔をしたその子は「ごめんなさい」と何度も何度も頭を下げた。
 その姿に先ほどの尊大さはみじんもなかった。 

不良学生
最後尾車両の異空間
 不良の集まる電車、あるねえ。
 漫画でだと例えばBE−BOPにおける「戸塚列車」やカメレオンにおける「カス校車両」といった具合だ。大概近隣の荒れた高校が我が物顔で列車一両ジャックして大騒ぎするのである。事情を知っている住民などはそこを避け、棲み分けを図るのであるが、何も知らぬ一般人が紛れ込むとそれは恐怖である。
 僕の通学沿線にはさほど危険な学校はなかったが、噂によると我が町の付近を走る某路線では凄まじいものがあるそだ。なんせ近隣不良五校がわずか十駅の間にあるのだ。
 確かに偏差値はそろいも揃って40を切っており、どこにこんな不良需要があるのかと疑いたくなるような盛況ぶりである。まあその路線もローカルの単線であり、学校も田舎も田舎、隔離するようにひっそりと田圃の中にある。僕個人は縁もゆかりもない路線だったが、苦労した人もいるようである。
 さて、僕個人の恐怖体験はなんお気まぐれか、いつも乗ってる列車の最後尾に乗ってしまったことに端を発する。いや、まさかいつもの電車にあんな異空間があるとは思っても見なかった。
 その列車は僕の駅では珍しい始発列車で結構停車しているのだ。はじめはガラガラで僕はぽつんと座っていた。と、高校生がやってきて席が空いているのにも関わらずいきなりじべたに座った。制服を見て「あ、あの高校か」と、別に僕は気にもとめなかった。この高校は荒れてはいない、ただ生徒が馬鹿なだけである。これは不良よりタチが悪いかも知れないが、追求しない。
 さてその後からが見物だ。ねずみ算と云うがその通りに倍々計算で黒学生服が車両を埋めていった。私服の一般人は事情を知ってか殆どいない。「バカはいつでも後ろを好む」という学生諺を思い出したときは既に遅し、低レベルな連中がピーチクパーチク吠える集団に取り囲まれていた。
 いやあ、すごかったね。僕は列の端に座ったが、そうでない中年など生徒に挟まれて、彼らが頭越しに会話をするもんだから非常に居心地が悪そうだった。会話も聞くとパチンコだとかコンパとかダンパ、そんな話ばかりだった。
 十分後、次の駅に停車したとき彼らは全員降りていった。この駅では三校が使っている筈なのだが、全員同じ制服で他校生徒はいなかった。
 僕は彼らを教えている教師達に深い同情の念を抱いた。
 会話の内容はもとより、電車が彼らの駅に着いたとき時刻は既に8時25分を越えていたのだ。学校との距離を考えると、どんなに急いでも20分の遅刻は免れないだろう。 

女子高生
いつでもどこでもあなたのそばに・・・
 電車における女子高生というのは一種不気味な物がある。
 いや、勿論女子高生が電車に乗っていても一向不気味ではない。しからば何が不気味かと云えば、「いつどんな電車にも女子高生は乗っている」という法則を考えるとどうだろうか。注意すれば解るがよくよく不気味である。
 僕は大学に入ってから様々な電車に乗った。3分に1本の都会から1時間に1本しかないような田舎まで、始発からラッシュから昼下がりから終電まで、乗りまくってきたが、女子高生のいない電車にはついぞお目にかかれない。
 これは異常な事態である。確かに女子高生に限らずサラリーマンもまずどの電車にも乗っている。だが彼らは24時間戦う存在なのだ。8時半から15時までの高校生とは訳が違う。あ、ここでいう女子高生とは「制服を着た存在」であることをお忘れなく。
 僕はここで道徳の荒廃を嘆きたいわけではなく、純然と「不思議だな」と思うだけなのだが、とにかく疑う人は早起きして始発なり、深夜の終電に乗ってみるとよかろう。まあ但し登校ラッシュのそれのように参考書広げているようなのは見あたらないが。
 面白いのは、そういう女子高生は服装やアイテムがほぼ同じせいか皆同じに見えると云うところだ。始発も登校ラッシュも昼下がりも夜も終電も、複数の場合は時間に限らず喚き散らす。あれ、なんだろうね。男の場合は複数でも寝てたりするけど、女は眠らないね。一人の時も大人しい奴はいるが、まず携帯で喚いている。
 あの元気はどこから来るのだろうか。
 こっちが眠いとき、辺り構わずン十ホーンで喚き散らす女子高生を見るたび、「ああ、こいつらには勝てないなあ」と諦観している。ガン飛ばしても無意味である。
 困ったものである。 

オバサンたち
がんばれ、オバタリアン
 オバタリアンという言葉が死語になりつつある。
 この言葉は「茶髪」みたいに辞書に載ることはないだろうが、「プリクラ」みたいに完全定着するかと思っていた。流行語にしては長寿の部類に属するんだろうが、最近はとんと聞かない。
 そういえば電車の中では悪鬼羅刹のように忌避され憎悪の対象となっていたオバタリアン現象もとんと見ないようだ。
 ここでおさらいをすると、電車内でのオバタリアンとは「うるさい」「強引に席を取る」「遠慮会釈が全くない」などのマナー違反の常習者であり、群れて現れるその恐怖がゾンビ映画「バタリアン」にかけられて名付けられた存在である。
 今、書いていて気がついたが、これはまったくそのまんま現代の女子高生に通じることである。男女平等の観点から云えば男子高校生ではいるにはいるが、あんまりこういう手合いはいないように思う。
 昼下がりの電車に乗ると、オバタリアンも女子高生も同じくらい乗っているのだが、うるさいのもマナー違反も後者が優勢である。
 これは一体どういうことであろうか?
 無責任に論じると、これはバブル崩壊によって金銭バランスが大きく崩れ、何をしているかは定かではないがブランドや携帯にン十万投資する女子高生に比べ亭主の年収べりによってダイレクトに可処分所得が減った(無論子供への小遣いも相対的に増えているはずであるの)ため、かつてのように我が世の春を謳歌できなくなったことがあげられるだろう。
 がんばれ、オバタリアン。
 また日本の景気が良くなり、電車の中を積年の恨みとばかりオバサン勢力が怒濤の如く浪費の限りを尽くす小生意気な女子高生をば駆逐していただきたいものである。
 終わりに補足するが、別に筆者は熟女趣味はない。 

不良外国人
BADDEST ENGLISH
 電車内の外人(殊に白人種)について概ねいい感情を抱いていない。
 これは深夜に繁華街の駅を使うことが多い都合上もあるだろうが、僕の会う奴らはまさしく害人以外の何物でもなく、酔って騒いだり、大音量のウオークマンをガンガンにかけてたり、日本国民の前で婦女子をナンパしたり(**駅まで案内して下さい、としつこくせがんでいた)している。
 ことに酷いのは今大流行のアメリカンスクールの生徒とおぼしきガキの集団で、こいつらは日本人を舐めている。いくらアメリカがフランクな国だからと云って、電車の中で物を食ってゴミを投げたり、ぴょんぴょんとダンスみたいに飛び跳ねたりはしないだろう。何度あっても気に入らないガキどもである。地下鉄でペッティングに励むガキがいたときは蹴飛ばしてやろうかと思った。日本人でもここまではいない。
 また駅前で道を聞くべく声をかけてくる奴らも、まず前提として英語。一体「スミマセン」の一言もしらんのか、日本語で喋るのも敬語を知ってるか知らないか、とんでもなく横柄な物言いをする。
 まあ日本人は外人(殊に白人には)にはやたらへこつくから、こういう増長した奴らが出るのだ。攘夷思想の一つでも持ち出してやりたい気分である。国際人というのは斯様に外国人に媚びて同化しようとすることなのだろうか?
 ともあれ、僕はこういうクソ外人に一矢報いるべく機会を伺っていた。
 それまでは英語で道を聞いたら「しらねーよ」と日本語で応えていたのだが(まあ英語が解らないので嘘ではない)、先日都心の某駅で絶好の復讐の機会に恵まれた。
 大学の友人と一緒だったのだが、某駅構内の乗換地下道で女の二人連れに声をかけられた。多分アメリカ人で、NHKでやってるアメリカのドラマに出てきそうな顔をしていた。そいつはやたらとゆっくりとした英語で駅の名を告げ、その生き方を尋ねてきた。た。
 僕はにやりと笑うとこの何もしらなそうな女に正解のホームではなく、反対側の環状線のホームを指差してやった。そしてにっこり笑うと「ワンアワー」といってやった。六年間の英語教育の総決算がこれである。
 彼女はにっこり笑うとそのホームを上っていった。
 僕はほくそ笑んだ。何時間乗ろうが同じところをぐるぐる回るだけで目的地になんぞ行けるわけはない。ざまーみやがれと大いに溜飲をおろした。まあ、外国に来てその国の最低限度の言葉をもしゃべらんお前が悪い。
 友人にことのあらましを説明しながら、僕らは階段を上った。向かいのホームを見ると、ちょうど二人が電車に乗り込むところだった。
 昔、まったくの勘違いで老婆に間違った電車を教えてしまった。後に気がついて罪悪感に苦しんだものだが、この時は小気味よい思いしか感じなかった。 

風邪っぴき
マナーはどこ行った?
 一体、最近の人倫道徳はどこに行ったのか? と電車の中で思うことがある。かといって別にこれは電車でいちゃつくカップルを指して云うことではない。電車の中で、平然と咳をする輩について云っているのである。
 もっともただ咳をするだけで詰問をしているわけではない。咳をするのに手も覆わず平然としているバカを責めているのである。僕は決して潔癖性の類ではないが、目の前で咳やくしゃみ(特に、くしゃみ!)を平気で連発されるとムカつくし、殺意さえ芽生えてくる。
 普通こういう基本的なマナーは幼児期に母親なり幼稚園の先生なりに教わるものなのだろうが、老若男女を問わずに出来てない奴が多い。若者の場合車内の携帯通話やジベタリアンは理解できないこともないが咳をするのは意味あってのマナー違反ではない。その父親世代のオヤジ系がほぼ100%手を押さえないことじゃら想像がつくだろう。彼らは根本的に咳をするときの礼儀を知らないのだ。
 僕はこう云うときは無遠慮にガンを飛ばすようにしている。まあ大概相手は理解できないように目をそらしちまうがね。すぐ降りちゃう奴や車両を変える奴が時々出るが、そういう無礼なヴィールス撒布系な奴は消えた方がよろしい。
 それでもやめない鈍感な野郎には思いっきり息を吹きかけてやる。口臭を嗅がそうと云う趣向ではない、風邪のビールスを吹き飛ばそうと云う意図なのだが、相手の不快感は似たようなもので小気味いい。
 これで一度からまれたことがある。
 満員電車に座って文庫本を読んでいたとき、隣のサラリーマンがやたら咳とくしゃみを連発している。手でも新聞でも押さえようとしない。そして唾が僕のズボンに飛んだ。
 睨み付けてやった。
 そんでもって文庫本に目を通した。
 と、隣から「おい」と聞こえる。「ガン付けてんっじゃねえよ、おめえ」等とも聞こえる。僕のことを云っていると気がついたので、応じてやることにした。
 相手の顔を見る。酒に酔った弱そうな男だった。
 一言、低い声で「うるせえよ」と云ってやった。読書の邪魔をされたとき程、機嫌が悪いときもない。推理小説の山場とあれば云うことなしだ。
 しばらく睨み合った。相手が目をそらした。
 その瞬間、相手の横顔に息を吹きかけてやった。一瞬こっちを見たが、その目に反抗の色はなかった。ざまあみやがれ。
 これが唯一の電車の中でのアクシデントだった。 

傘泥棒のガキ
いつの世も大人は
 ドアと座席の脇に人が一人分くらい立てるスペースがある。
 ここにはまるのが僕は好きだ。座席の脇のポールに寄りかかって本を読むのである。乗降客が激しいときも動かなくていいし、寄りかかれるので非常に楽である。もっとも絶対に座れないのがネックであるが。
 他にこの箇所の利点としては雨の日に傘をかけておけるという点がある。これは(端以外の)座席に座るより理想的である。電車の中では邪魔っけな傘これを置いたまま悠々と読書に励めるのである。いいことずくめである。
 さて、その日も僕はデパートの「鉄道忘れ物処分フェア」で買ったベネトンの高級傘を座席脇のポールにかけて読書に励んでいた。このポールには先客の傘が2つあった。はじっこの座席に座る老婆と孫らしき子供である。老婆の品の良さそうな傘と子供のアニメ傘である。
 先客がいる以上、スペースに挟まるわけにもいかず普通に吊革につかまって本を読んでいた。
 老婆は幼稚園の年長くらいの子供に絵本を読んでいた。なにせそんな風景は久しく見なかったので随分と感動するものがあった。セリフを全部赤ちゃん言葉で喋るところも含めてこの老婆には好感が持てた。まあ子供は聞きもせずずっと外の景色を見ていたのは気になったが。
 いくつかの駅を越え、また一つ大きな駅のアナウンスがあったとき、その親子連れがもぞもぞと動き始めた。僕は座れそうだとほくそ笑みながら本を閉じ、二人を目で追った。
 老婆がまず自分の傘を持って立ち、子供が何と僕の傘を取った。
 逆ならそのまま持たせるが、僕はアニメ傘に興味はない。価格もこっちの方が上である。僕は老婆に敬意を表する意味で、極穏やかに子供に向けて「これは僕の傘だよ」と諭した。子供が何か云う前に老婆が子供に注意した。
 「あらあら、**ちゃん、だめでちゅよ、これはおにいちゃんのおかさだよ。**ちゃんはこっちの×××のかさでしゅからねー」そして彼の傘を握らせると、僕に正対し「どうもごめんなちゃいねえ」と云った。
 僕にまで赤ちゃん言葉を使う必然性はどこにもないような気がしたのだが、まあ僕も懐かしい昔に思いを馳せ、二人の後ろ姿を見送った。

 ところで、僕はどうもこの子供はわざと僕の傘を取ったような気がしてならない。実は僕も子供の頃、親が「子供にはこんなものでいいだろう」と云って買ってくるキャラクター商品が嫌でたまらなかった。そして既に知っている古典的な絵本や童話より、キンダーブックや雑誌「小学一年生」に載っている読み物の方が好きだった。
 大人が思うほど、子供は子供ではない。
 そういうことを思い出した。別に僕は盗みは企てなかったが。 

痴漢被害者?
REALY?
 今日テレビを見ていたら、痴漢詐欺の女VS被害男性という不毛な討論番組をやっていた。
 昔、筒井康隆の「懲戒の部屋」という短編小説を読んで、慄然としたことがあるがやっぱりそういうことってあるんだな。まあ立証反証とも困難な事件だし、基本的に女性は弱者というバリアーで守られているから男はそういわれたら殆ど勝てないよなあ。その割には失うものはあまりに大きい。

 私は痴漢を弁護したいのか、残念ながら答えはNOである。
 しかるに痴漢をとにかくとりしまり、被害者の言い分のみで他人の一生を決めてしまうヒステリック・フェミニズムにもNOとこたえる。

 個人的にはこんな事件があった。
 僕がとある混雑で有名な環状鉄道に乗っている時の話。列車が比較的大きな駅で止まったとき一人の女が「痴漢よー、痴漢」と叫んだ。
 僕をはじめ乗客は一斉にそちらを見る。真っ赤な顔をして憤慨していたのはサラリーマン風の若い男だった。いかにもフレッシュマンという出で立ちの男だった。それに対して女の方は神経質な眼鏡顔にショートカットのぼさぼさ頭。まあはっきりいってCB女であり、服もかなりずれていた。
 だが勿論、これでこの男の冤罪を主張する気にはならない。
 しかし彼は一人ではなく、会社の同僚とおぼしき男女とずっと談笑していたのである。彼は確かにその集団の端にいたが、割とよく喋っていた(その大声はかなり迷惑だったが)。しかも電車はさほど混んでもいなかったのである。
 話はここからこんがらがる。
 まず何の関係もないオバサンが突如正義感に目覚めて、大声で駅員を呼び(割と大きな駅だから駅員がホームに数人常駐しているのだ)電車を止めさせ、そして一方的に男を罵りだした。痴漢は犯罪だの女性の人格を否定しているだのそんなことである。
 迎撃するのはグループの女でその容疑者の彼女だという。そこでとめておけばよかったものを、オバサンの容姿年齢について言及したもんだから逆上し、お互い罵りあい、被害者は金切り声をあげ始めた。肝心の容疑者は真っ赤な顔でふるえている。
 結局駅員が一行をまとめてホームに出し、電車は進んだ。窓から外をうかがうと女は「あたしのおっぱいおっぱい」などと下品なことを喚きながら携帯電話を取り出した。110番でもしているのだろう。列車そこで動き出した。

 さて、この女は明らかに気違いである。
 それで大方、こういう風に自分と同年代の幸せそうな人間に偏執的に復讐しているつもりなのだろう。或いは体感妄想を伴っているのかも知れない。
 ともあれ「気違いに権力」は「気違いに刃物」より恐ろしい。 

オウム教信者?
♪「しょーこーしょーこー」
 あれは大学1年の春の出来事だった。
 都会に出てきたばかりの僕は、物珍しさから地下鉄を多用して通学していた。都会の強みという奴で地上の電車を使っても時間料金共に変わらないのだが、なんとなく憧れるものがあったからだ。今ではすっかり飽きてしまい「ラジオが聴けない」という理由で地上を使っているが。
 さて地下鉄といえばサリンというわけで、その当時からすっかり息を潜めていたオウム教だったが、この頃はまだ改名もせず直営のPC屋が電気街で活動していた。店頭では宣伝曲が流れ、ウオークマンで尊師の説法を聞きながらビラを配る信者の姿が散見できた。田舎から出てきたばかりの僕はそういう街を見て随分ビックリしたものだ。
 さてそんな頃、やはり田舎から出てきた友人と僕は地下鉄に乗っていた。まだお互い慣れてはおらず、不自然な丁寧語で喋っていた頃である。
 とあるマイナーな駅で電車が止まったとき、事件は起きた。
 突然、電車に異人物が乗り込んできた。
 髪の長い女で巫女の着る作務衣の様なものを着込んでいた。下半身は覚えていないが、やたら袖の下がゆったりとした異様な服だった。僕は見た瞬間、「あ、KOFのコスプレだな」と思った。
 しかし、その考えは甘かった。
 電車が動くと彼女は両手を広げ、舞うように歌い出した。
「ーこー、しょーこー、しょーこー、しょーこー、しょー」
 かの有名なる「彰晃マーチ」のようではあるのだが、にしては曲調が違う。しかもそこだけループしており、いつまで経っても「あ・さ・は・らしょーこー」の部分にいかない。
 彼女はそのまま踊るような足取りで他の車両に行ってしまった。
「あれは、なんだろうね」僕は訊いた。友人も同じ問いを反問した。そしてしばしお互いを見つめ合い「都会は怖い」という結論で一致した。
 後にとある本を見ると、サリン事件などが起こった頃にはもう「彰晃マーチ」は信者の間ではタブーだったという。理由は「唯一の最終解脱者である尊師を呼び捨てにするのはけしからん」という、まるで旧陸軍のような物である。
 してみると彼女は何なのだ。サマナ服という正式な服をテレビで見たがそれとも明らかに違う服だった。
 オウムにあらざる偽悪趣味者か、異端を気取らんとするパフォーマーか、はたまた精神の異常を来した哀れな狂女か。

 春先の列車は恐ろしい。 

みつめあうふたり
KISS OR PUNCH
 これは電車内に限らずむしろ改札前に多いのだが、ワケもなく見つめ合っているカップルを見かけることがある。何を語るわけでもなく微笑を浮かべる訳でもなくただただ真顔で見つめ合っているのである。
 これは驚いた。
 あんまり真顔で見つめ合っているので、なにか気まずい場面かと僕は興奮し、男が女に平手打ちでもかますんじゃないかと思っていたが、結局そんなこともなく、次の駅で女は「バイバーイ」と明るく云うと、男も明るく手を振って「じゃーな」とのたまっていた。
 まったくワケが分からない。
 僕がもしカノジョの目を真顔でじーっと見ることがあればそれはキスをするときかひっぱたくときだけだ。もっともどちらにしろ、人前ではやらないことは共通している。ましてや今まで随分カノジョと電車に乗ったが、見つめ合うなど狂気の沙汰だ。
 こういう見つめ合っている二人というのは、注意して見れば色々なところにいるもので(探すときは賑やかな駅の改札前に陣取るといいだろう)、これはこれで不気味である。
 抱き合っていたりいちゃついているのは、容認は出来ないが理解は出来る。ただ、この見つめ合うのは理解できない。無言で、しかも真顔である。端からみるとガンを飛ばしているところにしか見えない点も特徴的だ。男がニヒルな顔を作ろうと苦労しているからだろう。
 最近は電車内でこう云うことをしているカップルを見ても驚かなくなった。だがやっぱり車内にそういうカップルが複数組もあればそれはそれで怖いし、たとえ僕がカノジョとそういう車両に乗り合わせても、決して見つめ合うことなどないだろう。
 僕が相手の目を見るのは、ガンをつけるときと相場が決まっているのだ。 

自殺志願者
未遂者の素顔
 わはははは、とうとうこのコーナーにピッタリのネタに遭遇してしまったぞ。今回はこの話をしよう。
 登校途中の電車、僕は満員の中なんとか射止めた座席に深く腰掛け、風邪のせいもありうつらうつらしながら過ごしていた。
 電車はTという駅で止まっていた。
 面白いことに意識は眠っていても電車の中ではどこかが覚めているもので、案外自分が今どこら辺にいるかは知覚しているものである。
 Tとは大規模な学生街のある街で割と乗降客の多い駅である。当然、他の駅と比べて多い時間停車するはずだが、今日に限ってちっとも進まない。どこかの駅で故障でもあったかと舌打ちした。実際過密ダイヤのこの路線では一台の故障がとんでもない結果を生むこともある。
 実は大学に行ってすぐ発表のある僕は焦って起きた。
 アナウンスが入る。
「ただ今、**線のTという駅でお客様が線路に入られたため、緊急停車装置が作動しております。お急ぎのところ誠に申し訳ありませんが…」
 え? と思った。このアナウンスは何度も聞いたがまさしく自分のいる駅でこんなことが起きるなんて初めてのことだった。番線が違うから別にこの電車が轢いたわけではないが、やはり関心はあった。
 ほどなく、男が駅員に両腕を抑えられて現れた。
 ダサくて汚い服、突き出た腹に禿げ頭。すべてに落ちぶれた男がそこにいた。頭はぼさぼさでその垂れた汚い顔は嫌悪感以外何も感じなかった。目は虚ろで伝染しそうな狂気を目に宿している。僕の前を通ったのはほんの一瞬だったが、それは強烈なインパクトを与えた。
 彼らは階段を下りて行った。たぶん駅員室に向かうのだろう。
 電車は5分後に出発した。
 車掌は「ただ今、急病のお客様がホームに転落なさいましたので」と正確でも間違いでもない無難な表現で説明した。だから僕は「頭の急病で」と訂正してやった。
 体の病気ならまず担架だ。僕は何度も目撃している。 

ジベタリアン
座ってシトド
 ジベタリアンとは野菜ばかり食う連中、のことではなく地べたにやたらと座り込む連中のことを指す。初めは繁華街の地面くらいだったのが、段々エスカレートして電車の中でまで座るようになった。これが社会現象(問題?)に鳴り始めた時期が僕の大学入学期だ。
 前項で話したとおり、この頃僕は田舎から出張ってきたばかりで、なにかとしゃちほこばって緊張していた。中学高校と殆ど生まれ育った街を出なかった身としては、都会に出ただけでカツアゲされると被害妄想を膨らませ、やたらと用心していた(こういう態度から田舎物とバレるのである)。
 勿論、後には地元の列車でもジベタリアンが見られるようになったがブームの当初はやはり都会であり、そこここかしこにジベタリアンがドアを背にして座り込んでいた。
 一度、携帯での会話に夢中になって、ドアが開いた瞬間見事にホームに落ちかけた男がいたが、そういう時代であったのだ。
 それにもビックリしたがその2月後の梅雨、僕はとんでもないものに遭遇してしまった。
 傘を忘れ、大雨の中あ、大学から駅まで「軽く10分」と意気込んで走ったはいいが、この10分の間、存分に濡れた。服はびしょぬれ靴はぐしょぐしょ長髪の前髪からはしずくがぽたぽたという酷い形相で僕は電車に飛び乗った。
 乗客も驚いただろうが、僕は更に大物がいるに至って驚いた。
 雨の日、乗客の靴のお陰で汚れた水がうっすらとたまった列車の床、ここに座り込んで喋っている二人のコギャルがいたのだ。膝上のミニスカートだったので服は汚れないが、長いブーツは濡れただろう。最前列の列車で、運転席のすぐ後ろの広いスペースだったが、この暴挙には大いに驚いた。
 おそらく彼女たちも僕同様の田舎者で、都会のブームに乗ることに偏執しているのだろうとは思ったが、そのずれ具合には見ていて哀しいものがあった。 

気弱な青年
「てめえ、ばかやろう!」
 女性を連れると気が大きくなるのは僕に限った話ではないと思う。
 これは僕が電車の中で唯一大声を上げた経験の話である。
 早朝、僕はとある長いつきあいになる女性と電車に乗っていた。二人ともそれはそれは疲れていたので八の字になって寄りかかっていた。電車は既に満員で乗客は皆眠たそうな顔をしていた。彼女も既に寝息を立てていたが、僕は眠れなかった。
 彼女は出入口の脇の座席に座っていたのだが、ちょっと精神に問題のある人が彼女の横に立ってぶつぶつ呟き続けていたのだ。これはかなり気になった。
 とはいっても、しばらく横目で観察していたが、ぶつぶつ呟くこと以外は取り立てて喚くでも乱暴をするわけでもない。幸せそうにへらへらしているだけなので、僕自身もいつしか眠くなり、寝てしまった。

 目覚めたのは彼女の悲鳴にも似た声だった。
 初めは乗り過ごしたのかと思った。彼女は一度、それで大声を出したことがある。後ろの窓を見ると確かに駅だが、まだ目的地まで数駅ある駅だった。隣の彼女を見る、と、出入口付近にいた男が彼女の髪を撫でているのである。さっきの僕の見立てはあったっていたわけだ。
 こっちを見る彼女は突然の狼狽にもう半ベソである。
 僕は立ち上がると「なにしてんだぁ、てめぇ、しにてえのかぁ、ばかやろう」と喚いた。喚いて、僕はそれがさっきのへらへらしている人ではなく、スーツ姿のサラリーマンに変わっていることに気がついた。気がついたがやっていることは変わらない。
 サラリーマンは「あ、いや、からまっちゃったんで、すいません」と逆に泣きそうな顔をした。僕は「鉄道警察出頭すっか。おう?」と凄もうかと思ったが、その前にサラリーマンは逃げてしまった。
 ドアが閉まり、電車は動く。
 彼女に「大丈夫か?」というと「まあ、ね。あの人何?」と反問する。僕は肩をすくめて列車を見た。乗客はみんな僕を見ていたが、僕が見ると一斉に視線を逸らした。
 確かに彼女は当時髪の毛が長かったので、僕と反対側に寄りかかって寝ていればカバンの取っ手か何かに入ることはあったかもしれない。それに電車の中で堂々と髪を撫でる変態というのも考えづらい。
 しかし、寝起きの僕には髪を撫でているようにしか見えなかったことは事実である。あれからあのサラリーマンは見なくなったが、電車美人局にあうよりはマシだと思って、諦めていただこう。 

伝説の不良
殿射腐猟電刹
 サブタイトルは「でんしゃふりょうでんせつ」と読む。どうでもいいが。

 伝説の不良、とは僕が勝手に名付けたある不良生徒のことである。
 で、世にあまたいる不良生徒の中で彼が伝説に値する根拠とは勿論電車内のマナーである。
 なるほど確かに外見だけ見ても茶色のリーゼントに長ラン&ボンタンズボンという仮装パーティーの帰りかと見まごうアナクロな服装・これだけで伝説になりうるかもしれぬ(田舎に行けばまだ平家の落ち武者のように生息しているようだが僕の近辺にはいない)。
 だがそれでは彼の本質を見極めたことにはならぬ。
 深夜十一時。
 しこたま酔っぱらってガラガラの列車でラリっていると、その伝説の不良氏が乗り込んできた。一人で、である。深夜に突然時代錯誤な服装のにーちゃんが乗ってくる。こりゃ殆どカフカの世界である。
 不条理にも彼は僕の向かいに座る。
 電車内はガラガラにも関わらずわざわざシルバーシートに座るのだ。しかも彼はその場でタバコを取り出して吸い始めた。シルバーシートでタバコ、二重のマナー違反だ。しかも土足の足を座席に投げ出している。
 伝説の誕生だ!
 驚くべきは彼は僕など眼中にないのか、別に威嚇するつもりでやっている訳ではないようなのだ。酔って気が大きくなってるから酔眼見開いて相手を見て、相手とも目があったが不快感すら顔には出ていなかった。結局彼は僕より早く降りていった。
 二度目に出会ったのは八時頃で僕が駆け込み乗車をかまして入ると、目の前にいた。すぐに彼だ、と解った。あんなのは早々歩いていない。
 面妖なのはその伝説の不良氏、女の子を連れていたのだ。当然アソビ人系の頭の悪そうな子だったが、この人は大変現代的なメイクと服装で、携帯片手にぺちゃくっていた。二人やはりシルバーシートに座っていたが、タバコは吸ってはいなかった。
 やがて女の子は電話をやめ、例の間延び声で中吊り広告を指差し「あーあれー、ちょーいいじゃーん、ほしーよー」とのたまった。タレントが出ている化粧品の中吊り広告である。
 と不良氏、やにわに立ち上がると丁寧に広告を抜き取ると無言で女に渡した。今度は沢山いる乗客の目の前で、である。女は「チョーラッキー」とかいっていた。男は終始無言だった。
 伝説の不良との邂逅はこれまで。僕が大学の春休みに入ったからである。新学期が始まって、また彼は新たな伝説を作るのだろう。それを見るのは嬉しいような、恐ろしいような、とにかく複雑な心境である。 

資材課長
その日、課長はシャウトした
 携帯電話については今更何かを語ろうとも思えない。
 語るだけ虚しくなるだけだからだ。あんまりヒステリックに批判するのも自分の首を絞めているし、かといっても車内で喋っている奴は揃いも揃ってうざいんで弁護する気も起きない。
 ただまあそれではあんまりなので云うと、田舎にいけばいくほど声は大きくなる。よく「田舎者は声がでかい」というが、これってやっぱ本当じゃないかと思う。携帯黎明期(95年頃?)にこの現象を発見したときは「ケッ、携帯が珍しいからってひけらかしやがってこのボケが」と思っていたが(ポケベル全盛の当時は携帯は希少なアイテムだったのだ)これだけ普及した今になっても田舎の方が声がでかい。
 僕自身も携帯で喋り慣れていないので携帯電話には不信感があり、ついつい大声で喋ってしまうことがあるが、田舎の携帯電話はそれにしても声が大きい。疑う読者あらば、週末にも郊外へ行ってみたらいかがだろう。サンプルはどこにでもいるし、場所が下れば下るほど大声になることが確かめられるだろう。
 そんな中で最大の傑作はこの「資材課長」だろう。
 例えば家で寝ているとき、腹立たしくなるほどハイテンションで明るくまくしたてる胡散臭いセールスマンから電話がかかってくることがある。いきなり昼下がりなのに「おはよーございます。わたしはー**商事の**なんですが、○○君ですかー」とファーストネームで馴れ馴れしく呼ばれたりする。
 この資材課長もこのタチだった。
 禿げた頭にデップリとした腹、脂ぎった額と文句ない精力オヤジだった。
 彼の携帯が鳴り、彼はしばし液晶を睨むと突如大音声を張り上げた。「こんにちはー、おでんわありがとーございまーす。わたくし資材課長の××でございまーす」
 終点に間近いガラガラ電車だったが、ちょっとないほどの大声だった。
 太った男で如何にも「資材課長」といった感じの男だった。我々の迷惑は勿論だが、こんな大音量に耐えている取引先の担当者こそ気の毒だ。耳の遠い担当者かも知れないが、その割には専門的な用語を早口で連発している。
 さすがに迷惑を感じたが、次の駅で資材課長は降りたが、ここまで「らしい」奴はいなかった。将来こんな奴の部下にはなりたくないな、そう思った。 

自称ナンパ師
女心を見破れなかったナンパ師
 このエッセイを書くようになってから、電車に乗るときはネタがないか探すようになっている自分に気がつくことがある。いくら今が木の芽どきだからと云ってそうそう奇人変人の類にお目にかかれるわけではない、が、先日ついに立派な変人に出会うことが出来た。
 いやが上にも憂鬱なる4月の早朝、僕は大学に行くべく満員の電車に乗るとドア脇の隙間によりかかって体を休めていた。と、そこへその御一同はやってきたのだ。男が一人、女が一人。
 時々早朝にも関わらずやたらハイテンションで喚いている高校生がいるが、今回もその手合いだった。男は茶髪にチョコレート色の肌をしたアソビ人君。女はデブやせコンビで、スカートの丈を詰め、そこそこ遊んでいる学校の制服を着ていた。
 この集団が大声で話し合っているのなら珍しくもない。
 ただ、男が一方的に自らの性体験を赤裸々に語っているとすれば話は違う。女は「やだアー」とか「マジィ?」とか合いの手を打っていたが、男は電車を降りるまでの30分間、ずっと己の性体験(下はクラブで知り合った中学一年から上は「マユちゃんのママ」(←何者?)まで)を天下に披瀝していたのだ。
 さすがに乗客はみな眉をひそめて彼を見ていたが、そのデンジャーな格好とでかい声に圧倒されて、堂々と苦情を言う者はいなかった。僕はうるさいなとは思ったけど、ちょうど手持ちの本がなかったのでこの男の猥談をきいていた。
 それで思ったのは「サイコ幹部候補生」というのはデブで野暮ったいマジメ野郎だけでなく、アソビ人の中にもいる、ということだった。大学で頭がキレちゃってるのは大抵前に座って皆勤賞、みたいな奴に多いのだが、これは僕を安心させた。もっとも話のオーバーさからいって(学校の職員トイレでコトに及んだなんて、信じられる?)分裂病的性癖があるのかも知れない。
 ところで傑作なのは男が「んじゃー、今度一緒にノミに行こうよ」と云って降りた後だ。痩せた方の女が開口一番「あの人、誰?」と云ったのだ。
 これには正直ずっこけた。
 太った方が「**ちゃんの兄キよ、2個上で学祭きてたじゃん」とフォローを入れたので安心したが、その後電車の中は2人のあの男に対する罵詈雑言で埋められた。それはまさしく男と話しているときは片鱗さえ見せぬ顔であった。
 イカれたアソビ人よりまともな女の方が怖い、そう思った。 

パンツの少女
馬鹿馬鹿しい
 高校の時、野球応援で同級生(彼女はチアガールではない)のパンツを偶発的に見てしまったことがある。そして僕は興奮してしまったことを深く恥じ、その罪深さを友人に懺悔した。友人は呆れて「馬鹿馬鹿しい、パンツくらいは電車に乗れば飽きるほど見られるぞ」と救済の福音を授けてくれた。
 「電車通学すればパンツ見放題かあ」と、それがこの事件で僕が得た唯一の教訓だった。もっとも僕はパンチラ至上主義者ではないので、それが為に電車に乗るようなことはなかったし、その教訓も記憶の海に没してしまった。
 そして大学進学、電車通学の時代である。
 彼の云うことは確かに真理はあった。そんんあ毎回見えるわけではないが、週に一回運が良ければ見られる、というくらいだった。確かにその度に罪深さに悩んで懺悔するなんてことはしない。その意味では「馬鹿馬鹿しい」というのも当たっている。
 初めは興奮したり呆れたり随分感情の起伏を経験したが、キャミソールの出現と共に下着をさらすことが恥辱ではない時代が到来するともはや何も感じなくなった。そもそも僕はパンチラ至上主義ではないのだ。
 ところでそういう手合いを見ていて面白いのは、とんでもないミニを履いているくせに懸命にバッグやらなんやらを置いて隠そうとすること。これが効を奏するには一定の長さが必要なんだけどね、スカートの。それにそこまで必死無駄な努力(だから見えてるってば)をするくらいなら立てばいいのにね。そういうアソビ人なねーちゃんのこと、下手をするとシルバーシートに座って老人立たせたりするから解らない。
 スーパーマンはその能力を示すため、恋人の下着の色を当てて見せた。僕はキャミソールの肩から抜けたヒモの色と、目を下に落とせばたちどころに下着の色を当てられる。
 友人の云ったことではないが、まったく馬鹿馬鹿しい。 

朝鮮学校の少女
彼女もやっぱり女子高生
 通学に利用している沿線に在日朝鮮人子弟の通う学校がある。男子は制服が日本のそれと同じなのか、今ひとつ解らないんだけど、女子の場合は特徴的な民族服のお陰でよくわかる。学校も大規模なのか時間が合えば顔は似れども姿は異なる彼女らに逢うことが出来る。
 かつてテポドン騒動があったときに、女子の袴(と、いっていいのかな?)をカッターで切り裂くなんて事件があったけど、そのうちの一件はこの路線で起きている。
 ま、それはともかく彼女たちは全体として可愛い子が多い。
 これは素朴を美とする僕の勝手な趣味のせいなんだけど、彼女らは女子高生なのに化粧をするでもなく派手なアクセサリーも奇妙奇天烈なヘアスタイルをするでもなく、とにかく「フツー」の格好をしているのである。このフツーが普通ではないあたり、都会って変だよなあ。
 事実僕は彼女たちにあうといつも驚く、あの民族服に驚くのではない。純然たる黒髪、しかもパーマかけてないそれに驚くのである。非加工の黒髪に長いスカート(袴だけど、外観はスカートっぽいでしょ。合唱団が履くみたいな)。これってやっぱ昔の日本の光景なんだよね。
 これはやっぱり儒教(或いは主体思想)を重んじるお国の考え方かもしれないが、「こりゃすげえ」と感嘆させられるね。そのインパクトには負かされる。日韓の歴史の問題もあって彼女らには何故か近寄りがたい神聖性を感じるよ。 ところが、先日電車で民族服の女子高生が電車内で携帯を取り出したのだ。年頃だし、便利だから携帯持っていたっておかしくはないが、なんとなく意外な感じがした。成人式で一面晴れ着の女が携帯手にしていたときの不気味さを思い出すとよく解る。
 彼女は日本語で、友達と馬鹿な話を大声で続けた。
 その感覚は日本の女子高生と全く同じだが、僕は頭に来ると云うより、何となくほっとしていた。 

成金爺
ハイヤーでも使えよ
 昼下がりに電車に乗ると、よく老人の集団に出くわすことがある。耳が遠いのも無理ないが、隣の座席で大声で喚かれるとたまらない。特にそれがやたら態度のでかい爺様であったら。
 教職を取って知ったのだが、福祉が21世紀の教育4大キーワードのひとつらしいが(IT/環境/福祉/国際化だとよ)、子供のうちから年寄りは偉いなんて教えるのはどうかね? 醜い老人は模範になる年寄りより遥かに多い。年食ってりゃ偉いというものではない。日本を覆う老害を見よ。
 と、いうわけで昼下がりに出会うスーツなんぞを着こなした老人2人組などは最悪である。僕は今でこそこんな特集を組んでいるから関心もって聞いているが、そうでなければ蹴りの一つでもくれてやりたくなる会話である。
 喋っているのはずっと株のこと、あと先物ね。どっかの会社の重役なのか、株主総会の話もしている。まあ電車で移動しているあたり大した会社ではないんだろうが、それでも乗り合わせた30分あまりの時間話しているのはずっと金金金。もう引退すりゃよさそうなもんだ。孫が泣いて頼むんで曾孫を「**銀行」(聞いたことねー、信金じゃねえの?)に入れてやった、なんてヨタ話をしているくらいだからよほどのもんだ。
 いやあ、下品だね。女の話は出ないのがおかしなくらい。酒の話はちょっと出たけどね。100万単位の金額の話をしているので女くらい簡単にモノに出来そうなもんだが、もう機能しないんだろうな、気の毒に。
 大都市の駅で降りるとき、隣の男は定期代わりに「株主優待券」を抜き出し、「そんじゃ、パーティーで」と相棒に向けて云うとおぼつかない足取りでよろよろと座席から立ち上がり、ぎりぎりで電車から降りた。
 この後が凄い。残されたもう一人は携帯を取り出すといきなり「おう、俺だ。ちょっと会議にはおくれっからよお、そう伝えとけや」と怒鳴り始めたのだ。口調もさっきの老人には、寧ろ丁寧語で接していたのにこの豹変には吃驚した。
 まったく社会というのは恐ろしい。 

中華マフィア
都市伝説に踊って
 わはははははははは、ついに見たぞ「中華マフィア」(らしき人)。
 場所は日本の誇る大繁華街より2つ目の駅、その男はホームに立っていた。
 年頃は20代後半から30代の若者、一昔前に流行ったような短いトゲトゲ頭に耳はピアス、手に持った携帯に中国語の大音声で喋っている。服装は水色の安っぽい古ぼけたジャンパー、履き古したジーンズ。足下はデッキシューズ。
 なんとなく浮いた格好の彼はしかし大声で喋る中国語で「雰囲気武装」していた。だって馳星周の小説とかでとにかく恐ろしいイメージが先行しちゃっているからね、もし彼が「オマエラゼンインカネダシナヨー」とかいったら素手でもみんな金を出すだろう。
 彼は大声で叫びながらふらふらホームをさまよい、その度にまわりの日本人は目も合わせず避けていた。僕だって逃げるよ、そんなのが来たら。まあ、彼はひょっとしたらアソビ人の中国人留学生か何かなのかも知れないけど、左耳のあんまり人がしないようなデカいピアスが「ただもんじゃねえぜ」と云っているように感じた。
 その駅はジャンクションで、向かいのホームに僕は乗り換えたのだが、彼も他の車両に乗り込んだ。結構離れてはいるはずなんだけど、彼の声はやたらとうるさく響いてきた。
 奇しくも僕はその日、大学で偶然後ろに座った人たちが「朝鮮人高校の恐怖」というどこにでもある都市伝説を話している所を聞いた。身近では誰も被害にあっていないのに「朝鮮高校にやられた」という噂が一人歩きするアレである。彼らの話すのは「サッカースタジアムのレイプ物」で、まあよく聞く無責任なうわさ話と思えばいい。
 外国人にはとかくそういう都市伝説が流れる物でね(ユダヤ人のブティック参照)、そう考えると中華マフィアが残酷な殺しをやりまくっているという話もどこまで本当かは解らない。けれどもし本当だったら大変だし、何人だろうとでかいピアスつけて唾まき散らしながら大声で喚く手合いとは関わり合いにならない方が身のためである。
 「誰とでも平等に接っしましょう」なんていう託宣より経験則の方が役に立つ。 

古新聞収集家
職業色々
 読み本がないとき、しばしば夕刊を買う。
 僕はここで我流の取り決めがあって、その時財布に50円玉があれば産経を、なければ120円出してフジか現代を買うようにしている。新聞は大抵電車の中で読み切り、パズルもしっかり解いてからバッグの中にしまう。家に持って帰って家人に読ませるのである。
「なんだ網棚か?」
 とスポーツ紙を軽蔑しきる頑迷固陋な親父はいつも云う。
「なんだかホームレスとかは入場券買って新聞や雑誌を集めるそうじゃないか、網棚やゴミ箱を探ってよ。お前は乞食みたいな真似をするんじゃないぞ」
 と、僕はここである人物を思い出す。
 僕の住む街は低所得者圏の多く住む街ではあったが、最近宅地開発が進み、新興のお金持ちが入ってくるようになった。そのせいかどうかは知らないが、昔からホームレスの類は一人もいないはずだ。ひどい生活をしているような奴は随分いたが、ホームレス・浮浪者は都会のように見たことがない。
 だからホームレスではないのだろうが、その男はいつも僕の地元駅近くで、車両を巡回し、網棚を注視していた。家人もその男のことを知っていたから、まあ割と有名なのだろう。
 年頃は30代後半から40代。いつも野球帽をかぶっていて、はみだした髪は長くぼさぼさで天然なのかパーマがかかっている。背は小さいが太っており、夏でもジャンパーを着ており、いつも薄ら笑いを浮かべているところを見ると頭のネジがゆるんでいるのだろう。それが招いたことか歯が何本か欠けている。
 夕方から夜にかけて地元駅近辺の電車でとにかく網棚を注視しながら車両を移動し続けているのである。都会では車両移動者は珍しくないが、僕の近所では珍しい部類に属する。電車は空いているのだが。
 とにかく彼、いつみても往復している。多分これを生業にしているのだろう。僕もたまにぼんやり「スポーツ紙でも乗ってないかなあ」と思うことはあるし、あれば多少動いて取りには行くけど、全車両をくまなく巡視しようとはとても思えない。
 収入以外には考えられないからそれでやはり生活しているんだよなあ。
 週に一度は必ずさまよう彼を見るが、余計なお世話とは知りつつ「気の毒になあ」と思ってしまう。いつもはスローモーな彼が、新聞を見つけるとパッと走る様には涙を禁じえない。 

機密を扱う男
産業スパイにご用心!
 電車の席に座った人は眠るか本を読むかのいずれかだ。
 これ世界的に珍しいことであるらしく、犯罪の多い国では眠ろうものならば財布や手荷物がなくなるし、そうでない国では眠ったりぼーっとしたりでなかなか本を読むところまでは行かないらしい。
 まあ圧倒的に漫画雑誌が多いんだけれども、なかなか車内で本を読んでいる人を見るとギャップがあったりして面白い。例えばどう考えても勉強しそうにないヒップホップ君が岩波文庫読んでたり、神経質そうなオバサンが「生徒の心が解らない」とかいう教育書を読んでいたりする。電車で手持ち無沙汰な時は車内の読書子をじっくり見物するのも面白い。
 さて、今日あったオッサンはその中でもハイグレード級なものを読んでいた。
 彼が読んでいたのは正確に言えば本ではない。ファイルにとじられた紙束である。そしてそれは全部英語で書かれていた。
 英語だけなら別に特記するほど珍しくもない。たまに英字新聞広げてるインテリ気取りのドバカもいるにはいるが、そんな奴は無視すればいいだけのことだ。ああいうのはガイジンと手を組んで喜んでいる売国奴(これ、女だけじゃないよ)と同じでね、黄色人種に生まれた悲劇をほざかせときゃいいんです。
 で、このオッサンが読んでいるのはどうも機械か何かのマニュアルみたいで、四角の中にやたら細かい線が四方八方に飛び散っていて、その枠外には説明が英語でびっしり書いてある。かつてカーマニアの先輩から外国から取り寄せたオールドカーのマニュアル(全文英語)を見せてもらったことがあるが、その回路図みたいな感じだった。
 オッサンはファイルをパラパラめくりながら、30分近くも色々とマーカーひいたり、余白に説明入れたり(しかも英語で)していた。白髪も多い紳士然としたオッサンで、どうも技術畑のお偉いさんらしい。
 彼が電車を降りるとき、ファイルの表紙が見えた。
 「社外秘・無断持出厳禁」とそこには書かれていた。 

ただのデブ
 訴訟社会のアメリカでは「肥満者が座席に座れないのは差別である」なんて訴訟が提起されて認められているそうだね。だから場所によっては映画館でも飛行機でも専用席が作られているそうだね。本当かよ、という感じだけど日本もそのうちそういうファナティックな平等主義者が跋扈する世界になるのかな、と不安になる。
 さて、電車の中でとんでもなデブを見かけたことがある。
 中年女性、だとは思うのだがひょっとすれば若いのかもしれない。太った人は妙に老けて見えるのである。
 彼女は席をたっぷり3人分占領し、汗をだらだらかきながら座っていた。顔も大きくどこか悪いのか目を始終見開いており、なんだか怒っているようにも見える。腹は大きく突き出しており、服を買うのは難しいだろうと同情する。
 しかもそんなくせにミニスカートを履いており僕の胴体ほどはあろうかと思われる太腿を2つ剥き出しにしている。ぶよぶよと振動にあわせて蠢く太腿を見て、脂肪分の塊ということを再確認した。混んでいる電車だったので両脇にも人は座っていたがやたら窮屈そうにしていた。
 僕は必要もないのに「ダイエットー」と心の中で叫んでいた。
 ある大きな駅で彼女は降りた。ところがそれがすごかった。
 隣に実は亭主らしい連れがいて(これが笑っちゃうくらい痩せていた)彼が彼女の両脇に手を入れ、ぐいと引っ張って抱きしめるように立たせるのである。つまり一人ではもう立てないのだ。
 病気であれば同情するが、しかし色々と大変だろうなと思う。 

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